今回はエイドリアン・マッキンティ『Hang On St Christopher』。2025年にBlackstoneから出版された、ショーン・ダフィ・シリーズ第8作がやっとで登場です。まあとりあえずここまでの道のりも長かったか。今年2026年3月にペーパーバック版がやっと出版され、予約注文はしたもののやっぱり在庫不足で届かず。そこからなんだかんだで3か月かかってやっと入手し、やっと読めたという次第。 さて色々と書きたいことはあるんだが、まず最もうんざりするこの件から先に片付けとくか。
結局また日本でマッキンティ/ダフィシリーズがいかに酷い状態で出版されたかってところはどうしても言わなきゃならんだろう。もうその馬鹿さ加減にはいい加減気持ち悪くなってくるし、クソ時間の無駄なんで、手早くやってあとは 普通に書いてくつもり。だがこれはちゃんと告発しておかなければならんことだし、まだそんな考えの阿呆なミステリご意見番気取りもいると思うんで、そういう奴らをなるべく不快にさせて早々に追っ払うという目的のものである。
そもそもは、前々回の最後にちょっと暴発したところで書いた、読書のプロ・ミス研人脈・本格ミステリカルトの三悪により翻訳ミステリが食いつぶされた21世紀になってから現在まで続く読書のプロ暗黒時代に、いかにして 本格ミステリなる安直かつ幼稚な愚考が業界周辺までに浸透していったかというところから始まる。
(※注:このページで書かれている「本格ミステリ」という文言は、本格的なミステリを意味するものではなく、クラシックなミステリのトリック・謎解きなどを最重視したミステリ作品を指す、日本国内のみで使用されているミステリ用語です。)
発端となるのは、マッキンティが英ガーディアン紙に出した、密室ミステリベストいくつかとかいう記事。これに島田荘司の『占星術殺人事件』が2位にランクインしていたということ。まあ日本の作品が高く評価されてよかったね、で済めば 良かったんだが、日本の本格ミステリカルト信者はこれを、華文に続き島田ショックによる追随者が欧米にも現れた!日本の本格ミステリが今後多く出版されればやがて日本発の本格ミステリが世界を席巻するだろう、マッキンティはその最初の一人だ! ぐらいまで、極大解釈したわけだ。作家の作品を高く評価したら、即その作家の弟子扱いとは、ミステリ超後進国のミステリ原始人恐るべし、としか言いようがないわな。
そして日本では一部の勢力が、マッキンティを島田ショックによる本格ミステリへの転向者と完全に決めつけ、それに執着する。欧米の評価なんて全く関係ない。なぜなら日本では、海外作品を日本以外には存在しない本格ミステリとして指定するための方便、 「日本の見方」なる裏ワザが作られていたからだ。「欧米ではハードボイルドと言われているが、日本の見方ではこれは本格ミステリである」。これで解決。
翻訳ミステリ出版社早川書房にも浸透したカルト信者たちは、翻訳出版が進み、明らかにそうでないとわかってもその考えに執着し続ける。そして日本での翻訳最終作となった第6作『Police at the Station and They Don't Look Friendly』には 本格ミステリカルトの首魁である法月綸太郎を「解説」に起用することとなる。
長年続いて来た、海外作品は作者本人が絶対に見ることはないので何を書いても許されるという悪習を引き継いだ「解説」全体も酷いものだが、中でも特に許せないのが、このシリーズは主人公ダフィに子供も生まれたことで、安定と成熟から ハードボイルド路線は変更され、署員が協力して事件を解決して行く警察小説になるだろう、というような勝手な決めつけをしているところだ。つまりさ、ここで日本での翻訳が終わるのをいいことに、「ダフィシリーズが本格ミステリになるのはこれからだ!」 というような打ち切りエンディングを勝手につけたわけだ。そしてこれにつけられた帯のコピーは「仲間と家族ができ、怖いもの知らずのショーン・ダフィは弱くなった-」。こんなん明らかにこの打ち切りエンディングへ持ってくための誘導だろ。ふざけんな!
その他にも、『The Chain』の杉江松恋のオフザケ解説も本当に酷いもんだが、中でも最悪なのは島田ショックによる影響みたいなものを完全に既成事実として書いているところ。あのさあ、作者自身の本に「解説」なんて形で、「評論家」を名乗る人間が 書いたら、みんな公式のものだと思うんだよ。こいつらも出版社編集部ってところも、もうそういう責任ってもんを全く考えてない。
マッキンティ/ダフィシリーズに島田ショックによる影響も、「本格ミステリ」に向かう傾向もないなんてことは、読めば誰にだってわかる。こいつらは専門家を名乗りながら、そもそもマッキンティという作家にそうなり得るような傾向があるのかと考え、 きちんと作品を読んで検証しなければ迂闊に結論付けることが出来ないだろうという、至極普通の考えすら浮かばなかったってわけだ。
もうこんな奴らに少なくとも国産以外のミステリに関わる資格なんてないんじゃない?あーそうか、資格云々以前に、そもそも日本において「ミステリ評論家」なんてものは、必要スキルが出版編集部とのコネのみの職業だからねえ。
あまりにも幼稚で馬鹿の極みとしか言いようがない。まあ日本の翻訳ミステリってところが、最後にはどこまで劣化して終わったかっていう見本にはなるだろうが、そんなことは他の作品でやってくれりゃよかったのにな。
もはや日本の翻訳ミステリなんてもんについて書くこと自体が時間の無駄でしかないんだが、どうせ無責任体質で知らんぷりを決め込む連中ばっかりなんだから、誰かが言っとかなきゃなんないってだけだろ。
結局何を言ってみてもさ、大方がパズラー派対ハードボイルド派みたいな、カビが生えてミイラ化したような構図で解釈して終わりなんだろ。パズラー派が考える対立してるハードボイルドは、いつまで経っても大好きな『名探偵登場』の ピーター・フォークでな。日本はパズラー派の方が多いんだから、最後にはこっちが勝つって?何に勝つの?勝ったら世界のミステリがパズルミステリ中心になるの?結局その「勝ち」って思い込みの結果が、このあまりにも悲惨な マッキンティ/ダフィの翻訳出版なんだろうね。
だからさ、こっちはエルロイやウィンズロウの先のミステリって話をしてるんだよ。そもそもがパズラー派なんてものを対抗勢力だとすら考えてない。パズラー派を批判することで、現在のハードボイルドを語る上で意味がある事なんてもはや 何もない。その考えや基準じゃ、そもそも現在のミステリってものを全く理解も説明もできないだろって言うだけの話。もはやトリックも謎解きも、現代のミステリではそれほどには重視されていない。そこにこだわりその基準で選んだものを並べても それが世界の現代のミステリの状況を表しているものにはならない。いつまで「日本の見方」なんてエクスキューズが通用すると思ってんの?まあ結局最後は自分が思うミステリを守るために、ミステリ鎖国すればいいなんて結論に至るような 阿呆について考えるだけ無駄なんだよ。
例えばさ、ポピュラーでなんちゃってミステリファンに人気なのが、例のお手軽な謎解き娯楽としての鍵穴本ぐらいのところなんてことに何の問題もない。あーひと昔前のMWナントカみたいに洋書ミステリKindle買ったぐらいの 理由でしつこくアマゾンのおススメを埋めてくる本国版カバーはもう鍵穴じゃなくなってんのか? 一般的なミステリの人気の水準なんて日本以外でも、昔からあのくらいのもんだろ。売りたい書店員も、出版社も精々売ればいい。常に問題なのは、日本で専門家を自称する連中までがその水準だって話。 「ジム・トンプスンを一位にしたのはマズかったネ」で、実質的には海外作品がダン・ブラウンで、国産作品が『変な家』程度と同じランキングを、それより高級なミステリがあるような顔をして振り回してきたわけだ。 「本格ミステリ」なんていう、ミステリ初心者が簡単にミステリ全てがわかったような気分になる理屈を振り回して。
何度も言ってることだが、自分は「本格ミステリ」と呼ばれてきたような作品が書かれることを批判してはいない。だがそれは「本格的なミステリ」というようなもんじゃない。それを「本格」と言い続けることで、日本のミステリ理解は、いつまで経っても それが「本格」であったかもしれない遥かな昔に留まり続ける。あーどっかの揚げ足取ってロンパくんが、「それならハードボイルドがミステリの本格だというのか?」みたいなどこにも進まない足踏み論議吹っ掛けようとしてるんじゃない? 馬鹿々々しい。ミステリであろうが文学まで広げようが、そういう場では新しい作家が常に前のものを越えよう、価値観すら引っ繰り返そうと苦闘している。そんな場で、目先小手先で分かったつもりになってる「本質」や「定義」なんかで 縛りをかけようと考えること自体が、最低の害悪でしかないんだよ。「本格ミステリ」なんて呼ばれる概念があると考えること自体がクソだって話。
翻訳ミステリなんてそもそもが大して売れるもんじゃないだろ。そこで自分たちが思い込んでる日本で売れる形みたいなもんに見せかければ売れるなんて考えは最低最悪。これ以上海外作品を捻じ曲げるようなことで商売するつもりなら もう一日でも早く出版なんてやめてくれとしか言いようがない。どーせ翻訳ミステリなんて売れないんだからさ、もう諦めろって。うん、最後に鍵穴でちょっと稼げばいいが、間違ってもミステリの世界最高峰とか言い出さないようにね。
まあ何言っても意味ないし、時間の無駄でしかない。お前らのためにこんなことやってんじゃないから。どうせ今回のだって「こいつは「ハードボイルド派」だからその方向で書いてるだけで、「日本の見方」で見れば「本格ミステリ」になってるに 違いない」とか考えて、行間からそれを読み取ろうとか思ってんじゃない?無駄だからとっとと帰れよ。
あー、そうだ、お前らが気に入りそうなのをここに書いといてやるから、もうそういうもんだと思い込んで、それで帰れよな。
「子供も生まれ成熟・安定したショーン・ダフィは、キャリックファーガス署の面々の先頭に立ち、ベルファスト最大の密室殺人事件の捜査に当たる。神のごとき推理で真相を見抜いたダフィは言う。「ローソン、ファミマ(新キャラ)、イレブン(新キャラ)、 関係者を集めてくれたまえ」」
ほーら、もう帰った、帰った。
* * *
というところで阿呆どもは完全に追っ払ったと解釈し、あとはなるべく通常運転で好き勝手に書いて行きます。ちなみに、本編には新キャラファミマもイレブンも、誰も勝てない最強のコンビニ店員も登場しませんので。あと、日本でのマッキンティの翻訳出版について語ると、どうしてもそういう腐った部分にばかり話が向かってしまうのだが、その一方で、大変優れた日本版の武藤陽生氏による翻訳に言及せず、そこに巻き込んでしまっていたのではないか というところには少々反省している。
武藤氏の翻訳は、ダフィのキャラクターや語りについての、原文からの再現度は非常に高く、翻訳されたものから未訳のものを続きで原文で読んでもほとんど違和感を感じさせない。言っとくけどそれ出来てない翻訳も多いからね。 中でも特筆すべきは、お馴染みクラビーのところ。原文で読むと、生真面目だが武骨でややぶっきらぼうな田舎者タイプで、その中にダフィの目を通してちょっと癖のあるユーモアが滲み出るというようなキャラクターなんだが、 そこに独特の喋り方を加えることでより親しみやすいキャラクターとなっていると思う。そしてお馴染みとも言える、メインカルチャーからサブまで広範囲に渡るかなりの量の言及を、ちょこまか小さい文字で注釈を入れることなしにそのまま進めてるところも 好感が持てる。まあこういうところで誰かさんみたいな、安直に物事に上下を付けられるような世界でぬくぬく暮らしてきたロートルは、無様に狭量な俗物っぷりを曝しちまうもんだがね。
そりゃあ翻訳ってものにも良し悪しはあるんだが、基本的にはあんまりその辺についての、特に批判になるような事は言いたくないというのが私のポリシーなんで。別の言語で書かれた本一冊を日本語の文章で書き直すというのは、それこそ作家に 準ずるぐらいの仕事だと思うが、その割に立場も弱くて相応の金ももらえてないんだろうというところなのだろうし。少し前には、まあ一番反発も来なくて攻撃しやすく、その一方で自分は色々分かってる面できるんで、翻訳の揚げ足取って叩いて ドヤ顔のクズレビュアーがかなりいて腹立ってたところもあるしね。
そんなわけでかなり不満をまき散らす一方でそちらについてはちゃんとフォローできなかったんで、ここで最後に(これでこういうこと言うのも最後になりゃいいんだが…)その辺について改めて書いておきました。日本版マッキンティ/ダフィについては、 編集部の駄目さにより解説・帯などのコピーについては本当に腹が立つが、作品自体の翻訳とカバーについては優れているので、クソ部分を無視すれば安心して楽しめる本になっていますので。
さて、第8作『Hang On St Christopher』に取り掛かる前に、第7作『The Detective Up Late』についてから始めなければならん。2024年にそちらについて書いた時には、その直前にそれまではハードボイルドについては一線を守ってきたはずの 翻訳ミステリ出版が、いともあっさりその線を踏み越え、テレビやマンガレベルでの出鱈目なハードボイルド指定を始めたことにブチ切れ、もう日本でハードボイルドなんて言ってもどうにもならんのだろうという絶望感の中、 その出版社が上記のような出鱈目な出版をしてきたことを改めて振り返らざるを得ないというところで、かなり荒れてしまった。
またその一方で、作品自体の解説がやや難しかったところもあるのだよね。
この作品は、まず序章として過去のダフィが制服警官から刑事に昇格した日の回想、「Sean duffy, Year Zero」から始まり、ストーリー上の現在、捜査の一線から引退する"ダフィ最後の事件"へと続いて行く。序章では小さな事件や社会的地位も高くない 犠牲者が深く顧みられない警察の状況の中で、自分はそういう者も護れる正しい警官になりたいという思いが描かれる。そして現在引退に際し、自分は良い警官でありえたのかという自身への問いかけが、『The Detective Up Late』の主題となる。
それは読めば明らかなんだが、前の時も書いたように、その思いというものが表立ってダフィの一人称による語りの中で語られることはない。そこんところをどう書くかという時点でまず悩んだ。
自分は英語で書かれた原書を読ませるのは、翻訳であれ日本語で書かれた本を読ませるより遥かに敷居が高いと思ってる。ゆえに作品について書くときは主題に沿ってまとめたあらすじではなく、より実際のストーリーの流れに合わせた書き方で説明し、 読み手をきちんと軌道に乗せなければ、その主題に辿り着く以前に本を放り出されてしまうケースも多いのではないかと考えている。
まあその二つの理由から、とにかくこの序章は長くなってもなるべく詳しく説明しなければならないという感じで始まるわけ。
そこから更にダフィがその最後の事件に取り掛かるまでも長かったりするのだが、そこから更にクラシックミステリの手法を使った、容疑者を3人並べたフーダニットの形が作られるところまでは紹介しなければならないということになる。
そしてそれが見事にこの作品のテーマと繋がって行くところが一番書きたいぐらいだったのだが、そこまで書くとネタバレになるよなあ、もうそこまでで半分過ぎてんだし…、という感じで自分としても少々やりきれなかったという気持ちが 強く残る結果となってしまった。
で、今回はそれに続く作品ということで、前回のネタバレもそこそこ許されるということにして、その続きについてやって行くので。
先に書いたような思いから、自身の最後の事件となったジプシー少女の失踪に、ある種の執着とも見えるような熱意を持って取り組んで行くショーン・ダフィ。そしてそれは殺人事件の様相を現す。
少女のそれ以前の足取りを探るうち、三人の容疑者が浮かび上がり、クラシックミステリでは一つの定番であるフーダニットの形が作られる、ってところまでは前に書いた。
そして、この中の二人は、一人が政府側から武装組織に潜入していたスパイ、もう一人は外国から送り込まれ潜入していたスパイであることが発覚し、容疑者から外される。そこでダフィが真相に気付き、真犯人が逮捕されるという流れになる。
例えば、クラシックな謎解きにこだわるようなところでは、スパイであることが発覚してもそれが犯人でないという理由にはならない、な~んてこと言いだす奴もいるだろう。だがこれはそもそもがそういうクラシックミステリの形式を形として 作っただけで、それに沿ったアリバイ崩しやらなんやらといった方法で解決に向かうためのものではない。つまりこれはこれまで書いてきたこの第7作のテーマ、自分は良い警官でありえたのだろうかというダフィの自身への問いかけに 直結するものだったのだ。
日本でも翻訳された第6作の結末で、上司でもあったJohn StrongがIRAからのスパイであったことを突き止め、Strongを二重スパイとして使うためのハンドラーという立場になり、表向きは捜査課を引退し、パートタイムの警官となって 年金を受け取れるまでの期間を過ごすというポジションにいたダフィ。
そこでこの結果は、結局は自分もこの二人と同じレベルの「悪党」なのではないかという思いを強く突きつけることとなるという形で、この第7作のテーマと直結することになる。クラシックミステリの謎解き犯人当てとしては不十分に見えても、 これはそもそもの使用目的が違うのだ。こんなやり方もあるのかと結構感心したもんだがね。
そしてこの思いは終盤、John StrongがIRAと秘密会合を持つというシーンに、ダイレクトにつながって行く。
自身の行動は既に相手方にばれているのではないかと、度々不安を訴えるStrongをなだめ、この秘密会合へと至ったが、精神的にも追い詰められているStrongの態度は相手にも不信を抱かせ、彼は危機に陥る。盗聴マイクを通じてその様子を 聴いていたダフィは、作戦の失敗も顧みず、周囲の制止を振り切り単身突入し、Strongを救い出す。
ちょっとここまで書いてしまうのはネタバレが過ぎるかとも思ったが、マッキンティは自身のSubstackに、最近この26章を公開してるので、まあいいかと思って書いてしまった。(adrian mckinty’s Substack / Chapter 26 A Short Film About Killing)
あと、前回『The Detective Up Late』で、紹介したかったがそこまで手が回らなかったところで、まだ前半ぐらいの7章の中だが、家族でスコットランドへ引っ越した後、仕事の際には一人で寝泊まりしているベルファスト側の元の家で、 壁に飾っているシュルレアリスムの大家ジョルジョ・デ・キリコの「The Return of Ulysses」(1968)について言及するところ。
部屋の中の絨毯の海でボートをこぐオデュッセウスの姿は、自分は何処かに辿り着けたのだろうかという、その時のダフィの心情を表しているように感じた。
本当はここに画像を載せたかったんだが、キリコの晩年のそれほど有名ではない作品で、使っていい画像が見つからなかったので、Wikiartへのリンクだけ付けたんで、そちらで見てください。
捜査課から引退するショーン・ダフィの心情という非常に明確なテーマながら、その思いを決してストレートに口にせず行動によって描くという、ハードボイルドクラシックの原点に則ったような作品。それがショーン・ダフィ第7作 『The Detective Up Late』である。
ということで、既に短いもの一回分ぐらいの長さになってしまっているんだが、ここからやっと第8作『Hang On St Christopher』です。
Hang On St Christopher
No Alibis書店は混んでいた。八つの席は埋まっていて、六人がその後ろに立っていた。キアラン・カーソンは、紅茶のマグカップ、数枚のA4紙、一冊の詩集を携え、控室より現れた。
そしてカーソンは詩の朗読を始める。聴衆の中には、シェイマス・ヒーニー、デレク・マホン、ポール・マルドゥーンらの姿もあった。そして詩オタクと作家志望たち。 「今夜のこの場はまるで、セックス・ピストルズがマンチェスターのレッサー・フリー・トレード・ホールで演奏したときのようですな」ダフィは言ってみるが、彼の戯言を理解した者はその場にはいないようだった。
そして朗読者への質問などが続き、数冊の本にサインをもらい、ダフィは書店を出る。
まだ時間は早い。7時。席を予約した帰りのフェリーは真夜中。
とりあえず、近くの電話ボックスからスコットランドの自宅のベスに電話をかける。今日の出来事や、帰りのフェリーの予定などの雑談。
ダフィは現在月に6日だけ働いている。それが退職時年金資格を得るまでの最小限の労働。ダフィは今は、3日連続で出勤した後、スコットランドで2週間は主夫として暮らし、それからフェリーで渡り、また3日出勤している。
一年前までは、退屈な書類仕事は、本来の警察内のIRAの二重スパイJohn Strongのハンドラーという仕事の偽装だった。だが、Strongがそのストレスから自宅での庭仕事の最中に卒中を起こし、死亡するまでの事。
偽装の書類仕事は、本物の書類仕事になり、時折交通整理に駆り出されるぐらいで、本格的な捜査関連の仕事に関わることもなくなっている。1995年、または1996年に年金資格を得るまで。
「退屈は良いことよ」ベスは言う。「退屈だと言ってるときは、あなたが暴動鎮圧や国境近辺のパトロールをしていないということだもの」
「もうそういうことに駆り出されることもないさ」ダフィは言う。「医者の診断書があるからな。俺の膝は痛み過ぎていてそういう仕事には適当じゃない」
「今夜は署に行くの?」
「少しだけね。勤務記録を提出しなけりゃならん」
ベスとの電話を終えたダフィは、時間つぶしにグレート・ヴィクトリア・ストリートの映画館へ向かう。
マルチプレックスのはずだが、かかっている四つの映画は、いずれもハリウッド製のアイルランド紛争を扱ったものばかり。興ざめして映画は諦める。
そしてダフィは、グレート・ヴィクトリア・ストリートにある1826年創業の歴史的な名物パブ、クラウン・バーへと向かう。
ギネス1パイントと店の奥に座っていると、モロトフが投擲され路上で爆発する、聞き違えようのない音が聞こえてくる。
通路を進み、大柄のバーキーパーに尋ねる。「何かあったのか、John?」
「暴動の類いさ。警察がオレンジ党の行進をオルモー通りで阻止した。それで奴らはレンガやボトルを持ち出してきた。お祭り騒ぎってやつさ」
これが今時のベルファストの7月。
以前はオレンジ党は北アイルランドのどこでも自由に行進し、警察もそれを保護してきた。だがここ数年は警察はオレンジマンたちのパレードがベルファストのカソリック地区に入ることを阻止している。
大抵はオレンジ党は伝統的なルートを平穏に進むが、時折警察の道路封鎖を破ろうと試み、結果暴動に至る。
しばしばカソリック住民の自警グループはオレンジマンを攻撃し、警察はその板挟みになる。そしてその結果、いつもそうであるように、双方の暴動グループ全員が警官を攻撃することになる。
非番の、パートタイムの警部としては、出て行って助力を申し出るのが義務だろう。
知ったことか。
ダフィはもう一杯ギネスを注文し、席に戻って一時間ほど買ったばかりの詩集を楽しむ。
外に出ると、通りは不気味に静まり返っていた。
ヘリコプターは街の西側を動き、辺りには燃えたタイヤと車からの煙が漂っていた。映画館の傍にはひっくり返った新車のメルセデス。目出し帽とデニムでめかし込んだ男たちが、通りを我が物顔で闊歩する。
王立アルスター警察隊の姿を探してみると、暴動地帯から遥か後ろに後退している。警察があんな後ろにいるなら、誰が通りを仕切ってるのか?
映画館の傍の立体駐車場に行くと、出入口の防壁は破壊され、料金所の係員はとっくに逃げ出していた。一階層の車は明らかに荒らされている。
自分のBMWが無事だったことに安堵し、車の下に爆弾が仕掛けられていないことを確認してから、乗り込みエンジンをかける。ラジオからはニルヴァーナが流れてきて、それと最近の音楽シーンについてのもはやお馴染みのひとくだり。
グレート・ヴィクトリア・ストリートを少し走ると、武装勢力による道路封鎖にぶつかる。目出し帽の男たちが燃えたタイヤを路上に放り、北への進行を妨げている。男たちは揃いのデニムジャケットを着込み、金属バット、ナイフ、マチェーテ、 最後の二人はソーンオフ・ショットガンで武装している。
武装勢力は停めた車の運転者に尋問し、答えが気に入ればそのまま行かせ、そうでない場合は車から降ろし、車をハイジャックし、歩いて帰させる。
Uターンできないかと思うが、後ろは渋滞していてそんな余地はない。誰もが市街から脱出しようとしている。警察と軍隊の姿はどこにも見えない。
もし武装勢力がプロテスタントで、彼がカソリックであることを知れば、彼を車から引き出し殺そうとするだろう。もし武装勢力がIRAで、彼がカソリックの警官であることを知れば、彼を車から引き出し殺そうとするだろう。
これがベルファストの7月だ。詩の朗読会、静かに落ち着き黒を一杯、バットと銃で武装したリンチ集団…。
そしてダフィの番がやって来る。銃を持った男が車の窓を開けるよう促し、尋ねてくる。「お前、どこへ行くんだ?」
「誰が訊いてるんだ?」ダフィは言う。
男は後ろを振り返り、ショットガンを持った男に言う。「こいつが誰が訊いてると言ってる」「それを訊いてるそいつは誰だ?」ショットガンを持った男が返す。
「私は君たちがIRAなのか、UVEなのか知りたいだけだ。君たちは明かに警察じゃないだろう」ダフィは言う。
ショットガンの男が進み出て、ウィンドシールドを叩く。「質問してるのは俺たちなんだよ!」
くそっ、いつものように俺の大口が事態をややこしくしてしまったか。
ショットガンの男を注意深く観察する。首にアルスターの文字が入った金のチェーン。ロイヤリスト準軍事組織、UVFあるいはUDA。
そして最初の男がもう一度尋ねてくる。「よし、質問に答えろよ。お前どこへ行くんだ?」
「キャリックファーガスだ」
「キャリックファーガスのどこだ?」
「コロネーション・ロード、ヴィクトリア・エステート」
「ヴィクトリア・エステートって言ったのか?お前ボビー・キャメロンを知ってるか?」
「ボビーならよく知ってる」
「どんな奴だ?」
「太ったブライアン・クラフって感じだ」
「ハッ、そうだ!そいつだ。いいだろ、行っていいぜ。ちなみにいいBMWじゃねえか」
ボビー・キャメロンと知り合いだったことで運よく災難を逃れたダフィ。
次に当たった道路封鎖では、とことん下出に出てつまらない会計士だと言って、嘲笑されながら抜け出す。
三番目の道路封鎖を抜けた時、まっすぐ北に向かい市街から抜け出すことを諦め、西のカソリック住民地域を迂回して行くことにする。
やっと安全地帯へと抜けた時、ダフィのハンドルを握る手は震えていた。バックミラーをのぞくと、ブルーグレーの目の中に恐怖が浮かぶ。怖れたことなんてなかったんじゃないのか?それがあの小僧たちにやられたことだ。突如として、 お前はリスクを背負う。失う何かが。
なんとかベルファストを抜け出したダフィは、ジョーダンズタウンのパブに立ち寄る。地元民以外お断りといった風情のパブ。
まだ俺には神経をなだめ、渇きをいやす一杯が必要だ。バス・ペールエール半パイントだけでいい。
ダフィはスツールに座り、大柄なバーマンに向かい半パイントのバスを注文する。
「時代は変わったもんだな」バーマンは言う。
「どういうことだい?」
「昔は、よそ者がパブに入って来て、半パイントを注文すりゃ、誰もがそいつをオカマ呼ばわりしたもんだがな」
ダフィに酒を注ぐ気もなく追い払おうとするバーマン。一番簡単な選択は、このまま去ることだ。そして二番目は警察官の身分証を出すこと。そうすればこいつは酒を注ぐ。
だが、ダフィはそのどちらもやる気分ではなかった。
「あんた俺を他の誰かと勘違いしてるようだな」
「これは俺の店―」
「俺の目を見て、そこに何が見えたか話して欲しいんだがね」
そしてダフィはバーマンに、その目の中の彼が殺した男たち、追いつめた男たち、追い払った男たちを見せる。
こんな場所のバーマンになるなら、人間の本質というものについて少々学んでいなければ勤まらない。
バーマンは半パイントを注ぎ、「くつろいでくれ」と付け加える。
「感謝する」ダフィは一息に飲み干し、パブを出る。
ここまでが14ページの第1章「Never Go To Belfast In July」。ベルファストとダフィの、ストーリー時点での現在について描かれる。やっとのことでキャリックファーガス署に到着し、ここからが本編ということになる。
駐車場にBMWを駐めたダフィは、勤務記録提出のために上階へ向かう。パートタイムとなったダフィには、もはや自身のオフィスはなく、捜査本部の片隅の机をクラビーと共同で使っている。
勤務記録を事務のMabelに渡すと、マッカーサー主任警部が探していると言われる。
帰りのフェリーの時間もあり、面倒事は避けたいダフィ。捜査課の仕事ならローソンに言えばいいだろうと言うと、ローソンは休暇でテネリフェ島に行っていて来週まで戻らないとのこと。
自分のことは見なかったことにしてくれと言い置いて、急いで署を出てコロネーション・ロードの家に帰る。
コロネーション・ロードの家はもう一年以上「売地」の看板を出しているが、いまだに売れない。値段を下げれば売れるのは分かっているが、この家への愛着といったものがダフィにそれを躊躇わせている。
時間は9時15分。フェリーの時間まではまだある。トマトスープの缶を温め、ブライアン・イーノの「Music For Airports」をかけながら寛いでいると、ドアに乱暴なノック。
用心のため銃を携え、玄関の覗き穴から見てみると、そこに立っていたのはマッカーサー主任警部だった。
静かに戻ろうとすると、マッカーサーが言う「そこにいるのは分かってるぞ、ダフィ。車もあるし、音楽も聞こえる!」
「ダフィ、開けろ!そこにいるのは分かってるぞ!君以外にそんなレコードをかける奴などおらん!」
しぶしぶドアを開けるダフィ。「やっぱりいたな!私は君が家にいて、電話もとらないことはわかってたんだ!」
マッカーサーの用事とは、ダフィも薄々感付いていた通り、ローソン不在の状況で起こった事件、おそらくは殺人事件の捜査を仕切って欲しいということだった。
前作から登場したローソンの直属の部下となり、巡査から刑事に昇格した女性刑事Warrenも、まだ訓練中ということで担当させられない。クラビーも、奥さんの言うところでは、農産物の品評会に行っていて不在とのこと。
彼が引き受けてくれなければ、捜査はラーン署が担当することになる、と言うマッカーサー。それはダフィにとっても望むところではない。
事件については、単純な殺人事件と思われる。車を盗んで乗り回す連中が、ベルファスト・ロードの男の家の前から車を盗もうとして、男が抵抗したため胸を撃った。近所の話では男は画家だったらしい。
ダフィは、捜査に携わっている時間の給与を超過勤務手当として出すこと、そしてスコットランドで待っている妻ベスからの許可が出たならという二つを条件として出す。
最初の件についてはマッカーサーが了承し、ダフィは自宅に電話をかける。
ベスは、ダフィがパートタイムとなりスコットランドの家にいる間、ずっと内心では警察捜査に関わりたくて仕方なかったことを見抜いており、夢がかなったじゃない、ぐらいのことを言って了承する。
更にクラビーも捜査に加われるようなら、同条件の給与が払われることをマッカーサーに確認させる。電話に出た奥さんにそのことを話し、事件現場の住所も伝える。
そしてダフィは、マッカーサーと共に事件現場へと向かう。
被害者のエドワード朝風の邸宅が建つ地域は、医師や弁護士などが暮らす暴力事件とは無縁の場所だ。だがいかす車をかっぱらおうとするガキどもにとっては格好の場所とも言えるだろう。
マッカーサーは、ダフィに任せて現場を去り、クラビーが現れる。近況を話し合った後、現場に来ていた鑑識のフランクに会いに行く。
しばらく姿を見ないんで、副署長の女房に手を出したかなんかで、自殺ものの国境パトロールに飛ばされたかと思ってたぞ、とフランク。
フランクの所見でも、単純な事件とのこと。車を盗もうとした奴がいて、それを阻止しようとして撃たれた。12ゲージのショットガン、4フィート以内の距離から撃たれた。
ダフィとクラビーは現場を見に向かう。遺体にはシートが掛けられ、周囲のショットガンの弾が飛んだ地点にはチョークでマーク。盗まれた車が発車するときのスキッドマークを現場証拠写真として撮影している。
遺体のシートをめくってみる。胸に大穴が空き、顔が半分なくなった陰惨な死体。
着衣はスポーツジャケットに白いシャツ、ブラウンのスラックス、靴はナイキのスニーカー。ジャケットを触って見ると、コットンリネンの高級な手触り。ラベルを見ると、Thomas Browne and Company。ダブリンの老舗の高級テーラーだ。
ダフィとクラビーは、一見単純な現場の状況に疑問を持つ。
被害者の財布は残されていたが、ショットガンの薬きょうは見当たらず、犯人が持ち去ったと思われる。衝動的な行動としては疑問が残る。
被害者は胸を撃たれた後、頭部を撃たれているが、車の前で撃たれたのならあるはずの、割れたガラスや塗料の破片といったものはない。
周囲の弾の状況から見て、被害者は倒れた後に地面に向けたショットガンにより頭部を撃たれている。処刑。これは意図を持った殺人だ。
同日に自身もカージャックの被害に遭いそうになったダフィ。この地では頻繁に起こる事件だが、実際に殺人にまで発展するのはまれだ。これはこの地での暴力犯罪事件の激化なのか?
被害者の名前は、Quentin Townes。とりあえずは近隣の聞き込みから始める。
Townesは独身の一人暮らし。近所と問題を起こすこともない良き隣人だが、家族・親戚関係などが訪ねてきたところを見た隣人はいない。
画家として実際にどのような活動をしていたのかは不明だが、近所の人の肖像画を描き、気に入ったらそれに対し料金を払ってもらうというような活動をしていたらしい。評判についてはまちまち。
だがその中で、隣人の男性は彼にちょっとした違和感を持っていたと話す。Townesは銀行口座を持っておらず、電気料金などはわざわざ市街まで行き現金で支払っており、身分証明書の類いも所持していないようだったということ。
ダフィは現場の制服警官の一人に、Townesの電気料金の支払い状況、一般的な人物調査として、パスポート、運転免許証、そして犯罪歴などについて調べるように命じて、家の中の捜索に移る。
Townesの家の中は、多くの彼が描いたそれほど印象的ではない肖像画などはあるものの、基本的には没個性な様子。運転免許証などの身分証は見つからない。
その中で、壁にかけられたピカソのエッチングがダフィの目を惹く。これは本物か?
やがて、基本的な人物調査の結果が伝えられてくるが、電気料金は常に現金で支払われている他、Quentin Townesの名で登録されたパスポート、運転免許証もない。
Quentin Townesとは被害者の偽名なのか?
そこでマッカーサー主任警部が現場に戻って来る。
ダフィは被害者Townesが偽名を使っていたらしいと告げる。その理由は様々に考えられるが、現在のところは不明。
マッカーサーからのニュースは、盗まれたTownesの車が見つかったということ。だが、火炎瓶を放り込まれ完全に焼けていて、指紋等が見つかる可能性は低い。あらかじめガソリンをかけてからと念入りに燃やされており、遊びの車泥棒としては 手が込み過ぎているが、殺人に発展してしまったために証拠隠滅に注意深くなったとも想像はできる。
現場に向かおうとしたところで、Townesの家の電話の通話記録が届けられる。
一目でわかる不審な様子。多くの通話がダンドークのポイント・ロードの公衆電話からかかり、こちらからも発信されている。
ダンドーク?現在IRAの軍事評議会本部がある、国境の向こうのアイルランド共和国の町だ。多くのIRA主要人物は、ベルファストを去り、ダンドークを拠点としている。地元警察も手を出せない、IRAの町とも言っていい状況だ。
殺害された人物は、IRAの関係者だったのか?
疑問を抱えたまま、ダフィ、クラビーとマッカーサーは、盗まれた車が燃やされた現場へと向かう。
ダフィの住むヴィクトリア・エステートから数キロと離れていない場所だが、荒れた地域で、あからさまに警察に向けて敵意を向けてくる、若者を中心とした住民に囲まれながら捜査は進められる。
ダフィとクラビーは、燃やされた車の近くのアスファルトにタイヤ痕を見つける。大型のバイクか?
住民たちともめながら、ダフィは車を燃やした男があらかじめノートンと思われる大型バイクを近くに駐めておき、車に火をつけた後それで走り去ったことを訊きだす。
目出し帽にレザージャケット。それ以外の特徴は分からない。
事後の逃走手段まで用意して、車泥棒に見せかけた計画的殺人。
殺害されたのは、素性を偽装したIRAとの繋がりも疑われる謎の人物。
単純な暴走した若者による突発的殺人と思われていた事件は、複雑な様相を現して行く…。
* * *
と、導入部分のあらすじを紹介すればこういうところなんだが、うーん…、また次を紹介するまでここから見えるそこまでじゃないんだけどなあ、みたいな気分を抱えるのも嫌なので、なるべくネタバレにならんよう気を付けてもう少し先の展開まで 書いておく。まあ極端な話、真相やら結末を書かなきゃネタバレにならんのだろう?勝ち負けだけは伏せて試合展開を話すのと同じ、という都合のいい拡大解釈で。被害者Quentin Townesの正体、そしてIRAとの関係と、素性を隠しそこに潜伏していた目的は、次第に朧気ながら見えてくる。
そしてダフィたちは国境を越え、アイルランド共和国へと赴き、そこでIRA武闘派の大物と対峙することとなる。
事件に関する大まかな輪郭は見えたが、殺害犯についてはベルファストのプロテストの対抗勢力のいずれかで、多くのこの地での事件と同じように特定できないまま終わるのだろうという思いを抱きながら、休暇から戻ったローソンに 事件を引き継ぎ、ダフィはスコットランドの家族の元へと戻る。
だがそこで、ダフィ個人に向けて新たな情報がもたらされ、その手掛かりを単身で追うことになるのだが…。
うん、色んな真相とか結末とかは書いてないからこのくらいはいいよな。
事件を追ううちに見えてくる、この時期のアイルランドのある地点へと向かう状況、そして一方では事件を追えば相変わらずの無鉄砲な猟犬ぶりを発揮するが、時には完全にパートタイムとなり引退を待つ身となった自分の状況に鬱々とする ダフィというような、次作で完結となる直前という感もある第8作。
タイトルはトム・ウェイツの『Hang On St Christopher』から。安全な旅を司る聖クリストファーに、ちょっと待てよと呼びかけ、途上で起こってるカオスを伝えるというような曲かと思う。安全な向こう岸にアイルランド情勢を導いている 聖クリストファーに、ちょっと待てよ、と呼びかけるといったところか。"750ccのノートンが一月のドアをぶち破る"なんてまんまの歌詞も出てくる。
ちょっと待てよ、助手席の聖クリストファー/今夜そこを開けると悪魔が乗り込んでくるぜ
後半には、もはやマッキンティのお家芸といった感じもある絶体絶命状況からの脱出もあり。
えーと、日本的にはどうだか知らんけど、自分のようなファンには嬉しいMichael Forsythe(Michael Forsytheトリロジー)とKillian(『Falling Glass』)のカメオ出演もあり。『Falling Glass』については、結局まだ未読なんだけど…。 Forsythについては、既にアメリカに渡った後で、その際に旅費が足らなかった彼に少し都合してやったことなどで、直接の登場はないが、Killianについてはそこそこ重要な役割をする。あ、これ詳しく言っちゃうとネタバレ案件なのだけど。
一年ほどまともな警察の捜査からは離れており、その辺のブランクを指摘されたりすると、俺はまだ錆びついちゃいないしそんなジジイでもないぞ、と怒りを燃やす一方で、暴走の挙句、俺はこんないい年して何やってんだと両極端を 揺れ動くこの時期のショーン・ダフィ。
というところで、ここでマッキンティが描く、ショーン・ダフィの格好悪さって言うところに触れておきたい。
ハードボイルドというところでは、まずクラシック時代には、例えば日本でそういうものがハードボイルドだと思い込まれてきて、今でもそう思い込んでるような、ある種マッチョ的でもある鉄面皮な格好付けというようなものがある。
そして時代を経てからは、そこをもう少し柔らかく、人間的に見せようという意図から、そこからの自嘲というようなものが盛り込まれていったり、その方向ばかりで書かれるような作品も登場する。
このシリーズでも、その両者の手法は使われているんだが、更にその上を行く、なんかのきっかけで思い出しチクショー!となるようなタイプの、自嘲でなあなあにできないようなダフィの格好悪いやらかしが挟み込まれるのも このシリーズの特徴とも言える。
まず翻訳されたところでは、第6作の気取ってアルヴォ・ぺルトをかけたらゲイで誘ってると思われたとか。
前作第7作では、冒頭から得々とワーグナーとナチスの関係について語るのだが、中盤あたりだったと思うが、引っ越しのなんだかんだで会った同じくレコードマニアである父親が、全く同じことを言い始めて、ちぇっとなったり。
この作品では、最初の方の「今夜のこの場はまるで、セックス・ピストルズが~」と話すが全く同意されず無視されるという場面がある。ここではそういうことがあったぐらいに一見さらっと流しているんだが、ダフィは内心では かなり悔しかった気持ちが残っていたようで、しばらく後、もう中盤近くかと思うが、車でセックス・ピストルズを流していたチンピラに、「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」についての自分の解釈を、延々と語るシーンが出てくる。 実はこれ1ページ目のところで、後のちょっと違和感のあるそのシーンが出てくるときには忘れていたんだが、今回再読してあーこれがあってのか、と気付いた。
他にも、マッカーサー主任警部から今回の事件を頼まれるときにも、表向き、読者に対してもそんな面倒なことはやりたくないというような態度をとってみせるのだが、奥さんに指摘されるまでもなく内心ウキウキなのが見え見えだったり。
更に、冒頭第1章のやっとのことでベルファスト市街から抜け出し、入ったパブで酒を出してくれないバーマンに凄んでみせるところなど、まあ日本の間違いだらけの「ハードボイルド精神」から見るとこれぞハードボイルド!ぐらいに 見えるかもしれんけど、実際には市街で暴れてた武装集団に散々脅された腹いせだからね。
これがハードボイルドの新しいスタイルなんぞと大仰にまで言うつもりもなく、まあエイドリアン・マッキンティって人の独特の底意地の悪いユーモアに由来する部分だろうが、こういうのがショーン・ダフィという人物を より親しみやすく見せているというところは間違いないだろう。
あと、音楽を使ったネタとしては、一旦コロネーション・ロードの家に帰ったダフィが、イーノの「Music For Airports」を聴いているととマッカーサーがやって来てドアを叩くというシーンがある。
「Music For Airports」といえば、言わずと知れたぐらいのアンビエントミュージックの草分け的名盤だが、よっぽどの大音量でかけなきゃ家の外まで聞こえるものではないし、そもそもそういう聴き方をするものでもない。 うーん、これも時々ちょっとわかりにくい音楽ギャグの一つなのかなあと思うけど、なんかいまいちそう断言もできない。もしかしたらマッキンティは「Music For Airports」を大音量で楽しんでいて、そういう聴き方を 奨励したいと思ってるのかもしれんしね。まあここは、「効果的に使われている」とか言ってお茶を濁しとこうか。
マッキンティという作家の上手さの一つとして、時として不意に読者の足をハッと止めさせるような、美しかったり印象的だったりするシーンを挟み込めるというところがある。
この作品で自分的に最も印象的だったのは、もう終盤あたりなのだが、ある手掛かりを追い、飛行機を乗り継いでアイスランドに降り立った中でのシーン。その地で完全に手掛かりを見失ったと思ったダフィは、失意の末にスコットランドの家に帰ろうと 諦め、深夜空港に向かう。だが、その時期白夜であったアイスランドでは、明け方に近い真夜中でも真昼のように明るく、その一方で空港はその時間ゆえ人気が全くなく、眠そうな警備員がポツンといるだけというシュールな場面に遭遇する。
その他にも、ベルファストと、スコットランドの自宅の双方からそれぞれその方向を眺め、その物理的な近さと状況的な遠さに思いをはせるなんていうところも印象深かった。
最近マッキンティは、自身のSubstackで自分が作家になるきっかけや助言を与えてくれた心の師というような作家たちについて語っているのだが、その筆頭に挙げられておるのが詩人シェイマス・ヒーニーで、冒頭の詩の朗読会に出席している。 その後に続くのがケン・ブルーウン、ダニエル・ウッドレル、ジェイムズ・サリス、ダン・シモンズ、そしてロースクール時代にSF研の講演会に来てくれたSF作家テリー・プラチェットとなっている。
あと、そこまで書けなかったのだが、燃やされた車の残骸を見て、J・G・バラードが見たら喜ぶだろうなと思う場面もある。調べてみたらクローネンバーグの『クラッシュ』はこの作品の時点よりもう少し先か。マッキンティは バラードについても度々言及してるんだが、そのたびにバラードというのも生きてる間にちゃんと読んどかなきゃならない作家だよなと思わされる。いや『ヴァーミリオン・サンズ』については常に手近なところに置いとくぐらい好きだったりするのだが、 バラードの主要な問題作ぐらいのところは色々タイミング合わなくてことごとく読み逃してるんだよな…。ここらで本格的に取り組むか。なんかバラードとか、Stephen Graham Jonesとか、ハードボイルド作品でぎちぎちの読書予定リストに なんとか割り込ませて読まなければならんと思うような作家も山ほどいるよねえ。
最後に問題のクラッシックミステリネタというところについて。
マッキンティがなぜこのシリーズにそれを持ち込んだかについては、前作『The Detective Up Late』について書いた時、ケン・ブルーウンがどうとかとかない知恵絞って書いてみたりもしたが、最近は結局アレかなと思っている。 ほら、ジョセフ・ノックスが使ったあの手。
英国のミステリ読者というのは、ポピュラーなという言い方が正しいのかわからんけど、まあ日本のテレビミステリが断崖絶壁解決なのと同レベルで、いまだにクラシック的な謎解きを好むところがあるようで、まあまず新人の時は その手で売り上げや知名度を伸ばし、ある程度のところに落ち着けたら本当に自分の好きな作品を書くという手段。
近年の英国ではノックスが成功例となるんだろうが、多分その他にもこの手を使おうとしている作家は多いんじゃないかな。まあ近い状況でもある日本でもこの手が使えんかと思う人はいるのかもしれんが、このミステリ超後進国では ロートルミステリご意見番気取りのみならず、自称ミステリ評論家なんてとこまで行ってみても、「作風を変えた四作目以降は駄作」とかふんぞり返って言うレベルなんで、まず無理だろうがね。
今でこそまだ苦労しつつも米国に基盤を置くマッキンティだが、ダフィ・シリーズを始めるときにはまだ英国作家で、一部では評価も高まりつつあってもまだそこまでの知名度はなく、このくらいのことは考えただろうしね。 まあこの人がそういうことをやりかねん人だというのは、米上陸の2作を見ればわかることだしね。
SNSなどでも度々言ってるところだが、マッキンティはこのシリーズを最初は三部作として考え、それが六部作、最終的には九部作ということになったということ。
最初から見て行けば、第1作は見立て殺人と時刻表ミステリというクラシックネタ。第2作については何というのか知らんが、前々世紀とまではいかんけどそこそこ古いトリック。そしてこの第1作、2作については、トリックが解決した結果が 直接結末に繋がるような古いミステリ形式をとっている。
その辺の九部作までの構想の拡大がどの時点であったのかは不明だが、この辺りでマッキンティはこのシリーズを全作この形にしては自分の考えるストーリーが語れないだろうと考えたのではないかと思う。そこで、そういった クラシックミステリ的手法をを作中にガジェット的なものとして使うという方向にシフトしたのではないか。
第3作における密室トリックは、直接結末に繋がるものではないし、第5作の密室もトリックそのものよりなぜそれが仕掛けられたかという方向が重要になっている。そして前述のように、第7作ではクラシックミステリ風に容疑者を 並べて見せるが、それはアリバイや動機といったクラシック方向の謎解きに進むわけではなく、作品のテーマという方向で使われる。
シリーズ全体の流れを見れば、第3作という時点で当初のクラシック手法を取り入れたというところからシフトチェンジをしたのは明らかに見える。そしてまあ自分の憶測が正しいなら、英国市場で売り上げを伸ばすためという目的も、 さほど意味をなさなくなってきたと思われる。そして言うまでもないことだが、ミステリ超後進国が期待するようなクラシックなパズルミステリ方向の作品を目指す意図もないのも明らかだ。
ではなぜ、作者マッキンティはこのシリーズにクラシックネタを持ち込み続けることに執着したのか?
そこで注目すべきは、前作の時にも書いたこのシリーズの中でクラシックネタが使われているのが、1、3、5、7の奇数巻だというところ。あーわざわざ言うまでもないが、もちろんこの第8作ではそういうのはないからね。そして 次に来るのは奇数巻である最終作の第9作。これは最後に何か大掛かりなクラシックネタを使おうという意図で、これまでのはそのための布石だったのではないか?と私は考える。神のごとき推理でw。
あれじゃないかな、という予想はあるんだが、ここでは書けない。いや、間違ってたら恥ずかしいからということじゃなく、当たってても絶対言えないやつだから。まあ予想ついた人もいるんじゃない?そんなわけで、第9作が 出て、私の予想が当たってたら、ただ当たってたとだけ言うし、間違っていたら、神のごとき推理wで何を考えていたかちゃんと書きますので。んーまあ外れる確率は高いんじゃない?作家っていうのは、常にただ読んでるだけの奴なんかの 上を行くもんだからねえ。
…というところだったんだが、ここに来てマッキンティから気になる発言が。9月上旬ぐらいのSubstackに掲載されたものなんだが、続く第9作はこれから書き始める所だが、新しいアイデアが浮かんでどちらを書こうか考えている ということ。両方書くという選択もあり得るとのことだが。
元々考えていたものは、ダフィが完全に警察から引退する前に遭遇した最後の事件というものだったようだが、新しいアイデアの方は更に後、2000年代初頭、北アイルランド紛争が終結し、平和になった時代にスコットランドで暮らしている ダフィのもとに昔の友人が助けを求めてやってくるというものらしい。
つまり元々考えていた構想はお蔵になるかもしれないということ。えー、私の神のごとき推理は…?
まあそんなもんはどうでもいいんだが、私の意見を言わせてもらえれば、そりゃあどっちも書いてくれよということに尽きる。
Michael Forsytheトリロジーの最終作で、平和になったベルファストに立ったForsytheが、様々な感慨を持ってその未来にも思いをはせるシーンに感動した自分としては、そこに立つダフィも見たいという気持ちは大変に強い。 だが元々の形がどんなものだったのかも絶対に見たい。両方書いてくれよ。
でもねえ、作家本人の立場として見れば、元々終わりだと考えていたものを終わりでなくして、そこに新しい終わりを繋げるというのもどうかという感じになってしまうのだろう。九部作じゃなくて十部作になっちゃうし。 しかしまあそこのところは実力派で、いい意味でもちょっと悪い意味でも器用なマッキンティのことだから、うまく持って行ってくれるんじゃないかなあと思う。どっちもお願いしますよ、が私の希望である。
ただなあ…、ここで一言言わせてくれ。
第9作もうとっくに書いてて出版待ちだと思ってたけど、これからかあ…。
これから書いて、出版されるのは早くて2028年。そこから更にこちらの手に届くようになるのは2030年とかかも…。そこから更に続巻があるとなると…、それまでこれ続いてるかね?
唯一の希望としては、そろそろ現在のBlackstoneとの契約が終わって、シリーズ丸ごともっとまともな別のパブリッシャーに移籍して、出版当日に日本からでも電子書籍でも読み始められるということになってくれないかということだが、 まあ世の中ってなかなかそういう風に上手く動かんからねえ。うん、きっとぼんやり生きてりゃ2030年なんてすぐだよと思うようにしようっと。 ジェイムズ・クラムリーが80年代ぐらいにはもう新しい作品は出ないんじゃないかぐらいに思われてて、90年代になって少し精力的に書き始めたり、ジョー・ゴアズのDKAも80年代ゴアズがTVとかの仕事で忙しくて10年以上ブランクがあったり ということもあったんだが、今となって見ればそれほどのことにも思えない。マッキンティのこの停滞も、後になって見れば、アメリカに渡りしばらく出版に苦戦したぐらいのものでしかないんだろうと思うが、リアルタイムで次作を待ってる 当事者となってしまうときついものではあるよね。とにかくなんにしてもショーン・ダフィ第9作は必ず出ます。気長に待とう。
Xでも頻繁に近況を伝えてくれるマッキンティだが、特にSubstackでは長文が使えるということで、ダフィ中編作3本を始めとして注目すべき記事は多い。その中でも最近の注目は、書かれなかったジェームズ・ボンド作品のあらすじを紹介した 「James Bond: The Last Agent」。
これは数年前に英国の出版社からボンドの新作を書かないかという話があり、そのために作ったストーリーで、本人もGOサインが出るだろうと思っていたのだが、最終的にもっと伝統的で華やかなものに決まり、没となってしまったので こちらにあらすじを発表したということ。
書かれていればいい作品になっていただろうな、と残念だが、まあそれほどボンド作品に思い入れもない私の言うことだし、この新ボンドシリーズって、読書のプロ暗黒時代の「日本の見方」による世界のミステリの二大巨頭が 書いてたりするもんだしね。
もし書かれていたら、他の作家なら書かないボンドのちょっと格好悪いやらかしとかもあったかもしれないしね。
とにかくこういう形でも、マッキンティ作品を少しでも多く読みたいと思っている身としてはありがたいですよ。もしかしたらダフィの最後もどちらか没にしたら、こんな形であらすじ教えてくれるかもね。
長くなったし遅くなった…。うんざりする部分は先にさっさと終わらせて、あとはどう書くかさほど悩むこともなく順調に進んだのだけど、物量的に長くなったのと、用事やら体調やらでもたついた結果だろう。とか言っても、寝込んだり それほど長く中断することもなかったのだが、ちょこまかとしたマイナスの積み重ねか。
前の第7作『The Detective Up Late』がかなりひどいことになってしまったので、何とかそこのところは取り戻せたかぐらいには書けたんだが、先に積み重なってる書かねばならんことが多すぎて、いまいち一山越えた気分には なれないんだが。次のダフィが早く読めるといいですね、ぐらいで早く次に進まねば。書かなきゃならないものも、とりあえず書けないものもどんどん読んで行かなきゃ、って感じで終わります。
Sean Duffyシリーズタイトル引用曲一覧
シリーズの各タイトルは、全てトム・ウェイツの曲の歌詞から引用されている。以下はその一覧。第9作に関しては未出版だが、既にタイトルは発表されているので対応する曲、アルバムを掲載している。
| タイトル | 曲名 | 収録アルバム |
|---|---|---|
| The Cold Cold Ground | Cold Cold Ground | Franks Wild Years ![]() |
| I Hear the Sirens in the Street | A Sweet Little Bullet from a Pretty Blue Gun | Blue Valentine ![]() |
| In the Morning I'll Be Gone | I'll Be Gone | Franks Wild Years ![]() |
| Gun Street Girl | Gun Street Girl | Rain Dogs ![]() |
| Rain Dogs | Rain Dogs | Rain Dogs ![]() |
| Police at the Station and They Don't Look Friendly | Cold Water | Mule Variations ![]() |
| The Detective Up Late | Bad as Me | Bad as Me ![]() |
| Hang On St Christopher | Hang On St Christopher | Franks Wild Years ![]() |
| The Ghosts Of Saturday Night | The Ghosts Of Saturday Night | The Heart of Saturday Night ![]() |
■Adrian McKinty著作リスト
〇Sean Duffyシリーズ
- The Cold Cold Ground (2012)
- I Hear the Sirens in the Street (2013)
- In the Morning I'll Be Gone (2014)
- Gun Street Girl (2015)
- Rain Dogs (2016)
- Police at the Station and They Don't Look Friendly (2017)
- The Detective Up Late (2023)
- Hang On St Christopher 未定
- The Ghosts Of Saturday Night 未定
〇Michael Forsytheトリロジー
- Dead I Well May Be (2003)
- The Dead Yard (2006)
- The Bloomsday Dead (2007)
〇The Lighthouseトリロジー
- The Lighthouse Land (2006)
- The Lighthouse War (2007)
- The Lighthouse Keepers (2008)
〇その他
- Orange Rhymes With Everything (1998)
- Hidden River (2005)
- Fifty Grand (2009)
- Falling Glass (2011)
- Deviant (2011)
- The Sun Is God (2014)
- The Chain (2019)
- The Island (2022)
●関連記事
- Adrian McKinty / Dead I Well May Be -Dead Trilogy第1作!これがAdrian McKintyだ!-
- Adrian McKinty / The Dead Yard -Dead Trilogy第2作!
- Adrian McKinty / The Bloomsday Dead -三部作最終作!Dead Trilogyとは何だったのか?-
- Adrian McKinty / The Detective Up Late
- Adrian McKinty / The Island -マッキンティの明日はどっちだ?!-





















































