2015年9月23日水曜日

Hellblazer -Jamie Delano編 第2回-

長らくお待たせしたのか、このブログとしては早い方なのかというところですが、『Hellblazer』 -Jamie Delano編-の第2回であります。まあ、1回でやるつもりだったのを引っ張っているのだから遅いのか…。前回はJamie Delanoのこの作品における作風についての考察だけで終わってしまいましたが、今回はちゃんと内容の方に触れつつ、オカルト探偵ジョン・コンスタンティンを主人公としたこの物語がハードボイルドなのか、というあたりも少し考えてみようと思います。

【Original Sins】

では、まずはハードボイルドの方から始めてみます。別にそれほどこだわっているのではないのだけど、例えばこの主人公はオカルト探偵ということですが、探偵というのもいろいろあって大抵の人はまず探偵と聞いたときもう少し別の種類のを思い浮かべたりするのではないでしょうか。そういう色々ある探偵の中で考えると、このジョン・コンスタンティンという人の出で立ちは明らかにハードボイルド派の物なのですよね。まあ、そんなわけでこのハードボイルドバカがちょっと考察してみるのもいいかな、と思ったわけです。
ハードボイルドについては前回の大混乱の中でも色々うじゃうじゃと述べたわけですが(あっ無理に読まなくてもいいです)一つ重要になっているのがモラルという要素です。善悪が曖昧な世界で主人公の探偵がそのモラルの軸となるというのがハードボイルドの一つの側面ですが、この物語のように神や悪魔というものが現れ人間のモラルが通用しなくなるような世界にはそんな探偵像がふさわしいのかもしれません。
ではジョン・コンスタンティンとはどんな探偵なのでしょうか。まず探偵という形から思い浮かべられる依頼を受けるための事務所といったものはなく、秘書や助手というものもいません。そして、『Hellblazer』の舞台はアメリカではなくイギリスではありますが、私立探偵免許というようなものももちろん持っていません。仕事というものも友人の友人の友人とかが何か妙なことに巻き込まれ、それなら魔法とかカルトに詳しい奴がいるよ、と紹介されたり、友人から妙なことが起こっているのを聞きつけ、儲けになりそうだと出向いて行って顔を突っ込むというようなことになるのでしょう。(なぜ推測的なのかはあとで述べます。)探偵と言えば探偵なのだけど、案外魔法ゴロとかいう方がしっくりくるかも。このようなルーズな感じの探偵像というのは、ハードボイルド方面だと70年代のネオ・ハードボイルドというあたりがあるのですが、それよりもっとポピュラーなのはロバート・アルトマン/エリオット・グールドの映画『ロング・グッドバイ』でしょう。発表当時は原作とあまりにも違うヒッピー探偵のフィリップ・マーロウが物議を醸したりもしたようですが、その後の主に映像方面でハードボイルドに限らず、探偵・刑事などのキャラクターに多くの影響を与えた作品です。ジョン・コンスタンティンの見た目のモデルはスティングということでエリオット・グールドとは全然違いますが、やはりキャラクターとしては『ロング・グッドバイ』以降のハードボイルド派の探偵像に属するのではないかな、と思います。以上、わりと消去法的な考え方をしてみても、とりあえずジョン・コンスタンティンは『Hellblazer』が始まった時点においてハードボイルド派のキャラクターとして想定されていたのだろうと考えて良いのではないかと思います。

では、実際の作品の内容の方を見てみましょう。と、やっと内容の方にたどり着きました。
『Hellblazer』最初の話は通常の倍の42ページの第1号と次の第2号に渡るストーリーです。友人のGary Lesterが儲けになると思ってアフリカから持ち込んだ悪魔がイギリスで暴れ出し、人々を猛烈な飢餓で暴れさせた後に餓死させるという事件が起こり、コンスタンティンはアンダーグラウンドの顔役でもあるアフリカ系の呪術師Papa Midniteの力を借り、自分の能力を越えた事態に怯えるばかりのGaryに悪魔祓いをかけるという話。冒頭、コンスタンティンのアパートのバスルームで大量の虫にたかられるGaryのJohn Ridgwayによる画はかなりのインパクト。Garyはもう完全に魔法ゴロという感じのルーザーですが、実は後に述べるニューキャッスル事件の生き残りでもあります。またこの時点では語られませんが、同事件の犠牲者を含むコンスタンティンの過去に関わる死者たちの幽霊が現れコンスタンテインを悩ませるという場面もあります。コンスタンテインは友人に対し非情な決断を迫られます。
続く3号では財テク悪魔が人間に化けたり操ったりで地上での資産運用を図るが、悲惨な死を遂げた失敗した者の調査にコンスタンティンが関わってくるという話。コンスタンテインは彼らの元締めの悪魔と口八丁で渡り合います。
という感じで出だしのストーリーはオカルト系ハードボイルドと言ってもよい雰囲気のものです。しかし、この後4号からこの"Originai Sins"のパートのメインのストーリーであるDamnation ArmyとResurrection Crusadersとの抗争に進んで行くにつれ、コンスタンティン自身が事件の当事者的立場になり、ハードボイルド的な様相は薄れて行きます。ハードボイルドに於いて必ずしも主人公が事件の傍観者的立場でいる必要はないのですが、この物語の中では主人公コンスタンティンは事件の展開に押され、翻弄されるばかりでなかなか軸となって行動するということができません。そしてそのようなコンスタンティンの立場はこの"Original Sins"だけではなく以降のパートでも同様のものとなってきます。そこで上に書いたコンスタンティンの仕事の推測に戻るのですが、これ以降のJamie Delanoによる『Hellblazer』の中では探偵ジョン・コンスタンティンが依頼により事件を捜査するという状況がほとんど(全然かも)出てこなくなるのです。そんなわけでこれ以降のJamie Delanoによる『Hellblazer』は、形式的にも内容としても少なくとも私の感想としてはハードボイルドとは違ったものではないかな、と思います。やはり前回述べたようなJamie Delanoのこの『Hellblazer』における作風は少しハードボイルド的なものとは異なっており、それゆえにDelanoがコンスタンティンというキャラクターを掘り下げストーリーを進めて行くうえでハードボイルド的なものとは違った作品になって行ったのだろうな、というのが私の結論です。ただし、私といえどもいくらそのジャンルが好きでもハードボイルドこそが最高の作品形態ですべての作品がそうあるべきなどとは思っていませんし、このJamie Delanoの方法論によって作られたコンスタンティンというキャラクターはとても好きですし、ストーリーも高く評価していることは言っておきます。そして上で述べた通り、シリーズ開始当初の設定としてハードボイルド的オプションもあったと思われるので、この先別のライターによりハードボイルド的な作品が書かれる可能性もあるのではないかなと思います。

と、少しやるつもりがまたずいぶん長くなってしまったのですが、ここからはちゃんと内容の解説に移ります。また最後までは行けなそうだけどなるべく頑張ろう。
4号からのストーリーは、まずコンスタンティンがエキセントリックな女性Zedと出会い恋に落ちるところから始まります。しかし、実はこのZedはカルト教団Resurrection Crusadersの巫女というようなものになることが決定されている女性で、そのことによりコンスタンティンはその教団に深く関わって行くことになります。そして4号のメインのストーリーはコンスタンティンの姪のGemmaがもうひとつのカルト組織Damntion Armyにさらわれ生贄にされるという話。Gemmaの両親であるコンスタンティンの姉夫婦はResurrection Crusadersの信者となっていて、そのことで彼女は家に居場所を求められず孤独を感じているところをDamnation Armyに付け込まれます。最終的にはZedの協力も得てコンスタンティンはGemmaを救い出すのですが、両カルトともに不穏なものを感じます。コンスタンティンの家族関係についてはJamie Delanoによるパートの後半でより深く語られて行くようになります。
ここで登場した二つの対立するカルトは観念的な宗教集団ではなく、一方のREsurrection Crusadersは科学・医学といったものを絡めたオカルト的な方法で神・天使との繋がりを模索しており、そしてDamnation Armyは現実の悪魔Nergalによって率いられています。続くストーリーではまずResurrection CrusadersがZedの説得に現れ、続いてDamnation Armyも配下の人間を奇怪な異形に作り替え彼女を襲わせます。Zedの身に迫る危険を心配するコンスタンティンは、友人であるホモセクシュアルのRay(3号に登場)に彼女を匿ってもらい自分はこの教団の調査に出掛けます。(6号)
コンスタンティンの友人としてはここで1号にも登場しているChasも登場します。武骨な感じの侠気のあるタクシー運転手で、一応コンスタンティンには借りがあるようですが、その後も度々登場して一方的に助けてくれます。コンスタンティンの友人としてはその後も唯一生き残って登場してくるキャラクターになります。
そしてコンスタンティンは友人でニューキャッスル事件の生き残りの一人でもあるRitchieに会い、電脳空間でのResurrection Crusadersの調査を頼みます。コンピューターからの電極を頭に取り付け電脳空間に入るという描写は今見ると多少陳腐に見えますが、何しろ25年前の作品ですからそんなところにこだわっていても素直に作品を楽しめなくなるだけですので深く突っ込むのはやめましょう。電脳空間に入り調査を始めたRitchieは予想外の反撃に遭い、全身黒焦げになって死亡します。こうしてまた一人、ニューキャッスルの生き残りは失われて行きます。一方、Resurrection CrusadersはZadの居所を突き止め、強引に彼女を連れ去ります。止めに入ったRayは殴打され死亡。そのことはまだ知らないまま失意のうちの帰途についたコンスタンテインは帰りの列車内で再び彼の過去にまつわる死者たちに苛まれ、遂には走行中の列車から飛び降りてしまいます。(7号)
コンスタンティンが目を覚ますとそこは病室で、彼は全身骨折で一歩も動けない重傷で寝かされていました。そこに悪魔Nergalが現れます。まったく動くことができず、また一方で死亡したRayやRitchieの件でも嫌疑をかけられているコンスタンティンに、Nergalは甘言と脅迫で取引を持ちかけます。追いつめられやむなく承諾したコンスタンティンに、Nergalは自らの血液を注入。すると大怪我はたちまち癒えてコンスタンティンは病院から逃亡します。(8号)
苦悩の末、悪魔Nergalとの取引を実行するため、コンスタンティンはResurrection Crusadersの施設に侵入し、儀式を待つZadに会いに行きます。そして自らの身体に悪魔の血が流れていることを隠したままZadと交わります。巫女である彼女を悪魔の血で汚すことにより予定されていた教団の儀式を破壊することがNergalの目的だったのです。(9号)
以上が"Original Sins"のストーリーです。抜けている5号はスワンプ・シングに会った後立ち寄ったアメリカの田舎町で、コンスタンティンがその町に住むベトナム戦争帰還兵の男が呼び寄せてしまった亡霊部隊の出現に出くわすという話。Resurrection Crusadersへの言及も少しありますが別の独立したエピソードです。
"Original Sins"全体を通じて作画を担当するのはイギリス出身のアーティストJohn Ridgway。『SWamp Thing』、『The Sandman』やグラント・モリソンの『The Invisibles』など、イギリス出身の作家の有名作にも多く参加しています。それは今見ると古い画に見えてしまうけど、カラーリングの手法や考え方も違っていた時代で、独特のペンによるタッチで初期『Hellblazer』の世界を作り上げた優れたアーティストだと思います。

【The Devil You Know】

冒頭からコンスタンテインが幽体離脱状態でうろつき始めるというわけのわからない展開で進み、最初はかなり戸惑います。少し進むうちにコンスタンティン自身の記憶が戻ってきてスワンプ・シングの大地に種を植え付けるという計画に協力してこの状態になっていることが説明されるのですが、実際にコンスタンティンがどうなっているのかは画的には説明されないまま幽体離脱状態のコンスタンティンを追って行く形で話は進みます。
実は前の9号のラストでアパートに帰り着いたコンスタンティンの前にスワンプ・シングが現れる場面があり、これはそれから続く展開だったのです。植物の精霊であるスワンプ・シングは部屋にあった植物性のものであるタバコの葉で身体を作り上げて現れ、コンスタンティンは「おいおい、これから俺が一服付けるやつがなくなっちまったじゃねえか」と机から煙草の巻紙を見つけ出しスワンプ・シングの身体からつまみ出した葉でタバコを作るという、それまでの重い展開から一転したユーモラスなシーンが描かれます。「貴様は全ての生物が危機に瀕しているときにもそういうジョークをかますんか!」とスワンプ・シングに胸倉摑まれたり。ただその辺の「種を植え付ける」という話は私自身がまだ『Swamp Thing』をあまり読んでいないので今ひとつよくわかりませんでした。何か勘違いがあったらすみません。
幽体離脱中のコンスタンティンはResurrection Crusadersに向かい、そこで自分の行為がZadに予想以上の深刻な結果を与えたのを目の当たりにしてショックを受けます。そしてそこに潜んでいたDamnation Armyのスパイが引き戻されて行くのを追跡し、Nergalの許へたどり着きます。しかしNergalも隠れて様子を窺うコンスタンティンをすぐに察知し、すぐに逃げ出した彼を追撃します。なんとか自分の身体に逃げ戻ったコンスタンティン。一方スワンプ・シングの方は、コンスタンティンの身体を使い人間の恋人と交わる過程で大地に種子を植えるという計画だったようですが、行為が達成される前にコンスタンティンが自分の肉体に戻ってしまったのでそちらもご破算になってしまいます。Nergalとの戦いに手を貸してくれと頼むコンスタンティンを、スワンプ・シングは奴は自分と戦うつもりが無いとして突っぱねます。そして立ち去るコンスタンティンに向かい自分にも聞こえたNergalの言葉を告げます。「ニューキャッスルを忘れるな。」自宅に戻ったコンスタンティンを迎えたのはDamnation Armyによって惨殺されたアパートの大家と住人の死体でした。そして、彼はもはやNergalとの対決が避けられないものであることを知ります。(10号)
コンスタンティンはニューキャッスルを訪れ、過去の陰惨な結果に終わった自らの失敗を回想します。若き日のコンスタンティン。そして同様にオカルトと音楽にのめり込んだ怖いもの知らずの友人たち。彼らはかつては有名なミュージシャンを多く輩出したが今は閉鎖されているクラブを訪れます。勝手にドアを蹴破って中に入った彼らが見たものは異常に引き裂かれた多くの死体と踊り続ける少女の姿でした。少女の父親たちが夜毎に行っていた退廃した儀式が悪魔を呼び寄せ、彼ら全員を虐殺し少女をこの場に捕えていたのでした。コンスタンティンは仲間とともに悪魔祓いを試みるのですが、生半可な知識ゆえの未熟さで悪魔を抑え込むことができず、少女を救うことにも失敗し、多くの友人を喪います。そして、その悪魔が最後に告げた自らの名前がNergalだったのです。(11号)
Nergalと戦う方法を模索するもなかなか解決策が見つからず苦悩するコンスタンティンの元に、ガス会社からの請求書という形で死んだと思われていたが実は電脳世界で意識が生存していたRitchieから連絡が届きます。Ritchieの協力を得たコンスタンティンはNergalを電脳空間を通じて天使の領域に追い込み、天使たちの手で遂にNergalを破滅させます。(12号)
というところで悪魔Nergalとの闘いは決着するのですが、この後にもう1号"The Devil You Know"の終章となる13号があります。それが良い意味でも悪い意味でもこれがJamie Delanoというようなすさまじい異色作なのです。
Nergalとの戦いを終え一応は心に平安を取り戻したコンスタンティンは家族連れやカップルでにぎわう海岸を訪れる。少し子供の頃の思い出を回想したりもしながら。すると突如対岸の原子力発電所が爆発!海岸は放射能に汚染された地獄絵図に変わる。そしてコンスタンティンは出会った一人の女とその海岸で暮らし始める。奇形化した生物を食料に捕獲し、身体は放射能で日々爛れて行く。やがてその女性は妊娠し、頭が二つあるアザラシの子供を出産する。生まれてすぐにコンスタンティンの手を逃れ海に向かうその子供は、空から飛来した骸骨鳥の群れにたちまち啄まれ始める。あとを追うコンスタンティも歩くうちに白骨化し、海へと進んで行く…。最終ページ、目を覚ましたコンスタンティンはそこが元の平和な海岸ですべてが白昼夢であったことを知る。
環境論者でもあるDelanoが大きなストーリーラインの合間に当たる1号を使い通常のストーリーとは別に放射能の恐怖を訴えた作品、というのがもっともな単純な解釈ですが、何かそこにとどまらないこの作家の根幹を成すかもしれない幻想や暗黒が垣間見える一篇です。
このパートの作画はペンシラーとしてRichard Piers Rayner。やはりイギリス出身で、のちに映画化もされた『ロード・トゥ・パーディション』の作画を手掛けます。幽体離脱シーンなどの少しシュールな表現にも優れたアーティストです。この人のもう一つの特徴としては人間の表情を通り一遍のパターン的なものからさらに広げてもっと中間的だったりもするものを表現しようと試みること。えー…意欲としてはとても尊敬するのですが、結果的にはちょっと変な顔がよく見られてしまうのが残念なところです。そして後に『Fables』などでもペンシラーとして活躍するMark Buckinghamがインカーを担当しています。


ということでHellblazer Jamie Delano編 第2回でした。また少し遅れてしまったが…。とりあえずは続きになっている最初の2パート、"Original Sins"と"The Devil You Know"について少し詳しくストーリーを解説してみました。また少し長くなってしまったハードボイルドうんたらもとりあえずはジョン・コンスタンティンのキャラクター考察の一つぐらいにはなったのではないかと。続く3パートはあと1回でできるかな。間にグラント・モリソンやニール・ゲイマンのも入るからやっぱりあと2回になるかな。とりあえずなるべく早く進めるよう努力しますのでまたよろしく。


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2015年9月13日日曜日

Hogdoggin' -Billy Lafitteシリーズ第2作!!!-

まずお詫びです。少し前の事ですが、7月にケン・ブルーウン/ジャック・テイラー・シリーズ4作『The Dramatist』について書いたのですが、ちょっとあれは暴言が過ぎました。やっぱり読んでいる人がどんな気分で読んでるのかわからないのだから、あまり乱暴な書き方をすべきではないな、と反省しております。とは言ってもやはり自分には自分なりの意見があり、それが勢い余って乱暴な発言になってしまうところがあり、それを書かずに無難なことだけでまとめるというのも正しくはないなと思います。なんとかうまく書く方法を模索中でありますが、その一つとして、折りしもブログ開始約1年半ということで夏休みを利用し、「ブログ1.5周年の反省」というのを書いてその中で自分のハードボイルド小説などに関するスタンスを一つ明らかにしてみようと思い立ちました。えー、ところが、「私はロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズの特に初期の『失投』、『約束の地』、『初秋』あたりがあまり好きではありません。」と始め、リー・チャイルド辺りまでを恣意的にその流れで語ろうとする輩への罵倒、ミステリの範疇に限らず広くエンターテインメント作品を読み見識があると思っているが実は狭量で大勢の意見には順ずる「ミステリファン」への罵倒、と続き、一歩下がって冷静になってみるとあまり人に見せられるものではないな、と思いいくらか修正も試みてはみたものの、やはりこの場に出すことは断念した次第です…。好きな本についてなるべく客観的にも語ろうとすると、この本てこんな言われ方するのだろうな、とかこんなぶった切り方されるのだろうな、と見えてきて先回りして攻撃的になる、とかいうのは自分に都合のいい解釈でしょうか?単に私が人として未熟だからかもしれません。
と、なぜこんなにくどくどと前置きの言い訳をしているかというと、今回もかなり暴言が飛び出す可能性大だったりするからです。Anthony Neil SmithのBilly Lafitteシリーズ第2作『Hogdoggin'』!!!!前作『Yellow Medicine』は私が昨年読んだ本の中でも第1位の作品!!(ただし、ランキングとかつけるの嫌いなので何が2位とか言わない。ブルーウンもスゥイアジンスキー『Wheelman』も1位)そして今作も本年第1位必至の大傑作!!ということでなるべく温和にやるように心がけますので、寛容な方だけでもお付き合いください…。


前作『Yellow Medicine』のラスト、Billyは全てを破壊された怒りをRome捜査官にぶつけ、銃を突きつける。だが、引き金を引くことはできなかった。そしてBilly Lafitteは姿を消す…。

18か月後、BillyはSteel Godをリーダーとするバイク・ギャングの一員となり放浪を続けていた。Steel Godは絶え間ない闘争に嫌気がさし、ある種宗教的でもある理想郷の建設を目指しながらも、一方では反対者、敵には容赦ない制裁を加え、殺人も厭わない暴力の権化のようなリーダーである。ステロイドを使い見た目もバイカーの一員となり、Steel Godの参謀を務めるBillyだったが、どこか常に空虚なものを抱えた異質な存在だった。

一方、FBI捜査官Romeは事件の後、捜査方法の行き過ぎなどからその後のBillyへの追及は禁じられていた。だが、個人的な報復をも含む彼のBillyに対する執念は収まることはなかった。一方で妻との問題を抱えるRomeは、Billyを捕まえることでそれらの全ての問題も解決するように執念を燃やす。若手捜査官McKeownを配下に引き込み、かつてBillyが相棒とともに地元のギャングを殺害したと疑われる事件を洗い直し、Billyの元妻、Ginnyにも接近し始める…。

深夜、Billyが最後にYellow Medicineから姿を消す際、保安官から手渡されたそれまで一度も鳴ることの無かった携帯が彼を呼ぶ。そして、Steel Godから譲り受けたバイクにまたがったBilly LafitteがYellow Medicineに帰還したとき、再び地獄の蓋が開き沸騰し溢れ出した暴力の嵐が吹き荒れる!


タイトルの『Hogdoggin'』は豚(Hog)の群れに闘犬をけしかける競技のようなもので、Romeが家にいるときTVで放送されているシーンがあります。本当にあるのかはよくわかりませんが。また、Billyらバイク・ギャングが乗る大型のハーレイもHogと呼ばれているので、そちらにもかかっているのでしょう。前作『Yellow Medicine』では軋みをあげながら吐き捨てられ続けるBilly Lafitteの一人称が印象的でしたが、第2作であるこの『Hogdoggin'』では3人称に変わり、様々な人物に焦点が当てられない面が描かれる群像劇になっています。Rome捜査官を始めとする様々な人物がそれぞれの妄執、怒りなどでBillyを追跡し、追いつめる。果たしてBillyは追いつめられる豚なのか?それとも豚の群れに放たれた犬なのか?

さて、今回はこの作品をより理解していただくために架空の映画版キャストを作ってみました。というか勝手にできてしまったのでここで発表してみます。70年代後半~80年代初頭の東映セントラル制作の『Hogdoggin'』です!

Billy Lafitte 松田優作
Franklin Rome捜査官 石橋蓮司
Steel God 原田芳雄
Kristal 竹田かほり
Desiree(Romeの妻) 多岐川由美
Ginny(Billyの元妻) 風吹ジュン
McKeown捜査官 岩城滉一
Nate 山西道広
Colleen キャシー中島
Fawn 亜湖
Perry 阿藤快(海)
Alex ジョー山中
Wyatt警部補 志賀勝
Tordsen保安官 荒木一郎(特別出演)

Kristal=竹田かほり以外の女優キャスティングにはいまいち自信はないが…。多くのキャラクターについてはあらすじでも書いてありませんが、読めばわかる!これを見て興味を持った人はぜひ読んでみてください。

この作品、そして前作『Yellow Medicine』は暴力について書かれた小説です。ちょっとここでなぜ暴力について書かれた小説を読むのか、ということについて考えてみます。単純に、まず暴力がテーマの小説、あるいは映画などがあり、そしてそれを好んで読む、観る人がいるという状況があり、「暴力」というものはいかなる形においても正しいものではないのだから、それを好んで観る人も正しくないというのが多くの単純化された意見なのでしょう。
で、そういう人のひとりである自分について考えてみます。まず自分は昨日今日この世に現れて様々な種類の作品がある世界に触れて、その中で自分に合ったものとしてその傾向の作品を選んだわけではありません。自分にも当然そういうものを読むようになった長い読書遍歴があるわけです。まず、私も子供の頃、図書館にあるような子供向けのミステリを読み、そこからミステリのファンになりました。そして、成長し自分の周りの世界が明確に善と悪に分けられない曖昧なものであることを知るにつれ、読むミステリもそういう世界が描かれたハードボイルド方向のものに移行していったわけです。ただここで言っておきたいのは何も私が現実を見る目が優れていたからそういう方向に動いたのだ、などということではありません。周りの世界の曖昧さが見えるからこそ明確に理知的に事件が解決されるものを求める人だっているでしょう。私がそういう方向に動いたのは、単に私の性格などの結果だろうと思います。
まあ、ここにきて私の文章を読んでくれる人は大抵はこのジャンルのファンだろうからお分かりでしょうが、このジャンルを読まない人は、ハードボイルドというのは探偵が腕っぷしで事件を解決するものとか思っていたりもするのでしょうが、そういうものではありませんよね。自分の周りやTVでみるような事件というのは実際には単純で動機も理由も方法もすぐわかるけど、いくら頭が良くても解決出来ないもので、そこで曖昧だとわかっていても自分の考えるモラルの中で最良と思われる解決を目指すのが優れたハードボイルド小説です。だからと言っていわゆる「本格」ハードボイルドみたいなものだけが優れていると思っているのではなく、マイク・ハマーのように暴力だらけの世界で暴力によって意志を示す(正義とかじゃない!意志!)ものも大変優れていると思っています。ただダーティーな世界にいるけど自分のモラルを持ち、仁義に篤いような都合のいい助っ人がモラルの境界のエクスキューズのようにいて、正論ばかりをゴリ押しするようなマッチョ説教は嫌いなんだよ。ジャック・テイラーのようなだらしないオッサンに誰が事件を頼むのか、なんていう人がいるけど、それなら自分の正論ですぐに依頼人を見下すような傲慢な探偵に誰が仕事を依頼するのか、って話。
と、話がそれてしまいましたが、そこで暴力の話です。そういった事件の多くは現実の世界でも暴力という形で現れます。そして世界には大きい物から小さなものまで多くの暴力が存在します。世の中には暴力から目を背けていればそういうものが無くなると思っている人もいるのかもしれませんが、私はどうしてもそういうことができない人間です。だからと言って私は決して暴力について肯定的な人間ではありません。それは単に被害者なることを怖れてということだけではなく、加害者になってしまう可能性もあるということを含めて。だから私は暴力について嘘の書かれた話が嫌いです。実際にはそのポジションに至る過程で汚い暴力が使われたことは明らかなのにきれいごとばかりを語る者。実際には暴力を背景とした威圧であるのに曖昧な「パワーゲーム」の結果として書かれた勝利や解決。任侠道に篤く堅気には決して手を出さない親分が市中のもめ事を収めるとか。暴力では何も解決しないとか言うのは正しく見えるし簡単だけど、実際には大抵の解決は暴力(武力とかいう言い換え)でもたらされ、近年の歴史を見ても「話し合いでは何も解決しない」というのが正しいように見えてしまう。ただ安易にそっちが正論だと思い込むような勢力には決して同調する気はないけど。
こういう考えをしてしまう人間だから私は暴力について書かれたり、描かれたりしたものを見るとむしろ安心するのでしょう。そこには綺麗ごとの裏に押し込められた暗黒や悲惨は無いのですから。この作品を含め、そういう作品の中で暴力というものは陰惨で醜く不快なものとして描かれます。そういう不快感からこういう作品を「暴力しかない」と否定する人もいます。でもそういう作品を書く人は暴力というのをそういった陰惨で醜く不快なものだと思うからそう書いているのですよね。そう思わない人の書いた作品の中ではキャラクターがクールに自分の力を示し、歌舞伎町の帝王やなんかの覇権を目指していたり、デザイナースーツの細腕でギャングスタスタイルで銃を構える頓珍漢だったりして、私もそんなものは読みません。
多くの犯罪・事件は暴力という形をとります。だったら暴力そのものについて書かれていることにも意味があるはずです。それともそんなものはただの手段や結果でもっと重要なのはトリックやプロットや背景となる国家的陰謀や人情ドラマとでも言うのでしょうか?
ただ、人にはそれぞれ好き嫌いがあって過剰な暴力が描かれているものはどうしても駄目だ、という人だっていると思います。私だってそういう人に無理にそういう本を勧めようとは全く思いません。ただし、そういう人は逆に言えばそういう本が嫌いなのだから根本的に読めていないわけなのでそれについて語る資格はないのではないでしょうか。たとえミステリを1万冊読んでいたってすべての本について語れると思うのも、また嫌いだからと言って暴力について書かれた本を見下して適当に語れると思うのもあまりにも傲慢ではないでしょうか。私も読んだ本全てについて語るわけではないし、何年かに一度ぐらいはうっかり自分に合って無いものを手に取ってしまうこともあります。そういう時は、まあ30ページぐらい読んで気が付いてあとは15分ぐらいでななめ読み(いわゆる速読とかいう下品な読み方)をして手近なゴミ箱に叩き込んでそんな本は読まなかったことにするだけです。わざわざそんな本の感想を書くようなことはしないし、どこかでそれについての批判ばかり書かれてるところを見つけても同調してこき下ろしに行ったりしません。大体そもそもが欠点だと思うところをあげつらってこき下ろすなんて言うのは実に簡単なことです。ちょっと上で私がスペンサー・シリーズにやってみたようにね。「暴力しかない」。で?そんなの評価にも感想の域にも達してないし、ちっとも見識があるようにも頭よさそーにも見えませんがね。本というのは読む人のためにあるものです。理解もできない誰かさんが自分を利口に見せるための道具じゃないんです。あなたが読んでいる本より私の読んでいる本の方が上だとかいう話じゃありません。どちらも人を感動させうる可能性をも持った本なのです。


様々な思惑、欲望、怒り、妄執が絡み合い暴力の連鎖は臨界点に達する。そして衝撃のラストに響く銃声。Billyは、そしてRomeはどこへ行くのか…。

続きは第3作『The Baddest Ass』へ!
そして第4作『Holy Death』も間もなく刊行!


と、何とかまとまったのかまとまってないのか…。架空の東映セントラル版キャストで終わってもよかったのだけど、なんか前置きで書いたものが完成できなかったのとか、この本当に素晴らしい作品が翻訳される機会があったとしてもどんな扱いを受けるかなど考えてモヤモヤしながら延々と書いてまた1週遅れてしまいました。
ずいぶん長々と書いてみたのだけど、結局はそれほど目新しい事ではなく当たり前の事だったりします。でも時にはこうやって頭から当たり前のことを書いて整理してみないと、「暴力しかない」バッサリ!でまともなことを書いてると思ってるような浅墓な輩が横行するばかりなのではないでしょうか。色々と書いてきましたが、やはりこんなところで長くなり過ぎているのを気にしつつで、少しはしょったり断定的にまとめたりで、自分の考えが本当に伝わったのかあまり自信はありません。結局のところはやっぱり細かいところについては色々な作品について語る中でちょこまか言ってくのが正しいのかなと思ったり。あと、今回はこの『Hogdoggin'』のようなシリアスな暴力を扱った作品を考えて書いたもので、バイオレンスホラーや暴力をテーマにしたエンターテインメント志向の強い作品についてはもう少し補足して語る必要があるかなとも思っています。ちなみに、ずいぶん遅ればせながらですが、バイオレンス・エンターテインメント小説/コミックの奇才、いや天才ドゥエイン・スゥイアジンスキーについては、なんとか1か月ぐらいのうちに再登場の予定ですので、その辺であまりやり過ぎない程度にじっくり書くつもりです。
あと、別に言い訳とかの類いじゃないのだけど、スペンサー・シリーズについてはただちにゴミ箱に捨てるほどは嫌っていなくてちゃんと読んだものは持っています。だって数少ないちゃんと翻訳が出るハードボイルドだもの。ただそれを信奉することあるごとにホークがスーさんがハマちゃんがとか言い出す人たちが日本のハードボイルドについての言説を停滞させているばかりの現状に我慢がならないだけです。あと、少し前の話だけど『このミス』の過去を振り返ってトンプソンの『ポップ1280』を1位にしたのはまずかったネ、などと苦笑してた奴はもうミステリや本について語る資格はないです。(作品批判じゃないぐらいわかってるさ)長い目で見ればその考えや苦笑いが、翻訳の文字を取ったぐらいの範囲のミステリの土壌を痩せさせるだけなんじゃない?

そもそも自分がこんなことをやっている理由は自分の好きな小説やコミックをもっとたくさんの人に読んでもらいたいということで、そのためにまず必要と思うのはなるべく正確な情報や、自分の思う読むべきポイントというようなもので、そこに自分の考えなんかも乗っけて行けるといいなという感じでやっているわけなのですが、時にあまりに素晴らしすぎる本を読んでしまうとその自分の考えというやつが暴れ出し、遂には今回のような暴動に至ってしまったわけです。今回はもうここまで来たらとことんまでやってしまえと無茶苦茶やってしまったのですが、ここまでやってしまうとさすがにいつものような読む気がある人だけ読めばいいんだい!というような逃げ文句も怖くて言えません。
とにかく上に書いた基本理念は変わっておりませんのでまたその方向で次回からはその方向で立て直しを図って行きます。ちょっと食あたりが出たぐらいでこの屋台をつぶすもんか!また来るからな!んー…でも一から出直しかも…。
とりあえず次回こそは『Hellblazer』の第2回を。モノがモノだけにちょっと遅れるかもしれないけど…。アレとアレについては絶対書かなければならんと思ってるし、またここで頑張って日本一珍妙な味のラーメンを作り続けるんでいっ!なにー?ラー油じゃなくてタバスコが置いてあるのは店のポリシーなんだよっ!


あ…すみません、もう少し続きます。無茶苦茶やり過ぎてその他の関連情報をうまく入れられなくなってしまったので最後に少し。昨年6月に『Yellow Medicine』について書いて以降の事ですが、Anthony Neil Smith氏の著作としては今年1月に単発のノワール長編『Worm』を刊行。そしてBilly Lafitteシリーズ第4作『Holy Dead』が間もなく刊行というところです。以前Billy Lafitteはその第4作が最終作になるそうだ、と書きましたがそうなったのかはちょっとわかりません。少し前ホームページでSmith氏が小説というのは早く書くべきである、ということを書いていて、その中でBilly Lafitteを死刑執行人/マック・ボラン・シリーズみたいにたくさん書きたいとか言っていたのでまだ続くのかもしれません。ホントにそのくらいいっぱい書いてくれるといいなあ。
あと、パブリッシャーだったウェブジン"Plot with Guns"ですが、さすがに手が回らなくなってしまったのでそれまで運用を任せていたスタッフに譲り渡したそうです。元々は盟友ヴィクター・ギシュラーと一緒に始めたものだったそうです。
それから勝手に作った映画版キャストなどを載せてしまいましたが、この『Hogdoggin'』、実は現実に映画化の話が!…あったのですが残念ながら資金が集まらず破綻してしまったそうです…。以前その情報を見たような気がしてたのですが、見失って確認が取れなくなって『Yellow Medicine』の時には書かなかったのですが、その間に進行はしていたようですね。資金集めのために作られたトレイラーがあるので載せておきます。うーん、観たかったなあ。



Anthony Neil Smith ホームページ

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