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2023年9月8日金曜日

James Ellroy / This Storm -新LA四部作 第2部!-

ジェイムズ・エルロイ新LA四部作、第2部『This Storm』である。
現在日本に翻訳されていないミステリジャンルの作品で、最も重要なものがこのエルロイ作品であり、そんなことも理解できんような奴はミステリなんぞ語る資格もねえ。早く閉じてとっとと帰れ。
本来ならこんなわけのわからんチンピラが読んだよ~などと気楽に語れるもんではないんだが、いつまで待っても翻訳出ない状況じゃしょーがないだろ。まあ様々な状況に阻まれて遅れ続けているだけだと、そのくらいには日本の出版文化も信頼したいところでは あるのだが。
だが、たとえ翻訳が出たとしても、まともにこの作品を語れる奴がいるのか?というのも現在本当にどうしようもなくなってる事実。オフザケ読書のプロや、クイズオタクカルトみたいなもんが気軽にクイズ気分で近寄っていいもんじゃねえんだよ。
ジェイムズ・エルロイというのは、今日まで続いているミステリというものの歴史の中で、現在最前線でその可能性を広げ続け、疾走を続ける唯一無二の孤高の作家である。稚拙な自分が知っているような型にはめ込むような方法で理解できる作家ではない。 その作品に先入観を捨て、真摯に向かい合う者だけが、その高みの一端に近づくことができるのである。そのくらいの気持ちで、まあ微力にもほどがあるくらいなんだが、全力でその欠片ぐらいお伝えしたいというところです。

■This Storm

まず最初に言っとかなければならんのは、この作品、前作新LA四部作第1部『Perfidia(邦題:背信の都)』に直結する作品。前作が1941年12月29日で終わり、今作は1941年大晦日から始まる。ストーリー的にももちろんその直後から続いて行くので、 前作については完全にネタバレという形になる。前作読んでない人はいきなり読むと損するよ、ということは最初に伝えとくからね。
あと、人物名等に関しては、前作その他に登場した人については、日本語カタカナ表記に努めるが(忘れてたらごめん)、新登場については面倒なので英語表記のままとなります。

というところで、さて新LA四部作第2部『This Storm』。前作の終盤では、ダドリー・スミス、ヒデオ・アシダらがメキシコで行動する展開となったが、今作では更にメキシコに関わる動きが広がる。そしてまず、プロローグ部分では、 メキシコからの海賊放送という形で、その時点のメキシコの政情がかなりぐちゃぐちゃに語られる。
もしかすると、いきなりこれで引っかかっちゃう人もいるかもしれんが、こーゆーのは中でも一番わかりにくいところなんで、ざっと読めばいい。内容的には、それに遡る左翼政権からのカトリック教会の弾圧後、右傾化しナチスシンパになった カトリック内のヤバい部分からの、ジャップ、チンクなどへの差別意識もむき出しのかなりヤバいその状況下のアジ放送的なもの。この時点であまりよくわからなくても、後々関係する動きが出てくればなんとなく把握できるので。
第1部では利権的な部分と、日本人-日系人対米破壊工作グループの潜伏地という方面ぐらいしか出てこなかったメキシコ方面だが、第2部ではそれらにも深く関わる形で、これらの政治勢力がストーリーに関係してくる。

第2部でも前作同様に、4人の人物それぞれの視点からのエピソードが順に入れ替わる形で、全体のストーリーが語られて行く。
そして最初に登場するのは、エルマー・ジャクソン。前作では何かメインストーリーから少し外れたぐらいの地点から、ひょうひょうとマイペースで自身の売春組織を切りまわすぐらいで、ケイ・レイクの友人というぐらいしかストーリーには 関わってこなかったエルマー・ジャクソンだったが、第2部では物語の中心となる人物の一人として動き始める。

エルマー・ジャクソン/(Los Angeles, 9:30 PM, 12/31/41)
大晦日の夜、エルマーはマイク・ブルーニング、ディック・カーライルとの三人体制で張り込みを行っていた。嵐の大晦日。強い雨が降りしきる。
標的はトミー・グレノン。複数にわたるレイプ犯としての指名手配が表向きだが、実際の理由としては、数日前のダドリー・スミスへの傷害容疑らしい。(前作終盤に起こった事件だが、本当の犯人はケイ・レイク。)
トミーへの餌に使うのは、エルマーのガールフレンドのひとり、エレン・ドルー。トミーが美脚に目がないのは調査済みだ。
ラジオからは、カウント・ベイシーを呼んだ警察主催のシティ・ホールでのニュー・イヤーズ・イヴ・パーティーの騒ぎが聞こえてくる。

現在のエルマーの状況が描写されるのに被せて、回想のように彼の出自が語られる。
ノースカロライナ州ウィッシャーツ。クランの町。クランの父に、兄。兄Wayne Frankは、クランに入り、その後は放浪し、西海岸へ流れて行った。
エルマーは、海兵隊に入り、ニカラグアへ。そこで売春商売を仕切るノウハウを憶える。そこでボスの友人だったジム・二挺拳銃・デイヴィスと出会い、意気投合してL.A.警察に誘われる。
エルマー・ジャクソンは、実在の悪名高い警官だそうだが、ちょっとネットで簡単にという風には情報は見つからなかった。おそらくニカラグアの話や、こちらも実在のジム・デイヴィスとの関係などは本当なのだろう。ただ、この話で 重要な存在となる、兄Wayne Frankはもしかするとフィクションなのかもしれない。

無線が音を立てる。奴が来た。隣のフェンスを越えて入った。お前は正面から行け。
エルマーは車から飛び降り、目標の家へ走る。家へ入る。裏から回ったマイクとディックが合流。
トミーの泥の足跡。上階からの床の軋み。足音。
エレンの悲鳴。全員が階段を駆け上がる。ガラスが割れる音。エルマーは表のドアに戻る。
北へ向かって走るトミー。エルマーは追いすがらその背に銃を撃つ。トミーのポケットから何かが落ちる。
マイクとディックも銃を撃つ。だが、もうトミーには追い付けない。
エルマーはさっき見た地点に向かい、トミーが落としたものを拾う。赤い革製のアドレスブック。

エレンを自宅へ送り届けた後、エルマーはトミーの住んでいたホテルに向かう。Gordon Hotel。
トイレもない殺風景な部屋。クローゼットは空。引き出しを開ける。
スペイン語会話の本。ティファナのドンキー・ショーの写真。ナチの腕章。日章旗。鉤十字のタトゥー・ステンシル。
エルマーは、トミーのアドレスブックを開く。住所はなく、フルネームもない。
ひとつの番号に覚えがあった。Eddie LengのKowloon。フォー・ファミリー系列の中華料理屋だ。
部屋の電話から、署に電話。出た通信係にアドレスブックの電話番号を読み上げる。
ひとつに心当たりがある。シド・ハジェンズの勤めるヘラルドの前の公衆電話。賭け屋の連絡用。

2番目に登場するのは、前作から引き続きのダドリー・スミス。

ダドリー・スミス/(Los Angeles, 11:30 PM, 12/31/41)
大晦日の夜、ダドリーはシティ・ホールのニュー・イヤーズ・イヴ・パーティーにいた。
軍服を身に着け、刺された腕を三角巾で吊っている。ダドリー自身はこの傷は、中華街のエース・クワンと敵勢力の抗争に巻き込まれたのだろうと、内心考えている。
彼の横にはクレア・デヘイブン。そしてテーブルには大司教J・J・キャントウェルや、ジョー・ヘイズ司祭、コフリン神父。

彼は最近の出来事を回想する。ヘロインを狙ってメキシコバハへ。マイク・ブルーニング、ディック・カーライル、そしてヒデオ・アシダとともに。
カルロス・マドラーノにはやられたが、ささやかなお返しに車ごと吹っ飛ばした。
コフリン神父はマドラーノの後継を知っていた。Jose Vasquez-Cruz。反赤、反ユダヤのファシスト。
もうすぐ会うことになるだろう。ダドリーは間もなく、クレアを伴いメキシコに赴任する予定だ。

ビル・パーカーの姿も見える。やつれた様子。
フジオ・シュドーの件では、アシダを引き込み、彼を出し抜いた。

ダドリーは時計を見る。PM11:51。マイクとディックは何処だ?ぼんやりエルマー・ジャクソンは何処だ?トミー・グレノンは何処へ行った?
レイプ犯トミー。ダドリーの密告屋、ヒューイ・クレスマイヤーのダチトミー。カルロス・マドラーノのウェットバック商売の片棒担ぎトミー。
ダドリーが米軍SIS大尉の身分をもって行うメキシコでのプラン、ヘロイン密輸、ウェットバック、日本人拘留者の奴隷売買、その総てをぶち壊しかねない。
ゆえにトミーは死ななければならない。

新年のカウントダウンが始まる。
ダドリーは星条旗とアイルランド旗を振る。
マイクとディックが入ってくる。トミーを捕まえたか?彼らは首を振る。NO。
そして1942年が明ける。

3番目の主人公は、ジョーン・コンヴィル。前作でビル・パーカーが執着し、ストーカーしていたあの赤毛の女性。

ジョーン・コンヴィル/(San Diego, 12:15 AM, 1/1/42)
ジョーンは、El CortezホテルのSky Roomでのパーティーで新年を迎える。スタン・ケントン楽団の演奏でジューン・クリスティが歌う中、出口へ向かう。
エレベーターを降り、混んだロビーを抜け、駐車場へ。雨に濡れながら自分の車を見つけ、乗り込む。
まずヒーター、ワイパーを動かし、煙草を点けて、湾岸道路を北へ。
彼女は真珠湾攻撃の日に、軍隊に志願した。
生物学の学位が有利に働いた。海軍看護隊。戦艦勤務が待っている。

ジョーンは、ウィスコンシン州モンロー郡出身。彼女の父は消防士だった。森林火災に巻き込まれ、亡くなる。
合衆国森林局の調査では、「放火である証拠はない」。
だが、ジョーンは納得しなかった。鑑識学を学び、独自に調査する。
検出された航空燃料の痕跡。調査はひとりの容疑者をあぶりだす。Mitchell A. Kupp。自称発明家。リンドバーグの友人。
だが、彼女の力ではそこまでだった。ジョーンは鑑識学を捨て、看護学へと進む。そして真珠湾攻撃。

豪雨により視界が悪化して行く。雷光が走る。ヴェネツィア大通りの標識。右へ曲がる。
飲酒による知覚反射能力の低下。突然の光に目が眩む。ヘッドライト。
目を押さえ、ハンドルを失う。彼女は光と大きな何かと衝突する。

そして最後、4人目は前作で登場した日系鑑識官、ヒデオ・アシダ。

ヒデオ・アシダ/(Los Angeles, 2:30 AM, 1/1/42)
アシダの物語は、市警察地下の留置場、フジオ・シュドーの房の前から始まる。護衛役として同行しているのはリー・ブランチャード。
眠っているシュドーを見ながら、アシダは自分がダドリー・スミスの意に沿って、証拠を捏造することで、シュドーをワタナベ事件の犯人に仕立て上げることに一役買ったことを思う。
お陰で自分と家族は拘留から逃れ、ホテル暮らしができている。

アシダはビル・パーカーからの呼び出しで、交通事故現場へ向かう。ヴェネツィア大通り。
2台の車の衝突事故。36年型ダッジ・クーペは、運転手側のドアが外れている。それが運転していた女性を助けたようだ。
地面に血まみれの四つのシート。四人のメキシコ人男性が死亡。フロントシートとバックシートに二人ずつ。

ビル・パーカーが到着する。パトロールカーから降りるとき、空の酒瓶が転げ落ちる。
アシダは目を逸らす。くぐもった悲鳴。トランク。少し開いている。
アシダはトランクを開ける。小さな男の子。スペアタイヤの下敷きになり既に死んでいる。女の子。何か喋り、血を咳込む。
アシダは女の子を抱き上げる。その手の中で息絶える。

4人の主人公の話はこのように始まり、そしてこの順番で交互に語られて行く。
後はそのへんごちゃごちゃにしてある程度のところまで、あらすじという感じでまとめて行くので。
あと、ここまでで気付いたんだけど、前作の時点からそうだったのだろうと思うけど、他の3人は主にファーストネームで書かれるのだが、ヒデオ・アシダのみ姓であるアシダが主に使われている。この辺、エルロイってちゃんと日本人の習慣的なところまで 把握して書いてるんだなと思う。

まず、エルマー・ジャクソン。彼は拾ったトミー・グレノンのアドレス・ブックを捜査課には提出せず、個人的にその内容を調べ始める。
ダドリーのチャイナタウンにおける捜索に駆り出され、そこで寄り道をして、Eddie Lengが彼の店で惨殺されているのを発見する。

留置場で目覚めたジョーン・コンヴィル。そこにビル・パーカーが現れる。ジョーンは、パーカーが自分をストーカーしていた男だと、すぐに気付く。
事故で死んだ四人のメキシコ人は、いずれも複数の犯歴のあるウェットバック。
パーカーはそれらの事故死を不問とする代わりに、彼女がかつて学んだ技術を活かし、鑑識課で働くことを半ば強制的に提案し、ジョーンもそれを受ける。
そして、車のトランクで死んでいた二人の子供については、ジョーンには告げられず、秘匿される。

ヒデオ・アシダは、リー・ブランチャードと護衛の任を交代したエルマーとともに、新たに通報を受けた現場へと到着する。
グリフィス・パークのゴルフ場で、大晦日からの豪雨により土砂崩れが発生し、白骨化した死体が収められた木箱が発見された。
遺体は男性のもので、その様子から殺害されたものと、アシダは判断する。木箱が焼け焦げていることから、それは1933年に発生したグリフィス・パーク火災に、何らかの形で関係するものと思われる。
1933年のグリフィス・パーク火災。それはエルマーの兄、Wayne Frankが死亡した場所だった。

遺体と箱は所の鑑識課ラボへ運ばれ、そこで綿密な調査が始まる。新たに鑑識課に加わったジョーン・コンヴィルも、そこに参加してくる。父の火災による死が鑑識学に入るきっかけだったジョーンは、グリフィス・パーク火災に関係があると思われる 遺体の捜査に熱が入る。

米軍SIS大尉としてメキシコに赴任したダドリー・スミスは、カルロス・マドラーノの後継Jose Vasquez-Cruzとも知り合い、当地での地歩を徐々に固めて行く。
破壊工作を目論む第5列の捜査を進めるうち、現地の大使館員で現在行方をくらましているKyouho Hanamakaという男に目をつける。
Hanamakaの住居を捜索に行ったダドリーは、そこに隠し部屋を見つける。その中には、ナチスの旗、旭日旗、ソ連邦の旗、スペインのフランコ政権のナチス旗、KKKの旗、イタリアのレッドシャツ大隊の旗などが飾られ、ナチスの制服、日本の海軍服 といったものもしまい込まれていた。
ダドリーはその中で、純金の銃剣を手に入れる。その柄には鈎十字が彫り込まれていた。

ここで登場するKyouho Hanamakaという日本人。ハナマカってどういう漢字だろう、まあそもそも考えてないんだろうな、と思って読んでいたら、終盤このHanamakaとヒデオ・アシダが対峙する場面があり、そこでお互いの名前を 呼ぶところが一度だけ漢字で表記される。それによると、これは花丸。少し調べてみたが花丸にハナマカという読み方は見つからなかったので、根本的に間違い・勘違いの類いなのだろうと思う。ちなみにアシダは芦田。
このHanamakaの隠し部屋の、反米主義と不寛容思想の混乱のような状態は、本作のテーマ・中核といった部分に大きく関わるものである。

ダドリー・スミスのメキシコパートの序盤であるこの辺りで、クレア・デヘイブンがジョーン・クラインという15歳の家出少女と出会い、何かと面倒を見るうちに、クレアの養女的扱いで、メキシコ-アメリカをともに行動するようになる。
ジョーン・クラインというのは、アンダーワールドUSA三部作最終作『Blood's A Rover(邦題:アンダーワールドUSA)』に登場する左翼運動の中で暗躍する謎の女。前作『Perfidia』では、ブラックダリア べス・ショートがダドリーの 隠し子とて登場したのに続き、過去作のキャラクターの出自が明かされる。
ところでこのジョーン・クライン、ジョーン・コンヴィルと同じジョーンで、後々結構読んでて混乱するのだが、エルロイもそのことには後で気付いたようで、主に登場するダドリーパートでは、時々ヤング・ジョーンとか書いて 区別している。俺のキャラクターいっぱいいるからな、てへっ、ってところで勘弁してやれよ。

エルマー・ジャクソンは、署内でEddie Leng殺害に関係があると目されている日系人拘留者を、市警本部長ジャック・ホラルの暗黙了解の元、エース・クワンが半ば報復目的で、陰惨に拷問しているところを見つけ、思わず止めに入る。
このことからエース・クワンとの間に個人的に確執が生じ、更に後にエルマーの反ダドリー・スミス的行動にもつながって行く。

グリフィス・パークの白骨死体は、失踪人届のリストなどの照合から、Karl Tullockという人物に特定される。その背景を調べて行くと、グリフィス・パーク火災にさらに遡る1927年に発生した、金塊輸送列車強盗事件への関与が 浮かび上がってくる。
更にそれを決定的としたのは、遺体の着衣の残存から発見された金の欠片。そこに刻まれた数字からアシダは、それが示す貸しロッカーを特定し、そこに一本の金塊とTullockとエルマー・ジャクソンの兄Wayne Frankへ宛てたメモを発見する。
「お前らは死んで、俺は死んでいない。俺はお前らが手にれられなかったものを手に入れた。30ポンドの純金。お前らはこのために死んだ。」
アシダはこれらの情報と金塊を、個人的に秘匿する。

だが、鑑識作業に加わっているジョーン・コンヴィルも、独自に遺体と金塊輸送列車強盗事件の関係を突き止め、アシダが発見されていない盗難された金塊の行方を探っていることにも気付く。
鑑識学を学んでいる時点では、その権威のひとりとしてヒデオ・アシダを尊敬していたジョーンなのだが、実物に会い、ダドリー・スミスの手下ぐらいの立場で、度々呼び出されてはメキシコに向かう様子などを見て、尊敬の念は割と早期に失せ 鑑識技術はともかくとして、人間的には侮り始める。
また、当初は微妙にビル・パーカーの愛人的立場だったジョーンだったが、次第にダドリーとも近くなり関係を結び、両者暗黙の了解の上、ビル・パーカー、ダドリー・スミスの間で三角関係となる。
アシダは、ジョーンとダドリーが接近する様子を知り、隠しては行けないことを悟り、ダドリーに金塊強盗事件について話し、その探索は三者共通の秘密となって行く。
また、ダドリーが見せびらかすKyouho Hanamakaの隠し部屋で手に入れた純金の銃剣も、アシダにより盗まれた金塊から作られたものであることが確認される。

メキシコの路上で、ダドリー・スミスは拳銃を持った左翼系のスローガンを叫ぶ暴漢に襲撃される。その時、路地から現れた痩せた男がショットガンで暴漢を倒し、ダドリーの命を救う。
後に彼を救った男がSalvy Abascalという人物だと知り、お互いに知り合い、その後多く連携して活動して行くこととなる。この人物がダドリーのメキシコでの運命を大きく動かして行くこととなる。
Salvy Abascalは実在した、メキシコのローマ・カトリック極右の政治組織National Synarchist Unionの活動家である。

そしてLAでは、黒人街のジャズクラブKlubhausで、市警の外国人対策班、日系人の逮捕拘留・資産の押収などに当たっていた新たに雇用された警官ジョージ・カペックと、ウェンデル・ライスの二人がもう一人のメキシコ人とともに殺害されるという事件が 勃発する。
鑑識として捜査に当たるアシダとジョーン。
そしてエルマー・ジャクソンは、新たな名前などを追加したトミー・グレノンのアドレス・ブックを、階上のベッドで発見されるよう仕込む。
Klubhausの持ち主は、黒人活動家、説教師のMartin Luther Mimms。市警本部長ジャック・ホラルとも強いパイプを持つ。

ジョージ・カペックとウェンデル・ライスは、うまく入れられないんで抜けてたけど、この作品の最初の方から背景的なところで暴れている。前作終盤あたりだったと思うけど(見つからん…)、誰かが警察の人員不足解消のための補充要員として、 候補者リストを見て、こんなのしかいないのか、と思ってた中にいた二人のはず。
そういえば、トミー・グレノンについても前作で出てきたと思って日本語カタカナ表記にしてあるけど、見つからず、もしかしたらヒューイ・クレスマイヤーのムショ仲間でダドリーの密告屋っていうことで、設定の似ているトージョー・トム・チャスコと 混乱してるかもしれんと思い始めてたり…。
まあエルロイのキャラクターいっぱいいるからな、てへっ。

大体これで250ページぐらい、全体700ページ近くなんで、3分の1強ぐらいか。まあ、250ページ以下で終わる本も山ほどあるんだが。
ただ、ここでは4人のキャラクターにより、4つのストーリーが語られているわけなので、それぞれに分ければ60ページと少しという感じで、まだまだ序盤。しかしその一方で、エルロイの切り詰め、圧縮された文体では、通常の小説よりも かなり情報量も多くなるわけで…、とか細かいとこ考えてても仕方ないか。
とりあえず、ここまでに出てきた、1927年の金塊輸送列車強盗事件、1933年のグリフィス・パーク火災、そしてここで発生したKlubhaus殺人事件が物語の軸となって行くというわけなので、そこまではあらすじとして まとめとかなければで、やや強引にこの辺まで進めた。

多く省略したところでは、エルマー・ジャクソンのトミー・グレノンのアドレス・ブックからの独自調査。グレノンのホテルの遺留品などからも第五列との関わりを嗅ぎ付けたエルマーは、その方向を強調する形でアドレス・ブックに 手を入れ、Klubhausの事件現場に残してくる。
一方、グリフィス・パーク火災については、発生当時左翼グループによる放火の可能性が疑われており、エルマーはその方向にも探りを入れ始める。だが、その火災事件・金塊強奪事件への彼の兄Wayne Frankの関係は、 アシダ-ジョーンらの間で留められ、エルマーには伝えられない。

ダドリー・スミスは、自身の計画のため、メキシコ国内における人脈・地盤作りに向けて動く。その一方で、それに影響を及ぼす可能性もある第五列のメキシコ国内における動きにも探りを入れる。ダドリーのスタンスは、こちらに取り込み 利用できるものならば手を結ぶ、ぐらいのもの。ヒデオ・アシダは、ダドリーのメキシコの行動にも強い懐刀となって行く。
また、前作ではワタナベ事件の真犯人がジム・二挺拳銃・デイヴィスであることは、ビル・パーカーのみに伝えられたものだったが、今作ではダドリー・スミスもそれを知るところとなり、その情報は次第に市警内部に広がって行く。だが、それが 何かを変えることはなく、公式には犯人はフジオ・シュドーのままなのだが。

調査が進むにつれ、金塊輸送列車強盗事件とグリフィス・パーク火災の間には、共通した人物の暗躍などの繋がりが見えてくる。更にそれらの人物とKlubhausの関わりも。
また、殺害されたカペック、ライスの二人が、拘留した日本人から押収した銃器を、大量に横流ししていたことも発覚し、市警上層部ジャック・ホラルからはKlubhaus殺人事件に、問題が拡大しないような綺麗な解決が求められる。
ナチス信奉者、左翼活動家、日系人テロリスト、様々な思想・人種の混濁は、メキシコの地での、全体主義思想によって結びついた、ナチズムとスターリニストの戦後を見据えた結託に繋がって行く。
それぞれの思惑によって行動する、4人の物語は、それぞれの方向から戦時下のLAの水面下の暗黒の動きを浮かび上がらせて行く。

ここで、少し前シリーズアンダーワールドUSA三部作まで遡って、エルロイ作品には何が書かれているのか、どう誤読されるのかについて確認して行きたい。
アンダーワールドUSA三部作で、結構起きていると思われるのが、ケネディ暗殺の真相!みたいな安直な誤読。そんな安手のテーマのためにエルロイが小説を書くわけねえだろ。
ここで描かれているのは、アメリカの底辺レベルのところから湧き上がってくる、差別偏見、不寛容、貧困、憎悪、欲望といったものが、社会上層まで充満し、それが暴力として形を取り、ケネディやマーチン・ルーサー・キングを 殺すという構造である。
そこのところを、物語の結末から歴史のお勉強レベルで表層的に理解したつもりになっていると、この新LA四部作についてはそもそも何が書かれているのかさえ見失う。

ではこの新LA四部作では何が書かれているのか?
それはアンダーワールドUSA三部作で描かれたものと同様の、社会の表面下、水面下のすぐそこでうごめいている日常的レベルの暗黒を、戦時下という特殊状況において、更に凝縮された形で描くのがこの新LA四部作なのだ。
戦時下、「社会正義」のみが大手を振って歩き、モラル的、コモンセンスとしての「正義」など容易に踏みにじられる状況。
そもそも根本的な警察の役割とは何か?それは社会秩序の維持。その本来の目的と、コモンセンスとしての「正義」が一致したときのみ、一般的な感覚で言うところの、正義が執行される。
前作『Perfidia(邦題:背信の都)』においては、いつも一つの「真実」と、社会に示される「犯人」は一致しない。
「犯人」は苦渋の決断として「会議室」で決定されるわけでもなく、「事件は会議室で起こってるんじゃない!」と怒る都合のいい正義漢もいない。
各方向から示される容疑・証拠は、クイズの正解に導くヒントなどではない。単なる警察内の腐敗にとどまらない、「真実」と「犯人」の一致さえ意味を持たない、社会全体の腐敗・背信を描き出すためのものだ。
実は、この新LA四部作になってからは、作品全体のスタイルはある意味クラシックな謎解きミステリに近くなっているようにも見える。それは馬鹿らしい「原点回帰」みたいなものではなく、徹底的に切り詰め、圧縮された、現在のエルロイの 記述スタイルから来るもの。
このスタイルにより、細かい風景描写などは省略され、またあるいは雑多な手順や手続きも省かれ、証拠や容疑者の尋問に至る。また時系列順に並んだ4人の視点が交互に出てくるスタイルからの、割と重要なことが起こっていないパートでの これまでの事件関係の容疑者・証拠などのまとめおさらい的なものが繰り返されるといったもの。後者に関しては意図的にその謎解きミステリ手法を取り入れてるのかも。
だが、先に書いたようにここから導き出されるものは、謎解きクイズの答えとしての「真実」といったものではなく、その「真実」すら大きな意味を持たなくなる状況である。

そして今作『This Storm』においてもそれは同様。物語の終盤では、「真実」が明らかになるが、それはこの作品の「答え」などではない。
四部作第一部では、戦時下の社会の腐敗・背信が描かれたが、第二部ではさらにその上に、反米主義という一点で左翼活動家とナチ信奉者という異物とも思えるものが結びつき、それが犯罪という形をとる上で、KKKや黒人運動までが 合流してくる混沌を描いて行く。

This storm, this savaging disaster.

タイトルにもつながる、作中で何度も繰り返される、この混沌の状況を表す本作のテーマである。

(作中では英国の詩人の言葉だと書かれているが、実は多くの部分はエルロイの創作であることが、インタビューで語られている。 (Big Issue North/Author Q&A: James Ellroy.))

ジェイムズ・エルロイは、悪と暴力を作品テーマとする異端の文学者だ。
しかし、それらが人間存在の根源に関わるものとして、(まー異論があるなら日本以外で)世界の文学作品のテーマ、トレンドとなる昨今では、もはや異端ではないのかもしれない。
だが、それらの中でも、ミステリ・エンタテインメント・ジャンルに活動の場を置くことで、最も尖鋭的で突出した形でそれを表現しているのが、ジェイムズ・エルロイであり、その意味では常に異端の作家だ。
ジェイムズ・エルロイこそが現代最強の文学者であり、ミステリ作家だ。ジェイムズ・エルロイは何が何でも読まれ続けなければならない。そんなのあたりまえのことなんだよ。


というところで、ジェイムズ・エルロイのその後・近況。
まず最初に、ここまで延々「新LA四部作」と書いてきたが、実は五部作になることがごく最近発表された。
いや、知ってる人は知ってるだろうし、ここでビックリみたいに発表するような形にするつもりではなかったのだけど、なんか最初の勢いにうまく入れられなくて…。実はずっと、四部作と書くたびにホントは五部作なんだけどなあ、と 引っ掛かっていたのだけど…。まあ、新情報で知らん人もいるだろうから説明なしには書けんし、というところで…。
つーわけで、新LA五部作となりました。
それが発表されたのは、間もなく、というかそれまでに書き終わってアップできんのかなというところなんだが、本年9月12日に世界に向かって放たれるエルロイ最新作『The Enchanters』の出版に際して。世に名高いマリリン・モンローの 変死から始まるこの作品は、当初別の独立作品かと思われていたのだが、これが第三作として入り、新LAは五部作となることが、出版社・編集者を通じて発表された。
当方としては、やっと第二部読んだところで第三部来てくれたか!というところなんだが、実は第二部『This Storm』とこの作品の間には一冊単独作品として『Widespread Panic』(2021)が出版されている。アンダーワールドUSA三部作に登場した LAの私立探偵フレッド・オターシュが主人公ということで、エルロイによるクロニクル全体の外伝的作品になるのだろうと思っていたが、最新作の内容説明あらすじの中にもオターシュの名前があることから、作中でこっちの事件についての 言及があるやもしれず、まずこっちから読まねばならんだろうな。
というわけでやっとエルロイの続きに乗れたボクは、ワクワクドキドキの毎日です。エルロイが現在も現代ミステリの最前線を驀進中なのは見ての通り。誰かのマネして「エルロイは○○がピーク」とか吹かしてるひょっとこがいたらケツ蹴っ飛ばしとけや。

■ミステリは迷惑しとる!何とかしてくれ!

ここで、いつまでたってもエルロイの続きの翻訳が出ない、もしかしたらもう出ないんじゃないかという、日本のミステリ状況を確認し、改めてその戦犯どもを糾弾しておきたい。というわけで、まずは現在の日本のミステリ状況を示した次の図を見るべし。

まあわかりやすくするために、色々比率とかは適当なんだが、説明すると、まず上段が国産ミステリで、下段が海外ミステリ、左の方で縦に区切ってる左が戦前で、右が戦後。で、右端が現在という形になっている。
まず赤部分から説明すると、日本で一般的に自分をミステリファンだと思ってる人の認識する「ミステリ」。主に戦後の国産ミステリを読み、海外ミステリというのは戦前のクラシック、アガサ・クリスティやコナン・ドイルぐらいまで。
最初にこっちからまとめちゃうと、この「ミステリ」認識は日本国内のみで通用するもので、日本で多く言われるような「犯人聞いちゃったらもう読む意味がない」ような謎解き・パズル・クイズ型のミステリはクラシック・ジャンルの もので、現在そのようなものは日本以外では書かれていない。
まあそんなこと言ってみても、この辺の層についてはどうすることもできないんだが、せめて国内のみで通用するガラミスという認識で、Jポップぐらいの感じで「Jミス」とでも呼ぶくらいの礼儀は示してくれ。 図を分かりやすくするため、同じぐらいの高さにしてあるが、翻訳されないものも含んだ実際の出版総量で言えば、海外の方が10倍以上でも少な目ぐらいの比率なんだし。
まあホントどうにもなんないところなんで、この部分についてはとりあえず他を説明するための前置きということで。

次にピンク部分は、戦後から2000年ぐらいまでの海外ミステリで、もちろんすべて翻訳されているわけではないが、ミステリとして認識されているもの。この辺にもハードボイルドの本格通俗など愚行は多いんだが、まあまあミステリジャンル全般が薄く広くぐらいには 認識されていたんじゃないかと思う。ここの細かいところまで文句言い始めたら話進まなくなるんで、とりあえずこれはこれで。

そして大問題の2000年頃から現在に至る、読書のプロ暗黒時代。世紀の愚発言として記憶されるべき「ジム・トンプスンを一位にしたのはまずかったネ」に象徴されるこの時代、「ミステリ評論」なるものは底辺まで劣化する。 具体的にはこの能無しどもが主導する馬鹿げたミステリランキングにより。
「ジム・トンプスンを一位にしたのはまずかったネ」。これがどういう意味か?「所詮読者は馬鹿なんで、文学的だったりするもんにはついてこれないんで、そういうのは無視して誰でもわかる「売れる本」基準でランキング作りましょ」ってことだ。
で、どうなった?売れる本選んで翻訳ミステリが隆盛したんかい?結果は果てしない右肩下がりで、翻訳ミステリはもはや絶滅寸前だ。
要するに、「売れる本」なんて言ってみたって、本当の基準も目安もない。ただ唯一手掛かりとなるのは、日本の売れる本Jミス基準。ジェフリー・ディーバーを世界のミステリの最高峰に持ち上げるような珍妙な翻訳ミステリ史を作り上げる迷走を続けた挙句、結果的にはJミス基準に媚びた謎解き重視のランキングへと劣化する。そこで日本のミステリ評論のなかで雌伏し続けていた諸悪の根源、日本以外には存在しない 「本格ミステリ」なる教義を崇拝するクイズオタクカルトが隆盛を謀ってくるわけだ。
だが、何度も言うが、海外のミステリはもはや戦前のような謎解き・パズル・クイズメイン、教団の言うところの「本格ミステリ」などでは書かれていない。しかも「ジム・トンプスンを一位にしたのはまずかったネ」以降排除される「売れない本」傾向も 決まっている。そこに加えて、ただ前時代(ピンク部分)の評論をよく考えも検討もせず、右から左に流用するばかりの(例:本格ハードボイルド「御三家」)無能な自称ミステリ評論家の跋扈。
結果翻訳出版以前に、日本で海外ミステリと認識されているものの総量自体が右肩下がりに減少して、限られた範囲以外はわからなくなってしまっているというのが、図のブルー部分読書のプロ暗黒時代
以前にも何度も書いたと思うが、現代のミステリにおいて、ホロヴィッツ以外に評価すべき作家が見つからないのではない。ホロヴィッツしか選べない連中によってランキングが作られているだけの話で、そのランキングが日本の海外ミステリに 関する基準となっているのが、現在の日本の悲惨なミステリ状況なのだ。

そして、現在そこから外れた白の空欄となってしまった部分に存在する最も重要な作家が、ジェイムズ・エルロイなのだ。

まあこういうこと言っとると、
私は言いたい(タメ改行X2) 犯人当て謎解きミステリーのどこが悪い!(太字、フォントサイズ+5)ドヤッ!(フンス!)
みたいな人出てきそうだが、んーまあ、別にいいんじゃない?

私は犯人当て謎解きミステリーが悪いとは言っとらん。それが好きならそれ読んでりゃいーじゃん。
だが日本以外のミステリはその基準じゃ絶対語れんということだ。

君らが「ミステリ」だと思い込んでいるパズル重視のミステリは、遥か昔に終わっている。
そこに代わって現れた、ハメット、チャンドラー以降、ハードボイルドジャンルを中心に、ミステリの最もシリアスな部分は、常に小説・文学という方向に進化し続けている。
はっきり言って君らがクリスティ、ドイルに留まり続けてミステリを語っているからって、ハードボイルドは既にハメット、チャンドラーだけ読んでりゃ語れるもんじゃなくなってるんだよ。
謎解き=頭脳労働、ハードボイルド=肉体労働、みたいな幼稚の極致の分類なんて、もはや東大生がクイズ解くのを見て「かしこいねえ」とか感心してる層ぐらいまでが限界だろ。

ミステリは文学と同じく生き物だ。君らがどんなにそのままでいてくれと望もうが、それを作る作家たちは常に高みを目指し、進化し続け、同じところにはとどまらない。
そしてその進化の最先端にい続けるのがハードボイルドジャンルであり、それゆえ文学者たちもそこに惹かれ、ハードボイルドの創作を試みる。ノーマン・メイラー、トマス・ピンチョン、などなど。近年のコーマック・マッカーシーや、 ドナルド・レイ・ポロックに至ってはその境界すらが、限りなく下がってきている。
言ってみりゃあ、そうやって進化し続けている部分こそが「本格」ミステリであり、旧来の謎解きメインのものが「通俗」ミステリ、「大衆」ミステリ、ってとこだろう。
そしてその最先端に立つ作家が、ジェイムズ・エルロイなのだ!

しかし、まあ以前から言ってるように、私は日本でハードボイルドが翻訳出版されるためにこんなことをやっているわけではない。もうそんなの当の昔に諦めたよ。安心してJミス読んで、Jミスファンでいてくれたまえ。
こんな国はケン・ブルーウンやジェームズ・リー・バークのような優れた作家・小説が翻訳されるには、全く値しない。
2000~10年代に輝きを放つAnthony Neil SmithのBilly Lafitteや、Ray BanksのCal Innesはこんな国に翻訳されるには、あまりに美しすぎる。
エイドリアン・マッキンティも、あんな汚物を平気でケツに塗りたくって出版されるような状況なら、いっそ翻訳なんてされない方がよかったとさえ思う。
だがジェイムズ・エルロイは別だ。

ジェイムズ・エルロイは、たとえこの国のミステリ状況がそれにそぐわない脱力ナゾトキランドで、それを受け止められる読者がどんなに希少でも、絶対に翻訳出版されなければならない作家だ!
ジェイムズ・エルロイの翻訳出版が止まってしまうことは、日本の出版文化に関わる損失だ。
そのくらいわかっていて、出版のために頑張っている人たちが僅かといえどもいてくれることを、私は信じているよ。
前にも書いたけど、それが遅れている要因としては翻訳の問題ではないのか?これは日本にエルロイを翻訳できる能力がある人がいないなどと言っているわけではない。だが、これだけの難易度の高い作品なら、それなり一流ランクの 翻訳者が必要になるし、そういった人がこれだけの大作を手掛けるだけの、時間なり、環境を作ることが難しいのではないか、ということだ。
まあしばらく前まではこの国のミステリ状況のあまりの惨状に、もうエルロイも出ねえのかよ、バカヤロー、ぐらいに思っていたが、今はいつか必ず出ると信じたい気持ちになっている。
どうかそれだけは頼むよ。日本でちゃんとジェイムズ・エルロイだけは出して下さい。

えーと、各方面への無差別暴言罵倒に関しては、いつもの通り全く反省してないんだが、ちょっと話の都合上、Jミス十把一絡げにし過ぎたのはちょっと悪かったかな、と思っている。
こんな状況で苦戦してる作家の人や、なかなか出版の機会が得られないような人が、もしここを見るようなことがあって、傷ついたようならごめんなさい。少し言い過ぎました。
き、気にしてないんならいいんだけど…。一応謝っとこうと思っただけよ!べ、別にあんたのことなんかなんとも思ってないんだからねっ!勘違いしないでよねっ!


■キリング・ヒル/クリス・オフット

既に長くなりすぎてて、ここでおまけを入れるのも何なんだが、次回これやりにくい事情があるんでここに押し込みます。
クリス・オフット『キリング・ヒル』。えーとこれ、前々回に最後に2020年代ぐらいのハードボイルド注目みたいのを、いくつか並べているときに、実はこれも目をつけてて入れとこうと思ったら、翻訳が前の週ぐらいに出てたのに気付き、本屋行って 買ってきて読みました。
まず、読み始めて最初のあたりで、これはカントリー・ノワールだな、と気付くのだが、まあこっち的にはおなじみだが、日本じゃ全く出ないし、あんまり浸透してないかと思うんで、ここで少し解説しとく。
カントリー・ノワールの開祖は、1980年代から作品を発表している、映画化された『ウインターズ・ボーン』などでも知られる作家ダニエル・ウッドレル。この人自身の命名によるジャンルなので、この人が開祖。アメリカの田舎地方・自然を舞台とした 犯罪小説ジャンルで、この辺に属する有名どころでは、ジェイムズ・リー・バークや、ジョー・R・ランズデールなど。近年翻訳されたものではトム・ボウマンの『ドライ・ボーンズ』。あとドナルド・レイ・ポロックなんかもそこに分類される こともある。
80年代ぐらいからずっと続くというよりは、近年犯罪ジャンルの中心が地方・ローライフというあたりに広がるにつれ、注目が高まりややブームぐらいの感じになっている。結構バークやランズデールとかは、後付け的に入った感じ。
こういった傾向は、例えばしばらく前のだけどTVシリーズの『ブレイキング・バッド』なんかも、そのしばらく前からアメリカの犯罪小説ジャンルで、田舎町で頭の悪いチンピラとかが適当な覚醒剤を作ってるみたいなのが、お馴染みの風景ぐらいになってきてた ところで、なるほどこう来たかみたいな感じで出てきたもんで、そういった動きの一環とも言える。
カントリー・ノワールというのは、その辺の動きから再発見的につながっていったものなんだろうと思う。地方・ローライフ傾向がさらにディープとなり、救いようのない貧困やら、ヒルビリーの土着の異なったモラルみたいなものも描かれて行くこととなる。
遡ってルーツをたどれば、フォークナーやフラナリー・オコナーとかのサウザン・ゴシックに繋がるもので、日本じゃあまりにも出ないし情報少ないんで、C・J・ボックスとかとすぐ混乱されるんだが、そういった自然・アウトドア方向のものとは 根本的に成り立ちが違う。むしろ『テキサス・チェーンソー』みたいなもんの方が近いとも言える。
ちょっと説明前置き長くなってしまったんだが、作者クリス・オフットは、元々地元ケンタッキー土着という感じの、短編小説やバイオロジー的な作品、ノンフィクションなどの文学寄りの作家で、あとはTVシリーズの脚本がいくつか、というキャリア。 最初のエンタテインメント・ジャンルの作品ということで、結構期待してて読み始め、おうカントリー・ノワールかい、とさらに期待も高まったんだが…、えーやや微妙…。
どうも主人公ミック・ハーディンという人が良く見えない。なんかうまく言えないんだけど、いわゆる「人間が描けていない」的な純文学説教的なことではなく、なんか側だけ書かれてるんだけど中身が書かれていないような妙な印象。もしかしたら 翻訳のせいかもぐらいにまで引っ掛かりながらしばらく読んでて、結構進んでから気付いた。とりあえずこの作品については、この人のキャリアで考えるべきは文学方向ではなくTVシリーズの脚本の方。
そういう脚本がどう書かれているのかまでは知らないが、例えばマックス・アラン・コリンズとかがよくやってたそっちからのノベライゼーションみたいなのから、逆算的に考えるとわかる。そういうもんでは既に役者が演じているキャラクターだから、 そこんとこ書き込み過ぎてもキャラが変わっちゃうんで、あんまり中身は書かれず、そっちの元の方で補完して、というかできてる感じで読める。この主人公ミック・ハーディンは、そんな感じで書かれている。つまり実際にはないTVシリーズの ノベライゼーション作品的印象。
なーんか名前とかは思い出せなくても適当にそういうので見た外国の役者とかを当てはめ、イメージして読むと割としっくり読めるかも。あと別のキャラクターメインのシーンに、ちょくちょく切り替わるあたりもTV的かも。もしかすると、TVシリーズの プロモーション的に作ったけど売れなかったのを小説に直して出したのかもしれない。
ストーリーその他については、カントリー・ノワール方向をきっちり押さえている感じだけど、若干TV方向にライトな感じかも。ライト・カントリー・ノワールとかな。
わざわざ取り上げた割には、あんまりおススメしている方向でなくて申し訳ない。まあ自分としては、こういう方向のものがあるなら、カントリー・ノワール展開の一形態として押さえときたいところなので、まあ翻訳で簡単に読んでおけてよかったか というところなのだが。とりあえず、第1作は仮想TVノベライゼーションっぽくなってしまったが、元々書けない人でもないだろうし、第2作以降は立て直してもっと小説作品として書いてくるということもあるかもしれないしね。
クリス・オフット/ミック・ハーディンシリーズ、次も翻訳出るなら、自分的には読んでおきたいというところです。
あと、このクリス・オフットという人Wikiによると、マイケル・シェイボン編集のコミックのアンソロジー『Noir』というのに参加してるとのこと。Dark Horse Comicsから出てるのに同タイトルのがあるんだが、これのことなのか、イマイチはっきりせん。 Dark Horseのやつに関してはそのうち読む予定なので、そこにいたらまたクリス・オフットについてちょっと書くことになるかも。


で、終わりっす。なんかさすがにジェイムズ・エルロイともなると、書き始めるとのめり込み過ぎて、頭があんまり他に回らなくなり、コミックの方もペースが落ち、仕方ないんでしばらくそっちを休んでこっちに集中しました。なんかまだ言わなきゃいかんこと 山ほどある気もするけど、かなり疲れたし、今回はこのくらいで。『ぼっち・ざ・ろっく』の新刊も出たことですし、マンガ読んで少し休んでまた頑張るです。まあ、読む方もご苦労さんでした。



■James Ellroy
●新LA五部作

●Widespread Panic

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