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2019年3月28日木曜日

21世紀ハードボイルド/ノワール ベスト22 第1回 (全4回)

昨年末ぐらいに突如やる!と宣言いたしましたアレが遂に登場です!どうかねこのキャッチーなタイトル。SEO対策も万全ぽいナリ!普段はSEOなんて考えたくもねえよ。そう簡単に検索されてたまるか!ぐらいの出鱈目ブロガースタンスの私だが、今回ばかりはそうは言っていられない。ハードボイルド/ノワールの未来への重大な危機である!というわけで、前回(パンダの理論の最後のやつ)のおさらいから。

筆者である私は、とある金曜日仕事帰りに、例によってそこしか行くところもないので近くの書店に寄る。おお、そうか、年末恒例の何かがすごいとかすごくないとかいうやつが出る頃か。んで、とりあえずパラパラと見てみると、んまー、案の定という感じに昨年やっとのことで翻訳の出たエイドリアン・マッキンティ先輩のショーン・ダフィ第1作『コールド・コールド・グラウンド』が三十何位とかいう低位。まあ「読書のプロ」とやらの中じゃとっくにハードボイルド読みなんて死に絶えてるしな。どーせ、こんなもんだろ。3作目が出たところで、密室好き連中からくそみそにけなされてそこで翻訳打ち止めって辺りだろ、ケッ。とふてくされていたのだが、そこでふてくされてばかりもいられんことに気付く。せっかく優れた作品が翻訳されても「読書のプロ」どもに常に下位に追いやられ、続きも翻訳されず、在ったことさえあまり多くの人の目に留まることもなく次々と消えて行くばかりが続くこの現状、今ハードボイルドを読んでみようなどという前向きな志を持った若人が現れても、いったい何を読めばいいのかさえ分からなくなっているのではなかろうか?おしりたんていも全部読んだし、大人向けのミステリも読んでみようかな、ハードボイルドとかいいかな、と希望を持った純真な若者が、うっかり何とか知恵袋とか福袋とか言うところに「おススメのハードボイルドを教えてください。」などと書き込んだばっかりに、待ち構えていたマッチョ説教信者に『初秋』なんぞを押し付けられ、「こんなクソつまんねーのしかないなら一生ハードボイルドなんて読まなくていーや。」となってしまう惨事が日々繰り返されているのではないか。福袋にはそんなにいいもの入ってないんだよ、という教訓などでは済まされない事態である。ここは早急に新たな世代の指針となる未来へと向かう21世紀のハードボイルド/ノワールの名作リストが必要である!だがしかし、前述のようにもはや「読書のプロ」などという澱んだ泥濘ではハードボイルド読みなど死滅しており、頼むべく者もかすかにも期待を持てる者すらも皆無である。そればかりか30年一日のように、似た形の物を見つけてホークがスーさんがハマちゃんがを始めるばかりのマッチョ説教信奉者や、映画とビンテージ物の話しかしないノワール原理主義者の横行により21世紀の新しいハードボイルド/ノワールなどは存在しないように見せかけられているのがこの国の現状である。なればここは拙僧(僧?)自らの手で成し遂げるしかない!と、うろ覚えのいにしえの『ワイルド7』TVシリーズのOPテーマなどを口ずさみながら立ち上がったという次第である!あれ?おさらいの方がオリジナルより長くなっているが、まあ気にするな。いつものことだ!

というような事情で昨年末より急いで作り上げたのがこちらなのだが、ここでうっかり騙されてこんなところに来てしまった諸君に言っておかなければいけない重要なことがある。タイトルに偽りあり!検索にかかりやすいようキャッチーなタイトルを付けてみたが、実はこれはベストというようなものではないし、お風呂場の掃除をしているらしいセクシーなお姉さんの画像とも全く関係はない!あ、いやそんなところには一切つながっていないのだけど。ベストというと何かセレクト作業が行われたように思うかもしれないが、そんなことは一切なく思いついたのを全部書いた!更にベストというところから連想される順位みたいなもんもなく、基本的には日本で出た時系列ぐらいに並べただけ!おい、そこの、ほほう、ハードボイルドベストか。どれウィンズロウやコナリーが何位になってるか見てやろうかな、みたいにふんぞり返ってる奴!そんなもんは一切入ってねえ。そんなもんはわざわざここに並べなくたって売れてるだろ。おんなじ理由でリー・チャイルドやジョー・ネスボ辺りまでは入っておらん!ここに並んでいるのは主に上記のような目そのものがウロコの連中から無視され、いつまで経っても欠点見つけて批判してりゃあ辛口ミステリ通に見えると思ってる幼稚な連中にこき下ろされ、続きも翻訳されずとうに絶版となり古書店の片隅で雌伏しているが、この絶滅が危惧される真性ハードボイルド/ノワールバカの数少ない生き残りである私が絶対の自信を持っておすすめ…、あっ、検索重要ワード!おススメ、お勧めする絶対に面白い未来へと向かう21世紀ハードボイルド/ノワールの名作である。多くが絶版であるので出版社は全然儲からない。ざまあみろ。まあロートル世代の自称ハードボイルドご意見番みたいのの中にはとかく「ハードボイルドはこれとこれを読めばよい」てなことを言って団塊スタイルで格好つけたがる輩も多いが、こちとらノワールの毒にどっぷり冒された危険狂人なので、そんなケチ臭いことは言わん!思いついたのは全部書いたので全部読みやがれですわー。ああ、心配しなくてもチャンドラーは未来永劫絶版になることはないので、こっちを読んだ後でも大丈夫。『初秋』なんざどこのブックオフでも108円とかで買えるから、いつでも読んでウンザリできる。まずは未来へ続く21世紀ハードボイルドを読むべし!さあ始まるよー。

始まるよー、と言ったところでもう一つ注意。まあいつもの感じで無計画に始めた結果、なんか全4回とかになっちまいました。こんなの最後まで読んでくれる人どのくらいいるのかわからんが、少しでも読みやすいよう4321回の順でアップしてあります。新しいのが上に来るので、これだけに関しては下へ進んで行けば続きが読めるようになっています。のはずです。大丈夫だよね?うまくいってなかったらごめん。つーわけで、今度こそホントに始まっちゃうよー。帰るんなら今のうちだよー。


■ケン・ブルーウン全作品(4作)

まず最初に登場は、21世紀初頭のハードボイルド/ノワールを代表する偉大なるケン・ブルーウンです。全邦訳作と言ってもたった4作しかありません。そして、このブルーウンの翻訳紹介がわずかこれだけで終わってしまったことで、以降のハードボイルド紹介が断絶したと言っても過言でないほどの大きな穴が開き、以降もそれが広がり続けているのです。
邦訳作4作の内訳は、ジャック・テイラー・シリーズ2作と、単発作品『アメリカン・スキン』(早川書房)と『ロンドン・ブールヴァード』(新潮社/翻訳者のこだわりによりブルーエン)の2作。で、ここは私がこよなく愛するジャック・テイラーさんについて紹介いたします。
ジャック・テイラーは、アイルランド、ゴールウェイの元警官。免許や資格のある探偵ではないが、警察に行けなかったり、あんまりあてにしていないような人たちから頼まれ、探偵的な仕事をしている。第1作の時点でもう50代で、本好きのアル中オヤジとして登場してくる。このシリーズについては、ジャックさんがちゃんと捜査しないとか、事件の方が勝手に解決するなどの言われ方をされていたりもするのだが、そりゃあちょっと読みが浅い。まず言っとくのはこれはジャック・テイラーというちょいとふざけたオヤジの手記という形で書かれた小説だということ。なのであんまりうまく進まない捜査のこととかは一行ぐらいで流して、そんなことよりも町で出会った面白い酔っ払いや読んだ本の感想の方などのことの方を書いてあるということ。という言い方が気に入らんならそういうスタイル。そして事件解決について言えば、このシリーズは基本的にはジャックさんが事件を解決しない、もしくはできないという形のシリーズなのである。それはどういうことか?おおよそ何らかの犯罪が行われ、何かが隠されていたり誤魔化されていたりというのは、物事の普通のあり方を強引に捻じ曲げている状態である。そしてそれは不自然な状態ゆえいつかはその自重により崩壊または破裂に至り、多くの場合は大変悲惨な結末となって現れる。ジャック・テイラー・シリーズというのはそのような形で事件が「解決」される「ミステリ」なのである。そしてそうやって事件を請け負うことにより彼自身が触媒となり、加速される形でカタストロフィを迎え、ジャックさんも深いダメージを負う。大変愉快なジャックさんの語りにより、ちょっと軽めに見えてしまうのだが、実はめちゃめちゃヘビーなシリーズなのである。ちょっと考えてみると、こういうスタイルというのは、特にハードボイルド・ジャンルでは、昔から時折見られたものとも思える。しかし、ジャック・テイラーという限りなく事件解決能力の低い探偵(事件を二つ抱えると一個忘れるレベル)を配し、その方向をより強めたシリーズとして創り上げたのがケン・ブルーウンという偉才なのだ。
さしあたってはジャックさんのことを「アル中」と紹介したが、とりあえず自分の読んだところでは3作目までで、続く4、5作では酒を断っている。まあ意識を失って、次に気付くと精神科の施設に収容されているなどというのが度々続くのだからやむを得ないところで、またその先にはかなり深刻なことも起こっていたりもする。ちょっとここで「アル中探偵」というのについて書いておこうと思うのだが、まあ、日本で一番名前の知られているアル中探偵と言えば、ローレンス・ブロック、マット・スカダーだろう。で、このマット・スカダー、ある意味品行方正とも言える酒しか飲まないアル中。だが、このジャックテイラーさんや、クラムリーのミロなどはドラッグも平気でやる本当のルーザーのアル中。で、日本で人気のあるのはやっぱりこの品行方正の方のアル中マット・スカダーで、ヤバい方のアル中にはちょっと距離を置かれてるって感じが強い。決してドラッグなどの使用を奨励も是認するつもりも一切ないが、日本の酒に関するモラル、酒ならいくら飲んでもOK、大酒飲みは格好いい的な考えが反映されてる感じであんまり好きじゃない。そんなところと、いつまで同じこと言ってんだよ、って気分が合わさって、「マット・スカダーはアル中の方が良かった」ってのを聞くと少しイラッとするのですよね。
うーむ、まだ最初のところなのだけど、既に結構長くなっていて先が思いやられる。例によって無計画のまま、とりあえずの勢いで書いとるのだが、どこかで少し考えなければならなくなるところでしょう。まあ、そん時でいいや。日本ではたった2作で翻訳の止まってしまっているジャック・テイラー・シリーズですが、その後もシリーズは続き、昨年11月、第14作が刊行されています。当方でも何とか第5作までは読んでおり、感想は下のリンクから。あと、ブルーウンにはジャック・テイラー・シリーズより前に、第4作『Blitz』がジェイソン・ステイサム主演で映画化、日本でも公開されたにもかかわらずどこからも翻訳出版のなかったロンドンのぶっ壊れた87分署、トム・ブラント・シリーズもあり、最初にケン・ブルーウンの名を世界に知らしめたその初期3作による『White Trilogy』ぐらいは早く読まねば、と取り組んでいるのですが、まだ第1作でストップしているところ。何とか今年の早い時期に2、3作を続けて読もうと思っております。


■リード・ファレル・コールマン/完全なる四角

ニューヨーク、ブルックリンの探偵モー・プレガー・シリーズ第1作。えーと、これなんだけど、かなり印象を受けた作品だったのは漠然と憶えてるのだけど、何分読んだのがかなり前で内容をイマイチ思い出せん…。すまん。これに関しては2~3年前から読み返そうと思って常に手近なところに置いてあるのだが、いまだに果たせず。なんか始まって早々にこれで、先が思いやられるなあ…。しかし、こんなボンクラな私だが、随分と長い間アレの続き出ないのかなあ、と思いリード・ファレル・コールマンの名前を覚え続けていたことからも、たとえ内容は覚えていなくてもこれが21世紀ハードボイルド/ノワールの重要作品であることには絶対の確信がある!で、そのコールマンだが、その後も高く評価される作品を発表し続け、様々な賞の受賞歴もノミネートも数知れず、現代アメリカハードボイルドを代表する作家の一人となっている。モー・プレガー・シリーズは2014年までに9作発表されており、なんか結構色々なシリーズを書いている人なのだけど、最近の注目は2015年に始まり各賞受賞・ノミネートなど評価も高いGus Murphyシリーズ。とりあえずこれをと思ってるのだけど、色々読みたいの多すぎてなかなかたどり着けず…。まあ、それもあってプレガー後回しでいいかと思っちゃってるところもあんのだけど。あとほら、この人あれも書いてるよ、パーカーのジェッシー・ストーン、もう5冊も。パーカーのではスペンサーをエース・アトキンスとかどっちもいい作家が書いてるんだから翻訳してやればいいのにね。なんか出す前から「本家パーカーに比べれば」前提で待ち構えてるの多そうだから出しにくいのかね。まあどうでもいいけど。

ここでまた一つご注意。先に書くはずだったけど、いい加減前置き長くなりすぎたのでちょっと後回しにしててここでいまさら言うのですが、まあこういうのをやろうと思いつきあれとこれをとか頭の中で並べ始めた時点で気付いたのですが、今のコールマンほどに完全に忘れちゃってるのはこれくらいですが、結構曖昧になっちゃってるのは多いし、何よりそういやあれ結局まだ読んでないや、みたいなのもぞろぞろ出てくるわけ。うーむ、やっぱりその目的に対して不完全なものになっちまうか、と考えてしまったりもしたのだが、でもなあ、それを言ってたらいつまでたっても始めらんないでしょう。でもオイラはハードボイルド/ノワールってジャンルに対して今こういうものが必要だと思うし、それをやってくれそうな人も見当たらんのだよ。とにかくやらねばならんで作ったもので、その辺の不備については申し訳ないとしか言いようがないです。自分が絶対に推すこれが入っとらんのが気に食わんという人は、その方向で自分でベストを作ってみてください。沢山ありゃあその方がいいのだからね。
あとまあ、自分のこういう文章が気に食わんという人もいると思うけど、これが自分のキャラクターなんで。私はこれをなんかの営業活動でやってるわけでもないし、カリスマブロガーへの道目指せ月間5万PVとかいうわけでもないんで、なんか営業口調みたいなんで書くつもりもありません。別に気に入らなきゃ見なきゃいいんじゃないの、ってだけです。私もそうしとるしね。なんで無意味に尊大なアンタにへりくだらなきゃなんないんだい?
他にも、なぜ『初秋』とかを貶める必要がある!とか怒ってる人いるんじゃない?もちろん大アリだよ!日本のハードボイルドが一体何十年あそこで止まってると思ってんだい?このまま放っときゃ22世紀までホークがスーさんがをやってるぜ、奴ら!もーあんなもん徹底的にぶっ潰さなきゃ前に進まんぜ、てのが私の意見っすから。過去の作品に敬意を払え?なんかさあ、評論家やら「読書のプロ」やらのお話にうんうんと異もとなえず聞いてるうちに、すっかりオトモダチ気分、自分もそっち側に行ったつもりになって、新しい作家と見りゃあどこぞの遥かな高みからか尊大に欠点見つけて攻撃したり言いがかり付けたりの評論家気取りばっかじゃねえの。かと思えば、リー・チャイルドとかいう「新人」が出てきてパーカーからも影響受けたとか言ってるから、ハイ、じゃあパーカーの弟子ってとこから始めましょうか、とかさあ。新しい作品に敬意を払えん連中にそんなこと言われても全く聞く耳持たんわ。そんなわけでこんな奴の話は聞いとれん!と思う人はこの辺でさよならでいいんじゃないでしょうか?とっととお帰りやがれですわー。


■ロジャー・スミス全作品(2作)

南アフリカの作家ロジャー・スミスの恐るべきノワールの極北、いや極南か?という作品に衝撃を受けた人も少なくないだろう。主人公たちは絶望の暗黒の中、出口があることさえ諦め、唯一の手段「暴力」のみを頼りに這いまわる。奴を殺さなければ、明日俺は息をしていることもできない。怒りと狂気、妄執の物語の果てに、最後に差すかすかな光の中で生き残り立つ者、斃れる者の姿は常にその呼吸困難になるほどの濃密な旅を見つめ続けてきた者-読者の胸を激しく打つのである。
21世紀ハードボイルド/ノワールファン必携の名作2作『血のケープタウン』、『はいつくばって慈悲を乞え』はともにハヤカワ・ミステリ文庫より。で、その後のロジャー・スミスさんなのだが、実はこの2作で大手のパブリッシャーMacmillanとの契約が切れたようで、少し苦戦を強いられながらも作品を発表し続ける。ちょっとよくわからないのだけど、その後の7作のパブリッシャーTin Townというのはスミスさん自身の個人出版社かもしれない。しかしながらドイツ、フランスなどでの評価・人気は高く、翻訳作品も多い。そして最新作James Rayburn名義での『The Truth Itself』は出版月日を見るとフランスで先行出版されたものかもしれない。そんでいまさらながらで大変申し訳ないのだが、実は私このロジャー・スミスさんの第3作『Dust Devils』をやっと昨年になって読んでいる。内容に関しては全2作と同様の本当に素晴らしい作品なのだが、ただひたすら昨今の遅れによりいまだに書けていないだけ。いやホントロジャー・スミスさんにもスミスさんの作品に感動した皆さんにも本当に申し訳ない。絶望と暴力の荒れ狂う地での凄絶な復讐劇『Dust Devils』については近日中に必ず!色々よくわからず、かもしれないばっかになってたところもきちんと調べておくっす。あー、あと南アフリカっちゅうとデオン・マイヤー(メイヤー)な。いや、実はこれが読めてないのだわ、ずっと読もうと思ってるのだけど…。えー読めてないんで評価も未知ですが、とりあえず名前だけ挙げときます。面白そうです。すんません。


■ポール・クリーヴ全作品(2作)

ニュージーランド発ノワール。ニュージーランドに住んでいるのが赤ちゃんばかりではないと、我々に知らしめた…、いや、このネタは前にも言ったか。だが私のなぞなぞマスターの魂(ソウル)がニュージーランドという国に対して自動的に反応してしまうのだ!フフフおしりたんていくん、このなぞなぞが解けるかね?『清掃魔』は、ニュージーランド、クライストチャーチで知的障碍者を装いながら警察署の清掃員として働きつつ、その裏で夜な夜な凶行を重ねる連続快楽殺人鬼の一人称で語られる作品。そこに主人公の表の顔である「のろまのジョー」に親しみを抱く警察署営繕部で働く女性の同じく一人称が挟まれるという形。そしてこの作品、この一人称というやつが曲者。主人公ジョーは自身のことを知的障碍者を装った天才と語るが、果たしてそれは本当だろうか?唯一の肉親である母親とのやり取りに度々現れる小児的とも思える苛立ちや所々に現れるある種の思い込み、そして女性からの視点での描写に見える微妙な違和感などを見ていくと、この人物が本人が語っているほどの冷酷な計算に基づいて犯行を重ねる知能犯なのだろうか、という疑問が徐々に沸き起こってくる。それはこの男が語っていることはどこまでが事実なのだろうかという疑いにまで膨らんで行くが、我々はこの「信頼できない語り手」である狂人の目を通してのみでしか彼の物語を見ることができないのだ。と、ここまで言えば熱心なノワール・ファンならお分かりであろう。これこそがかの伝説のノワール神ジム・トンプスンの神作群に連なる21世紀ハードボイルド/ノワールである。そしてこの作品には更に、主人公ジョーのその後を描いた続編『殺人鬼ジョー』がある!…のだが、実はこれまだ読んでまへん…。またしても…。なんかせっかくいいの出ても読めないタイミングとかあるよね。時々思い出して、わー、これ読まなきゃダメじゃん!と気付いてもその時色々と早急に読むべきものが山積みだったり。で、今も、わー、これ読まなきゃダメじゃん!気分なのだが、またしても色々と山積みに…。だが今年こそはなんとしても読むぞ!絶対ナリ!
『清掃魔』は2008年に柏書房から、そして続編『殺人鬼ジョー』は2015年にハヤカワ・ミステリ文庫より翻訳出版されています。『清掃魔』はポール・クリーヴのデビュー作なのだけど、実は続編『殺人鬼ジョー』は日本での出版とちょうど同じく7年の間をあけて出版されています。クリーヴの方は別にその間断筆していたわけではなく、ほぼ年1作ペースで作品を発表し続けており、『殺人鬼ジョー』の後も含め、現在10作品が出版されています。クリーヴ作品は地元ニュージーランドの他にもアメリカからも出版されており、Kindle版では同じ作品でも価格がずいぶん違ったりするので、原書で読もうという人は注意。初期作品ではランズデール、ハップ&レナードの新作を刊行しているMulholland Books版がお手頃でおススメ。なんか見てみるとこの人も結構ドイツ語版出てるよな。うむむ、ドイツ侮り難し。


■ドゥエイン・スウィアジンスキー全作品(3作)

私が初めて天才ドゥエイン・スウィアジンスキーの作品に出会ったのは、実は彼がライターとして参加していたコミック作品だったりする。ちょっと複雑な設定のシリーズの第1回を、ともすれば文字だらけになるような説明をそれこそ骨ぐらいまでシェイプアップし、的確に配置することで見せ場に特化し、主人公である不死身の男Bloodshotを25ページで3回も惨殺した恐るべき手腕に驚愕。こいつはいったい何者なのだと調べてみたところ、なんとメインワークはクライム・ノヴェルの作家!それなら読むしかないだろうと手に取ったのがケイパー小説の大傑作『The Wheelman』だったわけである。で、読み始めるとすぐに一つの疑問が。いや、これ面白すぎる!いくら何でもこんなすごい作家がこの日本でも全くノーマークということはないだろう。と思って何度も検索してみるが全く見つからず。釈然としないまま、とにかくこのブログにドゥエイン・スウィアジンスキーという人の『The Wheelman』メチャメチャ面白いです、と書いて最後にアマゾンへのリンクを張ろうと思って検索したら、あっさりと翻訳作品が2作もあることが分かった…。いやまあそこまで書いてしまったからもう変えるのもややこしく、すんません、今見つかりました…と書いてアップした次第。その辺のことについては今もそのままなので、下の『The Wheelman』のリンクから見て笑ってやってくれればいいが、なんなのこれ?前述の通り他に行くところもなく、週に2回は本屋に寄り、ほんの3日前に見たばかりでも一応翻訳書と文庫のコーナーを見てくるぐらいのバカが、なぜこの2冊に手を触れた記憶もなかったか自体が謎である。しかし!実はこの『The Wheelman』という作品には次の作品『メアリー・ケイト』で主人公になる人物がカメオ出演しており、その関係で邦訳初作品となるそちらでは解説などでも盛大に『The Wheelman』のネタバレが書かれていたのである。つまり私はもしかするとかなりの確率を潜り抜け、奇跡的に大傑作『The Wheelman』を100%楽しめたのではないだろうか?うーん、私はこれはなにかハードボイルド神的なもののご加護ではないかと思っているのだよ。え?この長いのなんだって?いや、ちょっとした自慢。しかし、前作に次の作品の主人公がカメオ出演ってなんだよ?とお思いの方も多いと思うが、そんな遊びを平気でやってのけるのがこのドゥエイン・スウィアジンスキーという男なのだ。
スウィアジンスキーの作風と言えば、テンポが良くスピード感のある展開にユーモアをまぶし、その陰に巧みに隠されたどんでん返しを熟練のマジシャンさながらの手腕で自在に取り出して来るという、まあとにかくホントに上手いんだよ、この人。まあ現行作家では21世紀ハードボイルド/ノワールを牽引する私の最も信頼する作家がこの天才ドゥエイン・スウィアジンスキーである。しかし、日本での翻訳作品について言えば、未訳『The Wheelman』が大傑作であるのに対し、『メアリー・ケイト』は中傑作、『解雇手当』は小傑作というところか…と思っていたらなんとホントにタイムリーに『Canary』の翻訳出たじゃん!(邦題『カナリアはさえずる』扶桑社より!)遂にスウィアジンスキーの真の実力が日本に上陸!んーと、私はスウィアジンスキーがあまりに好きなので、まず原書の方を読もうと思っているので、まだこれを読むのはしばらく先になってしまうのだが、こいつは間違いなしの大傑作である。いや、ずっと早く読もうと思ってたのだよう。とにかくこれはまず読むべし!
そして更にスウィアジンスキー未訳作品には、前代未聞!こんな三部作ありか?のCharlie Hardieトリロジーもある!こいつもいつの日にか翻訳が?と期待してしまうのだが、ちょいと日本には難易度高すぎか?こいつは3作揃って始めてその真相が分かる三部作なので、きちんと全作刊行しなければ意味がない。生半可に手を出して1~2作で放り出したりしたら、後一生その出版社の頭には「バカ」をつけて呼ぶからな!とか言ってみてもどーせ日本にこれを出せるところがあるとは全く期待していないよーだ。まあこれの話をするときには毎回言ってるのだけど、成り行きとはいえちょっと最後にネタばらしをしすぎたと反省しているので、第3作については本編を読むまで絶対に読まないように!だから下のリンクも第3作のは無し。ホントに親切で言ってるんだよー。
あとアレだ。新刊の解説だけちょっと見たのだけど、Level 26については言及だけあったけど、やっぱ私が新しいの出るたんびに騒いでる世界のパタやんのBookshotについては触れられてないね。やっぱこーなるだろ。だからあんだけしつこく騒いでたのだよ。まああれは薄い本なので2冊ぐらいまとめて、そのうちやるので熱狂的なスウィアジンスキーファンの皆さんは乞うご期待。え?もしかして日本でワシだけ…じゃないよねっ!
もはや向かうところ敵なしかと思われたスウィアジンスキーだったのだが、昨年秋、なんとも痛ましい悲報が…。昨年11月、スウィアジンスキー氏の最愛のお嬢さんが闘病の末ガンで亡くなられたそうである。心痛いかばかりか。心よりお悔やみ申し上げます。当分は新作どころではないでしょう。可能ならばしばしは小説のことなど忘れてご養生ください。またいつの日にか、気持ちが落ち着かれたら素晴らしい作品をご執筆ください。私なぞはもう何年でもお待ちしておりますので。
今回は数も多いし、アマゾンへのリストは省略でいいかというところだったのだが、何しろスウィアジンスキーは綴りも長く面倒なうえ、検索するとまず大量のコミックがあふれ、なかなかたどり着くのも困難かと思われるので、私が絶賛しとる『The Wheelman』とCharlie Hardieトリロジーだけは載っけときます。いや英語でも大丈夫。Kindleなら単語にタッチすれば即座に辞書が引けるし、全部の単語引いてでも読むぐらいの意気込みと根気があって、全部日本語の文章に翻訳しようなどと無理なこと考えなければちゃんと読めるから。おいちゃんもまだ読んでないおしりたんていを全部読んだキミなら絶対に読めるでござるよ。では拙者は急ぎ続きを書かねばならぬ身ゆえ、これにて御免!





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21世紀ハードボイルド/ノワール ベスト22 第2回 (全4回)

■ロノ・ウェイウェイオール/ワイリー・シリーズ(2作)

またしてもなのだけどこのワイリー・シリーズも1作目しか読んでなくて、うーむ、これは早く2作目も読んどかなければと思ってたのだけど。というのはこのシリーズ第1作『鎮魂歌は歌わない』は、ウェイウェイオールのデビュー作ゆえか、若干いろんな要素を詰めすぎて、特に序盤、視点が定まりにくい印象があったのですよね。まず献辞でリチャード・スタークの名前を見た後に、物語冒頭でドラッグ・ディーラーを襲撃、そこから娘が殺害され犯人探しに動き出す、となると孤独な人狩りが始まるのかと思っていると、街の顔役で少年時代からの親友レオンを見つけた後は、相棒として二人で動き出し、結局全体の印象としてはワイリー&レオン・シリーズぐらいの感じだったり。そして主人公ワイリーに関しては、ハイスクールぐらいのことは語られるのだが、それ以降これまで何をしてきた人なのかという過去が語られず、過去を語らない人なのか、以降の作品で語られるのかは1作目の時点では不明だが(多分前者ではないかと思っているのだが)、別れた奥さんやらのくだりから女で失敗してきたことだけはわかり、なんか女で失敗してきたあんまりモテないルーザーっぽい過去のない男、みたいな微妙な感じになっていたり。まあこの物語要約すると、オレゴン州ポートランドをホームグラウンドとする、ドラッグディーラーの資金強奪などを生業とするちょいとルーザー気質のヴィジランテ、ワイリーが、親友である街の顔役レオンの協力を得ながら、娘を殺した犯人を追い詰め、復讐を執行する、というなかなか悪くないじゃん、て感じのものなのだが、序盤そこに落ち着くまでちょっとそのあたりをフラフラする感じがあり、なるべく先入観や思い込みを避けながら読もうと努めてはいるのだけど、それでもちょっとその辺の不安定感を引きずりながら読んじゃったかな、という印象があるのです。まあなんだかんだ言っても現代のハードボイルド/ノワールの優れた作品であることは確かなのだが、うむ、とにかく今度は最初からワイリー&レオン・シリーズぐらいの感じで2作目を…、というわけで最初に戻るのだが。まあ重ね重ねの不備は申し訳ないが、こちらも21世紀ハードボイルド/ノワール ベストの一角を担うにふさわしいシリーズであることは断言しておく。
ロノ・ウェイウェイオール、ワイリー・シリーズは『鎮魂歌は歌わない』『人狩りは終わらない』の2作が文春文庫から。ワイリー・シリーズは三部作なのだが、翻訳は2作どまりという、毎度おなじみの始末…。ウェイウェイオールはその後、このブログではおなじみ、私の最も信頼するアメリカのハードボイルド/ノワール系パブリッシャーDown&Out Booksに移籍し、精力的に作品を発表し続けている。未訳の三部作第3作『Wiley's Refrain』もKindle版などで簡単に入手できます。更に!2017年には同Down&Out Booksよりワイリー・シリーズの前日譚に当たるらしい『Leon's Legacy』も出版されております。

■イェンス・ラピドゥス/イージーマネー

スウェーデン、ストックホルムを舞台とするストックホルム三部作の第1部。ユーゴ・ギャングの幹部/上流階級の子弟にドラッグを融通し成りあがる青年/ユーゴ・ギャングに裏切られ投獄されたラテン系移民のドラッグ・ディーラー。三者の物語は時に絡み合いながらそれぞれの流れを進み、カタストロフィの結末へと合流する。暗黒のストックホルム三部作の開幕である。エルロイのLA、ピースのヨークシャー、そして21世紀最初に語られるのは北欧スウェーデン、ストックホルムの暗黒だ。あー、何度でも言ってやる。ストックホルム三部作だっ!だが日本で翻訳出版されたのは、この第1作のみ!後にノワール史を俯瞰した時、ランドマークとなる重要作がまたしても失われる。「ノワールとはかくあるべし」みてえな居丈高な能書きでフィールドを狭くするだけでヴィンテージ物しか語らないノワール原理主義者がのさばってるうちに前からどんどん現代のノワールが失われて行くばかり。ブルーウンに続きこのストックホルム三部作。もはやミッシング・リンクどころではなく、マリオでもルイージでも越えられない大きな谷が広がり続けているのだよ。これはなんとしてでも読むしかないっしょ。うーん、本国版は無理でも何とか英訳版なら…、とやっと読んだよ。前の『パンダの理論』の時ちょっと今大作を読んでるんで…とか言ってたのが実はこれ。私は現在読んでる本とスリーサイズに関しては秘密主義なのでその時は名前を出さなかったが、今こそ明かす時である!(スリーサイズに関しては永遠の秘密。)ストックホルム三部作、第2作『Never Screw Up』(英版タイトル)については最速近日中に!つっても中断してて大変申し訳ないゾンビ・コミック特集をやり遂げてからなので、春ぐらいになっちゃうケド…。何故最速かというと、私がちゃんと感想を書かないと次に行かない主義であり(私も意外といろいろ主義者じゃん)、とにかく早く第3作もすんげー読みたいからである。よしっ、ストックホルムを完読したら、次はいよいよMalcolm Mackeyのグラスゴー三部作だぜ。あっ、ところで私としたことがうっかりペレケーノスDC四部作を抜かしてたじゃないか。ごめん、ごめん。えっ?あれも絶版なの?バカじゃねーのっ!

■トム・ボウマン/ドライ・ボーンズ

そして2016年に。2016年は突如としてハードボイルド/ノワールの優れた作品が多数翻訳される豊作年となる。まあほとんどの年は飢饉なのだけど。で、出た順番はちょっとわからなくなっちゃったけど、最初に読んだのがこれ。常に未読の積読が山になってて新しいのを手に入れてもすぐに読めず、埋もれて行くことも多いのだが、なんかこれはたまたま読んだ。これは全然ノーマークだった作品で、帯とか見て多分C・J・ボックスみたいなんだろうかな、ぐらいの感じでそれほど期待せずに読み始めたんだが、読んでみたらこれが今どきの日本でよく出たな、ぐらいの素晴らしい作品!いやー、侮っていて申し訳ありませんでした、と本に謝ることしばし。なんか人生には、とかまで言っちゃうと大げさだけど、あんまり期待せずに手に取った新作が思いのほかいい作品で、しばらくは積読を放棄して立て続けに新作を読む、というような時があって、この年はまさにそういう年になったのでした。近年は原書で読みたいのがもう雲を衝くほどの山積みになってて、翻訳物を読む時間があまり作れないのだけど、この年は色々読んでこのブログにも色々書いた。書くためには人の意見も見ておかなければ、などと思い込み色々見ているうちにあんまりひどいのが多すぎて、もう当分他人の感想なんて見たくないや、となってしまう副作用もあったけど…。まあそんな風にこれは私にとってちょっと意味のある作品なのですよね。
で、どんな話かというと、山奥のすんげーど田舎の人情派の駐在が、思いつきと手あたり次第で殺人事件を捜査し、微妙に謎を残したままなんとなく曖昧に解決するというもの。どうだいスゴイ面白そうだろう。ボックスのようなハリウッド風アウトドア派の追随を許さない本格カントリー・ノワールの大傑作である。いやまあ、ボックスとかはそういうものとして楽しめば良いのだけどさ。作品の感想のところに少し詳しく書いてあるが、その時期ちょっと気になり始めていたカントリー・ノワールにかなりはまるきっかけとなった作品。日本じゃさっぱり翻訳の出ないジャンルだが、いくつか結構いいのも読めてる。タイミングを外していまだに書けてないけど、ボウマンにも通じるアンチ・ヒロイズムっぷりがかなり印象的だったRusty Barnes『Ridgerunner』。おっと今調べてみたらこれホントに続きあんのかなあと思ってた続編出てるじゃん!ヤバい、早く書いて読まねば!あと私イチオシのAdam Howe君のランズデールをも継承する大爆笑カントリー・ノワールReggie Levineさんシリーズ!アンソロジーで見つけた短編などなど。カントリー・ノワールの巨匠ジェームズ・リー・バークのロビショー・シリーズの続きも読まねば。ちなみにボウマン、ヘンリー・ファレル・シリーズ第2作『Fateful Mornings』も2017年に出版されておる。今年こそは読みたいのだが。うむむ、ここまででいくつこれ言ってる?

トム・ボウマン/ドライ・ボーンズの感想

■C・B・マッケンジー/バッド・カントリー

例えば世に「不幸な紹介をされた」と言われる作品があるわけだけど、このC・B・マッケンジー『バッド・カントリー』もそんな作品の一つである。で、どこが不幸だったかというと、せっかくこれほどの作品が翻訳されたというのに、それを世に知らしめるべき立場の書評家とか称する連中の中にもはやハードボイルド読みが一人もいなくなっていたことである。実際のところ2016年末になり恒例のランキングの中で前述の『ドライ・ボーンズ』とこれに言及している者が皆無だったことから、もう「読書のプロ」とかいう連中の中ではハードボイルド読みは死滅したと確信したよ。この2作はこんな時代にこの国に翻訳されたのが奇跡のような重要作なのだよ。まだこの後、2016年にはこれらに引けを取らない優れた作品が続く。だがそれでもこいつらは特別だ。それは何故か。奴らはボーダーを越えようとする作家だからだ。言っとくがそのボーダーの外にあるのが「純文学」とやらではないし、現実とかいうやつでもない。奴らは物語の語られ方、在り方にはもっと別の方法もあるのではないかと考え、それに挑む作家だ。奴らは決して物語の、エンターテインメントの破壊者ではない。だがその枠組みが行く手を阻むなら、万人に好まれるベストセラー作家への道よりも敢えてそのボーダーを越えることを辞さない気概を持った作家である。ハードボイルドであれ、ミステリであれ、はたまた文学ってとこまで広げたっていいが、こういう奴らこそがそれらを前に進め、拡げるのだろう。そのジャンルにそういう作品が現れたなら何を置いてもまずそれを全力でプッシュできなけりゃあそのジャンルの愛好家でも読者でもねえよ。まあ結局はケン・ブルーウンのような偉大な先駆者がみすみす失われて行くのをなんとも思わなかった時点で死んでたんだろ。
とぶち上げたところなんだが、実は以前この本を読んだ時に書いた私の感想は全く役に立たない…。いや、ちゃんとリンク張って責任を持って恥をさらすけどさ。最近やっと気付いたけどさ、私、多くの場合あんまり楽しんで読んで感動した本についてまともにレビューする能力無いかも。なんかもうただホクホクしてヘラヘラしてるだけ。割と最近のマッキンティ、ショーン・ダフィ第1作なんかもそれだよな。それだけならまだいいが、あんまり言うこと見つからないんでなんか無理矢理ぐらいにひねり出した欠点とか書いたり。これじゃ常々罵倒している作品の欠点見つけて批評ができた気分になってるバカと大差ねえじゃん。ホントにごめん…。改めてここで敢えて言おう。このC・B・マッケンジー『バッド・カントリー』はジェームズ・クラムリー級の作家作品のデビュー作である!そう言やあ、昔矢作俊彦氏がクラムリーを評して「ブコウスキーの猿真似」と言ってるのを見て、そこまで言わなくてもいいじゃん、この先生ホントに口が悪いなあ、と思って事あったっけ。今はマッケンジーについてコーマック・マッカーシーの猿真似とか言えるハードボイルド読みいるのかい?まあ市井にはびこる「パクリ分類家」どもなら言ってみるかもしれないが、分類してそれで?パクリパクリばかり言っててそのうちパックマンになっちゃってもお母さん知りませんからねっ。そして、日本で、いや世界ででも一番尊敬するぐらいの作家が酷評しようが、ジェームズ・クラムリーが偉大なるハードボイルド作家であるという信念が一切揺るがん私が、サンシャイン池崎級のテンションで宣言する!C・B・マッケンジーは、マッカーシーの猿真似だろうが、ジェームズ・クラムリー級の21世紀ハードボイルド/ノワールの至宝である!あーん?そういうのはなんか権威筋みたいなのが指定して初めてそういうことになるとか思ってんじゃないの?そんなの関係ねえっ!オレが名作っつったらオレの名作で、アンタが言ったらアンタの名作なんだよ。名作なんて誰かが言ったから名作になってるんだよ。それを「読書のプロ」なんぞに任せといていいのかい?くだらねえ恰好つけのための自己顕示欲だらけの「批評」なんてウンザリだ!お前の思う作品を褒めろ!お前の名作を宣言しろ!

ついでなんだがここで、この本の帯に書かれていたスティーブン・キング絶賛について、いつか言っとかなきゃならんと思ってたので一言。確かちょうどこれ読んだ時期だったんじゃないかと思うけど、どっかでスティーブン・キングはやたらに沢山の本を褒めるがそれらがすべて優れた作品というわけではない、みたいなことがまるで定説のように書かれているのを見つけて、心底呆れた。あれ真に受けてた人いたのかい?元ネタとなる「あれ」とはまたぞろ「読書のプロ」のたわごとだ。ずいぶん昔、結構翻訳バブルぐらいだったころの座談会での発言。その頃やたらと帯にスティーブン・キング絶賛を掲げた翻訳書が出ていて、それのいくつかが気に入らなかった「読書のプロ」の一人が、キングをホメホメおじさんなどと揶揄したというもの。まあ、まずその時期各出版社がそういうのを見つけたらスティーブン・キング頼みで翻訳出版していたのが重なったんだろう、ってのは誰でもわかる常識で、発言が仮にもそんなところにいる人間がするとは思えないほど幼稚で愚劣、または座談会そのもののレベルが低すぎたのだろうということは置いておくとしてだ。日本と比べてどうか、てことはあまりわからないけど、自分が色々な作家の発言やレビューとか見ている限り、少なくともアメリカでは出版社が宣伝のために依頼したり本を送ったりするだけでなく、作家同士の互助精神が高く、少しでも名の出た作家は他の作家が売れるために積極的に協力してやろうとする傾向がある。そしてキングは若いころずいぶん苦労して作家になったという思いのある人だから、殊更多くの新しい作家に向けてエールを送っていたところもあるのだろう。一方そんなキングの読書傾向というと、よく知られているかのジム・トンプスンのファンであることなどからもわかるように、必ずしもスティーブン・キング的であるわけではないだけでなく、エンターテインメント性もそれほど高くないものであったりする。だが、彼を誰だと思ってる。世界的ベストセラー作家スティーブン・キングである。洋の東西を問わず、ベストセラーの読者というものはよりエンターテインメント性を求める傾向が高いものだろう。そんな読者がそんなキングが薦める本を読んだら、声の届かない遠い日本まで来なくても、お前が薦めたのに面白くなかった、と言う者も少なからず現れるだろうし、場合によっては幼稚で愚劣な輩に本の評価をする能力が低いのではないかと中傷されたり、ひどいものになれば出版社から金をもらってろくに読みもせずに誉めてるんじゃないかと言い出すやつも現れかねないだろう。だが、彼はそんなリスクも恐れず、自分が良いと思った本にエールを送り続ける。一人でも多くの優れた作家を世に出したいという想いで。スティーブン・キングというのはそういう男だ!で?アンタそんなスティーブン・キングと「読書のプロ」とどっちを信じるんだい?ちなみにオイラはキンちゃんのおススメの本を読んでがっかりしたことなんてただの一度もないぜ!またいい本絶賛してくれよなあ。期待してるよ!あ、でもくれぐれも目はお大事にね。

C・B・マッケンジー/バッド・カントリーの感想

■コーマック・マッカーシー /ノー・カントリー・フォー・オールド・メン (旧題:血と暴力の国)

いや、随分遅ればせになって申し訳ないのだが、コーマック・マッカーシーの名前を出して、これ忘れてたのをやっと思い出した。今更でごめん。ジャンル作家のものではない作品はどうしても別扱いしてしまうところがあるのだけど、これも21世紀ハードボイルド/ノワールの重要作の一つであることは確かである。おい、忘れてたくせにあんまり高飛車になんな。コーエン兄弟による映画、邦題『ノー・カントリー』は結構観た人も多いだろうから、話の方は説明する必要ないだろう。だが映画を観てても未読の人は必ず読むべし。映画化の際に変更削除された部分があるからなどということではなく、小説は小説として読む価値がある。物語というのはあらすじではない。常に語られ方にも意味がある。まあ小説読んでてもそれがわからずあらすじしか読めないのも多いけどさ。字が読めるから本が読めるってわけじゃないからね。映画の方も随分見どころは多いが、原作の方読んでたときにイメージしていたなんか幻想的な情景の中に溶けていくようなラストシーンがあんな風にぶった切られる感じになっていたのを観たときには、やっぱコーエン兄弟すげえと思ったよ。そうなのだよ、我々は夢を見ているのではなく、老兵がその身を休められる地もない世界で目覚めているのだからね。いやホント映画も素晴らしいのだが、まずオリジナルである小説が素晴らしいので絶対読め。あらすじなどと思わずきちんと一字一句、風景描写もきちんと読め。
マッカーシー『血と暴力の国』は本当に素晴らしい傑作で大好きなのだが、実はそれより遡る国境三部作はさらに好きだったりする。なんか寿命があと一年とか、あと一年で世界が滅亡とか言うことになったら、必ずそれまでに再読しておきたい三部作。というかそんな事態にならなくても再読しろよ…。実はマッカーシーの話のフリとして、文学系のノーマン・メイラー『タフガイは踊らない』やリチャード・ブローティガン『バビロンを夢見て』あたりを並べるところから入ろうと考えてみたのだけど、なんかそれらのとマッカーシーのこれはちょっと違う気がしてやめたわけ。それがなぜかと言うと、前者のがなんだかんだ言っても少し例外的な作品であるのに対し、マッカーシーのこれはその国境三部作ともつながる本来の作風の一つの展開という感じが強いからなのですよね。並べりゃいいってわけじゃねーからなあ。かといってブコウスキーやデニス・ジョンソンみたいなそのままノワールとかと地続きにできるタイプでもないわけで。ただその一方で思い付きで並べてみたものの中でも一番犯罪小説(カントリー・ノワールか?)として読みやすい文学作品でもあるのだよね。だが何か一貫したものがあるように見えるまたその一方で、マッカーシーという人はいきなりSF的なのを出してきたりとか、単純に日本の「純文学」的作者=作品的見方にうまくはまってくれない人であるのだよね。もちろんそーゆーとこも好きー!なのでマッカーシーはきちんと読み続けねばと思うし、国境三部作も再読せねばと思う。ただ私がそれ再読始めた途端に世界があと一年で終わることになってもワシのせいじゃないかんね。あと、マッカーシーみたいな作家の在り方っていうのは、文学とエンターテインメントの境目が薄くなってると言うよりは、もうどうでもよくなってるところの現れじゃないかと思ったりもするが、今忙しいしまた「純文学ノリといちゃもんをつける」先生をバカにしたくなってくるので、そのことはまた後で考えて先生にはもっとひどい悪口を言ってやろうっと。

■ハンナ ジェイミスン/ガール・セヴン

えーっと、実はこれを入れるかどうか結構悩んだのだけど。というのははっきり言って私はこの作品あんまり好きじゃないんで。じゃあなんでベストとか言ってんのに入れるんだよ、と言われればその通りなのだが、しかしこれを入れないと私が大変注目しているブリティッシュ・ノワールについて語れるところがないのだよ。うーん、作品批判的なことは好きじゃないのだが、だからと言ってあんまり適当に好きじゃないですと言って放り投げるのも良くないかと思うので、少しやってみる。まずこの主人公なのだが、すべての行動が行き当たりばったりで来たものに乗るだけ。一番重要なことのように語られる「日本へ帰る」というのも後付けの理由にしか見えない。でもさ、ノワールというのはそういう主人公がいてもいいのよ。だが問題はそういうやつにはろくな末路が待っていないものなのだが、この主人公はなんかそれなりの居場所がやってきてそこに落ち着いちゃうというのがどうにも納得いかず、私的には読みどころを見つけられなかったというわけ。結局のところさ、ものすごく大雑把に言うとこれって『トワイライト』みたいなところに属する完全に女性向けの作品なんじゃないかなあ、と思う。この作品の不幸なところは文春文庫みたいなところからいくら女子の女子のとつけてもノワールって帯付けて出たばっかりにこんな奴に読まれちゃったというところなんでしょうね。なんかアマゾンに画像取りに行ったらずいぶん低い星数でいくつかレビューが上がってたけど(内容は見てないけど)、なんか女性向けのレーベルからこんなやつとかが近寄らないような形で出ていればそこまで評判悪くなかったんじゃないかなと思う。実際納得いかないところはあっても、少し読んで放り出したくなるほどのものではなく(そんな作品いくらでもある)、最後まで普通に読めるぐらいにはできてたと思う。自分はそもそも作品のキャラクターにあんまり感情移入して読む方じゃないのだが、とにかく主人公の行動を我がことのように思いどうなるかに集中し同性として読める女性や、なんだかキャラクターにやたらに感情移入して読むラノベ読者だったらもうちょっと楽しく読めるんじゃないかな、というのが以前にも書いた私の感想です。でもさあ、やっぱり自分が読みどころ見つけられなかった理由付けの、批判のための批判じゃねえのかな。不毛。楽しく読める人は楽しく読んでね。ごめんね。
で、ブリティッシュ・ノワールについてなのだが、実は根本的にこれ日本的にかなりなじみの薄いところなんではなかろうか。英国出身のノワール作家として、日本でなじみの深いのはデイヴィッド・ピースだが、実はこのジェイムズ・エルロイから深く影響を受けた作風は英国ノワールの中では少し異色の作家。あっ、これは断じて批判の類いではないぞ。くれぐれも言っとく。で、英国ノワールで最もリスペクトされる開祖ともいえる作家が『ゲット・カーター』のテッド・ルイスである。骨太にして硬質。クール。一歩進んだ先で当たり前のように暴力に遭遇しそうな世界が昏い、時には無機質にも見えるリズムで語られる。名作!1970年に発刊され、72年に一旦角川文庫から翻訳が出たが、日本ではネオ・ハードボイルドのご時世にこの硬質な作品がどのように評価されたのかは知らん。現在では2007年に復刊された扶桑社文庫版が手に入りやすいです。あっ、2007年ならこれでもいいじゃん。今こそ読まれるべきノワールの名作ナリ!続きも読まなきゃ!で、そのあと辛うじて日本に入ってきたのがニコラス・ブリンコウ。そんで小説ではないがガイ・リッチー初期の『ロック、ストック~』や『スナッチ』。あの筋肉以外のものでいきなりぶん殴る乾いたバイオレンスが英国ノワール感満載の傑作なのだよな。と並べてみると、やっぱりピースさんも英国人ですねという感じなのだが。
ここで現代英国ノワールの話に入る前に、せっかくなので近年発行された開祖テッド・ルイスの評伝Nick Triplowによる『Getting Carter: Ted Lewis and the Birth of Brit Noir』を紹介しておこう。英国ノワール史の資料となる重要な一冊であることは間違いなし。ワシもいつかは読まねばと思っているのだが。あっ、今アマゾンの解説読んでたらテッド・ルイスの影響下にある現代英国作家の一番最初にピースの名前がある。あれ?やっぱそういう評価なの?まあ、こんな奴の言うことをあんまり鵜呑みにすんなよという見本かもしれんな。自分で自分の信用を落としつつ、先へ進もうではないか。
そしてたとえ日本に入ってこなかろうが脈々と書き続けられるブリティッシュ・ノワール。そしてその最前線を発見し、こんなものがあるなら黙っておれんと、今回のこれに匹敵する意味不明の使命感に駆られ、全45人の作家作品を2015-16年に全5回にわたって無理矢理紹介したのが傑作アンソロジー『True Brit Grit』なのである。やっぱり45人もいれば千差万別なのだけど、その中でもテッド・ルイスからの強い影響やリスペクトは目を惹いた気がする。自分が好きだから反応したということかもしれんけど。そんな英国ノワールの中でも注目は、まずはアンソロジーの編者の一人であり、英国ノワールの伝道者我らがPaul Brazill大将!どす黒い哄笑とバイオレンスに満ちた現代英国ノワールのお手本のような快作『Guns of Brixton』は必読!エグイ奴らが再登場の『Cold London Blues』は未読ナリ。ごめん。まだ全然読めてないのだが、Tony Black、Matt Philips、Julie Morriganなど注目作家はあまた。おっと自称英国からの自発的追放者Jason Michelも忘れるな。そしてスコットランドからはRay Banksによるマンチェスターのアニキ!チンピラ探偵Cal Innes!早く続きを読め!さらに映画化もされたDouglas Lindsayの史上最弱の連続殺人鬼バーニー・トムソン・シリーズ。これはユーモア・ミステリかな?優れた才能を輩出し続ける英国ノワールだが、実は彼らの道もまた険しい。前述の『True Brit Grit』について頑張って書いとるまさにそのさなか、英国ノワールここにありを世に知らしめたBest of British Crime Fiction Bookシリーズを発刊中のByker Booksが倒れ、英国ノワールを代表する作家のひとりAllan Guthrie率いる電子書籍黎明期を席捲した伝説のeブック専門パブリッシャーBlasted Heathも2017年に力尽きる。更に不運だったDouglas Lindsay氏はその後再販される予定だったパブリッシャーがまたしても経営困難に陥り、現在はバーニー・トムソン・シリーズを自身の個人出版社から出版している始末。だが英国ノワールの灯は消えず!2016年、毎月13日に13か月にわたり13作のノワール小説を発刊した伝説の(この業界伝説が数多く存在するのだ!)パブリッシャーNumber13 Pressが2018年Fahrenheit 13へと進化し新たな英国ノワールの牙城として聳え立つ!そしてWEBマガジン発のClose To The Bone(元Near To The Knuckle)ももう一つの極としてBrazill大将を始めとするヘビー級のパンチを繰り出し続けているのである。どうだい皆の衆、英国を無視してるんじゃあノワールファンとしちゃあモグリだぜ!さてその頃米国ノワールでは、というのはまた後程語ろうではないか。

ハンナ ジェイミスン/ガール・セヴンの感想



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21世紀ハードボイルド/ノワール ベスト22 第3回 (全4回)

■ジョニー・ショー/負け犬たち

遂にこれが登場であります!私が読んでなくても絶対傑作なのでおススメ!と言い続けてきたジョニー・ショー『負け犬たち』!いやー、この本との出会いは結構衝撃的だったのだけどさ。2014年かこのブログを始めた頃からジョニー・ショーについては短編などを目にして注目しており、2016年春、満を持して読んだJimmy Veeder Fiascoシリーズ第1作『Dove Season』を大絶賛した回を週末にアップロードし、月曜日に本屋に寄ったらこの本が出てるのを発見したという次第なのである。おーい!ジョニー・ショー出てるぞ!と大騒ぎしたが、私ジョニー・ショーについては文章も大変好きなので、原書から読みたいんでしばらく先になるんですが、絶対面白いから絶対に読め!という前代未聞、読んでもない本を絶賛しておススメ状態となっていたのでした。だが遂に読んだよ!えーと、引っ越す前だから一昨年の秋ぐらいだったか?一昨年?ま、いいか…。いや、なんだよこれ?スゴイじゃないか!万全の期待と傑作との絶対の確信ぐらい持って読んだが、それをさらに200%上回る大傑作!打ちのめされ傷つき失うものは命しかない3匹の負け犬が、禁断の地に眠る伝説の黄金を目指す!ムチャクチャ笑って泣く世紀の大傑作!これを読まずして何を読むというんだい?実はさあ、やっと原書の方読んだけど、翻訳版まではまだ手が回らず未読なのだが、これはたとえ少し翻訳が上手く行ってないなどということがあったとしても、そんなことで失われる恐れもない大傑作である!ワシがこれまで書いてきたのも、この後のも、まあ読者を選ぶかもしんないな、というところはあるかもしれん。だが、これは誰が読んでも感動する万人におススメの大傑作である。迷ってんならまずこれ読め!絶対読め!
そしてもう一つ、絶対の確信をもって言おう!これはかの内藤陳大師匠がご存命ならば、必ずや絶賛し年間ベストナインの一角を任せた「冒険小説」の傑作である!こんなもんも見つけられないくらいなら、もう「冒険小説」なんて言うのやめちまえよ。結局もう上から下まで全部「マーク・グリーニーに比べれば」とかスケール小さいクレイマーレベルなんだろうね。かの先生お得意の説で言うならば、「冒険小説宣言」とやらをしたところがピークで、そこから延々と劣化が進み、もうとっくに終わってるべきってところなんだろう。あー、やめちまえやめちまえ!

まあ、救いようのない連中は放っといて、なかなか日本には伝わらなそうなジョニー・ショー先生の輝かしい活躍の一つについてちょっと紹介しておこう。2012年から2013年にかけ、ショーが作家活動を休業し、編集に取り組んだ伝説の(また出たぞ、伝説!)アンソロジー『Blood & Tacos』全4集である。アンソロジー第1集の冒頭で、ショーはこう宣言する。マック・ボラン、デストロイヤーなどの70年代メンズアクション・ノベルのペーパーバックこそがパルプの伝承者だ。我々はガレージや物置の隅で眠っていたそれらを見つけ出し、叫ぶのだ。「やった!見つけたぞ!」時に埋もれたそれらの宝石を発掘し、皆で叫ぼうではないか!「見つけたぞ!」この声に応えたパルプ・フィクションを愛するつわものどもが自らが「発見した」忘れ去られた(もしくは誰も見たことがない)名作を手に参集する。その面々は現代ノワール/クライムフィクション作家版『大脱走』ともいうべき豪華な顔ぶれ。あー、念のため言っとくけど「発見した」の意味みんなわかるよね?この伝説の傑作アンソロジーは現在のところまだ一冊99~100円にて入手可能。あんまり英語に自信がなくてもとりあえず買っとけ!
あと、Jimmy Veeder Fiascoシリーズ第1作『Dove Season』がいかに素晴らしい作品であるかなどについては、下のリンクから見て下さい。この『負け犬たち』はもっと読まれるべき作品であるし、ジョニー・ショーももっとたくさんの作品が翻訳されるべき作家である!





ここで、英国ノワールの最後に書いたその頃米国ノワールは、というあたりに少し簡単に触れておこう。このあとちょっと荒れるのが確定的になったようなので、その前に。まあ、私が注目しているのは主に"small press"と呼ばれる辺りから本を出している連中だが、弱小出版社でも何でも好きに呼べばいいが、メジャーじゃなくそんなとこから出てる本なら興味がないとか言うんなら、今からでも言うがとっとと帰れ。どうせ日本で翻訳される本があっちじゃどのくらいの大きさの出版社から出てるものかなんてほとんどわかってねーだろが。あと米国の、と最初に言ったが、実際にはイギリス、オーストラリアなど英語圏の作家も参加している場合も多くグローバルになっているが、ここではパブリッシャーなどがアメリカにあり、そこを基盤に活動しているものについて米国、という形で扱っていく。それから、ってやたら前置きが多いんだけど、例えば日本ではミステリ・マガジンのような雑誌形式のものとアンソロジーというのは明確に区別されているが、英米ではその辺もまとめてアンソロジーと呼ばれることが多いので、ここでは一括してアンソロジーとと呼ぶ。ということで始めます。なんか言葉遣いに丁寧さが欠落しすぎてる気がしてきたので補正しなくては。いや、結構余裕ない感じで必死に頑張っとるもんで…。
この辺のムーブメントは、まずウェブジンというようなところから始まっているのだが、それを更に遡るとアナログな同人誌的な時代もあったらしい。まあこういうものの常として記録も残らず消えてしまうものなので、どのくらいあってどのくらいの規模だったかもわからないのだが、辛うじて私が知っているところでは、私が21世紀ハードボイルド/ノワールで最もリスペクトする現代ノワール最強の作家にして無冠の帝王Anthony Neil Smith氏(この人については後ほどもう少し詳しく語る!)が盟友ヴィクター・ギシュラーと始めた『Plot With Gun』がある。と言ってもそれほど詳細は知らないのだが、投稿された作家の短編数編の他に評論やレビューが掲載された形式で、最初は紙に印刷されたものだったが、後に同じ形式のままウェブジンへと移行する。(現在は終了している)同様のものとしてはこちらはオーストラリア発の『Crime Factory』。こちらも紙媒体による出版から始まり、その後ウェブに移行。そして更にその後、『Crime Factory』はKindle電子書籍版として発行されることになる。(2016年発行の19号にて終了。現在はアマゾンでの販売も終了している。)という風にノワール周辺では常に独力でも新しい作家を世に出したいという機運があり、それらが数多くのウェブジンへとつながって行く。それらの完全にウェブ発で現在も続くウェブジンというのは、前者のような雑誌スタイルのものではなく、投稿されたものが大抵は不定期にウェブページ上に一篇ずつ追加されて行くというもの。その代表的なものとしては、Spintingler Magazineがあり、一時期は独自のアワードも選出し、このジャンルの多くの優れた作家を輩出している。(現在は終了。)しかし、Spintingler Magazineの功績はウェブ上に多くの作家の発表の場を与えただけではなく、自ら出版部門Snubnose Pressを立ち上げ、多くの作家にさらなる活躍の舞台を提供したことである。残念ながら今はホームページも無くなりほぼ販売も終了しているが(さっき見たらまだ一冊だけAmazon.comにあった。Sandra Ruttanの『HARVEST OF RUINS』!)、電子書籍黎明期のアマゾンKindleストアノワールジャンルではそれは独特の存在感を放っていたのだ。なんかさあ、日本じゃもうアメリカでもそんなにハードボイルドなんて出てないぐらいのことがまことしやかに言われてた頃にさ、何とか翻訳の途絶えたやつを読みたいと思って、Amazon.comのハードボイルドやノワールのカテゴリを延々と見ていてこいつらに出会った時の喜びときたらもう…。ちゃんと出てるじゃねーか!ハードボイルドの未来を背負って立つ気満々のやつらがいるじゃねーか!日本で知った風な口きいてる奴らなんて関係ねえ!オレはこいつらを追ってくぞ!というのからその後このブログをやるに到ったわけなのですよ。ウェブジンから出版という道をSpintingler Magazineが切り開いたのかどうかはよくは知らないのだけど、これに続くようにアクションを起こし始める連中も次々と現れる。Beat to a PulpOut Of The GutterShotgun Honeyといったところもウェブジンから出版を始めた奴らである。前述の英国のClose To The Boneも同様のウェブジン発のパブリッシャー。そしてそんな中、一人の男が立ち上がる。それがウェブジンAll Due RespectのChris Rhatiganである。
ウェブジンで雌伏していた実力派たちが脂の乗り切ってきたこの時期、彼は自らのウェブジンに掲載されたそれらの作家39人の作品を集めたアンソロジー『All Due Respect』を出版する。それはまさに次代を担うノワール作家のカタログの様相であり、現在でもこのシーンを知るために重要な一冊である。現在でもたったの108円!今すぐ買え!この出版はRhatiganに大きな手応えを与え、そして彼はAll Due Respectをパブリッシャーとして立ち上げ、本格的に出版の世界へ乗り出して行く。この経緯を聞いて、Rhatiganをちょっと商才の利く男か何かと思った者もいるかもしれんが、彼は決してそんな安手の人物ではない!奴を動かすのは常にハードボイルド/ノワール/クライム・フィクションへのあまりにも深い愛である!常にシーンに目を光らせ、彼が手を差し伸べるのは今まさに世に出んとする新しい才能である。共同経営者である作家Mike Monsonが去り、一時期は経営困難に陥ったが、Down & Out books傘下に収まった後は息を吹き返したように、Liam Sweeny、Tom Leinsといった次を担う作家たちの作品を次々と世に出し続ける不屈の男!それがChris Rhatiganである!やはり著作物のある作家ほどに世に出、目に留まることは多くない存在であろう。だが我々ジャンルを愛する者は彼のような存在を決して見逃してはならんのだ。
何やら色々と熱くなりすぎてきた感じではあるが、このシーンにはまだまだ熱い男たちが数多く存在する。これまでウェブジンから出版へという流れについて語ってきたが、この電子書籍時代、更に別の手段で闘いに臨んでくる者たちも現れる。それがeブックメインのアンソロジーの発行である。ここにおいて何よりまず語らねばならんのは、あの伝説の『Thuglit』である!このアンソロジーを編集したのはBig Daddy Thugこと作家Todd Robinson!彼は2012年より4年間に亘り、自らの作家活動も中断しこの伝説のノワール・アンソロジー『Thuglit』を全23集も出版したのである!ノワール史に残る偉業!現在活躍中、または頭角を現してきたノワール作家はすべてこの『Thuglit』を通過してきたといっても過言ではない。しかも、この伝説はまだ入手可能!ああ、オイラもまだ少ししか読んでないんだが…。もっと頑張らねば…。そしてこのTodd Robinsonの偉業に触発された者たちが次々と自分たちのレーベルを立ち上げ、アンソロジーを出版し始める。多くは短命に終わるが、その意思は引き継がれて行く。不定期ながら長期にわたって出版されている作家Alec Cizakらによる『Pulp Modern』の名前ぐらい覚えとけ。
そして2017年新たな勢力が立ち上がる。米西海岸を根城とする作家Scotch Rutherfordによる『Switchblade』!どうだいこの悪そうな表紙!2017年の登場以来一切勢いを落とすことなくノワールの新たな才能を吐き出し続ける。現在第8集の出版も迫るところ。ノワール魂を継ぐ者たちは何度でも立ち上がるのだ!
そして、多くの才能が頭角を現してくれば、それを出すパブリッシャーも現れるのが当然の理であろう。この流れはハードボイルド/ノワール系パブリッシャーの台頭へとつながった行く。その先陣を切ったのは、英国ノワールの方で触れたAllan Guthrieによるeブック専門パブリッシャーBlasted Heathだろう。Guthrieがこれを立ち上げる時、まず考えていたのは当時優れた作品を発表していたのに従来の方法ではなかなか世に出られない作家たちを自分たちの手で売り出したいということだったのだろうと思う。これはBlasted Heath立ち上げに先立つ頃倒産したあるパブリッシャー(名前忘れた…ごめん。)からGuthrieとともに作品を発表していた作家たちがBlasted Heathに参加していたことからうかがわれる。その面々というのがスコットランドの鬼才Ray Banksや現代ノワール最強作家にして無冠の帝王Anthony Neil Smith(ちょっとくどかろうがオレん家ではこの称号は絶対譲らんぞ!)らである。そこにやはり英国内で不遇をかこち、出版社がつぶれその時も自ら立ち上げた個人出版社からバーニー・トムソン・シリーズを出していたDouglas Lindsayも加わる。そこに更に前述のようなウェブジン-アンソロジーから出てきた新たな才能が加わって行くのである。電子書籍黎明期Blasted Heathは確実にその存在を示し、それらの不遇をかこっていた才能は、それが売り上げランキングの上位といったものではなくとも求めていた読者の手に確実に届き、それらの才能に評価を与えた。その一つの現れが英国でのバーニー・トムソンの映画化といったものであろう。残念ながら2017年に力尽き伝説となったBlasted Heath。だが彼らは後へと続く道を切り拓いたのだ。
21世紀になってから、アメリカではシリーズ物のキャラクター・探偵が好まれなくなっている、というようなことを書いたものを見た記憶があるが、それがその時のその人の印象だったのか思い込みなのかは別にして、現実は違う。そういう事実があったとしても、それはそういうものがそれを求める人たちの手にうまく届かなくなっていた、という流通上の問題だろう。電子書籍時代になり、手軽に本が手に入るようになると、人気を博したのはそういったシリーズ物のキャラクター・探偵だった。米Amazonのミステリ関連書籍出版部門であるThomas & Mercerではいち早くそれを察知し、そういったシリーズキャラクターを持った作家作品を集め始める。日本でもルー・メイスン・シリーズが1冊翻訳のあるジョエル・ゴールドマンもそれらの自分のシリーズ作品を電子書籍化し個人出版で成功を収めた一人であり、同様に電子書籍で人気作家になっていたリー・ゴールドバーグと手を組みBrash Booksを立ち上げ、絶版となっていたディック・ロクティなどの80~90年代のハードボイルドシリーズ作品の復刻を手始めに、そういった作品を書ける新たな才能を探し始める。そしてそういった状況で現れたのがPolis Booksである。
Polis Booksはミステリだけでなくファンタジーやホラーまで幅広くジャンル小説を出版するパブリッシャーだが、こういったシリーズキャラクター人気を見て、ハードボイルド・ジャンルのシリーズ作品にも力を入れ始める。そうして登用されてきたのが、他のパブリッシャーで優れたシリーズを立ち上げながら続巻の刊行が滞っていたDave WhiteAlex Seguraといった若手新世代ハードボイルド作家たちである。え?新世代なんて誰が言ったって?オレだよ!文句あっか?作家同士の仲も良くシリーズキャラクター共演の短編なども出していたりして、一緒に俺たちのシーンを作って行こうという感じがなんとも頼もしい。様々に形式は変わっても、TVシリーズなどの人気を見ればいつの時代でもシリーズキャラクターが人気なのは明らか。シリーズキャラクターが好まれない時代になったなんてありえないことである。常に必要なのはそれが求める人たちの手に届きやすいシステムと、こうやって盛り上げて行く送り手なのだ。
この時期に立ち上げられ、優れた新しい作品を数多く出版したが、比較的短命に終わってしまったパブリッシャーが280 Steps。社名がチャンドラーの著作の中の一文から引用されたもの(なんか憶えあるんだけどいまだにどれだか確認しとらん。ごめん。)ということで、明らかにハードボイルド/ノワール作品のリリースを目指して立ち上げられたパブリッシャーである。初期には映画『キッスで殺せ』や『夜までドライブ』の脚本などで知られるA・I・ベゼリデスや80年代のマリ・シンクレアなどの作品の復刻が主だったが、そこから上記のようなシーンから出てきたEric Beetner、Eryk Pruittといった新しい作家の作品を次々とリリースし始める。しかし、2017年に入り少し出版のペースが落ちてきたな、と思った矢先の春先に突然の終了が告げられる。これは本当に急だったようで、作家の移籍もほとんど進んでいなかったばかりか、中にはプレオーダーまで進んでいたのに出版されずに終わった作品もあった。まあこういうのってどこかの大手パブリッシャーの資金が非公式に動いてて、それが止まっちゃったみたいな事情はなんとなく察せられたところなのだけどね。こんな風で幕切れはあまりよくなかったのだけど、280 Stepsは本当に素晴らしい作品を数多く出版したのだ。その多くがDown & Out Booksなどから比較的早く再リリースされていることからも確かである。それから280 Stepsはカバー・アートも素晴らしかった。多くの本の中に並んでいても一目で280 Steps作品だと分かる、何か現代のパルプというのを感じさせる独特のセンス。このまま失われてしまうのがもったいなくて、まだ見つかるうちに集めてきて画像を作ったのだよな。どこだっけ?後で見つけてきてリンク張っとくです。とりあえずここね。
そしてここで何度も名前が出てきてたDown & Out Booksが登場。発足は2013年だったか?まだ出来てそれほど経っていない頃のDown & Outのホームページをたまたま見つけた。まだ本が数冊ぐらいしか並んでいなかったけど、その中にLes Edgertonがあり、こういう作家の本を出しているならちゃんとチェックしておかなければな、と思った。んで、そのまま少し忘れてて、しばらくたって思い出して行ってみたら一気にずいぶんたくさんの本が増えていて結構驚いた。まあ、これまでに度々登場してる「不遇をかこっていた作家」を次々と登用してきたわけなのだけど、それにしても勢いがすごかった。そしてそれらの作品をただ集めるだけでなく、それらの作家の新作を続々とリリースして行く。更にこれまで書いてきた道半ばで倒れたパブリッシャーからの絶版作品を次々と救済。SnubnoseからBlasted Heath、280 Stepsらの伝説作品がDown & Out Booksから再版されている。現代最強のノワール作家にして無冠の帝王Anthony Neil Smith先生の作品もDown & Out Booksから入手できるのだ。そして前述のAll Due Respect救済以前にもウェブジン系パブリッシャーShotgun Honeyを傘下に加えており、それらからの新しい才能の発掘にも余念がない。という風にもはやこのシーンを語る上では避けて通ることができない存在であり、それゆえ前から名前がちょこちょこと出てきていたのであるが、それがDown & Out Booksなのである。そしてこれを率いるのがExecutive EditorであるEric Campbell。この手腕はただものではない。こいつも21世紀ハードボイルド/ノワール・シーンにおいて憶えておくべき名前の一つであろう。
とまあ、こんなところが私が追い続けている21世紀電子書籍時代のハードボイルド/ノワール興亡史の概要である。ああ、そうだ、奴らは弱小出版社だ、ウェブジンだ、同人誌だ、そして時には作家未満でもある。それに何か問題があるか?大手出版社に勤める編集者が選び、会議で収益が見込まれると決定されて出版された本にしか読む価値がないなどと思うやつらはとっとと帰りやがれ!奴らのパブリッシャーはあちこちで倒れ、ウェブジンは運営に行き詰まり、アンソロジーは息絶える。だが、奴らは何度でも立ち上がる。自分の信じる物語を書き続け、時には俺出版社で独力で出版し、ハードボイルド/ノワールの血統を受け継ぎ続けるのだ。こういう奴らがいるジャンルは絶対に終わらん!ハードボイルド/ノワールは永遠に不滅である!どうだ、これが21世紀ハードボイルド/ノワールだ!ざまあ見やがれ!
…あ、ごめん、なんかもう終わるぐらいのテンションになっちゃったけどまだ続くから…。いや、『Plot With Gun』から始めたあたりで、ヤバいこれバランス崩すぐらい長くなっちゃうかも、と気付いたのだけど、なんかもうSnubnoseの事書いてるあたりでどうでもよくなっちゃって、んで、オレがAll DueやThuglitのことを書いて熱くならんわけがないだろう、というわけでこんなになっちまった。まあ所詮は素人のブロガーがやっとることなんで出鱈目なのは諦めてくれ。あー、もう現代最強のノワール作家にして無冠の帝王Anthony Neil Smith先生のことを書く余力が無くなっちまった…。とりあえずはあっちこっちで散々書いてるので興味があったらリンクの方を見てくれ。と言うか興味を持てよ!この野郎!あ、あと本文に書く余裕なかったんだけど、リンク張ろうと思って久しぶりにBrash Books行ってみたらなんとラルフ・デニスのジム・ハードマン・シリーズも復刻されてるのを発見しちゃったぞ!ああもう新旧共に読むものは尽きんよなあ。

■クリス・ホルム/マイクル・ヘンドリクス・シリーズ

さあこいつだ。ああ、ムチャクチャ腹立ってくるがバカを罵る前にきちんとこの素晴らしい作品を紹介せんとな。不幸な生い立ちながら真っ当な未来を目指し、軍に入隊したマイクル・ヘンドリクス。だが彼はそこで自分にそんなものがあるとも思っていなかった生まれながらの殺しの資質-キリング・カインド-を見出され、暗殺専門の特殊部隊に編入される。数々のダーティな任務を重ねた後、彼の所属する部隊は突発的な敵の襲撃により壊滅。彼は死亡を装い密かに帰国する。悪夢からは解放された。だがもう俺の手は汚れてしまった。愛するものをこの手に抱くこともできない。だが、俺に何ができる?俺が持っているのは殺しの技術だけだ。そして彼は暗殺指令が下ったが殺されるべきというほどでない悪党から大金をせしめ、命を狙う殺し屋を返り討ちにするという商売を始める。だが、それは本当に彼の贖罪となるのか?そしてこの「殺し屋殺し」抹殺の命を受けた凄腕の暗殺者が彼を狙い始める…。アンソニー賞ペーパーバック部門受賞のクライム・アクションの傑作。だが、このシリーズ第1作がどのように出版され、どのように私が怒り狂ったかはもう繰り返さん。リンクを張っとくからそっちでも見てくれ。
そして本年、どうせ出ないだろうと思っていた第2作『Red Right Hand(邦題:悪魔の赤い右手 殺し屋を殺せ2)』が翻訳される。そりゃあ喜んで手に取ったものだが(まだ読んでない)、何これ?乱丁本とかいうやつ?私の買った本、末尾にハナクソついてたレベルの汚いもんついてたんだけど?なんか解説とか書いてあるけどよう。いい加減にしやがれ北上次郎!今まではオブラートだかティッシュペーパーだかに包んで書いてたが、こうなりゃ実名で攻撃だ!迷惑行為も度が過ぎりゃあ犯罪だ!犯罪も被害がデカけりゃ災害だ!なんだこりゃあ?まずは本に順位を付けるなどという下品な行為をあたかも自分の見識か実績のように掲げて見せ、そこから都築道夫まで持ち出して「俺はマーク・グリーニーの方が好き」なんてことを得々と語る。そんで最後は誰でも書けるようなあらすじをテキトーに書いてページを埋めて終わる。なんだこりゃ?早川書房さんよう、本の末尾のオマケの解説っていうのは宣材の一つなんじゃないの?解説書けるもんが見つからなくてアンタのところの部下にちょっとこの解説書いてみろって言って、こんなもん書いてきたら手近にあったジョージ・R・R・マーティンの原書ハードカバーで一撃くれてただちに書き直させるレベルじゃないのかい?そもそも北上にこれ「北上次郎の冒険小説放談」じゃなくてクリス・ホルムの本の解説だってちゃんと伝えたんかい?それともそんなことも理解できる頭もないのかい?何なのコレ?昔あったドラクエとクソゲーの抱き合わせ販売?巻末に延々とアガサ・クリスティのリストが並んだ版だと200円割高になりますとか言うんなら差額払うから交換してくんないか?
文芸評論家だか何だか知らねえが、長く続けてりゃあ(最初からかもしんねえが)只の本の仕分け屋に成り下がる。で、その仕分け方法がなんか自分がいいと思うのを決めてそれと比べるみたいな安直な方法。本てのはそれぞれ先入観なしにまっさらな気持ちで読んでそこから伝わってくる最も重要な中心命題や読みどころを見極めるもんじゃないのかい?バカな先導者に続くのはバカな追随者だ。北上先生のお墨付きをもらったと思ったアホ共がそこら中で一つ覚えの「マーク・グリーニーに比べれば」の大合唱を始めるぜ。もうこの傑作間違いなしの第2作も絶対にそこらに転がってる「感想」が目に入らないように注意しながら読むしかないや。
私はそもそもはそんなにジャンルってものにこだわって本を読む方ではない。だが、自分の最も愛するハードボイルド/ノワール・ジャンルが日本では「売れない」とされて、せっかく翻訳されても可能ならば周辺のジャンルへと押し込まれ、その結果そのジャンルのいまいち作品として扱われ続けるような現状の昨今、ここは敢えてジャンルを明確にし、そのジャンルとしての優れた作品をまとめることで新しくこのジャンルを読みたいと思う人や、読んで気になってたのが実はこのジャンルだったのだと気付く人へ向けてのいくらかの指標を作り、ジャンルの隆盛への一助としたいと、柄にもないことを懸命にやっとるところでこの暴挙だ。怒らずにいられるものか!クリス・ホルムというのは、私がこの前に延々と語ったようなシーンから出てきた作家である。ちょっと前のそういうところじゃよく名前を見かけてたホルムが、ルッカやランズデール、スウィアジンスキーらを擁するマルホランドから入魂の作品を発表し、それがアンソニーの栄冠を勝ち取り、日本でも出版されると大喜びして本を手に取ってみればこのざまだ。クリス・ホルムというのはウェストレイク=リチャード・スタークやエルモア・レナードにも連なる生粋のクライム・フィクション作家だ。巻末の謝辞にも「クライム・フィクション愛好家の読者の皆さん」と書かれている。だが、早川書房は日本では「冒険小説」の方が売れると判断し、何が何でもそれをゴリ押ししてくるようだ。クライム・フィクションへの愛など一切ない北上次郎を連れてくりゃあ「冒険小説」になるとでも思ったのか?挙句が出鱈目極まりないハナクソ解説を書かれて、帯に拾ってくる文言にも苦労してる始末じゃないか。私が最も危惧するのはこの作品が「冒険小説」などという救いようのないところに押し込まれているせいで、日本にも数少なかろうが存在する「クライム・フィクション愛好家の読者の皆さん」へときちんと届かないのじゃなかろうかということだよ。
とかな、ちょっと言いすぎてるかもしれないよ。「冒険小説」の評論家や多くの読者がポンコツばかりだったとしても、優れた作品は数多くあるのだから、真っ当なジャンルを愛する読者もいて、これを目にしたならそこまで言うことはないじゃないか、と憤慨するだろうし、もしかしたらそんな「冒険小説」の現状を憂いているのかもしれないよね。でもなあそっちの家の害虫はそっちで面倒見てもらうしかないよね。こっちから強く言うのは、もう頼むから歩く風評被害北上次郎をハードボイルド/ノワール・ジャンルに一切近づけないでくれってことだ!なんだか「冒険小説」の汗臭いたまり場みたいなところで声の届かないトム・クランシーへの悪口言って得意になっててもカンケーねーから。ところでさあ、実は私北上次郎がクリス・ホルムよりマーク・グリーニーの方が「肉体」って基準で好きって言ってるのがどうもよくわかんないのだけど?もしかして北上次郎って水野晴郎ジャンルの方で水野晴郎的基準の肉体?まあそれならわかんねえわな。いやいや邪推はよくないよ。大方マイク・ヘンドリクスとグレイマンがたたかったらグレイマンがかつ!グレイマンのほうがつよい!とかいう小学生みたいなので言ってるだけだから。ハハハ。

クリス・ホルム/殺し屋を殺せの感想

■アンデシュ・ルースルンド/ステファン・トゥンベリ/熊と踊れ

2016年に出たやつではこれが最後。こいつは例のランキングで1位とかなったやつなのでいいかと思ったけど、なんか北欧ブームとかが終わったころになってまたぞろ「熊を1位にしたのはまずかったネ」とか言い出す、言っていいことと悪いことの区別もつかん愚鈍が現れるかもしれんので、ノワールとして大変優れた作品であるということをはっきりさせとくために入れとく。まあストーリーとかはもういいよね。終盤のあー駄目だー…という感じ。破滅が待ってるのはわかっているのだけどそれでも進まなければならないみたいな。ジョバンニとかも思い出したりもする。哀愁破滅型とでも言ってやろうか。なんか最近そういうのあまり読めてなかった気がする。ハドリー・チェイスの『世界をオレのポケットに』とかもそんな味だった気がするなあ。でも読んだの遥か昔だからなあ。哀愁は薄かったかも。北欧ノワールの歴史に残る傑作です。続編はまだ読んでなくて、もしかしたらノワール色薄いのかもしれないけど別に関係ないです。読むのを楽しみにしてます。空気読みの空気によって押し上げられた1位ですが、まあそこからも如何にこの手のランキングが適当かがわかるというものですね。まあ2016年というのはそういう空気だったのだな、と後に回顧する手掛かりぐらいの意味はあるでしょう。そんなところに祭り上げられてしまったがゆえに、とにかく努力なしに本が読みたいというお子様からの「よみにくい」感想(感想にも値せんが)まで寄せられていたりしますが、そんなものは無視するのが賢明な大人というものですね。

■パスカル・ガルニエ/パンダの理論

奇跡的に翻訳された珠玉のフレンチノワール。エイドリアン・マッキンティ先輩の進言のお陰でこの作家に出会うことができたのでした。この間やったばかりなのであんまり書くことがありません。そっちの方を読んでください、とここでは手を抜いておこう。「純文学ノリとイチャモンを付ける」なんてことを言って恥ずかしいとも思わないような人には絶対おススメしない大変すばらしい暗黒の傑作です。いやいや、クリス・ホルムパートではハルク化してしまった私ですが、今では温厚なブルース・バナーに戻ってますので、またハルクゲージが溜まるまでのしばらくの間は安心して読めますよ。あれ?ハルクってそういうシステムだったか?大変すばらしい作品なのですが、相変わらずあんまり売れてないようです。今回のために久しぶりにアマゾンで検索してみたところ、ズバリのタイトルで検索したにもかかわらずパンダのポンポンシリーズの後に並んでおりました。このままでいけば入手困難は必至と思われるので、現代のフランスの暗黒作品を読みたい人はお早めにね。しかしなあ、フランスと言えば、アメリカに先駆けぐらいでかのジム・トンプスンを見出した国だし、ロジャー・スミスも人気だし、ノワールの極北ともいうべきMatthew Stokoeの過激すぎて米国内で出すところを見つけられなかった作品を出した国だし、最近じゃあ遂に現代ノワール最強作家にして無冠の帝王Anthony Neil Smith先生のBilly Lafitteシリーズの刊行も始まった国。ここは完全に錆び付いとる初級フランス語入門ぐらいのところを再起動させ直に本丸フランス・ノワールに乗り込まねばならんか、と思い始めてもいる毎日です。

パスカル・ガルニエ/パンダの理論の感想

■ビル・ビバリー/東の果て、夜へ

2017年に翻訳の出たこちらも、結構遅ればせながら2018年に感想を書いたのでそちらにリンクを張って少々簡単に。15歳の少年ギャングを主人公とした、あまりにも美しい、もう涙出るほどの名作。こちらもその年のランキングで何かの空気に押し上げられ、結構いい順位に入ったので、読んだ人も多いのではないかと思う。なんかこれを読んだのがきっかけでノワールとかそっち方向に興味を持つ人も出るんじゃないか、と期待もできるような作品。誰が読んでもわかり感動できる物語だと思うが、なんかまたわからないとかいうのがぼつぼつ見られるのって、結局のところこの作品に「純文学ノリとイチャモンを付ける」などという発言を平気でしてるような救いようのない「評論家」みたいな連中の、狭量なミステリとは、エンターテインメントとはこうあらねばならない的な考えの悪影響なのだろう。例えば「純文学」ってところで言えば、阿部和重や円城塔のような、文学という尺度で当然にまず評価すべき作家に賞を渡すのに大揉めするほど、保守的な勢力がいまだに存在してるってことが問題なのだけど、こういうのもエンターテインメント論壇の保守化って問題なんじゃないの?市井の映画レビューの甚だしい劣化みたいなのもその表れの一つで、中心にいるのは前世紀終盤から勃興してきたサブカル連中なのだろう。エンターテインメントはこういう形でこういう風に楽しめるものでなければならいなどという形式はないし、ましてどんなバカでも頭を使わずに楽しめるものである必要もない。エンターテインメントは常に様々な可能性を試し、そして進化して行くものなんじゃないのか?この『東の果て、夜へ』は何か特別なスタイルで書かれているわけでもなく、特別な知識が必要な作品ではない。ただ何の先入観も持たずまっさらな気持ちでページを開き、主人公たちの旅を追って行けば誰でも感動できる物語である。くだらない先入観の植え付けやバカ先導しかできないんなら、そんなものは消えてなくなった方がいい。お前らそんなもんに一切利口にしてもらってるわけじゃなく、頭悪くされてるだけなんだよ。
こちらの解説も少々問題あり。と言っても北上次郎のような出鱈目じゃなくてとりあえず解説の体はなしているのだが、問題はなんか当然のように話を最後近くまで書いちまってるってこと。こんなのを当たり前にされちまったらうかうか作者の情報なども事前に読んどくこともできん。こんなのは昔から続く最低限のルールであるのでこういうのは強く抗議しておく。
さてデビュー作にしてこの驚くべく作品を創り上げたビル・ビバリーだが、現在のところ本国アメリカでも続く第2作は発表されていない。だが第2作登場の暁には、それなりの評判を呼んだ前作に続き、日本でも翻訳の出る可能性は高いと思われる。まあその時にはまた事故解説みたいなのを付けるぐらいなら、翻訳者か編集部による作者紹介ぐらいでいいんではないかと思うのだけどね。私的にはもはや延々アガサ・クリスティの広告でも良いのだが?

ビル・ビバリー/東の果て、夜への感想



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21世紀ハードボイルド/ノワール ベスト22 第4回 (全4回)

■エイドリアン・マッキンティ/ショーン・ダフィ・シリーズ

かくしてやっとここまでたどり着きました。21世紀ハードボイルド/ノワール最重要作家のひとり、エイドリアン・マッキンティの登場です!しかしさてどこから話したものか。私がエイドリアン・マッキンティを知ったのがいつだったのかもはやわからないが、その時にはすでに日本未紹介最後の大物ハードボイルド/ノワール作家だったと思う。というより紹介されてない国が日本が最後ぐらいのところ。これ絶対に読まなきゃダメじゃんと思いつつ、モタモタしとるうちに多分そっちも遅ればせながらぐらいにエドガーのペーパーバック部門を受賞。それで日本でも注目されることになり、やっと重い腰を上げて翻訳という運びとなったわけだね。実は日本では一部である事情からその前から注目されていたのだが、それについては後ほど。で、私もそのエドガーの頃に、もはやいくらなんでもこれ以上は放っておけんだろ、と思い手に取ったのがショーン・ダフィより以前に書かれたDead Trilogyの第1作『Dead I Well May Be』というわけ。いやもう読み始めてすぐにその語り口に惚れ込んだ。ここで言う語り口とは、狭義には一人称である主人公の語り方であり、その文体であり、さらに拡大すれば物語全体の組み立てや構成にまで至る。これはスゴイ。こんな作家がいたのか!これ三部作の第1作だし、ほんの入り口ぐらいのことしか書いてないが、私がこれを読んで如何に感動したかはそっちのリンクの先でも読んで欲しい。そして昨年2018年、遂に日本でもマッキンティのショーン・ダフィ・シリーズ第1作が翻訳刊行される!とにかく喜んで、とにかく楽しく読んで、感想も書いたのだが…、しばらく経って見てみると、なんだこりゃ?お前これほとんど感想の体をなしてないじゃん…。しょーがねーなあ。で、昨年秋に出たシリーズ第2作をやっと最近、今度こそちゃんとした感想を書かねばな、と思いつつ読み始めたわけなのだが、そんですぐに気付いたわけである。いやホントワシマッキンティがあまりにも好きすぎるのだ。もう読んでればひたすら楽しくて感想もくそもないよ。つーわけで私はマッキンティについては全く役に立たん。未訳のものならあらすじを説明するくらいはするが、日本で買えて日本語で読めるやつに必要ないだろう。だが、これだけは言っておこう。エイドリアン・マッキンティは、私がものすごく好きだからというだけでなく、本当に現代に於いて最重要なハードボイルド作家なのだ!日本でハードボイルドではなく「警察小説」として売られていても関係ない。お前のイメージにあるハードボイルドと違っていても関係ない!これこそが現在進行形のハードボイルドの最前線である!ハードボイルドを今から読み始めようと思うならまずこれを読め!日本でハードボイルドについて語る者がいなくなり、ケン・ブルーウンを始めとする多くの重要作家が無視され続けている間にも、ハードボイルドは進化し続けここにたどり着いたのである!21世紀、これからのハードボイルドはここから始まり、ここから続いて行くのだ!マッキンティの翻訳を絶対に止めてはいかん!日本から翻訳ハードボイルドの灯を消すな!
あと、途中で言ってたあることでマッキンティが日本で話題になっていた件について。知ってる人は知ってると思うけど、少し前2014年だったかにマッキンティが英ガーディアン紙に自分が選んだ密室ミステリベストというのを発表し、その中には島田荘司の『占星術殺人事件』も選ばれていたというもの。なんかさ、私も常に暴走しがちだし結構乱暴な言い方しちゃったかもしれんけど、最初からこの情報自体がいかんとは言っとらん。結構興味深い情報だと思っている。しかし、日本でマッキンティという作家の情報が全く伝わっていない時点でこの情報ばかりが独り歩きすることで、いざ彼の作品が実際に翻訳された時にいらん誤解が生まれることを何より危惧したのである。何度も言っている通り、エイドリアン・マッキンティはハードボイルド/ノワール派の作家であり、その情報に喜ぶ人たちが好きな「本格ミステリ」の作家ではない。だがその手の情報の伝言ゲームは拡大するものであり、「島田荘司も好きな作家」がいつの間にか「島田荘司から深く影響を受けた作家」になり、いざ本が出てみてそれが島田荘司とは似ても似つかないものだった場合、そんな見当違いことにより不当な評価を受けるのではないか。それは絶対にあってはならんことである。そのために私はこんなところから小さな声ながら、そういうことは止めてくれと嘆願というか、ほぼ威嚇を続けてきたのである。だがな、私は決して君らを敵とは思っていない。同じように自分の好きなジャンルを愛する同志だろう。君らはそりゃハードボイルド派より人口も多いだろう。(マッチョ説教ファンを除外すればさらに希少!)だが本格と言ってミステリの中心のように見えても、実際には我々同様多くの重要作が未訳だったり絶版だったりと、必ずしも恵まれているわけではないことはよく知っている。しかも幻の作品が遂に刊行!と喜んでも、ちょっとかじったぐらいですっかり評論家気分になったにわかに、古いだのテンポが悪いなどと勝手なことを言われた挙句に、出版された時代背景もろくに考慮できないお子様に、差別表現が不快、などと見当違いの批判をされてウンザリすることも多いだろう。私が最も心配せねばならんのは、結局同じような連中なのだろうと思っている。だが、ここで今一度確認させてくれ。例えばマッキンティら現代のハードボイルド作家は、ちょいとひねくれたミステリの関節を外すような書き方を好むし、またわざとスッキリしない解決に至らせることも多く、多分君らの好むような形の「ミステリ」にはなってない場合が多い。だが君らもそれが作者の失敗や不手際ではないことぐらい見分けられる強者の読書人だろう?くれぐれも「ハードボイルドには興味はないがミステリとして読んだがうんぬん」みたいな早まった雑な感想を述べるのは止めてくれよな。もはやハードボイルド読みなどいない評論家連中が何にも言わなくても、これは本当にハードボイルドジャンルの現代最重要シリーズなのだよ。別に良いレビューをひねり出してくれとまでは言わんが、足を引っ張るのだけはやめてくれ。同じように一つのジャンルを深く愛する者として、君らのことを信じているぞ。どうか頼むよ、ねっ。


■ジョーダン・ハーパー/拳銃使いの娘

海外編の最後を飾るのは、今年翻訳されたばかりのこの作品である。いや、まだ読んどらん。内容についても調べてないし、あらすじの類いも読まないようにしてるのでさっぱりわからん。ワシはこれを読むのをすんごい楽しみにしとるんだぞ!事前情報など一切入れるものか!遂に出たぞジョーダン・ハーパー!いや、昨年どっかでエドガーを獲ったところでもしかすると日本でも翻訳出るかも、出るといいねえ、とか言ってみたがあんまりあてにしてなかった。ホントに出たよ!ありがとう!まあ、時々見に来てくれる人や、ここまで辛抱強く読んだ人なら私が読んでもない本をベストに入れるくらいのことは平気でする野郎だとはわかっていると思うが、一応解説しておこう。つっても大して解説するなどというほどのものはないか。とにかくこの作品は私が大変信頼する作家や強者のファンらにより絶賛しかされてないぐらいの作品。エドガーを外そうが日本で翻訳が出なかろうが関係なく必読リストの上位を保持し続けてきた作品である。こんな作品がまさに翻訳されたときにこんなものを作って、まだ読んでないからという理由でリストから外したりしようもんなら、後々一生後悔することは目に見えておる!そういうわけだが文句あるか?いや、さすがに文句言うような人はもう残ってないだろうな。散々帰れとか追っ払ったし。ああ、早川書房さんよ本当にありがとう。なんかよう散々悪態ついてるけど、もはやこういうのちゃんと出してくれる唯一の頼みが早川書房さんだということはわかってるよう。ごめんよう。マッキンティもビバリーも本当にありがとう。やっぱオレもう早川書房さんに足向けて寝られないよなあ。うん、住んでるとこの構造的に多分お腹かお尻向けて寝てるな。あっ、海外編の最後にちゃんとおしりでオチ付けたじゃん。さすがオレ!


■矢作俊彦

で、ここから少し国内編となります。で、まずはともかく矢作俊彦です。どうもこうもないよ、21世紀になって矢作俊彦の作品が出てるんなら入れとかないわけにいかないだろう。オレが許さん!オレって だからそこにいるドッペルゲンガー。あ?ワシもうすぐ死ぬのかな?矢作俊彦作品についてはハードボイルドであろうがなかろうがすべて必読作品であるが、ここではやはり二村永爾シリーズの2作品『THE WRONG GOODBYE―ロング・グッドバイ』『フィルムノワール/黒色影片』を挙げておこう。後者についてはまだ読んどらん。え?何を言うんだ?二村永爾に会えるの多分これで最後かもしれないんだぞ!そんなに迂闊に読めるか!くれぐれも未読矢作俊彦を残したまま死ぬことにならないようには気を付けるけどさ。
ちなみに国内編については、とりあえずめぼしいところは1冊ぐらいは目を通しているが、読めてないものもずいぶん多いので、書いてないから評価してないというわけではないが、まあそう思うんだったらそう解釈してもらっても一向に構わんよ。

■木内一裕全作品

これが最新作で良いのだよね?全作品などといいながら、私もまだ半ばほどまでも読めていないのだが、木内一裕が全作品必読の21世紀和製ハードボイルド最重要作家であることは間違いない!ハードボイルドが何をもってハードボイルドとなるのか、どんな作品がハードボイルドと言えるのか、なんてことは果てしなくどうでもよい。これまでハードボイルドをバカみたいに読んできた者として自信をもって宣言するが、木内一裕こそが現在進行形の和製ハードボイルドにおいて最も重要な作家である。実際のところ、木内一裕が海外のハードボイルド小説の読者である、またはあったかについては知らないのだが、別にチャンドラーすら読んでなくても一向に問題ない。日本はそういった外的な影響とは全く無関係に国産材料のみで世界最強ノワール映画『仁義の墓場』のような作品を創れる国であり、木内は確実にそれを継承した和製ハードボイルド作家である。小説以前に、マンガ、映画監督としてもその才能を発揮し続けてきた(むしろそちらの方がよく知られているだろう)木内だが、2018年には本当に久々に自作『アウト&アウト』を監督映画化。これはなんとしても観なくてはな!と言うかまだ観れてなくて本当にごめん…。

■戸梶圭太/鉤崎シリーズ(3作)

本当は戸梶圭太も全作品と言うべきところなのだけど、数が多すぎるのでさすがに雑かと思い、とりあえずこちらをピックアップ。この鉤崎シリーズこそが、日本で書かれた悪党パーカー・インスパイア・ノベルの最高傑作である!内容的には戸梶圭太のダーティーなスタイルで描かれる、ドートマンダーのサブキャラクターしかいないアンダーグラウンド世界におけるパーカーの時にはあんまりクールではないケイパー・ストーリーを洗濯していないパンツと一緒に2週間ぐらい放置したような大変すばらしい作品群!光文社カッパ・ノベルスより21世紀初頭に3作のみが発行され、文庫化もされていない。現在までのところたった3作しか出ていないのが大変惜しい作品である。光文社はただちに文庫化の上、続編の執筆を戸梶に懇願すべきであろう。あ、そうかちょっとわかりにくいかもしれないので3作のタイトルを記しておくよ。『クールトラッシュ -裏切られた男-』『ビーストシェイク -畜生どもの夜-』『もっとも虚しい仕事 -ブラッディースクランブル-』の3作。読め。
最初に書いた通り、実際には戸梶圭太作品は全作読むべき作品である。濫作気味で多少出来が悪いかと思われる作品があったとしても、それも含めての戸梶圭太なのだ。しかし最近は戸梶圭太もそれほどの「濫作」ができない状況になっているようなのが少し残念である。各出版社はとにかく戸梶にやみくもに執筆を依頼し、戸梶「濫作」作品が書店の棚を占拠する正しい出版体制に一日も早く復帰してもらいたいと望むものである。いやまあ、私も到底全部は読めてないんだけどさあ。とりあえず割と最近作の『あいつは戦争帰り』シリーズ第1作は読めたが、東京で完全にぶっ壊れたランボー第1作的帰還軍人バトルストーリーが展開される、一切ブレない戸梶ワールド全開の快作である!戸梶圭太作品を見つけたらとにかくひっつかんで読むべし!タイトル忘れて同じのを2冊買っちゃってもそれはそれで戸梶圭太的なのだ!

■深見真/アフリカン・ゲーム・カートリッジズ

今回これを思い立ち、始めるにあたり引っ越しでいくらか整理された蔵書を色々ひっくり返してたんだが、んまーあれも読んでねえこれも読んでねえがゾロゾロ出てきて、これで大丈夫か?と思いつつとにかくなんかやんなきゃよう、で始めたわけなのだが、その未読の山の中でも、あ、しまった、これだけは読んどかんと、とやっと引っ張り出したのが、以前にこれはと思い入手しつつ放置していたこの深見真『アフリカン・ゲーム・カートリッジズ』である。お前の頭の中の銃をこのクソつまらない世界に向かって撃ちまくれ!というアジテーションに満ちた疾走する物語は、この21世紀を切り拓いて行く確かな手ごたえを感じさせる最初期作品であった。(デビュー作はラノベジャンル)2002年のこの作品からその後、マンガ、アニメ、ゲームなどマルチな方向でその才能を発揮、展開させている深見真なのだが、当方かなり遅ればせながらやっとこの作品を読んで深見ワールドの入り口にたどり着いたところなので、とりあえず今回のところは『アフリカン・ゲーム・カートリッジズ』のみということで勘弁してほしい。ホント遅ればせにもほどがあるよ…。ごめん。その他深見作品としては、今年初頭アニメ化もされた原作を手掛けるマンガ『魔法少女特殊戦あすか』を何とかいくらか読んだぐらいなのだが(現在スマホマンガアプリ マンガUP!にて基本無料で読めますよ)、かのグレッグ・ルッカが日本のこのジャンルを手掛けたならこんな感じかも、とも思わせる熱い作品!まあ日本のルッカみたいな安手のキャッチフレーズは無用だろうけどね。結構ミリタリー指向も強い作風ゆえ、まあ本人的にもハードボイルド/ノワール・ジャンルと言われてもちょっと、って感じかもしれないが、「冒険小説」は散々述べてきたような救いがたい惨状であるので、こっちでも評価しとるよー、と表明しとくものであります。とにかく早急に深見ワールドの探索を進めねばならんと思っている次第ではあるが、なんせ読まなきゃならんというものが慢性山積み状態であるので、うーん、今年中にラノベまでたどり着けるんかな、というところだが寸暇を惜しみ努力を続けて行くものであります。しかしここまでいくつ読まなきゃって言ってるんだろうか?ううーごめんよう。


以上22作家?シリーズ?作品?が私の選びました21世紀ハードボイルド/ノワール ベスト22というか思いついた全部です。うむ、いい作品並べられたやんかい。余は満足ナリ。やーい、悔しかったらお主も好きなジャンルのやつ並べてみやがれですわー。

まあこんな感じで終わりなんですが、せっかくなんでもうちょいまとめがてら暴れてみたいと思います。まずジャンルってものについて。第2回の『ドライ・ボーンズ』のところで、C・J・ボックスについてちょいと批判的に書いたのを見て、ム?と思った人もいるかもしれません。しかし、これがジャンルってものの基準による評価、というものです。なんか解説では雑にカントリーノワールの作品の例としてボックスまで入れちゃってるのだけど、実はアメリカでカントリー・ノワールを読む人の間ではボックスがそのジャンルの作家とは考えられていません。(参照:米読書サイトGoodreadsの読者が選んだ代表的カントリー・ノワール作品)そっちを見てもらえりゃわかるようにカントリー・ノワールっていうのは代表的な作家ダニエル・ウッドレル辺りを中心にジェームズ・リー・バークとかランズデールといった方向に拡がってるものなんです。まあまともな本読みならそんなところにボックスを入れりゃあそういう評価になるわな、ぐらいのことはすぐにわかるっしょ。つまりジャンルというのはそういうものなんだよ。なに強引なこと言ってんの?って思ってる人いる?じゃあ逆ならどうよ?例えばC・J・ボックスみたいなやつだと思い込んだまま『ドライ・ボーンズ』を読んだやつがいるとする。「大したアクションもなく爽快感もない、大きな陰謀が背景にあるというわけでもない、おまけに事件もなんかすっきりと解決しない。C・J・ボックスに比べれば云々…。」なんかこういうの見たことあんだろ。これが今日本で私の心より愛するジャンルで頻繁に起こっていることである。例えば私は読んでいる作品が見当違いのジャンルとして売られていたら、読んでるうちには気付き、いい加減な売り方してんじゃねえよボケ、とぼやいてからシフトチェンジして読めるし、色々なジャンルの作品を読んできた読書家の皆さんなら当然のスキルだろう。だが世の中にはその程度のこともできないバカが非常に多い。自分の思い込みに固執し、方向転換もできぬまま単なるそこからの減点法で最後まで否定的に読み切り、得意顔の批評家気取りで駄レビューを開陳する。そしてこのハードボイルド/ノワール・ジャンルはとにかく日本では売れないとされ、可能ならば他の近隣ジャンル作品ということにして売られることが非常に多い。こうやって並べてみた中でも結構な数がハの字もノの字も匂わせずに売られている現状だ。私はそもそもがそんなにジャンルにこだわる方ではない。いい作家なんてそれぞれ一人ひとジャンルだろうがというのが持論である。だがなあこの現状だ。そんな小手先の小細工しか販売方法を見出せなくなった出版社の末期症状なんぞお構いなく私は本は見つけられても、現実に市場からは「ハードボイルド」「ノワール」は減るばかりだ。このままじゃ新しい読者も獲得できず、日本のハードボイルドは滅亡へと向かうのみ。そこで私は心より愛するジャンルを救うため…。おんなじこと何回も言ってて文句あっか?こちとら少ない時間をやりくりしもう3か月もこんなことやってんだい。おんなじことなんか何回でも繰り返すぞ繰り返すぞ繰り返すぞ!リピートアフターミーざんす!

ハードボイルドとは何ぞや。ノワールとは何ぞや。知るかバカ!世の中そんな定義をしてもらうことで楽して物分かった気になりたがるバカが多すぎんだよ!小鷹信光先生のように生涯追及し続けた偉人は別としてだ、ちょっとわかった気になったヌケ作がエー加減に定義したなんぞやみたいなもんはジャンルの間口を狭め、余計な誤解を広げ、ジャンルに対する認識を停滞させるだけだ。ホークがスーさんがハマちゃんがで四半世紀だぜ。なんか結構前のだろうけどろくに材料もないor認識する能力もないのにちょっとわかった気になった読書のプロあたりが並べたこれがノワールなんてのもホントにひどいもんだよ。なんかノワール風(本品にノワールは含まれておりません)ぐらいのからプリンに醤油とサンポールをかけたらなにか味になりますレベルのまで並べて、これ全部読んだらノワールへの誤解拡がるだけとちがう?って頭痛してきたよ。ハードボイルドとは何ぞや。ノワールとは何ぞや。奴らは生き物だ。常に成長し続け進化し続ける。お前らの欲しがってるわかってる気になれる定義なんてすぐに賞味期限切れになる。ハードボイルドはもはやトレンチコートなど着てないし、やさぐれた中年の独身男とも相場は決まってない。ワイズクラックなんてものはとうの昔にハップ&レナードの下品極まる下ネタ漫才に席を譲っている。ファムファタール?んなもんはノワールの風味をちょいと変える只のオプションの一つにすぎないんだよ。お前の知らないハードボイルドは山ほどあり、オレの知らないハードボイルドも星の数ほどなのだ。新しい風はいつだって安直に手に入れた「定義」なんぞじゃ捕まえられない。アホの列に並んでホークがスーさんがを待ってる間に延々と新しいハードボイルドを乗り過ごし、廃線になるまで立ってるつもりか?すべての作家作品はそれ以前の歴史を乗り越えるために存在するのだ。そしてそれらは話にもならん「論」や「定義」なんぞを見向きもせずに蹴散らして進むのさ。

ところでさ、もしキミが友達から「○の○スを批判してる奴がいる」って聞いて見に来たんならさ、その友達バカだから絶交した方がいいよ。あ、ちなみに言っとくけど伏字にしてあんのは実名出したら怒られちゃうかしら、てビビってるんじゃなく、そんなワードで検索されてたまるか!っていう逆SEO対策だかんね。そんな言葉あったの?今できました。まったくさあ、誰がそんな安い目的のためにこんなに3か月も頑張るかよ!ってえの。こっちの目的は最初から言ってるように、絶滅間近状態にある日本のハードボイルド/ノワールの振興で、そんなもんはその通り道にあったついでだよ。そんなもんが見たけりゃそのうちその時期あんまり関われないそこから小銭を拾いたいと思ってるサブカル系出版社とかが『○の○○テリが○ゴイのここがスゴくない』(逆SEO対策割とめんどくさい…。)とかいうの出すかもしんねえからそれ待ってろよ。でさあ、私的見解を述べるならば、別にそんなもの無くなればいいとか程には思ってない。業界人や業界周辺人が選んだその年の業界話題作、みたいなランキング別にあったっていいじゃん。便利だし。だが言っとくのは結局その程度のもんだということだ。そりゃあ始まった時には既存のミステリランキングに物申す、ていうところだったろうが、しばらくたちゃあ当然新しい「既存」に成り代わるだけ。所詮本読んで暮らせるような人の人数なんていつの時代だって限られてんだから、水増しされた分を埋めるのは空気読みだ。曰く自分はそういう立場にいるんだから話題作のこれは当然読んどかなきゃいけない、とかで何冊読めてんだかわかんないうちの一冊以上がそれ。中には空気読みこそが正しいと思い込むレベルの奴もいて、話題作だからこれは入れとかなきゃなんないなんてのも当然いるだろうね。そうしてできたのがそのランキングってわけだ。うん、そういうのあると便利だよね。でもそれだけ。要するにそういう連中の中で読んでる奴が多い本が上位で、少ないのが下位ってだけの話。そんなランキングで下位になってるから上位のやつに劣るなんてことはありえねえんだよ。おーい、誰かね?みんながいいというんだからそれにはいみがあるとおもう、なんてこどもみんしゅしゅぎにゅうもんとかに書いてありそうなこと言ってんの?でもこれ本の売り上げ的なランキングのと違うじゃん。そーゆー考え方が正しいんなら、なんでダン・ブラウンが一位じゃねーの?もしかしてデキレース?裏でダーチーマニィが動いてるのかもしれんよ、チミィ。ナーニを言いたいかというと至極当然当たり前のことだよ。てめえの読みたい本はそんなもんに頼らず自分で探せってこと。そこにゃあそういう本しかないって早く気付けよ。でさあ、最初に戻れば、そんなもんよりはるかにウザいのはこんなのを「批判してるー」とか言ってその部分だけ面白がってる高見の見物やじ馬のおめーの友人もしくはおめーだよっ。結局高見の見物ただ見てるだけーで、おめーらが大したことない安手の権威に持ち上げたもんを攻撃して新しい見世物作ってるほど暇じゃねえんだよ。あーウゼえ。今からでもとっとと帰れや。

で、最後に問おうじゃないか。アンタ「現実逃避」で本読んでるの?以前からこの「現実逃避」ってやつには根本的に混乱があるんじゃないかと思っているので、ここでちょいと提言してみようじゃないか。例えばある程度の年とか大人とかいい歳とかになって、日常的現実とかけ離れたもの、マンガとか小説で言えばSFとか、まあミステリってのの中では私が愛するハードボイルドとかな、そういうものを読んだり楽しんだりするやつが現実逃避的行動をしているとみなされているわけだ。つまり日常的現実からかけ離れたもの=現実逃避ってこと。でもそれって本当?で、そもそも現実逃避って何よ?現実から一番逃避しやすいものってどんなもの?現実がトリミングされ、整形されて、再配列されたより現実に近い都合のいい嘘じゃないの?それは子供時代から始まっている。成長するにつれ、子供っぽいフィクションは卒業し、現実にコミットするためにより現実味のあるものへとシフトすることが正しいように思われている。だがそれは実は想像力の貧弱な奴らがよりその時点での自分の現実に近い現実逃避対象に移動してるだけなんじゃないのかい?常により自分に身近なものに乗り換え、そうやって現実逃避を重ねる奴らのたどり着く娯楽ってのがTVだ、。もうそういうやつらに向けてしか作られていないTVはお手軽な現実逃避だらけでまともに観る気も起らない。我々は想像力を持った人間だ。だから豊かな想像力で創り上げられたフィクションを楽しみ、感動できる。だが、想像力の貧困な奴らは現実逃避でしか色々なものを読んだり見たりすることができない。常に自分の「現実」から半径数メートルの距離を基準にしか物語を理解できない。現実逃避が一番しやすい物語っていうのは「本当にあった話」ってやつだ。現実逃避でしか物語を読めない奴らには、なぜ自分とかけ離れた物語を読むのかも、時には不快になることが書かれている物語を読むのかも、全く理解できない。実は現実逃避で本を読んでるのも、現実とフィクションの区別がつかないのも奴らの方なんだよ。だが、本当はそんな奴らどうでもいいんだよ。奴らにバーカっつって喜びたいんじゃないし、ましてや基本能力も持ってない連中をフィクションの世界に啓蒙できるなどとも思ってない。問題は常に奴らの方が人数が多くてバカバカしい奴らの価値観を押し付けられることなんだよ。我々は奴らとは違う。現実逃避などのために本を読んでいるのではない。暴力をふるいたかったり犯罪を犯したかったりするが現実にはできない代償にクライムストーリーを読んでいるわけではない。ダークな暗黒ストーリーを、こういうことをやった人間の末路はこうなるんだよ、などという反面教師的教訓に解釈すれば本の社会的地位が上がるかのような勘違いには全く意味がない。フィクションは常に現実を映し出す鏡だ。だが、現実をそっくりそのまま模倣することに意味があるのではない。現実をいかに解釈し、そこからどんな像を映し出すかに意味があるのだ。リアリティというのは日常的現実に沿った形で物語が描かれることではない。まったくの虚構をいかに説得力をもって信じさせるかという技術だ。そしてクライムストーリーを創り上げる作家の多くは、奴らが小説の書き方にはそれしかないと信じこんでいる自己の経験に基づいたストーリーを語る私小説作家ではないし、そうである必要もない。リアリティというのはルールに沿って書くことではなく構築されるものだからだ。優れたクライム作家は常にバランスの取れた常識とモラルを持っている。そして君らは一般常識を持ったモラルのある大人だろう。常識とモラルを持った作家によって創られ、常識とモラルを持った読者に読まれるなら、それがいかにモラルを破壊した物語であっても全く問題はない。そしてもちろんモラルが破壊された物語は、モラルを破壊したいという願望によって書かれるものではない。物語は現実逃避のために創られるのではなく、その目的は現実拡張だ。人々が絶対だと妄信しているが実は脆弱でショートタームでしか機能しないモラルというリミットが外れた世界では何が起こるのか?機械ではなくそしておそらくは多くの動物とも異なる人間からそのリミットを外せばそこにどんな「人間」が現れるのか?人間の正気はどこで何に支えられているのか?正気の臨海線の向こうにあるのは狂気なのか?そんな境界線はそもそも存在しないのか?狂気は、暴力は、憎悪は人間存在のどの深淵までを、何を破壊しうるのか?
そして我々は一冊の恐るべき本に遭遇する。
ジム・トンプスン 『ポップ1280』。

時代は1920か30年代ぐらいだったか?主人公は人口1280人のちっぽけな町の保安官。
気の良い、いささか暢気すぎるような主人公の一人称の語りにより、物語は進んで行く。
ところが、読者がその語りにすっかりなじんできたある時点で、主人公は我々が予想もしていなかった行動に出る。
そして我々はこの人物が今までそう思い込んでいた気の良い暢気な男ではなく、何かのタガが外れている狂人であったことを知らされる。
それはどこかに隠されていたのか?この人物のこれまでの語りの中に一見気付かないような形で歪んだ狂気の論理が潜んでいたのか?
だが、そこには何もない。いくら読み返してみても、ここまで読んできた気の良い男の語りがあるだけだ。この主人公はここまで語ってきた理屈のまま、当たり前のようにそこにたどり着くのだ。
こんな人物がいかにして書かれうるのか?こんな狂気がいかにして書かれうるのか?
歪んだ理論による理解不能な狂気、間違った前提条件から間違った道筋を経て組み立てられた理解不能な狂気、そんな狂気で読者を脅かす方がはるかに簡単だ。
ここにあるのはすべてが白日の下にさらされ、当たり前のように存在しながら、同時に底が知れないほどの暗黒を抱えた狂気だ。
そして我々はそんな狂人の頭の中という乗り物に乗せられ、その目を窓としてこの物語を旅することを余儀なくさせられるのだ。
これがノワールだ!これが暗黒のfフィクションであり、フィクションの暗黒だ!我々はそれと出会ってしまった!そして我々はその衝撃と再び出会うため本の大海原へと旅立つ。だが、果たしてそれほどのものがまた見つかるのか?案ずるなかれ。阿呆らしい「定義」や「論」、先入観や経験則を捨てて、新たな気持ちでページを開く者の前には、必ずや新たな衝撃が降臨する!我々は想像力を持つ、物語を、フィクションを心より愛せる者だ!哀れな現実逃避者の規格や序列、価値観などに一切縛られる必要はない!無意味なランキングに捕らわれるな!お前の愛する物語を信じろ!そしてお前の信じる名作を称え、高く掲げるのだ!


というわけで、終わったと思ったら頼まれてもいないアンコールに勝手に現れ、延々と語り続けてきたわけですが、今度こそホントのエンディングです。何とか苦境にあり、絶滅の危機にあるハードボイルド/ノワール・ジャンルを救いたいという気持ちで頑張ってきたわけですが、ここまでやってきた個人的な感想を言うと、

…失敗した…

まあなあ、なるべく多くの人に読んでもらいたいと思うなら、目に付くものをやたらとぶん殴ってはいかんよなあ。あっちこっちで読んでる人を追っ払ってるし。果たして最後まで読んでくれた人、何人ぐらいいるのだろうか…。うーん、まあ仕方ないか。自分としてはこんな感じしかやりようがなかったからのう。何人いるかわからん読んでくれた人の中から、この遺志を継いでくれる人が現れることを期待するしかない。とりあえず21世紀最初19年ぐらいまでのところまとめたからよう、またそのうち中盤ぐらいまでのを作ってくれや。そうやって引き継がれて行けば完全に息絶えることはないかもしれんよ。まあそんな感じでハードボイルド/ノワールの灯を消すな、っぽく終わっとこう。とりあえず目的的にはかなりポンコツでも、私的には何気にやり切ったよ。燃え尽きたぜ。真っ白な灰にな…
…………
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いや、迂闊に燃え尽きてるわけにはいかん。まだやらねばならんこともあるしな。まあそんなわけで21世紀ハードボイルド/ノワール ベスト22全4回、3か月かかり何とか完了したわけですが、なんだよ全4回なら1回ずつ上げときゃよかったじゃねえか、というお声もあるでしょうが、こちとらいつも通りの無計画。なーんか長くなりすぎてきたからこの辺で分けとこ。3回かな?んー4回になっちまったか、という次第。タイトルももっともらしくベスト22とかなってるけど、実は書き終わって最後に数えて、それから数字を入れたというわけ。つまりタイトルがちゃんとできてなかったので、全部できてからでないと挙げられなかったというわけです。3か月はかかりすぎじゃね、とのお声もあるかもしれませんが、これでもずいぶん頑張ったのですよ。私だって責任ある大人としてやらねばならんことも多いのだ。あっ、言ってるそばからにゃんこ大戦争の統率力がMAXだにゃー。とにかく意味不明の使命感に駆られてやっていたやつも無事完了いたしましたんで、ここからは戻って大変遅ればせながらゾンビ・コミック特集の続きに集中して参ります。んーと、明日からでいいよね?ではまた。

あ、スマン。終わったと思ったら何度も戻ってきて悪いんだけどさ。いや、終わって文章の見直しとかリンクとかやってるうちについさっき気が付いたんだけど、いやこのブログ先月5周年になったばかりじゃん。なんか必死になりすぎて全然頭が及ばんかったわ。いや、それでさ、せっかくなんでこれ5周年特別企画ってことにするね。いやいや5周年だぞ。5周年と言えば5周年だぞ。なんかオレ5周年にふさわしい感じのことやっちゃったじゃん。うむ、5周年なればこそここまで必死に頑張ってこれたのである。5周年の思いを込めてそれなりのものを作らねば、という努力を重ねての3か月だったのだ!あれ?お前さっきすっかり忘れてたって言ってなかったっけ?ななな何を言うんだっ。そんなわけないだろっ。ずっとブログを続けてきて5周年を忘れるほどのボンクラがどこの世界にいるというのだね。と、とと、とにかく5周年の感謝を込めてこの特別企画を贈ろう!ありがとーっ!うおー!なんだあ?声が小さいぞおっ!そうかそもそもほとんど人が残っていないのか…。今度こそ本当に終わりでーす。ではまたね。



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2019年3月2日土曜日

2019 スプラッタパンク・アワード ノミネート作品発表!

わーん、ごめんよう。今回は発表になったらすぐに知らせるつもりだった第2回スプラッタパンク・アワード ノミネート作品がとっくに発表になっていました。トホホ…。まあ、自分のブログ5周年も適当にするほど頑張っとる日本語で読める21世紀ハードボイルド/ノワール名作リストがあったり、寒さにめっぽう弱い私が一番身体きついこの時期になんかちょこまか用事あって忙しかったりとかあるが、そんなことは言い訳にならん!私が何としても応援したいこのスプラッタパンク・アワード!ちょっと色々余裕がないんで若干急ぎ気味になりますが、ノミネート作品をお知らせいたします。




2018 Splatterpunk Award ノミネート作品

【長編部門】

  • A Gathering of Evil by Gil Valle (Comet Press)
  • Camp Slasher by Dan Padavona (Independently Published)
  • Full Brutal by Kristopher Triana (Grindhouse Press)
  • Last Day by Bryan Smith (Independently Published)
  • Rabid Heart by Jeremy Wagner (Riverdale Avenue Books)
  • Ring of Fire by David Agranoff (Deadite Press)

【中編部門】

  • 1000 Severed Dicks by Ryan Harding and Matt Shaw (Independently Published)
  • Cockblock by CV Hunt (Grindhouse Press)
  • Dead Stripper Storage by Bryan Smith (Grindhouse Press)
  • Kill For Satan by Bryan Smith (Grindhouse Press)
  • The Mongrel by Sean O’Connor (Matador)
  • The Writhing Skies by Betty Rocksteady (Perpetual Motion Machine Publishing)

【短編部門】

  • Diabolicus Interruptus by Christine Morgan (Forbidden Futures #1)
  • Fistulas by Mame Bougouma Diene (Dark Moons Rising on a Starless Night)
  • Rebound by Brendan Vidito (Nightmares In Ecstasy)
  • The Seacreator by Ryan Harding (Splatterpunk Forever)
  • Virtue of Stagnant Waters by Monica J. O’Rourke (Splatterpunk Forever)

【短編集部門】

  • Dark Moons Rising on a Starless Night by Mame Bougouma Diene (Clash Books)
  • DJStories by David J. Schow (Subterranean Press)
  • Nightmares In Ecstasy by Brendan Vidito (Clash Books)
  • The Very Ineffective Haunted House by Jeff Burk (Clash Books)
  • Walking Alone: Short Stories by Bentley Little (Cemetery Dance Publications)

【アンソロジー部門】

  • The Black Room Manuscripts Volume 4 by J. R. Park and Tracy Fahey (Sinister Horror Company)
  • Monsters of Any Kind by Alessandro Manzetti and Daniele Bonfanti (Independent Legions Publishing)
  • Splatterpunk Forever by Jack Bantry and Kit Power (Splatterpunk zine)
  • Welcome to the Show by Doug Murano and Matt Hayward (Crystal Lake Publishing)
  • Year’s Best Hardcore Horror Volume 3 by Randy Chandler and Cheryl Mullenax (Red Room Press)

【J.F. GONZALEZ LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD】

  • David G. Barnett


いや、毎度のことで申し訳ないのだが、なかなかホラー方面に手が回らずあまり作家などの情報もないので、まず下のアマゾンへのリストの方を作りながらざっと確認というところ。昨年第1回は限定出版もあったのだけど、今年はすべて日本のアマゾンからも購入可能であることが確認できました。うち昨年のJ.F. GONZALEZ LIFETIME ACHIEVEMENT AWARDの受賞者デイヴィッド・J・スカウの短編集『DJStories』(ハードカバー版のみ)以外はすべてKindle版にて入手可能。スカウの本のSubterranean Pressってランズデールのハプレナも限定版で出してるとこじゃなかったかな?
まず、今回のトップ画像ですが、ノミネート発表ということでアンソロジー辺りが無難かな、と思い中で一番怖いと思った『Year’s Best Hardcore Horror Volume 3』のにしました。ところで『Year’s Best~』はComet Pressのおなじみのじゃなかったかな、と思って調べてみたらRed Room PressはComet Pressのインプリントだそうです。インプリントってわかるよね?もう日本語に直すの面倒になってきた。ほら、サブレーベルとかそういう類い。あと、アンソロジー部門では昨年第1回の部門の覇者Splatterpunk zineが新たなアンソロジーで参戦。他に目につくところでは、Bryan Smithが長編、中編で3作品ノミネート。ホラーとクライム・フィクションの両方にまたがって活躍中の人なので、受賞云々は置いといても早く読まねば。著作の中では『68Kill』というのが映画化されたそうです。映画となると日本でも情報が入りそうだけど、うっかりするとやな感じのにぶつかってウンザリしてテンション下がると嫌なので、当方では今は調べませんのでご自分で。もう少し余裕出てきたら慎重に調べよう。今映画方面はホントにひどいのが跋扈してるからね。今日の宿題:Bryan Smith。あと注目は、Grindhouse PressClash Booksあたりの参戦。この辺はビザール・フィクションみたいな周辺文学方向に拡がるようなのも出しているところで、スプラッタパンクの更なる拡大を展望できるところ。この辺のもホント読んたいんだよなあ。そして中編部門ノミネートのC.V.Hunt姐さんこそがそのGrindhouse Pressのオーナー。ここ辺の業界女傑が多いようで、Brian Keene作品も多数出しているスプラッタパンク・ホラーの宝庫Deadite PressがインプリントであるEraserhead PressもオーナーがRose O’Keefeというピンク髪の勇ましい頼りになる姉御だったりする。ああ、C.V.Hunt姐さんの作品についても受賞とは関係なくそのうちに。ちなみにC.V.HuntさんやRose O’Keefeさんの写真とか見たらキミもきっと「姐さん」と呼ばずにいられなくなるよ。
第2回の今年も受賞作の発表はテキサス州オースティンにて8月16~18日に開催されるキラーコンにてということです。遅れたうえに、結構急ぎ足になってしまって申し訳ない。受賞作発表の際には今度はあまり遅れることなく、落ち着いて書けるように努力いたします。あと、もう読んだ昨年の長編部門受賞作エドワード・リーの『WHITE TRASH GOTHIC』についてもなるべく早く。ちょっとバラしちゃうとエドワード・リーの集大成的作品ということでホントにスゴイよ。みんなでスプラッタパンク・アワードを応援しようよな!ではまたね。うう、21世紀ハードボイルド/ノワール名作リストを早く仕上げねば…。


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