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2019年3月28日木曜日

21世紀ハードボイルド/ノワール ベスト22 第4回 (全4回)

■エイドリアン・マッキンティ/ショーン・ダフィ・シリーズ

かくしてやっとここまでたどり着きました。21世紀ハードボイルド/ノワール最重要作家のひとり、エイドリアン・マッキンティの登場です!しかしさてどこから話したものか。私がエイドリアン・マッキンティを知ったのがいつだったのかもはやわからないが、その時にはすでに日本未紹介最後の大物ハードボイルド/ノワール作家だったと思う。というより紹介されてない国が日本が最後ぐらいのところ。これ絶対に読まなきゃダメじゃんと思いつつ、モタモタしとるうちに多分そっちも遅ればせながらぐらいにエドガーのペーパーバック部門を受賞。それで日本でも注目されることになり、やっと重い腰を上げて翻訳という運びとなったわけだね。実は日本では一部である事情からその前から注目されていたのだが、それについては後ほど。で、私もそのエドガーの頃に、もはやいくらなんでもこれ以上は放っておけんだろ、と思い手に取ったのがショーン・ダフィより以前に書かれたDead Trilogyの第1作『Dead I Well May Be』というわけ。いやもう読み始めてすぐにその語り口に惚れ込んだ。ここで言う語り口とは、狭義には一人称である主人公の語り方であり、その文体であり、さらに拡大すれば物語全体の組み立てや構成にまで至る。これはスゴイ。こんな作家がいたのか!これ三部作の第1作だし、ほんの入り口ぐらいのことしか書いてないが、私がこれを読んで如何に感動したかはそっちのリンクの先でも読んで欲しい。そして昨年2018年、遂に日本でもマッキンティのショーン・ダフィ・シリーズ第1作が翻訳刊行される!とにかく喜んで、とにかく楽しく読んで、感想も書いたのだが…、しばらく経って見てみると、なんだこりゃ?お前これほとんど感想の体をなしてないじゃん…。しょーがねーなあ。で、昨年秋に出たシリーズ第2作をやっと最近、今度こそちゃんとした感想を書かねばな、と思いつつ読み始めたわけなのだが、そんですぐに気付いたわけである。いやホントワシマッキンティがあまりにも好きすぎるのだ。もう読んでればひたすら楽しくて感想もくそもないよ。つーわけで私はマッキンティについては全く役に立たん。未訳のものならあらすじを説明するくらいはするが、日本で買えて日本語で読めるやつに必要ないだろう。だが、これだけは言っておこう。エイドリアン・マッキンティは、私がものすごく好きだからというだけでなく、本当に現代に於いて最重要なハードボイルド作家なのだ!日本でハードボイルドではなく「警察小説」として売られていても関係ない。お前のイメージにあるハードボイルドと違っていても関係ない!これこそが現在進行形のハードボイルドの最前線である!ハードボイルドを今から読み始めようと思うならまずこれを読め!日本でハードボイルドについて語る者がいなくなり、ケン・ブルーウンを始めとする多くの重要作家が無視され続けている間にも、ハードボイルドは進化し続けここにたどり着いたのである!21世紀、これからのハードボイルドはここから始まり、ここから続いて行くのだ!マッキンティの翻訳を絶対に止めてはいかん!日本から翻訳ハードボイルドの灯を消すな!
あと、途中で言ってたあることでマッキンティが日本で話題になっていた件について。知ってる人は知ってると思うけど、少し前2014年だったかにマッキンティが英ガーディアン紙に自分が選んだ密室ミステリベストというのを発表し、その中には島田荘司の『占星術殺人事件』も選ばれていたというもの。なんかさ、私も常に暴走しがちだし結構乱暴な言い方しちゃったかもしれんけど、最初からこの情報自体がいかんとは言っとらん。結構興味深い情報だと思っている。しかし、日本でマッキンティという作家の情報が全く伝わっていない時点でこの情報ばかりが独り歩きすることで、いざ彼の作品が実際に翻訳された時にいらん誤解が生まれることを何より危惧したのである。何度も言っている通り、エイドリアン・マッキンティはハードボイルド/ノワール派の作家であり、その情報に喜ぶ人たちが好きな「本格ミステリ」の作家ではない。だがその手の情報の伝言ゲームは拡大するものであり、「島田荘司も好きな作家」がいつの間にか「島田荘司から深く影響を受けた作家」になり、いざ本が出てみてそれが島田荘司とは似ても似つかないものだった場合、そんな見当違いことにより不当な評価を受けるのではないか。それは絶対にあってはならんことである。そのために私はこんなところから小さな声ながら、そういうことは止めてくれと嘆願というか、ほぼ威嚇を続けてきたのである。だがな、私は決して君らを敵とは思っていない。同じように自分の好きなジャンルを愛する同志だろう。君らはそりゃハードボイルド派より人口も多いだろう。(マッチョ説教ファンを除外すればさらに希少!)だが本格と言ってミステリの中心のように見えても、実際には我々同様多くの重要作が未訳だったり絶版だったりと、必ずしも恵まれているわけではないことはよく知っている。しかも幻の作品が遂に刊行!と喜んでも、ちょっとかじったぐらいですっかり評論家気分になったにわかに、古いだのテンポが悪いなどと勝手なことを言われた挙句に、出版された時代背景もろくに考慮できないお子様に、差別表現が不快、などと見当違いの批判をされてウンザリすることも多いだろう。私が最も心配せねばならんのは、結局同じような連中なのだろうと思っている。だが、ここで今一度確認させてくれ。例えばマッキンティら現代のハードボイルド作家は、ちょいとひねくれたミステリの関節を外すような書き方を好むし、またわざとスッキリしない解決に至らせることも多く、多分君らの好むような形の「ミステリ」にはなってない場合が多い。だが君らもそれが作者の失敗や不手際ではないことぐらい見分けられる強者の読書人だろう?くれぐれも「ハードボイルドには興味はないがミステリとして読んだがうんぬん」みたいな早まった雑な感想を述べるのは止めてくれよな。もはやハードボイルド読みなどいない評論家連中が何にも言わなくても、これは本当にハードボイルドジャンルの現代最重要シリーズなのだよ。別に良いレビューをひねり出してくれとまでは言わんが、足を引っ張るのだけはやめてくれ。同じように一つのジャンルを深く愛する者として、君らのことを信じているぞ。どうか頼むよ、ねっ。


■ジョーダン・ハーパー/拳銃使いの娘

海外編の最後を飾るのは、今年翻訳されたばかりのこの作品である。いや、まだ読んどらん。内容についても調べてないし、あらすじの類いも読まないようにしてるのでさっぱりわからん。ワシはこれを読むのをすんごい楽しみにしとるんだぞ!事前情報など一切入れるものか!遂に出たぞジョーダン・ハーパー!いや、昨年どっかでエドガーを獲ったところでもしかすると日本でも翻訳出るかも、出るといいねえ、とか言ってみたがあんまりあてにしてなかった。ホントに出たよ!ありがとう!まあ、時々見に来てくれる人や、ここまで辛抱強く読んだ人なら私が読んでもない本をベストに入れるくらいのことは平気でする野郎だとはわかっていると思うが、一応解説しておこう。つっても大して解説するなどというほどのものはないか。とにかくこの作品は私が大変信頼する作家や強者のファンらにより絶賛しかされてないぐらいの作品。エドガーを外そうが日本で翻訳が出なかろうが関係なく必読リストの上位を保持し続けてきた作品である。こんな作品がまさに翻訳されたときにこんなものを作って、まだ読んでないからという理由でリストから外したりしようもんなら、後々一生後悔することは目に見えておる!そういうわけだが文句あるか?いや、さすがに文句言うような人はもう残ってないだろうな。散々帰れとか追っ払ったし。ああ、早川書房さんよ本当にありがとう。なんかよう散々悪態ついてるけど、もはやこういうのちゃんと出してくれる唯一の頼みが早川書房さんだということはわかってるよう。ごめんよう。マッキンティもビバリーも本当にありがとう。やっぱオレもう早川書房さんに足向けて寝られないよなあ。うん、住んでるとこの構造的に多分お腹かお尻向けて寝てるな。あっ、海外編の最後にちゃんとおしりでオチ付けたじゃん。さすがオレ!


■矢作俊彦

で、ここから少し国内編となります。で、まずはともかく矢作俊彦です。どうもこうもないよ、21世紀になって矢作俊彦の作品が出てるんなら入れとかないわけにいかないだろう。オレが許さん!オレって だからそこにいるドッペルゲンガー。あ?ワシもうすぐ死ぬのかな?矢作俊彦作品についてはハードボイルドであろうがなかろうがすべて必読作品であるが、ここではやはり二村永爾シリーズの2作品『THE WRONG GOODBYE―ロング・グッドバイ』『フィルムノワール/黒色影片』を挙げておこう。後者についてはまだ読んどらん。え?何を言うんだ?二村永爾に会えるの多分これで最後かもしれないんだぞ!そんなに迂闊に読めるか!くれぐれも未読矢作俊彦を残したまま死ぬことにならないようには気を付けるけどさ。
ちなみに国内編については、とりあえずめぼしいところは1冊ぐらいは目を通しているが、読めてないものもずいぶん多いので、書いてないから評価してないというわけではないが、まあそう思うんだったらそう解釈してもらっても一向に構わんよ。

■木内一裕全作品

これが最新作で良いのだよね?全作品などといいながら、私もまだ半ばほどまでも読めていないのだが、木内一裕が全作品必読の21世紀和製ハードボイルド最重要作家であることは間違いない!ハードボイルドが何をもってハードボイルドとなるのか、どんな作品がハードボイルドと言えるのか、なんてことは果てしなくどうでもよい。これまでハードボイルドをバカみたいに読んできた者として自信をもって宣言するが、木内一裕こそが現在進行形の和製ハードボイルドにおいて最も重要な作家である。実際のところ、木内一裕が海外のハードボイルド小説の読者である、またはあったかについては知らないのだが、別にチャンドラーすら読んでなくても一向に問題ない。日本はそういった外的な影響とは全く無関係に国産材料のみで世界最強ノワール映画『仁義の墓場』のような作品を創れる国であり、木内は確実にそれを継承した和製ハードボイルド作家である。小説以前に、マンガ、映画監督としてもその才能を発揮し続けてきた(むしろそちらの方がよく知られているだろう)木内だが、2018年には本当に久々に自作『アウト&アウト』を監督映画化。これはなんとしても観なくてはな!と言うかまだ観れてなくて本当にごめん…。

■戸梶圭太/鉤崎シリーズ(3作)

本当は戸梶圭太も全作品と言うべきところなのだけど、数が多すぎるのでさすがに雑かと思い、とりあえずこちらをピックアップ。この鉤崎シリーズこそが、日本で書かれた悪党パーカー・インスパイア・ノベルの最高傑作である!内容的には戸梶圭太のダーティーなスタイルで描かれる、ドートマンダーのサブキャラクターしかいないアンダーグラウンド世界におけるパーカーの時にはあんまりクールではないケイパー・ストーリーを洗濯していないパンツと一緒に2週間ぐらい放置したような大変すばらしい作品群!光文社カッパ・ノベルスより21世紀初頭に3作のみが発行され、文庫化もされていない。現在までのところたった3作しか出ていないのが大変惜しい作品である。光文社はただちに文庫化の上、続編の執筆を戸梶に懇願すべきであろう。あ、そうかちょっとわかりにくいかもしれないので3作のタイトルを記しておくよ。『クールトラッシュ -裏切られた男-』『ビーストシェイク -畜生どもの夜-』『もっとも虚しい仕事 -ブラッディースクランブル-』の3作。読め。
最初に書いた通り、実際には戸梶圭太作品は全作読むべき作品である。濫作気味で多少出来が悪いかと思われる作品があったとしても、それも含めての戸梶圭太なのだ。しかし最近は戸梶圭太もそれほどの「濫作」ができない状況になっているようなのが少し残念である。各出版社はとにかく戸梶にやみくもに執筆を依頼し、戸梶「濫作」作品が書店の棚を占拠する正しい出版体制に一日も早く復帰してもらいたいと望むものである。いやまあ、私も到底全部は読めてないんだけどさあ。とりあえず割と最近作の『あいつは戦争帰り』シリーズ第1作は読めたが、東京で完全にぶっ壊れたランボー第1作的帰還軍人バトルストーリーが展開される、一切ブレない戸梶ワールド全開の快作である!戸梶圭太作品を見つけたらとにかくひっつかんで読むべし!タイトル忘れて同じのを2冊買っちゃってもそれはそれで戸梶圭太的なのだ!

■深見真/アフリカン・ゲーム・カートリッジズ

今回これを思い立ち、始めるにあたり引っ越しでいくらか整理された蔵書を色々ひっくり返してたんだが、んまーあれも読んでねえこれも読んでねえがゾロゾロ出てきて、これで大丈夫か?と思いつつとにかくなんかやんなきゃよう、で始めたわけなのだが、その未読の山の中でも、あ、しまった、これだけは読んどかんと、とやっと引っ張り出したのが、以前にこれはと思い入手しつつ放置していたこの深見真『アフリカン・ゲーム・カートリッジズ』である。お前の頭の中の銃をこのクソつまらない世界に向かって撃ちまくれ!というアジテーションに満ちた疾走する物語は、この21世紀を切り拓いて行く確かな手ごたえを感じさせる最初期作品であった。(デビュー作はラノベジャンル)2002年のこの作品からその後、マンガ、アニメ、ゲームなどマルチな方向でその才能を発揮、展開させている深見真なのだが、当方かなり遅ればせながらやっとこの作品を読んで深見ワールドの入り口にたどり着いたところなので、とりあえず今回のところは『アフリカン・ゲーム・カートリッジズ』のみということで勘弁してほしい。ホント遅ればせにもほどがあるよ…。ごめん。その他深見作品としては、今年初頭アニメ化もされた原作を手掛けるマンガ『魔法少女特殊戦あすか』を何とかいくらか読んだぐらいなのだが(現在スマホマンガアプリ マンガUP!にて基本無料で読めますよ)、かのグレッグ・ルッカが日本のこのジャンルを手掛けたならこんな感じかも、とも思わせる熱い作品!まあ日本のルッカみたいな安手のキャッチフレーズは無用だろうけどね。結構ミリタリー指向も強い作風ゆえ、まあ本人的にもハードボイルド/ノワール・ジャンルと言われてもちょっと、って感じかもしれないが、「冒険小説」は散々述べてきたような救いがたい惨状であるので、こっちでも評価しとるよー、と表明しとくものであります。とにかく早急に深見ワールドの探索を進めねばならんと思っている次第ではあるが、なんせ読まなきゃならんというものが慢性山積み状態であるので、うーん、今年中にラノベまでたどり着けるんかな、というところだが寸暇を惜しみ努力を続けて行くものであります。しかしここまでいくつ読まなきゃって言ってるんだろうか?ううーごめんよう。


以上22作家?シリーズ?作品?が私の選びました21世紀ハードボイルド/ノワール ベスト22というか思いついた全部です。うむ、いい作品並べられたやんかい。余は満足ナリ。やーい、悔しかったらお主も好きなジャンルのやつ並べてみやがれですわー。

まあこんな感じで終わりなんですが、せっかくなんでもうちょいまとめがてら暴れてみたいと思います。まずジャンルってものについて。第2回の『ドライ・ボーンズ』のところで、C・J・ボックスについてちょいと批判的に書いたのを見て、ム?と思った人もいるかもしれません。しかし、これがジャンルってものの基準による評価、というものです。なんか解説では雑にカントリーノワールの作品の例としてボックスまで入れちゃってるのだけど、実はアメリカでカントリー・ノワールを読む人の間ではボックスがそのジャンルの作家とは考えられていません。(参照:米読書サイトGoodreadsの読者が選んだ代表的カントリー・ノワール作品)そっちを見てもらえりゃわかるようにカントリー・ノワールっていうのは代表的な作家ダニエル・ウッドレル辺りを中心にジェームズ・リー・バークとかランズデールといった方向に拡がってるものなんです。まあまともな本読みならそんなところにボックスを入れりゃあそういう評価になるわな、ぐらいのことはすぐにわかるっしょ。つまりジャンルというのはそういうものなんだよ。なに強引なこと言ってんの?って思ってる人いる?じゃあ逆ならどうよ?例えばC・J・ボックスみたいなやつだと思い込んだまま『ドライ・ボーンズ』を読んだやつがいるとする。「大したアクションもなく爽快感もない、大きな陰謀が背景にあるというわけでもない、おまけに事件もなんかすっきりと解決しない。C・J・ボックスに比べれば云々…。」なんかこういうの見たことあんだろ。これが今日本で私の心より愛するジャンルで頻繁に起こっていることである。例えば私は読んでいる作品が見当違いのジャンルとして売られていたら、読んでるうちには気付き、いい加減な売り方してんじゃねえよボケ、とぼやいてからシフトチェンジして読めるし、色々なジャンルの作品を読んできた読書家の皆さんなら当然のスキルだろう。だが世の中にはその程度のこともできないバカが非常に多い。自分の思い込みに固執し、方向転換もできぬまま単なるそこからの減点法で最後まで否定的に読み切り、得意顔の批評家気取りで駄レビューを開陳する。そしてこのハードボイルド/ノワール・ジャンルはとにかく日本では売れないとされ、可能ならば他の近隣ジャンル作品ということにして売られることが非常に多い。こうやって並べてみた中でも結構な数がハの字もノの字も匂わせずに売られている現状だ。私はそもそもがそんなにジャンルにこだわる方ではない。いい作家なんてそれぞれ一人ひとジャンルだろうがというのが持論である。だがなあこの現状だ。そんな小手先の小細工しか販売方法を見出せなくなった出版社の末期症状なんぞお構いなく私は本は見つけられても、現実に市場からは「ハードボイルド」「ノワール」は減るばかりだ。このままじゃ新しい読者も獲得できず、日本のハードボイルドは滅亡へと向かうのみ。そこで私は心より愛するジャンルを救うため…。おんなじこと何回も言ってて文句あっか?こちとら少ない時間をやりくりしもう3か月もこんなことやってんだい。おんなじことなんか何回でも繰り返すぞ繰り返すぞ繰り返すぞ!リピートアフターミーざんす!

ハードボイルドとは何ぞや。ノワールとは何ぞや。知るかバカ!世の中そんな定義をしてもらうことで楽して物分かった気になりたがるバカが多すぎんだよ!小鷹信光先生のように生涯追及し続けた偉人は別としてだ、ちょっとわかった気になったヌケ作がエー加減に定義したなんぞやみたいなもんはジャンルの間口を狭め、余計な誤解を広げ、ジャンルに対する認識を停滞させるだけだ。ホークがスーさんがハマちゃんがで四半世紀だぜ。なんか結構前のだろうけどろくに材料もないor認識する能力もないのにちょっとわかった気になった読書のプロあたりが並べたこれがノワールなんてのもホントにひどいもんだよ。なんかノワール風(本品にノワールは含まれておりません)ぐらいのからプリンに醤油とサンポールをかけたらなにか味になりますレベルのまで並べて、これ全部読んだらノワールへの誤解拡がるだけとちがう?って頭痛してきたよ。ハードボイルドとは何ぞや。ノワールとは何ぞや。奴らは生き物だ。常に成長し続け進化し続ける。お前らの欲しがってるわかってる気になれる定義なんてすぐに賞味期限切れになる。ハードボイルドはもはやトレンチコートなど着てないし、やさぐれた中年の独身男とも相場は決まってない。ワイズクラックなんてものはとうの昔にハップ&レナードの下品極まる下ネタ漫才に席を譲っている。ファムファタール?んなもんはノワールの風味をちょいと変える只のオプションの一つにすぎないんだよ。お前の知らないハードボイルドは山ほどあり、オレの知らないハードボイルドも星の数ほどなのだ。新しい風はいつだって安直に手に入れた「定義」なんぞじゃ捕まえられない。アホの列に並んでホークがスーさんがを待ってる間に延々と新しいハードボイルドを乗り過ごし、廃線になるまで立ってるつもりか?すべての作家作品はそれ以前の歴史を乗り越えるために存在するのだ。そしてそれらは話にもならん「論」や「定義」なんぞを見向きもせずに蹴散らして進むのさ。

ところでさ、もしキミが友達から「○の○スを批判してる奴がいる」って聞いて見に来たんならさ、その友達バカだから絶交した方がいいよ。あ、ちなみに言っとくけど伏字にしてあんのは実名出したら怒られちゃうかしら、てビビってるんじゃなく、そんなワードで検索されてたまるか!っていう逆SEO対策だかんね。そんな言葉あったの?今できました。まったくさあ、誰がそんな安い目的のためにこんなに3か月も頑張るかよ!ってえの。こっちの目的は最初から言ってるように、絶滅間近状態にある日本のハードボイルド/ノワールの振興で、そんなもんはその通り道にあったついでだよ。そんなもんが見たけりゃそのうちその時期あんまり関われないそこから小銭を拾いたいと思ってるサブカル系出版社とかが『○の○○テリが○ゴイのここがスゴくない』(逆SEO対策割とめんどくさい…。)とかいうの出すかもしんねえからそれ待ってろよ。でさあ、私的見解を述べるならば、別にそんなもの無くなればいいとか程には思ってない。業界人や業界周辺人が選んだその年の業界話題作、みたいなランキング別にあったっていいじゃん。便利だし。だが言っとくのは結局その程度のもんだということだ。そりゃあ始まった時には既存のミステリランキングに物申す、ていうところだったろうが、しばらくたちゃあ当然新しい「既存」に成り代わるだけ。所詮本読んで暮らせるような人の人数なんていつの時代だって限られてんだから、水増しされた分を埋めるのは空気読みだ。曰く自分はそういう立場にいるんだから話題作のこれは当然読んどかなきゃいけない、とかで何冊読めてんだかわかんないうちの一冊以上がそれ。中には空気読みこそが正しいと思い込むレベルの奴もいて、話題作だからこれは入れとかなきゃなんないなんてのも当然いるだろうね。そうしてできたのがそのランキングってわけだ。うん、そういうのあると便利だよね。でもそれだけ。要するにそういう連中の中で読んでる奴が多い本が上位で、少ないのが下位ってだけの話。そんなランキングで下位になってるから上位のやつに劣るなんてことはありえねえんだよ。おーい、誰かね?みんながいいというんだからそれにはいみがあるとおもう、なんてこどもみんしゅしゅぎにゅうもんとかに書いてありそうなこと言ってんの?でもこれ本の売り上げ的なランキングのと違うじゃん。そーゆー考え方が正しいんなら、なんでダン・ブラウンが一位じゃねーの?もしかしてデキレース?裏でダーチーマニィが動いてるのかもしれんよ、チミィ。ナーニを言いたいかというと至極当然当たり前のことだよ。てめえの読みたい本はそんなもんに頼らず自分で探せってこと。そこにゃあそういう本しかないって早く気付けよ。でさあ、最初に戻れば、そんなもんよりはるかにウザいのはこんなのを「批判してるー」とか言ってその部分だけ面白がってる高見の見物やじ馬のおめーの友人もしくはおめーだよっ。結局高見の見物ただ見てるだけーで、おめーらが大したことない安手の権威に持ち上げたもんを攻撃して新しい見世物作ってるほど暇じゃねえんだよ。あーウゼえ。今からでもとっとと帰れや。

で、最後に問おうじゃないか。アンタ「現実逃避」で本読んでるの?以前からこの「現実逃避」ってやつには根本的に混乱があるんじゃないかと思っているので、ここでちょいと提言してみようじゃないか。例えばある程度の年とか大人とかいい歳とかになって、日常的現実とかけ離れたもの、マンガとか小説で言えばSFとか、まあミステリってのの中では私が愛するハードボイルドとかな、そういうものを読んだり楽しんだりするやつが現実逃避的行動をしているとみなされているわけだ。つまり日常的現実からかけ離れたもの=現実逃避ってこと。でもそれって本当?で、そもそも現実逃避って何よ?現実から一番逃避しやすいものってどんなもの?現実がトリミングされ、整形されて、再配列されたより現実に近い都合のいい嘘じゃないの?それは子供時代から始まっている。成長するにつれ、子供っぽいフィクションは卒業し、現実にコミットするためにより現実味のあるものへとシフトすることが正しいように思われている。だがそれは実は想像力の貧弱な奴らがよりその時点での自分の現実に近い現実逃避対象に移動してるだけなんじゃないのかい?常により自分に身近なものに乗り換え、そうやって現実逃避を重ねる奴らのたどり着く娯楽ってのがTVだ、。もうそういうやつらに向けてしか作られていないTVはお手軽な現実逃避だらけでまともに観る気も起らない。我々は想像力を持った人間だ。だから豊かな想像力で創り上げられたフィクションを楽しみ、感動できる。だが、想像力の貧困な奴らは現実逃避でしか色々なものを読んだり見たりすることができない。常に自分の「現実」から半径数メートルの距離を基準にしか物語を理解できない。現実逃避が一番しやすい物語っていうのは「本当にあった話」ってやつだ。現実逃避でしか物語を読めない奴らには、なぜ自分とかけ離れた物語を読むのかも、時には不快になることが書かれている物語を読むのかも、全く理解できない。実は現実逃避で本を読んでるのも、現実とフィクションの区別がつかないのも奴らの方なんだよ。だが、本当はそんな奴らどうでもいいんだよ。奴らにバーカっつって喜びたいんじゃないし、ましてや基本能力も持ってない連中をフィクションの世界に啓蒙できるなどとも思ってない。問題は常に奴らの方が人数が多くてバカバカしい奴らの価値観を押し付けられることなんだよ。我々は奴らとは違う。現実逃避などのために本を読んでいるのではない。暴力をふるいたかったり犯罪を犯したかったりするが現実にはできない代償にクライムストーリーを読んでいるわけではない。ダークな暗黒ストーリーを、こういうことをやった人間の末路はこうなるんだよ、などという反面教師的教訓に解釈すれば本の社会的地位が上がるかのような勘違いには全く意味がない。フィクションは常に現実を映し出す鏡だ。だが、現実をそっくりそのまま模倣することに意味があるのではない。現実をいかに解釈し、そこからどんな像を映し出すかに意味があるのだ。リアリティというのは日常的現実に沿った形で物語が描かれることではない。まったくの虚構をいかに説得力をもって信じさせるかという技術だ。そしてクライムストーリーを創り上げる作家の多くは、奴らが小説の書き方にはそれしかないと信じこんでいる自己の経験に基づいたストーリーを語る私小説作家ではないし、そうである必要もない。リアリティというのはルールに沿って書くことではなく構築されるものだからだ。優れたクライム作家は常にバランスの取れた常識とモラルを持っている。そして君らは一般常識を持ったモラルのある大人だろう。常識とモラルを持った作家によって創られ、常識とモラルを持った読者に読まれるなら、それがいかにモラルを破壊した物語であっても全く問題はない。そしてもちろんモラルが破壊された物語は、モラルを破壊したいという願望によって書かれるものではない。物語は現実逃避のために創られるのではなく、その目的は現実拡張だ。人々が絶対だと妄信しているが実は脆弱でショートタームでしか機能しないモラルというリミットが外れた世界では何が起こるのか?機械ではなくそしておそらくは多くの動物とも異なる人間からそのリミットを外せばそこにどんな「人間」が現れるのか?人間の正気はどこで何に支えられているのか?正気の臨海線の向こうにあるのは狂気なのか?そんな境界線はそもそも存在しないのか?狂気は、暴力は、憎悪は人間存在のどの深淵までを、何を破壊しうるのか?
そして我々は一冊の恐るべき本に遭遇する。
ジム・トンプスン 『ポップ1280』。

時代は1920か30年代ぐらいだったか?主人公は人口1280人のちっぽけな町の保安官。
気の良い、いささか暢気すぎるような主人公の一人称の語りにより、物語は進んで行く。
ところが、読者がその語りにすっかりなじんできたある時点で、主人公は我々が予想もしていなかった行動に出る。
そして我々はこの人物が今までそう思い込んでいた気の良い暢気な男ではなく、何かのタガが外れている狂人であったことを知らされる。
それはどこかに隠されていたのか?この人物のこれまでの語りの中に一見気付かないような形で歪んだ狂気の論理が潜んでいたのか?
だが、そこには何もない。いくら読み返してみても、ここまで読んできた気の良い男の語りがあるだけだ。この主人公はここまで語ってきた理屈のまま、当たり前のようにそこにたどり着くのだ。
こんな人物がいかにして書かれうるのか?こんな狂気がいかにして書かれうるのか?
歪んだ理論による理解不能な狂気、間違った前提条件から間違った道筋を経て組み立てられた理解不能な狂気、そんな狂気で読者を脅かす方がはるかに簡単だ。
ここにあるのはすべてが白日の下にさらされ、当たり前のように存在しながら、同時に底が知れないほどの暗黒を抱えた狂気だ。
そして我々はそんな狂人の頭の中という乗り物に乗せられ、その目を窓としてこの物語を旅することを余儀なくさせられるのだ。
これがノワールだ!これが暗黒のfフィクションであり、フィクションの暗黒だ!我々はそれと出会ってしまった!そして我々はその衝撃と再び出会うため本の大海原へと旅立つ。だが、果たしてそれほどのものがまた見つかるのか?案ずるなかれ。阿呆らしい「定義」や「論」、先入観や経験則を捨てて、新たな気持ちでページを開く者の前には、必ずや新たな衝撃が降臨する!我々は想像力を持つ、物語を、フィクションを心より愛せる者だ!哀れな現実逃避者の規格や序列、価値観などに一切縛られる必要はない!無意味なランキングに捕らわれるな!お前の愛する物語を信じろ!そしてお前の信じる名作を称え、高く掲げるのだ!


というわけで、終わったと思ったら頼まれてもいないアンコールに勝手に現れ、延々と語り続けてきたわけですが、今度こそホントのエンディングです。何とか苦境にあり、絶滅の危機にあるハードボイルド/ノワール・ジャンルを救いたいという気持ちで頑張ってきたわけですが、ここまでやってきた個人的な感想を言うと、

…失敗した…

まあなあ、なるべく多くの人に読んでもらいたいと思うなら、目に付くものをやたらとぶん殴ってはいかんよなあ。あっちこっちで読んでる人を追っ払ってるし。果たして最後まで読んでくれた人、何人ぐらいいるのだろうか…。うーん、まあ仕方ないか。自分としてはこんな感じしかやりようがなかったからのう。何人いるかわからん読んでくれた人の中から、この遺志を継いでくれる人が現れることを期待するしかない。とりあえず21世紀最初19年ぐらいまでのところまとめたからよう、またそのうち中盤ぐらいまでのを作ってくれや。そうやって引き継がれて行けば完全に息絶えることはないかもしれんよ。まあそんな感じでハードボイルド/ノワールの灯を消すな、っぽく終わっとこう。とりあえず目的的にはかなりポンコツでも、私的には何気にやり切ったよ。燃え尽きたぜ。真っ白な灰にな…
…………
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いや、迂闊に燃え尽きてるわけにはいかん。まだやらねばならんこともあるしな。まあそんなわけで21世紀ハードボイルド/ノワール ベスト22全4回、3か月かかり何とか完了したわけですが、なんだよ全4回なら1回ずつ上げときゃよかったじゃねえか、というお声もあるでしょうが、こちとらいつも通りの無計画。なーんか長くなりすぎてきたからこの辺で分けとこ。3回かな?んー4回になっちまったか、という次第。タイトルももっともらしくベスト22とかなってるけど、実は書き終わって最後に数えて、それから数字を入れたというわけ。つまりタイトルがちゃんとできてなかったので、全部できてからでないと挙げられなかったというわけです。3か月はかかりすぎじゃね、とのお声もあるかもしれませんが、これでもずいぶん頑張ったのですよ。私だって責任ある大人としてやらねばならんことも多いのだ。あっ、言ってるそばからにゃんこ大戦争の統率力がMAXだにゃー。とにかく意味不明の使命感に駆られてやっていたやつも無事完了いたしましたんで、ここからは戻って大変遅ればせながらゾンビ・コミック特集の続きに集中して参ります。んーと、明日からでいいよね?ではまた。

あ、スマン。終わったと思ったら何度も戻ってきて悪いんだけどさ。いや、終わって文章の見直しとかリンクとかやってるうちについさっき気が付いたんだけど、いやこのブログ先月5周年になったばかりじゃん。なんか必死になりすぎて全然頭が及ばんかったわ。いや、それでさ、せっかくなんでこれ5周年特別企画ってことにするね。いやいや5周年だぞ。5周年と言えば5周年だぞ。なんかオレ5周年にふさわしい感じのことやっちゃったじゃん。うむ、5周年なればこそここまで必死に頑張ってこれたのである。5周年の思いを込めてそれなりのものを作らねば、という努力を重ねての3か月だったのだ!あれ?お前さっきすっかり忘れてたって言ってなかったっけ?ななな何を言うんだっ。そんなわけないだろっ。ずっとブログを続けてきて5周年を忘れるほどのボンクラがどこの世界にいるというのだね。と、とと、とにかく5周年の感謝を込めてこの特別企画を贈ろう!ありがとーっ!うおー!なんだあ?声が小さいぞおっ!そうかそもそもほとんど人が残っていないのか…。今度こそ本当に終わりでーす。ではまたね。



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