当方、かなり遅ればせながらやっと昨年始まった第9作『Cadillac Jukebox』に続く、ロビショー未訳作紹介の第2回。ハードボイルドがセニョールピンクに成り果て、先に一切の望みもないこの国で、まともで良質なハードボイルドを 求める数少ない正気の皆さんのため今回もできる限り頑張ってみたいと思うものであります。
と言っては見たものの…。作数を重ねるごとに複雑になって行く印象の強いこのシリーズ、前作『Cadillac Jukebox』にもまして複雑で、かなり大量の人物が登場し、過去現在に渡り関係が入り組んでくる。なんか人物関係相関図みたいなもの でも作った方がわかりやすいんではないかと思うが、それやってくと結構ネタバレになりかねん危険性あるしな…。
ロビショーが生まれ育ち、現在も生き続けるアメリカ南部の地を舞台とした、切り離すことのできない過去と現在の罪・暴力をめぐる人間ドラマ、というところでしょうか。まあ「人間ドラマ」みたいな言い草がエンタテインメントやジャンル作品 より高級かなんかと思うようなアッタマ悪い層ってホントうんざりするんだが。
あっ、でもこんなコピーならいいかも。
「これはただの(orありきたりのor時代錯誤なor犯人聞いたら読む意味無くなっちゃう)謎解きミステリーではない。人間ドラマである!」とかな。
とりあえずいつものようにある程度序盤を紹介し、その先は時系列に沿ってある程度飛びながら登場人物について書いて行くというような形になるか。
もしかすると話の展開上出てくるとこまで書けないのいるかもしれないし、またその人物について深く語られるうちに全く違った人物像が現れるというのもリー・バークの手法でもあったりするし。
なんか前置きでいつまでもくどくど言ってて申し訳ないんだが、そんくらい悩んでいるわけなのだけど、とにかくやってみるしかないっす。
というわけで『Sunset Limited』です。
【Sunset Limited】
私はこんな夜明けを、人生で2度だけ見たことがある。
ひとつはベトナムで。夜道で対人地雷が爆発した後の光の触手が太ももに巻き付いて来た時。
そしてそれよりも数年前のルイジアナ州フランクリンで、労働運動のまとめ役だった男の身体が、納屋の壁に手首と足首を60ペニー釘で打ち付けられ、磔にされているのを父親とともに見つけた時だ。
空が磨かれた骨のように白く変わる。まるですべての色彩が空気の中に流れ去ったような。
そして水平線を覆う雨雲の中、赤い光がマッシュルームのように膨らんだ後、中央に人型を成そうとしている炎が燃え上がっているような太陽が姿を現し、水面を血の色に染める。
「Sunset Limited」と題されたこの作品は、こんな奇妙でグロテスクな夜明けの描写から始まる。
だが彼はそれが偶然の一致ではないことを心の奥で知っていた。
ロビショーとクリートがキャビンクルーザーで釣り餌店に戻った時、そこに磔にされていた男の娘、Megan Flynnsが待っていたという事実との。
Meganは、彼女と目が合ってしまった誰もが、良きにつけ悪しきにつけ、彼女の人生の謎の部分に招待されたと思い込んでしまうよな瞳を授かった、数少ない女性だ。
「彼女、どっかで見たことあるな」クルーザーから上がりながら、クリートが言う。
「先週のニューズウィーク・マガジンさ」
「あれか。彼女ピューリッツァー賞か何だか獲ったんだよな」
ロビショーは報道カメラマンとしての彼女を称える、雑誌の表紙を思い浮かべる。
そして同時に全く違う顔の彼女を。兄と共に孤児となり、ルイジアナとコロラドの里親の家を何度も逃げ出し、そしてある程度の歳になるとそこから完全に逃げ出し、彼女らの父が労働運動で組織しようとしていたような季節労働者に混ざり 各地を渡り歩いていた彼女を。
挨拶のように釣果を尋ねるMeaganに、釣りに来たわけじゃないだろう、何の用だ?と問い返すロビショー。
「Cool Breeze Broussardが何者か、知ってるわよね」
「空き巣狙い、泥棒だな」
「彼はあなたの管轄区の拘置所はトイレ並みで、看守はサディストだと訴えてる」
看守は新しく交代したばかりで事情は分からない、拘置所は環境の悪いところだろう。保安官に話してくれと言うロビショー。
「ニューイベリアの典型ね。ヒューマニティーを踏みつけにする戯言」
「この町が君のお父さんを殺したわけじゃない」
「そうね、連中は私と兄さんを、床を自分の膝で磨かせるような孤児院に放り込んだだけよ」
あのアイリッシュのお友達に、彼は素敵だと伝えておいて、とMeganは付け加える。家の方に私たちを訪ねて来て、縞頭さん。
そして車に乗って走り去る。
戻り、デッキにいるクリートに、囚人がひどい扱いを受けてるという噂があるか?と尋ねるロビショー。
たぶん彼女は連中が何をやってそこに入ったのか、きちんとチェックすべきなんだろう、とクリート。
「彼女、お前が素敵だって言ってたぞ」
「彼女が?」クリートは彼女が去った方向を見つめ、左の眉の上の傷跡が頭蓋の上で平らになるような笑顔を浮かべる。
ロビショーはMeaganが話していた黒人の囚人、Cool Breeze Broussardに面会に行く。
面会室に現れたBroussardは、何回もの前科があるように見える男ではなかった。
どうもお前が誰かを密告するような奴には見えないんだがな、悪い看守であっても、と尋ねかけるロビショー。
Broussardは、そこでロビショーに助けを求めた本当の理由を話す。
彼は盗難品であるビデオデッキを運搬中に逮捕された。それは地元のマフィアGiacanoファミリーの倉庫から「盗んだ」ものだった。
つまり彼のやっていたことは、大量のビデオデッキを盗まれたという形をとって安価で取引するための運搬役だった。そしてその取引相手は、それを使ってカンフー映画のビデオをダビングし販売するチャイニーズ・マフィア。
拘置所の看守にもその組織と繋がるものがおり、彼が受けている拘置所内での虐待はそれに関係するものだということだ。
ロビショーはとりあえず、自宅と釣り餌店の電話番号を記した名刺を渡す。
ロビショーはバイユーテクにあるMeaganの兄Ciscoの豪邸を訪ねる。
Ciscoは各地を渡り歩くうちにハリウッドへたどり着き、そこで映画業界に入る。エキストラから始め、スタントマン、そして映画の脚本に関わるようになり、やがてインディペンデントのプロダクションを立ち上げ、そこで作った低予算映画が フランス、イタリアで賞を取る。そしてそこからサンセットブールバードにオフィスを構える一流の映画プロデューサーとして名と財を成してきた。
Ciscoは家の横で平行棒を使って運動していた。Meagan?彼女ならニューオリンズへ行ってる。中へ入れよ、冷たいものが欲しいとこだった。あんたらここで夏はどうやって暮らしてるんだ?
拘置所に入っているCool Breeze Broussardという男についてのことだ、とロビショーはCiscoにMeaganを訪ねてきた理由を話す。
「この男は拘置所で不当な扱いを受けているようだ。だが、彼の本当の問題はニューオリンズの犯罪組織に関係することだと思う。なんにしても、彼女に連絡するよう伝えてくれ」
壁の一つはCiscoがこれまでに撮った映画からの写真、そしてその横の壁一面はMeaganが報道カメラマンとして世界各地で撮影してきた戦場などの写真で埋められている。
だが、奇妙なことに彼女のキャリアを決定的にした、ライフマガジンに掲載された有名な写真は下段の隅に置かれている。
ミシシッピに注ぐ排水溝の一つから、ニューオリンズ刑務所の囚人服を着た大柄な黒人が現れ、暗闇からやっとたどり着いた外の光に手を伸ばしたところで、喉を突然の銃弾に撃ち抜かれるという写真。
続く写真では死によって縮み、人格を失ったような死体を、五人の制服警官が見下ろしている。その前景では髪を短く刈り込んだ私服の片手に齧りかけのリンゴを持った男が、笑顔でカメラを見返している。
「何か気になるもんでもあるのか?」とCisco。
「これがあまり目立たないところにあると思ってな」
「こいつにとっては重い刑になったからな。俺とMeaganのために」
「この時俺はMeaganのアシスタントとして、パイプの中にいたんだ。警官たちはこれで報奨をもらった。この黒人は16歳の白人の女の子をレイプした罪で捕まったんだ。俺は70万ドルの家の壁にこいつの写真を飾れるようになった。この中で唯一取引に参加 できなかったのはその女子高生だな」
そこで帰ろうとしたロビショーは、窓の外で一人の50代と思われる男がベランダから降りてきて、雑誌を手にリクライニングチェアーに座り、葉巻に火を点けるのを目にとめる。
あれは映画監督のBilly Holtzerだと言い、ロビショーが断るより早く、彼に紹介すると外に出て行ってしまう。
結果、Cisgoはひとりで戻り、奴の頭は今進行中のプロジェクトでいっぱいのようでな、とロビショーに謝る。
だが、家を出たロビショーは、その男が自分を見つめている視線を感じる。彼に向かって軽く会釈するが、それが返ってくることはなかった。
ロビショーは問題の看守、Alex Guidryに会うため、彼の家へ行く。
町の外の10エーカーの馬牧場。1960年代の赤レンガの家は、24時間裏窓でエアコンが唸る、邪魔者を排除することのみが目的の要塞のようだった。
ロビショーは馬の訓練をしているGuidryを見つける。
彼の入来を見止め、馬を降りるGuidry。汗を拭いたタオルを馬小屋から出てきた黒人に放る。その黒人が彼の乗っていた馬を馬小屋に戻す。
自己紹介をした後、拘置所で虐待があったのかを尋ねる。
連中は嘘をついている。囚人を管理する際、手荒になることはあっても行き過ぎたことはしていない、と答えるGuidry。
車に戻り、牧場を去ろうとした際、ロビショーは10年ほど前にAlex Guidryが隣の住人の犬を撃ったことで逮捕されていたことを思い出す。彼の主張は理屈が通ってはいたが、隣人の話とは食い違うところも多かった。
リアビューミラーを見ると、Guidryはロビショーが立ち去る様子を、そこに立ったまま見張っていた。
月曜の朝、保安官事務所に出勤したロビショーは、保安官のオフィスに顔を出す。
司法省に訴えの出ていたCool Breeze Broussardの件か、と言う保安官。
昨日Alex Guidryに会って来たが、どうしてあんな人間が看守に採用されるのか、とロビショー。
あれは誰もがやりたがるような仕事ではないからな、と言う保安官。そして続けて言う。「君のオフィスにFBIのAdrien Glazerという女性捜査官が来てるぞ。知り合いか?」
ロビショーの知る者ではなかったが、先に自宅へ電話し、こちらに向かったのを聞いて直接来たと言う。
なんにしても、君には拘置所の面倒事は早く片付けて欲しい。我々はセントメアリー郡から奇妙な事件を放り投げられたばかりだ。
そして保安官はファイルを開き、事件について説明する。
3か月前、17歳の黒人少女が二人の白人の兄弟の少年たちによりレイプされる。
遡る4か月前彼らはコンビニ強盗の容疑で逮捕され、証拠不十分で釈放されたが、記録が残っていたため直ちに身許を特定され逮捕される。
だが、少女がその直前に麻薬を使用していたことが発覚し、起訴は取り下げられる。
そして先週土曜日のこと、二人の男、一人はセントメアリー郡の警官の制服らしきものを着用し、もう一人はパナマ帽に私服、が現れ簡単な質問に答えるだけだとして、友好的に二人の少年を車で連れ出す。
その半時間後、アチャファラヤ・ベイシンでキャンプをしていた学生が、その二人の兄弟が同じ男たちに処刑されるように射殺されるのを目撃する。
「白人の不良警官が、黒人少女の報復をしたんですか?」
どうにも理屈の合わない事件だが、ロビショーは保安官に促され、まずFBI捜査官の待つ自分のオフィスへと向かう。
ロビショーのオフィスで彼を待っていたFBI捜査官Adrien Glazerは、まずCool Breeze Broussardの話から始める。
昨夜Broussardと面会したが、彼はあなたが彼を出獄させてくれると思っているようだ。彼については一切の干渉を控えてもらいたい。
「あなたは連邦捜査の妨害をしている。そういう人物であるとの評判もある」
あんたらは彼をあんたらが立件できない誰かの密告者として使いたい、ということなんだろう、とロビショー。
Glazerはデスクに乗り出し、ロビショーに指を突きつけて言う。
「Meagan Flynnは日和見主義的なビッチよ。彼女とその兄に関わっていると、あなたは私の局の人間が思っているより更に深みに嵌まって行くことになる」
そして彼女はデスクの上に持っていたマニラフォルダーを落とす。
「写真の男はSwade Boxleiter。コロラド州キャノンシティの刑務所の運動場で撮られたものだ。ここに写っていないのは、白昼その運動場でカメラに見張られながら、彼が実行した殺人だ。こいつがいかに腕利きかがわかる」
写真は監視塔から運動場を見下ろして撮られたもの。歩いて来たBoxleiterが壁際の一人の囚人の前を通過する前と後。
Boxleiterが通り過ぎた後、男は倒れるが、Boxleiterが何をやったかについては写真には写っていない。
最後の写真では男は喉を血まみれにして横たわり、その胸にはテープで巻いた鉤が置かれている。
「BoxleiterはCisco Flynnの相棒よ。連中はデンバーで同じ孤児院にいた。あなたもすぐ会うことになるでしょう。奴は3日前に出所した」
話は分かったが、何故我々の問題にそこまで干渉するのかね、と問うロビショー。
「笑わせてくれるわね」立ち上がりこちらを見下ろすGlazer。
「香港は間もなく中国本土へ返還される。逮捕のために北京まで行かなきゃならなくなる前に、ビジネスから追い出したい連中がいくらか存在する。これで全体図は見えたかしら?」
分からんね、こんな田舎に何の関係がある、とロビショー。
彼女は嗤い、名刺をデスクの上に落とし、去って行く。
というところで結構長く書いてるけど、まだ20ページ弱ぐらいまでのところ。最初はこうやって次々と今作の主要人物が登場して来るんだが、まだまだ結構いる。
この辺からは、ある程度話の進行に沿った形で、一旦登場人物紹介とその関係についてまとめて行く。
それにしても長くなってしまうとわかっていても、「笑わせてくれるわね」と言って立ち上がり、こちらを見下ろして来る美人FBI捜査官というような描写は外せないだろ。
あと、最初に書いたようにこの作品1998年発表なので、ビデオデッキやら香港の中国本土返還が出てくるが、こういうわかる範囲の近過去を、古いwなどと言って見せるのも完全に時代遅れだからね。
その後、ロビショーはCool Breeze Broussardが脱獄したとの知らせを受け、彼の父Mout' Broussardに会いに行く。
Mout' Broussardは、ニューオリンズで長い年月にわたり靴磨きを続けてきた人物で、この地の黒人の不平等な扱いが身に染みるほど耐え、長く生き続けてきた男である。
Mout'は息子の居場所については知らん、と言い続けるが、看守であるAlex Guidryが長年にわたり黒人に横暴にふるまい続けてきた白人の屑であることを話す。
Cool BreezeはAlex Guidryの裏工作により他の囚人に殺されかけ、脱獄したということだった。
ロビショーは同僚の刑事ヘレンに半ば頼まれる形で、カントリークラブで酔いつぶれたこの町の有力者、元上院議員Archer Trrenbonneの娘、Lila Trrenbonneを引き取りに行く。
Lila Trrenbonneは思春期頃から長年にわたりアルコールの問題を抱えた女性で、ロビショーは警察官としてのみならず、AAの断酒会の繋がりなどでも彼女をよく知っていた。
Lilaを彼女の一族が代々暮らしてきた荘園邸宅に送り届けた時、ロビショーはその地所で、Cisco FlynnをプロデューサーとしてBilly Holtzerが監督する映画の撮影が行われていることを知る。
この映画撮影が物語の一つの重要地点となって行くわけだが、しばらくの後にはFBI捜査官Glazerが写真を見せた男、Swade Boxleiterがここに現れることとなる。
BoxleiterはFlynn兄妹と共に入れられていた孤児院で虐待に遭い、人間性が捻じ曲がってしまったバーク作品に多く現れる複雑な悪役。もちろんバーク作品では、泣かせでまとめる日本の激安テレビミステリーの類いのように 幼児向け性善説に基づく、色々あって悪の道に行ってしまったけど人間は生まれた時から悪い人はいないんですよ、おしまい、みたいなことにはならないので。
その他のキャラクターとして、Billy Holtzerの娘Geraldin Holtzerが登場するが、この父にしてという感じで、あまりまともではない。
その後、ロビショーはMeaganからの電話で、脱獄したCool Breeze Broussardが隠れていた湿地帯の中で毒蛇に噛まれたので助けて欲しいといわれ、クルーザーでその現場へと向かう。
Meaganと共にとりあえずはBroussardの応急処置に専念するロビショー。その間、Broussardはここに至るまでの、延々と白人たちに踏みつけにされ、利用され続けてきた悲惨な半生について話す。
Broussardを当面の危機から救い、これからどうするかと思案するロビショーだったが、その間もなくFBIが現れ、Broussardを彼らの管轄として連行して行く。
Broussardの話の中に登場する、Alex Guidryのような男たちを更に上に立つように動かす人物が、Harpo Delahoussey。実際に登場し、動くのは物語半ばから後半になる。
数々の犯罪に関わっているのは明白なのだが、しっぽを掴まれることなく、別の土地に牧場まで持ち、普通に暮らしている。
そして中盤以降ぐらいに登場するのが、ニューオリンズのマフィアの大物幹部Ricky Scarlotti。
Harpo DelahousseyやAlex Guidryは、マフィア組織に属する人間ではないが、Rickyのような人物を介し組織とも深くつながり、その利益のために動く。
というところで登場人物とその関係について、やや中盤ぐらいまでのパースペクティブで何とかまとめた。ホント大変。大抵の奴は、映画監督Billy Holtzerや看守Alex Guidryみたいな感じで、最初は正体不明で気が付くとこちらをじっと睨んでるぐらいで、 話の展開につれて人物背景が見えてくるわけだし、そっちまで書くと長くなりすぎるし、ややネタバレになるしぐらいで。
ここからやや戻る感じでもう少しストーリーを説明して行くから。
一旦はFBIに拘束されたCool Breeze Broussardだったが、彼らの役に立たなくなれば、また放り出される。ただ釈放されても彼自身の問題は全く解決されておらず、それに密告者として使われたという疑いも加わり、ますます危険は増してくる。
Broussardの苦境を何とかしたいというロビショーの動きは、彼をそこに追い込んでいるHarpo DelahousseyやAlex Guidry、マフィア幹部Ricky Scarlottiへと向かって行く。
そこに現れる、もはや犯罪が生活の一部であるような彼らが罰せられず、拘置所の看守まで務めるような、長年にわたって続きそれがもはや社会構造となってしまっているような南部沼沢地帯の腐敗。
そしてそこで当然のように踏みつけにされ、犯罪の当事者として利用され、矢面に立たされるCool Breeze Broussardのような黒人。
そこに更に外部であったチャイニーズ・マフィアの利害が絡み、Ricky Scarlottiはそれら全てをBroussardに載せ、彼の身などどうなっても構わないというスタンスで解決を図ろうとする。
一方、映画撮影の方では、監督Billy Holtzerが香港資本からの借金で問題を抱えていることが発覚。
起こり得る不穏な状況に対処するため、クリート・パーセルが警備に雇われることとなる。
シリーズを通じて全く女性に縁がない非モテキャラ代表のクリートが、Meaganの色香に迷い承諾したことは明らかで、友の身を案じ反対するロビショーだったが、それにより二人の間が以前にはなかったほどにギクシャクして来る。
そして、前述のような社会構造的な腐敗の中で、それほどの捜査もなされず現在に至っても犯人が特定されていないMeaganとCisco兄妹の父の殺害の真相。
Cool Breeze Broussardの件でロビショーが動き、あちこちを揺さぶることで、次第にその断片が少しずつ姿を現してくる。
兄妹の本当の目的はこれだったのか?
だが、それは同時に彼らに対しても脅威が迫ることを意味していた…。
サンセット・リミテッド。それはかつてはフロリダ州オーランドからニューオリンズを経由して、ロサンゼルスまで運行していた大陸横断鉄道(現在はニューオリンズ~ロサンゼルス間のみ)。
作中でロビショーは、子供の頃父が刑務所に入っていた時、母がその列車に乗ってハリウッドに向かったことを思い出す。
彼の住む貧しい沼沢地帯から、夢へ向かって走る列車。
だがたとえそこで夢を掴んだとしても、過去はなくなるものではなく、逆向きに走るレールの先に繋がっている。
Cisco、MeaganのFlynn兄妹の、過去から現在につながる運命に重ね合わされたタイトルである。
なんかこれまでで一番難航したぐらいなのだが、ちゃんと伝わっただろうか?いまいち自信ない…。多分エルロイより大変だったような。あちらは長くなっても上から順に書いて行けばなんとかなったんだが。
Meaganの出世作であるはずの写真があまり目立たないところにある謎とか、黒人女性の報復殺人なのか?という二人組の謎とか、序盤の方じゃ何処へ向かうかという説明もしにくいんだが、やっぱ重要なんで書いとかなきゃならんしとかな
ただ、あらすじ的にまとめるのが難しかったというだけで、小説として特に難解などというわけではない。普通に読んで誰でも楽しめる優れた小説作品である。えーと、登場人物多くて、人の名前憶えるのが苦手という人でなければ。ミステリ=クイズという Jミス的固定感覚からクイズの形になってるところばかり見つけようとして、挙句に分からないと言い出すバカじゃなければ。風景描写や心象描写が多いとラノベ感覚で簡単に読めないというのを、「無駄な記述が多い」とか作文先生気取りでぬかす バカじゃなければ。
登場人物多くてもそうそう混乱するものでもないけど、悪い看守Alex GuidryとFBI美人捜査官Adrien Glazerはどっちも頭文字がA.G.で字面的に一瞬混乱したりとか、映画監督の娘Geraldinは出番少な目で、いきなり名前だけ出されると思い出せなかったりとか、 Swade Boxleiterは姓のBoxleiterが印象強くて、急に名前でSwadeと呼ばれると、慣れるまでしばらくは誰?となったりとかはしたかな。
そういえばしばらく買ってないけど、講談社文庫ってまだ登場人物一覧しおり入っているんかな?あれは大変便利な仕様なのでみんなマネするように。新潮文庫はしおりのヒモに極小文字で書くこと。
ここへきて少し作風変化してきたのかな、と漠然とした印象があり、少し考えてみた。
そこで思いついたのが、1).ストーリー、人間関係の複雑化。2).ロビショー本人がいない伝聞シーンの増加。の2点。
まず2)からになってしまうんだが、後々考えて、これは登場人物の多さと、人間関係の複雑さが原因かと気付いた。そりゃこれだけいて相互の関係が色々あるからロビショーが立ち会わない場合も多くなるだろ。
ただ、それが増えたことで気付いてしまったのが、このデイヴ・ロビショーって人ちょっと変人だろ、という事実。いや、そもそもこの作品、最初とか章が変わった出だしとかで結構長く風景描写が入り、それはいつも素晴らしいもんなんだが、 この人他人から聞いた伝聞シーンでもそういう風景描写から始める。
いや、つまりどういうことかというと、例えば、やあ聞いたよ、お宅の妹さん東北の方で事故に遭ったんだって?みたいな会話で、うむ、妹に聞いた話をなるべく正確に再現するとだな、と言ってまず東北道から岩手に向かうとき道の両側にこの時期 見える風景の様子や、少し開けた車窓の隙間からどんな季節の匂いがしたみたいなことから始めるみたいな人。
なんとなく作者バークもその辺気付いてしまったんだけど、もうこいつはこういう奴でいいかと、開き直ってしまったのかも。そもそもこれデイヴ・ロビショーって人の一人称で、仮の手記みたいなものなんだから、こんなの書いてる兼業警官釣り餌屋の おやじってどんな奴だよ?風景写真または俳句が趣味?
そして1)に関しては、この作品のみではなく、まあ近く少なくとも2~3作ぐらいから顕著な傾向か。ただ事件が起こって犯人探して捕まえて終わり、というようなものではなく、なんかよからぬこと起こっているがこちらでどうこう出来るもんではなく、 それでも何かできることはないかとあちこちつついてるうちに色んなものが見つかったり、その状況から事件が派生し、それが過去に繋がったり、犯人明白なのに色々な事情で手を出せなかったり、と複雑になっているのがロビショー・シリーズの傾向。
そんな風に変わったのかな、気のせいなのかなとか思いつつ、少しWikiなど調べてみたら、ああなんだそういう根拠あるじゃんとすぐ気が付いた。実は前作『Cadillac Jukebox』とこの『Sunset Limited』の間、1997年に弁護士ビリー・ボブ・ホランド・シリーズ 第1作『Cimarron Rose(邦題:シマロン・ローズ)』が出てたわけだ。あ、講談社のしおりネタが出たのこれ再読したから。
なんとなくこの新シリーズ開始の経緯って、「やあ、ジェイムズ。最近弁護士上がりのグリシャムってやつの本がバカ売れして弁護士物のブームが来てるの知ってるだろ。どうだい、君も一つ書いてみないか?君ほどの実績のある作家が弁護士物を やればバカ売れ間違いなしだろ。出版社も乗り気なんだよ」みたいな電話がエージェントからあって、ということなんじゃないかと想像されるが。
だがそれはそれとして、そこはバーク、新シリーズを作るとなると真剣に考え、ロビショーとどう違うものを書くかということで、まずそもそもロビショー・シリーズがどういうものか改めて考え直したのではないか。そしてホランド・シリーズを立ち上げた後、 改めてそちらとの差別化も考えながら、ロビショー度20%増しぐらいで書いたのがこの作品なのかもね、ということ。
そんなわけで、ここからは別シリーズを立ち上がった影響によるこのシリーズの変化、あるかないかはこれから読んでみてだが、というものも注目点となって来る。
そしてその一方で、ホランド・シリーズ。このシリーズが4作で終了後、一旦曾祖父(だったかな?)であるHackberry Hollandに遡った後、Holland Familyサガへと拡大展開して行くのは、以前述べた通り。
ホランド・シリーズについて最初は、南部沼沢地帯のどちらかと言えば貧乏白人寄りの出身のロビショーとの差別化で、裕福とまでは行かなくてもそれなりに家系があるというキャラ設定を、自分の先祖がモデルらしい過去の作品のキャラクターと繋げたぐらいのものだったのかもしれないが、 元々歴史には関心が高く作品に盛り込むことも多いバークゆえ、構想が拡大して行ったというところなのかもしれない。
ホランド・シリーズについてもいつか残りの作品も読みたいとは思っていたけど、どうするかはあまり考えていなかったが、ここでこうなったからには今後はそっちのシリーズも含めたバーク作品全体を出版順に読んで行くしかあるまい。
というわけで、ここでこれから読んでくバーク作品、ボクの読書目標リストをシリーズごっちゃで一覧にしてみました。
1996 | Cadillac Jukebox | デイヴ・ロビショー |
1997 | Cimarron Rose:『シマロン・ローズ』 | ビリー・ボブ・ホランド |
1998 | Sunset Limited | デイヴ・ロビショー |
1999 | Heartwood:『ハートウッド』 | ビリー・ボブ・ホランド |
2000 | Purple Cane Road | デイヴ・ロビショー |
2001 | Bitterroot | ビリー・ボブ・ホランド |
2002 | Jolie Blon's Bounce | デイヴ・ロビショー |
2002 | White Doves at Morning | (非シリーズ作品) |
2003 | Last Car to Elysian Fields | デイヴ・ロビショー |
2004 | In the Moon of Red Poniest | ビリー・ボブ・ホランド |
2005 | Crusader's Cross | デイヴ・ロビショー |
2006 | Pegasus Descending | デイヴ・ロビショー |
2007 | The Tin Roof Blowdown | デイヴ・ロビショー |
2008 | Swan Peak | デイヴ・ロビショー |
2009 | Rain Gods | Hackberry Holland |
2010 | The Glass Rainbow | デイヴ・ロビショー |
2011 | Feast Day of Fools | Hackberry Holland |
2012 | Creole Belle | デイヴ・ロビショー |
2013 | Light of the World | デイヴ・ロビショー |
2014 | Wayfaring Stranger | Holland Family Saga |
2015 | House of the Rising Sun | Holland Family Saga |
2016 | The Jealous Kind | Holland Family Saga |
2018 | Robicheaux | デイヴ・ロビショー |
2019 | The New Iberia Blues | デイヴ・ロビショー |
2020 | A Private Cathedral | デイヴ・ロビショー |
2021 | Another Kind of Eden | Holland Family Saga |
2022 | Every Cloak Rolled in Blood | Holland Family Saga |
2023 | Flags on the Bayou | (非シリーズ作品) |
2024 | Clete | デイヴ・ロビショー |
というもう見てるだけでうっとりしちゃうリスト。長いって?そりゃ日本じゃもう20年以上まともにバーク作品翻訳されてないからなあ(2014年論創社から出た『太陽に向かえ』は1970年の初期作品)。
まず気になるのは今後他シリーズと交互に書かれる感じになるロビショー・シリーズ双方が互いに影響し、どう変化して行くのかということだが、結構もう最近の方では、2014~2016年Holland Familyサガに集中した後の、久々に再開したロビショーシリーズのタイトルが『Robicheaux』で、Holland Familyが2022年に完結(多分)した後、非シリーズ作1作を挟んだ最新作が『Clete』だったりするところとかもな。
だがその真意はそこまで読み続けなければ、本当の意味では絶対に分からない。そして、日本でこれらの作品が翻訳で読めることなんて未来永劫絶対に起こらない。なんか思いついた出版社なり編集者がいたとしても、ずーーーーっとすっ飛ばしたあたりで 一冊抜いて翻訳されるのが精々だよ。リー子やロバート・クレイス見りゃわかるじゃん。シリーズ中の優れた作品かなんかが選ばれて翻訳されたと本気で思ってる?なーんかさ、どっかが思い付きで『Robicheaux』あたりを一冊抜いてきて翻訳して、 まーたバカな編集者が連れてきて帯に「解説:法月綸太郎」とか書いてあるの頭に浮かんでホント気持ち悪くなってきたわ。こんな出鱈目な国でなんて絶対に出ない方がまし。
そんなわけで絶対に日本で出ないし、出るべきでもないが、明らかに素晴らしい読む価値のあるライブラリーであるジェイムズ・リー・バーク著作集。オレは一生かかっても読み続けるが、君もそうだよね。とにかく次は、ロビショー『Purple Cane Road』だが、 1971年に出たHackberry Holland『Lay Down My Sword and Shield』もどっかで読んどかなきゃ、と思ってたら、1982年の非シリーズ作品に入ってる『Two for Texas』もその親父ぐらいのホランドらしいし。読まねばならんものは増えるばかり。 いや、もちろん喜んどるよ。どんなに時間が無かろうと、常にジェイムズ・リー・バークは読み続けなければならない作家である。次を楽しみに待たれよ。いやもちろんどんどん先進んでいただいて結構ですから。
■James Lee Burke著作リスト
〇Dave Robicheauxシリーズ
- The Neon Rain (1987) 『ネオン・レイン』
- Heaven's Prisoners (1988) 『天国の囚人』
- Black Cherry Blues (1989) 『ブラック・チェリー・ブルース』
- A Morning for Flamingos (1990) 『フラミンゴたちの朝』
- A Stained White Radiance (1992) 『過去が我らを呪う』
- In the Electric Mist with Confederate Dead (1993) 『エレクトリック・ミスト』
- Dixie City Jam (1994) 『ディキシー・シティ・ジャム』
- Burning Angel (1995) 『燃える天使』
- Cadillac Jukebox (1996)
- Sunset Limited (1998)
- Purple Cane Road (2000)
- Jolie Blon's Bounce (2002)
- Last Car to Elysian Fields (2003)
- Crusader's Cross (2005)
- Pegasus Descending (2006)
- The Tin Roof Blowdown (2007)
- Swan Peak (2008)
- The Glass Rainbow (2010)
- Creole Belle (2012)
- Light of the World (2013)
- Robicheaux (2018)
- The New Iberia Blues (2019)
- A Private Cathedral (2020)
- Clete (2024)
〇Billy Bob Hollandシリーズ
- Cimarron Rose (1997) 『シマロン・ローズ』
- Heartwood (1999) 『ハートウッド』
- Bitterroot (2001)
- In the Moon of Red Ponies (2004)
〇Hackberry Hollandシリーズ
- Lay Down My Sword and Shield (1971)
- Rain Gods (2009)
- Feast Day of Fools (2011)
〇Holland Family Saga
- Wayfaring Stranger (2014)
- House of the Rising Sun (2015)
- The Jealous Kind (2016)
- Another Kind of Eden (2021)
- Every Cloak Rolled in Blood (2022)
〇その他
- Half of Paradise (1965)
- To The Bright and Shining Sun (1970)
- Two for Texas (1982)
- The Lost Get-Back Boogie (1986)
- White Doves at Morning (2002)
- Flags on the Bayou (2023)
〇短篇集
- The Convict (1985)
- Jesus Out to Sea (2007)
夜の人々 / エドワード・アンダースン
新潮文庫からまたしてもクラシック・ノワール発掘作品が登場。なんかチャンドラーが手紙で絶賛したとかいう1937年出版の作品です。こういう作品が発掘され、日本で日の目を観るのは大変ありがたいことで、私も本屋で見て即買ったし、みんなもれなく 買ってくれ。
…で終われれば良かったんだが、まあこういうものが出ると、どうしても日本における「ノワール」の問題点が数多見えてきて、その辺指摘し始めるとまーた罵倒の嵐になってきて、なんかそういうのやってるの疲れたよ。今回結構苦労したし。
ただやっぱり言わなくて済む問題でもないんで、なるべく短く罵倒にならんようにまとめとこ。
まず最初に、日本に「ノワール」という概念が入ってきたとき、ハードボイルドジャンルにおける「本格ハードボイルド」という歪んだ枷によりうまく語ることができなかったトンプソン、エルロイのような作家をここでうまく扱えると思い、 ノワールをハードボイルドから切り離した別ジャンルにしようとしたこと。ノワールの混乱はここから始まる。
そしてその試みが、結局クラシック作品でストップしてしまい、更にまずいことにジャンルを独立させるため作った定義がそのクラシック作品しか対応してなかったこと。
そしてその定義でノワールを規制し、ジャンルの枠を狭めたこと。
あらゆるものは時代とともに変化する。アート、音楽、映画、マンガ、そして文学でも70~100年前の作品からの定義が現代に適用できるものなどない。
日本できちんと紹介されて来なかったその辺の時代の作品について研究することは大変有意義だ。だがそれは何処まで行っても第二次大戦前後アメリカ文学研究の枠を出ないということ。
「モデルが動いてちゃスケッチできない」という話。そういった過去のものは、大抵は作家も既に死んで新たな展開もなく、時代状況も過去のもので静止している。
多くは資料も手に入りにくくなってもいるだろうそういった時代のものを研究しするような苦労や努力を侮るつもりはない。だがそれらの材料から確定した形の「論」を形作ることはそれほど困難なことではないだろう。
だが生きて動き続けている対象に対し、同じ方法で確定した「論」を作ることはできない。その考えでそういうものを「論」化しようとした稚拙な試みが、このシリーズはここがピークだとか、成熟と安定だとか。鏡と迷宮をキーワードにってなんだよそれ評論ポエムかよって話。
現在も生きて動き、成長し続けているものを同じ方法で論ずることはできない。つまり、過去の研究としては有意義でも、もはやその前提となる作品が大きく変化していれば、その定義を現行作品に適用することはできないということ。
こんな当たり前のことが捻じ曲げられている根本を考えてみると、結局日本のミステリ観の後進性というものに突き当たる。
下手すりゃ前前世紀ぐらいのミステリ基準で動いてるミステリ状況じゃ、このくらい昔の定義も大手を振って歩けるよね。
突き詰めて行けばJミス読者みたいなところに突き当たるこんなもんもうどうもならんよ。
ところでJミスって売れてんの?ぐんぐん右肩上がりで日の出の勢い?一応本屋行けば新刊ざっと確認するけど、全く手に取る気が起こるようなもんが見つからない私じゃさっぱりわからんけどね。
結局翻訳ミステリ同様、死滅に向かってるとしか思えんけどね。
本当はこういったクラシックノワールを楽しむのと同様に、大昔の謎解きミステリを楽しむなんて全然ありなんだけど、この国じゃそういうこと言ってもどうにもならんでしょ。
言わなくてもどうにもなんないのか。
こういった今まで翻訳されることがなかった昔の隠れた名作が翻訳出版されるのは大歓迎です。私も本屋で見つけたら即買います。
でも、日本の後進性からケン・ブルーウンがまともに評価されるのに3世紀かかり24世紀になると見られることから、ブルーウンが作中ジャック・テイラーの口を借りて絶賛したMatthew Stokoeの『High Life』が翻訳されるのって 26世紀ぐらいになりそうですね。
夢も希望もない世界、ガーデンオブシャングリラ。
なんだろう。結構毎日コツコツ書いてたはずなのに、気が付けば4月も終わり。何とか今月中にと思い、最後少し頑張ったぐらい。やっぱりジェイムズ・リー・バークってそのくらい大変な作家ということでしょうか。 バークについては今後も頑張って行きたいのですが、まだ20世紀出版分か…。新しいもんもやってかなきゃならないんだが。まあこっちも地上奪還もコツコツ頑張ります。え?そっち?
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