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2024年8月22日木曜日

Adrian McKinty / The Detective Up Late

なんでこうなるかね。ホントに嫌になる。なんで支店コミックの方みたいに作品紹介に専念できないかね。
ハードボイルドジャンルの優れた作品について伝えようとすれば、どうしたって日本の間違いだらけ歪み切ったミステリ観、ハードボイルド観について言及して、これはそういうことじゃないんだよ、と言わなければ説明すらままならない。
あのさあ、これはオレのハードボイルド観が正しくて、あんたらのが間違ってるなんてレベルの問題じゃないわけ。連中は自身の大好きな古臭い「ミステリ」に執着しこのジャンルのこれまでの進化をまともに見てこなかった。過去の思い込みで 作られ、その後のジャンルの発展を見るのに妨げになるほどの「定義」を否定することすらしなかった。そんなやつらのハードボイルド観に一分ほどの正当性もないのなんて当然だろう。
前々回の最後にお伝えしたように、遂に連中は唯一信じられた翻訳ミステリというフィールドでも、小手先で三流作品にちょっとした箔をつけて売るための道具としてハードボイルドを殺し始めた。もうそれならこんなハードボイルドの名作を 日本に翻訳しようなどとは絶対に考えないでくれ。こんな国はこんな作品が翻訳されるには、全く値しない最底辺ミステリ後進国なんだよ!

まあそんなわけで、今回はAdrian McKinty、待望のSean Duffyシリーズ第7作『The Detective Up Late』です。あー、このシリーズが第6作まで日本で翻訳されてるのは承知ですが、なんかもう「このシリーズには興味はないが、海外でも人気のシリーズらしいので ミステリ教養として続きを知っておきたい」などと傲慢の極みを言ってはばからないような勘違いミステリご意見番気取り屑野郎に検索されにくいよう、逆SEO対策として、作者名、タイトル、キャラクター名は全て英語表記のままやって行きます。 心当たりのあるやつは今のうちに帰った方がいいよ。この後もおめーらみたいのとことん罵倒続けてくから。

さて2023年に発表されたこの『The Detective Up Late』だが、2017年の前作第6作『Police at the Station and They Don't Look Friendly』から6年の間が空いている。このブランクの理由について、ここでまあ正確と思われるところを書いておきたい。 これまで日本では、ミステリ評論家の馬鹿さ加減と出版社の無能によりかなり混乱した出鱈目になっており、そのこともずいぶん批判したのだが、もう面倒臭いんでそっちについては無視し、正しいところだけを書いておく。
2017年、McKintyは同年のエドガーを始めとする各賞受賞の絶頂期に突如「労働の対価に見合わん」として作家活動をやめることを宣言する。これについてはまあ当然詳しく語られることも無かろうが、状況から見て収入面でのエージェント、出版社という あたりとのトラブルであろう。その後ドン・ウィンズロウなどの助言・援助もあり、作家業に復帰し、2019年には新作『The Chain』が出版される。だが、Sean Duffyシリーズについては、以前の出版社との契約期間が残っていたり、その後の 新型コロナ状況などが重なり出版が遅れ、6年を経た昨年にやっと出版ということになった次第。実際のところは2019年頃だったかには作品自体は完成し、常に出版待ち状態であったことが本人のSNSによって語られていた。
こうして2023年8月、遂に出版された『The Detective Up Late』だが、何しろ世界最注目、待望のシリーズ新刊の出版ということで、アメリカでもっとも稼げる販売方法が取られ、最初はハードカバー版とオーディオ版のみの販売。さすがに アメリカのハードカバー、X-Boxサイズ重量のもんを腹の上に載せてみたいな読書スタイルは勘弁ということで、ペーパーバック版の出版を待ったところ、これも結構かかり今年の5月発売が今年の初めごろに発表され、割と早く予約注文したはずだが 結局1か月遅れで届き、ただちに読み始めたというところで現在に至る。一番のお勧めは電子書籍版だが、ペーパーバック版である程度稼いでからってことで、まだしばらく先かもね。

いかなる馬鹿げた追加オプションも不要で現代ハードボイルドを代表するこのシリーズだが、日本の翻訳ミステリ業界の痴呆化、幼児退行によりその程度のことも認識されていない状況と、まだ帰らない馬鹿を追っ払うため、まずここでそこのところを明確に 書いておこう。つーかさ、そのへんのこと考えるとあまりに馬鹿すぎて罵倒することがいくつも出てきて、まーた長くなりそう。今回は説教→本文作品紹介→説教の、ロマンポルシェ。スタイルになります。

まずハードボイルドということ。当方では、ハメット、チャンドラーといったあたりを起源とするクライム、ノワールと称されるような作品を含むジャンルの総称をハードボイルドと呼んでいる。呼び名についてはどうでもいいんだが、今更ハメット、 チャンドラーを別ジャンルで呼べないだろぐらいのところで。
そしてその中には「ハードボイルド」と呼ばれるスタイルの小説ジャンルも当然含まれている。ここでは混乱のないように括弧つきで表すこととする。
自分は何もその大枠のハードボイルドを押し付けているわけではなく、もちろんここで書いているのは「ハードボイルド」のことだ。
だがその「ハードボイルド」は単独で切り離すことはできず、常に大枠のハードボイルドの中で他ジャンルに分類されるような作品からも影響を受けている。この大枠に属する作家にとっては、基本的には自分の資質によってそういったキャラクターを 立てたシリーズを書くか、スタンドアローンの犯罪小説作品を書くかの違いしかない。

現代の「ハードボイルド」を理解するには、この大枠のハードボイルドの中で見て行く以外の方法はない。
ハードボイルドの歴史を大雑把に見ると、そもそもの起源が犯罪実話誌、犯罪実話とフィクションが同時掲載されているような雑誌だったらしいところから、「ハードボイルド」とクライム作品は同居関係にあったのだろう。そこにハメットに続き、 チャンドラーの登場。更にスピレイン/マイク・ハマーの登場により、ジャンルは通俗的な犯人当てをメインとした探偵小説型「ハードボイルド」と、犯罪小説に分かれる。
マイク・ハマーにより明確に分かれたように見えるジャンルだが、実はチャンドラー以後ぐらいの時点でジャンル内のシリアスな作家は、もはや終わっているリアリティのない謎解き犯人当てよりも、複雑な人間ドラマを描ける犯罪小説といった方向に傾倒して 行ったのかもしれないことは、80年代にそれらのジャンルを復刻したBlack Lizardにも現れているだろう。
その犯罪小説の中ではウェストレイクやローレンス・ブロックといった後の時代に大きく影響を与える作家も登場して来るが、そこで60年代中盤に新たな「ハードボイルド」を打ち出してジャンルを大きく動かしたのがジョン・D・マクドナルドの トラヴィス・マッギー。
免許を持った私立探偵でもなく、様々な社会・文化批評的なモノローグが挟まれる自由なスタイルは、商業的な成功による市場拡大も相まって、70年代に入り時代的空気にも影響された形の多くの追随者、日本ではネオハードボイルドと呼ばれている 新たな「ハードボイルド」の作家を産み出す。その時代にはその後ジャンルに大きな影響を与えるジェイムズ・クラムリーも登場する。
80年代に入ってからはネオハードボイルドの上にオーソドックスな形に回帰したとも言えるようなタイプの私立探偵型「ハードボイルド」がローレン・D・エスルマンらによって書かれる一方で、犯罪小説では先に書いたBlack Lizardによる埋もれた名作の 発掘、エルモア・レナードという作家の「発見」、そして狂犬ジェイムズ・エルロイの登場がジャンル全体を大きく動かす。
そうして形作られたジャンルの影響下に、現在も活躍するジェイムズ・リー・バーク、ジョー・R・ランズデール、ウィンズロウ、コナリー、ルヘインといった新たな「ハードボイルド」作家が登場してくるわけだ。

そして世紀の変わり目、アイルランドから恐るべき作家がこのジャンルに参戦して来る。それがケン・ブルーウン。現代文学というあたりのベースの上にこのジャンルの全てを乗せ、誰も思いつかなかったような衝撃的な「ハードボイルド」の正解を出してくる。 同様にその当時の現代文学みたいなところを根っこに持ってたクラムリーと比較すると、20世紀後半文学の変遷って辺りもシンクロしてるとも見える。主人公が事件を解決しなくても、物語の最後に解決されてりゃいいだろ、そっちの方が面白いしな、と平然と 阿呆どもがしがみついていた「ミステリ」の土台部分もぶっ壊す過激な作風。日本のミステリ業界・読者はアホ過ぎて理解できず、失敗ミステリ作品かなんかと思い込み「事件が勝手に解決されてる(半笑)」と無視し翻訳も早々に打ち切られるわけだがね。
「私にはブルーウンがそれほどの作家とは思えないが(半笑)」って?あーそりゃお前が馬鹿だからだよ。そういう言い草に同意する人数で多数決で勝てるからと思って言ってる時点で、「よみにくい」児童と大差ないレベルの馬鹿だから。
だがブルーウンという作家はあまりにも突出しすぎていた。この先の「ハードボイルド」がどう進むのかも想像できないぐらいに。そこにその先の「ハードボイルド」を一歩踏み出せたのが、同じくアイルランド出身のAdrian McKintyというわけだ。
このAdrian McKinty/Sean Duffyこそが正真正銘、正統の「ハードボイルド」なのだ。

だが日本の「ミステリ」ってところはこれを決して理解しない。それはミステリ=犯人当て型という考えに固執するあまり、連中がその他ミステリ以外に分類していた作品群を同等にミステリと認識することができず、ハードボイルドの流れを見失ったから。 その結果ケン・ブルーウンすら理解できなかったから。傲慢極まりないクソ馬鹿集団だったからだ!
当方でハードボイルドの日本での見方を捻じ曲げた定義として批判している「本格ハードボイルド」ってやつだが、どう見たってその後のハードボイルドに噛み合わないこれがなぜこうも長く残っていたのだろうかと考え、結局どこにでもある先人の 意見に逆らえないとという類いかと思ってたのだけど、なんかオレ優しすぎたな。
なぜ「本格ハードボイルド」がかくも長く保存されたか?それは連中に都合がよかったからだ。
まず第一に、ミステリのお勉強段階で、これを読めばハードボイルドがわかる、というものがあるのが好都合だったから。そして第二に、それが連中の理解できる連中の考える「ミステリ」型だったからだ。
連中の考えるハードボイルドは、犯人当て型のミステリで主人公探偵がハードボイルド型というもの。次々に進化して姿を変えて行くハードボイルドの中で、そういう連中に理解できる「ミステリ」型をしていたのは本当に初期の「ミステリ」からハードボイルド へと進化する過程の「本格ハードボイルド」指定作品ぐらいだったからだ。
上に長々と書いたハードボイルドの歴史を見れば、ハードボイルドがフィリップ・マーロウのようなキャラクターを作りたいとか、格好いいセリフのやり取りを書きたい、「ハードボイルド精神」のミステリーを作りたいなどという方向で進化してきたものではないのは 一目瞭然だろう。まあどの作家がどんな作品を書いたかわからないレベルでは無理かもしれんが…。たとえ日本のガラミス内でそんな形のものがあったとしても、本物の「ハードボイルド」の中ではそんなこと起こってねーんだよ。
ハードボイルドは犯罪という社会の一面をいかに描くかという方向で試行錯誤を重ね進化してきた。ハードボイルドというキャラ属性を持つキャラクターを主人公とする謎解き犯人当てミステリーなどという解釈では、その本質も何も絶対に理解することなど できない。
最初期のもの、オリジナルのものにその本質、全てがある?利いた風なことを言って格好つけてんじゃねーよ。そういうことはその歴史をきちんと俯瞰できる者が初めて言える言葉だ。安直にそこだけ読んでわかったつもりになってるやつに そんな資格はねえ。まあ以上の説明から、ハードボイルドといえばハメット、チャンドラーと言ってれば済むと思ってる奴がどれほどハードボイルドを分かってない知ったかぶり初心者インチキ野郎だかお分かりいただけたろう。あちこちの野良レビュー ページを見て、やれやれと嗤ってやってくれや。

『Police at the Station and They Don't Look Friendly』の翻訳版の「解説」で法月綸太郎は、成熟と安定によりこのシリーズは一匹狼のハードボイルド路線から警察小説へ変わる、などという見当違いも甚だしい自論を並べ立てている。
こういうものが日本のハードボイルド誤解の見本のようなものだ。犯人当てミステリの中にハードボイルド属性キャラがいるというような見方から離れられないからこのような頓珍漢な解釈が出てくる。
まず明確にしておきたいのは、これは警察官が主人公の「ハードボイルド」小説であるということ。警察ハードボイルド=ハードボイルド風警察小説などというものではない。
「ハードボイルド」の主人公が警察官から私立探偵に転職する、またはその逆、スパイに転職するなどの例はある。だが「ハードボイルド」小説が警察小説に変わったなどという例はない。お前らの見当違いの思い込み以外では。
もちろんこの続きの第7作『The Detective Up Late』ではそんなことは一切起こらないが、こじつけてそういうことにする馬鹿って必ずいるんだろうな。

「警察小説」。ミステリ業界便利用語。警察官が主人公なら、誰からも文句を言われないだけの無難なジャンル設定。こうして日本ではSean Duffyは、編集者・ミステリ評論家という「専門家」により、間違ってない・誰からも文句を言われないだけの 都合で、無難で謎解き解釈しやすい曖昧な形のジャンルに放り込まれるわけだ。
ホント見れば見るほどむかつく警察小説+ノワール。警察小説ノワール風味、ノワール味、ピリ辛ノワールマヨネーズ付き!
日本でノワールという言葉が使われ始めたのは、あんまり正確には分からんけど90年代ぐらいのハードボイルドジャンルにBlack Lizard、エルロイの旋風が吹き荒れた時期に対応しているはずだ。そしてその後のジャンル内作品、「ハードボイルド」は 多かれ少なかれその「ノワール」の影響を受けている。現在のハードボイルドジャンル作品全てが+ノワールであることなんて当たり前なんだよ。
アタマ悪くて帯に書く文言も思いつかねえなら無しで出せよ!言ってる奴、書いてる奴がフンイキ~以上に「ノワール」なんて全く理解してねえレベルなのも自明だしな。

編集者・評論家の馬鹿さ加減により日本で大変不幸な紹介をされたAdrian McKinty/Sean Duffyシリーズだが、ある意味それは実際の翻訳が始まる以前に決定されていたとも言える。
日本にAdrian McKintyの名前が入ってきたのは、彼がガーディアン紙に密室トリックミステリベストいくつだかのエッセイを書き、その中に日本の島田荘司の作品が含まれていたというところから。
Sean Duffyシリーズの「解説」の並び見りゃ、馬鹿編集者がこのシリーズを本気でJミス内にしか存在しないミステリジャンル「本格ミステリ」ってところにすり合わせることしか考えてなかったことがよくわかるわ。
ホント絶望的やね。この国にDuffyシリーズがまともに紹介される余地なんて、最初から無かったんだよ。

この国のやってることってさ、いつも同じなんだよ。
本当にあったことだからスゴイ、作者が自分で体験したことだからスゴイ、みたいな世の中の安直で一番頭悪い層の上に胡坐をかいた私小説至上主義。
ミステリなんてものについて深く考えることなくクイズ小説レベルで読んでる底辺読者層の上に胡坐をかいた、あたかも謎解きを知的な学問のように思いこむ「本格ミステリ」カルト。
こんなハードボイルド観、ミステリ観なんてこんな辺境のブログで頭のおかしいレベルのやつが言ってるうちは無視できるけど、これがもしある程度の勢力になるような事があったとすれば(あり得ないけどな)、「そんなミステリは認められない!」と涙まで流してJミス謎解き犯人当て型の正しさをゴリ押ししてくる奴も現れるのが当然のこの国。いつものことだよねえ。
こんな国にAdrian McKinty/Sean Duffyが、巻末をバカ評論家がいつか自分の本を出すために好き勝手に書いた無駄に長ったらしい見当違いの「評論」発表のフリースペースに使われ、著作「改変」ぐらいに歪められた形で、バカ編集者が無い知恵絞って もう誰からも文句を言われないぐらいが精一杯の見当違いのコピーを乗っけたバカ丸出し帯まで巻かれて出される価値あんの?
作品の熱心なファンから、どうか頼むから出版しないでくれ!、と懇願されるのがこの国の翻訳ミステリ業界の実状なんだよ。

というところでこのまま作品紹介に雪崩れ込みます。いつもならhタイトルつけてわかりやすくするんだけど、都合よく飛ばして読めばいいと思ってるご意見番気取り類いの連中への嫌がらせとしてわかりにくくしました。
ハードボイルドを本当に愛する人たちにはとっくに了解済みの話ばかりなんで、飛ばして読んでもらって一向に構いませんが、ご意見番気取りにはこれからはハメット、チャンドラーだけで流そうとすれば知ったかぶり初心者として笑いものになるかもよ という重要な情報も含まれているので、読んどいたほうがいいよ。

Prelude in E-flat Major: Sean Duffy, Year Zero
その真冬の夜、Duffyは北アイルランド、リバー・ラガンに浮かぶボートの上にいた。
捜索対象はクィーンズ・ブリッジの上をうろついているのを最後に目撃された少女。今はどこにもいない。
一緒にボートの上で凍えているのはCathcart巡査。「寒いです。もう戻っていいんじゃないですか?」
DuffyとCathcartは同じ階級だが、Duffyの方が先輩なので彼に伺いを立てなければ行動できない。
「寒いなら、フードを被るといい」Cathcartは従い、捜索は続く。

Duffyの頭の中ではワーグナーの『ラインの黄金』序奏変ホ長調が流れている。
そしてフォン・カラヤンのヴァージョンへ。対位法の中の緊張。ワーグナーがハイネとの関係の中で隠した愛憎。愛:詩を愛さざるを得ないがゆえに。憎:ハイネがユダヤ人であるがゆえに。

「もう一時間になりますよ。もう充分じゃないんですか?パーティーもあるんだし」とCathcart。
パーティー?何のパーティーだ?こいつ何を話してるんだ?
「一時間は充分じゃない。真面目にやらんと巡査部長に文句を言われるぞ」
「巡査部長は、小さなお人形が橋から身投げしたかしないかなんてこと気にしちゃいませんよ。俺たちはButchers事件っていう早く揚げなきゃならないデカい魚を抱えてるんですから」
奴の言い分は正しい、もちろん。現在署が一丸となって取り組んでいるのはその事件だ。Shankill Butchers -愛国主義者デスカルト。すでに20人以上が無差別に殺されている。犠牲者のほぼすべてがカソリック。路上から引き摺り出され、 ブッチャーナイフと肉きり大包丁で叩き切られる。

Duffyも諦めCathcartと共にボートを岸に戻す。年長の警官に成果がなかったことを報告し、歩いて署に戻る。そしてO'Neill巡査部長にも同様の報告。
「時間の無駄だったな。警察の仕事は優先度に関わるものだと憶えておけ、Duffy。まて、装備を降ろすな。すぐに向かわなきゃならんところがある」
O'Neillに連れられ、Duffyは次の事件現場へ向かう。遺体のあるモンタギュー・ストリートへ。
被害者は看護婦研修生。胸と背に19か所の切り付けられた傷。
「まずレイプされ、それからButchersの新たな餌食の仲間入りだ」O'Neillが言う。
彼女の衣服ははぎ取られ、内臓が引き摺り出されていた。ジンジャーの髪に優し気な顔。きっと素晴らしい看護婦になれただろう。

DuffyはO'Neillと共に現場保存の作業に努める。そこに担当刑事がTVクルーを引き連れ現れる。
「彼女はカソリックだな、もちろん。左手にロザリーを握りしめていた」煙草休憩で現場から離れたO'NeilがDuffyに言う。
無言で頷くDuffy。
「ずいぶん疲れてるようだな。もう署に戻れ。ボスがお前に話があると言ってたから、それを聞いたら帰って寝るんだ。わかったな?」Duffyの様子を見て、そう告げるO'Neill。

徒歩で署へ戻ったDuffy。階段を上り、署長室へ。
署長は手を伸ばし、彼を迎える。「おめでとう、Sean」
わけも分からず署長と握手するDuffy。「何についてですか?」
そしてDuffyは巡査部長への昇進を告げられる。

下の階へ戻り、窓の防弾ガラスに雨が叩きつけるロッカールームで制服から着替えるDuffy。
巡査部長だって?俺自身のチームだって?多分今、俺は何かをやり遂げたんだろう。
「こんな天気の中どこへ行くんだ?家に帰るんならいいんだが」受付を通る時に声が掛かる。
「一つやり残したことがあったんだ。Keelay夫人に何も見つけられなかったことを話してこなきゃ」
「娘が見つからなかったことを知らせに行くのか?彼女は喜ばんだろう」
「彼女に捜査が継続中であることを伝えておく」
「俺たちには今、殺された看護婦の件があるんだ。誰も家出した女の子に構ってられんぞ」
それでもDuffyは徒歩でKeelay夫人の家へと向かう。

ノックに応え現れたのは夫人ではなく、彼女の夫で行方不明の少女の父親である男。
捜査状況を話すDuffyに、あいつを見つけたら帰ってきたらケツを叩くと伝えとけ、と言う。
続いて出て来た夫人に、橋の上に彼女がいるのを見た者はいるが、飛び降りたのを見た者はいませんと伝え、少し安堵した様子を見るが、夫はDuffyもいる前で、警察に通報した事を不快に思う様子を見せる。
このまま帰ることが正しいと思いつつ、Duffyは家の中に一歩踏み込み、背後のドアを閉める。

「あんたワーグナーは好きかい?」
「何だと?」
「ワーグナーに多大な影響を与えたのは詩人ハイネだったが、ハイネがユダヤ人であったがゆえ、彼はそれを決して認めることができなかった。シューベルトも同じく彼が好きだった。両者はハイネの詩「ローレライ」に影響を受けた。 "私には分からない、何がこうさせるのか、私がこのように悲しいのか。(日本語訳GFDL)"」
「アタマおかしいのか、ホモ野郎?」
「いいや、俺は悲しんでいるんだ。厄介事に悲しんでいる。この街の女性の扱い方に悲しんでいる。妻を殴り、娘を殴り、誰も証言しないために罰せられない悪党に悲しんでいるんだ。それで俺が何を考えてるかわかるかい?」
「お前何考えてるんだ?」男は唸り、顔は怒りのため紫に変わる。
Duffyは拳銃を抜き出し、男の頭に向ける。
「お前がいない方がみんなよりまともに暮らせると思ってる」そして囁く。「世界はお前がいない方がまともになると思ってる。お前がいなくなっても誰ひとり悲しまないと思ってる。あんたどう思う?」
男は恐怖に膝をつき、泣き始める。
Duffyは銃をホルスターに戻し、玄関のドアを開けて言う。「お前には目を付けてるからな、Keelay。keelay夫人やKeelay嬢にこれ以上のあざが見つかるようなら、お前の家のドアをノックする。わかったな?」

外に出て、車の窓に映った自分を見て自問するDuffy。
なんてこったDuffy、お前はこんな刑事になるのか?力による堕落?もちろん、だが堕落するのが早すぎやしないか?

歩いて署に戻ると、全員がパーティーハットを被り、カズーを吹いていた。何のパーティーだ?誰かの誕生日か?俺の昇進ビックリ祝いか?
「新年さ。1980年1月1日だ」
「ハッピーニューイヤー!80年代は70年代より良くなるといいわね」
O'Neil巡査部長がそれを受けて苦笑いを浮かべて言う「まあ、それは確実に…」
言うなよ!不運を呼び込むのはやめてくれ!
「これより悪くなることなんてないさ、そうだろう?」

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「Sean…、Sean…」
そしてDuffyは、Bethの声により10年前の回想から呼び戻される。
「今何時だ?」
「真夜中1分前よ」
Duffyは聖地エルサレムで、1990年の新年を待っていた。

というわけで以上が、冒頭、また何かやらかして遂に平巡査まで格下げされたかと一瞬思わせるプロローグ、実は10年前1979年の大晦日のDuffyを描いた「Sean Duffy, Year Zero」。
プロローグあまり省略できず、本編はここからなのだが、このペースだと事件までたどり着くのも大変なので、大幅に省略しながらあらすじで進む。そういう事件以外の部分もあってのDuffyシリーズなのだけど難しいな。
なお、そちらに出てくるShankill Butchers事件は実際に起こった事件で、23人の犠牲者を出し、そのメンバーのほとんどが宗派間抗争で死亡するという結末に終わったそう。

Duffyがなぜエルサレムにいるかというと、義父であるBethの父に誘われた、というより強制的に参加させられた結果。
義父の教会内グループでは、暦の関係でその1990年の新年が本当の2000年ミレニアムであるという説に基づき、そこで起こることを見届けるという目的でエルサレムへのツアーが組まれていた。
だがもちろんのこと何も起こらず、DuffyとBethは年明け早々にその日の帰国に備えてホテルに戻る。
ホテルの電話にはMcCrabban -Crabbieからのメッセージが残っていた。簡単な近況報告と挨拶程度のものだが、現在届いている失踪人捜索願いの扱いをどうするかの決定が欲しいとのこと。
折り返し電話を掛けたDuffyは、Crabbieから捜索願いの詳細を聞く。失踪したのは15歳のジプシーの少女、Kat McAtamney。これまでにも家出の前歴もあり、警部は何もする必要はないと言っている。
失踪したジプシーなんかに構うものはいない?「俺が構う、Crabbie」
「あんたならそういうと思ってたんで、Lawsonにも調べとくように言っときましたぜ」
DuffyとCrabbieは、あと一週間のうちにフルタイムの勤務を終了し、後は月7日のパートタイムとなる。これが最後の事件だ。
「Duffy's Last Case」はこうして始まる。

原文ではTinker、Travellersとなってるんだが、日本的にこの呼称は広まってないので、ケン・ブルーウン『The Killing of the Tinkers』に倣いジプシーに統一した。原文にはジプシーという呼び方はほとんど出てこなくて基本的には前の二つではあるのだけど。 もしかしたら日本的にももうジプシーでもわからなくなってるのかもしれないけど。

朝8時の便で帰国したDuffyは、まずBethと共に自宅へ。スコットランドへの引っ越し準備中の自宅では、Duffyの両親が娘Emmaの面倒を見てくれている。
娘と再会し、両親と挨拶程度の会話を交わした後、Duffyは署へ向かう。

署に到着し、もうすぐLawsonに引き渡すこととなるデスクの片付けなどしていると、まずやって来たのは前作からも登場している宿敵Dalziel。前作後半では危うく上司になられてしまうところだったが、John Strongの件でDuffyも昇格し、現在は同じ 警部補。
彼らの部署の金の使い方についてねちねちと絡んでくるが、適当に追い払う。引き継ぐLawsonにも面倒を掛けることになりそうだが、John Strongの件による上層部との繋がりがあればさほど問題はないだろう。
そしてLawsoonが入来。挨拶と直近の報告の後、Kat McAtamneyの件に取り掛かる。
だが渡されたファイルにあるのは、署の女性巡査による簡単な聞き取りのみ。
DuffyはLawsonを引き連れ、通報者であるKatの母親に、直接詳しく話を聞くために出掛けて行く。

Katの母親に会うため、ジプシーのキャンプを訪れたDuffyとLawsonは、彼女から二つの手掛かりとなりそうな情報を得る。
ひとつはキャンプからほど近いパブ、Tourist Inn。そしてもうひとつは彼女が頻繁に会い、マリファナを入手していたと思しきカメラマンJordy Hardcastle。

キャンプからTourist Innに向かったDuffyとLawsonは、そこでKatが複数の年上の男性と待ち合わせをしていたという情報を得る。
それは明らかに彼女が売春をしていたことを表す。だが、待ち合わせのみでバーの常連客というわけでもないそれらの男性をバーテンダーが特定することもできない。

一旦署に戻りCrabbieを加えた三人でカメラマンJordy Hardcastleのスタジオ兼住居へと向かう。
Hardcastleは、Katはモデルになりたがっており、少々の仕事を紹介したが、見映えとしては問題ないが身長が足りない彼女には、本格的なモデルになれる可能性はないと話したと答える。
如何にも疑わしい人物ではあるが、Katの失踪に関係していると思われるところも見つからず、捜査はここで行き詰まる。

そしてDuffyのスコットランドへの引っ越しの日がやって来る。
コロネーションロードの家は、売却が済むまでのしばらくの間Duffyのこちらに滞在中の住居となるため、選んだレコードなどのいくつかの荷物が残され、一家はスコットランドへと向かう。
北アイルランド⇔スコットランドにはフェリーが使われ、この後のDuffyの生活は、スコットランドの新居に帰る時はこのフェリーを使い、帰らない日はコロネーションロードの元の家に独りで泊まるという形になる。

スコットランドへの引っ越しが無事に終わり、翌朝DuffyがCarrickfergusへ戻ると、LawsonがDVA(Driving & Vehicle Agency)のリストからKatが年齢を偽り運転免許を取得していたことを発見していた。
そこから交通違反記録を辿り、Katが白のフォード・エスコートを運転していたことが探り出される。更にその車は別のジプシーキャンプで車と馬を販売している知り合いの男からKatが購入したものであることも判明する。
Katの車の情報は各方面に向けて手配される。そしてその晩、コロネーションロードの家に泊まったDuffyの許へ連絡が入る。
バン川にKatの車が水没しているのを、釣りに来た二人の少年が発見した。

直ちに現場へ向かい、Crabbie、Lawsonと合流する。
車が引き上げられるのを待つ間、Duffyは川へ向かう二列のタイヤ痕の間、中央に靴跡が残っているのに気付く。何者かが車を押したのか?
引き上げられた車中にKatの遺体や、何らかの事件の発生を示すものは見つからなかった。車内でKatが死亡していたにしても、おそらくは遺体は流され発見の見込みはないだろう。
ここから事件は失踪人捜索から、遺体のないまま殺人事件捜査へと変わる。

その後、同じ少年たちにより、川沿いの岸にKatが着用していたジャケットが発見される。
ポケットに残されていた、濡れてほとんど判読不能になっていた手帳から、三人の男性の名前と電話番号が見つかる。
そして容疑者はこの三人へと絞られて行く…。


かなり端折ったが、これで大体半分ぐらい。まあ普通は3分の1やもっと短くてもいいんだけど、これについてはフーダニットの形になるところまでは紹介せんと始まらんだろうということで。
大きく省略したのは、やはり仕事以外の家族とのシーンか。
序盤からは、両親とのやり取りなど。特に父親とのところは面白く、ちょっとがっかりする感じで、この親にしてこの子ありを思い知らされるところとか。
スコットランドへの引っ越し、新居などについても全くぐらい書けなかったけど、赤ちゃんから幼児になって行く娘Emmaとのやり取りやら、わけもわからないまま連れて来られて困惑する猫Jetへの申し訳なさげな視線など。
仕事の方では、ヨルダン川で汲んできた「聖水」をみんなに渡そうとするのだが、誰ももらってくれない。
パブに聞き込みに行くシーンで、マーロウを気どりギムレットを注文するが、誰も感心してくれないというシーンもあり。
その他、前半部分では少しだが、前作からのJohn Strongの件。二重スパイとなり疑心暗鬼で脅え、Duffyのみを頼りとするStrongの様子。
この事件を最後に捜査課を去り、後を任せるLawsonへの思いも随所に描かれる。

物語はまず、ワーグナーの『ラインの黄金』序奏変ホ長調から始まる。
ここで繰り返し語られるワーグナーの矛盾は、作品全体のテーマとも言えるところだが、全9作で終わる結末へ向けての序奏の意味も込められているのかもしれない。
なーんかここをインテリジェンス誇示ポイントと見て得々と語り出す俗物もいそうだが、前作でのアルヴォ・ぺルトでホモ疑惑同様、そういう連中に軽く足払いを掛けるトラップとしても「効果的に使われている」ので。まあその手の救いがたい俗物ってのはそれすら気付かないんだなって知らされたけど。

そして今作ではフーダニットが使われるんだが、7作目でこれが来たところでMcKintyの意図がはっきり見えてくる。
日本に入ってきたときからそればっかり話題にされていた密室トリックのようなクラシックネタ。こういう昔懐かしミステリが取り入れられているのは1、3、5、7の奇数作だということ。
2作目あたり見ようによってはそれにこじつけられるのかもしれんが、4、6作に至ってはそんなの入ってなことは明白だろう。
ということは次は最終作第9作ということになるのだが、最後にそんな遊び入れるかねと思っていたところで、あーもしかしたらこれかもというあるネタを思いついた。当たってたとしたら重大なネタバレになるので第9作出たところでも言えないだろうが、 外れてたら発表します。まあ早くても3年後ぐらいだろうけど。

あんまりそういった深読みみたいなのはしたくないんでこれまで書かなかったけど、日本では未来永劫ぐらいにこういうこと言う奴現れないと思うのでここに敢えて書いておく。
このDuffyシリーズでのMcKintyの「ミステリ」に対するある種のこだわりの背景には、やはり偉大な先達であるケン・ブルーウンの存在があったのではないかということ。
前から書いているようにミステリを破壊するぐらいの手法を使ったブルーウンに対し、当然その先を期待される立場にあるMcKintyが出してくる手としての「ミステリ」への回帰的手法であることは最も想像されるところだろう。
まあ日本じゃ「本格ミステリ」の素晴らしさに目覚めこれから安定と成熟かなんかでその方向に向かうと思い込んでるようなもんもいるのか知らんけど、これほど多才な作家にとっては一つの手でしかないからね。

この作品における、Duffyがジプシーの少女失踪事件にのめり込む理由は、まずプロローグの「Sean Duffy, Year Zero」からも明白だ。
そしてそれは、これが自身にとっての最後の事件となることで彼自身の中ではより強くなっていることも想像できる。
だがDuffyは、客観的に見れば様々な段階で諦めることが正しいと思われるこの事件をゴリ押しで進めて行くことについて、自身のその思いをCrabbie、Lowsonに向かってのみではなく、一人称で語っている読者に向けてさえ強く語ることはない。
それはこの作品がハードボイルド小説だからだ。
なーんかミステリお勉強の段階で、ハードボイルドの説明に「非情、感情を殺した表現」みたいなことが書いてあるのを読んで、安直にハメットのキャラクターの感情の読めなさぐらいに納得してたもんも多いんじゃない?
だからそれはこういうことだ。Sean Duffyの一人称による語りは、外に向けても内に向けても常に饒舌だ。それがいかに感情豊かに見えたとしても、内なる核ともいうべき思いについては決して声高に語ることはしない。そしてそれに焦点を当てて 彼の言動・行動を見て見れば、それはその思いに対して「非情」にさえも見えてしまう。それがハードボイルドというスタイルだ。
何だろう。こんな基礎の基礎みたいなこと大真面目に説明しとるとやや赤面ものなんだが…。

なんかもうめんどくさいから放っとけと思ってたんだが、ここまで来たら「警察小説」ってとこについても言っとこう。
警察小説というのは、基本警察という組織を軸とした物語が描かれる小説だ。
そしてこの作品を警察小説と呼ぶには明らかな欠落がある。
これが警察小説、警察という組織の中を描いた小説であり、その中でこういった事件を強引に捜査して行く状況を描くなら、それを強調するような手法として描かれるべき、様々な事件を諦めさせようとする外圧、部下、仲間たちからの不信ぐらいのものがなければならないのだが、 この作品についてはそれらがないわけではないが極めて希薄だ。言っておくが、これが一人称小説だからという基本的な事項は全く関係ない。
ハードボイルド小説とは、常に個人のモラルを軸として書かれるものである。例えば、集団の利益と個人のモラルが衝突するような物語もあるだろう。だがこの主人公は、そういった外の動きを煩わしく思うことはあっても、自らのモラルを押し通すことに迷いはない。それゆえに一人称という形式で語られる物語の中で、それらは希薄に扱われる。そして、それらを押し通すことに迷いがなくとも更にその上で、自分は正しい人間で在り得るのかと自身を見つめ続けるのがSean Duffyという人物なのだ。
言っておくが、このシリーズはこの第7作によって「警察小説」からこういった形のハードボイルドに変わったわけではない。このSean Duffyシリーズはそもそもの最初からこういう形で書かれた、警察官を主人公としたハードボイルド小説だったんだよ。

そして今作で使われる「フーダニット」は、これまでのシリーズで使われてきた昔懐かしミステリの中でも最も見事な使われ方と言えるだろう。
このフーダニットによりあぶりだされるこの時期のアイルランド-ベルファストのある姿は、Duffy本人とも決して無関係ではないものであり、当然それに対する思いもあるだろう。
だがそれは、ハードボイルドというスタイルの中で、同様に声高に語られることはなく、物語後半の底流の中に重い響きを伴って流れて行き、やがてそれと対峙せざるを得ない場面が訪れることとなる。
あ?フーダニットの「ミステリとして」の評価?そんなもん知るかよ。こっちはクイズじゃなくて小説を読んでるんだよ!

タイトルの『The Detective Up Late』はシリーズのこれまでの作品同様、トム・ウェイツの歌詞からの引用。2011年の渾身の名盤『Bad as Me』のタイトル曲から。
最初の方のページ(ここなんて言うのか思い出せんが)で、引用されているのは、"I'm the detective up late."だけだが、もう少し長く訳してみよう。

「俺は夜更かし刑事/俺は床の上の血/雷と轟音/沈まないボート/ウィンクほども眠れない/あんたも俺とおんなじ悪党さ」

この作品を読んだ人なら必ず響く曲である。あんまりうまく訳せてないのはごめん。
シリーズ全作のタイトルと引用元の曲一覧は最後に作っときました。これ絶対必要なやつだろ。

シリーズ一貫して、トム・ウェイツと並びボルヘスからの引用があるのは周知のところだが、今作では「Two English Poems」(1934)の第2節の最初と最後が引用されている。翻訳では多分詩集というあたりに収録されているのだろうと思うが、こちらではそこまで わからなかった。ボルヘスについてどうこう言うほどの知識もないんで、引用部分からの印象ぐらいだけど、ウェイツからのものと似たような方向の引用と思った。詳しい人ならもっとなんか見えるのかもね。

そして今作では第3作『In the Morning I'll Be Gone』でのMichael Forsytheのカメオ出演に続き、そっちの三部作の重要人物であるScotchyの名が出てくる。
第1作『Dead I Well May Be』でForsytheと共にメキシコで捕らえられ、グループの刑務所での彼以外の唯一人の生き残りとなるが、脱獄の際にフェンスを登り切ることができず倒れる。まあ詳しくはそっちの記事読んで。
出てくると言っても名前だけで、ある人物が、自分は悪い奴じゃないScotchyっていうチンピラが相手の眼を潰そうとしたのを止めたこともあるんだ、と弁明する中でのこと。
そちらの三部作第3作『The Bloomsday Dead』についての記事の中で少し書いたが、このDuffyシリーズがそちらの三部作と繋がる形になるのではないかというのは、ファンの間で初期のころから言われているところだろう。
ここでの登場はその前振りか?それとももう一回そういう遊びをこの辺で入れとこうぐらいのものか?
なんかMcKintyが、どっちだと思う?ってニヤニヤしてるのも見える気もするんだがね。いずれにしてもこの辺も最後へと向かうあと2作の注目点の一つ。

さて、やっと出た第7作。で、次は?というところなんだが、うーん、まだしばらくはかかるか?という感じ。
作品自体については、おそらくはもう完成しているだろうけど、結局は出版社のスケジュール次第か。現状、久しく絶版となってたシリーズ過去作もオーディオ版は揃ったが、ペーパーバック版ちゃんと出てんのか?ぐらいで、 電子書籍版いつ出るんだろぐらいのところだし。とりあえずペーパーバック版で稼ぐ期間が終わって、これも含め電子書籍版出るぐらいで、第8作のハードカバー版発売告知が出るくらいかと思うが、それすら年内に出るかどうかぐらいのもんじゃないかと思う。
とりあえず、次に出るのはまた単独作品になると、しばらく前本人のSNSで言われてたが、まだそちらも予定出てないぐらいだし。
まあちゃんと出る態勢までにはなったのだから気長に待つしかないっすね。とりあえずは単独作品前作になる『The Island』から読んで待つとするか。


何なんだかね、今回はさすがに嫌になったよ。
とにかく前置きの方延々と書いて、いざ作品紹介となったら、なーんかこんな素晴らしい作品をこんな感じで書くのかと思って、やる気なくなり三日ほど放り出して、もうお蔵にすっか、それとも秋ぐらいに少しやる気が出るまで放置して別なの書くか、 ぐらいまで考えたり。結局もうどうでもいいから、作品紹介だけはなるべくいつもの調子で楽しくやろうと思って、何とか進みだしたぐらい。
まあいくらかノイズ入ってるけど、そっちに関してはいつも通りにやれたんじゃない?
でもさすがにやる気なくなってきたわ。こんなこと幾ら一所懸命書いてみたって聞く耳もたんやつにゃ伝わらんやろ。
「なんか色々言ってるけど、ハードボイルドというのはこういう語源で、こういう文体のもので、実際には70年代以前ぐらいには終わってるんですよ。はい、論破!」ドヤッ(フンス!)
ハイハイ、わかったわかった。そーやってお前らが勉強してわかった範囲での「ミステリ」ってのを守って行けばいいじゃん。勝手にしろや。
いまだにさ、これを「ハードボイルド派」が「パズラー派」とかいうのにいちゃもん付けてるみたいな、昭和ぐらいに在ったのかしれん対立構造みたいので見てるようなもんもいるんだろ。あのさ、地動説って天動説とどっちが好き?みたいなことで 出来たわけじゃないんだよ。

結局のところ、前から言ってる「読書のプロ暗黒時代」って頃に、「ミステリと思って読んだらミステリではなくハードボイルドだった」なんていう小学生感想文レベルがレビュー面できるくらいまで、ミステリってのが幼児退行したころに、 日本ではハードボイルドは殺されてたんだろ。もうハードボイルドなんてわかんなくなって、とにかくハメット、チャンドラー引っ張り出してこじつけるようなもんしか見れなくなったのもその頃からじゃないのかな。
おんなじ時期に「ハードボイルドは売れない」ってことになり、これまでそう言われてたもんも一切ハードボイルドなんて言わないまま売るようになった。そんな時期に細々と出てた数少ない中で、もう警察小説としか言われなくなった コナリーや、辛うじて引っかかる部分もありあんまり出ないがゆえになんか飢餓感ぐらいのところからハードボイルドに入れられてたようなリー子とか今更引っ張り出して、そんなもんで出鱈目ハードボイルド言い出しゃブチ切れもするもんだろ。
でもさあ、どうせ日本の翻訳ミステリーなんてところじゃ、とっくにハードボイルドなんて殺されてて、もうそんなもん維持できなくなってるんだから、テレビやマンガレベルに「君の言ってるハードボイルドはルパン三世のことだね」ぐらいまで 劣化しちゃっても仕方ないんだろ。なんかもう諦めたわ…。

結論:もはや日本に翻訳ミステリなんてもんは存在しないと思ってやるしかない。かつてはあったけど21世紀初頭ぐらいに終わったもんぐらい。
もしかしたらこの『The Detective Up Late』も不幸なことに日本で出版されるようなことがあるかもしれんけど、そんなもんに構うもんか。もうこっちは感想も書いたしね。なんかね、今度は警察小説+ノワール+謎解き(ルビ:フーダニット)かね。
なんかさあ、もう日本の翻訳ミステリってものをちゃんと考えようとすると、気持ち悪くなるばかりなんだよ。もう救いようがないようなもんが、どこまでひどくなるかなんて観察するほど悪趣味じゃないしね。
もう勝手に「本格ミステリ」なんてカルト信仰の元、「ミステリの世界最高峰」とやらや、大サービス20連どんでん返しみたいなもんを持ち上げてガラパゴス化を進めてくださいよ。
結局さ、日本のミステリ観の出鱈目さとのギャップを埋めるために、過去の数々の愚行とかに言及することは避けられないんだろうけど、現在まだ残ってるらしいようなもんからは一切目を逸らし、海外で出ている良作について語って行こう。
なんか色々悪かったね。次回からはもっと楽しい記事を書くよ。ごめん。終わり。


Sean Duffyシリーズタイトル引用曲一覧

シリーズの各タイトルは、全てトム・ウェイツの曲の歌詞から引用されている。以下はその一覧。第8、9作に関しては未出版だが、既にタイトルは発表されているので対応する曲、アルバムを掲載している。

タイトル 曲名 収録アルバム
The Cold Cold Ground Cold Cold Ground

Franks Wild Years

I Hear the Sirens in the Street A Sweet Little Bullet from a Pretty Blue Gun

Blue Valentine

In the Morning I'll Be Gone I'll Be Gone

Franks Wild Years

Gun Street Girl Gun Street Girl

Rain Dogs

Rain Dogs Rain Dogs

Rain Dogs

Police at the Station and They Don't Look Friendly Cold Water

Mule Variations

The Detective Up Late Bad as Me

Bad as Me

Hang On St Christopher Hang On St Christopher

Franks Wild Years

The Ghosts Of Saturday Night The Ghosts Of Saturday Night

The Heart of Saturday Night



■Adrian McKinty著作リスト

〇Sean Duffyシリーズ

  1. The Cold Cold Ground (2012)
  2. I Hear the Sirens in the Street (2013)
  3. In the Morning I'll Be Gone (2014)
  4. Gun Street Girl (2015)
  5. Rain Dogs (2016)
  6. Police at the Station and They Don't Look Friendly (2017)
  7. The Detective Up Late (2023)
  8. Hang On St Christopher 未定
  9. The Ghosts Of Saturday Night 未定

〇Michael Forsytheトリロジー

  1. Dead I Well May Be (2003)
  2. The Dead Yard (2006)
  3. The Bloomsday Dead (2007)

〇The Lighthouseトリロジー

  1. The Lighthouse Land (2006)
  2. The Lighthouse War (2007)
  3. The Lighthouse Keepers (2008)

〇その他

  • Orange Rhymes With Everything (1998)
  • Hidden River (2005)
  • Fifty Grand (2009)
  • Falling Glass (2011)
  • Deviant (2011)
  • The Sun Is God (2014)
  • The Chain (2019)
  • The Island (2022)


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●Michael Forsytheトリロジー

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2024年8月15日木曜日

2024 スプラッタパンク・アワード 受賞作品発表!

2024年第7回となるスプラッタパンクアワードの発表です。今年もテキサス州オースチンにて8月9日-11日に開催されたキラーコンにて発表されました。
8月9日-11日といえばオリンピックも終盤。なんかそういうのに背を向けたアメリカの駄目な人たちが全員集合した感じのコンベンションだったのでしょうね。いや、俺たち毎年これやってんだかんね!というとこだろうけど。
オリンピックといえば、今回そんなに盛り上がってなかったんかな?よく知らんけど。なんか私みたいなルールもよくわからん競技をよくわからない国の人たちが頑張ってやってるのをボーっと見てるのが楽しいという人にも 割と楽しく見れる感じの放送が多く、夕飯の時とかにボーっと見てたりすることも多かったです。あと、男子の見てても特に思わないのだけど、女子のハンマー投げを見てるとこの凶器で粉みじんにされて殺される!という危機感を 感じるのは、何か自分の性癖に関わるものでしょうか?

さて本年のスプラッタパンクアワード。しばらく続いた新型コロナ状況からの底という感じだった昨年に比べ、復帰のみならず、何か商業的な方向で一段階だか0.5段階ぐらいだかグレードアップした感じというような曖昧な印象を ノミネート時にお伝えしたと思うけど、うまく伝わらなかったかな?というところですが、いかなる結果となりましたでしょうか。

2024 Splatterpunk Award


【長編部門】

  • Maeve Fly by C. J. Leede (Tor Nightfire)
  • The Night Mother by John Everson (Dark Arts Books)
  • Pedo Island Bloodbath by Duncan Ralston (Shadow Work Publishing)
  • Dead End House by Bryan Smith (Grindhouse Press)
  • Along the River of Flesh by Kristopher Triana (Bad Dream Books)

【中編部門】

  • Snow Angels by Lucas Mangum (D&T Publishing)
  • The Bighead’s Junk by Edward Lee (Evil Cookie Publishing)
  • Smokey Elvis and Danzick Battle Swamp Ass by Lance Loot (Independently Published)
  • Sirens and Seaweed by Candace Nola (Uncomfortably Dark Horror)
  • Bowery by Matthew Vaughn (Independently Published)

【短編部門】

  • “My Octopus Master” by Stephen Kozeniewski (from Dead and Bloated, Evil Cookie Publishing)
  • “Blood Harmony” by Chet Williamson (from The Drive-In: Multiplex, Pandi Press)
  • “Unfound Footage” by Patrick Lacey (from Splatterpunk’s Basement of Horror, Splatterpunk Zine)
  • “Hide/Invert: A Saga In Ten Reels” by David J. Schow (from The Drive-In: Multiplex, Pandi Press)
  • “The Night People” by Bryan Smith (from The Gauntlet, Grindhouse Press)

【短編集部門】

  • Transcendental Mutilation by Ryan Harding (Death’s Head Press)
  • Something Very Wrong, Jonathan Butcher (Independently Published)
  • Woe To Those Who Dwell On Earth John Lynch (High Explosive Horror)
  • Gush: Tales of Vaginal Horror by Gina Ranalli (Madness Heart Press)
  • Beautiful Darkness by Jay Wilburn (Madness Heart Press)

【アンソロジー部門】

  • We're Here: An Anthology of LGBTQ+ Horror edited by Angelique Jordonna and James G. Carlson (Gloom House Publishing)
  • Splatterpunk’s Basement of Horror edited by Jack Bantry (Splatterpunk Zine)
  • Blood and Blasphemy edited by Gerri R. Gray (Hellbound Books)
  • Dark Disasters edited by Candace Nola (Uncomfortably Dark)
  • Dead and Bloated edited by K Trap Jones (Evil Cookie Publishing)

【J.F. GONZALEZ LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD】

  • Wrath James White
  • Ray Garton
  • Craig Spector


まず長編部門から見て行くと、ノミネート時にほぼ表紙買いスタンスで注目していたC. J. Leedeの『Maeve Fly』が受賞。これがデビュー作だが、結構他のホラー関連賞でも受賞やノミネートがあるようで、業界的には新たなスターの誕生ぐらいの注目があるのかも。
版元Tor Nightfireだが、米SF系大手出版社であるTor Booksが2021年に設立したインプリントで、そっちのほう疎くて Tor Booksについても前回Neo Text関連で知ったぐらいなんだが、まあ日本語のWikiがあるくらいのところ。
そのくらいのところがこっちジャンルに力を入れてきたというのもスプラッタパンク/エクストリームホラー業界では、かなり多きな動きなのだろうね。イマイチ把握できてなくて申し訳ないんだが…。
で、そこからの大型新人が長編賞を受賞というのが現在の状況なのだろう。早々と英国Titan Books版が出てるあたりも、最初から注目度が高かったと窺える。今回はトップの画像にTor Nightfire版、部門の画像にTitan Books版を使いました。

中編部門はLucas Mangumの『Snow Angels』。Lucas Mangumは、2020年長編、2021年中編にノミネートあり。少し久しぶりなので初登場かと思ってしまった。
版元D&T Publishingは、ちょっと調べてみたところ、インディペンデントの小さなところだが、昨年中編賞受賞のDaniel J. Volpe作品なども多く出しているところで、今後このシーンで重要性を増して行きそうな要注目パブリッシャーかも。

短編部門はタイで2作品が受賞。両方出すレイアウトがちょっと面倒なので、『The Drive-In: Multiplex』の方だけ使わせてもらいました。
Chet Williamsonの「Blood Harmony」の方が収録されているアンソロジー『The Drive-In: Multiplex』だが、ノミネートの時にも触れたが、かのランズデールのファミリー出版社であるPandi Pressからの、大御所の代表作の一つである『The Drive-In』三部作 からのインスパイアのアンソロジー。ノミネート時にはまだ出てなかったKindle版も発売され手に入りやすくなりました。
ランズデール本人や、息子キースの他、少し前Jon Bassoff『Corrosion』の時にいくつか名前を出したホラー-クライム系の作家の名前なども並び、S・A・コスビーも参加。コスビーという人は、そこそこ下積みもあるんだけど、かなり一気にビッグネーム ぐらいになったという自覚も強いようで、色々なところに積極的に参加してる感じある。
なんとか早く読んでみたいアンソロジーなのだけど、それなら『The Drive-In』三部作の方先に読まなくちゃ、というところもあったり。今三部作の合本版も出てるしね。

なんかタイ同時受賞のStephen Kozeniewski「My Octopus Master」の方をないがしろにしてる感じで申し訳ないのだが、こちらはノミネート時にも触れたアンソロジー部門にもノミネートされている『Dead and Bloated』という水難テーマのアンソロジーから。
Stephen Kozeniewskiという人も短編方面では結構名前をよく見てる人だと思うんで、ここからワンステップ上がって行けるといいっすね。
スプラッタパンクアワード常連ぐらいのEvil Cookie Publishingからのアンソロジーで、割と偏った限定テーマアンソロジーにもかかわらず結構豪華にお馴染みの名前も多数登場しています。

短篇集部門はRyan Harding『Transcendental Mutilation』。Ryan Hardingという人、名前はよく見る気はするが今一つ作品自体の印象が薄かった気がして、調べてみたら共作というのが多い。エドワード・リーの『Header3』とか。2020年には中編部門の Lucas Mangumとの共作で長編部門にノミネート。
アンソロジーも多く、短篇集といえど激戦区であろうこのジャンルで、遂にソロ作品で受賞を勝ち取った成果は大きいだろう。ここからさらに大きなタマでの活躍が期待される感じ。

そしてアンソロジー部門では、LGBTQテーマの『We're Here: An Anthology of LGBTQ+ Horro』。
先にも書いたように、もしかすると最大の激戦区かもしれないアンソロジー部門で受賞を勝ち取るには、一般常識社会で考えられるような「社会的意義」みたいなもんでは到底届かないはずだ。何でもありぐらいのこのジャンルで、敢えてLGBTQを打ち出している このアンソロジー、できれば何とか読んでみたいぐらいのものだが、LGBTQ真面目に取り組んでる人から見ると、かなりひどい「悪書」の可能性はあり。

その他、ジャンルの功績者を称えるJ.F. GONZALEZ LIFETIME ACHIEVEMENT AWARDですが、ノミネート時文章の中でよくわからなかったのだけど、Brian Keeneと共にこのアワードを立ち上げたWrath James Whiteも選ばれていた様子です。今回からキラーコンの ホームページが公式発表になったみたいだけど、分かりにくい!受賞発表まだだし。今回の発表については、 作家Lionel Ray Green氏のホームページの記事を参照させてもらいました。


ということで、何とか自分にわかる範囲ぐらいの感じですが、2024年第7回となるスプラッタパンクアワードの受賞作発表についてお伝えしました。
相変わらず作品の方はなかなか読めずという半端な状態ではありますが、まあ始めたもんなので今後も責任を持って続けて行く所存です。んー何とか読まないとね。


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2024年7月23日火曜日

Neo Text特集

今回は以前より度々名前を出してた注目のパブリッシャーNeo Text特集です。

以前から色々言ってて何とか読まなければと、最近やっと『Hole』(Gerry Brown)と『Bloody Mayhem』(Jack Quaid)の中編作品2作を読み、ここからちょっと書いてみようかと少し調べたところ、やっとこの若干正体不明だった パブリッシャーの正体を掴み、これは頑張って推して行かねばと再認識してのこの特集なのですが、まずは私とNeo Textの出会いみたいなとこから始めた方がいいか。
発足が2020年ということなので、そこからまだ間もない頃だったのだと思うが、最初はそこであのRay Banksが映画の記事かなんか書いてるという情報を得て、見に行った。何しろ新作も出ないし、個人的に情報を発信してるとこもないし、 ぐらいのBanksなのですぐ飛びつくぐらいの感じで。そこでそのNeo Textがカルチャー関連の情報サイト的なものだけではなく、出版も目指しているところだと知る。まあその時は、最初にかのアンドリュー・バクスが発足祝いかなんかで 書いてくれた感じの短編と、他に数作ぐらいしかなかったんで、これからちゃんとやってけんのかなあ、みたいな感じだったんだけど。その時はRay Banksとの関係もわからず、ただイギリスの方で立ち上げられたもんでBanksの友達いるのかなあ、 ぐらいに思ってた。
あ、ちなみに現在はカルチャー関連の記事はなくなって、出版のみに絞られています。ちょっといつからだったか不明なんだけど、ちゃんとそこらの説明してなくてごめん。
そこから時々見に行ったりしばらくご無沙汰になってたりしたと思うのだけど、そのあたりのどこかの時点で結構増えて来た作品の中にあのEduardo Rissoがカバーを書いてる作品を発見!いやー、海外のコミックとかに疎い人とかだとわかんないのかもしれんけど、 あのEduardo Rissoだよ。なんか真似して描いてる人じゃないかぐらいに初見まず思ったし。更にHoward Chaykinやら、Benjamin Marraやら。なんかそういうところと関係持ってカバー依頼できるだけでもすごいぞ、ただもんじゃないぞ、ぐらいに思って、 読まなきゃ読まなきゃと思い続け、やっと今回に至るわけです。 先に書いたそちらの2作品については後程あらすじ紹介などやって行くが、まずはやっとわかったこのNeo Textについての説明から始めて行きます。


Neo Textとは何者なのか?


なーんかたまたま偶然ぐらいに見つけ、サイトの「About」って辺りにも詳しいことが書いてなかったりで、何か面白そうだがぐらいのところをうろうろしていたのだけど、ここでちゃんと調べなくてはで、もう一度「About」のところをちゃんと 見ているうちに、初期のプレス・リリース的なリンクが見つかり、やっと正体が判明した。いや、そっちまでちゃんと見てなかったのはワシの不手際でホントごめん。
とりあえず、The Hollywood Reporterというサイトに掲載された Publisher NeoText Launches With Ambitious Digital Slateという記事から、その重要部分を抜粋しよう。

犯罪小説の出版で注目されるLittle, BrownのインプリントMulholland Booksは、電子書籍出版への新たな注力として、ジャンル・ノヴェラ、ナレーティヴ・ノンフィクションを中心にデジタル出版を行う新たなパブリッシャーNeo Textを設立した。
パブリッシャーはAddictive PictureのRussell AckermanとJohn Schoenfelder、加えてプロデューサーJay Schuminskyによって立ち上げられる。チーフ・クリエイティヴ・オフィサーとして、元Tor Booksのシニア・エディター、 Eric Raab、エディトリアル・ディレクターとして、エドガーノミネート作家であり編集者でもある、Allan Guthrie、そしてディレクター・オブ・ナレーティブとして、元NATOのナレーティブ・コンサルタントであるNicholas Mennutiによる エグゼクティブ・チームによりNeo Textは出版を行っていく。

こーゆー記事ってそもそもが書き方自体が日本語に直しにくくて、わかりにくかったらごめん。もっと言葉足して意訳してくべきなんかな?まあいいか。
順に説明してけば、まずこれはあのMulholland Booksにより立ち上げられたものということ。Mulholland Booksわからんかな?近年のアメリカの中堅クラスぐらいのパブリッシャーでは、クライム・ノベルに特化して言えば最有力ぐらいのところ。 Little, Brownのインプリントで、更にその上がNYのビッグ5の一つHachetteというようなポジション。出版されたもので有名どころでは、ランズデール、ハプレナシリーズの復活。グレッグ・ルッカ、Jad Bellシリーズ(絶賛中断中…)、スウィアジンスキー作品などなど。 日本に翻訳されたもので言えば、クリス・ホルム、『IQ』のジョー・イデ、あーあとマッキンティの『ザ・チェーン』も最初Mulhollandだったか。最近ではウォルター・モズリイのイージー・ローリンズ復活させたり、新シリーズ出したり。あとハリウッド方面に 行ってもう帰ってこないんじゃないかと思ってたペレケーノスの新作短篇集か中編集かを出したり。あとジョーダン・ハーパーもこっちか。まあもうしばらく前だけどヴィンテージクライム/ブラックリザードが駄目になってから今はこっちか、というところが Mulholland Books。
ただまあサイトからはMulholland Booksにリンクなど張ってないし、さらに言えば「About」のところにもスタッフ紹介も何も載ってないのがNeo Texのわかりにくさなのだよね。

その次ぐらいになると、もうめんどくさいんで日本語に直すのを放棄。まあ新しい概念とかの役職を単純に日本語に直すのは無理あるか。エンタメをアポしてプレゼンな国には難しいかもしれんけど、何とかわかるっしょ。
まずノヴェラというのは中編小説のこと。語源厨で元々のイタリア語では短編!と怒ってる人いるかもしれんけど、とりあえず英語圏の出版業界の習慣的なものでは、語数幾つ以下がノヴェラって区分けで、大体長くて200ページ前後以下という感じ。 日本の文庫とかだと、今の大きい字では300ページ未満ぐらいなのかな。あ、ちなみに短編については、Short Storyかもっと単純にStoryぐらいに言う場合もあるようです。
ナレーティヴ・ノンフィクションについてはCreative nonfictionとかliterary nonfictionとも言い、日本的にはあまり広まってない概念か。客観的な報道と対照的に、もっと文学的っつーのかそーゆー方向で書かれたノンフィクション。 概念的には無くてももう事実上は存在するか。その辺の区別付いてないような「報道」もあるし。あと調べてたらナラティブ・ノンフィクションとかっこいい発音で打ち出してるところもあるようですが、定着しなさそうな気もする…。

スタッフについては、まずRussell AckermanとJohn SchoenfelderのAddictive Pictureというのは、映画やテレビシリーズなんかをプロデュースする会社らしい。検索すると会社のホームページとか出て来なくて、やな感じの画像や映像ばかり並ぶので 諦めた…。人名で検索するとそっちの方でのプロデュース作品が出てくる。プロデューサーJay Schuminskyというのも映像方面の人。
このうちJohn Schoenfelderという人が、Addictive Picture以前に、2010年Mulholland Booksの立ち上げにも関わったということで、再び出版業界に復帰し、自分の理想とする出版を行いたいというのがNeo Textということでもあるらしい。
チーフ・クリエイティヴ・オフィサーのEric Raabについては、元のTor BooksはSF、ファンタジー関連の出版で相当有名なところらしく、日本語のWikiもある。そっちの方暗くてごめん。
そして、ああこれMulholland関連だったんかと同等ぐらいに驚いたのが、次のAllan Guthrie。作家としても名高いが、こういうところに出てくればかの伝説級のBlasted Hearthのオーナーって方が頭に浮かぶ。
Blasted Hearthと言えば、電子書籍黎明期に電子書籍専門クライム・ノベル出版社として、Anthony Neil SmithやRay Banks、Douglas Lindsayらの作品を世に出し、2016年に消えた伝説のパブリッシャーである。クライム小説のコアなファンなら 当然知ってる、と言いたいとこだけど、日本的には自分しか言ってなかったのでほとんど知られてないだろうが。Ray Banksの謎の参加もこのコネクションだったんだね。
そうなるとその辺の作家の登場も期待したいところというのが人情だが、まあそりゃ高望みだろな。少なくともGuthrie参戦してりゃ、クライム物のクオリティも保証できるだろうぐらいのところで。
ちょっと途中で騒ぎすぎてしまったが残る一人、Nicholas Mennuti。ディレクター・オブ・ナレーティブっていうのは要するにノンフィクション部門の編集主幹というところなんだろう。元NATOのナレーティブ・コンサルタントとか、いかにも胡散臭そうだが、 この人自身によるノンフィクション作品ここからいくつか出てるので、その辺を読めばどのくらい胡散臭いかもわかるだろう。

2020年の時点での記事で、現在はカルチャー方面の記事などもなくなってたりで、中にもいくらかの変化はあったのかもしれないが、出版の方に関しては当初の意図のまま続けられている。
まあまずはこれくらいのバックボーンのある、注目すべきパブリッシャーだということ。
その他に、Schoenfelderがビジュアル部分の重視についても語っており、まあこの布陣ならEduardo RissoやHoward Chaykinも呼んでこられるわな、と納得。
で、作品の方に移る前にそっちのビジュアルの方について説明しておこう。

とりあえず読んだ2作品について言えば、まずカバーが描かれた後、同アーティストによる1ページ大のイラストが、作中ところどころに挟まれる。『Hole』では全155ページ中合計14枚、『Bloody Mayhem』では全96ページ中合計10枚という感じ。
既にお気づきの人もいるかもしれんが、まるで日本のラノベって感じ。もしかしてラノベから思いついたのでは、と思ったが考えてみるとやっぱ違うだろうな。あっちだとあの辺はヤングアダルトって辺りに分類されるので、イラストの使い方 なんかも児童書の延長ぐらいに考えられているだろうしっていう理由で。
ストーリーにビジュアルイメージを付加することによる効果という考え方では同じものなのだが。

それではここからは具体的な作品紹介に移ります。

Hole : Gerry Brown/Eduardo Risso


刑務所の図書館で読書にふける服役囚Emile Holeの前に、この刑務所内を仕切る囚人グループ、Davie Ingramとその配下が現れる。
俺たちの一員になるか、それとも痛い目に遭うか選べ。
そしてその場でDavieに殴り倒されるEmile。その様子を密かに持ち込んだスマホで録画する配下。
お前が俺たちの一員になるのを拒むなら、この動画をお前の身内に送る。そしてそいつが1万ドル払わなければ、また同じことをやる。わかるな?
Emileは笑い出す。俺の弟は携帯を持ってねえよ。
そしてDavieは、Emileの頭を踏みつける。

人里離れた山中に一人で暮らすVint Holeの家の前に、SUVに乗った二人の男が現れる。
男たちはVintに持ってきたスマホを渡し、彼の兄Emileが刑務所内で痛めつけられている動画を見せる。
1万ドル持って来い、払わなければまたやる。
そして男たちは帰って行く。

この町に近年現れ、直ちに地盤を固めたDonnieとDavieのIngram兄弟を頭とするギャング組織。
刑務所の中を仕切るDavieと外のDonnieの連携により、この商売はこれまでうまく動いて来た。
彼らの誤算は、この町にやって来たのが比較的最近であったため、Vint Holeが何者なのか知らなかったことだ。
少年時代、数々の過剰とも言える暴力事件を引き起こし、その後軍隊に入り姿を消したVint。
特殊部隊にいたなどの噂はあるが詳細は分からないまま、退役したVintは軍隊時代に貯めた金で近くの山を買い、そこで一人で静かに暮らしていた。
数少ない肉親である兄の危機に、野獣は目覚め、町の闇の中にもぐり込んで行く…。


基本的なストーリーラインは、80年代ぐらいのB級筋肉ムービー的なやつ。町を襲うギャングに一人立ち向かうマッチョとか、町を襲う宇宙人に一人立ち向かうマッチョとか。
だがそこに、その後のタランティーノを通過したという感じの味付けが加わり、現代クライムアクションのスタイルで書かれたという感じの作品。
ここに更にHole兄弟のヤバいおっ母さんや、Vintの昔の彼女の保安官補などクセのあるキャラクターが続々登場して来る。

作者Gerry Brownについてはほぼ情報なし。仕方ないんで巻末のAbout The Authorってところをそのまま書いとく。
Gerry Brownは、あんたが聞いたこともない工場が逃げ出した都市の急な丘の上に建つ腐りかけた家で暮らしている。これは彼の最初の著作ではないが、あんたが読んだ最初のやつだろう。
ストーリー、文章などについては充分に実力のある作家だと思うが、察するところ運がなくて小さい出版社から別名で出た本が既に絶版になってたり、有名作家の考えた話を代筆するWith的な仕事しかなかったり、下手をするとゴーストライター みたいなところを転々としてきた人なのだろう。新しいGerry Brown名でここから上って行ければ、と思うが、今のところは他にはNeo Textの『Walking The Edge』だけ。Gerry Brownでアマゾン検索すると、関係ない本が山ほど出てくるんだが…。

Eduardo Rissoについては説明の必要もないぐらいであるべきなんだが、日本的には知らん人も多いんだろうから一応説明。アルゼンチン出身のアーティストで、世界のコミック史に残る名作クライム・コミック『100 Bullets』をBrian Azzarelloと共に 創り上げた偉人。この作品についてちょっとしたコメントぐらいのところは見つかったのだが、通常カバーだけのような仕事は断っているが、これについては自由度も高く引き受けた、ということ。そういやRissoについてはコミックではお馴染みの 別カバーすらあんまり見た覚えがないな。


Bloody Mayhem : Jack Quaid/Butcher Billy


俺は人でなしじゃない。だが俺のやることは恐ろしいほどにその類いのことだ。
俺の面の傷がそいつを物語っているだろう。あるものは悪い判断から、あるものは悪運から、あるものは両者の組み合わせから。
俺はムショに入ってたこともある。結婚していたこともある。だがほとんどのときはクソに浸かってたって過ごしてたってところだ。
俺は名刺は持っていない。事務所もない。だが俺はある仕事に就いている。誰かが助けが必要で、法が何もしてくれないとき、俺に電話する。
俺の名前はMayhem。そして、いい奴に悪いことが起こったとき、俺はあんたが言うところの人でなしになる。

一仕事終えて自宅のアパートに帰って来たMayhem。留守番電話にはもう次の依頼が入っていた。すぐに電話を返し、会う段取りをつける。
一時間後、オーシャンドライヴの路上で、Mayhemは依頼人の女性Faithと会う。
彼女からの依頼は、自分をフロリダキーズの父の家まで送って欲しいというもの。ならバスに乗れよ。
自分はある悪い奴の秘密を知ってしまい追われている。彼女はそう答える。
彼女の様子は嘘を言っているようには思えない。MayhemはFaithの依頼を受ける。

ポンコツのシボレーに載せて、Faithを彼女の父の家まで送る。背後は常に気にしてきたが、尾行されている様子はない。
さびれた彼女の父の家まで無事辿り着き、いささかの依頼料を受け取り、仕事は終わる。
家に向かって歩いて行くFaithの後ろ姿が気がかりだが、依頼はここまでだ。
Mayhemはマイアミの自宅へと午前3時に帰り着き、直ちに眠りにつく。

翌朝目覚め、着衣のまま眠ってしまったことにがっかりしながらバスルームへ向かう。
そしてMayhemは自宅のバスタブの中に、血まみれのFaithの死体が放り込まれているのを発見する。
事態について考える間もなく、彼の家はドアを蹴り破って入って来たSWATチームでいっぱいになる…。


こちらは95ページとシンプルでスピーディーな感じの、心優しきマッチョタフガイストーリーという感じなのだが、かなりバイオレンスで、最終的にはスプラッタホラーかというぐらいまで突き抜けて行く快作。
主人公MayhemとFaithなど女性陣はイラストで見ると黒人なのだが、文中ではそういった描写はない。作者Jack Quaidは本人のホームページの写真を見ると少なくともアフリカ系ではない様子でもあり、 そういうところは考えないで書いたうえで、イラストButcher Billyからそっちの方が面白いんじゃないかという提案があり、この形になったんじゃないかと思われる。読んだ感じはこの形がよりマッチョ感の増した正解だとしか思えんが。

作者Jack Quaidは1953年生まれで、80~90年代を通じてペンネームなども使いかなり多くの作品を書いたパルプ作家ということらしい。1980年には『The City on the Edge of Tomorrow』という作品が映画化もされているそう。現在ハードボイルド、 ホラー、SFの3種類のシリーズが販売されているが、近作なのか旧作なのかは不明。Neo Textからは、他にスパイものらしい『Anonymous Jane』とSF作品『Star Blaster』が出版されている。

イラストButcher Billyについては、巻末の紹介を見ても俺のアートはこういうやつだ!ということぐらいで詳しい経歴などは不明。黒人を描いてるから黒人という断定もこの場合できない気もするが、とにかく暑苦しくてバイオレンスで、 大変素晴らしい作画。この名前からして明らかにガース・エニス『The Boys』のファンだと思われる。


以上2作品、価格も約1ドルとお手軽で、100~150ページ前後とさらっと読める、このジャンルのファンには確信を持ってお薦めできる良作である。
こちらに紹介した2作品、作者の経歴は曖昧であったりもするが、共通しているのは「売れない」もしくは「売れなかった」作家だ。
だが、だからどうした?
例えば先に名前を出したAnthony Neil SmithやRay Banksという作家は、Allan Guthrieも作品を出していたある意欲的な出版社(名前を忘れたが…)から初期の作品を出版したものの、そこが無くなり行き場がなくなっていたところで GuthrieがBlasted heathを立ち上げ、それによってカルト的という形でも世に広く知られるようになった作家だ。出版運に恵まれないということが実力がないということは意味しないし、読む価値がないなどということは当然あり得ない。 まーそんなにみんなが褒める本読みたかったら本屋大賞とやらの「ベストセラー」でも読んでろよ。あー、ちょっと口悪くなってごめんよ。ちょっとここんとこ機嫌悪いんだわ。あ、冷蔵庫壊れたのは関係ないよ。いや、壊れて大変だったんだけど。 まあボクご機嫌斜めプンスカの理由は最後まで読めばわかります。
そういった世に埋もれている作家を起用し、日本的に言えばラノベスタイルのような方法でヴィジュアルと組み合わせ、新たなパルプと言うようなものを創り出して行こうというのが、このNeo Textの趣旨である。素晴らしい!私はこの趣旨に 100%賛同する。賛同しない奴は本屋大賞でも…、いや、ちゃんと進めるよ…。

単純に文字通りの「新人」以前に、新しい作家を世に出すのは難しく、その傾向はさらに強くなっている。というのはこのNeo Textの母体であるMulholland Booksなども常に感じていることだろう。だがこのNeo Textは、単純に新人発掘が目的のために 立ち上げられたMulhollandのサブレーベルと言ったものではない。ここでMulholland/Neo Textが目指しているのは、新たなスタイルの読書経験によるジャンル読者の拡大・底上げなのだろう。それにより、新たな作家、実力はあるのに 出版運に恵まれない作家が世に出やすくなる素地を作るというのが、Mulhollandの最終目的なのだろう。
しかしながら、いかに中編作品サイズとはいえ、このくらいのビジュアルも加えたうえで1ドルほどの低価格で出版するとなれば、当然作家にそれほどの収益が入ってくることにはならないだろう。作家にとっては継続して出版するホームというよりは、 まずいくらか目立つ形で自身の作品を発表する場という形でしかないのかもしれない。
だが一方で、現在の電子書籍により手軽になった時代では、自費出版という形で作品を発表している作家も大変多い。例えば出版社が無くなり絶版となってしまった旧作を自費出版する作家から、日本のなろう系ぐらいのものまで。
そういった場から「新しい」作家を見つけ出し、新しいパルプを創り上げようというのがNeo Textなのだろう。

まあ自分の好みからまずクライム系の作品を選んだが、先に書いたようにこのNeo Textではパルプに属する多くのジャンルの作品が出版されている。ホラー、SF、定番のメンズアクションアドベンチャーなども。どれも読んでみたいところだが、 今回まとめているうちにかなり気になって来たのが、一つのジャンルとして重視し専属のセクション担当者も設けているノンフィクション作品。なーんかいかにも社会に立派なことを訴えるとは逆方向にさえ見える、その辺のやつも是非読んでみなければ と思っている。
先に名前を出したBlasted Heath。そしてSnubnose PressやアンソロジーThuglitなど。10年前これを始めた時期、それらの活躍には本当にハードボイルドファン魂を揺さぶられたものだが、日本でそれらを知っている人すらほとんどいないだろう。 運よくそれらを知ることができた自分がもっと頑張って伝えれれば、と常に思う。今はなくなってしまったそれらだが、そういったものを引き継ぎ新たに作ろうとする動きも絶えず、そこから登場し現在活躍している作家も多い。例えばS・A・コスビーだって その中の一人だ。
そして今Neo Text。今回紹介した作家を二度と見ることもないかもしれないし、ここ自体が一年もしないうちになくなってことだってある。だが常にそこから生まれたものが大きく育って行く可能性を秘めている。Blasted Heathをきちんと伝えられなかった 私は今度こそこから出てくるものを一つでも多く紹介してやる!と思うのさ。


予告:Rough Edges Press特集!

Neo Textとはまた違い、少し伝統的、というようなパルプ作家を集合させ、サスペンス、アクションを中心に大量のジャンル作品を世に出しているRough Edges Press!ウェスタン作品を中心に現代のパルプを送り出し続けるWolfpack Publishingの インプリントである。えーと、全部かは確認していないのだけど、かなりの作品がKindle Unlimitedで手軽に読むことができる現代のパルプの一つのスタイルを打ち出しているとという側面もある。このRough Edges Pressについても、特集という形で 近日中にその実態に迫って行く予定である。


予告:Shotgun Honey特集!

こちらはこの手のインディペンデント系ではそこそこ老舗で2010年代初期ぐらいから頑張ってるShotgun Honey!一時期クライム・フィクション専門出版のDown&Out傘下に入っていたが、最近再び 独立運営に戻っている。こちらについては上記の二つとは毛色が異なっており、投稿されたフラッシュ・フィクションを掲載するコーナーもある、2010年代から多く見られるウェブジンから出版へと拡大していった形態を続けている。 だが一方で初期からAngel Luis ColónのThe Blacky Jaguarシリーズのようなパルプ傾向の作品も出版していたところでもある。新規再出発後、かなり多くの本も精力的に出版されており、ここは一度ちゃんと見とかなきゃなあということで この並びに入れた。ずっと読まなきゃと思ってるNick Kolakowskiあたりからこちらも近日中に深く探って行く予定である。


なんかまとめようとか思ったけど、大体言いたいことはもう言ったのかな?例えば、デカい出版社から出るベストセラーをハリウッドのメジャーみたいに考えると、まあそれで満足ぐらいの人も大多数なわけだし、そういう人には用ないでしょ。 で、こういうところで書いてる作家がそのハリウッド・メジャーに行く可能性なんてほぼないわけだし。そういうところに行く作家の無名時代の作品みたいなものを読んでおいて、いつか威張りたいみたいな人にも全く無用ですな。 あー、日本に翻訳されるなんて確率もまあゼロパーセントだよ。ただ自分みたいな人間にとってはそういうところに行くよりも遥かに高い確率で楽しめる本に出会える場所で、こういうのを書くことでこういった場で頑張っていてくれる人を 少しでも応援できれば、ぐらいのもんですね。まあ興味ない人は本屋大賞とやらの「ベストセラー」でも読んでれば?。



いともたやすく行われるえげつない行為


まあまずはひどい目に遭ったという話。
なんかね、こいつお国のミステリ事情で今までこういうのやれなかったけど本当はこういうの書きたかったのかも。まあ悪くてもあんまりできの良くない北欧ミステリ程度には読めるだろう、ぐらいの甘い考えでやたら手を出すもんじゃないな、ってとこなんだがね。
自分は本の批判とかするのは好きじゃないんで、タイトルは出さん。そもそもあんま良くない本なんて読んじまうのは100%自分の失敗、自己責任だと思ってるしね。
この雑学王のうんちく無双アクション☆描写の7割が手順説明と訓練自慢となんかのうんちくニャ!!、みたいなもんがなんでそこまで手放しで絶賛されてんのか理解できんが、まあ自分には梱包材山盛りで本体がしょぼい上げ底ぐらいにしか見えんけど、 なんか説明大好き!ミステリとして評価できる!みたいな人が多いのかねえ。でもまあこの御大層に言ってる「陰謀」って、上に書いて来たパルプジャンルみたいなとこで、ツッコミどころ満載だけどドッカンバッカン痛快で笑えたからアリ!で許される 程度のものとしか思えんけどねえ。
まあこんなものうっかり読んじまったのは、上に書いたような自分の甘い見積もりによる自己責任なんで、そんなことで普通なら騒がん。問題はこれがなんともお気軽に「ハードボイルドアクション」とか呼ばれているところだ。
だってこれハードボイルドじゃないじゃん。いやなんか「ハードボイルドとは言えないな(キリッ!)」みたいなアホ丸出しモードで言ってんじゃなくてさ、これ一般常識でしょ。
だからそもそも昔「冒険小説」なんてジャンルが一時的にせよなんでできたのかって話。それはハードボイルドには分類されないアリステア・マクリーンやら、ジャック・ヒギンズやら、ギャビン・ライアルみたいな作家がいて、それをちゃんとジャンルとして 分類して評価しようってことからでしょ。まあ今でも石投げれば当たるぐらいアメリカではその手のものが出ているジャンルが、なぜ日本では消滅してしまったかと言えば、本来エンターテインメントとかパルプとかいう方向で評価すべきものを、 マッチョ文学、あー日本国内限定の文学基準だから、マッチョ「純文学」か?みたいな基準で評価しようとしたってこと。どう見たって現在に至るその辺のジャンルでは柱ぐらいになるトム・クランシーを、「第一人者」が読む価値ないみたいに言ってちゃ 成り立たんでしょってことだろ。まあこの辺については長くなるし、二階級特進でUR書評家ぐらいになった故人の悪口が多く出てきちゃうんで、今はやらんけど。
で、ここで話している雑学王のうんちく無双アクション☆は、明らかにそっち。まあ一昔って程じゃない前でも、あいつこれハードボイルドとか言ってるよプークスクス、ぐらいだったもんだろ。
それが日本の翻訳本ではお馴染みの、巻末ミステリ評論家フリースペースで、なんかブラみたいに寄せて上げれば、ほらリー子やコナリーっぽく見えるっしょ、だからハードボイルド、ってなんともお気楽に言われてる。これを受けて野良レビューみたいな とこでもなんかこじつけてハードボイルドで絶賛。で、こんな出版社イチ押しの話題作、読書の空気読みどもにより当然のようにランキング上位に持ち上げられ、その辺じゃもう何の遠慮もなく「○○シリーズの○○によるハードボイルドアクション」ぐらいの クソコピーが平然と使われることになる。あー、なんかさあ、もう少なくとも来年の春ぐらいまでは翻訳ミステリみたいなとこに近寄りたくもないね…。

とか、そもそもはそんぐらいの愚痴で終わるところだったんだが、なーんかなんでこんな出鱈目通用するんか、と色々考えてみたら、うーん、まあこりゃ日本でのハードボイルドの危機的状況、というよりもう殺されたなって事態だな。
じゃあ「ハードボイルド殺ジャンル事件」の犯人当て解説やってみるかい。
話はしばらく前の、早川書房によるマッキンティ/ショーン・ダフィシリーズへのアレへと遡る。これはマッキンティの著作の中に法月綸太郎の見当違いで不快感を催す「評論」を印刷するという、著作の改変にも等しい近年のミステリ 出版の中でも最大級レベルの悪逆行為であることはこちらで何度も訴えておる。
ツッコミどころしかないレベルの全体の中でやや埋もれかけていたのだが、中に一匹狼ハードボイルド路線だったダフィが成熟安定により云々、みたいな戯言がある。
そしてここでの安直な「ハードボイルドアクション」。
要するにこいつらはハードボイルドを主人公のキャラ属性ぐらいにしか認識しておらんのだよ。
これはそもそもミステリ=犯人当てという形しか考えない連中による、ハードボイルド小説をハードボイルドなキャラクターが主人公のミステリとしか考えないところから由来している。日本のガラパゴス的謎解きをミステリの中心・頂点とする考え方 からのあまりに雑で傲慢な解釈。
ここでさ、ハードボイルドはこういう歴史を持っててとか説明しようと考えたが、なんかやる気でねえや。こんなバカバカしい話長々と書いてんのやだし、暑いしー。
要するに少し前にふざけて書いたやつだけど、結局あれに尽きるんじゃない?「これはただの謎解きミステリではない。人間ドラマだ!」
結論から言えば、そういった方向から、よりリアルな犯罪を描いた小説という方向に進化してきたハードボイルドの歴史では、もはや犯人を当てて事件を解決するという方向も捨てた「犯罪小説」という形のものも多く書かれ数々の名作を残してきた。
だが、こいつらはそれらを常にその他ぐらいに分類し、自分らの考える「ミステリ」の形をしたものだけを見て、自分たちが考える「ミステリ」の基準で判断して来たわけだ。
こうして奴らはハードボイルドを見失った。
もう奴らにはハードボイルドが現在どういう形をしているかもよくわかってない。ただ昔聞いたような漠然としたイメージで考えるだけ。
もうこいつらの言ってる「ハードボイルド」なんて、外国人が言うサムライ・ニンジャと変わんねーんだよ。

こうして件の雑学王のうんちく無双アクション☆が世間的にも出鱈目に「ハードボイルドアクション」認定された後は、もう止まらんって。来年ぐらいにゃ出るんだろう第2作には、もう帯にでかでかと「最もエキサイティングなハードボイルドアクション」 ぐらいのクソコピーが堂々と出される。
だがこいつらはもう現在の本当のハードボイルドがどんな形をしているのか全くわからない。
かくして巷には出鱈目なサムライ・ニンジャ感覚で「ハードボイルド」指定された見当違いの作品が並び、本物のハードボイルドは決して正しくそう呼ばれることはなくなる。
現在の本物のハードボイルドが何かって?そりゃショーン・ダフィだよ。
世紀の変わり目、ハードボイルドには衝撃的な作家が登場する。それがケン・ブルーウンだ。それまでクライムやらノワールやらって呼ばれていたハードボイルド・ジャンル作品を全て統合し、そこから出て来た誰も出せなかったようなひとつの あまりにも美しい正解に、このジャンルをきちんと正しく読んできたものなら衝撃を受けたはずだ。これが21世紀のハードボイルドか!
だがケン・ブルーウンはあまりに天才過ぎた。あまりに大きく踏み出された一歩から、その先のハードボイルドがいかなる形になるのか想像できないほど。
そこに同じくアイルランドから現れ、一つのその形を見せたのがエイドリアン・マッキンティ/ショーン・ダフィだ。どんなエクスキューズも注釈文もいらない、正統・正系のハードボイルド。
だが奴らにはこれがハードボイルドであることすら見えず、そう呼ぶことすらできない。それ以前のケン・ブルーウンの時点で理解できなくなってたからな。もっと前か?考えるのも馬鹿々々しいわ。
「警察ハードボイルド」→もううんざりするわ、お巡りさんが主人公なら誰も文句言わない正答として繰り返される「警察小説」。文句言われないだけで何も言ってないも同然。なんか控えめにくっついてる「ハードボイルド」がキャラクター属性 での使用であることは言うまでもない。精々あんたの知ってるハメット、チャンドラーに適当にこじつけてろや。
「警察小説+ノワール」→最近よく見かけるクソ。ノワールなんて全く理解する気もなくただ雰囲気ぐらいの解釈で使ってるだけ。味付け・トッピングの類い。「警察焼きそばピリ辛ノワールマヨネーズ付き」ぐらいの意味しかない。最近トッピングと クラシックとなんか「純文学」方向解釈のアジア作品以外に、ノワールなんて出したことあんのかよ。

戦後すぐぐらいの頃は、翻訳ミステリ業界も新しいところで、様々な人材がいて様々な考え方で多くの種類のミステリが紹介されたんだろう。だが時代が過ぎるにつれ、そういった業界はミステリをお勉強してきたミス研出身者みたいなもんに 占められることになって来たんだろう。編集者にしても、評論家にしても。
全てのミステリは、そういう連中の「お勉強」してきた型枠にはめられ、そこに合った都合のいい解釈をされる。で、警官主人公なら一括警察小説ね。それ絶対間違いって言われないからね。
例えば、日本で食べてるカレーライスが、本場インド・東南アジア諸国のものと違うぐらいのことは子供でも知ってる。あー、あんまり小さい子は知らんか?
結局日本のそういう連中のミステリの見方って、どんなカレーでもご飯と一緒によそって福神漬け添えれば「カレーライス」になる、ってぐらいのもんなんじゃないの?

いともたやすく行われるえげつない行為。
こうして日本ではハードボイルドが殺された。
巷には、サムライ・ニンジャ気分で安直に使われた「ハードボイルド」や、「警察焼きそばピリ辛ノワールマヨネーズ付き」ばかりが並ぶ一方、本物のハードボイルドやノワールが運よく翻訳されることがあったとしても、決して正しくそう呼ばれることはない。
もはや連中の認識・知識ではそれはそう見ることが不可能だから。それらの言葉は本質的なところを深く考えられることもなく、作品を格好よく見せるためだけのちょっとした味付け感覚で適当に使われるだけ。
テレビやマンガぐらいのところじゃ、その程度の認識にとっくになっていて、もうとうの昔に諦め無視してたけど、翻訳ミステリってところだけはハードボイルドでもないものをハードボイルドと呼んだりしないと信じてたのにね。
そこがもうわかんないんで出鱈目始めます、って言うなら日本のハードボイルドなんてもう終わりだろ。もうサムライ・ニンジャ・ハードボイルドしかねえや。あほらし。
なんか少しそういうところも目を向けて行くことにも意味がある、って思ってたけどもう終わりだな。インチキ「ハードボイルド」に、これはハードボイルドじゃないというためにやな思いしたり、無駄な時間体力気力使いたくないもの。もはや読むべき作品が なんかのすごい偶然ぐらいで出ても、とにかくクソコピー確実の帯や、巻末ミステリ評論家向けクソフリースペースなんかからは一切目を背け、中身だけを個人的に読んでお終い。もうどんなクソが出てくるかわかんねえから売り場も あんまり行かないかもね。

結局、この国にハードボイルドなんてものを正しい形で読ませるなんてことは不可能なのかもしれない。
ハードボイルドは男の生き様・マッチョ説教なんかじゃない。本格通俗みたいな概念がハードボイルドを捻じ曲げて来た。と訴え続けて、より多くの優れた作品、未来に向かって作られ続けている作品を紹介していこうと頑張っていればこの有様だ。
お勉強したところによると、ハードボイルドの語源はこうで、起源はこういうものらしいですから、コンセプトとしてもっと多くの最近の日本で売れそうな作品に使って行くことができるはずです。どうせハードボイルドなんてネオハードボイルド以後は PI小説に変わるという形で終わっていて、その後に出ためぼしい作品なんてパロディとしてもなんかなぐらいの恐竜ハードボイルドぐらいですからね。これからは日本で確実に売れる謎解き+ハードボイルドと表現できるような作品を 捜して行きましょう。
もうこんな国でこんなことやってても意味ないんじゃないかぐらいに思えてくるよ。でもなあ、外の世界じゃ読むべき優れた「本物の」ハードボイルドが山のようにあり、そいうものについて語らずにはいられんからな。いずれは日本人が思う ハードボイルドとかけ離れ過ぎてこいつ何言ってんだ?ぐらいになるんじゃねーかな。
もう日本のミステリ状況に文句を言う気も失せたし、翻訳ミステリなんてものにも極力近付きたくないぐらいの気持ちしかない。でもなんかまたどうにも許せない新たな「いともたやすく行われるえげつない行為」が起きて罵倒を始める事態に 必ずなるんだろうな。あー嫌だ嫌だ。これだって書いててクソ時間の無駄で、嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌でしょうがなくて、とにかく早く書いて終わりにしようばっかりだったよ。
そもそもあんな本読まなきゃよかったんだと思うけど、こういうやつは生きてるだけでどっかの時点でそういうのを見つけてしまうことになってたんだろうな。
せめてもうこれからは日本に翻訳ミステリなんてないぐらいの強い気持ちで生きて行くしかないんだろうね。さいなら。

あまりにも素晴らしい本を読んでいるときに、ホントクソゲロレベルの事態が進行中であることを発見してしまったため、やや過剰になってしまったかもしれんけど、まあどうでもいいや。終わり。
ハイ、次回は予告通りマッキンティの『The Detective Up Late』です。あ、スプラッタパンクアワードあるので次々回になるかも。なんか勢いで次に書こうと思ってたことも一部書いてしまいました。内容に関することではないが。 なんかさ、「このシリーズには興味はないが、売れている作品らしいのでミステリ教養として続きを知っておきたい」みたいな勘違い屑野郎が来てもしょうがないな、と思ってたけど、なんかそんなもんに近寄られるのも嫌な気分なんで、 なるべく検索されにくい逆SEO対策として、作者、登場人物など全て英語表記のままやる予定です。
本当に素晴らしい作品で、できれば楽しいことだけ書いていきたいんだけど、そうならないだろうな…。

「君の言ってる「ハードボイルド」は赤ちゃんの格好をしたちょいわる親爺のことだね」
「いや、セニョール・ピンクさ」



■Neo Text
●Gerry Brown

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2024年6月25日火曜日

Jordan Harper / The Last King of California -ジョーダン・ハーパー長編第2作!-

今回はジョーダン・ハーパー『The Last King of California』。2022年に出版された、デビュー作『シー・ライズ・ショットガン』(2017年)に続く長編第2作です。

えーと、混乱する人がいるといけないんで先にやっとくか。デビュー作『She Rides Shotgun』は、日本で早川書房より『拳銃使いの娘』なる心底脱力物のタイトルにて翻訳されてますが、自分はこのタイトルを断固拒否し原題以外は使うつもりがありません。
なーんか解説によると「下品なスラング」だということで変更されたようだが、まあお下品なアメリカの犯罪小説界隈じゃ結構よく見る。やつが運転し、俺はショットガンに座った的な感じか。どっちかと言うと若いチンピラ的なやつがよく使う表現では あるが、何気に匂わされている女性蔑視的な意味合いはない。まあさ、知らなきゃわかりにくい表現かもしれんし、そこは百歩譲って変更もありにしよう。
だが何?『拳銃使いの娘』って?大草原の小さな家の何話?ローハイド?ボナンザ?
あのさあ、タイトルってのは内容説明して合ってればオッケーじゃないわけ。作者が『She Rides Shotgun』って最高にクールなタイトルをつけたのにそれを変更するなら、もうちょっと頭を使えって話。こんなん全面的に却下だよ。絶対認めんからね。 なーんかいかにもお上品な正しいことした面で書いてんのがホントむかつくわ。まあナゾトキのためならいくら人殺してもいいけど、その過程を書くのはお下品ザマスがまかり通る国やからね。米南部貧乏白人スラングなんてタイトルに使えませんてか?
そっちにも書いてあったが、英国版でもこのタイトルはそっちじゃそんな言い方しないって理由で『A Lesson in Violence』というタイトルになっており、日本のことが伝わってんのかは知らんけど、ハーパーはかなり不満だったようで、 英国Simon & Schuster UK出版のこの作品ではしつこいくらいチャンスがあればショットガン使ってる。イマドキのクールな助手席はショットガン!ハーパー氏の御不満にも応え布教してまいります。

さて今回の『The Last King of California』なのだが、2017年のデビュー長編『シー・ライズ・ショットガン』がエドガーを受賞し勢いに乗ったものの、続く例の新型コロナにより出版などの活動も停滞、2022年初夏ぐらいだったかにやっとという感じで 翌2023年1月の『Everybody Knows』と2冊同時という感じで出版がアナウンスされた。なんだかそういう経緯ゆえ書かれた順序など若干不明なのだが、米Mulholland Booksからの『Everybody Knows』に先立ち、英国Simon & Schuster UKから 出たこちら『The Last King of California』がとりあえず出版時系列上の長編第2作ということになる。
日本じゃ脱力テキトータイトルで出版された上に、老害評論家にラノベ分類されるという不幸の極みぐらいの紹介をされ、翻訳が続かないんで一発屋ぐらいに思われ始めてるのかも知らんが、今後確実にアメリカ犯罪小説ジャンルでは重要な位置を 担って行くと思われるジョーダン・ハーパーの『The Last King of California』始まるよう。


【The Last King of California】


空の横腹を走る、立ち上る煙の傷。
その下では砂漠の只中に置かれたトレイラーが燃え上がっている。
トレーラーの中ではTroy Gulletが生きたまま焼かれている。床に手を釘で打ち付けられて。
それをまだ熱を感じる距離でトラックにもたれて眺める男たち。そしてこの仕事を成し遂げたBeast Daniels。
Beast Danielsはカリパトリア刑務所での10年少々の服役から戻ったばかりで、ポケットにはまだ刑務作業報奨金が入っているぐらいだ。
Beastは立ち上る煙を指さして言う。あのカス野郎、今までで一番天国に近付いたんじゃねえか。
こうしてBeast DanielsはAryan Steelのボスの座に就く。

この作品はこのようにカバーに描かれてる情景から始まる。
『The Last King of California』と題されたこの物語。だがここで語られるカリフォルニアは、ビーチやパームツリー、サーフィンのカリフォルニアではない。砂漠に投げ出されたように置かれた燃えるトレーラーから、青空に向かって立ち上る黒煙。 これはそんなカリフォルニアの物語である。
だがこの物語の主人公は、このプロローグ部分に登場するBeast Danielsではない。
主人公、19歳の青年Luke Crosswhiteの物語は続く章から始まる。

コロラド・スプリングズから16時間ぶっ通しで運転し続け、Lukeはカリフォルニアに到着した。サンバーナーディーノ郡アローヘッド。
12年ぶりのカリフォルニア。
彼は家に帰ってきたのだ。

ここから彼の行動に伴う心情描写の中で、彼の生い立ち、ここにやって来た経緯などが順を変えながら説明されて行くのだが、少し長くなるので先にここでまとめておく。
彼の父、Bobby Crosswhiteはこのカリフォルニア アローヘッドの犯罪組織、The Combineのボスだった。
彼が7歳の時のある事件により、殺人罪で現在に至るまで刑務所に収監されている。
本来、そこから母に育てられるはずだったが、育児を放棄している母親によりコロラドの親戚の間を転々とすることになる。
そして犯罪や暴力とは無縁ではあったが、自身の居場所を得られないままその地で成長する。
やがて大学に入学し、自身のアパートを借り、アルバイトで学費と家賃を稼ぐ生活へ。
そこでも自分の居場所に実感を持てないような暮らしを続ける一方、ネットで彼が本来属しているはずだったカリフォルニアの犯罪社会の動向を探ることにのめり込み始める。
そしてある日、現在自分を取り巻くすべてに嫌気がさし、全てを投げ捨てカリフォルニアに向かう。

そして彼は12年ぶりに我が家へと戻って来た。
かつて父のものだったこの家は、現在父に代わって組織を動かしている叔父のものとなっている。
砂利道の突き当りに閉じられた板金のゲート。そこを過ぎ、丘を登ったところに広いフロントポーチを持つ家。
かつてラブシート型のブランコがあった場所には、今はいくつかのキャンピングチェアが並べられている。
家の前には数台の大型トラック。カーテンの引かれた正面の窓の奥にはまばゆい光が灯っている。
家の後ろには切り立った峡谷が広がり、半月の月の光に廃車と雑木の山の影が見える。そして岩肌に沿って新たに建てられたセカンドハウスらしきもの。

気おくれを感じながら、車から降り、ゲートを開け歩いて敷地内に入る。
「おい、待てよ」そこで声が掛かる。
暗がりから現れたのは、Lukeより年下の少年だった。スラッシュメタルバンドのTシャツを着込み、片手にライフルを持ち、闘犬での古傷を負っているが人懐こそうなブルドッグを連れている。
「ここは立ち入り禁止だ」少年は言う。
「俺はLukeだ。俺が来ることは伝わってるはずだ。Delは俺の叔父だ」
「あんたがLuke Crosswhiteなのか?」少年は言う。「Kathyからあんたが向かってるって聞いてたけど、来週とかの話かと思ってた。あんた大学生なんだろ?」
少年は、このやせっぽちの怯えた目をした奴が、本当にBig Bobby Crosswhiteの息子なのかと、値踏みするような目でLukeを眺めまわす。

「あんたThe Combineに入るために来たのか?」と問う少年。
気分を変える場所が欲しくて来た、と曖昧に答えるLukeに少年は、何にしろあんたの親父さんの土地だからなと応える。
少年は自分をSamと紹介する。ブルドッグの名前はManson。Samは、今家の方では会議が行われていると言う。
「ブラック・ハート限定だ。だから俺がここで見張りに立ってる」

ブラック・ハート。その言葉がLukeの記憶を呼び覚ます。本物の心臓の上に入れられた黒いハートのタトゥー。笑い、Lukeを空高く持ち上げる男たち。そして氷とルートビアの味…。
Lukeはそれに呑み込まれる前にその記憶を飲み下す。頼む、ここでは起こらないでくれ。

「待ってなきゃならないか?夜明けから運転してきて疲れてるんだが」Lukeは言う。
「Kathyがあんたのために、裏にトレイラーを用意したよ。その前に車も駐められる」Samが峡谷の壁の前の黒い影を指さす。
家には自分の部屋があったはず、という思いを呑み込み、ありがとう、と応えるLuke。 Samは自分の心臓の上に手を置き「血は愛」と、組織のスローガンを口にする。

車に戻り、敷地に置かれた廃車の間を抜け、トレイラーの前に着く。
そのまま暗い車中に座り考える。これは本当に正しかったことなのかと。
わかっているのは、自分がここに属してはいないということ。彼は父の子供ではあるが、父の息子ではないということ。
Lukeはトレイラーに入り、ベッドに横になるとすぐに眠ってしまった。
そして、肉と骨の衝突する音で目を覚ます。

起き上がり、トレーラーから出たLukeは、その音が家のかつての自分の部屋から発せられていることに気付く。
裸足のまま、吸い寄せられるように裏庭を歩き、その部屋の窓に近付くLuke。
その部屋には上半身裸の体格の良い、若い男がこちらに背を向け、立っていた。
男は頭を後ろにそらすと、拳を振り上げ、そしてそれを自らの腹に叩き込む。
繰り返し。
Lukeを目覚めさせたのはその音だった。

Lukeは別の世界をのぞき込んでいるように感じた。
Lukeが追いやられなかった世界。彼はそこで強く成長し、父の組織の一員となっている。
そうあるべきだった世界の幽霊。
そしてLukeは窓から後退して行く。部屋の中の男は生命力にあふれ、獣のようだった。
もしそこに幽霊がいるとすれば、それはLuke自身だった。

翌朝、家に呼ばれるLuke。叔父Delと叔母Kathyは、とりあえずうわべは親し気に彼を迎える。
気まずい空気のまま、キッチンに座っていると、もう一人の人物が現れる。それは昨夜、元のLukeの部屋にいた男だった。
彼の名はCurtis。刑務所でLukeの父Bobby Crosswhiteに出会い、そこで組織の一員となり、出所後はここで暮らしている。
刑務所でBobbyに助けられたと言うCurtisは、Lukeに会えたことを喜び、兄弟と呼び親しく接して来る。
だが、Lukeが今後は組織の一員となって行くことを当然として話すCurtisの言葉が、Lukeが押さえ込んでいた、彼の中に潜んでいたあるトラウマを呼び起こしてくる。
氷とルートビアの味…。
限界となったLukeはキッチンから走り出て、外の地面に突っ伏してしまう。

12年前、Lukeが7歳の時。彼は父とその部下に連れられ、ボーリング場に遊びに来ていた。
ボーリング場で飲むのは、いつもルートビア。楽しく過ごし、帰途に就こうと駐車場に出た時のこと。
父のマスタングの隣にピックアップを駐めた若者の一団が、その場で騒ぎ談笑し、父の車に寄り掛かっていた。
父はその男の胸に指を突きつけ、てめえ何やってやがる、と言う。若者が何と言い返したのかはわからない。
だが父はその男の顔を掴むと、自分の膝に叩きつけた。血を流しているその顔を殴り、男はアスファルトの上に倒れる。
もう動かなくなっている男。Bobby、やめろ、もう充分だろ、と言う誰かの声。
そして父は、その若者の顔面に足を踏み下ろす…。

その事件により、父は殺人罪で今も収監されている。
そしてその場面は、Lukeの暴力への恐怖というトラウマとして、彼の頭の中に残り続けている。
氷とルートビアの味…。

その朝の一件により、Lukeは本宅に呼ばれることもなくなり、裏庭に置かれたトレーラーで隔絶されて暮らすこととなる。
中華料理屋で皿洗いの職を得て、少しずつ金を貯め、そのうちどこか別の土地へ移ろうと考える毎日。
だが、それでいいのか?また逃げ出し、それでどうなる?だが、他の解決方法は見つからない。

コロラドの頃からの趣味だったスケートボードで町を走るLuke。路面から腹に響く振動。
組織の末端であり、唯一Lukeと言葉を交わす、最初の晩にあった少年Samに誘われやって来たスラッシュメタルのライヴ。暴力的で直接腹を揺り動かすような轟音。
それらの振動が、Lukeのうちに潜んでいたものを少しずつ呼び覚ましてくる。
自分は何故この地に来たのか?それは自分のうちに押さえつけられながら、潜み続けていたもう一人の自分からの叫びではないのか?
ルートビアの味の恐怖に押さえ込まれていた、もう一人の自分。
Lukeはその押さえつけているものを打ち倒すべく、自分の腹を殴る。
繰り返し。
あの夜、窓の向こうでCurtisがやっていたのと同じように…。

そしてLukeは組織の商売の一つである、盗難カーパーツの売買というところから、徐々に組織へと加入して行く。
都合よく何かの「覚醒」みたいなものでいきなり強者になるようなことはなく、少しずつ鍛錬を重ねて力をつけて行くというものではある。
だが、彼の中に眠る「血」は、徐々に彼を組織の中枢へと押し上げて行く。

そしてこの物語にはもう一人主人公がいる。
かつてLukeがこの地で暮らしていた時には、組織の幹部だった男の娘として、Lukeとは同年代の幼馴染だったCallie。
母の不在により組織から離れたLukeとは違い、彼女はここで暮らし続け、美しく成長した現在は恋仲の物静かでクールな青年Pretty Babyと常に行動を共にしている。
彼女の願いはPretty Babyと共にこの地を離れ、新たな生活を始めること。そのためにはまずそれなりの資金が必要となる。
カリフォルニアのヒップな層にドラッグを供給する彼女は、組織とは無関係のルートを使い、大金を手にする計画を立てるが…。

Callieのパートは、結構序盤から登場するのだが、全体の4分の1かもう少し少ないぐらいかも。Lukeが組織に入ってからは両者が交差する場面も多くなり、それほど登場が限られるわけでもないが。
組織の一員であることを目指すLukeの物語と、そこからの離脱を願う逆ベクトルのCallieの物語は、個人においても外部に向かう組織の在り方としても、力を重視し前面にに押し出すThe CombineとCallieの関係がやや希薄であるためか、 物語にパラレルな立体構造を作るというところまでは行っていないようには思えるが、それぞれの物語がたどり着くこの作品の二つの結末は、それぞれに違う場所へと至っても、どこか同じ方向を向いた印象の、多重的…は違うんかな? とにかくそんな気分の独特の読後感をもたらす。最後グダグダでちょっとごめん…。勢いで書いたが結末方向書き過ぎるとネタバレだし、でグダった…。

更にこの物語にはもう一つ大きな力が動いている。それが冒頭プロローグに登場したBeast Daniels率いるAryan Steel。
この地方で勢力を広げるAryan Steelは、The Combineを配下に収めようと、次第に圧力を強め、それは徐々に大規模な抗争へと向かって行く。
そしてその熱に呼応するように起こるカリフォルニアの山火事。それは鎮まることなく広がり続け、やがて抗争の地へも迫って来る。
住民が避難し、荒廃したすべてが燃え上がる地で繰り広げられるギャングの抗争。主人公たちの運命は何処へ向かうのか?


犯罪社会という特殊状況の中での若者の成長物語ということで、全く方向性などは違うが、近年の名作ビル・ビバリーの『東の果て、夜へ』あたりとも連なる作品か。
ボケ~と考えてて、「青春クライム」みたいなのが浮かんだが、おいおい、そんな雑なもんじゃダメだろって思い直した。
若い世代が主人公になれば「青春ハードボイルド」とか「青春クライム」とか?結局読書のプロ暗黒時代に主人公がお巡りさんならそれぞれの温度差も考えず片っ端から「警察小説」ってレッテル貼って放り出してた無能のやり口だろ。
そういう連中が読者が思い込みで誤解しかねないような危険性がある「ヤングアダルト」なんてレッテルを平気で貼ろうとするわけやね。

ハードボイルドであれ、犯罪小説であれ、主人公に年齢やら経験やらステータスみたいなもんが必要なんて、阿呆親爺の妄想だ。
ハメット、チャンドラーとか形だけ言ってみても、実際日本のその辺が考えるハードボイルドなんてセニョールピンクなわけなんだし。
若く経験も未熟な主人公でも、そういった人間にしか見えない、だからこそ見える世界がある。
『東の果て、夜へ』はそういった少年だからこそ見える世界を描いた名作だ。
そしてこの『The Last King of California』もそれと同様に、特殊な立場に置かれ犯罪組織に入って行く19歳の青年だからこそ見える世界を描いた、ある種の儚さ、美しさをも持つ優れた犯罪小説なのだ。

ジョーダン・ハーパーは新しい犯罪小説を創り得る才能を持った作家だ。
本当に微々たるものながら、当方で何とか紹介している現代のクライムジャンルの作家たちと共通する視点を持ちつつ、その中にどこか独特の新しさ、瑞々しさといったテイストを持ち出して来れる作家である。
もしかすると、シーンの中に於いてその搭載された群を抜くハイパワーエンジンによる疾走で、どこか独立独歩にも見えるドウェイン・スウィアジンスキーのようなポジションの作家になるのかも、とも期待させるところがあると思う。
そしてこの『The Last King of California』は、ここから続いて行く彼の著作群の中でも、少し異色の位置となる作品なのかもしれない、という予感もある。作者のある一面を表す作品であるにもかかわらず、後に見逃されがちに なるような。いやージョーダン・ハーパーがそこまで進む前に読んでおけてよかったね。
ここから確実にジャンルの重要作家となって行くが、日本での翻訳とか期待してたらまず追ってけないジョーダン・ハーパーの作品。絶対に一冊たりとも逃すなかれ!続く第3作『Everybody Knows』にもなるべく早期に進むものであります! …いや、ところで名前出してきて急にプレッシャー高まったんだが、スウィアジンスキーも早く読まんと…。いや、ホントすみません。現在最新『California Bear』のひとつ前の『Revolver』にはともかく予定だけでもきちんと向かっておりますんで。 ホント、読むべき作品は尽きず…。


■Jordan Harper著作リスト

●長編

  • She Rides Shotgun (2017)
  • The Last King of California (2022)
  • Everybody Knows (2023)

●短篇集

  • Love and Other Wounds (2015)


今回はこの辺で。昨今から見ると、割と平和に終わったんじゃないかな?この辺の西海岸もの少し集められんかとちらっと思ったが、あまり手持ちの材料なかったり。多分その視点でもそれなりに面白いものが見えてきそうなんだが。今後の課題ということで。
さて、当方の近況なのだが、遂にあれが届きました!エイドリアン・マッキンティ、ダフィ最新作『The Detective Up Late』ペーパーバック版!届いたその日よりウハウハと読んでおります。多分次の次、来月か再来月ぐらいにはなんか書けるかな? えーと、特に問題(なんか体調崩す:よくある。なんかコミックの方とかで色々こじらす:よくある)がなければそのあたりにはこの世界待望、近年最大注目作の全貌…、あ、いや全部書いたらネタバレなんで半貌ぐらいをお伝えする予定です。



●短篇集

'君のせいで猫も失くした'はamazon.co.jpを宣伝しリンクすることによって サイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、 Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。

2024年5月28日火曜日

Brian Panowich / Bull Mountain -カントリー・ノワール最注目シリーズ開幕!-

今回はBrian Panowich『Bull Mountain』。2015年に出版されたPanowichのデビュー長編作にして、ここから始まるBull Mountainシリーズの第1作です。

この『Bull Mountain』については、ちょっと前のトム・ボウマン未訳のヘンリー・ファレルシリーズ第2作『Fateful Mornings』を紹介したとき、カントリー・ノワールの最近の動向を調べようとアメリカ大手読書サイトGood Readsを 探っていた時に知り、色々とと調べてみたところ、今のそのジャンル知るにはまずこれからだろうと確信ぐらいしたのですが、その後先にあれ読まなきゃこれ読まなきゃで遅れ、やっと読んでここに登場という次第です。でもまあ、 自分にしちゃ早い方でしょ?

で、まず先に感想的なことを言ってしまうと、大変素晴らしい!サウザンゴシックの流れを汲むカントリー・ノワール・ジャンルは、なんだかんだ言ってもやや文学寄りの傾向が強いのだけど、そういう部分も引き継ぎつつもエンタテインメント性の高い バイオレンス・クライム・アクションを展開するのがこの作品。
このくらい翻訳されなきゃもう終わりだろと思うし、なんか色々賞的なものもとってるし、目聡い編集か誰かいたら出る可能性はあるかも、とも思うけど、どうせこの国もう終わってるから あんまり期待できないだろうね。ホントはコスビーからこういうのや、 Eric Beetner、ジョーダン・ハーパーとかに繋げてってこういうジャンルが存在してるんだって読者が認識するもんなんじゃないの?まあいいか、どうせ終わりだし。
これからもいい作品を読みたい、アメリカのクライム・ノベルシーンが何処へ向かうのかきちんと知りたいという皆さんは、日本の出版社など諦めて、とっとと原書で読んでください。


【Bull Mountain】


タイトルにもなっているBull Mountainは、ジョージア州南部に存在していることになっている架空の地名である。通称でもなんでもなく、作中では常にこの名前で呼ばれる。なんか翻訳が出たらみたいな話をしているうちに、そういうことになると邦題『なんちゃらの山』みたいのになって、下手するとホント野暮ったい山にされかねないなと思ったりした。なんか近年のこの国の出版社のやるそれって半分以上ぐらいもう勘弁してくれみたいなもんになってるけど、それこっちジャンル限定の話?

1949年
Bull Mountain西尾根 Jonson's Gap
Burroughs一族の当主であるRye Burroughsは、この山にいくつかある家族の狩猟小屋の一つの前に座り、西尾根に昇る朝日を見ていた。
やがて、タイヤが砂利を噛む音が朝の静寂を乱してくる。Ryeの16歳年下の弟、Cooperが古いフラットベッドのフォードで山道を登って来るのが見える。
到着し、後部ウィンドウに載せてあったライフルを掴んで降りてくるCooper。そして助手席からは彼の9歳になる息子、Garethも降りて来る。
彼ら兄弟の間には意見の相違があり、その緩衝材という役割で弟がまだ小さな息子を連れて来たことが、Ryeには察しがついている。

小屋に入り、Cooperが息子に手伝わせながら朝食を作る。あたかもお互いの間に何も問題は起きていないように。それが兄弟のやり方だ。
朝食の席でまず口を開いたのはGareth。「叔父さんがむかしこの尾根でグリズリーを倒したって、お父さんが話してくれたよ」
Ryeが応える。「いや、それは違うな。それはグリズリーじゃなくて、ヒグマだ」
「なぜその熊の頭を壁に飾らないの?」Garethの問いにCooperが答えないのを見て、Ryeが話す。
「わしらは必要のためにここで狩りをする。スポーツで狩りをするのは馬鹿のやることだ。壁に飾るトロフィーのためにそれを殺すのは、命を侮辱することだ」
朝食を食べ終え、Garethを含む三人は、それぞれにライフルを持ち、狩りのために小屋を出る。

狩りのため歩く道すがら、RyeとCooperのそれぞれの意見の相違点についての会話が始まる。
この地、Bull Mountainでのこれまでの主要産業は密造酒作りだった。だが、もはやそんな商売が続けられる時代ではない。家長であるRyeは新たな収入源としてこの山の木を売ることを考え、そのための交渉も既に始めていた。
だがCooperは、それは将来的にはこの山を失うことにつながるとして、断固反対している。
「俺には別の計画がある」と言うCooper。
「どんな計画だ?北に植えている雑草のことか?」
Cooperはそれを既にRyeが知っていたことに驚きを見せず、Ryeの計画への反対を繰り返す。

しばらく一行は沈黙のまま歩き続ける。やがてCooperが再び口を開く。
「もう取引は進んでるわけか?」
「ああそうだ。今日連中の一人が契約書を持ってくる」
そこでCooperが黙り、立ち止まる。Ryeの背後20ヤード先で川から水を飲む大鹿。Garethも既にそれを見つけていた。

Cooperは川の上流を指さし、Ryeはそちらに向かう。Garethは大鹿に狙いをつけている。Cooperは息子の肩に手を置いて言う。
「リラックスしろ。首の下の筋肉の厚いところに照準を合わせろ。毛皮が白く変わるところだ。わかるな」
Garethは引き金を引く。Cooperはそれと同時にライフルを左に向け、引き金を引く。
二発の銃声はほとんど連続し、森の中に響く。
大鹿は自身の重さを支えきれなくなり、肢を曲げ倒れる。
Rye Burroughsは、その首をハイキャリバー弾が貫いた時、よろめくこともなくその場に倒れ、地面に血を流していた。

Cooperは兄の死体に歩み寄ると、強く腹を蹴り既に息が無いことを確かめる。
そして驚愕に固まっている息子に声を掛ける。「周りを見ろ」
Garethはぎこちなく、叔父の死体から目を逸らすように周囲を見回す。
「何が見える?」
「樹、父さん。樹と森」
「お前にはもっと重要なものが見えていない。樹も森もその一部に過ぎん」
「それは家だ」Cooperは言う「俺たちの家だ。あらゆる方向に見える限りの全てが俺たちに属している。そして、お前に。それより重要なものなどない。それを持ち続けるために俺がやらないことなど何もない。それをやることが容易なことでは なかったとしてもだ」
そしてCooperは、Garethにスコップを渡し、墓穴を掘らせる。


この第1章では、こうしてある歴史の岐路における現在へ繋がるBull Mountainの始まりが描かれる。密造酒商売に見切りをつけ、合法的で平和な山の存続を目指したRye Burroughsだったが、それはこの山を失うことに繋がると考える弟、 Cooper Burroughsにより射殺される。Cooperがこの時計画していたのは、途中でRyeが指摘した「雑草」、大麻の栽培。こうしてBull Mountainは、マリファナ製造による非合法と暴力の歴史を重ねて行くことになる。
そして、第2章は現在、2015年へと続く。


2015年
ジョージア州Waymore Valley
McFall郡保安官のClayton Burroughsは日曜の朝、保安官事務所の自身の駐車場所にブロンコを駐める。電話を取るべきではなかった、今日は一日のんびり休日を過ごすつもりだったと憂鬱な気分で。
保安官事務所に入ると、受付のCricketがClaytonをすまなそうに迎える。「日曜にお呼び立てしてすみません。でもこの件については、保安官が可能な限り迅速に対応されたいと考えると思いまして」
「ゲストは1号房です」と、彼女は留置場を示す。
「それでChoctawは?」「オフィスで保安官を待っています」
Claytonは少々の頭痛を感じながら、まず自分のオフィスへと向かう。

オフィスでは保安官補のChotawが緊張した面持ちで、保安官Claytonを待っていた。
ClaytonはChotawに現在留置場に入れられている強盗犯の逮捕に至る報告を聞く。
町を訪れている軍隊時代の友人とのいたずら合戦に始まり、警察車両使用の規定違反などの問題を含み、ドタバタの末の強盗犯人の逮捕に至り、結果警察車両を損壊させてしまう報告はClaytonをも苦笑させてしまうが、Chotawには 車両修理代の支払いを命じる。

このパート、数ページに渡るいかにも田舎警察っぽい笑い話的なものなのだが、やや長いのと中途半端に書いても面白を損ないかねんという考えから省略。だが、実はこの部分終盤になって重要な意味を含んでいたことがわかったりするので、 くれぐれもいい加減に読み飛ばさないように。

Chotawがなんとか言い訳を試みているところで、デスクの上のインターコムから受付Cricketの声が聞こえてくる。
「Burroughs保安官、連邦捜査官がお見えになっています」
朝の8時半だぞ…。日曜の…。渋るClaytonに、明日出直してもらうように言いましょうか?とCricket。
しかしやむなく、入ってもらえと告げるClayton。

40代半ばかもう少し若い、ハンサムな男がセールスマンな笑みを浮かべながら入って来る。
「Simon Holly特別捜査官です」握手を交わし、ATFの者だと告げる。
Claytonは若干の頭痛を感じながら言う。「あんたが何の用で来たかは、わかってる。そうでなければと願うが、常にそうだ。そうでなかったためしなどない。とっとと始めてくれ」
「その通りですね。単刀直入に言いましょう、私はあなたのお兄さんにゲームから降りてもらうために来ました」

「数年おきに、あんたみたいな若手のFBIかATFの捜査官が現れ、俺のオフィスをつつきまわし、俺の兄弟の一人の上にハンマーを下ろす方法を探しに来る。今回のあんたとそれまでの連中との唯一の違いは、どっちの兄弟を狙ってるのか 訊く必要がないってことだ。あんたらの一人が去年Buckleyを射殺して以来な」
Claytonは相手を強く睨み、付け加える。「ちなみにそれで、その後どのくらい変化があったのかね?」
「我々はその件については全く関与していません。私の理解するところでは、それは州レベルでの混乱のはずです。ジョージア捜査局による捜査であったと認識しています」
「大した違いはない。FBI、GBI、俺にはあんたらおんなじに見えるがね」硬い声で返すClayton。
「その件に関しては深くお悔やみ申し上げます」
「まあ、そうだろうな。だが、俺が言ったように、あんたらはそこから何一つ成し遂げちゃいない。そして俺にはあんたが、今度はもっと多くのまともな住民を十字砲火に巻き込むよりましなことができるとは思えんのだがね」

「あなたは先ほどから"あんたら"と言い続けている」抗議するように言うHolly。「あなたは保安官だ。それはあなたも"我々"の一員だということではないですか?」
「聞いてくれ。俺はあんたらみたいなもんじゃない。俺はここから15マイルも離れてないところで生まれ育った田舎者だ。俺は「悪を成す者」から世界を救おうとしている、凄腕の法の番人なんかじゃないんだ」
「俺は外のあんたらの世界で何が起ころうがどうでもいいんだ。俺は、あっちの山から永遠に流れ続けてくるクソの川や、俺ら田舎者に自分らがどれだけとんがってるか見せびらかすためにここにやって来るトリガーハッピーの友愛会小僧共から、 この谷の善良な人々を守るためにベストを尽くす、ちっぽけな町の田舎警官なんだよ」

「俺はあんたの助けにはなれない」
頑なに拒むClayton保安官に、Holly捜査官は別のアプローチを試みる。
「多分最初から順に始めた方がいいのかもしれませんね。その方が良くわかってもらえそうだ」
「私はATFで2年になりますが、その間あるひとつの件に注力してきました」
「Halford Burroughsだな」とClaytonは、現在Bull Mountainのボスである兄の名を言う。
「違います。あなたのお兄さんはごく最近まで私の捜査圏内に上って来なかった。2年に渡り、私はフロリダ、ジャクソンビルの組織に対する立件のために動いて来た。関連するその他の件と並び、その組織はあなたの兄さんとその配下に 多くの銃器を供給していた。更にこの数年はあなたの兄さんのメタンフェタミン製造の原料供給元となって来た」
そしてHollyは、Bull Mountainがジャクソンビルの組織と関係を持ったのは彼らの父の時代に遡り、組織拡大により近年には人身売買にまで手を広げる危険な組織となっていることを説明する。
「あなたの兄さんHalfordは彼らのことをよく知っている。Halfordは彼らの活動全般について熟知しており、彼らも彼を信頼している」
そこでClaytonは、Hollyの意図を察する。「あんたは彼にフロリダの連中を売らせて、そっちの事件を解決したいわけだな」

覚醒剤の商売は終わることになる。だがこれまで稼いだ金も、山も守られることになる、とHolly。
だが、そんなことは不可能だ、Halfordにとっって最も重要なのはプライドだからだ、とはねつけるClayton。そこでHollyはまた別の角度から話を続ける。
「我々は山の中の16の覚醒剤密造所の位置を知っている。そして我々はフロリダ、アラバマ、北及び南カロライナ、そしてテネシーへのルートも把握している」
そして連邦各捜査局は今にもそれに飛び掛かろうとしている。そしてそれを止めることができるのは私だけだ。
そこまで話が進み、Claytonももはや山と家族を守るにはその方法しかないのでは、と思い始める。
だが、自分には兄を説得することが可能なのか?


この作品の主人公はBull MountainとBurroughs一族ということになるだろうが、現在時制での物語の主人公となるのはこのClayton Burroughs。
ちょっと物語の進行に合わせて行くとわかりにくい部分もあるかと思うので、ここで一旦まとめておこう。
1972年生まれで現在43歳。第1章で出て来たGareth Claytonの三男として生まれる。
現在彼が保安官として管轄しているのはWaymore Valleyという地区で、実はBull Mountainはここに含まれてはいない。
Burroughs一族の利権を守るというような目的の悪徳警官ではなく、彼らが管轄地域に引き起こすような問題に対処するというスタンスのまともな保安官である。
長男がHalfordで、現在のBull Mountainのボス。次男Buckleyは先に書いたように、前年州捜査局関連により射殺されている。
ならず者一家に生まれ、唯一まともな道を歩んでいるように見えるClaytonだが、実は自分が兄弟の中で父の期待に応えられなかった弱者というコンプレックスを持っており、それゆえ家業を継がず山を下りたという気持ちも持っている。
そして、その気持ちに動かされ、兄とBull Mountainを守るための手段として、Holly捜査官の提案を受け入れ、兄Halfordへの説得に動き始める。

この作品はそれぞれの章が、その章で中心となり、視点となる人物の名前、あるいは地名などで題されている。
「Chapter 1: Western Ridge, Johnson's Gap Bull Mountain, Georgia 1949」、「Chapter 2: Clayton Burroughs Waymore Valley, Georgia 2015」という感じ。
続く第3章、4章は兄の説得を決意したClaytonと、彼がその兄と関わる危険性を危惧する彼の妻Kate Burroughsの視点。
第5章では遡った少年時代のClaytonと兄Halfordの関係が描かれる「Halford and Clayton Burroughs 1985」。
そしてその時点でのHolly捜査官の視点の第6章を挟み、以降は「Cooper Burroughs 1950」、「Gareth Burroughs 1958」とBull Mountainの歴史と、先に出て来たフロリダの組織との関係の始まりなどが描かれて行く。
そしてそれらを踏まえた上で、中盤からはClaytonの、兄とBull Mountainを守るための模索、闘いが始まって行く。

だが、ここまで物語を追って来た人ならだれでも引っ掛かっていることがあるだろう。いや、今まで気付かなかったのなら、今気付け。
ここに現れたATFのSimon Hollyという人物は、本当に言っている通りの信用できる人物なのだろうか?本当に彼の言っていることは実現され得るのか?いや、ちょっとややネタバレ気味かもしれないのだけどさ。
中盤過ぎから後半にかけ、彼が何者であるかが明らかになるにつれ、それまで家族の葛藤、兄弟の相克が中心と見えたこの物語の様相が変わる。
そしてそれはBull MountainとBurroughs一族を何処へ向かわせるのか?


最初に書いたことの繰り返しっぽくなるけど、この作品はやや文学方向に傾きがちなカントリー・ノワールジャンルの中に於いても、犯罪小説というう部分でのエンタテインメント性の高い作品である。
近年のハードボイルド・クライムジャンルが、地方の田舎町というあたりを経て、こういう山中レベルのど田舎やメキシコ国境あたりに分布しているというのはもう散々言ってきていることであるけど、この作品は 主食リスみたいな本格ヒルビリーカントリーノワールとそれらのジャンルを繋ぐというような性格も持っているかもしれない。
また、なんか一所懸命説明しようと頑張っていて気付いたのだけど、この作品大変「語る」小説でもある。第1章のRyeやCooperぐらいからもわかるように、この作品では様々な人物が、モラル的な是非は置いといて、自身の信念的なものを 大変多く語る小説でもある。なんか長くなっちまうけどな、と思いながらもこのセリフは外せない、というものも多かったり。ほら、そこのあんた、好きだろこういう語るやつ。だったら絶対これ読まなきゃな!

作者Brian Panowichについては、なんかWikiと本の巻末の著者紹介を照らし合わせてみると何気によくわからなくなる部分もあるのだけど、その辺組み合わせて大体のところで言うと、多分父親が軍人で子供の頃はヨーロッパの駐屯地とかを 転々とする感じで育ったらしい。その後、イースト・ジョージアに落ち着きGeoreia Southern universityに入学。その後音楽関連で演奏旅行という感じで20年間各地を転々としてたとか。作家になる前か、なってからも、カントリーノワール作家に 人気(?)の職業消防士をやっていたそう。
小説を書き始めたのは2009年で、2013年にはその辺のWeb界隈を中心とした短編クライム小説家の中では最高の栄誉ぐらいだったSpinetinler Awardに2本の短編がノミネートされる。そして2015年にこの『Bull Mountain』で長編デビューとなる。
巻末の謝辞では当時出ていたアンソロジー誌Zelmar Pulpの作家グループに属する、こっち界隈じゃよく聞くJoe Cliffordをはじめとする多くの作家の名前が挙げられており、この人もこういうところから出てきた人なんだなと改めて思う。 もっと頑張ってその辺のアンソロジー誌も読んで行かなければと思うよ、ホントに。

Brian Panowichは2015年のこの『Bull Mountain』でにデビューから現在までに4作の長編と第1作と2作を繋ぐらしい短編1作を発表しており、来年4月に第5作の出版が既にアナウンスされている。なんかちょっとわかりにくくなってるのだけど、いずれもBull Mountainシリーズに属する作品。 まだ情報出たばかりで不明だけど、多分第5作もそうだろうと思うよ。
この作品に続く第2作『Like Lions』では『Bull Mountain』のあの結末のその後が描かれるようである。あ、その前に『The Broken King: A McFalls County Story』という短編があるんだが、さっき気付いたので内容等不明。長編第1作と2作を繋ぐというのは間違いなさそうだけど…。で、そのあの結末がどんなものだったか知りたい人は早く読むべし。モタモタしてるとこっちで次読んでばらしちゃうよ。


■Brian Panowich著作リスト

●Bull Mountainシリーズ

  1. Bull Mountain (2015)
  2. The Broken King: A McFalls County Story
  3. Like Lions (2019)
  4. Hard Cash Valley (2020)
  5. Nothing But the Bones (2024)
  6. Long Night Moon (2025)



全部ハードボイルドで問題ないだろ、って話


えーと、前回最後『夜の人々』関連で書いてて、余力がなくて途中で放り出しちゃった話の続きー。
と言ってもさあ、また誰かを罵倒したい、罵り足らんみたいなことじゃないんだよ。オレは外のあんたらのJミス世界で、ミステリ=クイズだろうが、犯人聞いたら読む意味なくなろうが、この中に犯人がいようがいまいが、 イヤミスみたいなクソ概念流通しようがどうでもいいんだ。 オレは、クイズオタクカルトから永遠に流れ続けてくるクソの川や、俺ら田舎者に自分らがどれだけお利巧か見せびらかすために出版社に入社して、まともな本の帯にクソコピー付けたり、自称評論家どもに好き勝手な思いつき「解説」適当に書かせる トリックハッピーのミス研小僧共から、このハードボイルド谷の善良な人々を守るためにベストを尽くす、ちっぽけなブログのハードボイルドバカなんだよ。ってことは先に言っとく。

つまりは全部ハードボイルドってジャンルでくくるのが一番明解だという話。
例えば、前回のジェームズ・リー・バーク/デイヴ・ロビショーというのを一つの地点とする。そしてダシール・ハメットを起点という風に考え関連する作品を順に並べて行く。
そこにはチャンドラー、ミッキー・スピレイン、ロス・マクドナルド、50~60年代のグーディス、トンプソン、ライオネル・ホワイト、ウェストレイク/パーカー、ジョン・D/トラヴィス・マッギー、ジョージ・V・ヒギンズ、一連のネオ・ハードボイルド、 ブロック/マット・スカダー、ジェームズ・クラムリー、マックス・アラン・コリンズ、80年代のローレン・D・エスルマン、スティーヴン・グリーンリーフ、ジェイムズ・エルロイ、エルモア・レナード、アンドリュー・ヴァクスまで、 何の違和感もなく収まる。出てきた時代背景による考察なんかも加え、それ以前からの影響みたいな見方も簡単にできる。
相互の影響などからも考え、これを一つのジャンルと考えるのが最も合理的であり、これらすべてをハードボイルドという大枠のジャンルで考えるのが適当であるということ。いや、別に名前なんてノワールって言いたきゃそれでもいいんだけど、 今更ハメット、チャンドラーをハードボイルド以外で呼びにくいだろ、ぐらいのこと。
そしてその中に、サブジャンルとして、クライムやらノワールやら、狭義のハードボイルド、PI小説みたいなもんが入るという考え。
こんな簡単な考えがなぜなされないかと言えば、様々なその場で思いついたレベルのバカバカしい定義。まあ日本のハードボイルドにおける諸悪の根源と言えば、散々批判してる「本格ハードボイルド」ってやつ。1950年代頃のロス・マクドナルド 売り出しキャンペーンに基づいたハメット-チャンドラー-ロス・マクドナルドスクールをベースにしたものをハードボイルドで最も重要な定義であるように掲げ、実際には主にチャンドラーのみを考えたような「ハードボイルド精神」解釈を 延々続けたり、謎解き視点からロス・マクドナルドを見当違いの方向で持ち上げたり。下手すりゃマイク・ハマーぐらいまで遡った日本のハードボイルドの混乱は、すべてぐらいにこれに起因すると言っても過言ではない。
そしてもう一方でミステリというものの中で伝統的で、日本ではいまだにその考えを変えられない、ミステリというのは事件が起こり犯人を特定するものだという固定観念。これにより本来は同じジャンル内のものとして考えるべき PI小説にカテゴライズされるものと犯罪小説に属するその形になっていないものが別々に扱われた、と言うより扱われ続けている。
角度を変えて考えてみれば、日本のミステリについての考え方の中では、まず謎解きに特化したものが頂点に置かれ、その価値観により下位のサブジャンル的なものとしてハードボイルドを扱い、犯罪小説はさらにその外のミステリ関連作品 ぐらいのものとして扱われている状況。これではいつまでたっても、別の視点から見れば明白なそれらを同じジャンルのものとして一つの流れ・歴史の中で考えることすら出来ない。
もっともこれはある時期までは日本だけの状況でもなかったようで、同じような感じで評論家筋やらからあまり評価されなかった50~60年代のクライム作品が、80年代になりBlack Lizardとして発掘・復刊され、再評価されるに至ったなんていうのもそういう 事情からなんではないかなと思う。

結局、こういった考えを追って行けば、どこかの時点でこれを修正すべきだったにもかかわらず、先人のその時点の考えでしかないものをそのまま継承し、小手先であーでもないこーでもないと足踏みしてきたような自称評論家どもへ行き着くわけ。
でもほんと不毛だよ。居酒屋での趣味の仲間同士の戯言「議論」が「論」になると思い込んだような「感想屋」を批判するなんてクソ時間の無駄以外の何でもないんだよな。
事あるごとにJミス的な考えをバカにしてるような言い方してる私だが、実際には80年代ぐらいなんだかよく知らんがその辺で始まった「新本格」とか言ってるやつだって別に批判する気もないし、むしろそういう動きは評価すべきだと思ってる。 だが、どこまで行ってもそれはローカル地域限定で、ガラミスでしかないんだよ。一番問題なのは、世界のミステリの動きはそんなとこにないのに、その考えに合致するようなあんたもう日本向けに書いてるんと違う?ぐらいの作家作品を 「ミステリの世界最高峰」とか言って持ち上げるような連中なんだよ。もはやありもしないもんを世の理みたいに言ってる連中なんてカルトと呼ぶしかないだろ。
それがミステリ=なぞなぞというような底辺レベルの子供向けミステリ観が大手を振って歩いてるのをいいことに、その上にどっかり座ってるようなこの国じゃ、まずJミス的な考えからバカにしてかなきゃ話も始まらないじゃん。

全ての定義みたいなもんは、精々時期限定ぐらいにしか使えない。今まで言ってきたような様々な「定義」面したものが先入観としてジャンルを縛るならとっととトイレに流しちまえ。
語源がどうだとか、文体がどうだとか。
「ハードボイルド精神」解釈に傾き、挙句にセニョール・ピンクに終わった本格ハードボイルド定義とか。
様々な作品でクラシック・ノワール的と言えるような形の人物配置・プロットを使い、見方によればもっともその部分を継承しているとも言えるエルモア・レナード作品にほぼ噛み合わない一方で、私小説ベースの日本の「純文学」的な傾向との 親和性ばかり高いノワール原理主義者によるノワール定義とか。
単純な話だよ。先に言ったような大枠ハードボイルドの考え方でハメットからバークまでを繋げれば、バークからこの『Bull Mountain』まで簡単につながる。ハメット・チャンドラーから続くと言ったって、いちいちそれと比較する必要なんてない。 百年近くを経ればなんだってそれなりに変化するのが当たり前。
小手先の居酒屋由来の駄論こねくり回してるヒマがあったら、バカバカしいこじつけ「○○を連想させる」知ってる本列挙じゃない、ちゃんとつながるものを探してみたら?
過去の作品を読むことには常に意味があるし、新たな発見・楽しみが得られるものだ。
でもまず未来につながる新しい作品を見てかなきゃ、どうにも先がないだろう、って話。
『Bull Mountain』は、そんな「ハードボイルドジャンル」の一番新しい流れに属している作品なんだよ。って感じでうまくまとまったナリか?

結局なんでこんなことを延々書いているかと言えば、ちゃんとそういう考え方して行かなければ先に繋がっていかないということ。この『Bull Mountain』がハメット・チャンドラーといかに違っていても、そこから始まったものが、多くの作家作品の積み重ねや時代変化を経てたどり着いた現在地点の一つであり、そしてそれが未来の作品へと続いて行く素材となって行くのだということ。
ハードボイルドが男の生き様かっこつけセリフ集だと思ってる猿も、論や定義で理解できると思ってるお勉強バカも放っとけ。これがハードボイルドだと言い続ける奴が、次の「ハードボイルド」を見つけられるのさ。


最近の新刊


今月は国内的にも色々注目の新刊が出とりますな。まずは何と言ってもコスビー『すべての罪は血を流す』、そして台湾、紀 蔚然『DV8 台北プライベートアイ2』、そしてチャック・ホーガン『ギャングランド』
このうちコスビーはそのうちゆっくり読みたいし、紀 蔚然についてはある意味どうなったか一番気になるところだけど、余計なこと言ったりするのも悪いんでこちらも個人的にゆっくり。で、とりあえずずいぶん久しぶりだけど どうなったんかな?と気になるのがチャック・ホーガンかな。でもちょっと調べてみたら2011年の『ザ・ストレイン』三部作以後はテレビや映画方面で、という感じで小説自体が久しぶりなのかよ。そっち方面流れてった作家多いけど、 そっちも頭打ちだろうし出戻り多くなるのかもな。
本屋行ったの先週で、『DV8 台北プライベートアイ2』だけ見てないけど、他の2冊は巻末に長ったらしい評論家解説ゴミが抱き合わせでない、訳者・編集者の短いやつになってたので、やっとあれの多くは害悪にしかならない無用性に 気付いてくれたんかとも思ったけど、翻訳ミステリ自体が瀕死だし単なる経費削減かもね。このまま削減してくれよ。どんなゴミ付けられてるか不安で、安心して本も読めやしないんだからね。
この辺については一応は分かってる作家なんで、未読でおススメしても多分大丈夫かと。なんかどうしても言わなきゃならん事とか、機会があったらなんか書くかもしれません。


なんだか気付けばまた月末かよ。もっと頑張らねば、と常に思ってはいるのだが…。マッキンティ/ダフィの最新作ペーパーバック版が遂に発売となったのですが、まだ届きません。来月になるそうです。発表になって割とすぐに予約注文した はずなんだが。とりあえず届くまでにこっち先読んどくかな、という日々を送っていたりいなかったり。とにかく次はもっと早く書きたい。



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