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2019年3月28日木曜日

21世紀ハードボイルド/ノワール ベスト22 第2回 (全4回)

■ロノ・ウェイウェイオール/ワイリー・シリーズ(2作)

またしてもなのだけどこのワイリー・シリーズも1作目しか読んでなくて、うーむ、これは早く2作目も読んどかなければと思ってたのだけど。というのはこのシリーズ第1作『鎮魂歌は歌わない』は、ウェイウェイオールのデビュー作ゆえか、若干いろんな要素を詰めすぎて、特に序盤、視点が定まりにくい印象があったのですよね。まず献辞でリチャード・スタークの名前を見た後に、物語冒頭でドラッグ・ディーラーを襲撃、そこから娘が殺害され犯人探しに動き出す、となると孤独な人狩りが始まるのかと思っていると、街の顔役で少年時代からの親友レオンを見つけた後は、相棒として二人で動き出し、結局全体の印象としてはワイリー&レオン・シリーズぐらいの感じだったり。そして主人公ワイリーに関しては、ハイスクールぐらいのことは語られるのだが、それ以降これまで何をしてきた人なのかという過去が語られず、過去を語らない人なのか、以降の作品で語られるのかは1作目の時点では不明だが(多分前者ではないかと思っているのだが)、別れた奥さんやらのくだりから女で失敗してきたことだけはわかり、なんか女で失敗してきたあんまりモテないルーザーっぽい過去のない男、みたいな微妙な感じになっていたり。まあこの物語要約すると、オレゴン州ポートランドをホームグラウンドとする、ドラッグディーラーの資金強奪などを生業とするちょいとルーザー気質のヴィジランテ、ワイリーが、親友である街の顔役レオンの協力を得ながら、娘を殺した犯人を追い詰め、復讐を執行する、というなかなか悪くないじゃん、て感じのものなのだが、序盤そこに落ち着くまでちょっとそのあたりをフラフラする感じがあり、なるべく先入観や思い込みを避けながら読もうと努めてはいるのだけど、それでもちょっとその辺の不安定感を引きずりながら読んじゃったかな、という印象があるのです。まあなんだかんだ言っても現代のハードボイルド/ノワールの優れた作品であることは確かなのだが、うむ、とにかく今度は最初からワイリー&レオン・シリーズぐらいの感じで2作目を…、というわけで最初に戻るのだが。まあ重ね重ねの不備は申し訳ないが、こちらも21世紀ハードボイルド/ノワール ベストの一角を担うにふさわしいシリーズであることは断言しておく。
ロノ・ウェイウェイオール、ワイリー・シリーズは『鎮魂歌は歌わない』『人狩りは終わらない』の2作が文春文庫から。ワイリー・シリーズは三部作なのだが、翻訳は2作どまりという、毎度おなじみの始末…。ウェイウェイオールはその後、このブログではおなじみ、私の最も信頼するアメリカのハードボイルド/ノワール系パブリッシャーDown&Out Booksに移籍し、精力的に作品を発表し続けている。未訳の三部作第3作『Wiley's Refrain』もKindle版などで簡単に入手できます。更に!2017年には同Down&Out Booksよりワイリー・シリーズの前日譚に当たるらしい『Leon's Legacy』も出版されております。

■イェンス・ラピドゥス/イージーマネー

スウェーデン、ストックホルムを舞台とするストックホルム三部作の第1部。ユーゴ・ギャングの幹部/上流階級の子弟にドラッグを融通し成りあがる青年/ユーゴ・ギャングに裏切られ投獄されたラテン系移民のドラッグ・ディーラー。三者の物語は時に絡み合いながらそれぞれの流れを進み、カタストロフィの結末へと合流する。暗黒のストックホルム三部作の開幕である。エルロイのLA、ピースのヨークシャー、そして21世紀最初に語られるのは北欧スウェーデン、ストックホルムの暗黒だ。あー、何度でも言ってやる。ストックホルム三部作だっ!だが日本で翻訳出版されたのは、この第1作のみ!後にノワール史を俯瞰した時、ランドマークとなる重要作がまたしても失われる。「ノワールとはかくあるべし」みてえな居丈高な能書きでフィールドを狭くするだけでヴィンテージ物しか語らないノワール原理主義者がのさばってるうちに前からどんどん現代のノワールが失われて行くばかり。ブルーウンに続きこのストックホルム三部作。もはやミッシング・リンクどころではなく、マリオでもルイージでも越えられない大きな谷が広がり続けているのだよ。これはなんとしてでも読むしかないっしょ。うーん、本国版は無理でも何とか英訳版なら…、とやっと読んだよ。前の『パンダの理論』の時ちょっと今大作を読んでるんで…とか言ってたのが実はこれ。私は現在読んでる本とスリーサイズに関しては秘密主義なのでその時は名前を出さなかったが、今こそ明かす時である!(スリーサイズに関しては永遠の秘密。)ストックホルム三部作、第2作『Never Screw Up』(英版タイトル)については最速近日中に!つっても中断してて大変申し訳ないゾンビ・コミック特集をやり遂げてからなので、春ぐらいになっちゃうケド…。何故最速かというと、私がちゃんと感想を書かないと次に行かない主義であり(私も意外といろいろ主義者じゃん)、とにかく早く第3作もすんげー読みたいからである。よしっ、ストックホルムを完読したら、次はいよいよMalcolm Mackeyのグラスゴー三部作だぜ。あっ、ところで私としたことがうっかりペレケーノスDC四部作を抜かしてたじゃないか。ごめん、ごめん。えっ?あれも絶版なの?バカじゃねーのっ!

■トム・ボウマン/ドライ・ボーンズ

そして2016年に。2016年は突如としてハードボイルド/ノワールの優れた作品が多数翻訳される豊作年となる。まあほとんどの年は飢饉なのだけど。で、出た順番はちょっとわからなくなっちゃったけど、最初に読んだのがこれ。常に未読の積読が山になってて新しいのを手に入れてもすぐに読めず、埋もれて行くことも多いのだが、なんかこれはたまたま読んだ。これは全然ノーマークだった作品で、帯とか見て多分C・J・ボックスみたいなんだろうかな、ぐらいの感じでそれほど期待せずに読み始めたんだが、読んでみたらこれが今どきの日本でよく出たな、ぐらいの素晴らしい作品!いやー、侮っていて申し訳ありませんでした、と本に謝ることしばし。なんか人生には、とかまで言っちゃうと大げさだけど、あんまり期待せずに手に取った新作が思いのほかいい作品で、しばらくは積読を放棄して立て続けに新作を読む、というような時があって、この年はまさにそういう年になったのでした。近年は原書で読みたいのがもう雲を衝くほどの山積みになってて、翻訳物を読む時間があまり作れないのだけど、この年は色々読んでこのブログにも色々書いた。書くためには人の意見も見ておかなければ、などと思い込み色々見ているうちにあんまりひどいのが多すぎて、もう当分他人の感想なんて見たくないや、となってしまう副作用もあったけど…。まあそんな風にこれは私にとってちょっと意味のある作品なのですよね。
で、どんな話かというと、山奥のすんげーど田舎の人情派の駐在が、思いつきと手あたり次第で殺人事件を捜査し、微妙に謎を残したままなんとなく曖昧に解決するというもの。どうだいスゴイ面白そうだろう。ボックスのようなハリウッド風アウトドア派の追随を許さない本格カントリー・ノワールの大傑作である。いやまあ、ボックスとかはそういうものとして楽しめば良いのだけどさ。作品の感想のところに少し詳しく書いてあるが、その時期ちょっと気になり始めていたカントリー・ノワールにかなりはまるきっかけとなった作品。日本じゃさっぱり翻訳の出ないジャンルだが、いくつか結構いいのも読めてる。タイミングを外していまだに書けてないけど、ボウマンにも通じるアンチ・ヒロイズムっぷりがかなり印象的だったRusty Barnes『Ridgerunner』。おっと今調べてみたらこれホントに続きあんのかなあと思ってた続編出てるじゃん!ヤバい、早く書いて読まねば!あと私イチオシのAdam Howe君のランズデールをも継承する大爆笑カントリー・ノワールReggie Levineさんシリーズ!アンソロジーで見つけた短編などなど。カントリー・ノワールの巨匠ジェームズ・リー・バークのロビショー・シリーズの続きも読まねば。ちなみにボウマン、ヘンリー・ファレル・シリーズ第2作『Fateful Mornings』も2017年に出版されておる。今年こそは読みたいのだが。うむむ、ここまででいくつこれ言ってる?

トム・ボウマン/ドライ・ボーンズの感想

■C・B・マッケンジー/バッド・カントリー

例えば世に「不幸な紹介をされた」と言われる作品があるわけだけど、このC・B・マッケンジー『バッド・カントリー』もそんな作品の一つである。で、どこが不幸だったかというと、せっかくこれほどの作品が翻訳されたというのに、それを世に知らしめるべき立場の書評家とか称する連中の中にもはやハードボイルド読みが一人もいなくなっていたことである。実際のところ2016年末になり恒例のランキングの中で前述の『ドライ・ボーンズ』とこれに言及している者が皆無だったことから、もう「読書のプロ」とかいう連中の中ではハードボイルド読みは死滅したと確信したよ。この2作はこんな時代にこの国に翻訳されたのが奇跡のような重要作なのだよ。まだこの後、2016年にはこれらに引けを取らない優れた作品が続く。だがそれでもこいつらは特別だ。それは何故か。奴らはボーダーを越えようとする作家だからだ。言っとくがそのボーダーの外にあるのが「純文学」とやらではないし、現実とかいうやつでもない。奴らは物語の語られ方、在り方にはもっと別の方法もあるのではないかと考え、それに挑む作家だ。奴らは決して物語の、エンターテインメントの破壊者ではない。だがその枠組みが行く手を阻むなら、万人に好まれるベストセラー作家への道よりも敢えてそのボーダーを越えることを辞さない気概を持った作家である。ハードボイルドであれ、ミステリであれ、はたまた文学ってとこまで広げたっていいが、こういう奴らこそがそれらを前に進め、拡げるのだろう。そのジャンルにそういう作品が現れたなら何を置いてもまずそれを全力でプッシュできなけりゃあそのジャンルの愛好家でも読者でもねえよ。まあ結局はケン・ブルーウンのような偉大な先駆者がみすみす失われて行くのをなんとも思わなかった時点で死んでたんだろ。
とぶち上げたところなんだが、実は以前この本を読んだ時に書いた私の感想は全く役に立たない…。いや、ちゃんとリンク張って責任を持って恥をさらすけどさ。最近やっと気付いたけどさ、私、多くの場合あんまり楽しんで読んで感動した本についてまともにレビューする能力無いかも。なんかもうただホクホクしてヘラヘラしてるだけ。割と最近のマッキンティ、ショーン・ダフィ第1作なんかもそれだよな。それだけならまだいいが、あんまり言うこと見つからないんでなんか無理矢理ぐらいにひねり出した欠点とか書いたり。これじゃ常々罵倒している作品の欠点見つけて批評ができた気分になってるバカと大差ねえじゃん。ホントにごめん…。改めてここで敢えて言おう。このC・B・マッケンジー『バッド・カントリー』はジェームズ・クラムリー級の作家作品のデビュー作である!そう言やあ、昔矢作俊彦氏がクラムリーを評して「ブコウスキーの猿真似」と言ってるのを見て、そこまで言わなくてもいいじゃん、この先生ホントに口が悪いなあ、と思って事あったっけ。今はマッケンジーについてコーマック・マッカーシーの猿真似とか言えるハードボイルド読みいるのかい?まあ市井にはびこる「パクリ分類家」どもなら言ってみるかもしれないが、分類してそれで?パクリパクリばかり言っててそのうちパックマンになっちゃってもお母さん知りませんからねっ。そして、日本で、いや世界ででも一番尊敬するぐらいの作家が酷評しようが、ジェームズ・クラムリーが偉大なるハードボイルド作家であるという信念が一切揺るがん私が、サンシャイン池崎級のテンションで宣言する!C・B・マッケンジーは、マッカーシーの猿真似だろうが、ジェームズ・クラムリー級の21世紀ハードボイルド/ノワールの至宝である!あーん?そういうのはなんか権威筋みたいなのが指定して初めてそういうことになるとか思ってんじゃないの?そんなの関係ねえっ!オレが名作っつったらオレの名作で、アンタが言ったらアンタの名作なんだよ。名作なんて誰かが言ったから名作になってるんだよ。それを「読書のプロ」なんぞに任せといていいのかい?くだらねえ恰好つけのための自己顕示欲だらけの「批評」なんてウンザリだ!お前の思う作品を褒めろ!お前の名作を宣言しろ!

ついでなんだがここで、この本の帯に書かれていたスティーブン・キング絶賛について、いつか言っとかなきゃならんと思ってたので一言。確かちょうどこれ読んだ時期だったんじゃないかと思うけど、どっかでスティーブン・キングはやたらに沢山の本を褒めるがそれらがすべて優れた作品というわけではない、みたいなことがまるで定説のように書かれているのを見つけて、心底呆れた。あれ真に受けてた人いたのかい?元ネタとなる「あれ」とはまたぞろ「読書のプロ」のたわごとだ。ずいぶん昔、結構翻訳バブルぐらいだったころの座談会での発言。その頃やたらと帯にスティーブン・キング絶賛を掲げた翻訳書が出ていて、それのいくつかが気に入らなかった「読書のプロ」の一人が、キングをホメホメおじさんなどと揶揄したというもの。まあ、まずその時期各出版社がそういうのを見つけたらスティーブン・キング頼みで翻訳出版していたのが重なったんだろう、ってのは誰でもわかる常識で、発言が仮にもそんなところにいる人間がするとは思えないほど幼稚で愚劣、または座談会そのもののレベルが低すぎたのだろうということは置いておくとしてだ。日本と比べてどうか、てことはあまりわからないけど、自分が色々な作家の発言やレビューとか見ている限り、少なくともアメリカでは出版社が宣伝のために依頼したり本を送ったりするだけでなく、作家同士の互助精神が高く、少しでも名の出た作家は他の作家が売れるために積極的に協力してやろうとする傾向がある。そしてキングは若いころずいぶん苦労して作家になったという思いのある人だから、殊更多くの新しい作家に向けてエールを送っていたところもあるのだろう。一方そんなキングの読書傾向というと、よく知られているかのジム・トンプスンのファンであることなどからもわかるように、必ずしもスティーブン・キング的であるわけではないだけでなく、エンターテインメント性もそれほど高くないものであったりする。だが、彼を誰だと思ってる。世界的ベストセラー作家スティーブン・キングである。洋の東西を問わず、ベストセラーの読者というものはよりエンターテインメント性を求める傾向が高いものだろう。そんな読者がそんなキングが薦める本を読んだら、声の届かない遠い日本まで来なくても、お前が薦めたのに面白くなかった、と言う者も少なからず現れるだろうし、場合によっては幼稚で愚劣な輩に本の評価をする能力が低いのではないかと中傷されたり、ひどいものになれば出版社から金をもらってろくに読みもせずに誉めてるんじゃないかと言い出すやつも現れかねないだろう。だが、彼はそんなリスクも恐れず、自分が良いと思った本にエールを送り続ける。一人でも多くの優れた作家を世に出したいという想いで。スティーブン・キングというのはそういう男だ!で?アンタそんなスティーブン・キングと「読書のプロ」とどっちを信じるんだい?ちなみにオイラはキンちゃんのおススメの本を読んでがっかりしたことなんてただの一度もないぜ!またいい本絶賛してくれよなあ。期待してるよ!あ、でもくれぐれも目はお大事にね。

C・B・マッケンジー/バッド・カントリーの感想

■コーマック・マッカーシー /ノー・カントリー・フォー・オールド・メン (旧題:血と暴力の国)

いや、随分遅ればせになって申し訳ないのだが、コーマック・マッカーシーの名前を出して、これ忘れてたのをやっと思い出した。今更でごめん。ジャンル作家のものではない作品はどうしても別扱いしてしまうところがあるのだけど、これも21世紀ハードボイルド/ノワールの重要作の一つであることは確かである。おい、忘れてたくせにあんまり高飛車になんな。コーエン兄弟による映画、邦題『ノー・カントリー』は結構観た人も多いだろうから、話の方は説明する必要ないだろう。だが映画を観てても未読の人は必ず読むべし。映画化の際に変更削除された部分があるからなどということではなく、小説は小説として読む価値がある。物語というのはあらすじではない。常に語られ方にも意味がある。まあ小説読んでてもそれがわからずあらすじしか読めないのも多いけどさ。字が読めるから本が読めるってわけじゃないからね。映画の方も随分見どころは多いが、原作の方読んでたときにイメージしていたなんか幻想的な情景の中に溶けていくようなラストシーンがあんな風にぶった切られる感じになっていたのを観たときには、やっぱコーエン兄弟すげえと思ったよ。そうなのだよ、我々は夢を見ているのではなく、老兵がその身を休められる地もない世界で目覚めているのだからね。いやホント映画も素晴らしいのだが、まずオリジナルである小説が素晴らしいので絶対読め。あらすじなどと思わずきちんと一字一句、風景描写もきちんと読め。
マッカーシー『血と暴力の国』は本当に素晴らしい傑作で大好きなのだが、実はそれより遡る国境三部作はさらに好きだったりする。なんか寿命があと一年とか、あと一年で世界が滅亡とか言うことになったら、必ずそれまでに再読しておきたい三部作。というかそんな事態にならなくても再読しろよ…。実はマッカーシーの話のフリとして、文学系のノーマン・メイラー『タフガイは踊らない』やリチャード・ブローティガン『バビロンを夢見て』あたりを並べるところから入ろうと考えてみたのだけど、なんかそれらのとマッカーシーのこれはちょっと違う気がしてやめたわけ。それがなぜかと言うと、前者のがなんだかんだ言っても少し例外的な作品であるのに対し、マッカーシーのこれはその国境三部作ともつながる本来の作風の一つの展開という感じが強いからなのですよね。並べりゃいいってわけじゃねーからなあ。かといってブコウスキーやデニス・ジョンソンみたいなそのままノワールとかと地続きにできるタイプでもないわけで。ただその一方で思い付きで並べてみたものの中でも一番犯罪小説(カントリー・ノワールか?)として読みやすい文学作品でもあるのだよね。だが何か一貫したものがあるように見えるまたその一方で、マッカーシーという人はいきなりSF的なのを出してきたりとか、単純に日本の「純文学」的作者=作品的見方にうまくはまってくれない人であるのだよね。もちろんそーゆーとこも好きー!なのでマッカーシーはきちんと読み続けねばと思うし、国境三部作も再読せねばと思う。ただ私がそれ再読始めた途端に世界があと一年で終わることになってもワシのせいじゃないかんね。あと、マッカーシーみたいな作家の在り方っていうのは、文学とエンターテインメントの境目が薄くなってると言うよりは、もうどうでもよくなってるところの現れじゃないかと思ったりもするが、今忙しいしまた「純文学ノリといちゃもんをつける」先生をバカにしたくなってくるので、そのことはまた後で考えて先生にはもっとひどい悪口を言ってやろうっと。

■ハンナ ジェイミスン/ガール・セヴン

えーっと、実はこれを入れるかどうか結構悩んだのだけど。というのははっきり言って私はこの作品あんまり好きじゃないんで。じゃあなんでベストとか言ってんのに入れるんだよ、と言われればその通りなのだが、しかしこれを入れないと私が大変注目しているブリティッシュ・ノワールについて語れるところがないのだよ。うーん、作品批判的なことは好きじゃないのだが、だからと言ってあんまり適当に好きじゃないですと言って放り投げるのも良くないかと思うので、少しやってみる。まずこの主人公なのだが、すべての行動が行き当たりばったりで来たものに乗るだけ。一番重要なことのように語られる「日本へ帰る」というのも後付けの理由にしか見えない。でもさ、ノワールというのはそういう主人公がいてもいいのよ。だが問題はそういうやつにはろくな末路が待っていないものなのだが、この主人公はなんかそれなりの居場所がやってきてそこに落ち着いちゃうというのがどうにも納得いかず、私的には読みどころを見つけられなかったというわけ。結局のところさ、ものすごく大雑把に言うとこれって『トワイライト』みたいなところに属する完全に女性向けの作品なんじゃないかなあ、と思う。この作品の不幸なところは文春文庫みたいなところからいくら女子の女子のとつけてもノワールって帯付けて出たばっかりにこんな奴に読まれちゃったというところなんでしょうね。なんかアマゾンに画像取りに行ったらずいぶん低い星数でいくつかレビューが上がってたけど(内容は見てないけど)、なんか女性向けのレーベルからこんなやつとかが近寄らないような形で出ていればそこまで評判悪くなかったんじゃないかなと思う。実際納得いかないところはあっても、少し読んで放り出したくなるほどのものではなく(そんな作品いくらでもある)、最後まで普通に読めるぐらいにはできてたと思う。自分はそもそも作品のキャラクターにあんまり感情移入して読む方じゃないのだが、とにかく主人公の行動を我がことのように思いどうなるかに集中し同性として読める女性や、なんだかキャラクターにやたらに感情移入して読むラノベ読者だったらもうちょっと楽しく読めるんじゃないかな、というのが以前にも書いた私の感想です。でもさあ、やっぱり自分が読みどころ見つけられなかった理由付けの、批判のための批判じゃねえのかな。不毛。楽しく読める人は楽しく読んでね。ごめんね。
で、ブリティッシュ・ノワールについてなのだが、実は根本的にこれ日本的にかなりなじみの薄いところなんではなかろうか。英国出身のノワール作家として、日本でなじみの深いのはデイヴィッド・ピースだが、実はこのジェイムズ・エルロイから深く影響を受けた作風は英国ノワールの中では少し異色の作家。あっ、これは断じて批判の類いではないぞ。くれぐれも言っとく。で、英国ノワールで最もリスペクトされる開祖ともいえる作家が『ゲット・カーター』のテッド・ルイスである。骨太にして硬質。クール。一歩進んだ先で当たり前のように暴力に遭遇しそうな世界が昏い、時には無機質にも見えるリズムで語られる。名作!1970年に発刊され、72年に一旦角川文庫から翻訳が出たが、日本ではネオ・ハードボイルドのご時世にこの硬質な作品がどのように評価されたのかは知らん。現在では2007年に復刊された扶桑社文庫版が手に入りやすいです。あっ、2007年ならこれでもいいじゃん。今こそ読まれるべきノワールの名作ナリ!続きも読まなきゃ!で、そのあと辛うじて日本に入ってきたのがニコラス・ブリンコウ。そんで小説ではないがガイ・リッチー初期の『ロック、ストック~』や『スナッチ』。あの筋肉以外のものでいきなりぶん殴る乾いたバイオレンスが英国ノワール感満載の傑作なのだよな。と並べてみると、やっぱりピースさんも英国人ですねという感じなのだが。
ここで現代英国ノワールの話に入る前に、せっかくなので近年発行された開祖テッド・ルイスの評伝Nick Triplowによる『Getting Carter: Ted Lewis and the Birth of Brit Noir』を紹介しておこう。英国ノワール史の資料となる重要な一冊であることは間違いなし。ワシもいつかは読まねばと思っているのだが。あっ、今アマゾンの解説読んでたらテッド・ルイスの影響下にある現代英国作家の一番最初にピースの名前がある。あれ?やっぱそういう評価なの?まあ、こんな奴の言うことをあんまり鵜呑みにすんなよという見本かもしれんな。自分で自分の信用を落としつつ、先へ進もうではないか。
そしてたとえ日本に入ってこなかろうが脈々と書き続けられるブリティッシュ・ノワール。そしてその最前線を発見し、こんなものがあるなら黙っておれんと、今回のこれに匹敵する意味不明の使命感に駆られ、全45人の作家作品を2015-16年に全5回にわたって無理矢理紹介したのが傑作アンソロジー『True Brit Grit』なのである。やっぱり45人もいれば千差万別なのだけど、その中でもテッド・ルイスからの強い影響やリスペクトは目を惹いた気がする。自分が好きだから反応したということかもしれんけど。そんな英国ノワールの中でも注目は、まずはアンソロジーの編者の一人であり、英国ノワールの伝道者我らがPaul Brazill大将!どす黒い哄笑とバイオレンスに満ちた現代英国ノワールのお手本のような快作『Guns of Brixton』は必読!エグイ奴らが再登場の『Cold London Blues』は未読ナリ。ごめん。まだ全然読めてないのだが、Tony Black、Matt Philips、Julie Morriganなど注目作家はあまた。おっと自称英国からの自発的追放者Jason Michelも忘れるな。そしてスコットランドからはRay Banksによるマンチェスターのアニキ!チンピラ探偵Cal Innes!早く続きを読め!さらに映画化もされたDouglas Lindsayの史上最弱の連続殺人鬼バーニー・トムソン・シリーズ。これはユーモア・ミステリかな?優れた才能を輩出し続ける英国ノワールだが、実は彼らの道もまた険しい。前述の『True Brit Grit』について頑張って書いとるまさにそのさなか、英国ノワールここにありを世に知らしめたBest of British Crime Fiction Bookシリーズを発刊中のByker Booksが倒れ、英国ノワールを代表する作家のひとりAllan Guthrie率いる電子書籍黎明期を席捲した伝説のeブック専門パブリッシャーBlasted Heathも2017年に力尽きる。更に不運だったDouglas Lindsay氏はその後再販される予定だったパブリッシャーがまたしても経営困難に陥り、現在はバーニー・トムソン・シリーズを自身の個人出版社から出版している始末。だが英国ノワールの灯は消えず!2016年、毎月13日に13か月にわたり13作のノワール小説を発刊した伝説の(この業界伝説が数多く存在するのだ!)パブリッシャーNumber13 Pressが2018年Fahrenheit 13へと進化し新たな英国ノワールの牙城として聳え立つ!そしてWEBマガジン発のClose To The Bone(元Near To The Knuckle)ももう一つの極としてBrazill大将を始めとするヘビー級のパンチを繰り出し続けているのである。どうだい皆の衆、英国を無視してるんじゃあノワールファンとしちゃあモグリだぜ!さてその頃米国ノワールでは、というのはまた後程語ろうではないか。

ハンナ ジェイミスン/ガール・セヴンの感想



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