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2018年7月22日日曜日

デストロイヤー#12 / 奴隷サファリ(仮)

遂に始まりました!デストロイヤー未訳シリーズ!今回、記念すべき第1回はその12巻『The Destroyer/Slave Safari』であります!え?何それって?前からずっと言ってるだろうが!…あ、ずっとじゃなくて時々思い出したようにかもしれんし、ここしばらくは音沙汰なかったかもしれんが…。とにかく以前から…いや、ずっと前に言ったようにこのデストロイヤー・シリーズ全巻読破は私のライフワーク!んーと、確か全百五十何巻か…。そして、モタモタながらも日本で翻訳の出ている11巻までをやっと英版で読み終わり、遂に未踏の12巻へ至ったのである!えーと、よくわかんないという人は前に書いた[デストロイヤー再発見!]ってのをとりあえず読んでくれよ。その後バラバラ書いたこととかあとで捕捉すっから。とにかくこれは私にとってなんとしてもやらねばならないことなのです。そうはいってももういつまでもBarney Thomson放っとけんし、てきぱき終わらせてこれをサッと書く!…予定だったのだけど…みんな私が悪いのです、すみません。ホントは早くコミックのことも書かなきゃなんないんだけど、なるべく手短に終わらせてすぐにそっちかかりますんで勘弁してください。あっ、でもそっちの人はずっとこれを待っててくれたんだよねえ。そういう人もいることにする。というわけでThe Destroyer第12巻『Slave Safari』の始まりでーす。

【あらすじ】
東アフリカの小国Busati。最近イギリスの植民地から独立したばかりで、国内にはまだ混乱が続く。現在この地を治めるのはHausa族の大統領兼将軍Dada "Big Daddy" Obode。強力な軍への影響力を背景に独裁政権を打ち立てている。
太古の昔、この地はある勇猛な部族により統治されていた。その名はLoni族。だが、長い歴史の中で衰弱し、現在は少人数が山間部のコロニーで、圧倒的なHausa族を恐れながらひっそりと暮らしている。

アメリカの旧家出身の学者James Forsythe Lippincottは研究のため、この地Busatiに滞在していた。本国では進歩的な人物であり、人種差別を嫌悪する彼だったが、国が変わればその地の習慣に従わねばならない。不便なホテルでサービスの行き届かないボーイを罵り、容赦なく鞭打つ。折檻を恐れたボーイが、彼にある秘密を話す。軍の高官だけが入ることを許される秘密の娼館がある。しかも、そこにいるのは白人の女ばかりだ、というのだ。
好奇心と欲望に駆られ、その娼館を訪れたLippincott。知り合いの高官の名を使い、入り込む。案内された部屋では性奴隷にされた白人女が縛られ、鞭打ちを待っていた。そしてそれはアメリカで死亡したはずの一族の姪に当たる女性Cynthiaだった!?

アメリカの女性がなぜ遠いアフリカの地で性奴隷に?そこにはある男のある一族への復讐があった。そして彼の真の目的は何なのか?
アメリカの法が届かず、政治的にも動くことの敵わないアフリカの新興国。奪われた女性たちを救うべく、ハロルド W スミスはレモを当地へと送り込む!
そして、シナンジュの長チウンとLoni族の間には、遥かな古代からいまだに遂行されぬままになっているシナンジュの”契約”があった…。

本作の発行は1973年。時はウォーターゲート事件の真っただ中。冒頭、レモは大変な苦境に陥っている。と言っても、レモがアメリカ大統領直属の秘密機関CUREの工作員であるという理由からではない。加熱する報道合戦の結果、チウン師匠が心より愛すアメリカ唯一の芸術、数々のソープ・オペラがことごとく放送休止となり、師匠の怒りがレモへの過酷な鍛錬という結果をもたらしているからであった。
ネタバレ臭くなっちまうのだが、ちょっと思い出したのはアメリカで昔TVシリーズにもなり大ヒットした『ルーツ』。原作は読んでないのだけど、アフリカ系アメリカ人の作者が自分のルーツをたどりアフリカまでたどり着く感動の実話である。時代的に近いんでその影響で書かれた話なんかな、と思って調べてみたら、『ルーツ』が1976年で、これはそれより少し早くて1973年。ブームの便乗作でないことは確認できたけど、きっとこういうところに目が向いてた時代だったのだろうなと思う。細かいところはよくわからないけど、多分『ルーツ』っていうのも時代の機運みたいなものに乗って登場し、ヒットしたのだろうな、と思ったりしました。

というわけで遂に始まりましたデストロイヤー未訳シリーズであります!日本で翻訳されなくても、レモもチウン師匠もスミスも、相変わらずの活躍や活躍を見せてくれる本当に素晴らしいシリーズです。なんか事あるたびに思い出してはいたのだけど、なかなか実際には読めずというのも長く、こんなに手軽に読める時代が来たのは本当に喜ばしい限りです。今後はこんな感じでとにかく読み終わったら、色々遅れてても順番無視で楽しみにしてる人がいようがいまいが強引に登場してくる予定ですので、皆諦めて楽しみにしろ!
そして邦題について。このシリーズ日本版では毎巻独自のダサかっこ悪いパルプっぽいタイトルが付けられていて、それも含め愛している私といたしましては、せっかくやるならシリーズ全ての作品にそんなダサかっこ悪いタイトルを付けたいという思いがあり、この第1回より敢行することにいたしました。今作の邦題は『デストロイヤー#12 / 奴隷サファリ(仮)』!…原題まんまじゃん…。いや、今回は勘弁してくれ…。あんまいいの思いつかなかった…。ほら、本家も結構失敗あるじゃん、『トラック野郎』とか『ハイジャック=テロ集団』とかさあ…。次からはもっと努力するっす…。そしていつの日かみんなうわっと引くぐらいのすげーダサかっこ悪いタイトルを並べて見せるっす。ちなみに本シリーズの日本版版元はかの東京創元社。日本版最終15巻が出たのが1989年ということで既に4半世紀以上経っていますが、相手はあの東京創元社!続刊が絶対に出ないとは言い切れないため(仮)を入れておくことにしました。
それから[デストロイヤー再発見!]の後の補足。これを書いた時はよくわかってなかったGere Donovan Press版とSphere版について、その後どっかで書いたのだけどもう自分でも見つからないので書いときます。とりあえずそこまで戻ると、まずその後Gere Donovan Press版は再び日本からもKindle版の購入は可能になっているということ。そして単純に両者の違いを言えばGere Donovan Pressのがアメリカ版で、Sphereのがイギリス版。アマゾンで検索すると米版Gere Donovan Pressのが先に出ると思うのだけど、かなり巻には抜けがある。とりあえずその事情は日本からだけなのかもしれないけど、Gere Donovan PressはBarnes & Nobleの方での販売に力を入れているところもあるので、Kindleでの状況が改善される見込みは薄いと思われ、日本からKindleで読むなら英Sphere版がおススメですよー、ぐらいのことだったと思います。
ほらね、割と早く終わったっしょ。こん位でやるからさあ、見逃してくれよう。なぜそこまで後ろ向き…。いや、まだ自分の他にもデストロイヤーを深く愛する人たちもいると信じ、また続けて行きますのでお楽しみにねー。あと、シリーズのリストは今回は15巻まで。順次増やして行きまーす。

■デストロイヤー・シリーズ

  1. Created, The Destroyer (1971) デストロイヤーの誕生
  2. Death Check (1972) 死のチェックメイト
  3. Chinese Puzzle (1972) 劉将軍は消えた
  4. Mafia Fix (1972) 国際麻薬組織
  5. Dr. Quake (1972) 直下型大地震
  6. Death Therapy (1972) アメリカ売ります
  7. Union Bust (1973) トラック野郎
  8. Summit Chase (1973) ネメロフ男爵の陰謀
  9. Murder's Shield (1973) 殺人狂警官
  10. Terror Squad (1973) ハイジャック=テロ集団
  11. Kill or CURE (1973) マイアミの首領(ドン)
  12. Slave Safari (1973) 奴隷サファリ(仮)
  13. Acid Rock (1973)
  14. Judgment Day (1974)
  15. Murder Ward (1974)
【おまけ】
何?お前まだなんかやんの?いやさ、これ、ビル・ビバリー『東の果て、夜へ』なんだけど、諸般の状況でちょっと読むタイミングを逸しているうちに、そこそこの評価も付いてとりあえず急がんでもいいか、と先延ばしにしてやっと先日、マッキンティ先輩の次ぐらいに読み終わったのですが、まあ当然ながらあまりにも素晴らしく、今更だと後出しじゃんけん臭くなるしやめとこうとは一旦は思ったのですが、やっぱりこんだけの大傑作のせっかくの翻訳なのだし、やっぱ参加しときたいということで少し書くことにしました。いや、ホント少しだけだからさ。じゃあ、後出ししちゃうぞー!
まず最初に指摘しときたいのが、この小説のスタイル。これは3人称の形だが、一切主人公イーストの視点から離れることなく書かれている。そして内容的にも、かなり一人称に近いぐらいのイーストの視点のみによって書かれている。ここんところを押さえとかんと色々見誤ることがあるのでまず最初に言っとく。
主人公15歳のイースト少年は見張りである。何のために見張るのか?それは守るためである。これはL.A.の犯罪地帯”ザ・ボクシズ”での彼の仕事だが、同時に彼の本能でもある。何のために見張り、守るのか?それは誰も守ってくれなかった自分の人生への代償のために。奴は自分の世界を見張り、守り続けるのだ。
そして、小説の冒頭、彼の仕事である麻薬販売システムの「家」は突然の強制捜査により崩壊する。そして彼に与えられた新たな任務は「組織」を守るため車で北米大陸を二千マイル横断しある人物を暗殺しに行くというものだった。イーストは彼自身の世界の中心である「組織」、そして組織での自分のポジションを守るという意思でこのミッションに臨む。
暗殺チームに任命されたのは、イーストを含む4人。中で一番の要注意人物は、イーストの腹違いの弟タイだ。主人公イーストは実は本人も意識しないまま、このタイを深く憎悪し、恐怖している。彼はイーストの本能的敵対者だからだ。「守護者」であるイーストに対しタイは「破壊者」。自分の居場所を作るため周りの世界を容赦なく破壊する。それゆえイーストはタイを深く憎悪し、恐怖する。このイーストの視点により描かれた物語の中では、すべてがイーストの目を通した姿であり、イースト自身の感情の鏡となる。ゆえに読者である我々の目にはタイという人物がなかなか見えてこない。逆にそのフィルターを取ってタイという人物を見てみると、実は彼の側はイーストに憎悪というような感情は少なくともイーストのそれに比べれば、希薄だ。もちろん年長者であったり兄という尊敬などはないが、彼はイーストのこのチームの中におけるポジションを理解し、認めている部分もある。そしてもしかすると数少ない肉親という感情も少しはあるのかもしれない。
残る二人、マイケル・ウィルソンとウィリーはイーストよりも年長者だ。彼らの行動は常にイースト自身の守るべき世界とどう抵触するかで評価される形で現れる。最年長者マイケル・ウィルソンは常にチームの主導権を取ろうとする行動を繰り返し、やがてそれはチーム、及びミッションを危機に陥れる。だが、その危機はイーストがこのチームのリーダーであることにより回避される。この作品の”変形一人称”ともいうべきスタイルにより、イーストの不安、弱さが前面に押し出されるため見えにくくなっているが、このチームのリーダーはイーストである。それは彼が「守護者」であり、ミッションを完遂させるには不可欠の一貫した意志を持つ人物だからだ。それはマイケル・ウィルソンすらも内心認めているものであり、それゆえに彼は「脱線」した行動によりある種の主導権を握ろうと試みる。そしてその事実により(最後に明らかにされる”真相”もあるが)、イーストは守られ、この人間関係ではマイケル・ウィルソンの側につくことも普通に想定されるウィリーも残り、チームは辛うじて維持される。
ウィリーのポジションも重要だ。最初は典型的なデブのオタクとして登場するが、イーストが追い詰められ、疲弊するほどにその頼もしさは増して行く。最後に”真相”が明かされ、彼の重要性が示されるが、この物語を読んだ人の中では、このあまりにも孤独な主人公へ向けた友情により、その事実より遥かにかけがえのない人間として残ることだろう。誰でも一度は人生のどん底に思えるときにウィリーに出会ってるんじゃねーの?なんか色んな人の顔が浮かんできて涙出そう。
そして旅が東へと進み、テリトリーを遠く離れ、そして「任務」が現実の形を取り始めるにつれ、イーストの守り続けた彼の世界は徐々に崩れ始める。その前に彼は無力であり、成す術もなく崩壊は進み、やがて彼自身の存在理由であった、彼が守り続けてきた彼の世界は死を迎える…。
しかし、イーストはまだ若い。15歳の少年なのだ。こんなところで死を迎えることは許されない。そして、彼の再生の物語が語られる。
見ず知らずの地で、彼は再び見張り、守り、そしてささやかな自分の居場所、自分の世界を作り上げて行く。しかし、それはもう彼自身も気付いているように、かりそめのものであり、彼にしばしの休息を与えた後、終わりを告げる。
だが、彼はもうテリトリーの周りだけを飛び続ける鳥ではない。遥かな遠くまでどこまでも飛ぶことができ、その羽を休めるところにどこでも自分の居場所を作れることを知っている。そしてその翼だけが行く先を知っているのさ。

なんかさあ、こんなくどくどした解説なんかなくたってさあ、こんなあまりにも美しい小説のあまりにも孤独で傷ついた魂の一挙手一投足に胸打たれないで、よくわからんとぶん投げたり違うジャンルに無理やり当てはめてこき下ろしてる人ってそもそもいったい何のために本読んでるの?って思っちゃうよ。あとさあ、これだけは言っとかんとならんと思うのはこの本の解説。まあ内容に関してはさほど面白くもない優等生的まとめ解説でわざわざ絡むこともないのだけど、問題はこの解説完全に結末まで書いちゃってるってこと。これ完全なルール違反じゃん。なんで誰も文句言ってねーの?ミステリに限らずレビュー・解説の類いで結末を書かないなんて、この誰でも吠える狂犬でも守ってるぐらいの基本ルールだろ。それが本自体の解説で?察するにこの先生自分は「論文」として書くので結末を書かないわけにいかないとか主張されたか、もっと下世話な推測すりゃ、後々ご自分の本にこの文章を入れるときに中途半端な形にしたくないと考えたか。そもそもこの解説の内容結末まで書かなきゃ書けないもの?こりゃあ自分のあまり好きじゃない言い方なのだが、敢えて言わせてもらえば、我々はこの作品に対しお金を払って手に入れているのだ。翻訳者その他による簡単な解説で事足りるところにわざわざこんなルール無視のものを載っけられ、しかも我々の支払った代金の中から原稿料なんてもんが払われてると考えりゃ、「欠陥商品」ぐらいの文句は言いたくなるぜ。これは本を楽しんで読む人のための最低限の基本マナーであり、基本ルールだ!慣習云々で打破せよ、とか思ってんならよそでやってくれ。そんな基本ルールも守れないようなら、こんな仕事はするべきでないし、出版社はこのような人間に本の解説などを依頼すべきじゃない!これは至極真っ当な主張であり、抗議である!みんなそう思うっしょ?
まあまあ最後はちょっと荒れましたが、一応手短に終わったよね?ビル・ビバリー『東の果て、夜へ』。魂を震わせる大傑作ノワールです。未読の人は今すぐ読むべし!売っちゃったなどといううっかり者はただちに買い直すべし!こういう作品は絶対に歴史に残して語り継がねばならんからである!つーわけでちょっと自分の勝手でお騒がせしました。ただちに次のコミックの回に取り掛かりますですう。ではまた。



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