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2024年5月28日火曜日

Brian Panowich / Bull Mountain -カントリー・ノワール最注目シリーズ開幕!-

今回はBrian Panowich『Bull Mountain』。2015年に出版されたPanowichのデビュー長編作にして、ここから始まるBull Mountainシリーズの第1作です。

この『Bull Mountain』については、ちょっと前のトム・ボウマン未訳のヘンリー・ファレルシリーズ第2作『Fateful Mornings』を紹介したとき、カントリー・ノワールの最近の動向を調べようとアメリカ大手読書サイトGood Readsを 探っていた時に知り、色々とと調べてみたところ、今のそのジャンル知るにはまずこれからだろうと確信ぐらいしたのですが、その後先にあれ読まなきゃこれ読まなきゃで遅れ、やっと読んでここに登場という次第です。でもまあ、 自分にしちゃ早い方でしょ?

で、まず先に感想的なことを言ってしまうと、大変素晴らしい!サウザンゴシックの流れを汲むカントリー・ノワール・ジャンルは、なんだかんだ言ってもやや文学寄りの傾向が強いのだけど、そういう部分も引き継ぎつつもエンタテインメント性の高い バイオレンス・クライム・アクションを展開するのがこの作品。
このくらい翻訳されなきゃもう終わりだろと思うし、なんか色々賞的なものもとってるし、目聡い編集か誰かいたら出る可能性はあるかも、とも思うけど、どうせこの国もう終わってるから あんまり期待できないだろうね。ホントはコスビーからこういうのや、 Eric Beetner、ジョーダン・ハーパーとかに繋げてってこういうジャンルが存在してるんだって読者が認識するもんなんじゃないの?まあいいか、どうせ終わりだし。
これからもいい作品を読みたい、アメリカのクライム・ノベルシーンが何処へ向かうのかきちんと知りたいという皆さんは、日本の出版社など諦めて、とっとと原書で読んでください。


【Bull Mountain】


タイトルにもなっているBull Mountainは、ジョージア州南部に存在していることになっている架空の地名である。通称でもなんでもなく、作中では常にこの名前で呼ばれる。なんか翻訳が出たらみたいな話をしているうちに、そういうことになると邦題『なんちゃらの山』みたいのになって、下手するとホント野暮ったい山にされかねないなと思ったりした。なんか近年のこの国の出版社のやるそれって半分以上ぐらいもう勘弁してくれみたいなもんになってるけど、それこっちジャンル限定の話?

1949年
Bull Mountain西尾根 Jonson's Gap
Burroughs一族の当主であるRye Burroughsは、この山にいくつかある家族の狩猟小屋の一つの前に座り、西尾根に昇る朝日を見ていた。
やがて、タイヤが砂利を噛む音が朝の静寂を乱してくる。Ryeの16歳年下の弟、Cooperが古いフラットベッドのフォードで山道を登って来るのが見える。
到着し、後部ウィンドウに載せてあったライフルを掴んで降りてくるCooper。そして助手席からは彼の9歳になる息子、Garethも降りて来る。
彼ら兄弟の間には意見の相違があり、その緩衝材という役割で弟がまだ小さな息子を連れて来たことが、Ryeには察しがついている。

小屋に入り、Cooperが息子に手伝わせながら朝食を作る。あたかもお互いの間に何も問題は起きていないように。それが兄弟のやり方だ。
朝食の席でまず口を開いたのはGareth。「叔父さんがむかしこの尾根でグリズリーを倒したって、お父さんが話してくれたよ」
Ryeが応える。「いや、それは違うな。それはグリズリーじゃなくて、ヒグマだ」
「なぜその熊の頭を壁に飾らないの?」Garethの問いにCooperが答えないのを見て、Ryeが話す。
「わしらは必要のためにここで狩りをする。スポーツで狩りをするのは馬鹿のやることだ。壁に飾るトロフィーのためにそれを殺すのは、命を侮辱することだ」
朝食を食べ終え、Garethを含む三人は、それぞれにライフルを持ち、狩りのために小屋を出る。

狩りのため歩く道すがら、RyeとCooperのそれぞれの意見の相違点についての会話が始まる。
この地、Bull Mountainでのこれまでの主要産業は密造酒作りだった。だが、もはやそんな商売が続けられる時代ではない。家長であるRyeは新たな収入源としてこの山の木を売ることを考え、そのための交渉も既に始めていた。
だがCooperは、それは将来的にはこの山を失うことにつながるとして、断固反対している。
「俺には別の計画がある」と言うCooper。
「どんな計画だ?北に植えている雑草のことか?」
Cooperはそれを既にRyeが知っていたことに驚きを見せず、Ryeの計画への反対を繰り返す。

しばらく一行は沈黙のまま歩き続ける。やがてCooperが再び口を開く。
「もう取引は進んでるわけか?」
「ああそうだ。今日連中の一人が契約書を持ってくる」
そこでCooperが黙り、立ち止まる。Ryeの背後20ヤード先で川から水を飲む大鹿。Garethも既にそれを見つけていた。

Cooperは川の上流を指さし、Ryeはそちらに向かう。Garethは大鹿に狙いをつけている。Cooperは息子の肩に手を置いて言う。
「リラックスしろ。首の下の筋肉の厚いところに照準を合わせろ。毛皮が白く変わるところだ。わかるな」
Garethは引き金を引く。Cooperはそれと同時にライフルを左に向け、引き金を引く。
二発の銃声はほとんど連続し、森の中に響く。
大鹿は自身の重さを支えきれなくなり、肢を曲げ倒れる。
Rye Burroughsは、その首をハイキャリバー弾が貫いた時、よろめくこともなくその場に倒れ、地面に血を流していた。

Cooperは兄の死体に歩み寄ると、強く腹を蹴り既に息が無いことを確かめる。
そして驚愕に固まっている息子に声を掛ける。「周りを見ろ」
Garethはぎこちなく、叔父の死体から目を逸らすように周囲を見回す。
「何が見える?」
「樹、父さん。樹と森」
「お前にはもっと重要なものが見えていない。樹も森もその一部に過ぎん」
「それは家だ」Cooperは言う「俺たちの家だ。あらゆる方向に見える限りの全てが俺たちに属している。そして、お前に。それより重要なものなどない。それを持ち続けるために俺がやらないことなど何もない。それをやることが容易なことでは なかったとしてもだ」
そしてCooperは、Garethにスコップを渡し、墓穴を掘らせる。


この第1章では、こうしてある歴史の岐路における現在へ繋がるBull Mountainの始まりが描かれる。密造酒商売に見切りをつけ、合法的で平和な山の存続を目指したRye Burroughsだったが、それはこの山を失うことに繋がると考える弟、 Cooper Burroughsにより射殺される。Cooperがこの時計画していたのは、途中でRyeが指摘した「雑草」、大麻の栽培。こうしてBull Mountainは、マリファナ製造による非合法と暴力の歴史を重ねて行くことになる。
そして、第2章は現在、2015年へと続く。


2015年
ジョージア州Waymore Valley
McFall郡保安官のClayton Burroughsは日曜の朝、保安官事務所の自身の駐車場所にブロンコを駐める。電話を取るべきではなかった、今日は一日のんびり休日を過ごすつもりだったと憂鬱な気分で。
保安官事務所に入ると、受付のCricketがClaytonをすまなそうに迎える。「日曜にお呼び立てしてすみません。でもこの件については、保安官が可能な限り迅速に対応されたいと考えると思いまして」
「ゲストは1号房です」と、彼女は留置場を示す。
「それでChoctawは?」「オフィスで保安官を待っています」
Claytonは少々の頭痛を感じながら、まず自分のオフィスへと向かう。

オフィスでは保安官補のChotawが緊張した面持ちで、保安官Claytonを待っていた。
ClaytonはChotawに現在留置場に入れられている強盗犯の逮捕に至る報告を聞く。
町を訪れている軍隊時代の友人とのいたずら合戦に始まり、警察車両使用の規定違反などの問題を含み、ドタバタの末の強盗犯人の逮捕に至り、結果警察車両を損壊させてしまう報告はClaytonをも苦笑させてしまうが、Chotawには 車両修理代の支払いを命じる。

このパート、数ページに渡るいかにも田舎警察っぽい笑い話的なものなのだが、やや長いのと中途半端に書いても面白を損ないかねんという考えから省略。だが、実はこの部分終盤になって重要な意味を含んでいたことがわかったりするので、 くれぐれもいい加減に読み飛ばさないように。

Chotawがなんとか言い訳を試みているところで、デスクの上のインターコムから受付Cricketの声が聞こえてくる。
「Burroughs保安官、連邦捜査官がお見えになっています」
朝の8時半だぞ…。日曜の…。渋るClaytonに、明日出直してもらうように言いましょうか?とCricket。
しかしやむなく、入ってもらえと告げるClayton。

40代半ばかもう少し若い、ハンサムな男がセールスマンな笑みを浮かべながら入って来る。
「Simon Holly特別捜査官です」握手を交わし、ATFの者だと告げる。
Claytonは若干の頭痛を感じながら言う。「あんたが何の用で来たかは、わかってる。そうでなければと願うが、常にそうだ。そうでなかったためしなどない。とっとと始めてくれ」
「その通りですね。単刀直入に言いましょう、私はあなたのお兄さんにゲームから降りてもらうために来ました」

「数年おきに、あんたみたいな若手のFBIかATFの捜査官が現れ、俺のオフィスをつつきまわし、俺の兄弟の一人の上にハンマーを下ろす方法を探しに来る。今回のあんたとそれまでの連中との唯一の違いは、どっちの兄弟を狙ってるのか 訊く必要がないってことだ。あんたらの一人が去年Buckleyを射殺して以来な」
Claytonは相手を強く睨み、付け加える。「ちなみにそれで、その後どのくらい変化があったのかね?」
「我々はその件については全く関与していません。私の理解するところでは、それは州レベルでの混乱のはずです。ジョージア捜査局による捜査であったと認識しています」
「大した違いはない。FBI、GBI、俺にはあんたらおんなじに見えるがね」硬い声で返すClayton。
「その件に関しては深くお悔やみ申し上げます」
「まあ、そうだろうな。だが、俺が言ったように、あんたらはそこから何一つ成し遂げちゃいない。そして俺にはあんたが、今度はもっと多くのまともな住民を十字砲火に巻き込むよりましなことができるとは思えんのだがね」

「あなたは先ほどから"あんたら"と言い続けている」抗議するように言うHolly。「あなたは保安官だ。それはあなたも"我々"の一員だということではないですか?」
「聞いてくれ。俺はあんたらみたいなもんじゃない。俺はここから15マイルも離れてないところで生まれ育った田舎者だ。俺は「悪を成す者」から世界を救おうとしている、凄腕の法の番人なんかじゃないんだ」
「俺は外のあんたらの世界で何が起ころうがどうでもいいんだ。俺は、あっちの山から永遠に流れ続けてくるクソの川や、俺ら田舎者に自分らがどれだけとんがってるか見せびらかすためにここにやって来るトリガーハッピーの友愛会小僧共から、 この谷の善良な人々を守るためにベストを尽くす、ちっぽけな町の田舎警官なんだよ」

「俺はあんたの助けにはなれない」
頑なに拒むClayton保安官に、Holly捜査官は別のアプローチを試みる。
「多分最初から順に始めた方がいいのかもしれませんね。その方が良くわかってもらえそうだ」
「私はATFで2年になりますが、その間あるひとつの件に注力してきました」
「Halford Burroughsだな」とClaytonは、現在Bull Mountainのボスである兄の名を言う。
「違います。あなたのお兄さんはごく最近まで私の捜査圏内に上って来なかった。2年に渡り、私はフロリダ、ジャクソンビルの組織に対する立件のために動いて来た。関連するその他の件と並び、その組織はあなたの兄さんとその配下に 多くの銃器を供給していた。更にこの数年はあなたの兄さんのメタンフェタミン製造の原料供給元となって来た」
そしてHollyは、Bull Mountainがジャクソンビルの組織と関係を持ったのは彼らの父の時代に遡り、組織拡大により近年には人身売買にまで手を広げる危険な組織となっていることを説明する。
「あなたの兄さんHalfordは彼らのことをよく知っている。Halfordは彼らの活動全般について熟知しており、彼らも彼を信頼している」
そこでClaytonは、Hollyの意図を察する。「あんたは彼にフロリダの連中を売らせて、そっちの事件を解決したいわけだな」

覚醒剤の商売は終わることになる。だがこれまで稼いだ金も、山も守られることになる、とHolly。
だが、そんなことは不可能だ、Halfordにとっって最も重要なのはプライドだからだ、とはねつけるClayton。そこでHollyはまた別の角度から話を続ける。
「我々は山の中の16の覚醒剤密造所の位置を知っている。そして我々はフロリダ、アラバマ、北及び南カロライナ、そしてテネシーへのルートも把握している」
そして連邦各捜査局は今にもそれに飛び掛かろうとしている。そしてそれを止めることができるのは私だけだ。
そこまで話が進み、Claytonももはや山と家族を守るにはその方法しかないのでは、と思い始める。
だが、自分には兄を説得することが可能なのか?


この作品の主人公はBull MountainとBurroughs一族ということになるだろうが、現在時制での物語の主人公となるのはこのClayton Burroughs。
ちょっと物語の進行に合わせて行くとわかりにくい部分もあるかと思うので、ここで一旦まとめておこう。
1972年生まれで現在43歳。第1章で出て来たGareth Claytonの三男として生まれる。
現在彼が保安官として管轄しているのはWaymore Valleyという地区で、実はBull Mountainはここに含まれてはいない。
Burroughs一族の利権を守るというような目的の悪徳警官ではなく、彼らが管轄地域に引き起こすような問題に対処するというスタンスのまともな保安官である。
長男がHalfordで、現在のBull Mountainのボス。次男Buckleyは先に書いたように、前年州捜査局関連により射殺されている。
ならず者一家に生まれ、唯一まともな道を歩んでいるように見えるClaytonだが、実は自分が兄弟の中で父の期待に応えられなかった弱者というコンプレックスを持っており、それゆえ家業を継がず山を下りたという気持ちも持っている。
そして、その気持ちに動かされ、兄とBull Mountainを守るための手段として、Holly捜査官の提案を受け入れ、兄Halfordへの説得に動き始める。

この作品はそれぞれの章が、その章で中心となり、視点となる人物の名前、あるいは地名などで題されている。
「Chapter 1: Western Ridge, Johnson's Gap Bull Mountain, Georgia 1949」、「Chapter 2: Clayton Burroughs Waymore Valley, Georgia 2015」という感じ。
続く第3章、4章は兄の説得を決意したClaytonと、彼がその兄と関わる危険性を危惧する彼の妻Kate Burroughsの視点。
第5章では遡った少年時代のClaytonと兄Halfordの関係が描かれる「Halford and Clayton Burroughs 1985」。
そしてその時点でのHolly捜査官の視点の第6章を挟み、以降は「Cooper Burroughs 1950」、「Gareth Burroughs 1958」とBull Mountainの歴史と、先に出て来たフロリダの組織との関係の始まりなどが描かれて行く。
そしてそれらを踏まえた上で、中盤からはClaytonの、兄とBull Mountainを守るための模索、闘いが始まって行く。

だが、ここまで物語を追って来た人ならだれでも引っ掛かっていることがあるだろう。いや、今まで気付かなかったのなら、今気付け。
ここに現れたATFのSimon Hollyという人物は、本当に言っている通りの信用できる人物なのだろうか?本当に彼の言っていることは実現され得るのか?いや、ちょっとややネタバレ気味かもしれないのだけどさ。
中盤過ぎから後半にかけ、彼が何者であるかが明らかになるにつれ、それまで家族の葛藤、兄弟の相克が中心と見えたこの物語の様相が変わる。
そしてそれはBull MountainとBurroughs一族を何処へ向かわせるのか?


最初に書いたことの繰り返しっぽくなるけど、この作品はやや文学方向に傾きがちなカントリー・ノワールジャンルの中に於いても、犯罪小説というう部分でのエンタテインメント性の高い作品である。
近年のハードボイルド・クライムジャンルが、地方の田舎町というあたりを経て、こういう山中レベルのど田舎やメキシコ国境あたりに分布しているというのはもう散々言ってきていることであるけど、この作品は 主食リスみたいな本格ヒルビリーカントリーノワールとそれらのジャンルを繋ぐというような性格も持っているかもしれない。
また、なんか一所懸命説明しようと頑張っていて気付いたのだけど、この作品大変「語る」小説でもある。第1章のRyeやCooperぐらいからもわかるように、この作品では様々な人物が、モラル的な是非は置いといて、自身の信念的なものを 大変多く語る小説でもある。なんか長くなっちまうけどな、と思いながらもこのセリフは外せない、というものも多かったり。ほら、そこのあんた、好きだろこういう語るやつ。だったら絶対これ読まなきゃな!

作者Brian Panowichについては、なんかWikiと本の巻末の著者紹介を照らし合わせてみると何気によくわからなくなる部分もあるのだけど、その辺組み合わせて大体のところで言うと、多分父親が軍人で子供の頃はヨーロッパの駐屯地とかを 転々とする感じで育ったらしい。その後、イースト・ジョージアに落ち着きGeoreia Southern universityに入学。その後音楽関連で演奏旅行という感じで20年間各地を転々としてたとか。作家になる前か、なってからも、カントリーノワール作家に 人気(?)の職業消防士をやっていたそう。
小説を書き始めたのは2009年で、2013年にはその辺のWeb界隈を中心とした短編クライム小説家の中では最高の栄誉ぐらいだったSpinetinler Awardに2本の短編がノミネートされる。そして2015年にこの『Bull Mountain』で長編デビューとなる。
巻末の謝辞では当時出ていたアンソロジー誌Zelmar Pulpの作家グループに属する、こっち界隈じゃよく聞くJoe Cliffordをはじめとする多くの作家の名前が挙げられており、この人もこういうところから出てきた人なんだなと改めて思う。 もっと頑張ってその辺のアンソロジー誌も読んで行かなければと思うよ、ホントに。

Brian Panowichは2015年のこの『Bull Mountain』でにデビューから現在までに4作の長編と第1作と2作を繋ぐらしい短編1作を発表しており、来年4月に第5作の出版が既にアナウンスされている。なんかちょっとわかりにくくなってるのだけど、いずれもBull Mountainシリーズに属する作品。 まだ情報出たばかりで不明だけど、多分第5作もそうだろうと思うよ。
この作品に続く第2作『Like Lions』では『Bull Mountain』のあの結末のその後が描かれるようである。あ、その前に『The Broken King: A McFalls County Story』という短編があるんだが、さっき気付いたので内容等不明。長編第1作と2作を繋ぐというのは間違いなさそうだけど…。で、そのあの結末がどんなものだったか知りたい人は早く読むべし。モタモタしてるとこっちで次読んでばらしちゃうよ。


■Brian Panowich著作リスト

●Bull Mountainシリーズ

  1. Bull Mountain (2015)
  2. The Broken King: A McFalls County Story
  3. Like Lions (2019)
  4. Hard Cash Valley (2020)
  5. Nothing But the Bones (2024)
  6. Long Night Moon (2025)



全部ハードボイルドで問題ないだろ、って話


えーと、前回最後『夜の人々』関連で書いてて、余力がなくて途中で放り出しちゃった話の続きー。
と言ってもさあ、また誰かを罵倒したい、罵り足らんみたいなことじゃないんだよ。オレは外のあんたらのJミス世界で、ミステリ=クイズだろうが、犯人聞いたら読む意味なくなろうが、この中に犯人がいようがいまいが、 イヤミスみたいなクソ概念流通しようがどうでもいいんだ。 オレは、クイズオタクカルトから永遠に流れ続けてくるクソの川や、俺ら田舎者に自分らがどれだけお利巧か見せびらかすために出版社に入社して、まともな本の帯にクソコピー付けたり、自称評論家どもに好き勝手な思いつき「解説」適当に書かせる トリックハッピーのミス研小僧共から、このハードボイルド谷の善良な人々を守るためにベストを尽くす、ちっぽけなブログのハードボイルドバカなんだよ。ってことは先に言っとく。

つまりは全部ハードボイルドってジャンルでくくるのが一番明解だという話。
例えば、前回のジェームズ・リー・バーク/デイヴ・ロビショーというのを一つの地点とする。そしてダシール・ハメットを起点という風に考え関連する作品を順に並べて行く。
そこにはチャンドラー、ミッキー・スピレイン、ロス・マクドナルド、50~60年代のグーディス、トンプソン、ライオネル・ホワイト、ウェストレイク/パーカー、ジョン・D/トラヴィス・マッギー、ジョージ・V・ヒギンズ、一連のネオ・ハードボイルド、 ブロック/マット・スカダー、ジェームズ・クラムリー、マックス・アラン・コリンズ、80年代のローレン・D・エスルマン、スティーヴン・グリーンリーフ、ジェイムズ・エルロイ、エルモア・レナード、アンドリュー・ヴァクスまで、 何の違和感もなく収まる。出てきた時代背景による考察なんかも加え、それ以前からの影響みたいな見方も簡単にできる。
相互の影響などからも考え、これを一つのジャンルと考えるのが最も合理的であり、これらすべてをハードボイルドという大枠のジャンルで考えるのが適当であるということ。いや、別に名前なんてノワールって言いたきゃそれでもいいんだけど、 今更ハメット、チャンドラーをハードボイルド以外で呼びにくいだろ、ぐらいのこと。
そしてその中に、サブジャンルとして、クライムやらノワールやら、狭義のハードボイルド、PI小説みたいなもんが入るという考え。
こんな簡単な考えがなぜなされないかと言えば、様々なその場で思いついたレベルのバカバカしい定義。まあ日本のハードボイルドにおける諸悪の根源と言えば、散々批判してる「本格ハードボイルド」ってやつ。1950年代頃のロス・マクドナルド 売り出しキャンペーンに基づいたハメット-チャンドラー-ロス・マクドナルドスクールをベースにしたものをハードボイルドで最も重要な定義であるように掲げ、実際には主にチャンドラーのみを考えたような「ハードボイルド精神」解釈を 延々続けたり、謎解き視点からロス・マクドナルドを見当違いの方向で持ち上げたり。下手すりゃマイク・ハマーぐらいまで遡った日本のハードボイルドの混乱は、すべてぐらいにこれに起因すると言っても過言ではない。
そしてもう一方でミステリというものの中で伝統的で、日本ではいまだにその考えを変えられない、ミステリというのは事件が起こり犯人を特定するものだという固定観念。これにより本来は同じジャンル内のものとして考えるべき PI小説にカテゴライズされるものと犯罪小説に属するその形になっていないものが別々に扱われた、と言うより扱われ続けている。
角度を変えて考えてみれば、日本のミステリについての考え方の中では、まず謎解きに特化したものが頂点に置かれ、その価値観により下位のサブジャンル的なものとしてハードボイルドを扱い、犯罪小説はさらにその外のミステリ関連作品 ぐらいのものとして扱われている状況。これではいつまでたっても、別の視点から見れば明白なそれらを同じジャンルのものとして一つの流れ・歴史の中で考えることすら出来ない。
もっともこれはある時期までは日本だけの状況でもなかったようで、同じような感じで評論家筋やらからあまり評価されなかった50~60年代のクライム作品が、80年代になりBlack Lizardとして発掘・復刊され、再評価されるに至ったなんていうのもそういう 事情からなんではないかなと思う。

結局、こういった考えを追って行けば、どこかの時点でこれを修正すべきだったにもかかわらず、先人のその時点の考えでしかないものをそのまま継承し、小手先であーでもないこーでもないと足踏みしてきたような自称評論家どもへ行き着くわけ。
でもほんと不毛だよ。居酒屋での趣味の仲間同士の戯言「議論」が「論」になると思い込んだような「感想屋」を批判するなんてクソ時間の無駄以外の何でもないんだよな。
事あるごとにJミス的な考えをバカにしてるような言い方してる私だが、実際には80年代ぐらいなんだかよく知らんがその辺で始まった「新本格」とか言ってるやつだって別に批判する気もないし、むしろそういう動きは評価すべきだと思ってる。 だが、どこまで行ってもそれはローカル地域限定で、ガラミスでしかないんだよ。一番問題なのは、世界のミステリの動きはそんなとこにないのに、その考えに合致するようなあんたもう日本向けに書いてるんと違う?ぐらいの作家作品を 「ミステリの世界最高峰」とか言って持ち上げるような連中なんだよ。もはやありもしないもんを世の理みたいに言ってる連中なんてカルトと呼ぶしかないだろ。
それがミステリ=なぞなぞというような底辺レベルの子供向けミステリ観が大手を振って歩いてるのをいいことに、その上にどっかり座ってるようなこの国じゃ、まずJミス的な考えからバカにしてかなきゃ話も始まらないじゃん。

全ての定義みたいなもんは、精々時期限定ぐらいにしか使えない。今まで言ってきたような様々な「定義」面したものが先入観としてジャンルを縛るならとっととトイレに流しちまえ。
語源がどうだとか、文体がどうだとか。
「ハードボイルド精神」解釈に傾き、挙句にセニョール・ピンクに終わった本格ハードボイルド定義とか。
様々な作品でクラシック・ノワール的と言えるような形の人物配置・プロットを使い、見方によればもっともその部分を継承しているとも言えるエルモア・レナード作品にほぼ噛み合わない一方で、私小説ベースの日本の「純文学」的な傾向との 親和性ばかり高いノワール原理主義者によるノワール定義とか。
単純な話だよ。先に言ったような大枠ハードボイルドの考え方でハメットからバークまでを繋げれば、バークからこの『Bull Mountain』まで簡単につながる。ハメット・チャンドラーから続くと言ったって、いちいちそれと比較する必要なんてない。 百年近くを経ればなんだってそれなりに変化するのが当たり前。
小手先の居酒屋由来の駄論こねくり回してるヒマがあったら、バカバカしいこじつけ「○○を連想させる」知ってる本列挙じゃない、ちゃんとつながるものを探してみたら?
過去の作品を読むことには常に意味があるし、新たな発見・楽しみが得られるものだ。
でもまず未来につながる新しい作品を見てかなきゃ、どうにも先がないだろう、って話。
『Bull Mountain』は、そんな「ハードボイルドジャンル」の一番新しい流れに属している作品なんだよ。って感じでうまくまとまったナリか?

結局なんでこんなことを延々書いているかと言えば、ちゃんとそういう考え方して行かなければ先に繋がっていかないということ。この『Bull Mountain』がハメット・チャンドラーといかに違っていても、そこから始まったものが、多くの作家作品の積み重ねや時代変化を経てたどり着いた現在地点の一つであり、そしてそれが未来の作品へと続いて行く素材となって行くのだということ。
ハードボイルドが男の生き様かっこつけセリフ集だと思ってる猿も、論や定義で理解できると思ってるお勉強バカも放っとけ。これがハードボイルドだと言い続ける奴が、次の「ハードボイルド」を見つけられるのさ。


最近の新刊


今月は国内的にも色々注目の新刊が出とりますな。まずは何と言ってもコスビー『すべての罪は血を流す』、そして台湾、紀 蔚然『DV8 台北プライベートアイ2』、そしてチャック・ホーガン『ギャングランド』
このうちコスビーはそのうちゆっくり読みたいし、紀 蔚然についてはある意味どうなったか一番気になるところだけど、余計なこと言ったりするのも悪いんでこちらも個人的にゆっくり。で、とりあえずずいぶん久しぶりだけど どうなったんかな?と気になるのがチャック・ホーガンかな。でもちょっと調べてみたら2011年の『ザ・ストレイン』三部作以後はテレビや映画方面で、という感じで小説自体が久しぶりなのかよ。そっち方面流れてった作家多いけど、 そっちも頭打ちだろうし出戻り多くなるのかもな。
本屋行ったの先週で、『DV8 台北プライベートアイ2』だけ見てないけど、他の2冊は巻末に長ったらしい評論家解説ゴミが抱き合わせでない、訳者・編集者の短いやつになってたので、やっとあれの多くは害悪にしかならない無用性に 気付いてくれたんかとも思ったけど、翻訳ミステリ自体が瀕死だし単なる経費削減かもね。このまま削減してくれよ。どんなゴミ付けられてるか不安で、安心して本も読めやしないんだからね。
この辺については一応は分かってる作家なんで、未読でおススメしても多分大丈夫かと。なんかどうしても言わなきゃならん事とか、機会があったらなんか書くかもしれません。


なんだか気付けばまた月末かよ。もっと頑張らねば、と常に思ってはいるのだが…。マッキンティ/ダフィの最新作ペーパーバック版が遂に発売となったのですが、まだ届きません。来月になるそうです。発表になって割とすぐに予約注文した はずなんだが。とりあえず届くまでにこっち先読んどくかな、という日々を送っていたりいなかったり。とにかく次はもっと早く書きたい。



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