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2020年8月14日金曜日

2020 スプラッタパンク・アワード 受賞作品発表!

結構な大作をやっと仕上げてほげ~と夏バテしとるところでSplatterpunk Awardの受賞作が発表されておりました。なんかSplatterpunk Awardに関してはいっつもこんなタイミングなんだよな。
今年も毎年夏に開催のキラーコンでの発表でしたが、本年はコロナの影響で、例年のテキサス州オースティンでの開催が見送られ、オンラインのみのリモート開催となったそうです。 そういった会場での発表ができなかったこともあってか今年は8月8日の発表の翌日に、Brian Keene自身のホームページに受賞結果がアップされておりました。
それでは、以下が2020年、第3回のSplatterpunk Award受賞作です。
2020 Splatterpunk Award

【長編部門】

  • Lakehouse Infernal by Christine Morgan (Deadite Press)
  • Carnivorous Lunar Activities by Max Booth III (Cinestate/Fangoria)
  • Killer Lake by W.D. Gagliani and David Benton (Deadite Press)
  • Reception by Kenzie Jennings (Death’s Head Press)
  • Merciless by Bryan Smith (Grindhouse Press)
  • Toxic Love by Kristopher Triana (Blood Bound Books)
  • They Kill by Tim Waggoner (Flame Tree Press)

【中編部門】

  • One For the Road by Wesley Southard (Deadite Press)
  • White Trash Gothic Part 2 by Edward Lee (Section 31 Productions)
  • Saint Sadist by Lucas Mangum (Grindhouse Press)
  • Weeping Season by Sean O’Connor (Uafas Press)
  • How Much To..? by Matt Shaw (Self-Published)
  • Paradise, Maine by Jackson R. Thomas (Alien Agenda Publishing)

【短編部門】

  • “Angelbait” by Ryan Harding (from The Big Book of Blasphemy, Necro Publications)
  • “Breaking the Waters” by Donyae Coles (from Pseudopod)
  • “Censered” by Christine Morgan (from And Hell Followed, Death’s Head Press)
  • “Shoulder Pain” by Chandler Morrison (from Macabre Museum Magazine)
  • “Param” by Susan Snyder (from Trigger Warning: Body Horror, Madness Heart Press)
  • “Norwegian Woods” by Jeremy Wagner (from The Big Book of Blasphemy, Necro Publications)

【短編集部門】

  • Dirty Rotten Hippies and Other Stories by Bryan Smith (Grindhouse Press)
  • Dead Sea Chronicles by Tim Curran (Bloodshot Books)
  • Various States of Decay by Matt Hayward (Poltergeist Press)
  • Dawn of the Living Impaired, and Other Messed-Up Zombie Stories by Christine Morgan (Death’s Head Press)
  • This Is A Horror Book by Charles Austin Muir (Clash Books)
  • Resisting Madness by Wesley Southard (Death’s Head Press)

【アンソロジー部門】

  • And Hell Followed, edited by Jarod Barbee and Patrick C. Harrison III (Death’s Head Press)
  • The Big Book of Blasphemy, edited by Regina Mitchell and David G. Barnett (Necro Publications)
  • Dig Two Graves, edited by Jarod Barbee and Patrick C. Harrison III (Death’s Head Press)
  • Midnight In The Graveyard, edited by Kenneth W. Cain (Silver Shamrock Publishing)
  • The New Flesh: A Literary Tribute to David Cronenberg, edited by Sam Richard and Brendan Vidito (Weirdpunk Books)
  • Polish Extreme, edited by Edward Lee & Karolina Kaczkowska (Necro Publications)

【J.F. GONZALEZ LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD】

  • Edward Lee


長編・中編部門をDeadite Press作品が受賞。エドワード・リーらスプラッターパンク黎明期の作家の作品の復刻から、新作、そして次代を担う作家の作品を精力的にリリースし続ける、 このジャンルの中心的パブリッシャーDeaditeからの新しい作家の方のChristine Morgan、Wesley Southard両名の作品ということで、現在および今後のシーンの展望のために、是非ともどちらも読んでおきたいところ。 短編集ではGrindhouse PressからのBryan Smith。これも何とか読んどかなきゃならん作家だなあ。短編部門では結構Deaditeとも並ぶぐらいの、こちらも重要パブリッシャーNecro Publicationsからの 注目アンソロジーからの一作。アンソロジー部門では、新興で今勢いのあるDeath’s Head Pressからのやつ。ちなみにDeath’s Head PressはアマゾンKindleで検索してみたところ、今年になってからのリリースが 見つからなかったんで、ちょっと大丈夫かなあと思ったんですが、割と最近パブリッシャー名を入れずに販売しているのが多くなってて検索に引っかからなかっただけで、ホームページの方に行ってみたら相変わらず 勢いのある出版が続いているようでした。パブリッシャー名が入っていない理由は不明なのですが、案外雑で記入漏れぐらいのことなのかもしれませんね。そしてJ.F. GONZALEZ LIFETIME ACHIEVEMENT AWARDは、 エドワード・リー。来年のこの賞は、日本でもクレイグ・スペクターとの合作『闇の果ての光』が翻訳されたジョン・スキップに贈られることが発表されたそうです。あっワシこれ持ってる!未読だけど。読めよっ!
以上、第3回となる2020 Splatterpunk Award受賞作一覧でした。ちなみに第2回の長編部門受賞作Kristopher Triana『Full Brutal』も既に読み終わっているのですが、またしても書く方が遅れて 第3回発表に間に合いませんでした。毎度申し訳ない。前出の二人とも並ぶ今後のシーンを担うKristopher TrianaによるマッドJKが主人公の血みどろエログロバイオレンスホラーって感じの素晴らしい作品なんですが、 結構助走部分が長く、えーと、ほらあの「イヤミス」とかいうのがこんな感じなのかな?、みたいなのが続いてるうちに投げ出しちゃう人もいるんじゃないかと心配してるので、 なるべく早く書かねばと思っております。しかし、「イヤミス」ってのそもそものコンセプトがクッソダセエんでまともに調べる気も起こらんので、もしかしたら細かい解釈間違ってるかもしれんけど、 そんなの間違えてたって全然恥ずかしくねーや、自分が読んで面白かったのがそんなジャンル分けされてたら、全力でそこから出せ!って喚くだけ。 あと、エドワード・リー先生日本普及活動の方も忘れておりませんので、そのうち必ずや!
ってところで今回は終わりです。次回、現在最注目のあのコミックについても既に取り掛かって頑張っておりますので、そちらでまた。

●2020 Splatterpunk Award Winners/Brian Keeneホームページより


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2020年8月9日日曜日

ストックホルム三部作 映画版 -もうひとつのストックホルム三部作-

前回、やっと完結までたどり着きましたイェンス・ラピドゥスストックホルム三部作。今回は引き続き、スウェーデンで製作されたそちらを原作とする映画版についてであります。前回最後に書いたように、この三部作についてはその映画版についても語って完全版となる。まあ、その辺は最後まで読んでもらえれば納得してもらえるか、してもらえんかというとこかな。うむ、頑張ってみよう。

で、今回についてなのだが、何しろ映画三本をまとめてということなので、あらすじについては原作と同じ部分は省略します。原作のストーリーを知りたいという人は、私の書いた第二部『NeverScrew Up』及び第三部『LifeDeluxe』の記事を読むように。特に第三部は自分でも読み返すのめんどくさくなるぐらい長いので覚悟せよ。そして、三作まで紹介しなければならんので、特に最初からの二作については、完全にネタバレしますのでご注意を。

ではまず、この三部作の本国スウェーデンにおける原作小説発行年と、映画版の公開年を参照しておきます。
原作小説 映画
Snabba cash (2006) Snabba cash (2010)
Aldrig fucka upp (2008) Snabba Cash II (2012)
Livet deluxe (2011) Snabba Cash: Livet Deluxe (2013)
ま、この辺については後々色々と言及してくることになるので、とりあえずはこうやってわかりやすいところに置いとこう。
続いてこの三部作の概要について。製作は三部作を通じ、スウェーデンのTre Vänner Produktion ABというところ。監督はそれぞれ違うのだが、脚本については一貫してMaria Karlssonという人が手掛けている(共同脚本のクレジットを含む)。キャストも三部作で共通です。
日本では原作小説同様第1作のみがリリースされており、販売はDVDのみです。自分は第1作を日本版DVDで、続く2作は米版DVD(本編スウェーデン語/英語字幕)で観ました。米版ではBDも販売されています。ちなみに米版はリージョン1で、日本ではリージョン・フリーなどではない通常のプレイヤーでは再生できないのでご注意を。多分こういうのは書いといたほうが親切なのだよね。そんなに映画の方は扱っておらんので。
ここまでは、本来スウェーデン原産のため原題表記もありましたが、自分が読んだのも観たのも英語圏経由のものであり、そちらの方が分かりやすいと思うので、以降は基本的には英語圏のタイトルで統一して行きます。


Easy Money
(原題:Snabba cash/邦題:イージーマネー)
2010年/スウェーデン
監督:ダニエル・エスピノーサ Daniel Espinosa
原作:Easy Money(2006)(原題:Snabba cash/邦題:イージーマネー)

こちらは日本版も出ているので、見た人も多いと思う。基本的なストーリーの流れは原作に沿っているが、やはりかなり長い作品なので、当然ながらあちこちに省略や変更がある。
重要な変更点としては、原作ではJWは自分で麻薬売買で稼いだ金を元手に徐々に資金洗浄の技術を磨いて行くのだが、その部分は省略され、白タクとドラッグの元締めであるアラブ系組織のボスから頼まれてその道に進んで行くことになる。
そして、変更点の中でも最も重要なのは、この映画版第1作ではJWが姉カミラの失踪の真相を、知らないまま終わるということ。これはこの先の展開に様々な意味で大きな影響を及ぼして行くことになります。
更に、この映画版では原作小説第1作には無かったエピソードが追加されています。それはムラドに殺されかかったホルヘがJWに救出され、アラブ系の組織に匿われ協力を始めた後に、組織内の裏切り者の内通によりユーゴ・ギャングが襲撃してくるというもの。そのアラブ系組織の裏切り者の名はMahmud。そう、原作小説第2作の3人のうちの一人であるあのMahmudだ。そう、とか言ってみたものの、この原作小説版と映画版の三部作を両方読んで観た人は日本ではかなり少ないだろうから、うむうむと頷いてる人もいなさそうだが…。一応日本版の字幕で「マフムード」とは出てるんだが、原作小説をやった時の表記と一致させるため、この後もここではMahmudで行きます。
この映画の日本版字幕で気になることが一つ。ホルヘの姉であるはずのパオラがこの映画の字幕では妹となっています。これに関しては、映画版では設定が変わって妹になったのか、それとも誤訳なのか不明であるため、とりあえず、日本版字幕では、という言い方をしておきます。おそらく元になっているのが英語字幕なのだろうし、英語では姉と妹の区別がはっきりしないということは多々あるし、何しろ日本は妹のために命を懸ける主人公の大変多い国だから、こういう形の誤訳でが出るという可能性は高いと思われるのだが。とりあえず、映画を観た後で原作小説を適当にナナメ読みして、「映画では妹であったのが姉と誤訳されている!」と騒ぎ出すバカが出ないとも限らん昨今なので、ここでオリジナルの設定は姉であることをはっきりさせておきます。
少し複雑な原作小説をうまくシェイプアップし、スピード感の高い見ごたえのある犯罪映画として完成させた作品。原作者イェンス・ラピドゥスもこの第1作を高く評価しているそうです。



Easy Money II: Hard to Kill
(原題:Snabba Cash II)
2012年/スウェーデン
監督:Babak Najafi

そして、問題のこの第2作。原作小説第2作『Never Screw Up』の時に受けた印象の通り、この映画版第2作の内容は原作小説第2作の内容と全く違っています。映画の原作としては第1作『Easy Money』と第2作『Never Fuck Up/Never Screw Up』を併記する形でクレジットされており、原作第二部の3人の主人公のうちMahmudだけは登場し、『Never Screw Up』の中のエピソードも一部形を変えて使われています。こちらについてはあらすじを紹介しないと始まらんのだが、最初に書いた通り全面的にネタバレしてしまうのでご注意を。

『Easy Money』の結末より3年後。服役中のJWは、出所の時期が近づいている。同じ刑務所には、前作最後の事故で下半身不随となり車椅子生活のムラドも収監されており、二人はすっかり友人となっている。刑務所内から学生時代の友人と連絡を取りつつ作り上げたビジネス・プランで出所後の新しい人生に思いを馳せるJW。自分が逮捕されてしまったために完全に身寄りが無くなってしまった娘への想いに苛まれるムラド。

ホルヘは南米からの貨物船を使い、10キロのドラッグの密輸に成功する。売り込み先はユーゴ・ギャング。取引の日時も決まり、姉(妹?)の住居に潜伏する。

前作でのアラブ系組織での裏切りから行き場をなくしたMahmudは、ユーゴ・ギャングの末端に使われる身となっている。ヘマでパーティーに送り届ける途上で女に逃げられてしまったMahmud。ユーゴ・ギャングのボス、ラドヴァンはMahmudの口に突っ込んだ銃で、ロシアンルーレットの引き金を引きながら告げる。

賠償金を一週間で用意しろ。

潜伏先が密告され、逃走するホルヘ。だが、その車は路上でトラックに衝突し、大破する。逆さになった車のトランクからドラッグを取り出そうと必死になるが、トランクはびくともしない。近づくサイレン。ホルヘはドラッグと車内に取り残された仲間を見捨て、その場から去る。

出所の日を迎えたJW。だが、その足で向かった取引先企業で、彼が作り上げたプランは既に友人ひとりの名で契約が完了していることを告げられる。彼の手には一銭の金も落ちてくることはない。友人の裏切り。そしてかつての恋人ソフィからは拒絶される。絶望したJWは、今ではただ一人の友人となった、刑務所のムラドに電話する。

だから言っただろう。つまりは金だ。金がなければ奴らに踏みつけられ、負け犬でいるしかない。だが俺は金の在り処を知っている。でかい金、ラドヴァンの金だ。

俺が外に出るのに手を貸せ、JW。

妹の結婚式に出席するMahmud。久しぶりに会った父は、祝いの席上でもユーゴ・ギャングの犬に成り下がったMahmudへの怒りを隠さず、面罵する。なんとか金を作らなければ。金が用意できなければ自分の命はない…。妹の結婚祝儀金の封筒を次々と開き、ポケットに押し込むMahmud。

取引するドラッグは失われた。こうなったらやるしかない。ホルヘは銃を隠し、空のバッグを持ってユーゴ・ギャングとの取引の場へ向かう。だがその目論見は発覚し、仲間は射殺され、ホルヘも危機に陥る。その時、奥の部屋に監禁されていた娼婦として連れてこられたNadjaがドアを蹴破って脱出し、その混乱に乗じホルヘはその場にいたユーゴ・ギャングを射殺し、取引に用意された金を奪い彼女と共に逃走する。

要求された額の三分の一ほどを何とかかき集め、ラドヴァンに猶予を乞うMahmud。

お前にチャンスをやろう、Mahmud。お前はホルヘ・サリーナスを知っているな。奴は俺の金を盗んだ。サリーナスを見つけ出し、金を取り戻し、そして奴を始末しろ。

ホルヘは子供の頃からの友人だ。だが、やるしかない…。

娘ロヴィーサの名を叫びながら、狂ったように動かなくなった足にペンを突き立てるムラド。ただちに拘束され、病院に収容される。しかし、看守の隙を見て首を締めあげ、病室から脱出。院内で落ち合ったJWの用意した車で脱走する。俺は自由だ!

ムラドに指示され、郊外の森へ向かい、埋めて隠してあった銃器を掘り出すJW。待ってくれ、俺にはできない。俺はそういう人間じゃないんだ。
いや、お前がやるんだ。俺はこの身体だ。お前がやるしかないんだ。

もう後戻りはできない。腹を括れ、JW。

最近に亡くなった母の住居にNadjaとともに潜伏するホルヘ。窓から外を眺めていると、昔からの知り合いMahmudが近づいてくる。
やあホルヘ、こっちに戻ってたのかい?ちょっと話があるんだけどいいかな?2分ぐらいで済むから。今からそっちに行くからドアを開けてくれよ。
階段を上がり、ドアの前で待つ。ドアが開いた途端に、構えていた散弾銃を発射する!
だが、ドアを開いたのはホルヘではなく、Nadjaだった。腹部に銃弾を受け、倒れるNadja。ホルヘは窓へ走る。ベランダの手すりを乗り越えるホルヘに発砲するMahmud。窓に駆け寄り、下を覗くとホルヘは地面に倒れ伏し、動かない。金の入ったバッグを掴み、その場を去るMahmud。

ラドヴァンの表に出ない隠し金を預かっている金庫番だ。ギャンブル狂いで競馬場に必ず現れる。駐車場で待ち伏せ、男に銃を突きつけ車に乗せるJW。あとはムラドの仕事だ。隠し金庫の在り処、解錠ナンバーを吐かせ、男の住居に向かう。

ホルヘから取り戻した金をラドヴァンに届けるMahmud。よくやった。お前は俺の信頼に応えてくれた。お前は組織の一員だ。最初の仕事だ、Mahmud。この金を俺の金庫番に届けるんだ。

男の住居に着き、JWがひとり中に入る。男が言った場所に隠し金庫は見つかる。だが金庫は開かない。番号が嘘だったのか?焦って自分が間違えているのか?その時、JWの耳に住居の玄関が開く音が聞こえてくる…。

金庫番の住居に、かつてのムラドの配下ラトコと共に到着するMahmud。金を運ぶのはMahmud、玄関を開け、家の中に向かう。ラトコは外に立ち、姿の見えない金庫番の男に電話する。車の中で身を低くし、見守るムラド。その時、車の中で男の携帯が鳴り始める。

息を殺し、様子をうかがうJW。来入者はまだ自分のことを気付いていない。ドア口に人影が見えた時、彼は手にした銃を放つ。その場に倒れる人影。
Mahmud…?そこに倒れていたのは、かつて白タク組織時代友人でもあった男だった。

家の中からの銃声に、車に背を向けそちらへ向かうラトコ。ムラドは車窓からその背中に銃弾を撃ち込む。倒れながら手にした銃を撃つラトコ。その銃弾はムラドの潜んだ車のドアを貫通して行く。金の入ったバッグを担ぎ、家から出てきたJWは、状況を見て、ムラドの銃弾に倒れているラトコを射殺。ドアを開いたJWの目に飛び込んできたのは、腹部に銃弾を受けたムラドだった。

病院に行く必要はない。俺はもう駄目だ。それより俺の言う住所に向かってくれ。

瀕死のムラドがJWに向かわせたのは、娘ロヴィーサが養子になった家だった。ポケットから出した封筒をJWに手渡すムラド。
娘にこの手紙を渡してくれ…。

だが、ロヴィーサはすでにその家からいなくなっていた。彼女には問題があって、他の里親のところへ行った。家人はそっけなく告げ、JWが彼女に送ってほしいと差し出した手紙を受け取ることも拒んだ。
途方に暮れて車に戻ったJW。ムラドはもう長くなさそうだ…。

手紙は渡してくれたか?
ああ、とても喜んでいたよ。
そうか…。

ムラドはもう一度娘に会い、別れを告げる幻を見ながらこの世を去る。久しぶりに会った娘は、少し成長していた…。

銃弾を受けながら転落し、殺したと思いMahmudがその場に放置してきたホルヘ。だが、彼はまだ生きていた。しばらくの後、意識を取り戻したホルヘは負傷した足を引きずりながら、襲撃された部屋へ戻る。腹を撃たれたNadjaにもまだ息があった。二人は通報により到着した救急車に乗せられ、搬送されて行く。

山道に駐めたムラドの遺体の残る車に火を放ち、JWは雨の中、金の入ったバッグを担いで去って行く…。



まあ、ちょっと長すぎたかとは思うが、このくらいに語りたい映画なんだよ!文句あるか!?
ここで少し戻って最初に用意しといた原作小説、映画それぞれの初出の対比表を見ると、原作第一部、二部がそれぞれ2006、2008年。そして映画版第一部が2010年。
原作第一部が発表されて間もないころから映画化は企画されていたようだが、実際に進行し始めたのは原作第二部が発行された後だろう。そこで、その時点で既に映画も第2作を製作することが決定されて、次作への構想も含めた形で脚本・ストリーが作られていたのではないか。それは原作小説第二部からの登場となるMahmudの物語が映画版第一部から始まっていることからも明らかだろう。
またその一方で、前回までに書いたように原作第二部では、第一部の三人の主人公はほとんど登場しない新たなキャラクターによる物語が語られる。やはりこれには不満の声も多かったのではないかということも容易に想像される。そこで映画版第二部は第一部の主人公たちが再登場するオリジナルストーリーとなることもその時点で決定されていたのではないか。それが映画版第一部の中で謎であった、JWの姉の失踪の真相が先送りされた理由なのではないか、ということである。

原作第一部を読んだ人ならお分かりのように、JWの姉カミラの失踪はムラドが属していたユーゴ・ギャングによるものであり、原作小説の通りにJWがその事実を知れば、後のムラドとの友情はありえない。これはその物語へと続けるための布石だったのではないか。あーん?ストーリーにうまく収まりきらなくて先送りしたのが、たまたまうまくはまっただけだろ、って言ってる人いる?まあワシも最初はそう思ったのだけどね。しかし、私にそれを仕掛けられた伏線とほぼ確信させたのは、一部、二部に渡るMahmudの物語の取り込みの上手さである。

前述の通り、映画版第一部に登場するMahmudのエピソードは完全に映画のオリジナル。軽い気持ちで裏切りユーゴ・ギャングに情報を流していたが、バレて制裁を受け、組織から放逐される。その後JWをムラドに誘われた裏切りへと走らせる原因の一つともなる、自分の属している組織への不信感と恐怖を芽生えさせるシーンである。翻訳の出た原作小説第一部のみを読んだ後、この映画版第一部を見た時には、映画では尺的にどうしてもかなりのエピソードを省略しなければなるため、説明不足や強引な展開になりすぎることを補足するためのシーンとしか思わなかったが、実はこれはそういう目的の他に原作第二部に登場するMahmudの物語を、オリジナルストーリーになる映画版第二部に盛り込む流れを作るという役割を同時に担っていたことを後に知ることになるのである。
そして更に、その第一部映画版のみに挿入されたJWとMahmudの小さなエピソードは、第二部終盤JWが相手の正体を知らぬままMahmudを射殺してしまうシーンに大変効果的に使われてもいる。まあ物語を組み立てる時には意図していなかったエピソードが思いがけず効果的に組み合わさることも少なくはないものだろう。しかし、これは原作のあるストーリーであり、そこに新たなエピソードを加え効果的に物語に組み込むためには、それなりの意図と仕掛けが必要になるものだろう。つーかさ、このくらいのもんが全部たまたまうまくはまったとしたら出来すぎだろ。この辺はほぼ全部仕掛けと考える方が自然やろ。

ちなみに第二部映画版に使われた原作小説の部分をもう少し詳しく説明すると、原作小説では別のギャングからの借金に追いつめられていたMahmudにユーゴ・ギャングが声を掛け、結果Mahmudは昔からの知り合いの同胞を売ることになるというところまでが、映画に合わせて変更を加えながら取り入れられている。
序盤のロシアンルーレットによる脅迫は、他のギャングからだったものがラドヴァンからに変わっている。そして彼が探し出しユーゴ・ギャングに売った同胞がホルヘへ。Mahmudの妹の結婚式のシーンは映画版のオリジナル。原作でも随所に描かれる父親との葛藤がより簡潔にわかりやすく描かれているシーンである。あと、Mahmudの妹はまたちょっとわかりにくいかと思うけど、原作小説にも登場していてこちらは間違いなく妹。あと、これはMahmudのパートではないのだけど、JWとムラドがユーゴ・ギャングの金庫番を競馬場で待ち伏せして拉致するというところは、原作小説にあったThomasが情報を持っている男を競馬場に探しに行くシーンへのオマージュというのか、からの頂きというのか、まあそういうやつ。

そしてこの映画版オリジナルストーリーで一番の見どころと言えば、やはりムラドのパートだろう。ムラドの娘ロヴィーサはもちろん原作小説第一部にも登場するが、やはりそこは映像の強みか、実際にあの可愛らしい女の子が登場すると、より不遇感も強まり、より感情移入度も高まる。映画版第一部のラストで、あの娘はどうなってしまうのだろう、と思った人も多いだろう。この映画版オリジナルストーリーは、原作第二部が応えてくれなかった、そんな人たちの想いに応えてくれるのである。まあただハッピーエンドを望んでた人は不満かもしれんけど、そんなお子ちゃまのことなど知らんわ。

それにしても、少なくともこの時点で原作が三部作になることはわかっていただろうストーリーの途中で主要人物のひとりを殺してしまうとは、随分思い切ったことをしたものだと思うが、これについては原作者ラピドゥスはどう思っていたのだろうか?
実はそれについては原作小説第三部の中にヒントがある。物語の中盤過ぎあたりのところだったと思うが、潜入捜査官Hägerströmが捜査の指揮官と映画館で密会し情報交換をするシーンがある。その劇場のスクリーンでこの映画版第二部の予告編が流れ、ラピドゥスはHägerströmの口を借り、「スウェーデンの犯罪映画にはどうも嘘くさいのが多いが、こいつはリアリスティックで期待できそうだ」とエールを送っているのである。
原作小説第三部の出版は2011年で、翌2012年に公開となる映画版第二部のクランクインは2011年ということ。当然ラピドゥスは第三部執筆の時点ではこの映画は観ていない。だが、ここまで見てきたように、この映画版第二部のストーリーはかなり早期、第一部の製作時期から構想されていたものと思われ、また、それが原作小説第二部と全く違うストーリーとなるところから、その了解を取るためやらなんかでラピドゥスにはシナリオぐらいの段階のものが送られ、原作小説第三部の執筆の時点でそれを読んでいたのではないかということが推測されるわけである。アメリカの映画製作じゃそんなことやんないとか言ったって、これスウェーデンやからね。映画版第一部の出来に満足し、高く評価していたラピドゥスだが、とりあえず第二部については未知数、しかも原作と違うストーリーになるとあって、ここまで積極的にエールを送るとなると、その内容について知っていたと考えるのが自然だろう。

そして更に、ここで原作小説第三部における一つの謎への推理が浮かび上がるのである。前回に書いていた少し不自然に思われるムラドの不在。
原作小説第二部にはムラドは登場しないが、刑務所内ではユーゴ・ギャングからの処刑指令が出ていて何度も殺されかかっているが、しぶとく生き残っていると人伝に語られていて、ここから第三部には何らかの形でムラドの物語が用意されていたことが明らかなのだが、第三部では序盤にユーゴ・ギャングの情報提供の見返りとして証人保護プログラムへと向かう過程で、潜入捜査に先立ちJWの情報を引き出せないかとHägerströmが面会する短いエピソードのみの登場となっている。あくまで想像だが、ここからムラドは別の名前と身分、更には別の顔をも持って物語後半で何らかの動きをするストーリーがあったのではないか。
しかしラピドゥスはこの映画版第二部のシナリオかなんかを読み、そちらのムラドのストーリーが優れていたことと、また一方でもしかしたら自分が考えていたストーリーがあまりうまく進まなかったりしていたのが相まって、もう原作小説の方ではムラドの話は書かなくても良いのではないかと思ったのではないか、というのが私のこの謎への推理である。真実はいつも一つ!もし何かでラピドゥスにこの真相を聞く機会とかあったら、物陰に大人一人が一瞬にして意識を失うほどの危険薬剤発射装置を装備したメガネ少年を配置し、眠らせた後私の推理通りの話をさせる。いや~、オレロヴィーサのこととかすっかり忘れてたしさ~(スウェーデン語)。

私は常々原作にリスペクトのない映画の作り手を嫌悪してきているが、それは映画を作る際、原作のストーリーと寸分違わぬものにならなければならないという意味ではない。そもそもが様々な条件からしてそんなことはまず不可能なわけで、要は原作が持っているテーマやコンセプトを崩さないものであれば、いくらでも、は言い過ぎかもしんないけど、ストーリーの改変などがあってもいいと思っている。
このストックホルム三部作映画版第二部『Easy Money II: Hard to Kill』は、原作小説第一部のストーリーから「IF」で枝分かれしたアナザーストーリーとして、原作のファンとしても高く評価できる優れた犯罪映画であると思っておるのです。
ただ一つ残念なのは、これにより原作小説第二部の、私が「ストックホルム三部作の山中正治」と特別深い思い入れを抱いておるNiklasのストーリーが映像化されなかったこと。時系列的にはこの第二部より前でNiklasを主人公とした、『イージーマネー/ストックホルム死闘篇』とか作ってほしかったなーと思うのであります。

Easy Money III: Life Deluxe
(原題:Snabba Cash: Livet Deluxe)
2013年/スウェーデン
監督:Jens Jonsson
原作:Life Deluxe(2011)(原題:Livet deluxe)

続く映画版第三部では、タイトルも原作と同じになっていることからもわかるように、原作小説第三部のストーリーに沿ったものに戻っている。第二部のオリジナルストーリーによる改変から、そのままではうまく繋がらなくなった部分を調整しつつ、原作第三部のNatalieを中心としたユーゴ・ギャングの内部抗争と、ホルヘによるCTI襲撃の二つが同等の比重を持ったメインストーリーとなる。

映画の冒頭に過去のストーリーのおさらい的なカットバックに重ねて彼らのその後がテキストで語られる。JWは様々な容疑を掛けられながら失踪中。海外に脱出したとの情報もあり。ホルヘはユーゴ・ギャングの殺害容疑などで逮捕されたが、現在は出獄中。
そして、ホルヘの物語は、どこかの老人介護施設で働いているとこから始まるのだが、ちょっと違和感に戸惑う。ホルヘってそもそも脱獄囚だし、出てくるのちょっと早すぎない?
だが、実はこの辺の事情はあとで明らかになるので、ここは一旦置いといてストーリーの進行に集中すべし。で、少しそのまま観ていると、実はホルヘは第二部の最後で別れ別れになったNadjaがこの施設で働いていることを突き止め、会うために潜り込んできたのだと分かる。ちなみにちょっと遅れてしまったけど、このNadjaの元ネタは、原作第一部に登場するホルヘがユーゴ・ギャングへの復讐を図り情報を集めているときに出会った娼婦ナージャからなんだけど、全然役割とかも違うのでNadja表記のまま進めます。そしてホルヘは、犯罪者仲間から内部に手引きできる人間がいるとの情報を得て、CTI襲撃へと向かって行くことになる。

そしてもう一方のユーゴ・ギャングのストーリーは、まず組織内で頭角を現してきた若手Martin Hägerströmが紹介されるところから始まる。まあ原作小説を読んだ人間なら、Hägerströmならコイツ潜入なんじゃねーの?とすぐ気付くのだが、案の定。
原作第三部では資金洗浄の実態をつかむため潜入捜査でJWの運転手をしていたHägerströmが、映画ではユーゴ・ギャングの組織内への潜入捜査に携わっている。更に言えば、映画にはならなかった原作小説第二部の主人公のひとりで、そちらでは部分的にHägerströmの相棒でもあったThomasの第三部でのポジションに、Hägerströmが潜入として入り込むという構図。なかなかうまく組み替えたじゃん、と思うのだが、少し説明が複雑すぎたか?
で、この映画版のHägerströmなのだが、原作であった上流家庭の出身とかホモセクシュアルとかの設定はなくなっていて、年齢も原作より多分一回りぐらい若い。これはNatalieとの関係を作りやすくするためのものだろう。そしてこのHägerströmの存在が先に書いたホルヘのちょっと早すぎるように見える釈放の謎の説明となっている。
Hägerströmは潜入捜査に先立ち、ユーゴ・ギャングの内情にもそれなりの知識を持っているホルヘから情報を求め、その見返りとして彼の罪の軽減とNadjaの身分保証を与えたことが後のシーンで語られる。そして原作通りというか、もう少しダイレクトにHägerströmがこの二つのストーリーを繋ぐ役割となるわけである。

ホルヘのCTI襲撃は、原作のプランナーのような存在はなく、ホルヘ自身が計画・指揮を執るという形で進む。三部作を通じて映画版では、ホルヘが原作より若干プロフェッショナルな犯罪者となっている感がある。だが、やっぱり非情になり切れないところがあり、それが計画の破綻を招いて行くこととなる。

ユーゴ・ギャングのストーリーでは、原作よりもかなり早いぐらいの映画が始まって間もなくでラドヴァンの暗殺未遂事件が起こるのだが、その後が結構長く、Natalieとラドヴァンの親子関係や、その後につながる組織内の反対勢力の萌芽が描かれて行くことになる。もう原作の方で書いちゃったんで仕方ないんだが、映画の方ではラドヴァンが2回目の襲撃で殺されるのは、ちょっとネタバレになるぐらいのところだったり。

そしてこの最終作には、三部作全体の主人公と言えるJWも当然現れるのだが、実はその登場シーンは映画全体から見るとかなり少ない。三部作の最後にして、JWは姉カミラの失踪の真相を突き止めるのだが…というところ。
そして、原作の時も書かなかったし、この映画版でも書くつもりはないが、実はその結末は原作と違うものとなっている。



まず、この映画版第三部のJWの、ほぼ「不在」という状態について。
最初、原作のストーリーからこの映画版に入った私は、このJWの「不在」を第二部のオリジナルストーリーからうまくつながらなくなってしまった結果と見て、それゆえの違った結末と解釈してしまったのだが、おそらくはそれはまた別の映画ならではの事情というものではないかと思う。
まあそこそこ映画に詳しい人なら当然ご存じだろうが、このシリーズのJW役ヨエル・キナマンはこの時期国際的な進出を果たし多忙になり、こちらの映画にあまり時間を割くことができなかったというのがこの「不在」の真相ではないだろうか。
原作小説におけるJWは、刑務所で服役中にも資金洗浄の実力を伸ばし、闇のマネーフローの大物となって出所し、ユーゴ・ギャングの内部抗争にもその資金運用役として関わってくる。うーん、映画の方はそこそこ見ている人もいるだろうが、原作も読んだ人はかなり少ないと思われる状況で、やっぱルールとしてそこまでは書けない結末の違いを云々するのは非常に難しいんだけど…。やはり原作を読んだ身としては、この結末はともすると途中でストーリーを変更した結果のJWのストーリーの欠落ゆえのなし崩しの結果のようにも見えてしまう。実際、映画のみを観た人も第三部のJWの結末には少し納得いかなかった人もいるのではないだろうか?

しかし、これまで見てきたようにこの映画版の脚本Maria Karlssonを中心とするスタッフは、原作からの変更に際し常によく考えられた巧みな腕を振るっている。そこから考えると、実はストーリー構成・脚本の段階ではこの結末に至るJWのもう少し納得がいくストーリーがあったのだが、ヨエル・キナマンの事情によりそれらを大幅にカットし、最低限ストーリーがつながる部分を残すしかなかったのではないか。
映画版第二部では、JWがムラドの脱獄に協力し、成功した後にムラドを伴って姉カミラの墓標だけの墓を訪れるシーンがある。もしかすると死の直前にムラドが知っていたかもしれない姉カミラの失踪の真相をJWに語るというシーンも想定されていたのかもしれない。そしてそれをあえて捨てて、第三部に持ち越すような意味のあるJWのストーリーが考えられていたのかもしれない。
そして、ここまでJWの結末しか触れてこなかったが、特に映画版に於いては第二の主人公となっているホルヘにもそのストーリーの結末があり、それもまた原作版と違っていてそちらより明るいものとなっている。そして、もしJWのストーリーがきちんと描かれたうえでのそのJWの結末(おそらくJWのストーリーが描かれても映画版の結末は原作と違うこちらであったと私は考える)との明暗の対比が、この映画、及びシリーズ三部作の本当のエンディングだったのではないかな、と私は想像するのである。

その他、Hägerströmが潜入捜査官であることが露見する部分は少し展開が強引ではないか、などの部分はあるが、大枠が崩れてしまったストーリーではあちこちに小さな破綻が出ることはつきものなので、そういったところをいちいち指摘するのもそれほど意味のあることとも思われない。多少の瑕疵はあっても全体的には第一部同様に、あの量の原作を映画サイズにうまく纏めた良作と評価できる作品であると思います。

なんかつくづく思うのは、原作を三行ぐらいのあらすじに要約した上で、平気で作品のテーマを踏みにじり、アメリカで受けるとされているファミリー要素とスタイリッシュなアクションで換骨奪胎、整形しドヤ顔のハリウッドのクズ脚本家どもの仕事を見すぎたなということ。初見の時にはそこからの先入観で、原作からの変更をいちいち否定的な目で見てしまったというのは自分的には大きな反省点です。
例えば原作付きの映画というのは、たとえそちらの方が観た人がはるかに多かったとしても、常に二次創作という一面を持っている。だが、しばしば問題となるのは、それが原作に全く愛情も敬意も持たない人間によって作られるということだ。しかし、このストックホルム三部作映画版は、それらとは違う、原作を熟考し、原作のエッセンスを崩さぬよう映画用に再構成し、更にそこにIFのストーリーを追加して作り上げられた作品である。私は敢えて、この作品をその原作に対するスタンスに敬意を表する意味を持って、優れた二次創作作品と呼ぶ。原作にきちんとした愛情を持った人間でなければ、ただのパクリレベルの名前だけを借りた偽物などではない「二次創作」など決して作ることはできないのだ。製作に多くの人間が関わる映画ゆえに完璧にはなれなかった部分もあるだろう。しかし、それでもこの映画版三部作は、原作小説ストックホルム三部作を再構築し、ある部分ではそれを補完し、オリジナルに影響を与えたところもあるのかもしれない、「もう一つのストックホルム三部作」と呼ばれる価値のある作品なのである。


あー、今回もかなり長くなっちまったな。でも映画だと間にトレーラーとか挟めて前回ほど延々とテキストが続いてしまう感じよりは幾分か読みやすくなったのではと。しかし一作目しか翻訳の出てない三部作の、更にそこからの映画化作品というのも強引に強引を重ねる感じで果たしてちゃんと伝えられたのかとかなり不安ではあるのですが…。まあ、なんとしても伝えなければならん現代ノワールの重要作品ストックホルム三部作を何とかやり遂げたぞ、てことでいいかな。

ついでなんですが、ここにつなげるのちょっと微妙なんだけど、前回力尽きてすっかり忘れてしまった原作小説第三部『Life Deluxe』で見つけてこれは絶対に書こうと思ってたオモシロネタを追加いたします。
第三部の序盤の方だったと思うのだけど、ホルヘが姉の家へ甥っ子へのお土産を持って行くシーンがあり、それがこちらのレゴ。「現金輸送車を襲撃しているレゴ」とか書いてあって、えー?ホントにそんなのあんの?と思ってただちに書いてあったレゴの番号で(LEGO 8199)で検索してみたらホントにありました。まあ、レゴ側の意図としては強盗から現金輸送車を護っているレゴなんだろうけど。近くのトイザらスとかにも見に行ってみたのだけど、読んだ時点で発売から結構経っていたわけで、現物はありませんでした。ネットでは手に入ると思うけど、結構お高いし、どう考えても家に置くところもないので自分では手に入れてません。小さなお子さんがいるお父さんなら、「現金輸送車を襲撃しているレゴ」だぞって感じでプレゼントして、奥さんから顰蹙を買ってみるのもいかがかと。
うがー、やっぱタイミング悪くてせっかくのネタなのにいまいち。前回ちゃんとやんなくてごめん…。


ここで前回のお詫びです。あーお詫びと言っても、高名な読書のプロの先生に失礼なことを書いてしまって申し訳ありません、とかいう一切心の片隅にもないことではありません。いやー途中でめんどくさくなってぶん投げるように終わってしまってごめん。やっぱやるとなったらきちんと徹底的にやらんとね。
とか言っても今更前回の続きやっても上のレゴみたいにちょっち気の抜けたもんになっちまうんで、もう少し別のアプローチからなんでこんなに頑張って罵倒せねばならんとムキになっているのかについて書いてみます。まあ、アイルランド出身の現在最も注目されているハードボイルドジャンルの作家エイドリアン・マッキンティの作品で、ハードボイルドのハの字もなく、更にアイルランドと言えば当然言及されるべきケン・ブルーウンの名前すら見られない、自分に語りやすい「ミステリ」型にはめ込んだ偏向的な欠陥解説を、後出しじゃんけんポジションゆえに許されると思ってるやや上から目線ぐらいのタメ口でお馴染みの「読書のプロ」スタイルのなあなあヘラヘラ口調混じりで書いてんのが心底ムカつくー、っていうのが基本なんやけどね。なんでこんなオフザケや肉体LOVE♡北上次郎の出鱈目なお小遣い稼ぎ雑文が許されるようになったのか!?
例えば古の「本格通俗」与太や、その後の時代の「ネオハードボイルドではプロンジーニとリューインのみミステリとして評価する」?てめー何様だ?というような偏見がまかり通っていたミステリ評論界だが、それでもいくらかはハードボイルドに対するまともな言説も高いおそうめんの色付きのやつぐらいの割合には見つけられた時代もあったのだが、それが21世紀に入ってからは次第に先細りになり、もう2010年代ぐらいには全く途絶えてしまう。そしてその空隙を埋めるのは、前述の「ネオハードボイルドでは…」レベルの「ミステリ解説者」による「ミステリ」型解説と、勘違い編集者によって起用されたハードボイルドについて語る能力など皆無の肉体LOVE♡北上のようなものばかりだ。
ハードボイルドを心から愛する者として、こんな状況は放置できん!だが「ミステリ解説者」、読書のプロどもに都合の良い論述調整を重ねられ続けた結果、現代ハードボルドを代表する作家の作品にハの字も書かずに解説できるように見せかけられたこの腐りきった歪んだ状況、もはやちまちました修正ではとても追いつかん。こうなればこういった害虫を徹底的に駆除し、ハードボイルドを更地ぐらいまでに戻すしかない!エスピオナージュやミリタリー、メンズアクションアドベンチャーなどのジャンルが、ミステリ要素だけを抽出し、ミステリ基準だけで語ることができないように、当然ハードボイルドもそのジャンル独自の基準抜きで語ることはできない。だがそれはこの世の全ての問題を四則演算のみで解こうするレベルの阿呆が自分が理解できるようにこじつけた馬鹿馬鹿しい定義などではない!ハードボイルドをこのようなガラクタで型にはめようとする愚物は徹底的に排除せねばならんのだ!

はっきり言って私もそこまで馬鹿じゃないので、こうやっていい作品について多くの人に広めたいという目的があるなら、あちこちに各方面を罵倒するような文言を挟むのはあまり効率的ではない、というぐらいのことはわかっている。コミックの方だって言いたいことがないわけではないが、そこには言及しないでやった方が多くの人に読みやすくなるはずという思いで、なるべくこういったことは避けている。だがハードボイルドは違う。たとえ読んでくれる人が減ろうが、この惨状の上にあぐらをかいている野郎どもに一矢報いなければならん。だが、私は自分の方が上手く書けるから自分に書かせろ、などと言ってその座に成り代わろうというようなせこい考えでこれを行っているわけではない。私の目的はもっとシンプルだ。テロリズム!なんかハードボイルドに近づくとキチガイに噛まれるぞ!ミステリ論もクソもなくとにかく何言っても噛まれる!言葉も通じんらしい!オ~ニッホンゴワッカリマセ~ヌガブガブ。もーハードボイルドとかの解説お断りします。そもそもそんなによく知らないんだし。フザケンな!二度と顔出すんじゃねーぞ!作戦である!
なんかさあ…、あーまた週末中に終わんなかったなあトホホって感じで平日夜にぼそぼそ書いてて、週半ばすぎて疲れも溜まってくると、どーせワシ一人がこんな零細ブログで吠えてたってどうもならんよなあ、みたいな気分になってきちまうんだが、そんなことではいかんよ。ずっと誰もやってくんなくて放置されてるうちにこんなひどい状況になってしまったと思ってるから頑張っとるのだ!いつかは奴らももはやハードボイルドはヘラヘラミステリ評論家が半笑いで臨める場所ではない、と思い知る日が来ると信じて、戸梶圭太作品の地元にノコノコやってきた東京者を追っ払うためならいかなる手段をも辞さない田舎者の不寛容さと不退転の決意と、鬼滅キッズの思い込みと熱意を持って、地道な草の根テロを今後も展開して行くものである!

繰り返して言うが、私は自分の意見の方が正しいから自分に書かせろ、などというつもりでこれを言ってるわけじゃない。だが世の中に正しくない意見というのは確実にある。例えばアガサ・クリスティを読むつもりでスピレイン/マイク・ハマーを批判しているような意見には全く意味も正当性もないし、逆もまた然りである。
ずいぶん昔のことだと思うけど、誰かの読書ブログで「人には誤読の権利がある」というようなことを冒頭に掲げたものを見た覚えがある。なんだか自分が例えば評論家みたいな連中のものと違う感想を書いてしまった時の言い訳のようにも見えてしまうが、その意見自体に反対するつもりはない。一つの作品にも人それぞれの意見や感想があり、どれが正しいというものではなく、誤読する権利だってあるだろう。
だが、本をたくさん読むうちに本来の良い本を読んだから人にも薦めたいというような目的も忘れ、ただ点数を付けて評価し順位をつけるような「評論家的読み方」に堕した者が、前述のクリスティ⇔スピレインのような「誤読」で批判を始めるならそんなものには全くの正当性はない。世の中には年齢に関係なくいつまでたっても批判していれば、辛口、見る目があると思われると思ってるバカが山ほどいる。何度も言ってることだが、本を少し読み慣れれば簡単にどんな作品にだってある、その欠点を見つけることができるようになり、その欠点をあげつらって批判をすることなど造作もないことなのだ。
この作品解説の杉江による「書きすぎ、筆の走りすぎ」みたいな下劣な評論用語は、そんなものを誘発するだけの、それこそ杉江自身が素人同様に「オレ見る目あるー」と喧伝しているだけの愚劣極まりない記述である。先ほどから言ってるクリスティ⇔スピレインのような例を考えれば、それが双方にどのように都合よく解釈され「誤読」されるかも見えてくるだろう。
どんな意見が正しいとか、どんな解説が正しいとかいうことを言っているのではない。だが、あまりにも読み方を歪めるばかりの間違った解説が多すぎるのだ。今やこのレベルのものしか書ける人間がいないというなら、簡単な作者紹介と作品リスト、それもできないなら広告に直行した方がはるかにましだ。そうやってハードボイルドを更地に戻すのだ。
そして更に、例えば今日、ハードボイルドというものを読もうと思って初めてチャンドラーを読み終えた若い読者がいたとすれば、彼、または彼女は海外で発行された最新のハードボイルドを読んでみたいと思うことだろう。それがマッキンティのショーン・ダフィであり、この作品なのだ。そのためにこういった作品にはきちんとハードボイルドと明記されねばならんのだ!
なんか曖昧な統計的な方法論で、そう書かれていることで買わないと予想される「ヤングアダルト」をナウい今風の言い方だと思ってるレベルのお爺ちゃん読者数人より、これから本を買ってくれる若い読者一人をゲットする方が出版界の将来のためだろうが。これはそうやって築かれる新しいハードボイルドのためのテロであり、私は一切手を緩めず、これを敢行して行くものである!えーっと、主にゆっくり休んで気力体力をいささか回復した週末を中心にね…。

ここから奴を二度とハードボイルドに近づけないために肉体LOVE♡北上の悪口を30センチ(PCブラウザで当ブログを表示しアナログ物差しで計測した値)ほど書くつもりであったが、もうめんどくさ…あ、いや、なんだ、読んでくれている人のPCやスマホに余計な負担を掛けぬために今回は勘弁してやる!
あと、罵倒ばっかりもなんなんで少しはいいとこも書いとくと、今回の帯結構いいやないですかい。内容とかデザインも良いしな。それなりに頑張ってコメント集めたんなら、こっちを巻末に載せときゃよかったじゃん。印刷時期とか色々あんの?なら版元のホームページとか行けばいくらでも見つかる絶賛レビューとかさ。アレも版権があるとか?いずれにしてもそこそこの出費でこれよりましなのいくらでも見つかるっしょ。もうちょっとちゃんと売れる仕様で出してくれよ。頼むよ。頼むテロ。


【戸梶圭太最新作!KIndleにて絶賛発売中!】
さて今回もあとはこちらのコーナーです。今回は何とか読みましたこちらの作品『コロナ日本の内戦』の感想から。いや、ホントはこんな他ののオマケみたいな感じじゃなくてちゃんと一回使ってやるべきなのだが、ちょっと今そういう感じに増やして行くのが少し難しい状況なので、申し訳ない。

で、まずその内容はと言うと、「コロナ」をテーマとした7本の短編からなる短編集。どちらも戸梶作品でおなじみのチープで底の浅い奴らが、この危機的状況に追いつめられ、コロナの恐怖にパニックを起こし、走り回り、罵り合い、殺し合う、戸梶圭太エッセンスあふれる素晴らしい作品集である。
この世界的な未曾有の危機状況の中にあり、作家であればこれについて何か書きたい、いや書かねばならぬと思うのは当然のことだろう。戸梶圭太は、その卓越した速筆と、現在出版社を通さずにKindleダイレクトで自作を出版中というフリーハンドの状態とを活かし、正にいまだ状況が進行中の中で出版を成し遂げたという大変意義のある作品集である。まさに今読むべき一冊!
この作品中に描かれている「コロナ」は、我々が直面している新型コロナウィルスの症状などを必ずしも正確には表現してはいない。だからどうした?これは作品が販売されているページにも明記されているように完全なフィクションである。決してコロナ状況の社会をレポートしたノンフィクションなどではない。だが、ここに描かれているのはまさに我々が直面している感染したら死ぬと思っている殺人ウィルスへの恐怖と強迫観念そのものである。
まったく、教訓要素とお勉強要素を見つけなければ本もまともに評価できない、いつまでたってもイソップ童話と学習漫画を卒業できないダメ大人が多すぎるんだよ。自分の知っているなけなしの「正しい知識」で作品にツッコミを入れるような傾向が顕著になったのって、前世紀末、80~90年代頃からだろうか?要するにおなじみの、そんな銃の持ち方じゃ当たりませんー、手首をケガしますうー、が全ジャンルに拡がったということ。そんな飽くなきリアリティの追及が、規則通りに正しく警察官の身分証を提示し、銃を持たせれば基本に則った正しいスタンスを取る、あんまりリアリティの無い警察署に勤める、全くリアリティの感じられない役者によって演じられる刑事が、もはやリアリティのかけらさえない部活気分のいじめっ子テロリストと闘うみたいなものを世にあふれさせたというわけだ。ああ、リアリティ万歳!
そんなモラルがTVの放送コード、リアリティがあるあるネタと化した現代ニッポンに、鬼才戸梶圭太が当たり前の作家活動として放つ、「コロナ文学」の先鞭を付ける問題作品集!あるキャラクターが言い放つ「安心しろ。もう元には戻らないから」というセリフが日々重みを増やすように思われるこの時代、これを読まずしてなんとすると言うんだい?

さて勢いの止まらぬ戸梶先生でありますが、前回よりさらに2作がKindleダイレクトで追加!前回書いた直後ぐらいに発行された『宝くじ販売員の戦争』と、つい先日発売されたばかりの戸梶児童文学『忘れ死神ぴよ』の2作である!このうち『忘れ死神ぴよ』は、初のフランス語版も発行とのこと。2作出たところでやっと1作読んでるのでは永久に追いつけんので、これまで以上の努力を持って戸梶圭太新作群を追って行かねばならぬと決意をを新たにするばかりである。とりあえずはフランス語版も気になる最新作『忘れ死神ぴよ』かな?戸梶先生、この勢いで頑張って下さい、ちゃんと読み続けるんで!ああっと、また重要なことを書き忘れるとこだった!戸梶圭太Kindleダイレクト作品は、全作Unlimitedで読み放題でーす。これでも読まんのかい?コラアッ!

そして、海の向こうでも犯罪小説方面ではこの状況に何かを書かずにはおれん、という動きが始まっております。それがあのPolis Booksより6月に発行されたコイツ!『Lockdown: Stories of Crime, Terror, and Hope During a Pandemic 』!編集はあのNick KolakowskiとSteve Weddle。Nickについては伝説の「Thuglit」最終号のとき書いたな。憶えてる人や読んだ人今いるのかは不明だが、その後もかなり活躍しとるのだぞ。Steveに関してはここで説明する余力が無いんだが、アメリカじゃウィキペディアだってあるんだぞ。あのDo Some Damageを作ったエライ人!19人の錚々たる面子がパンデミックの危機的状況を描く。日本で翻訳されてんのがかのジョニー・ショー先生だけだなんてのは、まーったく意味がなく、さすがNickとSteveの人脈とうならせる顔ぶれである。しかし、まあ謎の殺人ウィルスぐらいになってるところは戸梶先生に一歩遅れたか?誰が見たってコロナなんだから、コロナでいいだろ、という感じ、改めてさすが戸梶圭太と感服するばかりであるね。だが一応彼らの名誉のために言っとくと、Nickあたりもコロナでいいだろ、ぐらいの気概はあったかもしれないが、Polis Booksの編集あたりからストップがかかったのかもね。大体そういうことやんのそういう人達やからね。まあ他のジャンルでもこういう動きあるのかもしれんが、とりあえずこっちの守備範囲のクライムやらホラーやらのヤバい連中からは、この状況に立ち向かう動きが続々出ておるぞ、ということを戸梶圭太の傑作と共にお伝えしておこう。

えー、そして今回ももはや余力ないのだが、ついさっきまたヤバいの見つけちゃったので緊急でお知らせしとく。こちらはかのDown & Outよりの『Guns + Tacos』シリーズ!こちらのシーズン1全6作をそれぞれ3作ずつ収めたVol.1、Vol.2が各2ドルぐらいでセール中!『Guns + Tacos』シリーズというのが何かを簡単に説明しとくと、ある設定の話をそれぞれ別の作家が交替して書くという、アメリカでは色々あって結構人気のも多い形式のシリーズ。ずいぶん昔だけど『Dead Man』シリーズっていうのを紹介したよね。あーゆうやつ。シカゴで人気のタコス屋台トラック(キッチンカーとか言うんやろ?最近)。だがそれは昼の顔。深夜、夜明け近くなると別のメニューを求める客がやってくる。スペシャル・オーダーのイリーガル・ウェポンだ…。Polisの『Lockdown』について書いてて、ふとDown & Outもなんかやっとるかも、と思いついて見に行って見つけた。実は結構前にこのシリーズチラッと見て、あとでチェックしとかなきゃと思ってたんだけど、そのまま忘れてた…。すまん。シーズン2が開始され、期間限定のセールです。このチャンスにお早めに!モタモタしてたせいで、思いのほか早く終わっちゃってたらごめん。あとDown & Outからは『A GRIFTER’S SONG』っていう同系のシリーズも出てるんだけど、もう説明する余力ないんでDown & Outのサイト行って自分で見てちょ。


あちゅーい!あちゅいですうー!寒いより暑い方が遥かに好きなんですが、体力無いんでかなりキツイです。お昼休み冷房の効いた会社から外出ると、重力まで上がったような気がして、ベジータ様が重力ルームで修行してる姿の走馬灯が意識を流れたりします。このあちゅい中、ブログの方が強制的にリニューアルされ、エディターがむっちゃ使いにくくなって、次から他のエディター使って書かなきゃという感じになってたりします。とまずは近況ボヤキ。
今回も結構頑張っていたのだけど、こんな感じでまたバカ長くなって結構遅れちまいました。ホントは楽しい本のお話で書こうと思ってたこともまだあるのですが、それを考えると読書のプロがどーのこーのとかつくづく時間をドブに捨ててるな~と思います。だがお前がやれぬことならばこの世のドブさらいとして俺がこの手でやらねばならんのだ!今回はこれも載せちゃうぞー!

とりあえずは次まで読書のプロや肉体LOVE♡がこっちのテリトリーをウロチョロせず、平和に書けることを望むばかりである。こっちもわざわざ外に探しに行くほど暇じゃねーし。とにかく何とかこの重要作『ストックホルム三部作』はやり遂げた。だが、書かねばならない本はまだ山ほどあるのだ!『Guns + Tacos』なんつーのも掘り出しちゃったじゃん!というわけで今回はここで終わって次に進みますでごわす。ではまた。アイスまだあったかにゃー?あちゅーい…。


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■ストックホルム三部作映画版

■Stockholm Noir Trilogy
●Vintage Crime/Black Lizard版

●Pan Books/Macmillan版

■長編(英訳版)
●Vintage Crime/Black Lizard版

●Corvus版

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