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2023年10月28日土曜日

Tom Bouman / Fateful Mornings -ワイルドタイムのど田舎の駐在ヘンリー・ファレル・シリーズ第2作!-

今回はトム・ボウマン『Fateful Mornings』。2016年に第1作『ドライ・ボーンズ(Dry Bones In The Valley:2014)』が日本でも翻訳された、カントリー・ノワールの傑作、ペンシルヴェニア州ワイルドタイムのど田舎の駐在ヘンリー・ファレル・シリーズの第2作です。

2016年に翻訳が出た『ドライ・ボーンズ』を読んで、大変感銘を受け、これはどうせ続きは翻訳されないだろうが、絶対次が出たら読まなければ、と思っていたのだが、まあなんだかんだで遅れ続け、やっと読んだというところ。『ドライ・ボーンズ』既に 日本じゃ絶版やろ。
しかし、『ドライ・ボーンズ』もアマゾンで★3つとか、まあ日本じゃ私以外誰も評価しなかったぐらいのレベルなんだろ。わざわざレビューとか見る気さえ起らんが。
カントリー・ノワール!カントリー・ノワールについては、前回のおまけのクリス・オフット『キリング・ヒル』のところで簡単に説明したので、そっち読んでくれと思ったが、コピペすりゃいいことなんで以下にもう一度。あ、そこで次回やりにくいから、 とか言ってたのは、『キリング・ヒル』ちょっとイマイチぐらいの評価せざるを得なかったんで、ここに一緒にすると殊更余計に評価低く見えちゃうかも、という配慮です。ハイ。

カントリー・ノワールの開祖は、1980年代から作品を発表している、映画化された『ウインターズ・ボーン』などでも知られる作家ダニエル・ウッドレル。この人自身の命名によるジャンルなので、この人が開祖。アメリカの田舎地方・自然を舞台とした 犯罪小説ジャンルで、この辺に属する有名どころでは、ジェイムズ・リー・バークや、ジョー・R・ランズデールなど。近年翻訳されたものではトム・ボウマンの『ドライ・ボーンズ』。あとドナルド・レイ・ポロックなんかもそこに分類される こともある。
80年代ぐらいからずっと続くというよりは、近年犯罪ジャンルの中心が地方・ローライフというあたりに広がるにつれ、注目が高まりややブームぐらいの感じになっている。結構バークやランズデールとかは、後付け的に入った感じ。
こういった傾向は、例えばしばらく前のだけどTVシリーズの『ブレイキング・バッド』なんかも、そのしばらく前からアメリカの犯罪小説ジャンルで、田舎町で頭の悪いチンピラとかが適当な覚醒剤を作ってるみたいなのが、お馴染みの風景ぐらいになってきてた ところで、なるほどこう来たかみたいな感じで出てきたもんで、そういった動きの一環とも言える。
カントリー・ノワールというのは、その辺の動きから再発見的につながっていったものなんだろうと思う。地方・ローライフ傾向がさらにディープとなり、救いようのない貧困やら、ヒルビリーの土着の異なったモラルみたいなものも描かれて行くこととなる。
遡ってルーツをたどれば、フォークナーやフラナリー・オコナーとかのサウザン・ゴシックに繋がるもので、日本じゃあまりにも出ないし情報少ないんで、C・J・ボックスとかとすぐ混乱されるんだが、そういった自然・アウトドア方向のものとは 根本的に成り立ちが違う。むしろ『テキサス・チェーンソー』みたいなもんの方が近いとも言える。

ということ。ちょっと今回色々調べてみて、ドナルド・レイ・ポロックが結構その中心ぐらいの評価も見えてきたんだが、クライム系作家サイドからは、当然リスペクトされているが、文学の方の人というような見方も多いようなので、こういう感じに書いた。カントリー・ノワールの現状については、作品紹介の後、少し詳しく。
日本じゃそもそもノワール自体が、バイオレンス要素の強いサイコサスペンスぐらいに著しく誤解されてて、そこにカントリー乗せて余計に敷居が高くなってんのかもしれない。またその元凶をぶっ叩き始めると長くなるんで省略。前置き長くなりすぎんのよろしくないから。まあ、ノワールについてはクライム全般、場合によってはハードボイルド含むぐらいの範囲で考えればいいんよ。実際のところ。
前から言っとるが、私はまずハードボイルドが大枠で、その中のジャンルとしてクライムやらノワールやらがあるという考えが、一番わかりやすく明確だと思っている。
ハードボイルドとは、日本のJミス脳が思い込んでるような、旧来の謎解き小説の探偵にハードボイルド精神みたいなもんを乗っけたものではない。旧来の謎解き小説が、謎解きをメインにトリックやらそのヒントを出す方法やらという方向でプロットが 組み立てられて作られているのに対し、チャンドラー以降では犯罪をテーマにした小説という考え方に変わり、クイズ的な考え方は縮小し、犯罪そのものの意味や、主題に沿った解決結末が重視されるようになり、その結果現在では主人公探偵が 直接事件を解決する必要さえないというところまで至っている。明らかにそういった進化の現在地点にいるのがトム・ボウマン/ヘンリー・ファレルである。
まーた、前置き長くなっちゃってるけど、それではここからハードボイルド/カントリー・ノワール近年の注目シリーズ、ヘンリー・ファレル・シリーズ第2作、『Fateful Mornings』行きますよ。

■Fateful Mornings

物語はまず、ある別荘の空き巣盗難事件から始まる。
ファレルは連絡を受け、現場に到着する。賊が侵入のために割ったと思われる地下室の窓ガラスを見ていると、家主の女性がやってくる。
Rhonda Prosser。ニューヨークに住居があり、こちらは夫婦で持っていた別荘だが、現在は離婚し、彼女のものとなっている。離婚後も生活は主にニューヨークだが、自然環境保護的な姿勢で町の行政運営などに何かと口を出してくる、迷惑厄介なグループの 一員だ。
州警察に連絡したはずだ、という彼女だったが、そこからたらいまわし的に最終的にファレルに連絡が来て、ここにやって来たというわけだ。
前にAndy Swalesの地所での騒ぎに連絡したときには何も対処してくれなかったのに、と苦情を言うRhonda。
Andy Swalesはこの土地の旧家の跡取りで、現在は弁護士をやっている。彼の所有する広大な土地の一部を、Kevin O'Keeffeという男に貸しており、O'Keeffeはそこにトレーラーハウスを置き、Penny Pellingsという女性と一緒に住んでいる。 そこから聞こえてくる音楽がうるさいというのが、Rhondaからの苦情だった。
盗難品は大型テレビ、前夫の所持していた拳銃、酒類や地下室にあった道具など。
これは特定の個人を狙った犯罪ではないだろう。おそらくはドラッグを買う金を作るため、手当たり次第にという空き巣強盗犯罪。犯人が見つかる可能性は低い。

その見込み通り、いくらか捜査をしてみるものの、この件に関してはすぐに暗礁に乗り上げる。
それから、前作の終盤から続く人妻シェリー・ブレイとの不倫にいそいそ出掛け、旦那が帰ってきて裸足で逃げ出したり、自宅の地所に入り込み荒らしまわるボブキャットのアンブッシュ討伐ミッションをこなしたり、というようなファレルさんの 愉快な田舎暮らし日常が描かれた後、今作の本編となる事件へ。

早朝までかかった猫との戦闘から戻ると、親友エド・ブレナンから電話が来る。
フィッツモリスに住むエドのの家に行き、彼に案内されてポーチに行くと、そこには建設業を営む彼の雇用者の一人が椅子に座り込んでいた。
Kevin O'Keeffe。Andy Swalesの地所を借り、Penny Pellingsと一緒に住んでいる青年だ。
「俺は彼女を殺していない」O'Keeffeは言う。

O'Keeffeの話は極めて曖昧で、混乱している。
2日前の夜、酔って帰ったら同居しているPennyの姿がなかった。よくあることだ。そのまま放っておいて、翌日は仕事に行った。だが、それから帰っても彼女は戻っていない。Pennyの車も動かされた様子がない。何度も電話をかけ、思いつくところは探し回ったが、 誰も彼女の姿を見ていない。
誰かを撃ったと思うが、酔っていてはっきりした記憶がない。車もどこに置いてきたのかわからない。
「こんな話をしてるのは時間の無駄なんだ。頼む、Pennyを探してくれ。もしかしたらもう死んでるかもしれない。でも俺が殺したんじゃない。」

Kevin O'KeeffeとPenny Pellingsは、それぞれに問題を抱えたカップルだ。O'Keeffeは飲酒。そしてPennyはドラッグ。
O'Keeffeは生活には問題はあるが、それなりに腕のある大工としてエドに雇われている。
Pennyはあちこちのバーで働くが、すぐに辞めたりクビになったり。ドラッグのせいで帰ってこない夜もある。
二人の間には障害のある子供がいる。だが、CPS(チャイルド・プロテクション・サービス)に親として不適格として取り上げられ、何とか取り戻したいと望むも、生活を改めることができない。

ファレルはひとまずO'Keeffeを、保安官事務所へ連れて行く。
事件性のある事態なのか、逮捕の必要もあるのかも曖昧な状態で、とりあえず保安官事務所に彼を預け、ファレルは事件が起こったのかもしれない現場を見に行く。
O'KeeffeとPennyのトレイラーハウスへ。Pennyの姿はなく、車もそのままだ。一通り見て回るが、何らかの事件が起こったと思われる様子はない。
O'Keeffeが誰かを撃ったかもしれないというペニー・ストリートのアパートへ。ワイルドタイムでも荒廃した地域。だがここで暮らす者は基本的には悪人ではなく、ただ貧しいだけだ。だがそこには誰もいない。急に立ち去ったような様子は見られる。
そこにはドラッグの密売人らしき連中が住んでいた、と管理人の男は言う。
誰がそんな連中に部屋を貸した?家主は誰だ?前は家主がいたが、どこかの会社が買い取った。どういう会社なのかはよくわからないが、みんなそこに家賃を払っている、と男は答える。
前夜何かの騒ぎはあったようだが、銃が撃たれたのかはわからない。怪我人、もしくは死人が出たのかもわからない。

何らかの事件性はあるのかもしれないが、現在のところPennyの失踪以外にははっきりしたものはない。それを自発的な失踪ではなく、何らかの誘拐事件と判断する状況証拠すらない。
ファレルは、Pennyの捜索はするからと説得し、O'Keeffeを住居のトレイラーハウスへ送って行く。
その後、フィッツモリスに住むPennyの親族を訪ね、話を聞くが手がかりになるものは得られない。銃があるのかもしれないO'Keeffeのトラックも見つからない。
しかし、数日後、近隣別管区Tioga Countyの保安官事務所からそこを流れる川から、死体が上がったとの連絡が来る。

O'Keeffeを連れ、そちらに向かったファレル。だが死体はPennyではなかった。
Charles Michael Heffernan。当地で前科も多いドラッグ・ディーラーと目される人物。
銃で撃たれていることから、O'Keeffeが話していた曖昧な発砲の件と関係があるかと考えられ、連れてこられた。だが、O'Keeffeは見覚えはないと答える。
O'Keeffeの銃も、それがあるのかもしれない車も見つかっていない時点では、彼らを単純に結びつけることはできない。

ファレルはO'Keeffeのトレーラーハウスの地主であるAndy Swalesにも話を聞きに行く。
当初は協力的だったSwalesだが、彼自身の私生活に関わる話になってくると不快感を示し、次第に冷淡、敵対的にもなってくる。

エドを通じ、O'KeeffeからPennyの疾走に関係あるかもしれない人物のメモを受け取ったファレルは、それに基づいて捜査を進める。
近郊の都市ビンガムトンにある、治安の悪い地域にあるバー。
そこを探るうちにファレルはある犯罪状況に巻き込まれることになるが、その結果当地の警察とつながりを持つことができる。
Pennyの失踪事件にも親身になってくれるビンガムトン警察の警官だが、何か関連のあることが出てきたら連絡するぐらいが精一杯の対応だ。

だが、そちらからのアイデアで、GPSを使いPennyの携帯の場所を探すことを思いつく。
Pennyの携帯は、彼らのトレーラーハウスからさほど遠くないところで、捨てられたと思しき状況で発見される。
そして、O'KeeffeはPennyの失踪を含む複数の件で、証拠不十分のまま逮捕拘留されることになる。


ヘンリー・ファレル・シリーズ第2作となる今作は、以上のようにすべてが曖昧だ。
同様のことを繰り返している感じになってしまうが、この国のガラパゴスミステリ感覚に対しては、何度でも言っていくしかない。
この作品は根本的にJミスのような、謎が用意され、そのクイズを解くことによって事件が解決されることにより物語が終わる、というような考え方によって書かれていない。
むしろ逆に、いかに事件が解決されないか、ぐらいの発想で書かれているというものかもしれない。
ファレルが暮らすワイルドタイムは、かなり大きくアメリカサイズで見れば、ニューヨーク近郊ぐらいになるのかもしれないが、法の手が届かないというようなものではないが、かなりいい加減にぼやけてなし崩しにフェイドアウトしてしまってるような ど田舎である。
そこを担当する巡査はただ一人。前作で死亡した助手の代わりは補充されていないし、その予定もないようだ。主人公であるその巡査ヘンリー・ファレルは、まあ言ってみれば普通の田舎のおっさんで、卓越した観察力も推理力もなく、とにかく 思いついたこと総当たり式の捜査方法しか持たない。
そもそもが都会から死体を分からないように捨てに来るような辺鄙な田舎で、こんなおっさん一人しかいなきゃ、まあこうなるわなってもんだ。
だがそれはそういった場所での犯罪をリアルやドキュメンタリズムで描くことで、地方の警察力の欠落みたいなわかりやすうーい社会問題テーマでやってるわけでもない。
雄大な大自然を背景にとか、牧歌的な田舎生活みたいなもんも、まあこじつければ何とかなるかもしれんけど、基本的にはそれ目的で書かれているわけではない。
そんなアメリカの果てみたいなど田舎で、まあ人間的には魅力あるけどそれほど切れ者ってわけでもないただ一人の駐在が、曖昧に事件を解決出来たりできなかったりするミステリというのが、このヘンリー・ファレル・シリーズなのである。
なんでそんなもんを書くのか?ミステリは探偵なり警察なりが謎を解いて犯人を当てて事件を解決するものだろう。なんでそういう風に話を作るのかが根本的にわからない、ってえのがJミス感覚だろ。
言っておくがこれは君らが信じる「ミステリ」へのアンチかなんかでこういう手法を使ったわけでもない。根本的にそんなもん眼中にねえんだから。
なんでそういうことになるかといえば、そりゃあこの国でそうやって進化して行くハードボイルドジャンルがまともに読まれることもなく、阿呆らしいクイズ基準で無視され続けてきたからだ。
例えば、かなり古い話だが、パコ・イグナシオ・タイボの名作『三つの迷宮』。作品のテーマから作者が意図的に二つの解決を用意したなんてことはちゃんと読めば明確なんだが、これに対し二つ解決があるのはミステリ失格、あたかも作者が どっちにするか決められず二つとも書いたかのような低レベルのこき下ろしが、ボンクラ座談会でお馴染み下卑た半笑いで垂れ流された。
そして近年では、こっちジャンルへの若い世代の入り口ともなりうる長く読み継がれるべき名作ビル・ビバリーの『東の果て、夜へ』に対しては、自称ミステリ評論家による「純文学ノリといちゃもんをつける」なんぞというイキッた中学生の感想文 レベルの幼稚発言が平然と発せられる。
ケン・ブルーウンすらまともに評価できないこんな愚物どもと、クイズオタクカルトと、視野の狭いJミス感覚により、進化変貌し続けるハードボイルドジャンルの実相が正しく伝えられることが妨げられ続けてきた。あー、本格通俗から 男の生き様マッチョ説教、セニョール・ピンクになり果てた日本のハードボイルド複合誤解もあるか。
そういった愚行の積み重ねにより、ちゃんとわかっていればある種流れの必然として、こいうものが出てくることは明確なんだが、そういうものが全然見えてないJミス感覚では、理由もわかんないまま失敗クイズみたいな扱いをされるわけだ。
結局のところさ、小学生が高校生の問題解けないようなもんなんだよ。そこに至る勉強してないんだもん。いや、勉強とかいう言い方も例えも好きじゃないんだけどさ。
あーまだ途中だし、こんな長々と書きたくなかったんだけど、このくらい言わなきゃこれが何でこういうものなのかわかんない人もいるだろ。言ったってわかんないようなのもいくらでもいるだろうけどさ。最も基本的なことを言えば、そもそも本を読むということは 自分の中にある基準みたいなもんに合わせて評価することではなく、まずあるものをあるままの形で理解しようとする事だなんて当たり前のことなんだがな。
まー自分は謎解きがされるミステリが好きだからとでも何とでも言って無視するのは勝手だが、そうやっているうちにこの国じゃどんどん狭い範囲内にあるような本しか入って来なくなって、規格内の決まった面白さしか得られなくなるからね、ってことは言っとくよ。

ということで、中断ぐらいになってしまったけど、続きです。
第1作では、まあ通常のミステリ的な短期間で、事件が解決したりしなかったりしたのだが、今作はかなりの長期間、始まりから終わりまでで一年以上が経過するというロングスパンのものとなる。Pennyはおそらくは死んでいるのだろうと、誰もが 推測しているが、死体も見つからず、実際のところは事件があったのかどうかすらわからないという状況が続く一方、ビンガムトンの犯罪に関わりがあるのか、ないのかもはっきりせず、しかし、甚だ曖昧ながら確実に何かがあったという状況が 続いて行く。
そしてKevin O'Keeffeは、その中心なのか、あるいは巻き込まれたかもわからない状況に置かれ、救いも得られないまま、世界から見捨てられたように拘留され続ける。
アメリカの果てのような地に住む、底辺の誰からも見捨てられた人々に関わる、誰も真剣に取り組んでくれないような犯罪。
まあもうちょっといいのもいるかもしれんが、とにかく世界にはヘンリー・ファレルのような、そこそこ実直で人情味のある男が必要なのだ。

今作では、前作では親友と紹介されていたがそれほどは出てこなかったエド・ブレナンがかなり多く登場する。O'Keeffeが逮捕されてしまったことで、人手不足となってしまった建築現場をファレルが手伝いに行く。いや、だからこれそういう小説だから。
実際のところ、中盤以降ぐらいからファレルが駐在の仕事が終わった後、ちょくちょくエドの仕事を手伝いに行く話にかなりのページも割かれる。エドは結構芸術家タイプの職人大工で、古い納屋を再現的に建て直すため、使える古くいい材木を探して 解体される古い家屋を渡り歩くようなタイプで、エドの工事が無事に終わるかみたいなのもこの作品の二番目か三番目かぐらいの重要なラインとなってくる。
そして、エドと奥さんのリズとファレルの三人でやってるカントリー・バンドについては、話ぐらいしか出てこなかったと思うが、今作ではちょくちょく練習し、ちょっとしたライブハウス的なバーでの演奏場面も描かれる。
それから、まあもしかしたらそっち気になってる人もいるのかもしれないファレルの人妻シェリー・ブレイとの不倫なんだが、まあネタバレになるんで詳しくは書けんが、まあうまく行かんよね。今作ロングスパンなんで、他の出会いとかもあります。
そして前作からの関係で言うと、前作では事件の中心ぐらいにいたスチュワード一家とその三兄弟が、今作では中盤~後半ぐらいで、非公式にファレルの捜査に協力。縄張りで厄介事は御免なんでスタンスで。ところでスチュワード一家なんだが、 実は原文での綴りはStiobhardで、最初に出てきたときには読めなくて前作の人と気付かなかった。アイルランド系の姓のようだが、日本で言えばむつかしい漢字の名前とかかもね。
あと、うっかり忘れそうになってしまったが、最初の空き巣事件も、後で中心の事件と関わってくるのだが、詳しく書くとネタバレになるので。
その他、今作でもちょくちょく靴脱いで裸足になったり、玄関見えるところでなんとなく一人キャンプ飯など、ファレルさんのゆるい田舎おっさん生活なども満載です。

ここまで書いてきて今更そんな期待をしている人もいないとは思うが、この作品でもなんか凝ったクイズ的謎解きなんてものはなく、いくらか曖昧な部分を残しつつ終わる。
かなり悲壮で暴力的でもある解決部分が、地形的には「崖下」的なところで起こるのも、日本のものとは対極にある「ミステリ」ともいえるかもね。
日本以外の世界のコアなミステリ読者が注目のジャンル、カントリー・ノワールの正統派ヘンリー・ファレル・シリーズ第2作『Fateful Mornings』、いろんな意味で期待通りの素晴らしい作品でしたな。

さて、その後のトム・ボウマン/ヘンリー・ファレル・シリーズだが、2017年のこの作品に続き、2020年に第3作『The Bramble and the Rose』が出版されている。第1作が2014年なので3年おきというペースで、そろそろ次が出るかもしかすると終わりか というとこだろう。3作契約とかでそれまでとかよくあることだからね。何とか続いてほしいと願うものではあるが。
ちょっと気になるのが、第1作約300ページ、第2作約350ページと続いてきたものが、第3作が約200ページと縮小しているところ。この作品に関してはまあぶっちゃけて言っちまえば、事件とあまり関係ない大工パートがやや長すぎるかという部分もあり、 そういうところバッサリ捨てられたとかでは、みたいな心配も起こってくる。そういうのも含めてのこのシリーズの魅力なんだけどねえ。
やっと読めたところで、この先どうなるかわかんない情報しかなく申し訳ないんだが、とりあえずそこで終わりだったとしても第3作も必ず読んでこちらで報告するつもりですので。できればいい加減ジジイになって森でのお昼寝パートが増大するくらいまで 続けてほしいものなのですがね。

■カントリー・ノワールの現状

カントリー・ノワールについて、最初にいくらか説明は試みたが、カントリー・ノワールはこれこれこういうものだ、というようなお勉強型思考に便利な定義なぞするつまりは全くない。そういったどこまで行っても昨今の状況範囲ぐらいのことしかできない 「定義」の有害さは日本のノワール誤解という形でも繰り返し言ってきたことである。ジャンルを理解把握するには、そこに属する作品をなるべく多く読み続け、その変遷を見ていく以外に方法はない。
まあそんなわけで、以前にもリンクぐらいは紹介したはずの、アメリカの大手・有力・有名な?(多分どれか合ってるやろ)読書サイトGoodreadsのカントリー・ノワール人気ランキングを元に昨今の注目作・作家を少々紹介して行きます。

Goodreadsのカントリー・ノワール人気ランキングなのだが、実は2種類ある。Country Noirは、現在331作がリストアップされていて、全て見ることができるが、 Country Noir Booksは517作のうち上位50作のみ見ることができる。多く見られる方がいいだろうというのが普通の考えだが、ちょっとそこが落とし穴。 331作全て見られる方では、上位作品がほとんど翻訳されていない一方で、ある程度下がるとC・J・ボックスやネヴァダ・バーといった、日本でも知られたアウトドア系の名前が出てくる。上位のものがほとんど把握されないまま、そういった知ってる 名前に飛びつくのはジャンル理解の面から見て大変よろしくない。
日本的に知られてる名前から入る、日本人向けに、というのは結局のところ「商売」向けの考え方。その安直な考え方から長く誤解が続き、どうしようもなくなっているものは山ほどある。実際、日本でカントリー・ノワール傾向の作品が 翻訳される機会があっても、本来ダニエル・ウッドレルや、ドナルド・レイ・ポロック、コーマック・マッカーシーあたりから考えるべきところが、安直なC・J・ボックスと比べれば批判をされる傾向にあるわけっしょ。
入門用としては50作の「Country Noir Books」の方をよく見て作品傾向を理解したうえで、「Country Noir」の331作を、こんなのも入ってるんだなあと見るという方が正しい。まあ上位に関してはそれほど違いはないんで、こちらとしては 双方見ながらでピックアップして行く感じになります。あー、あと事前に言っとくと国産作品を無理やりこじつける気は毛頭ありません。常にそういうのがC・J・ボックスと比べれば以上の誤解につながんだよね。

まずリスト全体の概要から行くと、圧倒的に上位を占めるのは開祖であるダニエル・ウッドレルで、そこに並ぶのがまだ作品数は少ないのだがドナルド・レイ・ポロック。そしていつになったら翻訳出るんだいもう出ないんかい?のLarry Brown、 もうちょい若手のFrabk Billあたりが定番として続き、もう少し下にコーマック・マッカーシーが出てくる。あ、これ作品の総合的評価じゃなくて、あくまでカントリー・ノワールというジャンル方向での評価だからね。
以前見た時はジェームズ・リー・バーク、ジョー・R・ランズデールのハプレナ、Anthony Neil Smithの『Yellow Medicine』あたりも入っていたのだが、多くの新しい作品に押され後退して行ってる感じ。まあ新しいジャンルとして注目され始めた 時で、作品数増やすために後付け的に近いのをあれもこれもと入れて行ってた状態だったのだろう。それに代わり新しい作品が多く上位を占めているということは、ジャンルに動きが多く注目も高いということなのだけど。
あとちょっと興味深いのは前回翻訳のについてちょっと書いた『キリング・ヒル』のクリス・オフット。ミック・ハーディンの前に書いた初期作品が高評価。察するにミック・ハーディンで知名度が上がって、旧作が再版され現在高評価という 事なんだろう。なんかこういうの売れないからでミック・ハーディン始めた感じのあるクリス・オフットなんだが。ちなみにハーディン・シリーズはやや下位にランク。
それではここからは、上位傾向にある作品・作家を個別にピックアップして行きます。

まずドナルド・レイ・ポロックについては、とにかく新潮文庫から『悪魔はいつもそこに』翻訳出てんだからそれ読めよということ。まあ新潮文庫はすぐ絶版になり、まず再版されず都市伝説化するので早めに絶対手に入れとくべし。もしかすると 低評価付けてる見る目もないやつが早々に売って古本手に入るかもよ。

そしてダニエル・ウッドレル。カントリー・ノワールと言えばウッドレルで、翻訳2冊出てるんだが、どちらも入手困難。まず圧倒的上位でカントリー・ノワールを代表する作品とも言える『Winter's Bone(邦題:ウィンターズ・ボーン)』(2006)なんだが、翻訳出てるけど 絶版で、買い逃しちゃってずっとチェックしてるんだが古書でも値段下がらず、最近諦めて原書Kindle版買った。500円ぐらいだったしな。改めて言うけど『悪魔はいつもそこに』は絶対買っとけよ。
そして、さらに遡ったデビュー作である『Under the Bright Lights(邦題:白昼の抗争)』(1986)が、谷口ジロー画伯のカバーで出てる。88年の発売だが、文庫なんでまだ手に入りやすそう。そしてこれなのだが、ずっと知らなかったのだけど、実は 三部作の最初の作品らしく、現在は第3作である『Muscle for the Wing』(1988)と第4作『The Ones You Do』(1992)と合わせた『The Bayou Trilogy』として販売されておる。こちらについてはずっと読まなければと思ってきたやつで、いつか必ず読んでやる。

そして続いていつまでたっても日本で出ないLarry Brown。1951年生まれ、2004年没。1980年代後半ぐらいから消防士として働きながら作品を発表。6冊の長編と、短篇集が3冊あり。やっぱアウトロー文学というような分類なんかな?サウザン・ゴシックに 連なる重要な作家。初期からの『Dirty Work』(1988)、『Joe』(1991)、『Father and Son』(1996)あたりが特に評価が高い。ブコウスキーみたいになんかきっかけぽいやつでもあると、次々出たりすんのかね。もう翻訳期待しないで原書読んだ方が いいだろうけどね。

Frank Billに関しては年齢などちょっとよくわからなかったのだけど、ここまでに書いた人たちよりは明らかに若い世代。2011年に短篇集『Crimes in Southern Indiana』でデビュー。2013年には初の長編作品『Donnybrook』を発表。この辺が特に カントリー・ノワール方面で評価が高い。初期の頃はポロックと並べて名前出ることも多かったように思うが、ポロックより更にクライム、ノワール寄りの作家だという印象。その後も2作の長編小説を発表。他にコミック『The Crow: Pestilence』の シナリオもあり。現状翻訳出る可能性まずなさそうやし、ずっと読まなきゃと思ってる作家なんでなるべく早く読むつもり。

あと、気が付かなくてうっかりこの先の未訳の新しい作家セクションに入れちゃいそうになったのが、トム・フランクリン。なんだよ邦訳3冊も出てるじゃん。うち評価高めなのが最初の短篇集『Poachers(邦題:密猟者たち)』(1999)と長編第3作 『Crooked Letter, Crooked Letter(邦題:ねじれた文字、ねじれた路)』(2010)。まあただちに注文しましたんで早めに読もうと思います。それにしても『ねじれた文字、ねじれた路』は時期的に気が付かなかったの多い頃だなと思うけど、もしかしたら 『密猟者たち』持ってて未読のまま忘れてどっかに埋まってるかも…、ま、いいか。

それから、1935年生まれで70年代から2000年代ぐらいの間で多くの著作のある米国サウザン・ゴシックに属する作家Harry Crewsの『A Feast of Snakes』(1976)が、両方のリストで上位に入っている。日本じゃ大昔にエッセイ集が一冊出て絶版ぐらいだが、 結構重要な作家らしい。特にこの一冊が入ってるというのは、トンプスンの『Pop.1280』が一冊入ってるのと同じ現象かもね。これも読んでみたいなあ。

大体これにコーマック・マッカーシーを加えたあたりが、カントリー・ノワールのもっとも代表的な作家。あとコンセプト的にはフォークナーや、フラナリー・オコナーとか。
で、ここからは最近注目の集まっている新しい作家・作品という方に移ります。

まずBrian Panowichの2015年作品『Bull Mountain』。これがデビュー作だが、ジョージア州東部を舞台としたこの作品で一躍注目に。ちょっといまいちわからんのだが、とりあえずこれと続く第2作『Like Lions』(2019)は、Bull Mountainシリーズになって いるらしい。のだが第3作『Hard Cash Valley』(2020)もBull Mountainというところが舞台となってるみたいだし?というところ。スペイン、フランスでも翻訳が出版され、TVシリーズのオファーもあったそう。2024年発売の第4作も既にアナウンスされており、 ここからどんどん勢いづいていきそうな、早めに押さえとくべき作家。

David Joyの『Where All Light Tends to Go』(2015)は、エドガーにもノミネートされた作品。『ウィンターズ・ボーン』+ブレイキング・バッドなんて宣伝文句もあり。1983年生まれでまあまあ若手というところか。現在までに小説は5作で、割とコンスタントに 作品も発表出来てる感じ。その他ノンフィクションの著作もあり。内容までちょっと把握できないんだが、ヨーロッパ作品の翻訳結構多数。『Where All Light Tends to Go』はビリー・ボブ・ソーントンらの主演で映画化進行中らしいので、そっちからの翻訳の可能性 あるかも?ないかも?

ここでまた、翻訳出てたの気付かなかったが出て来ちゃうんだがが、ロン・ラッシュ。『Serena(邦題:セリーナ)』(2008)は、映画化されたんで翻訳出たケースのやつ。あー、これまずワシがスルーしちゃうタイプやな。とりあえず古本見つけたら読んでみっかな。 なんかこれだけ扱い違くない?いや、ちゃんと読むよ。でも読まなきゃなんないものさすがに多くなりすぎて…。1951年生まれで、1998年の短篇集『The Night The New Jesus Fell to Earth and Other Stories from Cliffside, North Carolina』でデビュー。 2002年『One Foot in Eden』からは長編も出版され始め、現在までに8作。詩作も多く、短編小説の評価も高い。

William Gayは新しい作家かと思ってたんだけど、1941年生まれで、2012年には亡くなっていた。1999年長編作『The Long Home』でデビューし、亡くなるまでに短篇集なども含め、7冊の著作を出版。だが死後に見つかった作品が、その後5冊も出版されている。 これも絶対ちゃんと押さえとく必要のある作家だな。必ず読むです。

というあたりがカントリー・ノワールというジャンルの現状です。ここから色々読んで、もっと深く探って行かなければというところ。
最初の方で言ったけど、誤解を広げるだけの国産作品の強引なこじつけはやるつもりもありません。なんだが、前回にやったクリス・オフット『キリング・ヒル』の解説…。いい加減気力尽きてたし、話にもならないんで無視したけど、なーんか カントリー・ノワール横溝正史みたいなデタラメな誤解が広がりかねないレベルのこの国のミステリ言説なんで、やっぱりここはきちんとバカにしとかないと。
そもそも書かれた時代・時代背景が全然違うんで、どういうレベルでもそんな単純な比較できるわけない。もし横溝正史持ち出すんなら、もっと時代の近いサウザンゴシック、フォークナーやフラナリー・オコナーあたりと比較できるんなら比較して、 というような段階踏んでやっと出せるもんだろ。いつまでもお馴染みの知ってる本列挙が通じると思うなよ。こいつらのワンパターンの「○○を連想させる」が、マーク・グリーニーに比べればみたいな底辺レビューの発生の源なんだからさ。 ずいぶん前のヤングアダルト爺もそうだけど、後先考えず適当な思い付き並べてんじゃないよ。子供向けクイズじゃねえんだから、イマドキ見立て殺人なんてある方が異常だわ。異世界転生レベルのファンタジーやろ。話にもならんよ。 こんぐらいでいいだろ、無駄な時間使わすなや!
まあなんだかんだ言っても、どうせ日本じゃカントリー・ノワールなんて定着しないし、新し物好きが飛びついてみても安直な日本的解釈に歪められて行って、誤解に誤解、いい加減なパロディのつもりを重ねて、いつの間にかセニョール・ピンクに なり果てていたみたいなもんが精々なんで、もう入って来ない方がましなんだろうね。下手にカントリー・ノワール=横溝正史みたいな解釈が流通して、まーたJミスクイズ感覚で「ミステリとして」失敗クイズ扱いされたり、「見立て殺人もトリックもない」 なんて見当違いの戯言で批判される惨事が起こるぐらいならない方がましだわ。ん?アンタそんな意味で言ってない?ああ私アタマ悪いんでそう聞こえました。こーゆー風に歪められっからいい加減な思い付き「解説」なんてところで垂れ流すなって話。

「カントリー・ノワール・ブーム」というようなものは、外的、読者サイド的には映画『ウィンター・ボーン』や、ドナルド・レイ・ポロックのような作家の登場により発生したものだろう。だが、作家、創作サイドから見れば、近年のローライフ、地方 というような視点でアメリカ社会を見るというハードボイルド/クライムジャンルの傾向・流れが必然的ぐらいにたどり着いたものとも言える。ジャンルとしてはちょっと別物ではあっても、ウィンズロウのカルテル三部作を含む、メキシコ国境周辺作品の増加や、 更に広く見れば、前回やったエルロイの社会の底辺の毒のような偏見・憎悪が社会全般に影響し動かしていくというような見方もそれらの動きと無縁ではない。
カントリー・ノワールはこのブームによりある程度は定着し、これからもこのジャンルに新しい作家・作品が登場してくるだろう。だが、これはハードボイルド/クライムジャンルの終点というわけではない。あちこちで小規模に同人誌的に出されるアンソロジーなどを 見れば、様々な方向に新しい模索が試行錯誤されている。ウィンズロウの現在進行中の新三部作も、後に振り返ってみれば新しい動きの里程標ぐらいになるのかもしれない。
現在この地点のカントリー・ノワールは、そういう未来を見て行くためにも大変重要なポイントだ。本当はハードボイルドジャンルだけじゃなくて、ミステリ全般という視点においてもなんだけどねえ。まあどうでもいいや。



■神は俺たちの隣に/ウィル・カーバー

直感ナリ!
もう10月ぐらいになってくると、書店に行っても年末クソランキング向けの本が、恥も外聞もなく業界事情内幕はらわたまで晒す感じで並んでるんだが、そんな紅白クイズ合戦に埋もれる感じで新刊に並んでたのがこいつ。こっち向けジャンル関連の、ハードボイルドやらノワールやらの キーワードは一切書いてないが、直感的にこいつは私が読んで面白いやつ!と訴えるものがあり、直ちに購入し、帰って読みかけのやつ一時停止にして、すぐ読み始める。
こうして英国ノワールの挑戦的意欲作と出会うわけである!日本のアマゾンでは現在もはやお約束通りの★2.5の低評価作品だ!何言ってんだか見てないが大笑いだぜ。

まあもしかしたらちょっとわかりにくいのかもしれない、この作品の構造みたいなもんから説明してみよう。あ、やっぱこれある種のネタバレなんでご注意を。
中心となるのは「俺」という語り手。こいつは爆弾の入ったバッグを持ち、いつスイッチを押すかと考えながら、来る日も来る日も環状線の地下鉄に乗り続けている。
そしてこれとは全く無関係に見える、実際無関係な三つのストーリー。こっちの内容についてはとりあえず今はいい。
そして最終的にはこの三つのストーリーの中の人物たちが、この爆弾犯の地下鉄に乗り合わせることになるが?という話。

これは「神」についての話。これについては「俺」の語りの中でもそういった方向が何度も言及されている。あらゆる宗教的な方向ではなく、漠然と創造主的な意味での神。
まずこの作品を批判してるような人も思い浮かべたのかもしれない、上のあらすじから想像されるような一般的な「正しい話」みたいのを考えてみよう。
地下鉄で爆弾テロが今にも行われようとしており、そこに全く背景の違う数人の人物がたまたま乗り合わせる。そこでそれまで全く関係のなかったそれぞれの人たちの地下鉄に乗るまでの経験や、直前までの行動、思考がピタゴラスイッチ的に組み合わさり、 テロが阻止される。
この奇跡はどうして達成されたのか?それは神の采配であり、神の意志!もしかしたら作中でもそんな風に説明されるかもしれない。
でも、その神は何処にいる?それがフィクションである限り、常に「神」=「作者」なのだ。

これはそんな「神」が、存在はしてるけど仕事を放りだしちゃった世界。
そこで、まず「俺」。こういったサスペンス傾向の作品では、犯人の正体を隠す目的で、一人称の語りがよく使われる。その一方で、一人称で語られる作品では語り手=作者という短絡的な読まれ方をすることが多い。そこで本来なら作品傾向的にはそんな読まれ方をされることがまれなタイプのこの一人称に、作者=「神」が混入される。そこで語られるのは、自分の本来の役割と全く無関係に「神」の代弁者の役まで押し付けられた、どうやってもその役に一致しない「俺」の混乱。
そして、そもそも同時多発テロであることが最初から読者に知らされているこの作品中で、この「俺」はなんで何日も今押すかと考えながら爆弾を抱えて地下鉄に乗り続けているのか?
それは他の話が終わらなくて何日もかかっているから。本来ここのつじつまを合わせるべき「神」が、仕事を放棄し、それでも結末地点が決まっているこの世界では、その役割が決まっている「俺」は、あらかじめ決められているその行動を続けるしかない。

そして二つの天使の話。良い天使と悪い天使。
例えば、感動の実話とか、奇跡の実話とかあるだろう。だがその「実話」には必ずその伝え手、執筆者=作者=「神」の手が入っている。
これは単純に嘘の情報が書かれているというようなことではない。中心テーマとなるものが読者にストレートに伝わるような形での強調、理由付け、誤解を招きそうな部分の修正、省略などなどは、こういう作品には付き物だ。
「神」が仕事を放棄してしまったため、そういった加工がなされず、ただあったことがそのまま放り出されたことによる、いまいち感情移入もできないのが良い天使の「感動の実話・奇跡の物語」。
もう一方の悪い天使の物語でも、それをサスペンスホラーとして読ませるような調整がなされず、また善悪の対比、モラル的な安心やカタルシスが得られるような解決もグズグズなまま放り出される。
そして脳の故障によりもう一人の自分と闘争し続けるデイブ。こちらについてはのちほどで。

この三つのストーリーからの人物たちが、もはややっつけぐらいの理由付けで、問題の地下鉄へと集合する。
ちゃんと「神」がコントロールしていれば、絶対に起こらない小便漏らしキャラ被り。
後にこの物語について回想する形で語り手になるのかもしれない「目撃者」はおざなりに確認だけしてとっとと帰る。
そして結末へ向かい、そこに存在する「神」の思考が溢れ出す。多数の「if」。パラレルワールドのこうなったかもしれない彼らの運命。その洪水により、しばらく時間を置けば、それぞれがどうなったか忘れてしまいそうな勢いで 埋め尽くされる。

最後にデイブの話。
ドストエフスキー的自己との対話みたいなのを、錯乱しぶっ壊したようなドタバタも面白いんだが、ここで重要なのは時々出てくるその隣人。
悪意はなく、実際にはいくらかも心配はしている、壁越しの野次馬。こいつは我々「読者」だ。
それはもう最後の数行で明らか。このくらいの興味と関心で本読み終わってる野次馬の皆さんいません?というような作者からの悪意もやや感じられたり。
しかもこの「隣人」、時々デイブ側から、結構バカっぽい日常も暴露されてるぞ。え?そっちから聞こえんの?いやーん、それは勘弁してくださいよ。
作者によるあとがきでは、このデイブの物語を加えることでこの作品は完成したということだ。まあこんな意味でこの作品の原題は『The Daves Next Door』となったわけだね。

書棚がいくら馬鹿げた手を触れる気さえ起らない紅白クイズ合戦になろうと、なんかまぐれ当たり的に出たこういう作品に巡り合えることもあるから、書店に行くのを諦められない。今買うべき作品はこれだぜ。

話は分かったけど、それにどういう意味があるんだ、とかなにがなんでも否定する抵抗を試みてるご意見番気取りもいるのかもしれん。そんなこと言ってっからお勉強要素と教訓要素がなけりゃ本もまともに褒められない「ダメな大人」になっちまうんだよ。
新しい試みはいつだって面白い。そしてこの作品は、作者の意図さえ把握できれば、そういった方向ではあまりブレもなくきっちりできており、大変楽しく読める。
あっ、もしかしたらそれを読み解くクイズがこの作品の趣旨だったか?うーん、そうするといくら何でもネタバレしすぎたか…。ごめんよう。
まあとにかくこれで正しく、遂にノワールの謎解きがナンカを超えた!ってことで。

あと、私がこの本のどこにも書いてないノワールを連発してんのに引っかかってる人いるのかも。いや、あんた曖昧に理解したつもりになってる雰囲気レベルでしかないもんや、ノワール原理主義者どもの言ってたキョーハク観念云々みたいな話にもなんねえ 定義に引っ張られてるだけだよ。
単純に言えば、英国ノワールの鬼才ニコラス・ブリンコウの延長線で考えればいい話。
そして、何より既存の予定調和の物語の破壊というのは、全てのノワール作家に内在する衝動だってこと。
安直に、お勉強感覚で簡単にノワールを理解できると思うのは諦めろ。なんとなくの雰囲気や、過去のもんしか規定できない定義や、うっとおしいサブカル世代の「カメラに向かってオナニーするなんてすごい!」レベルの結局私小説至上主義価値観基準やら。
ノワールを便所の裏の石ひっくり返して出てきたジメジメした暗黒みたいなもんと思い込むのはもう勘弁してくれ。
とか言ってみても、結局この国じゃ日本風に捻じ曲げられた思い込みを重ね続けるうちに、結局ノワール版のセニョール・ピンクか、腐女子向けのかっこつけなんちゃってぐらいになり果てんのがオチだろうけどさ。

作者ウィル・カーヴァーについては、訳者あとがきでいくらか説明もされてるが、こりゃまた何とか読まなければならない作家を追加されたようだ。どうせ、扶桑社は他の作品出してくれないだろうしな。多分この時期紅白クイズ合戦の裏番組として、変わり者しか 読まないだろうけど、って感じで出したんだろうけどな。ほらっ、変わり者大喜びしてるよ!
カーヴァー作品については、2009年から3作プラスが出たInspector January Davidシリーズが最初だが、大手ランダム・ハウスからでなんか高いし、そっちで打ち切られてから5年後インディーで再開したあたりのから読むのがいいかと思ってる。現在4作まで出てる Sergeant Paceシリーズや、単独作品など。なんか今回だけでどんだけ読まなきゃなんない本積み上げてんだか、という話なんだが、こっちのウィル・カーヴァーも新しい英国方面の突破口として注目して行きたいと思いますのだ。


なんか色々書いてたらまた長くなってしまった。あれの関連でこれ、これも面白かったから書いとこうとか、まあいつものように計画的無計画でやって行ったわけですが。なんか自分内でごたごたしてたわけですが、新しい作品を紹介して行くという方で いくらか軌道に乗って来た感もあるんで、もう少しペースを上げなければと思っております。翻訳作品については、新しいので書く意味がありそうなのがあったときに。そもそもそっちの方にあんまり時間使えずたいして読めない現状だしな。わりとこの辺で年内終っちゃって年明けまで沈黙みたいなことも多かったけど、今年はもう少し頑張るので。またです。


※追記
これ書き終わって数日後、今日本屋行って来たら「カントリー・ノワールの現状」のとこで翻訳ないと嘆いていたハリー・クルーズが出てました。『ゴスペルシンガー』。扶桑社紅白クイズ合戦の強力な裏番組第2弾!あれ?アマゾンで見たら明日発売となってるけど、今日11月1日 に買えたぞ?まだ出たばっかなんで、お約束の低評価★2.5ぐらいも付いてないっすね。まあどうせそうなんだろけど。買ったばかりなんでもちろん読んでないけど、これは必ず買いです!次回やろうかと思ったけど、もったいないんで急いで読むようなことしたく ないし、これが必読なんて当たり前のことなんで。まだ今年も2か月あるし、まだ紅白クイズ合戦の裏番組あるかもね。ちゃんと毎週一回は本屋に行こうっと。



■Tom Bouman / Henry Farrell

■Will Carver

●Detective Inspector January David

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2023年9月8日金曜日

James Ellroy / This Storm -新LA四部作 第2部!-

ジェイムズ・エルロイ新LA四部作、第2部『This Storm』である。
現在日本に翻訳されていないミステリジャンルの作品で、最も重要なものがこのエルロイ作品であり、そんなことも理解できんような奴はミステリなんぞ語る資格もねえ。早く閉じてとっとと帰れ。
本来ならこんなわけのわからんチンピラが読んだよ~などと気楽に語れるもんではないんだが、いつまで待っても翻訳出ない状況じゃしょーがないだろ。まあ様々な状況に阻まれて遅れ続けているだけだと、そのくらいには日本の出版文化も信頼したいところでは あるのだが。
だが、たとえ翻訳が出たとしても、まともにこの作品を語れる奴がいるのか?というのも現在本当にどうしようもなくなってる事実。オフザケ読書のプロや、クイズオタクカルトみたいなもんが気軽にクイズ気分で近寄っていいもんじゃねえんだよ。
ジェイムズ・エルロイというのは、今日まで続いているミステリというものの歴史の中で、現在最前線でその可能性を広げ続け、疾走を続ける唯一無二の孤高の作家である。稚拙な自分が知っているような型にはめ込むような方法で理解できる作家ではない。 その作品に先入観を捨て、真摯に向かい合う者だけが、その高みの一端に近づくことができるのである。そのくらいの気持ちで、まあ微力にもほどがあるくらいなんだが、全力でその欠片ぐらいお伝えしたいというところです。

■This Storm

まず最初に言っとかなければならんのは、この作品、前作新LA四部作第1部『Perfidia(邦題:背信の都)』に直結する作品。前作が1941年12月29日で終わり、今作は1941年大晦日から始まる。ストーリー的にももちろんその直後から続いて行くので、 前作については完全にネタバレという形になる。前作読んでない人はいきなり読むと損するよ、ということは最初に伝えとくからね。
あと、人物名等に関しては、前作その他に登場した人については、日本語カタカナ表記に努めるが(忘れてたらごめん)、新登場については面倒なので英語表記のままとなります。

というところで、さて新LA四部作第2部『This Storm』。前作の終盤では、ダドリー・スミス、ヒデオ・アシダらがメキシコで行動する展開となったが、今作では更にメキシコに関わる動きが広がる。そしてまず、プロローグ部分では、 メキシコからの海賊放送という形で、その時点のメキシコの政情がかなりぐちゃぐちゃに語られる。
もしかすると、いきなりこれで引っかかっちゃう人もいるかもしれんが、こーゆーのは中でも一番わかりにくいところなんで、ざっと読めばいい。内容的には、それに遡る左翼政権からのカトリック教会の弾圧後、右傾化しナチスシンパになった カトリック内のヤバい部分からの、ジャップ、チンクなどへの差別意識もむき出しのかなりヤバいその状況下のアジ放送的なもの。この時点であまりよくわからなくても、後々関係する動きが出てくればなんとなく把握できるので。
第1部では利権的な部分と、日本人-日系人対米破壊工作グループの潜伏地という方面ぐらいしか出てこなかったメキシコ方面だが、第2部ではそれらにも深く関わる形で、これらの政治勢力がストーリーに関係してくる。

第2部でも前作同様に、4人の人物それぞれの視点からのエピソードが順に入れ替わる形で、全体のストーリーが語られて行く。
そして最初に登場するのは、エルマー・ジャクソン。前作では何かメインストーリーから少し外れたぐらいの地点から、ひょうひょうとマイペースで自身の売春組織を切りまわすぐらいで、ケイ・レイクの友人というぐらいしかストーリーには 関わってこなかったエルマー・ジャクソンだったが、第2部では物語の中心となる人物の一人として動き始める。

エルマー・ジャクソン/(Los Angeles, 9:30 PM, 12/31/41)
大晦日の夜、エルマーはマイク・ブルーニング、ディック・カーライルとの三人体制で張り込みを行っていた。嵐の大晦日。強い雨が降りしきる。
標的はトミー・グレノン。複数にわたるレイプ犯としての指名手配が表向きだが、実際の理由としては、数日前のダドリー・スミスへの傷害容疑らしい。(前作終盤に起こった事件だが、本当の犯人はケイ・レイク。)
トミーへの餌に使うのは、エルマーのガールフレンドのひとり、エレン・ドルー。トミーが美脚に目がないのは調査済みだ。
ラジオからは、カウント・ベイシーを呼んだ警察主催のシティ・ホールでのニュー・イヤーズ・イヴ・パーティーの騒ぎが聞こえてくる。

現在のエルマーの状況が描写されるのに被せて、回想のように彼の出自が語られる。
ノースカロライナ州ウィッシャーツ。クランの町。クランの父に、兄。兄Wayne Frankは、クランに入り、その後は放浪し、西海岸へ流れて行った。
エルマーは、海兵隊に入り、ニカラグアへ。そこで売春商売を仕切るノウハウを憶える。そこでボスの友人だったジム・二挺拳銃・デイヴィスと出会い、意気投合してL.A.警察に誘われる。
エルマー・ジャクソンは、実在の悪名高い警官だそうだが、ちょっとネットで簡単にという風には情報は見つからなかった。おそらくニカラグアの話や、こちらも実在のジム・デイヴィスとの関係などは本当なのだろう。ただ、この話で 重要な存在となる、兄Wayne Frankはもしかするとフィクションなのかもしれない。

無線が音を立てる。奴が来た。隣のフェンスを越えて入った。お前は正面から行け。
エルマーは車から飛び降り、目標の家へ走る。家へ入る。裏から回ったマイクとディックが合流。
トミーの泥の足跡。上階からの床の軋み。足音。
エレンの悲鳴。全員が階段を駆け上がる。ガラスが割れる音。エルマーは表のドアに戻る。
北へ向かって走るトミー。エルマーは追いすがらその背に銃を撃つ。トミーのポケットから何かが落ちる。
マイクとディックも銃を撃つ。だが、もうトミーには追い付けない。
エルマーはさっき見た地点に向かい、トミーが落としたものを拾う。赤い革製のアドレスブック。

エレンを自宅へ送り届けた後、エルマーはトミーの住んでいたホテルに向かう。Gordon Hotel。
トイレもない殺風景な部屋。クローゼットは空。引き出しを開ける。
スペイン語会話の本。ティファナのドンキー・ショーの写真。ナチの腕章。日章旗。鉤十字のタトゥー・ステンシル。
エルマーは、トミーのアドレスブックを開く。住所はなく、フルネームもない。
ひとつの番号に覚えがあった。Eddie LengのKowloon。フォー・ファミリー系列の中華料理屋だ。
部屋の電話から、署に電話。出た通信係にアドレスブックの電話番号を読み上げる。
ひとつに心当たりがある。シド・ハジェンズの勤めるヘラルドの前の公衆電話。賭け屋の連絡用。

2番目に登場するのは、前作から引き続きのダドリー・スミス。

ダドリー・スミス/(Los Angeles, 11:30 PM, 12/31/41)
大晦日の夜、ダドリーはシティ・ホールのニュー・イヤーズ・イヴ・パーティーにいた。
軍服を身に着け、刺された腕を三角巾で吊っている。ダドリー自身はこの傷は、中華街のエース・クワンと敵勢力の抗争に巻き込まれたのだろうと、内心考えている。
彼の横にはクレア・デヘイブン。そしてテーブルには大司教J・J・キャントウェルや、ジョー・ヘイズ司祭、コフリン神父。

彼は最近の出来事を回想する。ヘロインを狙ってメキシコバハへ。マイク・ブルーニング、ディック・カーライル、そしてヒデオ・アシダとともに。
カルロス・マドラーノにはやられたが、ささやかなお返しに車ごと吹っ飛ばした。
コフリン神父はマドラーノの後継を知っていた。Jose Vasquez-Cruz。反赤、反ユダヤのファシスト。
もうすぐ会うことになるだろう。ダドリーは間もなく、クレアを伴いメキシコに赴任する予定だ。

ビル・パーカーの姿も見える。やつれた様子。
フジオ・シュドーの件では、アシダを引き込み、彼を出し抜いた。

ダドリーは時計を見る。PM11:51。マイクとディックは何処だ?ぼんやりエルマー・ジャクソンは何処だ?トミー・グレノンは何処へ行った?
レイプ犯トミー。ダドリーの密告屋、ヒューイ・クレスマイヤーのダチトミー。カルロス・マドラーノのウェットバック商売の片棒担ぎトミー。
ダドリーが米軍SIS大尉の身分をもって行うメキシコでのプラン、ヘロイン密輸、ウェットバック、日本人拘留者の奴隷売買、その総てをぶち壊しかねない。
ゆえにトミーは死ななければならない。

新年のカウントダウンが始まる。
ダドリーは星条旗とアイルランド旗を振る。
マイクとディックが入ってくる。トミーを捕まえたか?彼らは首を振る。NO。
そして1942年が明ける。

3番目の主人公は、ジョーン・コンヴィル。前作でビル・パーカーが執着し、ストーカーしていたあの赤毛の女性。

ジョーン・コンヴィル/(San Diego, 12:15 AM, 1/1/42)
ジョーンは、El CortezホテルのSky Roomでのパーティーで新年を迎える。スタン・ケントン楽団の演奏でジューン・クリスティが歌う中、出口へ向かう。
エレベーターを降り、混んだロビーを抜け、駐車場へ。雨に濡れながら自分の車を見つけ、乗り込む。
まずヒーター、ワイパーを動かし、煙草を点けて、湾岸道路を北へ。
彼女は真珠湾攻撃の日に、軍隊に志願した。
生物学の学位が有利に働いた。海軍看護隊。戦艦勤務が待っている。

ジョーンは、ウィスコンシン州モンロー郡出身。彼女の父は消防士だった。森林火災に巻き込まれ、亡くなる。
合衆国森林局の調査では、「放火である証拠はない」。
だが、ジョーンは納得しなかった。鑑識学を学び、独自に調査する。
検出された航空燃料の痕跡。調査はひとりの容疑者をあぶりだす。Mitchell A. Kupp。自称発明家。リンドバーグの友人。
だが、彼女の力ではそこまでだった。ジョーンは鑑識学を捨て、看護学へと進む。そして真珠湾攻撃。

豪雨により視界が悪化して行く。雷光が走る。ヴェネツィア大通りの標識。右へ曲がる。
飲酒による知覚反射能力の低下。突然の光に目が眩む。ヘッドライト。
目を押さえ、ハンドルを失う。彼女は光と大きな何かと衝突する。

そして最後、4人目は前作で登場した日系鑑識官、ヒデオ・アシダ。

ヒデオ・アシダ/(Los Angeles, 2:30 AM, 1/1/42)
アシダの物語は、市警察地下の留置場、フジオ・シュドーの房の前から始まる。護衛役として同行しているのはリー・ブランチャード。
眠っているシュドーを見ながら、アシダは自分がダドリー・スミスの意に沿って、証拠を捏造することで、シュドーをワタナベ事件の犯人に仕立て上げることに一役買ったことを思う。
お陰で自分と家族は拘留から逃れ、ホテル暮らしができている。

アシダはビル・パーカーからの呼び出しで、交通事故現場へ向かう。ヴェネツィア大通り。
2台の車の衝突事故。36年型ダッジ・クーペは、運転手側のドアが外れている。それが運転していた女性を助けたようだ。
地面に血まみれの四つのシート。四人のメキシコ人男性が死亡。フロントシートとバックシートに二人ずつ。

ビル・パーカーが到着する。パトロールカーから降りるとき、空の酒瓶が転げ落ちる。
アシダは目を逸らす。くぐもった悲鳴。トランク。少し開いている。
アシダはトランクを開ける。小さな男の子。スペアタイヤの下敷きになり既に死んでいる。女の子。何か喋り、血を咳込む。
アシダは女の子を抱き上げる。その手の中で息絶える。

4人の主人公の話はこのように始まり、そしてこの順番で交互に語られて行く。
後はそのへんごちゃごちゃにしてある程度のところまで、あらすじという感じでまとめて行くので。
あと、ここまでで気付いたんだけど、前作の時点からそうだったのだろうと思うけど、他の3人は主にファーストネームで書かれるのだが、ヒデオ・アシダのみ姓であるアシダが主に使われている。この辺、エルロイってちゃんと日本人の習慣的なところまで 把握して書いてるんだなと思う。

まず、エルマー・ジャクソン。彼は拾ったトミー・グレノンのアドレス・ブックを捜査課には提出せず、個人的にその内容を調べ始める。
ダドリーのチャイナタウンにおける捜索に駆り出され、そこで寄り道をして、Eddie Lengが彼の店で惨殺されているのを発見する。

留置場で目覚めたジョーン・コンヴィル。そこにビル・パーカーが現れる。ジョーンは、パーカーが自分をストーカーしていた男だと、すぐに気付く。
事故で死んだ四人のメキシコ人は、いずれも複数の犯歴のあるウェットバック。
パーカーはそれらの事故死を不問とする代わりに、彼女がかつて学んだ技術を活かし、鑑識課で働くことを半ば強制的に提案し、ジョーンもそれを受ける。
そして、車のトランクで死んでいた二人の子供については、ジョーンには告げられず、秘匿される。

ヒデオ・アシダは、リー・ブランチャードと護衛の任を交代したエルマーとともに、新たに通報を受けた現場へと到着する。
グリフィス・パークのゴルフ場で、大晦日からの豪雨により土砂崩れが発生し、白骨化した死体が収められた木箱が発見された。
遺体は男性のもので、その様子から殺害されたものと、アシダは判断する。木箱が焼け焦げていることから、それは1933年に発生したグリフィス・パーク火災に、何らかの形で関係するものと思われる。
1933年のグリフィス・パーク火災。それはエルマーの兄、Wayne Frankが死亡した場所だった。

遺体と箱は所の鑑識課ラボへ運ばれ、そこで綿密な調査が始まる。新たに鑑識課に加わったジョーン・コンヴィルも、そこに参加してくる。父の火災による死が鑑識学に入るきっかけだったジョーンは、グリフィス・パーク火災に関係があると思われる 遺体の捜査に熱が入る。

米軍SIS大尉としてメキシコに赴任したダドリー・スミスは、カルロス・マドラーノの後継Jose Vasquez-Cruzとも知り合い、当地での地歩を徐々に固めて行く。
破壊工作を目論む第5列の捜査を進めるうち、現地の大使館員で現在行方をくらましているKyouho Hanamakaという男に目をつける。
Hanamakaの住居を捜索に行ったダドリーは、そこに隠し部屋を見つける。その中には、ナチスの旗、旭日旗、ソ連邦の旗、スペインのフランコ政権のナチス旗、KKKの旗、イタリアのレッドシャツ大隊の旗などが飾られ、ナチスの制服、日本の海軍服 といったものもしまい込まれていた。
ダドリーはその中で、純金の銃剣を手に入れる。その柄には鈎十字が彫り込まれていた。

ここで登場するKyouho Hanamakaという日本人。ハナマカってどういう漢字だろう、まあそもそも考えてないんだろうな、と思って読んでいたら、終盤このHanamakaとヒデオ・アシダが対峙する場面があり、そこでお互いの名前を 呼ぶところが一度だけ漢字で表記される。それによると、これは花丸。少し調べてみたが花丸にハナマカという読み方は見つからなかったので、根本的に間違い・勘違いの類いなのだろうと思う。ちなみにアシダは芦田。
このHanamakaの隠し部屋の、反米主義と不寛容思想の混乱のような状態は、本作のテーマ・中核といった部分に大きく関わるものである。

ダドリー・スミスのメキシコパートの序盤であるこの辺りで、クレア・デヘイブンがジョーン・クラインという15歳の家出少女と出会い、何かと面倒を見るうちに、クレアの養女的扱いで、メキシコ-アメリカをともに行動するようになる。
ジョーン・クラインというのは、アンダーワールドUSA三部作最終作『Blood's A Rover(邦題:アンダーワールドUSA)』に登場する左翼運動の中で暗躍する謎の女。前作『Perfidia』では、ブラックダリア べス・ショートがダドリーの 隠し子とて登場したのに続き、過去作のキャラクターの出自が明かされる。
ところでこのジョーン・クライン、ジョーン・コンヴィルと同じジョーンで、後々結構読んでて混乱するのだが、エルロイもそのことには後で気付いたようで、主に登場するダドリーパートでは、時々ヤング・ジョーンとか書いて 区別している。俺のキャラクターいっぱいいるからな、てへっ、ってところで勘弁してやれよ。

エルマー・ジャクソンは、署内でEddie Leng殺害に関係があると目されている日系人拘留者を、市警本部長ジャック・ホラルの暗黙了解の元、エース・クワンが半ば報復目的で、陰惨に拷問しているところを見つけ、思わず止めに入る。
このことからエース・クワンとの間に個人的に確執が生じ、更に後にエルマーの反ダドリー・スミス的行動にもつながって行く。

グリフィス・パークの白骨死体は、失踪人届のリストなどの照合から、Karl Tullockという人物に特定される。その背景を調べて行くと、グリフィス・パーク火災にさらに遡る1927年に発生した、金塊輸送列車強盗事件への関与が 浮かび上がってくる。
更にそれを決定的としたのは、遺体の着衣の残存から発見された金の欠片。そこに刻まれた数字からアシダは、それが示す貸しロッカーを特定し、そこに一本の金塊とTullockとエルマー・ジャクソンの兄Wayne Frankへ宛てたメモを発見する。
「お前らは死んで、俺は死んでいない。俺はお前らが手にれられなかったものを手に入れた。30ポンドの純金。お前らはこのために死んだ。」
アシダはこれらの情報と金塊を、個人的に秘匿する。

だが、鑑識作業に加わっているジョーン・コンヴィルも、独自に遺体と金塊輸送列車強盗事件の関係を突き止め、アシダが発見されていない盗難された金塊の行方を探っていることにも気付く。
鑑識学を学んでいる時点では、その権威のひとりとしてヒデオ・アシダを尊敬していたジョーンなのだが、実物に会い、ダドリー・スミスの手下ぐらいの立場で、度々呼び出されてはメキシコに向かう様子などを見て、尊敬の念は割と早期に失せ 鑑識技術はともかくとして、人間的には侮り始める。
また、当初は微妙にビル・パーカーの愛人的立場だったジョーンだったが、次第にダドリーとも近くなり関係を結び、両者暗黙の了解の上、ビル・パーカー、ダドリー・スミスの間で三角関係となる。
アシダは、ジョーンとダドリーが接近する様子を知り、隠しては行けないことを悟り、ダドリーに金塊強盗事件について話し、その探索は三者共通の秘密となって行く。
また、ダドリーが見せびらかすKyouho Hanamakaの隠し部屋で手に入れた純金の銃剣も、アシダにより盗まれた金塊から作られたものであることが確認される。

メキシコの路上で、ダドリー・スミスは拳銃を持った左翼系のスローガンを叫ぶ暴漢に襲撃される。その時、路地から現れた痩せた男がショットガンで暴漢を倒し、ダドリーの命を救う。
後に彼を救った男がSalvy Abascalという人物だと知り、お互いに知り合い、その後多く連携して活動して行くこととなる。この人物がダドリーのメキシコでの運命を大きく動かして行くこととなる。
Salvy Abascalは実在した、メキシコのローマ・カトリック極右の政治組織National Synarchist Unionの活動家である。

そしてLAでは、黒人街のジャズクラブKlubhausで、市警の外国人対策班、日系人の逮捕拘留・資産の押収などに当たっていた新たに雇用された警官ジョージ・カペックと、ウェンデル・ライスの二人がもう一人のメキシコ人とともに殺害されるという事件が 勃発する。
鑑識として捜査に当たるアシダとジョーン。
そしてエルマー・ジャクソンは、新たな名前などを追加したトミー・グレノンのアドレス・ブックを、階上のベッドで発見されるよう仕込む。
Klubhausの持ち主は、黒人活動家、説教師のMartin Luther Mimms。市警本部長ジャック・ホラルとも強いパイプを持つ。

ジョージ・カペックとウェンデル・ライスは、うまく入れられないんで抜けてたけど、この作品の最初の方から背景的なところで暴れている。前作終盤あたりだったと思うけど(見つからん…)、誰かが警察の人員不足解消のための補充要員として、 候補者リストを見て、こんなのしかいないのか、と思ってた中にいた二人のはず。
そういえば、トミー・グレノンについても前作で出てきたと思って日本語カタカナ表記にしてあるけど、見つからず、もしかしたらヒューイ・クレスマイヤーのムショ仲間でダドリーの密告屋っていうことで、設定の似ているトージョー・トム・チャスコと 混乱してるかもしれんと思い始めてたり…。
まあエルロイのキャラクターいっぱいいるからな、てへっ。

大体これで250ページぐらい、全体700ページ近くなんで、3分の1強ぐらいか。まあ、250ページ以下で終わる本も山ほどあるんだが。
ただ、ここでは4人のキャラクターにより、4つのストーリーが語られているわけなので、それぞれに分ければ60ページと少しという感じで、まだまだ序盤。しかしその一方で、エルロイの切り詰め、圧縮された文体では、通常の小説よりも かなり情報量も多くなるわけで…、とか細かいとこ考えてても仕方ないか。
とりあえず、ここまでに出てきた、1927年の金塊輸送列車強盗事件、1933年のグリフィス・パーク火災、そしてここで発生したKlubhaus殺人事件が物語の軸となって行くというわけなので、そこまではあらすじとして まとめとかなければで、やや強引にこの辺まで進めた。

多く省略したところでは、エルマー・ジャクソンのトミー・グレノンのアドレス・ブックからの独自調査。グレノンのホテルの遺留品などからも第五列との関わりを嗅ぎ付けたエルマーは、その方向を強調する形でアドレス・ブックに 手を入れ、Klubhausの事件現場に残してくる。
一方、グリフィス・パーク火災については、発生当時左翼グループによる放火の可能性が疑われており、エルマーはその方向にも探りを入れ始める。だが、その火災事件・金塊強奪事件への彼の兄Wayne Frankの関係は、 アシダ-ジョーンらの間で留められ、エルマーには伝えられない。

ダドリー・スミスは、自身の計画のため、メキシコ国内における人脈・地盤作りに向けて動く。その一方で、それに影響を及ぼす可能性もある第五列のメキシコ国内における動きにも探りを入れる。ダドリーのスタンスは、こちらに取り込み 利用できるものならば手を結ぶ、ぐらいのもの。ヒデオ・アシダは、ダドリーのメキシコの行動にも強い懐刀となって行く。
また、前作ではワタナベ事件の真犯人がジム・二挺拳銃・デイヴィスであることは、ビル・パーカーのみに伝えられたものだったが、今作ではダドリー・スミスもそれを知るところとなり、その情報は次第に市警内部に広がって行く。だが、それが 何かを変えることはなく、公式には犯人はフジオ・シュドーのままなのだが。

調査が進むにつれ、金塊輸送列車強盗事件とグリフィス・パーク火災の間には、共通した人物の暗躍などの繋がりが見えてくる。更にそれらの人物とKlubhausの関わりも。
また、殺害されたカペック、ライスの二人が、拘留した日本人から押収した銃器を、大量に横流ししていたことも発覚し、市警上層部ジャック・ホラルからはKlubhaus殺人事件に、問題が拡大しないような綺麗な解決が求められる。
ナチス信奉者、左翼活動家、日系人テロリスト、様々な思想・人種の混濁は、メキシコの地での、全体主義思想によって結びついた、ナチズムとスターリニストの戦後を見据えた結託に繋がって行く。
それぞれの思惑によって行動する、4人の物語は、それぞれの方向から戦時下のLAの水面下の暗黒の動きを浮かび上がらせて行く。

ここで、少し前シリーズアンダーワールドUSA三部作まで遡って、エルロイ作品には何が書かれているのか、どう誤読されるのかについて確認して行きたい。
アンダーワールドUSA三部作で、結構起きていると思われるのが、ケネディ暗殺の真相!みたいな安直な誤読。そんな安手のテーマのためにエルロイが小説を書くわけねえだろ。
ここで描かれているのは、アメリカの底辺レベルのところから湧き上がってくる、差別偏見、不寛容、貧困、憎悪、欲望といったものが、社会上層まで充満し、それが暴力として形を取り、ケネディやマーチン・ルーサー・キングを 殺すという構造である。
そこのところを、物語の結末から歴史のお勉強レベルで表層的に理解したつもりになっていると、この新LA四部作についてはそもそも何が書かれているのかさえ見失う。

ではこの新LA四部作では何が書かれているのか?
それはアンダーワールドUSA三部作で描かれたものと同様の、社会の表面下、水面下のすぐそこでうごめいている日常的レベルの暗黒を、戦時下という特殊状況において、更に凝縮された形で描くのがこの新LA四部作なのだ。
戦時下、「社会正義」のみが大手を振って歩き、モラル的、コモンセンスとしての「正義」など容易に踏みにじられる状況。
そもそも根本的な警察の役割とは何か?それは社会秩序の維持。その本来の目的と、コモンセンスとしての「正義」が一致したときのみ、一般的な感覚で言うところの、正義が執行される。
前作『Perfidia(邦題:背信の都)』においては、いつも一つの「真実」と、社会に示される「犯人」は一致しない。
「犯人」は苦渋の決断として「会議室」で決定されるわけでもなく、「事件は会議室で起こってるんじゃない!」と怒る都合のいい正義漢もいない。
各方向から示される容疑・証拠は、クイズの正解に導くヒントなどではない。単なる警察内の腐敗にとどまらない、「真実」と「犯人」の一致さえ意味を持たない、社会全体の腐敗・背信を描き出すためのものだ。
実は、この新LA四部作になってからは、作品全体のスタイルはある意味クラシックな謎解きミステリに近くなっているようにも見える。それは馬鹿らしい「原点回帰」みたいなものではなく、徹底的に切り詰め、圧縮された、現在のエルロイの 記述スタイルから来るもの。
このスタイルにより、細かい風景描写などは省略され、またあるいは雑多な手順や手続きも省かれ、証拠や容疑者の尋問に至る。また時系列順に並んだ4人の視点が交互に出てくるスタイルからの、割と重要なことが起こっていないパートでの これまでの事件関係の容疑者・証拠などのまとめおさらい的なものが繰り返されるといったもの。後者に関しては意図的にその謎解きミステリ手法を取り入れてるのかも。
だが、先に書いたようにここから導き出されるものは、謎解きクイズの答えとしての「真実」といったものではなく、その「真実」すら大きな意味を持たなくなる状況である。

そして今作『This Storm』においてもそれは同様。物語の終盤では、「真実」が明らかになるが、それはこの作品の「答え」などではない。
四部作第一部では、戦時下の社会の腐敗・背信が描かれたが、第二部ではさらにその上に、反米主義という一点で左翼活動家とナチ信奉者という異物とも思えるものが結びつき、それが犯罪という形をとる上で、KKKや黒人運動までが 合流してくる混沌を描いて行く。

This storm, this savaging disaster.

タイトルにもつながる、作中で何度も繰り返される、この混沌の状況を表す本作のテーマである。

(作中では英国の詩人の言葉だと書かれているが、実は多くの部分はエルロイの創作であることが、インタビューで語られている。 (Big Issue North/Author Q&A: James Ellroy.))

ジェイムズ・エルロイは、悪と暴力を作品テーマとする異端の文学者だ。
しかし、それらが人間存在の根源に関わるものとして、(まー異論があるなら日本以外で)世界の文学作品のテーマ、トレンドとなる昨今では、もはや異端ではないのかもしれない。
だが、それらの中でも、ミステリ・エンタテインメント・ジャンルに活動の場を置くことで、最も尖鋭的で突出した形でそれを表現しているのが、ジェイムズ・エルロイであり、その意味では常に異端の作家だ。
ジェイムズ・エルロイこそが現代最強の文学者であり、ミステリ作家だ。ジェイムズ・エルロイは何が何でも読まれ続けなければならない。そんなのあたりまえのことなんだよ。


というところで、ジェイムズ・エルロイのその後・近況。
まず最初に、ここまで延々「新LA四部作」と書いてきたが、実は五部作になることがごく最近発表された。
いや、知ってる人は知ってるだろうし、ここでビックリみたいに発表するような形にするつもりではなかったのだけど、なんか最初の勢いにうまく入れられなくて…。実はずっと、四部作と書くたびにホントは五部作なんだけどなあ、と 引っ掛かっていたのだけど…。まあ、新情報で知らん人もいるだろうから説明なしには書けんし、というところで…。
つーわけで、新LA五部作となりました。
それが発表されたのは、間もなく、というかそれまでに書き終わってアップできんのかなというところなんだが、本年9月12日に世界に向かって放たれるエルロイ最新作『The Enchanters』の出版に際して。世に名高いマリリン・モンローの 変死から始まるこの作品は、当初別の独立作品かと思われていたのだが、これが第三作として入り、新LAは五部作となることが、出版社・編集者を通じて発表された。
当方としては、やっと第二部読んだところで第三部来てくれたか!というところなんだが、実は第二部『This Storm』とこの作品の間には一冊単独作品として『Widespread Panic』(2021)が出版されている。アンダーワールドUSA三部作に登場した LAの私立探偵フレッド・オターシュが主人公ということで、エルロイによるクロニクル全体の外伝的作品になるのだろうと思っていたが、最新作の内容説明あらすじの中にもオターシュの名前があることから、作中でこっちの事件についての 言及があるやもしれず、まずこっちから読まねばならんだろうな。
というわけでやっとエルロイの続きに乗れたボクは、ワクワクドキドキの毎日です。エルロイが現在も現代ミステリの最前線を驀進中なのは見ての通り。誰かのマネして「エルロイは○○がピーク」とか吹かしてるひょっとこがいたらケツ蹴っ飛ばしとけや。

■ミステリは迷惑しとる!何とかしてくれ!

ここで、いつまでたってもエルロイの続きの翻訳が出ない、もしかしたらもう出ないんじゃないかという、日本のミステリ状況を確認し、改めてその戦犯どもを糾弾しておきたい。というわけで、まずは現在の日本のミステリ状況を示した次の図を見るべし。

まあわかりやすくするために、色々比率とかは適当なんだが、説明すると、まず上段が国産ミステリで、下段が海外ミステリ、左の方で縦に区切ってる左が戦前で、右が戦後。で、右端が現在という形になっている。
まず赤部分から説明すると、日本で一般的に自分をミステリファンだと思ってる人の認識する「ミステリ」。主に戦後の国産ミステリを読み、海外ミステリというのは戦前のクラシック、アガサ・クリスティやコナン・ドイルぐらいまで。
最初にこっちからまとめちゃうと、この「ミステリ」認識は日本国内のみで通用するもので、日本で多く言われるような「犯人聞いちゃったらもう読む意味がない」ような謎解き・パズル・クイズ型のミステリはクラシック・ジャンルの もので、現在そのようなものは日本以外では書かれていない。
まあそんなこと言ってみても、この辺の層についてはどうすることもできないんだが、せめて国内のみで通用するガラミスという認識で、Jポップぐらいの感じで「Jミス」とでも呼ぶくらいの礼儀は示してくれ。 図を分かりやすくするため、同じぐらいの高さにしてあるが、翻訳されないものも含んだ実際の出版総量で言えば、海外の方が10倍以上でも少な目ぐらいの比率なんだし。
まあホントどうにもなんないところなんで、この部分についてはとりあえず他を説明するための前置きということで。

次にピンク部分は、戦後から2000年ぐらいまでの海外ミステリで、もちろんすべて翻訳されているわけではないが、ミステリとして認識されているもの。この辺にもハードボイルドの本格通俗など愚行は多いんだが、まあまあミステリジャンル全般が薄く広くぐらいには 認識されていたんじゃないかと思う。ここの細かいところまで文句言い始めたら話進まなくなるんで、とりあえずこれはこれで。

そして大問題の2000年頃から現在に至る、読書のプロ暗黒時代。世紀の愚発言として記憶されるべき「ジム・トンプスンを一位にしたのはまずかったネ」に象徴されるこの時代、「ミステリ評論」なるものは底辺まで劣化する。 具体的にはこの能無しどもが主導する馬鹿げたミステリランキングにより。
「ジム・トンプスンを一位にしたのはまずかったネ」。これがどういう意味か?「所詮読者は馬鹿なんで、文学的だったりするもんにはついてこれないんで、そういうのは無視して誰でもわかる「売れる本」基準でランキング作りましょ」ってことだ。
で、どうなった?売れる本選んで翻訳ミステリが隆盛したんかい?結果は果てしない右肩下がりで、翻訳ミステリはもはや絶滅寸前だ。
要するに、「売れる本」なんて言ってみたって、本当の基準も目安もない。ただ唯一手掛かりとなるのは、日本の売れる本Jミス基準。ジェフリー・ディーバーを世界のミステリの最高峰に持ち上げるような珍妙な翻訳ミステリ史を作り上げる迷走を続けた挙句、結果的にはJミス基準に媚びた謎解き重視のランキングへと劣化する。そこで日本のミステリ評論のなかで雌伏し続けていた諸悪の根源、日本以外には存在しない 「本格ミステリ」なる教義を崇拝するクイズオタクカルトが隆盛を謀ってくるわけだ。
だが、何度も言うが、海外のミステリはもはや戦前のような謎解き・パズル・クイズメイン、教団の言うところの「本格ミステリ」などでは書かれていない。しかも「ジム・トンプスンを一位にしたのはまずかったネ」以降排除される「売れない本」傾向も 決まっている。そこに加えて、ただ前時代(ピンク部分)の評論をよく考えも検討もせず、右から左に流用するばかりの(例:本格ハードボイルド「御三家」)無能な自称ミステリ評論家の跋扈。
結果翻訳出版以前に、日本で海外ミステリと認識されているものの総量自体が右肩下がりに減少して、限られた範囲以外はわからなくなってしまっているというのが、図のブルー部分読書のプロ暗黒時代
以前にも何度も書いたと思うが、現代のミステリにおいて、ホロヴィッツ以外に評価すべき作家が見つからないのではない。ホロヴィッツしか選べない連中によってランキングが作られているだけの話で、そのランキングが日本の海外ミステリに 関する基準となっているのが、現在の日本の悲惨なミステリ状況なのだ。

そして、現在そこから外れた白の空欄となってしまった部分に存在する最も重要な作家が、ジェイムズ・エルロイなのだ。

まあこういうこと言っとると、
私は言いたい(タメ改行X2) 犯人当て謎解きミステリーのどこが悪い!(太字、フォントサイズ+5)ドヤッ!(フンス!)
みたいな人出てきそうだが、んーまあ、別にいいんじゃない?

私は犯人当て謎解きミステリーが悪いとは言っとらん。それが好きならそれ読んでりゃいーじゃん。
だが日本以外のミステリはその基準じゃ絶対語れんということだ。

君らが「ミステリ」だと思い込んでいるパズル重視のミステリは、遥か昔に終わっている。
そこに代わって現れた、ハメット、チャンドラー以降、ハードボイルドジャンルを中心に、ミステリの最もシリアスな部分は、常に小説・文学という方向に進化し続けている。
はっきり言って君らがクリスティ、ドイルに留まり続けてミステリを語っているからって、ハードボイルドは既にハメット、チャンドラーだけ読んでりゃ語れるもんじゃなくなってるんだよ。
謎解き=頭脳労働、ハードボイルド=肉体労働、みたいな幼稚の極致の分類なんて、もはや東大生がクイズ解くのを見て「かしこいねえ」とか感心してる層ぐらいまでが限界だろ。

ミステリは文学と同じく生き物だ。君らがどんなにそのままでいてくれと望もうが、それを作る作家たちは常に高みを目指し、進化し続け、同じところにはとどまらない。
そしてその進化の最先端にい続けるのがハードボイルドジャンルであり、それゆえ文学者たちもそこに惹かれ、ハードボイルドの創作を試みる。ノーマン・メイラー、トマス・ピンチョン、などなど。近年のコーマック・マッカーシーや、 ドナルド・レイ・ポロックに至ってはその境界すらが、限りなく下がってきている。
言ってみりゃあ、そうやって進化し続けている部分こそが「本格」ミステリであり、旧来の謎解きメインのものが「通俗」ミステリ、「大衆」ミステリ、ってとこだろう。
そしてその最先端に立つ作家が、ジェイムズ・エルロイなのだ!

しかし、まあ以前から言ってるように、私は日本でハードボイルドが翻訳出版されるためにこんなことをやっているわけではない。もうそんなの当の昔に諦めたよ。安心してJミス読んで、Jミスファンでいてくれたまえ。
こんな国はケン・ブルーウンやジェームズ・リー・バークのような優れた作家・小説が翻訳されるには、全く値しない。
2000~10年代に輝きを放つAnthony Neil SmithのBilly Lafitteや、Ray BanksのCal Innesはこんな国に翻訳されるには、あまりに美しすぎる。
エイドリアン・マッキンティも、あんな汚物を平気でケツに塗りたくって出版されるような状況なら、いっそ翻訳なんてされない方がよかったとさえ思う。
だがジェイムズ・エルロイは別だ。

ジェイムズ・エルロイは、たとえこの国のミステリ状況がそれにそぐわない脱力ナゾトキランドで、それを受け止められる読者がどんなに希少でも、絶対に翻訳出版されなければならない作家だ!
ジェイムズ・エルロイの翻訳出版が止まってしまうことは、日本の出版文化に関わる損失だ。
そのくらいわかっていて、出版のために頑張っている人たちが僅かといえどもいてくれることを、私は信じているよ。
前にも書いたけど、それが遅れている要因としては翻訳の問題ではないのか?これは日本にエルロイを翻訳できる能力がある人がいないなどと言っているわけではない。だが、これだけの難易度の高い作品なら、それなり一流ランクの 翻訳者が必要になるし、そういった人がこれだけの大作を手掛けるだけの、時間なり、環境を作ることが難しいのではないか、ということだ。
まあしばらく前まではこの国のミステリ状況のあまりの惨状に、もうエルロイも出ねえのかよ、バカヤロー、ぐらいに思っていたが、今はいつか必ず出ると信じたい気持ちになっている。
どうかそれだけは頼むよ。日本でちゃんとジェイムズ・エルロイだけは出して下さい。

えーと、各方面への無差別暴言罵倒に関しては、いつもの通り全く反省してないんだが、ちょっと話の都合上、Jミス十把一絡げにし過ぎたのはちょっと悪かったかな、と思っている。
こんな状況で苦戦してる作家の人や、なかなか出版の機会が得られないような人が、もしここを見るようなことがあって、傷ついたようならごめんなさい。少し言い過ぎました。
き、気にしてないんならいいんだけど…。一応謝っとこうと思っただけよ!べ、別にあんたのことなんかなんとも思ってないんだからねっ!勘違いしないでよねっ!


■キリング・ヒル/クリス・オフット

既に長くなりすぎてて、ここでおまけを入れるのも何なんだが、次回これやりにくい事情があるんでここに押し込みます。
クリス・オフット『キリング・ヒル』。えーとこれ、前々回に最後に2020年代ぐらいのハードボイルド注目みたいのを、いくつか並べているときに、実はこれも目をつけてて入れとこうと思ったら、翻訳が前の週ぐらいに出てたのに気付き、本屋行って 買ってきて読みました。
まず、読み始めて最初のあたりで、これはカントリー・ノワールだな、と気付くのだが、まあこっち的にはおなじみだが、日本じゃ全く出ないし、あんまり浸透してないかと思うんで、ここで少し解説しとく。
カントリー・ノワールの開祖は、1980年代から作品を発表している、映画化された『ウインターズ・ボーン』などでも知られる作家ダニエル・ウッドレル。この人自身の命名によるジャンルなので、この人が開祖。アメリカの田舎地方・自然を舞台とした 犯罪小説ジャンルで、この辺に属する有名どころでは、ジェイムズ・リー・バークや、ジョー・R・ランズデールなど。近年翻訳されたものではトム・ボウマンの『ドライ・ボーンズ』。あとドナルド・レイ・ポロックなんかもそこに分類される こともある。
80年代ぐらいからずっと続くというよりは、近年犯罪ジャンルの中心が地方・ローライフというあたりに広がるにつれ、注目が高まりややブームぐらいの感じになっている。結構バークやランズデールとかは、後付け的に入った感じ。
こういった傾向は、例えばしばらく前のだけどTVシリーズの『ブレイキング・バッド』なんかも、そのしばらく前からアメリカの犯罪小説ジャンルで、田舎町で頭の悪いチンピラとかが適当な覚醒剤を作ってるみたいなのが、お馴染みの風景ぐらいになってきてた ところで、なるほどこう来たかみたいな感じで出てきたもんで、そういった動きの一環とも言える。
カントリー・ノワールというのは、その辺の動きから再発見的につながっていったものなんだろうと思う。地方・ローライフ傾向がさらにディープとなり、救いようのない貧困やら、ヒルビリーの土着の異なったモラルみたいなものも描かれて行くこととなる。
遡ってルーツをたどれば、フォークナーやフラナリー・オコナーとかのサウザン・ゴシックに繋がるもので、日本じゃあまりにも出ないし情報少ないんで、C・J・ボックスとかとすぐ混乱されるんだが、そういった自然・アウトドア方向のものとは 根本的に成り立ちが違う。むしろ『テキサス・チェーンソー』みたいなもんの方が近いとも言える。
ちょっと説明前置き長くなってしまったんだが、作者クリス・オフットは、元々地元ケンタッキー土着という感じの、短編小説やバイオロジー的な作品、ノンフィクションなどの文学寄りの作家で、あとはTVシリーズの脚本がいくつか、というキャリア。 最初のエンタテインメント・ジャンルの作品ということで、結構期待してて読み始め、おうカントリー・ノワールかい、とさらに期待も高まったんだが…、えーやや微妙…。
どうも主人公ミック・ハーディンという人が良く見えない。なんかうまく言えないんだけど、いわゆる「人間が描けていない」的な純文学説教的なことではなく、なんか側だけ書かれてるんだけど中身が書かれていないような妙な印象。もしかしたら 翻訳のせいかもぐらいにまで引っ掛かりながらしばらく読んでて、結構進んでから気付いた。とりあえずこの作品については、この人のキャリアで考えるべきは文学方向ではなくTVシリーズの脚本の方。
そういう脚本がどう書かれているのかまでは知らないが、例えばマックス・アラン・コリンズとかがよくやってたそっちからのノベライゼーションみたいなのから、逆算的に考えるとわかる。そういうもんでは既に役者が演じているキャラクターだから、 そこんとこ書き込み過ぎてもキャラが変わっちゃうんで、あんまり中身は書かれず、そっちの元の方で補完して、というかできてる感じで読める。この主人公ミック・ハーディンは、そんな感じで書かれている。つまり実際にはないTVシリーズの ノベライゼーション作品的印象。
なーんか名前とかは思い出せなくても適当にそういうので見た外国の役者とかを当てはめ、イメージして読むと割としっくり読めるかも。あと別のキャラクターメインのシーンに、ちょくちょく切り替わるあたりもTV的かも。もしかすると、TVシリーズの プロモーション的に作ったけど売れなかったのを小説に直して出したのかもしれない。
ストーリーその他については、カントリー・ノワール方向をきっちり押さえている感じだけど、若干TV方向にライトな感じかも。ライト・カントリー・ノワールとかな。
わざわざ取り上げた割には、あんまりおススメしている方向でなくて申し訳ない。まあ自分としては、こういう方向のものがあるなら、カントリー・ノワール展開の一形態として押さえときたいところなので、まあ翻訳で簡単に読んでおけてよかったか というところなのだが。とりあえず、第1作は仮想TVノベライゼーションっぽくなってしまったが、元々書けない人でもないだろうし、第2作以降は立て直してもっと小説作品として書いてくるということもあるかもしれないしね。
クリス・オフット/ミック・ハーディンシリーズ、次も翻訳出るなら、自分的には読んでおきたいというところです。
あと、このクリス・オフットという人Wikiによると、マイケル・シェイボン編集のコミックのアンソロジー『Noir』というのに参加してるとのこと。Dark Horse Comicsから出てるのに同タイトルのがあるんだが、これのことなのか、イマイチはっきりせん。 Dark Horseのやつに関してはそのうち読む予定なので、そこにいたらまたクリス・オフットについてちょっと書くことになるかも。


で、終わりっす。なんかさすがにジェイムズ・エルロイともなると、書き始めるとのめり込み過ぎて、頭があんまり他に回らなくなり、コミックの方もペースが落ち、仕方ないんでしばらくそっちを休んでこっちに集中しました。なんかまだ言わなきゃいかんこと 山ほどある気もするけど、かなり疲れたし、今回はこのくらいで。『ぼっち・ざ・ろっく』の新刊も出たことですし、マンガ読んで少し休んでまた頑張るです。まあ、読む方もご苦労さんでした。



■James Ellroy
●新LA五部作

●Widespread Panic

'君のせいで猫も失くした'はamazon.co.jpを宣伝しリンクすることによって サイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、 Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。

2023年8月18日金曜日

2023 スプラッタパンク・アワード 受賞作品発表!

今年もやってきましたSplatterpunk Award!もうすっかり個人的に夏の風物詩となり、この発表を待ちかねていた人も日本に数人でもいるかもしれない、いてくれたらいいなあと思うSplatterpunk Awardです!…いや、私も前回、次はアレでーす、とか言って 終ってから、いや待てアレの前にコレあるじゃん!と思い出したぐらいだったりするのですが…。
コロナの影響によりしばらくオンライン開催を余儀なくされ、昨年よりやっと復活したテキサスオースチンでのキラーコン。今年もめでたく開催され、8月11-13日開催の中日12日に各受賞作が発表されました。
出版業界全体が停滞を余儀なくされた感のある時期、スプラッタパンク、エクストリームホラー・ジャンルもかなり沈滞した状況だったことが、ノミネート作品数の縮小からもうかがわれた2022年。しかし、各受賞作を少し詳しく調べてみれば、確実に この先の新たな展開を担って行くだろう力強いラインナップ。各受賞作発表の後、それぞれの作品、作者について解説して行きます。

2023 Splatterpunk Award


【長編部門】

  • Playground by Aron Beauregard (Independently Published)
  • The Television by Edward Lee (Madness Heart Press)
  • Faces of Beth by Carver Pike (Independently Published)
  • Last of the Ravagers by Bryan Smith (Thunderstorm Books / Death’s Head Press)
  • Mastodon by Steve Stred (Black Void Publishing)
  • Ex-Boogeyman (Slasher vs The Remake) by Kristopher Triana (Bad Dream Books / Thunderstorm Books)

【中編部門】

  • Plastic Monsters by Daniel J. Volpe (Independently Published)
  • Charcoal by Garrett Cook (Clash Books)
  • Grandpappy by Patrick C. Harrison III (Independently Published)
  • Mr. Tilling’s Basement by Edward Lee (Deadite Press)
  • #thighgap by Chandler Morrison (Cemetery Gates Media)

【短編部門】

  • “Jinx” by Bridgett Nelson (from A Bouquet of Viscera)
  • “Just Another Bloodbath at Camp Woe-Be-Gone” by R.J. Benetti (Independently Published)
  • “Of The Worm” by Ryan Harding (from Splatterpunk Zine issue 13)
  • “My Chopping List” by Stephen Kozeniewski (from Counting Bodies Like Sheep, The Evil Cookie Publishing)
  • “Gutted” by Bracken MacLeod (from Splatterpunk Zine issue 13)

【短編集部門】

  • A Bouquet of Viscera by Bridgett Nelson (Independently Published)
  • Always Listen To Her Hurt: Collected Works by Kenzie Jennings (Blistered Siren Press)
  • Mr. Tilling’s Basement and Other Stories by Edward Lee (Deadite Press)
  • Horrorsmut by Christine Morgan (The Evil Cookie Publishing)
  • Pornography For the End of the World by Brendan Vidito (Weirdpunk Books)

【アンソロジー部門】

  • Camp Slasher Lake, Volume 1 edited by D.W. Hitz and Candace Nola (Fedowar Press)
  • Human Monsters edited by Sadie Hartmann and Ashley Sawyers (Dark Matter Ink)
  • Counting Bodies Like Sheep edited by K. Trap Jones (The Evil Cookie Publishing)
  • Call Me Hoop edited by SC Mendes & Lucy Leitner, created by Drew Stepek (Blood Bound Books)
  • Czech Extreme edited by Lisa Lee Tone and Edward Lee (Madness Heart Press)

【J.F. GONZALEZ LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD】

  • Monica J. O’Rourke


まず長編部門Aron Beauregardの『Playground』。Aron Beauregardは、昨年第5回のSplatterpunk Awardでは、短篇集部門で『Beyond Reform』が受賞しています。新勢力が遂にトップを取ったという感じか。
このAron Beauregardという人、アマゾンで見てもこの数年の間に非常に多くの作品をリリースし、精力的に活動しているのがわかるのですが、さらに深く、本人のホームページを見てみると、 小説作品のみならず、様々なグッズ販売などにも力を入れていることがわかります。多分カバー画含め、ビジュアル部分を自分ですべて担当しているのではないだろうから、そういうアーティスト的なところをオーガナイズできるような コネクションなどあるのだろうな。日本のコミケ・同人誌的なカルチャーと同じような、インディー・ホラー・カルチャーみたいなものの一端がうかがわれる感じ。
あちこちのインディー・ホラー・パブリッシャーが苦しい今のような状況では、こーゆーワンマンアーミーが暴れて、ジャンルを牽引して行くのだろうな、という感じ。

中編部門Daniel J. Volpeの『Plastic Monsters』。昨年第5回では長編・中編部門に作品がノミネートされたが、受賞は逃したDaniel J. Volpeが雪辱を果たす。自らの美に執着する女性と刑務所帰りの狂った医者というかなりヤバそうな話。
こちらも個人出版のDaniel J. Volpeのホームページを見に行ってみると、Beauregardほどではないけど、グッズ販売も行っている様子。こういうムーヴメントから新しいアーティストとかも 出てくるのかなとも思ったりする。

短編・短篇集部門は注目の新進女性作家Bridgett Nelsonによるデビュー作品集『A Bouquet of Viscera』と収録作「Jinx」。その後、今年になり2冊の中短篇集ぐらいなのかな、を同じく自費出版し、あちこちのアンソロジーでも活躍中。まだ長編はないようです。
著者写真を見ると、なんか名前出てこないお笑いの人にちょっと似た感じ。多分カラコン入れてて、目元修正疑惑も…って女性だけ容姿についてごちゃごちゃ言うなよ!でも結構大々的にフィーチャーしてるし。ちなみにBeauregardなんて自分とこでグッズ販売してる 泥棒マスク被っててツッコミ入れる気も起きんし、Volpeはつまんない帽子サングラスだし…、と思ったらアマゾンのやつ左右反転してある?素顔どんなかわかるかと思って画像検索してみたら、反対向きのやつが出てきて気付いたのだけど。幾多の難事件を 解決してきた名探偵オレじゃなきゃ見逃しちゃうね、ってやつ?もしかしたら彼女特定できるかも、と思ってサングラス拡大してみたら映ってたのお腹と下半身でした。多分車の中で格好いい感じに自撮りしたものと思われます、ってホラ、詳しく見て行くと 可哀そうな感じになってっちゃうじゃん!
Bridgett Nelsonさんのホームページはこちらです。

アンソロジー部門はFedowar Press発行D.W. Hitz及びCandace Nola編集による『Camp Slasher Lake, Volume 1』。本作に続き、昨年10月に『Volume 2』も出版されています。Fedowar Pressは、D.W. Hitzにより2020年に設立された ホラー系インディーパブリッシャー。D.W. Hitzによる作品と、その他の作家の作品、アンソロジーなどを精力的に発行しているところ。これからジャンルの中でそれなりの存在感を示してくるところになるかも。
ちなみにD.W. Hitz氏の著者写真は…、いや、もうそういうのやめた方がいいよ。

やはり少し勢いが落ちているのかも、という状況でも、きちんと調べてみれば、色々新しい動きも見えてくるし、何とかしてこれ読めないかな、という感じになってきますね。なんかハードボイルド/クライム方面でぎちぎちになっている読書スケジュールだけど、 何とかタイミング見て押し込めないかと。
まあそんな感じで相変わらずどうしてもホラージャンルは基本専門外となってしまう私ですが、なかなか日本に作品が翻訳される機会もないこのジャンルの、日本国内における継続にいくらかでもお役に立てたならと思います。
2023年はマッキンティ待望のショーン・ダフィ新作を始め、ハードボイルドジャンルでも大きな動きが見られているように、きっとこっちスプラッタパンクジャンルも活性化され、来年のSplatterpunk Awardは、また盛況を取り戻してくれるものと 期待しております。ではまた来年第7回のSplatterpunk Awardで。
という感じで、今回はコレになりましたが、次回は本当にアレになります。


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2023年8月8日火曜日

Matt Coyle / Yesterday's Echo -Rick Cahillシリーズ第1作!これは21世紀の??なのか??-

今回はMatt Coyle作『Yesterday’s Echo』。2013年より開始され、現在第10作まで出版されているRick Cahillシリーズの第1作です。
なんだかんだゆうても、特に昨今、10作まで続いているというシリーズはあまりなく、ある意味現在、2010~20年代を代表するシリーズぐらいの視点で考えるべきではないかと思っています。
近年のハードボイルドの特徴、というには少々例とするものが足りないかもしれないが、Alex SeguraのPete Fernandezや、 Joe CliffordのJay Porterなど、主人公が私立探偵になる前から始まるという傾向が あり、この主人公Rick Cahillも第1作の時点では私立探偵ではないところから始まっています。うーん、やっぱこれ現在の傾向として少し前のあたりから考えるべきかも、というあたりはまた考えるにして、とにかく現在を代表するのかもしれないRick Cahillシリーズ第1作『Yesterday’s Echo』です。

■Yesterday’s Echo

主人公Rick Cahillは元警官。かつてはサンタ・バーバラ警察に勤めていたが、8年前、妻が殺害されその容疑が自身にかかり退職することになる。証拠不十分などにより逮捕起訴は取り下げられたが、事件は未解決で、その後も彼を 犯人と疑う者は多い。事件の際はマスコミでも大きく報道され、苦しめられた。
警察を辞めた後は、故郷であるラ・ホーヤへ戻り、学生時代からの親友Thomas Muldoonの経営するレストランMuldoonの共同経営者となり、当地の資産家の息子であるThomasが、様々な冒険に走り回っている間、 店長として店を切り盛りしている。
既に亡くなっている彼の父親も、かつては警官だったが、汚職により警察を追われる形で退職している。

物語は彼が働くレストランMuldoonから始まる。この作品、各章の冒頭に四角い囲みで「Muldoon's」と入っており、それは場所というより主人公Rick Cahillの立場を示す意図のものらしいが、なんかはっきりしない。何故かと いうとこの第1作、最後に至るまですべての章の最初に入るのは、この「Muldoon's」だけだったりするので。

ある夜、Cahillはレストランでバーに座っている美しい黒髪の女性に目を惹かれる。
だが、こちらを見返してきたその眼差しの意味を判断する間もなく、レストランには厄介事が持ち上がる。

サン・ディエゴ市長の妻、Angela Albright。
見るからにしたたか酔っていて足元のおぼつかない彼女は、バーの入り口で誰に向けてでもなく呟く 。「彼は遅れてるようね。」
「市長ですか?」Cahillは彼女の腕を支えて、テーブル席へ案内する。
「いいえ、違うわ。彼なら今L.A.で資金と票集めに走り回ってるわ。」
彼女の夫は、現在カリフォルニア知事選へ打って出ようとしているところで、その妻が公共の場で泥酔状態を晒すのは好ましくない。何より彼ら夫妻はこの店の上客だ。
「彼は何処なの?」
「どなたですか?」
「悪魔よ!」
Angelaは席を立ち、バーから出て行きその途上でバッグの中身を落として行く。口紅、鍵、財布、携帯、そして分厚い封筒…。
顧客受付のKrisがそれらを拾い集め、手渡された後、Angelaは入り口のソファに座り込み泣き出してしまう。
Cahillは、タクシーを呼び、何とかAngelaを家へ送り届ける。

だが一つ問題を解決しても、レストランの仕事は終わらない。続いて女性用のトイレが故障しているとのクレーム。
そちらの対応に奮闘しているとき、Cahillは最初にバーで見かけた女性と行き交う。
市長の妻について話を振った来た彼女は、レポーターの類か?
彼女は自身をMelodyと紹介する。

しばらくの後、Cahillがバーを通りかかると、Melodyの隣には一人の男が座っていた。
スポーツコートの袖からのぞく腕の入れ墨から、刑務所帰りかと推測される、あまりこのレストランでは見かけないタイプ。
話してくる男に対して、Melodyはあまり居心地よさそうには見えないが、それはこちらが口出しする問題ではないだろう。

そしてまた、しばらくの後、レストランにはまた一人の客が現れる。
高級スーツを纏った体格の良い中年の男。入り口で迎えるCahillを無視し、バーへ進む。
その時、トイレからMelodyの隣にいた男が出てくるが、入ってきた男を目にすると、それを避けるように店から出て行く。
スーツの男は、まっすぐMelodyへと向かって行き肩に手をかける。
助けを求めるように、「まだ食事はできるかしら?」と問いかけてくるMelody。
Cahillは二人をレストランの席に案内し、メニューを手渡す。

彼らに飲み物を運んで行ったとき、Cahillはスーツの男から声を掛けられる。
「この店のオーナーは来ているかね?」
「私はこの店の共同経営者ですが。」と応えるCahill。
「それは妙だな。現在売却されているこの店の登記にはMuldoon氏の名前しかなかったがね。」
寝耳に水の話にCahillは言葉を失う。Muldoonを売却?
「まあもし職に困るようなら訪ねて来給え。」
男はCahillに名刺を渡す。そこには何の肩書もなく、Peter Stoneという名前と電話番号のみが記されていた。

突然のレストラン売却の話に衝撃を受けたCahillは、その場を別のウェイターに任せ、事務所へ戻る。
Thomas Muldoonへ電話をかけようという考えが頭をよぎるが、彼は現在確実に圏外のヨセミテの岩壁だ、と思い直す。
そうこうしているうちに、彼らを任せたウェーターがやってきて、彼らは食事をキャンセルして帰ると言っているが、と告げる。
出口へ向かったCahillは、精算を待つStoneが離れようとするMelodyの腕を強引に引き寄せているところに出くわす。
深く考える間もなく、CahillはStoneの手首をつかみ、ひねり上げる。解放されたMelodyは、出口から外へ逃げて行く。
「精々職探しに励むことだな。」捨て台詞を残し、立ち去るStone。

疑問と不安を抱えながら一日の仕事を終え、レストランを閉めて帰宅しようとしたCahill。
近くの暗がりに人影があることに気付く。Melody?
レザーコートを羽織り、靴はヒールからテニスシューズに替え、サンフランシスコ・ジャイアンツのベースボールキャップを目深に被ったMelody。顔には殴打の跡?
「大丈夫か?Stoneにやられたのか?」
彼女はそれを否定するが、誰かに追われているのでどこか安全なところに連れて行ってほしいと頼んでくる。
警察には行けない、と言うMelody。
疑問は多く、巻き込まれたくないという気持ちも強いが、明らかに不審なSUV車がうろつくのを見止め、彼女を自分の車に乗せる。

尾行車を何とか撒き、自宅へMelodyを連れ帰るCahill。いったいどういう事情なのかと問い詰める。
自分はチャンネル5のレポーターで、知事選を目指す市長の取材のために来た、と話すMelody。
顔は情報提供者とのいざこざで受けた傷だ、Stoneとは昔付き合いがあり、ここを久しぶりに訪れた機会に会ったが、あまり良い再会にはならなかった、と続けるMelody。
腑に落ちない部分は多かったが、その場の雰囲気や彼女の魅力に負け、彼女と関係を結ぶうちに話は曖昧なままになる。
明け方、彼女がベッドを出るのに気付いたがそのまま目をつぶり、出て行くに任せる。
翌朝、目覚め、彼女がいなくなっているのを確認し、少し安堵するCahill。
彼女が被っていたベースボールキャップのみが残されていた。

レストランへ出勤したCahill。開店早々に二人組の不審な男がやってくる。「女は何処だ?」
Stoneの配下らしき二人組は、その日は店にやった来たThomas Muldoonの協力で、無難に追い返せた。
レストラン売却の件で、Thomasを問い詰めるCahill。経営上の問題でやむを得ないというThomasだが、自身も出資しMuldoonを自身の店にしたいという希望を持つCahillに、一切の相談もなしに方針を決定した彼に 不満と不信を抱かざるを得ない。

Muldoonの件も大問題だが、それ以前に店に現れた二人組の様子から、Melodyの身がまず大きな心配となり、彼女が泊っていると思われるモーテルへ向かう。
Cahillが到着すると、そこは警察の現場保護テープで囲まれていた。殺人事件?
まずMelodyの身を案じたCahillだったが、被害者は男性。前夜、MelodyがStoneが現れる前に会っていた男だった。
その後、電話で警察に呼び出され、そこでCahillは彼自身が容疑者となっていることを知らされる。
現場には全く身に覚えのない、Cahillのものである、ベースボールキャップが残されていた…。


説明の都合上、三人称で書いたけど作中ではすべてRick Cahillの一人称で語られる。
まず主人公の特徴としては、非常に、というくらい「普通の男」だ。前述の通り元警察官であるのだけど、それすらあまり彼の行動に反映されて来ないぐらい。
とにかく、小説の主人公のように考えて行動しない一般大抵の人ならこうなっちゃうだろうな、という感じに、読んでる方としては、今家に帰るのまずいんじゃない?と思うようなところで普通に帰ったり、その後も明らかに怪しいMelodyにいいように振り回されたり。まあ一人称でひたすら事件に振り回されている状況という場合でもあるのだが、本来スポーツマンで、そこそこの腕っぷしもあるのも、いざというときまであまり感じられなかったり。
何かよく考えてそういう方向で作られた「普通の男」というよりは、自分が大きな事件やら災いに見き込まれる可能性とかさっぱり考えずに生きている、世間一般我々同様の感じの「普通の男」感。

物語はこの後、事情もわからないままMelodyを取り巻く殺人事件まで起こるような状況に巻き込まれた主人公Rick Cahillが全方向からひたすら追い詰められていくという方向で展開する。
まず警察に行っても、向こうは根本的にCahillという人物をよく思っていない。前述の通り、彼の妻を殺害したという容疑は完全には晴れていないし、彼の父親は当地の警察を好ましからざる状態で退職している。
職場であるレストランでは、本来味方であるはずのThomas Muldoonが一方的に売却話を進め、また、事件の容疑者としての追及やら、レストラン内で起きた事件がマスコミにすっぱ抜かれるなどで、店の信用も失墜し、従業員からの信頼も失い、居場所を失って行く。
自宅に帰れば、不法に押し入られ家探しされた形跡もあり、外を見れば常に監視の目が光っている。

この辺を読んでいて、まあそんなこと考えるのは私だけかもしれんが、ある不安が頭をよぎってくる。
まず前提として、私はこの作者Matt Coyleという人を全く知らない。そしてこのシリーズがそこそこ売れているということも、考えようによってはマイナスに動く可能性もある。
そしてこの主人公、とりあえずこれまでの生活、レストランの店長という立場を守ることに何よりも執着する行動。
もしかしてオレ、いまなんか間の抜けたお仕事ドラマの「店長が逮捕?お店の最大のピンチ!次回最終回15分拡大スペシャル!」みたいなもんを読まされてるんではないか?そして、人気女優さん演じるフロアマネージャー みたいなのがぼろぼろテレビ泣きして、なんか中学校の学級会レベルのこと叫んで、それに心動かされたみんなが奮起することで事態は改善し、店長の無罪につながる証拠が見つかり、警察も見方を変え、真犯人がつかまりみんな元通りで めでたしめでたし、ただし店長は、これを機にお店をもっと成長させるために武者修業の旅に出ることを決意し、みんなに見送られて空港から旅立って行く。「必ず世界一の店長になって帰ってくるぞ!」みたいなことになる もんを読まされているのではないか、という恐怖!
だが、皆の衆、安心されよ。そこまでひどいことにはならなかった…。

後半、そこまでに様々なものを失い、主人公Rick Cahillは生き残りぐらいのものを賭け、独自に手がかりの断片を追い捜査を始める。そして過去に隠された、冒頭の展開からも予想されるような、市長の選挙活動にも関わって行くことになる、暗い秘密を発見して行く。
そして、そこでそれまでに積み重ねられてきた、徹底的に追い詰められる「普通の男」、というストーリーが生きてくる。
殺人、彼を追い詰めた事件の証拠が次々と明らかになってきても、彼にはそれをどうすることもできない。これをどこへ持って行く?誰が信頼できる?もはやそんな相手は何処にもいない。
丁寧で読みやすくはあるが、特に文章表現などに突出したところがあるとは思えないMatt Coyleが、どこまでこれを意図的に仕込んだのかは、今ひとつわからない感じではある。
後半、そのような状況で、以前一時的に交際があり、いまだに好意を寄せてくれている女性を、少々の罪悪感を持ちながら度々頼るクズっぷりを見せるのだが、それももしかしたら作者の地なのかもと 思えて来たりもするのだが…。
いずれにしても、この作品は日本のお仕事ドラマレベルの登場人物たちにのみ都合のいいハッピーエンドでは終わらない。現代のハードボイルドの一つのスタイルともいえる、主人公=探偵が部外者でいることが 許されない苦い結末で終わる。そして、この作品中ではCahillの妻の殺害事件の真相などについてはまだ語られることはないが、なぜ彼がアリバイ証明などで身の潔白を立てられず、いまだに容疑者とされているのか の理由については彼の口から語られることとなる。それらもまた現代のハードボイルドの特徴を色濃く表したものだろう。
そして最後には、CahillがMuldoonの店長といった元の生活に戻ることはなく、私立探偵を始めたことが告げられ、物語は終わる。

このシリーズにはあのBrash Booksの創設者であるゴールドコンビの片割れ、ベストセラー作家リー・ゴールドバーグから、ロバート・B・パーカーとロス・マクドナルドのハードボイルドの後継者、という賛辞も 寄せられている。
…えっと、悪口?
まあ、レストランの店長を8年も務めたRick Cahillが、延々と飯の話を始める可能性は無きにしも非ずだが…。しかし、シリーズ出発時点で色々なものを背負ってるCahillが、日本の駄目親爺どもが大好きだった 「オレが言えないことを言ってくれる!これぞ男の生き様ハードボイルド!」の、マッチョ説教全開の初期スペンサーになることは少し考えにくそうな気はするがね。
だが、このRick Cahillシリーズがもし21世紀のスペンサーになるなら、それはそれで一つ押さえておかなければならんだろう。好き嫌いは別として、一時代を代表するシリーズであることは確かなのだから。 もしこのシリーズを日本に翻訳しようと考えているような出版社があるなら、念のために男の生き様を強く表した、バカボンの親父風「~なのだ」口調をお勧めしとくよ。
あー、あとロスマクもあんのか。うーん、とりあえずこの作品からはあんまりロスマク要素感じられないんだが?とりあえず、亡くなってる父親の問題とかあるので、もしかするとほらエディプス的?とか家族の問題的方向も 出てくんのかもね。あととりあえずこの第1作については、それほどナゾトキ的な方向ではないんだが、もしかすると先々、「遂に本格ミステリ(?)の謎解きを越え」たり、どこぞのこじつけ屋が「本格ミステリ(?)にしてハードボイルド」と言い出すような方向に退化して行くのかも…。

という感じで、なんとなく手放しではおススメできないという感じになっちゃったかもしれないが、うーん、少しマイナス方向で書きすぎたか?この第1作をちゃんと最後まで読めば、作者Matt Coyleがこのシリーズを決して温い方向ではなく、主人公Rick Cahillが常に厳しい状況で闘って行くものとして考えているのははっきりとわかる。このRick Cahillシリーズは、どういう形にせよ、この2010~20年代のハードボイルドをを何らかの形で代表するシリーズとなっているのは確実である。そういう方向でこれについては、少なくとも私だけはきちんと追って行かねば、と思っております。

■2010~20年代のハードボイルドについて

ここでこれからやって行きたいという方向も含めて、色々断片的には書いてきたりはしたけど、改めて2010~20年代のアメリカを中心としたハードボイルドについてまとめておこうと思う。本当は英国その他の動きというのも これらと不可分ではあるのだけど、またそれぞれのお国事情とかもあるんでとりあえずは置いといて。

また、大前提として自分はハードボイルド、ノワール、クライム、といった作品をジャンル内小ジャンルとしては区分けするが、大枠としてはすべてハードボイルドとして扱って行く。これについて話し始めるとかなり長くなるので、 ここではやらないが、歴史的に見てもこれらは不可分であり、これらを思い込みで別ジャンルとして扱おうとしてきたことに今日の多くの混乱があると思っている。ハードボイルドが男の生き様セニョール・ピンクになり果てたり、ノワールがサイコスリラー方向に誤解されてるみたいなこととかな。

最初にこの時期のこのジャンルの作家として、自分が最も重要だと思うあたりから明確にしておこう。
まず、ジョニー・ショーとJoe Clifford。ショーはJimmy Veeder Fiascoシリーズ、CliffordはJay Porterシリーズと、両者ともシリーズ作品を出していたが、残念ながら双方とも既に終了の様子。しかしながら、その後も 単発作品を出し続けている。ユーモアを含んだテンポのいい快作のショーと、自身ドラッグ中毒から復帰した経歴もありやや重めの作風のCliffordと、タイプは違うが、現在のこのジャンルで最も注目すべき作家であると 思う。というか以前から思ってて「未訳おススメ」を含めあちこちで書いているのだけど、ちゃんと作品紹介できてなくてスマン。今後もっとちゃんとやってきます。まずこっちでも未紹介のままのJay Porterは 一刻も早くちゃんと書かなければというところなのだが…。

続いてこれも何度も言ってるChris CherryシリーズのJ. Todd Scott。いろんな意味で重要なシリーズだと思っているんだが、まだ手つけてなくて申し訳ない。まずこれからかなあ?

そしてこちらも何度も言ってるEric Beetner。探偵・刑事などを主人公としたシリーズは今のところなく、クライムノヴェル方向なのだが、同時に注目していくべきこのジャンルの重要作家。Beetnerについては、最近 Down and OutからWolfpack Publishing傘下のRough Edge Pressに移籍していたのだけど気が付かなくて「未訳おススメ」のところが繋がってない状態がしばらく続いてて申し訳なかったす。さっき直したので…。 McGrawシリーズと、Lars & Shaineシリーズ、どちらもお得価格の合本になって再版されています。というか、Beetnerって昔から言っててすっかりやったような気分になってたけど、結局まだ一度もちゃんとやってないじゃん! Beetnerさん、色々ホントにごめん…。
初登場のRough Edge Pressだが、結構アクション方面力入れてそうで、もっとよく見とかなきゃというとこです。

この辺で日本でも翻訳あるやつに行っとくと、まず現在先頭を走っているS・A・コスビーに関しては、とりあえず最新刊も出るんだろうと思う。
続いて『シー・ライズ・ショットガン』(邦題野暮ったすぎてもう書くのやだ。ショットガンなんてエロ意味以外で普通に使ってるじゃん!)のジョーダン・ハーパーなんだが、新作出てるけどこのまま翻訳止まる可能性大かも。
『11月に去りし者』が結構評価良かったルー・バーニーだけど、未訳残したままだし、もうないかも…。

かつて当方で勝手に「新世代ハードボイルド」と期待したPolis Books勢だったのだが、Dave White、Alex Segura、Rob Hartら、いずれのシリーズも終了している。ちょっと今現在シリーズ物は出しにくい感じになってるのかも、とちょっと思ったりするが。Dave Whiteについては新作がないのだが、Alex Segura、Rob Hartについてはこちらもその後も単発作品は出ている。
Polisといえば、結局まだ手つけてないEryk Pruittがいたり、ジョニー・ショー、Joe Cliffordの単発作品も出てたりと、まだ要注目パブリッシャーなのだが、こちらももっとよく見て新しい作家探すべきかと思ってます。少しシリーズ物以外もよく見る感じで。

ここでRick CahillのOceanview Publishing。ここはJoe CliffordのJay Porter出てたりもするのだが、なんか結局いまだにその他にはRob LiningerのMortimer Angelぐらいしかチェックできてなくて申し訳ない。 Oceanviewに関してはホームページでシリーズカテゴリがあるくらいシリーズ物には力入れてるんで、またなんか見つかるかも、と思ってます。

そしてここでなんか割とお馴染みっぽいBrash Books。旧作復刻を主な使命としているBrashなのだが、やっぱ少々デジタルバブル後でパブリッシャーがポシャることも多く、行き場を無くした比較的新しい 作家作品なども登場してきている。Leo W. BanksのWhip Starkシリーズとか、2017年からで結構最近のもの。ゼロ年代ではHarry HunsickerのLee Henry Oswald三部作(2005-07)が最近登場。90年代からになると、日本でも最初だけ出たダグ・J・スワンソンの ジャック・フリッポや、マイクル・ストーンのストリーターもフルシリーズ再版されているので、その辺から現在につながるあたりを強化できるかというところ。Brash Booksに関しては、そういう作家の新作も出していたりするので、そういう意味でも 要注目ナリ。

むむむ…。なんかとりあえずやっとこうと思ったのですが、やってみると最近あまり積極的に新しいもん調べられてないかも、ぐらいの事実浮かび上がってきたり。またちょっとNeo Textあたりの勢いありそうなとこから知らない作家のを片っ端から読むぐらい始めた方がいいのかも。実際にはこうやって今思いつくのを上げてみたあたりでもきちんと追ってくのは大変だったりというぐらいなのですが。まあとりあえずこの辺であげたのは若干停滞しているところあるかもしれんけど、確実に今のもので、こういうところをちゃんと追って行くところから先も見えて来るもんなのだろうけど。
こんな感じで現代の、って辺りをちゃんと追いつつ、日本では出ない重要作家、ブルーウンやら、やっとやったジェームズ・リー・バークやら、スウィアジンスキーといったところも定期的に読んでいきたいというのが現在の方針です。あ、あと ジェイムズ・カルロス・ブレイクも。なんか抜けてるの山ほどありそうだな…。

なんか今年の暑さでかなりダウンしてしまい、どうしようもないんで数日休みにしてやっと復帰という感じで今回結構アップダウンあった感じかも。まあここからまた頑張ろう。次回はアレが来ます。



■Eric Beetner : McGrawシリーズ / Lars and Shaineシリーズ

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