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2018年7月22日日曜日

デストロイヤー#12 / 奴隷サファリ(仮)

遂に始まりました!デストロイヤー未訳シリーズ!今回、記念すべき第1回はその12巻『The Destroyer/Slave Safari』であります!え?何それって?前からずっと言ってるだろうが!…あ、ずっとじゃなくて時々思い出したようにかもしれんし、ここしばらくは音沙汰なかったかもしれんが…。とにかく以前から…いや、ずっと前に言ったようにこのデストロイヤー・シリーズ全巻読破は私のライフワーク!んーと、確か全百五十何巻か…。そして、モタモタながらも日本で翻訳の出ている11巻までをやっと英版で読み終わり、遂に未踏の12巻へ至ったのである!えーと、よくわかんないという人は前に書いた[デストロイヤー再発見!]ってのをとりあえず読んでくれよ。その後バラバラ書いたこととかあとで捕捉すっから。とにかくこれは私にとってなんとしてもやらねばならないことなのです。そうはいってももういつまでもBarney Thomson放っとけんし、てきぱき終わらせてこれをサッと書く!…予定だったのだけど…みんな私が悪いのです、すみません。ホントは早くコミックのことも書かなきゃなんないんだけど、なるべく手短に終わらせてすぐにそっちかかりますんで勘弁してください。あっ、でもそっちの人はずっとこれを待っててくれたんだよねえ。そういう人もいることにする。というわけでThe Destroyer第12巻『Slave Safari』の始まりでーす。

【あらすじ】
東アフリカの小国Busati。最近イギリスの植民地から独立したばかりで、国内にはまだ混乱が続く。現在この地を治めるのはHausa族の大統領兼将軍Dada "Big Daddy" Obode。強力な軍への影響力を背景に独裁政権を打ち立てている。
太古の昔、この地はある勇猛な部族により統治されていた。その名はLoni族。だが、長い歴史の中で衰弱し、現在は少人数が山間部のコロニーで、圧倒的なHausa族を恐れながらひっそりと暮らしている。

アメリカの旧家出身の学者James Forsythe Lippincottは研究のため、この地Busatiに滞在していた。本国では進歩的な人物であり、人種差別を嫌悪する彼だったが、国が変わればその地の習慣に従わねばならない。不便なホテルでサービスの行き届かないボーイを罵り、容赦なく鞭打つ。折檻を恐れたボーイが、彼にある秘密を話す。軍の高官だけが入ることを許される秘密の娼館がある。しかも、そこにいるのは白人の女ばかりだ、というのだ。
好奇心と欲望に駆られ、その娼館を訪れたLippincott。知り合いの高官の名を使い、入り込む。案内された部屋では性奴隷にされた白人女が縛られ、鞭打ちを待っていた。そしてそれはアメリカで死亡したはずの一族の姪に当たる女性Cynthiaだった!?

アメリカの女性がなぜ遠いアフリカの地で性奴隷に?そこにはある男のある一族への復讐があった。そして彼の真の目的は何なのか?
アメリカの法が届かず、政治的にも動くことの敵わないアフリカの新興国。奪われた女性たちを救うべく、ハロルド W スミスはレモを当地へと送り込む!
そして、シナンジュの長チウンとLoni族の間には、遥かな古代からいまだに遂行されぬままになっているシナンジュの”契約”があった…。

本作の発行は1973年。時はウォーターゲート事件の真っただ中。冒頭、レモは大変な苦境に陥っている。と言っても、レモがアメリカ大統領直属の秘密機関CUREの工作員であるという理由からではない。加熱する報道合戦の結果、チウン師匠が心より愛すアメリカ唯一の芸術、数々のソープ・オペラがことごとく放送休止となり、師匠の怒りがレモへの過酷な鍛錬という結果をもたらしているからであった。
ネタバレ臭くなっちまうのだが、ちょっと思い出したのはアメリカで昔TVシリーズにもなり大ヒットした『ルーツ』。原作は読んでないのだけど、アフリカ系アメリカ人の作者が自分のルーツをたどりアフリカまでたどり着く感動の実話である。時代的に近いんでその影響で書かれた話なんかな、と思って調べてみたら、『ルーツ』が1976年で、これはそれより少し早くて1973年。ブームの便乗作でないことは確認できたけど、きっとこういうところに目が向いてた時代だったのだろうなと思う。細かいところはよくわからないけど、多分『ルーツ』っていうのも時代の機運みたいなものに乗って登場し、ヒットしたのだろうな、と思ったりしました。

というわけで遂に始まりましたデストロイヤー未訳シリーズであります!日本で翻訳されなくても、レモもチウン師匠もスミスも、相変わらずの活躍や活躍を見せてくれる本当に素晴らしいシリーズです。なんか事あるたびに思い出してはいたのだけど、なかなか実際には読めずというのも長く、こんなに手軽に読める時代が来たのは本当に喜ばしい限りです。今後はこんな感じでとにかく読み終わったら、色々遅れてても順番無視で楽しみにしてる人がいようがいまいが強引に登場してくる予定ですので、皆諦めて楽しみにしろ!
そして邦題について。このシリーズ日本版では毎巻独自のダサかっこ悪いパルプっぽいタイトルが付けられていて、それも含め愛している私といたしましては、せっかくやるならシリーズ全ての作品にそんなダサかっこ悪いタイトルを付けたいという思いがあり、この第1回より敢行することにいたしました。今作の邦題は『デストロイヤー#12 / 奴隷サファリ(仮)』!…原題まんまじゃん…。いや、今回は勘弁してくれ…。あんまいいの思いつかなかった…。ほら、本家も結構失敗あるじゃん、『トラック野郎』とか『ハイジャック=テロ集団』とかさあ…。次からはもっと努力するっす…。そしていつの日かみんなうわっと引くぐらいのすげーダサかっこ悪いタイトルを並べて見せるっす。ちなみに本シリーズの日本版版元はかの東京創元社。日本版最終15巻が出たのが1989年ということで既に4半世紀以上経っていますが、相手はあの東京創元社!続刊が絶対に出ないとは言い切れないため(仮)を入れておくことにしました。
それから[デストロイヤー再発見!]の後の補足。これを書いた時はよくわかってなかったGere Donovan Press版とSphere版について、その後どっかで書いたのだけどもう自分でも見つからないので書いときます。とりあえずそこまで戻ると、まずその後Gere Donovan Press版は再び日本からもKindle版の購入は可能になっているということ。そして単純に両者の違いを言えばGere Donovan Pressのがアメリカ版で、Sphereのがイギリス版。アマゾンで検索すると米版Gere Donovan Pressのが先に出ると思うのだけど、かなり巻には抜けがある。とりあえずその事情は日本からだけなのかもしれないけど、Gere Donovan PressはBarnes & Nobleの方での販売に力を入れているところもあるので、Kindleでの状況が改善される見込みは薄いと思われ、日本からKindleで読むなら英Sphere版がおススメですよー、ぐらいのことだったと思います。
ほらね、割と早く終わったっしょ。こん位でやるからさあ、見逃してくれよう。なぜそこまで後ろ向き…。いや、まだ自分の他にもデストロイヤーを深く愛する人たちもいると信じ、また続けて行きますのでお楽しみにねー。あと、シリーズのリストは今回は15巻まで。順次増やして行きまーす。

■デストロイヤー・シリーズ

  1. Created, The Destroyer (1971) デストロイヤーの誕生
  2. Death Check (1972) 死のチェックメイト
  3. Chinese Puzzle (1972) 劉将軍は消えた
  4. Mafia Fix (1972) 国際麻薬組織
  5. Dr. Quake (1972) 直下型大地震
  6. Death Therapy (1972) アメリカ売ります
  7. Union Bust (1973) トラック野郎
  8. Summit Chase (1973) ネメロフ男爵の陰謀
  9. Murder's Shield (1973) 殺人狂警官
  10. Terror Squad (1973) ハイジャック=テロ集団
  11. Kill or CURE (1973) マイアミの首領(ドン)
  12. Slave Safari (1973) 奴隷サファリ(仮)
  13. Acid Rock (1973)
  14. Judgment Day (1974)
  15. Murder Ward (1974)
【おまけ】
何?お前まだなんかやんの?いやさ、これ、ビル・ビバリー『東の果て、夜へ』なんだけど、諸般の状況でちょっと読むタイミングを逸しているうちに、そこそこの評価も付いてとりあえず急がんでもいいか、と先延ばしにしてやっと先日、マッキンティ先輩の次ぐらいに読み終わったのですが、まあ当然ながらあまりにも素晴らしく、今更だと後出しじゃんけん臭くなるしやめとこうとは一旦は思ったのですが、やっぱりこんだけの大傑作のせっかくの翻訳なのだし、やっぱ参加しときたいということで少し書くことにしました。いや、ホント少しだけだからさ。じゃあ、後出ししちゃうぞー!
まず最初に指摘しときたいのが、この小説のスタイル。これは3人称の形だが、一切主人公イーストの視点から離れることなく書かれている。そして内容的にも、かなり一人称に近いぐらいのイーストの視点のみによって書かれている。ここんところを押さえとかんと色々見誤ることがあるのでまず最初に言っとく。
主人公15歳のイースト少年は見張りである。何のために見張るのか?それは守るためである。これはL.A.の犯罪地帯”ザ・ボクシズ”での彼の仕事だが、同時に彼の本能でもある。何のために見張り、守るのか?それは誰も守ってくれなかった自分の人生への代償のために。奴は自分の世界を見張り、守り続けるのだ。
そして、小説の冒頭、彼の仕事である麻薬販売システムの「家」は突然の強制捜査により崩壊する。そして彼に与えられた新たな任務は「組織」を守るため車で北米大陸を二千マイル横断しある人物を暗殺しに行くというものだった。イーストは彼自身の世界の中心である「組織」、そして組織での自分のポジションを守るという意思でこのミッションに臨む。
暗殺チームに任命されたのは、イーストを含む4人。中で一番の要注意人物は、イーストの腹違いの弟タイだ。主人公イーストは実は本人も意識しないまま、このタイを深く憎悪し、恐怖している。彼はイーストの本能的敵対者だからだ。「守護者」であるイーストに対しタイは「破壊者」。自分の居場所を作るため周りの世界を容赦なく破壊する。それゆえイーストはタイを深く憎悪し、恐怖する。このイーストの視点により描かれた物語の中では、すべてがイーストの目を通した姿であり、イースト自身の感情の鏡となる。ゆえに読者である我々の目にはタイという人物がなかなか見えてこない。逆にそのフィルターを取ってタイという人物を見てみると、実は彼の側はイーストに憎悪というような感情は少なくともイーストのそれに比べれば、希薄だ。もちろん年長者であったり兄という尊敬などはないが、彼はイーストのこのチームの中におけるポジションを理解し、認めている部分もある。そしてもしかすると数少ない肉親という感情も少しはあるのかもしれない。
残る二人、マイケル・ウィルソンとウィリーはイーストよりも年長者だ。彼らの行動は常にイースト自身の守るべき世界とどう抵触するかで評価される形で現れる。最年長者マイケル・ウィルソンは常にチームの主導権を取ろうとする行動を繰り返し、やがてそれはチーム、及びミッションを危機に陥れる。だが、その危機はイーストがこのチームのリーダーであることにより回避される。この作品の”変形一人称”ともいうべきスタイルにより、イーストの不安、弱さが前面に押し出されるため見えにくくなっているが、このチームのリーダーはイーストである。それは彼が「守護者」であり、ミッションを完遂させるには不可欠の一貫した意志を持つ人物だからだ。それはマイケル・ウィルソンすらも内心認めているものであり、それゆえに彼は「脱線」した行動によりある種の主導権を握ろうと試みる。そしてその事実により(最後に明らかにされる”真相”もあるが)、イーストは守られ、この人間関係ではマイケル・ウィルソンの側につくことも普通に想定されるウィリーも残り、チームは辛うじて維持される。
ウィリーのポジションも重要だ。最初は典型的なデブのオタクとして登場するが、イーストが追い詰められ、疲弊するほどにその頼もしさは増して行く。最後に”真相”が明かされ、彼の重要性が示されるが、この物語を読んだ人の中では、このあまりにも孤独な主人公へ向けた友情により、その事実より遥かにかけがえのない人間として残ることだろう。誰でも一度は人生のどん底に思えるときにウィリーに出会ってるんじゃねーの?なんか色んな人の顔が浮かんできて涙出そう。
そして旅が東へと進み、テリトリーを遠く離れ、そして「任務」が現実の形を取り始めるにつれ、イーストの守り続けた彼の世界は徐々に崩れ始める。その前に彼は無力であり、成す術もなく崩壊は進み、やがて彼自身の存在理由であった、彼が守り続けてきた彼の世界は死を迎える…。
しかし、イーストはまだ若い。15歳の少年なのだ。こんなところで死を迎えることは許されない。そして、彼の再生の物語が語られる。
見ず知らずの地で、彼は再び見張り、守り、そしてささやかな自分の居場所、自分の世界を作り上げて行く。しかし、それはもう彼自身も気付いているように、かりそめのものであり、彼にしばしの休息を与えた後、終わりを告げる。
だが、彼はもうテリトリーの周りだけを飛び続ける鳥ではない。遥かな遠くまでどこまでも飛ぶことができ、その羽を休めるところにどこでも自分の居場所を作れることを知っている。そしてその翼だけが行く先を知っているのさ。

なんかさあ、こんなくどくどした解説なんかなくたってさあ、こんなあまりにも美しい小説のあまりにも孤独で傷ついた魂の一挙手一投足に胸打たれないで、よくわからんとぶん投げたり違うジャンルに無理やり当てはめてこき下ろしてる人ってそもそもいったい何のために本読んでるの?って思っちゃうよ。あとさあ、これだけは言っとかんとならんと思うのはこの本の解説。まあ内容に関してはさほど面白くもない優等生的まとめ解説でわざわざ絡むこともないのだけど、問題はこの解説完全に結末まで書いちゃってるってこと。これ完全なルール違反じゃん。なんで誰も文句言ってねーの?ミステリに限らずレビュー・解説の類いで結末を書かないなんて、この誰でも吠える狂犬でも守ってるぐらいの基本ルールだろ。それが本自体の解説で?察するにこの先生自分は「論文」として書くので結末を書かないわけにいかないとか主張されたか、もっと下世話な推測すりゃ、後々ご自分の本にこの文章を入れるときに中途半端な形にしたくないと考えたか。そもそもこの解説の内容結末まで書かなきゃ書けないもの?こりゃあ自分のあまり好きじゃない言い方なのだが、敢えて言わせてもらえば、我々はこの作品に対しお金を払って手に入れているのだ。翻訳者その他による簡単な解説で事足りるところにわざわざこんなルール無視のものを載っけられ、しかも我々の支払った代金の中から原稿料なんてもんが払われてると考えりゃ、「欠陥商品」ぐらいの文句は言いたくなるぜ。これは本を楽しんで読む人のための最低限の基本マナーであり、基本ルールだ!慣習云々で打破せよ、とか思ってんならよそでやってくれ。そんな基本ルールも守れないようなら、こんな仕事はするべきでないし、出版社はこのような人間に本の解説などを依頼すべきじゃない!これは至極真っ当な主張であり、抗議である!みんなそう思うっしょ?
まあまあ最後はちょっと荒れましたが、一応手短に終わったよね?ビル・ビバリー『東の果て、夜へ』。魂を震わせる大傑作ノワールです。未読の人は今すぐ読むべし!売っちゃったなどといううっかり者はただちに買い直すべし!こういう作品は絶対に歴史に残して語り継がねばならんからである!つーわけでちょっと自分の勝手でお騒がせしました。ただちに次のコミックの回に取り掛かりますですう。ではまた。



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デストロイヤー再発見!

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2018年7月17日火曜日

Douglas Lindsay / The Cutting Edge Of Barney Thomson -Barney Thomsonシリーズ第2作!-

※注意!Barney Thomsonシリーズ第1作『The Long Midnight Of Barney Thomson』の映画化作品の日本版DVD『バーニー・トムソンの殺人日記』がすでに発売されていることを全く知らず(後で気付きます。)、原作小説のあらすじを結末まで書いてしまっています。同DVDをこれから観ようと思って検索してうっかりここを探り当てた方は、観終わってからお読みください。

またずいぶん久しぶりでやっとの登場となりましたDouglas Lindsay作、スコットランドグラスゴーの連続殺人鬼Barney Thomsonシリーズの第2作『The Cutting Edge Of Barney Thomson』であります!第1作『The Long Midnight Of Barney Thomson』を読んでかなり気に入ってて早く読もうと思ってたのだけど、ホント随分かかってしまったなあ。前作について書いたのが2015年の1月で、読んだのは2014年の暮れぐらいだったはずなのだが、読もう読もうと思っているうちに3年近く経って確か昨年の秋から冬辺りに読んでやっと今回書くことができたという次第です。まだ読んだのに書けてないの色々あるんだよな。頑張って早く何とかしないと…。
で、もたもたしている間にBarney Thomsonを取り巻く状況も色々と変わり、いくらかちょこまかと書いてきている部分もあるのですが、まず、第1作の時に書いたロバート・カーライル監督主演による映画は無事に完成。その映画についても今回後ほど書きます。しかしその一方で、昨年には版元であったBlasted Heathが終了。その辺の経緯についてはずいぶん書いとるよね。その後、付き合いのあった別のパブリッシャーから発行される予定になっていたのだが、運悪くそちらも経営困難に陥り、現在はDouglas Lindsay氏の個人出版社であるLong Midnight Publishingから発行されているという状況となっております。
このシリーズもDouglas Lindsay氏も、それまでにも苦労を重ねてきたようで、今回の第2作も最初は2000年に別のパブリッシャーから出版され、その後絶版となり一旦は自身のLong Midnight Publishingからの発行となった後Blasted Heathへの移籍となったらしい。今回私が読んだのはBlasted Heath版の長編全7作合本の『The Barbershop Seven: A Barney Thomson omnibus』で、この作品最初は現在のタイトルで出版された後、Blasted Heath版で一旦『The Barber Surgeon's Hairshirt』に改題され、現在のLong Midnight Publishing版で元のタイトル『The Cutting Edge Of Barney Thomson』へと戻されています。

と、いくらか情報を並べたところでこの『The Cutting Edge Of Barney Thomson』なのだが、そっちにかかる前にこれまでの経緯を書いとかんとよくわからなくなると思うので、まずは前作『The Long Midnight Of Barney Thomson』の書いてなかったところをネタバレしちまいます。で、どこまで書いたのかと見てみると、職場の床屋での若い同僚たちへの不満と失業への危機から実際にはできもしない殺人計画まで考えていたBarneyが、遂にクビを宣告されオロオロしているところでうっかり本当にオーナーの息子の同僚Wullieを殺してしまった、というかほとんど事故で死んでしまったというところまででした。その続き。

途方に暮れたBarneyは、同僚のことで悩んで相談に行ったら、「そんな奴ぶっ殺しちまいな」と言われたおっ母さんのところに助けを求めに行く。いや、殺すつもりじゃなかったんだよ…。事故で…。「まったくしょうがないねえ。あたしが何とかしてやるから死体は置いてきな。」なすすべもないBarneyはWullieの死体をおっ母さんに預け、家に帰る。一夜明け、そして時間が経つにつれ、Wullieの失踪は事件化し、そしてグラスゴーに跋扈する謎の殺人鬼による連続殺人との関連も疑われ、捜査に当たるHoldall刑事部長も乗り込んでくる。自分の犯行がいつ発覚するかとおびえるBarney。そして遂に、もう一人の同僚ChrisがBarneyが犯人であることに気付き、彼を問い詰める!そして!またしてもBarneyはうっかりChrisを殺してしまう…。

またしても成す術もなく途方に暮れたBarneyはおっ母さんに泣きつきに行く。だが、Barneyが到着した時、おっ母さんは心臓発作を起こし、床に倒れていた。そして「冷蔵庫…」とだけ言い残し、息を引き取る。その最期の言葉に従い、巨大な冷蔵庫の扉を開くBarney。彼がそこに見たのはいくつもの切断され、冷凍された死体…。グラスゴーに跋扈する謎の連続殺人鬼は、Barneyの母だったのだ…。

かくしてBarneyは、ただでさえ始末に困ってるChrisの死体に加え、おっ母さんの手によるいくつもの死体を抱え込まされることになる。そこでBarneyが絞り出したアイデアは、Chrisを全ての犯人に仕立て上げること。冷凍されていたおっ母さんの切断した死体を持ってChrisのアパートに忍び込んだBarneyは、キッチンで大鍋でそれらを煮込み、Chrisが殺害した死体を調理していたように装い、逃走する。しかしすべてを運び込むことはできず、そもそも逃亡しているはずのChrisの死体も残っている。Barneyは深夜、海岸からボートで漕ぎ出し、残ったすべての死体を海中に捨てる。

世間はBarneyによる偽装に騙され、Chrisこそがグラスゴーの連続殺人鬼の正体であると信じたかに見えた。だが、そんなある日、仕事中のBarneyに謎の電話がかかってくる。「死体を捨てたところを確かめに行った方がいいんじゃないかね?」死体が見つかった?何者に?相手の正体もわからぬまま、Barneyは、深夜車を走らせ死体を捨てた海岸へと向かう。崖の上から海を見渡すBarney。しかし、目に入るのは暗い海ばかりで、死体が発見された気配はない。安堵に胸をなでおろすBarney。だが、そこにHoldallのライバルであるRobertson刑事部長が部下を連れて現れる…。

Robertsonは常に不審な挙動のBarneyを怪しみ、尾行監視を続け、ここにたどり着いたのだった。そしてRobertsonはBarneyが深夜こんな海岸を訪れた理由も見当がついている。
「WullieとChrisを殺したのはお前だな、Barney Thomson?」
「はい…。」
抵抗することもなく、あっさり罪を認めるBarney…。

だが話はまだ終わらない。
そこに物陰から様子をうかがっていたHoldall刑事部長が部下を引き連れ現れる。実はBarneyを謎の電話で揺さぶり、死体の隠し場所へと向かわせたのはHoldallの策だったのだ。手柄の奪い合いでたちまち衝突が起こり、遂には双方銃を抜き、そして発砲…。

あとには部下を含めた彼ら4人の死体と、茫然と立ちすくむBarneyが残される…。

警官同士の撃ち合いによる死亡事件は動機不明なまま残され、グラスゴーの連続殺人事件はBarneyの工作通り、姿をくらましているChrisによる犯行と断定される。Barneyは床屋での職を維持したばかりではなく、理髪師としての自信を取り戻し振るい始めた大胆なカットは人気となり、床屋の椅子には彼のカットを待つ行列ができるようになる。もう何の心配もない。Barney Thomsonの人生は順風満帆だ。

一昨日の嵐から打って変わり、穏やかな海岸を犬を連れた青年が散歩している。前を走っていた犬が岩陰の何かに吠え掛かっている。まったくあいつはなんにでも吠えるからな。犬に追いついた青年がのぞき込んでみると、そこには大きな黒いゴミ袋に包まれたものが打ち上げられていた…。

以上、まあかなり長くなってしまったが『The Long Midnight Of Barney Thomson』でした。映画のこともあるので少し詳しく書いたのだが、何分読んだのがもう3年以上前になるので、細かいところとか間違えてたらごめん。まあこんな感じで最後は『太陽がいっぱい』を思わせる感じの幕切れに。Barney Thomsonの運命や如何に?というわけでやっと第2作『The Cutting Edge Of Barney Thomson』の始まりでーす。


The Cutting Edge Of Barney Thomson

事件発覚後、グラスゴーの連続殺人鬼Barney Thomsonはマスコミに大々的に取り上げられ、人々の話題はその事件で持ちきりとなる。当のBarneyは警察の接近を事前に察知し、姿をくらまし行方は知れない。世論のプレッシャーに成果を急ぐ警察上層部は、Mulholland警部を担当捜査官に任命。完全に貧乏くじだ…。落胆するMulhollandに今回の捜査のため相棒として女性警官Erin Proudfoot巡査部長が付けられる。二人はか細い手掛かりを頼りに、スコットランド高知地方へと向かう…。

スコットランド高地の山岳地帯に人里離れ旧くから建ち続ける修道院。俗世から離れ、静かに信仰への修練を積み重ねているはずのその僧院で殺人事件が起こる。ひとり、また一人と僧が惨殺され、連続殺人となって行く。修道院長とその腹心、元シークレットサービスのBrother Hermanは、司直の介入なしに事件を院内で解決すべく図るが、犯人の見当もつかめぬまま殺人は積み重ねられて行く。次第に冬は深まり、修道院は雪で更に外界から隔てられて行く…。

そして、その修道院で目に見えぬ殺人者におびえる僧の一人、新入のBrother Jacobこそが、正体を隠し逃れ続けた末にここにたどり着いたBarney Thomsonだった!

捜査側、Mulholland警部は最近奥さんに逃げられた中年の男やもめ。表面的にはマッチョタイプだが、内面はかなり悲観的なマイナス思考が駆け巡る。そして一方の女性刑事Erin Proudfoot巡査部長は喧騒の刑事部屋からMulhollandと聞き込みに向かう車内でも平気でエロ記事満載の女性週刊誌を拡げる鉄面皮。警官にはなってみたもののねえ、という感じ。なんかブルーウン、トム・ブラントシリーズの女性警官フォールズにもこんなテイストあったけど、英国方面の女性刑事ってこのイメージなの?このいかにも息の合わなそうな二人だが、互いに一応男と女で意識しあっていて、近づかなそうで近づきそうだったり、いつかロマンスに発展するのかな?を匂わせながら田舎へ向かう。とりあえずあまり当てもないまま、老夫婦が経営するような民宿に聞き込みに立ち寄る。どこに行っても田舎のおばあちゃんはお茶と山のようなお菓子で歓待してくれる。「さあさあ食べて。」「申し訳ない。我々はテレビでも盛んに報道されている殺人犯Barney Thomsonを捜しているのだが。」「ああ、その人ならうちに泊まってたよ。」「え?な、なんですと?」「何をしてるの、もっと食べなさいってば。」「い、いや申し訳ない。充分にいただいているのだが…。で、そ、それは本当にBarney Thomsonだったのかね?」「そうねえ、テレビで見たのと同じ人だったからねえ。」「な、ならなぜもっと早く通報してくださらんのか?」「でもそんな悪い人には見えなかったからねえ。おとなしく誰にも迷惑もかけないし。うちの旦那の散髪もしてくれたんだよ。」みたいなノリのおばあちゃんたちから情報と大量のお菓子攻撃を受けつつ、その情報を追い二人は徐々に件の修道院の方角に向かって行く。

そしてBarney Thomson。物語序盤は、まずMalhollandとErinのドタバタ捜査と連続殺人に震える修道院の様子が交互に描かれ、なかなかBarney Thomsonは登場してこない。いつ現れるのかと読み進めるうちに、あ、あんたここにいたんか…。といかにも脱力的に登場。まあBarney Thomsonってのはこういうキャラだもんんね…。この辺のDouglas Lindsayの上手さはぜひその目で確認してもらいたいところ。神は俺をどんなジョークのネタにしてるのか。なぜ俺の行く先々に死体を置いて行くのだ?きっと俺が人類最後の生き残りになっても、神はどっかから俺の前で死ぬやつを連れてくるのだろう。そしてこの運のない床屋はまたしても凶悪な連続殺人鬼の立場へと追い込まれて行く。Barney Thomsonの運命や如何に!?

以上、Barney Thomsonシリーズ第2作『The Cutting Edge Of Barney Thomson』の序盤あらすじでした。いやはや、感想とか言われても、大変面白かったっす、皆さんも絶対読むべきでやんす、としか言いようがないよ、ホント。まあブラックだったり、下品だったり、脱力だったりと、今回もDouglas Lindsay氏のユーモアは冴えまくる。とにかく第1作を読んだ時点でこの作者、シリーズには絶対の信頼を置いており、その期待通りの作品であったので、私としてはケチのつけようもない。しかし、こういう絶対に面白い、と思うのは安心して後回しにして、これどうなんかな、面白いんかな?というのばかり読み、結果好きなシリーズがなかなか進まない、というのが私の悪い癖だとは知っているのだが、どうにも治らん。こんなことを続けていてはいつの日か大好きなシリーズを山ほど残しながらこの世を去る結果となるのでは、と時々思うのだけど、日々気になる作家、作品は増えるばかりであるよ。うーむ。まあ何とかやっと読めたBarney Thomson第2作。これに油断せず、なるべく早い機会に続きも読むぞ、と固く決意するものである。まだ長編だけでも5作も残っとるのだしね。皆様、Barney Thomsonをお忘れなく!

さて映画を、と思ったら、おんや~?にゃんといつの間にか日本版DVD出てるじゃん!『バーニー・トムソンの殺人日記』だって。今の今まで知らんかった。どうも昨年12月に出てたらしい。2015年に映画化され、DVDも出たんだが日本じゃ全く音沙汰なしで、あきらめて昨年の夏ぐらいに英版を買って観たのだが…。観たんなら早く書けよって話なのだが…。いや、出たなら出たでめでたしめでたしで、私もなるべく早いうちに日本版も手に入れて観直すよ。リスニングの方はかなり頼りないし。そうと知っていたらあんなに詳しくあらすじ書かなかったのだが、今から頭のところに注意書き入れとくよ。と、こちらの迂闊からバタバタしとるのだが、とりあえず自分の感想と、原作とのちょっとした違いぐらいは少し書いとくか。
まあ、映画関係の方は日本で翻訳も出てない原作についてはとかくいい加減なので(出ててもいい加減な時あるよな、全く!)、その辺のことから少し書いとくと、グラスゴー出身である監督・主演のロバート・カーライルが、同じくグラスゴー出身のDouglas Lindsayによるグラスゴーを舞台としたこの傑作に感銘を受け、ぜひ自らの手で、と映画化したのがこちらの作品である。どーなんのかな、と思ってたけど、さすが名優カーライル、しょぼくれたBarney Thomsonをうまく演じている。と、観たときは思ったけど、2作目読んだらBarneyって更にへなへなだよな~みたいなことはちょっと思っちゃったけど、いやまあケチをつけるほどじゃないよ。そしてジャケット見てもわかるようにインパクト満点なのがおっ母さん役のエマ・トンプソン。原作よりも出番も多い。私が大変気に入ってて1作目の時翻訳の真似事で抜粋した初登場時のワインのエピソードは出てこなかったけど。キャスト上の変更点としては、まずBarneyの奥さんがカットされたこと。まあこの奥さんはテレビのソープ・オペラ中毒で一切テレビの前から動かず、あんまり存在感もなかったのだけど。私も今回のあらすじでは省略しちゃったし。あとHoldall刑事部長のライバルRobertson刑事部長が女性に変わっている。まああんまり女性の出てこない話でもあるので、このくらいの変更はありか。ストーリーについては、前述の通り原作よりBarneyのおっ母さんエマ・トンプソンを大きくフィーチャーしているのでその関連で若干の変更はあるものの、大筋は概ね原作通り。原作のファンとして観た私も大変楽しめる映画でした。いやしかし結構時間差はあるものの映画となると出るものは出たりするのですね。とりあえずは日本版も出てよかったよ。ワシも早く観てみるっすよ。
とりあえず、日本版が出て、映画だけでも簡単に観れるようにはなりましたが、もし映画のみ観てあんまり面白くなかったとか言われても当方一切責任取りません。元々小説として書かれたもんなんだから、明らかにそっちの方が面白いんだし、更に言っちゃえばこれがもし翻訳されたとしても、いろんなギャグとかいうのは結構言葉のタイミングやリズムだったりして、これがまた翻訳で一番うまくいかないように見えるところだったりしてなかなか難しいものです。私はオリジナルのを読んでとても面白くて好きになり、映画化されたのを観て、それが変な風に捻じ曲げたりされず、いい感じに原作のテイストで作られていたので良いですね、と言ってるだけです。映画のみを観て、お前が言ってるほど面白くねーじゃん、つーなら原作を読めよ、というだけっす。

というわけで、モタモタにモタモタを重ね続けてきたおかげでまたしても若干の手違いはありましたが、何とかBarney Thomsonシリーズ第2作『The Cutting Edge Of Barney Thomson』についてお届けいたしました。やれやれ。さて、ここで作者Douglas Lindsayの近況なのだが、今月1日に発表されたばかりの最新情報!なんと英Freight Booksの破綻により第2作で中断していたDI WestphallシリーズがあのMulholland Booksから再リリース、及び第3作の発売が決定!いやはや、なんかどうも今ひとつばかりの情報が続いてしまったけどここに来てやっと100%のグッドニュースが!実力もあるし精力的に作品も作り続けているが、ここのところなかなか出版運に恵まれてなかったDouglas Lindsayさん。これがきっかけでもっと陽の当たるところにガンガン出て行けるようになるといいっすね。がんばれLindsayさん。

Douglas Lindsayホームページ

【その他おしらせの類】
ずいぶん遅れてしまいましたが、予告通り、エイドリアン・マッキンティ、ショーン・ダフィ第1作『コールド・コールド・グラウンド』であります!個人的にはこれの翻訳が出たってことで本年度NO.1決定だし、読んでも本年度NO.1だよ!当ったり前だろうが!1980年代北アイルランド紛争で戦場と化したベルファストで、ショーン・ダフィが謎の連続殺人犯を追う!一人称の語り手、主人公ショーン・ダフィ巡査部長はナイスガイだが、ちょいと自信過剰気味の傲慢な奴。Deadトリロジーの主人公Michael Forsytheも結構そんなタイプだったので、おそらく作者エイドリアン・マッキンティもそんな人と思われる。写真とか見るといかにもそんな感じ。頼りにはなるんだけど、上司とか先輩とかで毎日は会いたくないタイプ。ほら、こっちが中学の時からずっと好きだけどトータル1時間も話せてないようなコに平気で手出そうとするような…、なんか色々考えてるとあんまり作者その人自身が好きでなくなってきそうなのでこの辺にしとけよ…。そして捜査はあっちこっちで武装組織に突き当たる。おいっ、今からちょいとヤバいとこに聞き込みに行くが、ついてくる奴はいるか?さあ家宅捜索だ!お前らは証拠になりそうなものを捜せ!俺はコイツの本とレコードのチェックだ!車に乗る前には爆弾が仕掛けられていないか確認しなければならない、緊迫した戦場の街で、ちょっとオフビートな感じでダフィの日常(あの隣の奥さん絶対俺に気がある。俺にはわかるんだよ。)、捜査(これはこんなところじゃめったに見られない本物の連続殺人事件なんだよ。この事件は俺が解決するんだ!)が語られて行く。山の上から見る街はいつも平和なのさ。うにゃ~、もうメロメロっすよ。にゃんと素敵な小説なのだ。こーゆーのはいつまで読んでたっていいや、って気分になってくるよ。おっ、そうだ。うっかり本年度NO.1と気の早いことを言っちまったが、秋には第2作が出るじゃん!うわー楽しみじゃにゃ~。
とひとしきり私のヘラヘラした感想(?)を述べたところで、いつものように無差別罵倒モードへと移行する。とは言っても前回書いたようにこんなに素晴らしい本にくだらねえこき下ろしなんぞが付けられてるのを見た日にはマジで体調崩しかねないんで他人の感想なぞ一切見とらん。ちゃんとまともな感想書いてる人もいるだろうけどバカが多すぎるんだもん。ごめんよー。というわけで今回はイマジナリー・エネミーによる予想されるダメレビューに対する仮想バトルとなる。まあ、いつもそんなものか…。もしこれから書くのと同じようなことを書いてる人がいたとしても一切見てないので個人攻撃とかじゃありませーん。そんでまず最初に言っとくのは、こっちとしては密室トリック好きや「本格」ファンみたいな人達と敵対するつもりは一切ないってこと。基本的にはオレはミステリジャンル全部好きなんだからさあ。だがな、もしどっかにこの傑作を読んで「3作目が出てから読めばいいかな。」とか「飛ばして3作目から出版すればよい。」などと垂れ流してる他ジャンルに尊敬の念すらないクズがいるなら、ミステリファンの一人として言っとくが、オメーらなんか本もミステリも読む資格ねーよっ!そっちに対して言っとくことはこれだけである。やっぱ常にぶん殴らなきゃと思うのは、根本的に読む能力、もしくはちゃんと読もうとする意志が欠如してるのに本の方が悪いと言わんばかりにこき下ろしに回るアホである。この手がやらかすこととして挙げときたいのが、まず小学校で教わった感想文の書き方まんまの方法。1)本を読みましょう。2)読んだ本にどんな話が書かれていたか考えてみましょう。で、考えてみる。つまりあらすじとかプロットとかいうやつ。すると、こういう話はちょっとあらすじをまとめにくい。何故か?例えばエンターテインメント方向の小説の書き方、話の作り方に遊園地のアトラクション型というのがある。こう始まって、こういうルートをたどって、ここで盛り上げて、こうゴールにたどり着くというやつ。で、小説を読むやつの中にはこの形しかないと思ってるバカが多数存在する。読み終わった後このようなアトラクション型あらすじを組み立てられないと、それは失敗している、無駄なことが多く書かれている、さらにひどいものになると何が書かれていたかわからなかったなどと思い込むのである。なんだか最近の日本ではこのアトラクション型あらすじが上手く組み立てられない小説がことごとく評価が低くなっている。あの偉大なケン・ブルーウン然り。だがブルーウンにしても、このマッキンティにしても実はこのアトラクション型あらすじは作者の頭の中では組み立てられているのではないかと思う。しかし彼らのキャラクターショーン・ダフィ、ジャック・テイラーらはきちんとそのレールの上を通らずある時はジグザグに、ある時はルートから遠く離れながら物語フィールドを進みゴールにたどり着くのである。なんでそんな書き方をするって?まあ普通の人間の生活なんてそんなものでそっちの方がリアルだとかそんなことはどうでもよく、作者がそっちの方が面白く書けると思ったからってことに尽きると思うのだけどね。と言ってもマッキンティはブルーウンほどの脱線は少なく、比較的きちんと事件を追って行くが、「殺人犯を捕まえる」というメインのプロットが所々でぼやけるぐらいにはそこと関係のないことが山ほど書かれている。あんまり馬鹿臭いんですぐにそんなこと言って格好つけられると思う奴いなくなるだろうと思ってたけど、まだいるのかね?小説に向かって「無駄な記述が多い」とか言う作文の先生気取り。創作物に「正しいお手本」なんて無いんだからどれが無駄なんてどなた様が決めるんだよ?編集者様?神様?まあ大抵は風景描写は飛ばして読んでも良いとか思ってるぐらいの類いだろうけどさ。そして次はミステリのところ。ちょいとネタバレになるかもしれんが、最初にちょっと意味ありげに出されるメッセージ、実はあんまり解決につながらない。というか殊更に意味がないように書かれている。つまり意図的なものなのだけど、これをミステリを構成していない、失敗していると思い込むやつ。つまり、この二つプロットとミステリに関しては同じことで、自分が思い込んでる「正しいもの」に合致しないものを失敗していると思い込み、またそれに加えて「違いの分かる読み手は辛口」みたいな思い込みを重ねて自己顕示欲のみのクズ感想をまき散らす迷惑者が後を絶たないのが本当に困ったことなのである。
しかしさあ、こういう「正しいもの・形」があると信じ込みそれと違うもの、変形したものを否定するような行動をなんというか知ってる?「老害」っつーんだよ。実際のところまだそんな幅広い読書経験があるわけでもない「最近の若い人」がその範囲で若年性「老害」ぶん回してどーすんの。作家は常に新しい表現・スタイル・テーマを模索していて、それは大抵はアバンギャルドみたいな極端なものではなく今まで読んだことのあるもののようには話が進まない、読めないというようなもので、若い人ならそういうのを見たらまず新しいものを見つけた、新たに読書経験を拡げられたと思うべきなんじゃないの?つーかそれが「老害」に対する「若い人」の務めなんじゃないの?それがそういうものに当たったら読みにくい、よくわからない、でぶん投げるか、さも意味ありげに見える自分が知ってる「正しい形」に比べた○○じゃない、××じゃないを積み重ねた「じゃない」感想を垂れ流す若年性「老害」のあまりの多さには目を覆うばかりなのですよ。更に重ねて厄介な真性「老害」。昨年、こっちのざるだらけのリサーチに引っかかってないうちに翻訳が出てしまったなどの理由で言及出来てなかった、まあ年末ランキングでもいいとこ行った某傑作ノワールなのだけど、「純文学乗りだ」と「いちゃもんをつけ」ている(カギ括弧内本人の文章)「老害」先生を発見。まあ「純」文学などという古めかしい言葉を使われているところから見ても結構な高齢者なのだろう。先生の世界では大衆文学たるミステリに純文学の方法を取り入れるなぞ受け入れられんというところかね。まあひとつの文章でちょいと揚げ足取りが過ぎるか(アゲヤシじゃねェのか?良く考えてみろよ)とは思うが、これをちゃんと読めなかったエクスキューズに使った奴が多いだろうことは過去の「ウィリアム・ギブスンが読めないのはボクの頭ではなく翻訳が悪い」事件に見られるように明らかである。水は低きに流れ僕の故郷はダムの底。「老害」が「若年性老害」を誘発する由々しき事態である。
ずいぶん遅れてるし、まだやることあるのに、またいー加減長くなっちまっているのであとはなるべく手短に箇条書きに。
1)読みにくい.....言語道断。ちったあ努力というものをせよ。
2)ミステリとして.....最近考えたのだけど、この「ミステリとして」って言い方、そもそもは文学内でミステリの位置が大変低かった時代に、文学性は低いかもしれないがミステリとしては価値が高い、とか言うように一つのメインストリーム文学へのささやかなカウンターとして考案されたんじゃないの?それが時代を経てミステリ内でパズル要素を上位に優劣をつけるような形に転用されてきたのだとしたら「読書のプロ」の罪は重いよ。明らかに都合のいいように誤用したのお前らやろ。
3)ハードボイルド・ノワールには興味がない.....今の日本での「興味がない」の使用法は対象を見下せると思い込んでのものなのでこういうやつはハードボイルド・ノワールから何発ぶん殴られても文句は言えない。また、例えば「季節の新鮮お野菜セット」みたいなののレビューに「人参、セロリには興味がない」とか書いてあったら明らかにバカだろ。常識で考えろ。
4)感想を書くほどでもないが読んだことだけ書いておく.....にわかには信じがたいかもしれないが、こんな横柄なことを書いて何か言ったような顔をしている奴は実在する。確か3つぐらい見た覚えがある。感想を書けるほどにも読めてないのは明らか。こっちはお前のママじゃねーからお前が何読んだかなんて一切関心ねーよ。
とまあこんなところでしょうか。さて、秋には第2作が翻訳されるエイドリアン・マッキンティ、ショーン・ダフィシリーズだが、その先はどうするよ、早川書房。ケン・ブルーウンに続き、またしても日本はハードボイルド最先端から取り残されてしまうのか?「ミステリとして評価できる」「警察小説」(日本人がなぜこの警察小説というやつが好きなのかあんまり考察するとろくなことにならん気がするのでやめる。あとTVの刑事ドラマで毎度おなじみみんな大好き「管理官」というのが出てくるともう観る気なくなる。ほとんど観ねーけど。)であるマイケル・コナリーと少しぐらいが細々と翻訳され、英米でもほとんどハードボイルドなんて出てないんだよ、って顔して久しぶりになんか形の似たのが出てきたらまたぞろホークがスーさんがハマちゃんがを始めるような状況が続くのか?早川書房様、どうか頼みますよー。今までの悪口雑言は心より深く謝罪し、のど元過ぎたらすぐに忘れますから。ショーン・ダフィシリーズの末永い続行を!日本からハードボイルドの灯を消すな!

前々回の最後になってジョーダン・ハーパーが、とか言ってたわけなんだけど、ここのところ遅れ続きで自分で本抱え込んでモタモタしてるうちに賞を取っちゃったりというようなことが起こったりすると、もっと早く言っときゃ先に読めた人もいたんだろうにな、みたいなことも考えてしまったりするわけで、もっと目を付けてる本に関しては早く情報を出して行かねばと思っています。自分で言うのもなんだけど、私に唯一才能があるとしたら、少なくとも自分にとっては確実に面白いと思える本をなんだか見つけ出せるという能力で、それがあるからこんなことをやっとるわけで、人口に比例して情報も少なかろう日本のハードボイルド/ノワール・ファンの同志の皆さんには少しでも多くの情報をなるべく早くお届けせねばと思うものであります。だが少々問題あり。以前からちょくちょく言ってるように私は本を読むのをすごーく楽しみにしてるので、うむ、これはきっと面白い、いや、面白いに違いないぐらいを確信したら一切内容について調べない。だからこれきっと面白いと思いまーす。ぐらいしか書けない。実はジョーダン・ハーパーについてもそんな状態だったので、とにかく早く読んで書こうと思ってるうちに今更急いでもなー、みたいな状況になっちゃったわけ。ところでジョーダン・ハーパーホントにどっかから翻訳出ないかなあ。ちなみにジョーダン・ハーパーはうっかり以前にそう書いちゃったし明らかにそうしか読めないから日本語表記でいいか、にしてるけど、大抵は未訳の作家は英語表記で統一しています。理由は読めない奴いるから。あとなんとなく読めても間違ってても責任取れんし、あとで直すの果てしなくめんどくさいから。まあすごく発音とかにこだわって正確にやろうとする人もいるけど、所詮は耳で聞いたものを文字にするということでマンガの擬音と大して変わらんのじゃないかなあ、などと考える雑な奴で、そんなことまでやるのは面倒なのでそういう形で勘弁してください。ちゃんと統一するためにジョーダン・ハーパーも英語に直すよ。ほらJordan Harper。で、なんだっけ?こーやって思いつきで出鱈目に話がそれるのを「無駄な記述」とか言うんだよ!覚えとけ!あーそうだよ、だから紹介はするんだけど私がこれは面白いと確信しとるだけで内容は一切不明。上で私が自信満々に言ってのけた才能を信じるなら手を出してみるべし!君にも能力があるなら私のスタンドが見えるだろう!そのリラックマとオバQを著作権無許可で合成したような奴だ!何気に愉快だが体力無くてすぐ座り込むやつ。スタンドなのに。前置き長すぎ!無駄な記述!ああ、あと言っとくとこれいつか賞とるかも、とか翻訳されるかも、というのは基本関係ないから。面白いぞ、と思うやつ。
Blood Standard (An Isaiah Coleridge Novel)/Laird Barron
ぐだぐだ言ってるうちに画像が遥か彼方になってしまったけどそれです。ホラー・ジャンルで活躍中のLaird Barron初の犯罪小説。Gabino Iglesiasとかが絶賛してました。
Zero Saints/Gabino Iglesias
ごめん。名前出したけどこの人についても多分言及してなかったのに気づいた…。これいつから読まなきゃと思ってたんだろう…。トホホ。これはホラーかな?ホラー/犯罪小説ジャンルにわたりブックレビューでも有名な人。必読。
Russian Roulette: A crime thriller that packs a serious punch (Konstantin Book 1)/Keith Nixon
Anthony Neil Smith、Douglas Lindsayに続く今は亡きOolipo第3の作家だった英国Keith NixonによるKonstantinシリーズ第1作。最近Caffeine Nights PublishingからGladius Pressに移籍。ケン・ブルーウン、Paul D. Brazill大将他絶賛。あれ?もしかしてこれのこと前書いたか?まあいいや。
Last Year's Man/Paul D. Brazill
Small Time Crimes/Paul D. Brazill
ついでにそのBrazill大将の最新刊2冊。『Last Year's Man』はAll Due Respect最新刊。『Small Time Crimes』はNear To The Knuckleから今月末発売の短編集。『Small Time Crimes』のカバーはオイラのめっちゃお気に入り!
Jay Porterシリーズ(既刊4作)/Joe Clifford
俺はムショまでは行ってないよ、でおなじみJoe Cliffordについては前に紹介してっけど、随分前だしここで改めてもう一度。Jay Porter最新刊は確かアンソニーだったかにもノミネートされてたけど。これについてはそのうち読んで書く予定なのだけど、またそのうちがいつになるかわからんし…。
と、今回はまあこんなところで。スペースがなくて画像入んなかった本については下のリストで見て下さい。まあ、日々読みたい本を新たに見つけてきてしまう馬鹿者なので、また何か見つけたらなるべく早くこんな感じででもお知らせします。んで、内容については基本調べてないので、自己責任でね。

いやはや、やっと終わった…。また大変遅くなってしまって申し訳ない。今回こんなに遅れてしまったのは、ほら、ワールド・カップが…。い、いや、言い訳に使えっかな?と思ったけど、これまで読んでくれてた方ならオメーがそんなの一所懸命観てるわけねーだろっ、てツッコまれてるところでしょう。はい、ほぼ観てません…。ホントのことを言うと、なーんかすごく画が書きたくなってそっちばっかやって10日ほど放置してしまいました。いや、毎日開いとくんだけど、結局時間なくて今日はいいやで寝ちゃって…。それで、これではいかんと気を引き締め直し、こちらに戻ったところ、一気に進めるはずだった先々週週末あたりで3日ほどネットが使えない状況に…。更に先週木曜には帰宅後夏風邪で39度の高熱で倒れ、なかなか熱が下がらず丸2日以上身動き取れずで、やっと起き出して連休残りで何とかここまでたどり着いたという次第であります。いや、申し訳ない。まあ、後半の事故的なものは仕方ないにしても、やっぱ常々こういうことは定期的に早いスパンでやっていかなければ意味がないと思っているのだから、もう少ししっかりせねば、と反省している次第であります。以前にも書いたように私は大変画を描くのが好きですが、まだこっちをやめようというほどにはなっていないので、続けるんならちゃんと頑張ったやって行かんとね。昨年は転職直後という状況で、疲れる、というより翌日仕事に支障が出るのが怖いで、帰宅後なるべく休むモードで遅れていて、やっと立ち直り始めたところで引っ越しとなかなかこちらが進まない状況が続いてしまったのですが、今は色々動けるようになっているし、やる気もあるんだしね。いや…、ちょい夏バテあるけど…。まあ画描くのもこれもどっちの個人の趣味なんだけど、こっちはなんぼかでも外に出るもんなんだから、ということを考え、もう少しコンスタントに更新できるように努力してまいります。時間がない、とかいうのは本音だけどそれ言っても時間が増えるわけでもないし、なんかそれ認めたら降参で負けなので言わないのです。彼女が出来たら言おうと思うけどなかなかそのチャンスがないので(できないと認めたら降参で負けなのだ!)とりあえずそこでぐでっとしてるリラックバQにだけ言っとこう。今回はこの辺で。ではまたね。



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