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2022年5月3日火曜日

Adrian McKinty / The Bloomsday Dead -三部作最終作!Dead Trilogyとは何だったのか?-

遂にやってきました、エイドリアン・マッキンティ Dead三部作最終作『The Bloomsday Dead』です。なんか色々書くこと多くてあっちこっち暴発してしまいそうなのだが、とにかく落ち着いて、きちんと順序だてて この三部作の凄さ、素晴らしさをきっちりと伝えねばとひたすら思うところです。とにかく、前のCal Innesアニキのところでもチラッと言ったが、三部作というのはやはり最後まで読んでみてその真の姿がわかるもの。 そして、そこから翻って、現在進行中のショーン・ダフィ・シリーズというのは…、というあたりまで話は進むのだが、まあ、とにかくはきちんと順序立てて行こう。

あっと、その前にここで一度確認しておきたいのだが、私はこの三部作をDeadトリロジーと延々書いていて、それはそもそも最初に私が読んだ現在絶版になっているSerpent's Tail版にそう書かれていたからなのだが、 現行それのみになっているScribner版ではその名称は使われておらず、ウィキなどを見てもMichael Forsythe Trilogyといった書き方がされている。とりあえず自分としてはその名前で始めてしまったので、そのままDeadトリロジーとして最後まで続けたが、同じものなので混乱のないよう。

というところで、まずはこの三部作のこれまでのストーリーをおさらいしておこう。

【Dead I Well May Be】
1992年、主人公であるベルファストのチンピラMichael Forsytheは、紛争の混乱の中職にあぶれ、アイルランドを離れアメリカに渡り、NYブルックリンのアイルランド系ギャングに加わる。持ち前の才気で組織の中でも頭角を 現わして行くが、それが災いしてか、ボスDarkey Whiteの愛人Bridgetに手を出してしまう。
ギャングのチームメンバーと共に、ドラッグ取引のためメキシコへ渡ったForsythe。だが、それは最初から仕組まれていた罠で、Forsytheと仲間は取引現場で待ち構えていたメキシコ現地の官憲に逮捕され、その地の 刑務所に収監されてしまう。言葉すら通じない地獄のような刑務所の中で、彼はそれが愛人に手を出されたボスからの報復であることを知る。ボスはその体面を保つため、彼のみではなくチーム全体をこの地獄へ送り始末することを謀ったのだ。
脱獄というか細い希望にすがりながら、しかし仲間は一人、また一人と倒れて行く。そして、嵐の夜、遂に二人だけとなってしまったForsytheとScotchyは脱獄へと挑む。だが、Scotchyは鉄条網のフェンスの上で倒れ、 ただ一人フェンスを越えたForsythe。嵐の中、メキシコの荒野を走り続け、意識も朦朧となりながら彼は人里離れた奥地の村へとたどり着く。だが、すでに刑務所の中で靴を奪われ、裸足のまま荒野を駆け逃げてきた 彼の足は、既に救いようのない状態となっており、彼の命を救うためその村で片足首から先を切断される。
そしてForsytheはアメリカへ密入国し、NYに戻る。組織への復讐のために。幹部メンバーを次々と殺害し、遂にボスDarkey Whiteへとたどり着き、復讐を果たす。だがその時、背後からの銃弾がForsytheの腹部を撃ち抜く。 銃を持って立っていたのは、彼が憎むべきボスから救い出したと思っていたBridget。そして、Forsytheはそもそもの始めからBridgetの愛は彼にではなく、Darkeyにあったのだと知る。Bridgetを気絶させ、重傷を負いながらその場を去るForsythe。

【The Dead Yard】
物語は前作『Dead I Well May Be』の4~5年後の1998年、スペインから始まる。
前作の最後、病院へとたどり着いたForsytheだったが、そこで警察に逮捕される。しかし、米国内で活動するアイルランド系ギャングの情報提供者となることで、FBIの保護下、証人保護プログラムに入り、 新しい名前、身分を得ていた。
その後に知り合った舎弟を連れてスペインへバカンスに訪れていたわけなのだが、そこでイギリスとアイルランドのサッカーファン、フーリガンの衝突から発展した暴動にかち合ってしまう。騒ぎを逃れて山岳地帯へと 上った二人だったが、地元住民に逮捕を逃れて逃亡してきた暴徒と疑われ、通報の後逮捕拘留される。
かつて脱獄したメキシコの刑務所に比べれば天国、とのんびり構えていたForsytheの許へ、大使館職員を名乗り、英国情報部のエージェントが現れ、彼にある提案を持ち掛ける。折しも英国とアイルランドの間で 停戦合意の締結が目前まで近づき、ようやくアイルランドに平和がもたらされようという時期。だが、当然それを快く思わない勢力も残っており、特にIRAのコントロールも届かない国外のグループによる暴発が 懸念されていた。しかし、英国情報部としてはそのような情勢で国外のグループにまで対応するには人員も時間も不足している。そこでアイルランド出身でFBIによる人物照会も明らかなForsytheに白羽の矢が立ったというわけだ。 英国情報部に協力し、米国内のIRA分派組織に潜入捜査をすることで、この地における逮捕起訴は取り下げられるよう図ろうというのが、彼らの提案だった。
冗談じゃない、ここで収監されてもせいぜい一年も我慢すれば無事釈放されるだろう。しかもここはメキシコのアレに比べればバカンス気分ぐらいの懲役だ。このくらいで誰がそんな命がけの仕事を引き受けるもんか。 にべもなく断るForsytheだったが、相手も切り札のカードを用意していた。仕方ない、それならば貴方の身柄は指名手配の出ているメキシコへ送られることになるが…?
かくしてForsytheは、英国情報部の臨時協力者として、米国のIRA分派組織への潜入捜査の任に就くこととなる。

というあたりまで前の時に書いたのだけど、実はその辺については後に詳しく書くが、第3部である『The Bloomsday Dead』を読むためには、この『The Dead Yard』の結末を必ずしも知っておく必要はない。 したがってこの『The Dead Yard』についてはわざわざネタバレして未読の人の興を削ぐつもりはないのだけど、まああまりに中途半端なので、もう少し先のあらすじまでは紹介しておく。

Forsytheが潜入することになったのは、米ボストンに根城を持つIRA分派のSons of Cuchulainn。米現地で英国情報部と協力して捜査に当たるFBIの掴んだ情報によると、IRA本部の方針に反対し、独自に事を構えようと しているこのグループのリーダーGerry McCaghanには、粛清のため暗殺者が送り込まれており、その現場に潜り込み、グループに潜り込むきっかけを作るという計画が立てられる。現場となるのはボストンの 彼らのたまり場となっているアイリッシュ・パブ。店ではGerryの娘Kitが手伝いをしており、Forsytheの役割は店にたまたま居合わせ、騒ぎが起こったところでKitを助け、それを足掛かりにグループに近づき、 メンバーの一員となるというもの。
既に店内にも多数の捜査官が配備されており、万が一の危険性もない。そのはずであったが、当局が未確認の暗殺犯が追加されており、即時逮捕の予定が店内に銃弾が飛び交う状況へ。だが、Forsytheはその中でも 何とか任務を果たし、Kitを護り店から連れ出して、自宅へと送り届ける。
その後、偶然を装いKitと再会し、徐々に距離を詰めKitを通じてSons of Cuchulainnの一員に潜り込むことに成功する。
元々少人数であったSons of Cuchulainnだが、この度の暗殺騒動により更にメンバーが脱退、逃亡し、現在残っているのはリーダーGerry McCaghanとその右腕Touched McGuigan、Touchedの部下のJackie O'Neil、あとは 戦闘要員には心許ない娘のKitとGerryの愛人のSoniaの5人。TouchedはGerryと共に危険分子としてIRAから追放される形でアメリカに渡って来た。いざとなれば底知れないほどの残忍さを表す危険人物だ。一方Jackieは Kitの公認のボーイフレンドでもあり、Kitに近付く形でメンバーになったForsytheには当初から反感を抱き、何かにつけ衝突が起きる。
テロリストとは言ってもほぼ家族経営ぐらいの規模の小集団では、行動もそこいらの小規模ギャングと大して変わらず、資金調達のための銀行襲撃、武器調達のための軍の警備のゆるい武器倉庫への侵入など、それほど 上等とも言えない犯罪行為を行って行くグループだったが、Forsytheはその中で持ち前の機転でメンバーからの信頼を得て行き、最初は反目していたJackieにも友情を持って迎えられるようになってくる。
しかし、情報部の連絡担当のミスから築き上げた信頼に陰が差し始め、そしてグループはそのまま大掛かりで危険なテロ行動に動き始めるのだが…。

タイトルのThe Dead Yardはボストンで鉄道時代初期に廃列車の捨て場にされていた荒地と説明されているのだが、調べてみても実在するのかはよくわからなかった。若干調べ方甘かったかもしれんけど。終盤には その死の庭で孤立無援の凄惨な戦いが繰り広げられることとなる。

とまあこのくらいで、ひとまずは今回のメインであるDead三部作最終作『The Bloomsday Dead』に移ろう。

【The Bloomsday Dead】
三部作最終作の『The Bloomsday Dead』は、以前『The Dead Yard』の時に書いた第1作のエピローグの1年後、2004年6月15日から始まる。(実は日にち重要) そのエピローグの中で本編の11年後、L.A.で暮らしていたForsytheは 遂に組織のトップの座に就いたBridgetからの刺客に襲撃される。なんとか撃退したForsytheだったが、またこれから逃亡生活が始まることを思いながら、エピローグは終わる。
そしてその一年後、彼はペルーのリマで、ホテルの警備主任として働いていた。2004年というと、ペルーのフジモリ元大統領が日本に逃亡して匿われていた時期であり、その引き渡しについての日本の外交官が訪れての 非公式折衝がそのホテルで行われる予定などの時事ネタも入ったりもする。
高級スイートルームに陣取る厄介な客への対応を終え、自室に戻ったForsytheは、予定のない二人の客に迎えられる。
銃を持った二人組。一人は9ミリ、もう一人はショットガン。遂にBridgetに居所を突き止められたというわけか。
やがて、一人の持つ携帯が鳴り、応えた男はそれを彼に手渡す。
「Michael」
聞こえてきたのはBridgetの声だ。

「そこにいるのはプロの殺し屋だ。お前をすぐに殺せる。」
「その予定だったがこちらにちょっとした問題が発生した。」
「私の娘がベルファストで失踪した。」
「私の娘を探せ。ベルファストに明るいお前ならばできるはずだ。」

Bridgetに娘?そんな話は初耳だ。「Darkeyの娘なのか?」
「そうだ。名前はSiobhan。11歳になる。」
「今そこで殺されるか、その二人とベルファストに来て私の娘を探すか、二つに一つだ。」

そしてForsytheはその申し出を承諾し、二人の殺し屋と共にアイルランドへ向かう、はずだったのだが、いつもの奴の悪い癖、二人の殺し屋をおちょくりすぎたために、「逃亡しようとしたので殺したことにしちまおう」 ということになってしまいForsytheに銃が向けられる。銃弾をかいくぐり二人の殺し屋を始末し、またしても生き延びたForsythe。だが、もうこの国にはいられなくなった。
FBIの証人プログラム担当官と連絡を取り、部屋での事件のつじつまを合わせたForsytheは、ホテルの警備主任の職を辞し、最速でアメリカへの旅客機に乗る。

JFK空港へ到着したForsythe。だがFBIからの迎えが来るにはまだしばらくかかる。ゲートから一歩出れば刺客が待ち受けているかもしれない。Forsytheは待機エリア内のパブで時間を潰すことにする。
だがそこにもBridgetからの使いが現れる。Bridgetの弁護士を名乗る男。「依頼人があなたともう一度話したいと言っております。」
そして、ベルファストのホテルに滞在するBridgetに電話が繋がる。
「Siobhanを助けて!他にはもうどんな手段も思いつかない。彼女を助けてくれたらもう二度とお前には手出ししないと誓う!」
Bridgetは泣いていた…。
そしてForsytheはダブリンへ向かう旅客機に乗り込む。ああ、なんて俺は馬鹿なんだ。

タイトルの「The Bloomsday」とは、アイルランドの著名な作家、まあ誰でも知ってるジェイムズ・ジョイスの人生を祝う記念日。かの有名な『ユリシーズ』が1904年6月16日に起こった出来事を描いたものであることに 由来し、毎年6月16日にダブリンを中心にお祭り的なイベントが開催されるらしい。そして、この物語でForsytheがダブリンへ向かったのは、リマで襲撃された翌日の2004年6月16日、まさにその100周年の日だったというわけ。
搭乗した旅客機では『ユリシーズ』のペーパーバックが配られ、到着したダブリンはジョイス祭り一色に染まり賑わっていた。

だが、ダブリンに到着した途端、Forsytheに彼を狙う謎の動きが近づき始める。
何故だ?Bridgetは娘を探すために俺を必要としているのではないのか?これは何かの罠なのか?俺を殺すのが目的なら、こんな手の込んだことをしなくてもリマで片付いたはずだ?
追手を躱し、撃退するうちにForsytheは警察にまで追われる破目になってくる。祭りの雑踏に紛れ、女子大生をナンパし、半ば脅迫的に彼女の車に乗り込み、Forsytheはダブリンを脱出し、ベルファストへ向かう。

Bridgetが滞在しているホテルに到着し、12年ぶりに彼女と再会するForsythe。娘を救出するために必死になっているBridget。だが、その一方で現在の彼女の部下にはForsytheの復讐行の過程で葬った者の 縁者も存在し、彼に隠すこともなく憎悪の目を向ける。
ダブリンから自分を狙っていたのは彼らの手の者なのか?口では否定しているが…。
だが、深く考える間もなく、Bridgetに身代金要求の電話がかかり、タイムリミットは迫ってくる。
Forsytheは彼女の娘の行方の手掛かりを求め、二度と踏み入れることはないと思っていた故郷、ベルファストの街へと繰り出して行く…。


かつてベルファストの地を去り、流転を重ねてきたMichael Forsythe、三部作の最終地は故郷ベルファストとなる。
評価がどうのなんてクソもあるものか。とにかくのめり込んで、あー少しでも多く読みたい、でも読み終わっちまうのもったいないぐらいの感じで、ひたすら楽しく読んだわ。
で、この物語には最後に明かされるいくつかの秘密があるのだが(「謎」とか書くとこの国にはびこるナゾトキ厨が寄ってきそうなので書かない)、そのうち一つは読んでるうちにだんだん見当ついてきたのだが、 ある重大なやつはホント最後の最後までわからなかった。あとから考えると、なんでわかんなかったのかなあ、とか思うんだが、多分やっぱり原文でマッキンティ自身の言葉でのめりこんで読んだ、 というところが大きいんだろうなと思うわけ。言っとくがこれは馬鹿げたナゾトキチャレンジを推奨しているわけではない。つーかこれわかんなかったのを恥ずかしいとも全然思わず、むしろ最後の最後のところで やっとわかって、えー、そうだったのか!と驚いてほとんど泣きそうになった自分を誇りたいぐらいだぜ!オレホントに100%楽しんで読めたぜ。うらやましいだろう。あー、これでなんか推測しちゃった人いたら ごめん!なんも考えずに読め!本はいつだって100%楽しんで読んだやつの勝ちだぜ!
なんかこれまで数少ないながらも自分が薦めるような作家の本が翻訳出て、この人は文章が好きなんで原文で読みマース、とかなんだコイツいけすかねえ、ぐらいのこと書いてきたけど、やっぱりこんな感じで これからはマッキンティも原文で読むかな、ということになるかもね。

さてここで、このシリーズがなぜ三部作なのか、ということについて考えて行こう。
既にここまで読んでくればわかったように、今回の第3部『The Bloomsday Dead』は、第1部『Dead I Well May Be』のエピローグから続くという形で始まり、ある意味第1部に直結しているストーリーである。 そして第2部『The Dead Yard』のストーリーは双方の物語とはあまり関係がなく、独立したある種番外編のようなものである。第3部に関しても、第2部の物語の結末などが影響することもなく、冒頭あたりで リマの海岸でサーフィンをしている女の子を見て、第2部のKitを思い出すぐらいしかそちらの物語についての言及もない。 実際、第1部のエピローグ(それは続編発行が決まった後の版で追加されたのかもしれないのだが)を読むと、当初は二部作として構想されていたのではないかと思われる。
では一体なぜこのシリーズは三部作になったのだろうか?
その辺の疑問を持って読み進め、なーんかやっぱ三部作の方がカッコいいからとか、もしかすると当時の出版社の要請とかで三部作にしたんだろうかなどと考え始めていた中盤過ぎ、やや後半ぐらいのところに 答えはあった。

Bridgetの娘、Siobhan誘拐の手掛かりを求め、ベルファストの街を走り回るForsytheが、かかわりがありそうに思える人物に会うためある地点へ向かっていたところ、常にどんよりと曇っていた空に雲の切れ目から陽が差し、 ベルファストではありえないほどの明るい陽光が一瞬街を照らし出す。そこにForsytheは戦火の荒廃から立ち直った現在のベルファストを、そして更にはそこから未来へとつながるベルファストの姿をも 目の当たりにする。ショーン・ダフィ・シリーズでもしばしば見られる、マッキンティお得意の物語の時の流れを一瞬止めるような美しい情景描写だ。
第1部では戦火の混乱の中居場所を失いアイルランドを去ったForsythe。そして12年後故郷に戻り、平和になり復興したベルファストを見るForsythe。これらは作者マッキンティ自身の体験と重なるところも多いのだろう。 そして自身の故郷アイルランド、ベルファストへの想いと物語を重ねた時、彼はその間にとても重要なものがかけていることに気付いたのだ。
それは1998年の停戦合意。
1968年ベルファスト生まれのマッキンティにとって、故郷は常に戦場だった。そしてForsytheと同様に国を出て、おそらくは異国で知った98年の停戦合意はどんなにか感慨深かったろうか。 過去のベルファストと、現在の平和になったベルファスト。それらを書くためには、なんとしても主人公Forsytheをこの停戦合意に立ち会わせなくてはならない!そうしてできたのがこの三部作というわけだ。
主人公Michael Forsytheの物語としては、第1部『Dead I Well May Be』と第3部『The Bloomsday Dead』が本編で、第2部『The Dead Yard』が番外編に見えてしまういささか中途半端な感もある三部作 (もちろん第2部『The Dead Yard』も、さすがマッキンティという感じで単独作品としてみても120%楽しめる傑作であることは言うまでもないが)。しかし、視点を変えて作者マッキンティの自身の半生に重ね合わせた アイルランド ベルファスト三部作として見れば深い意味と納得のいく整合性のある三部作なのだ。

それを踏まえての現在進行中のショーン・ダフィ・シリーズ。
このマッキンティのアイルランド ベルファストへの深い想いを考えれば、このシリーズの80年代のベルファストというのが、単なる風変わりな時代背景設定などでは、決してないということがわかるだろう。
自身とオーバーラップするが、実際には過去のベルファストは舞台としていないDead三部作を完結させた後、作者マッキンティが次にと考えたのは、その戦火の混乱期の過去のベルファストを描くことだったのではないか。 そして、その物語にどんな主人公がいいかと考え、軍隊や武装組織ではなく、事件を捜査するという形でそこから少し離れて状況に関わって行ける警察官を選び、そこからショーン・ダフィというキャラクターが 産まれたのだろう。当時のベルファストといえば、警察と言えどもまともな警察力などは期待できず、頭脳と腕力が頼みというところから、子供の頃に読んだ前々世紀の同様に警察力が低かった時代を舞台とした、 クラシックミステリーの謎解きを味付けに使ってみるのも面白いと考えたのかもしれない。
このシリーズを順番にきちんと読んでいけばわかるように、物語の中のベルファスト情勢は現実に起きたものをモデルにした事件出来事を絡ませながら、その歴史と同様に進行して行っているのがわかるだろう。 恐らくはマッキンティ自身の頭の中には既にこのシリーズの結末もできているのだろう。そして、このショーン・ダフィ・シリーズが完結した時、これがその時期のベルファストを描くために書かれた物語であることは、一層明確に わかることになるはずだ。日本じゃこの後どーなっちまうかわからないダフィ・シリーズだが、これは何が何でも最後まで見届けなければならないシリーズだろう。誰でもそー思うっしょ?異議なし!

そしてここで、もしかしたらその結末のヒントになるのかもしれない、こちらのDead三部作とダフィ・シリーズとの微妙な関係についてちょっと書いておこう。
まず、これは日本でもダフィを読んでる人ならとっくに知っているだろうというのが、ダフィ・シリーズへのForsytheのカメオ出演。第3作『In The Morning I'll Be Gone(邦題:アイル・ビー・ゴーン)』の 前半120ページぐらいのところで、ポン引きから女の子を助けに行ったダフィが出会う酒屋で見張りの店番をしていてあとからショットガンを持って飛び込んでくる少年ガリ坊ミッキー。ダフィに本名を訊かれて マイケル・フォーサイスと答える。
そして、こちらはDead三部作の方で、主人公Forsythe自身は一度も対面することはないのだが、第1部エピローグや、第2部の作中で名前だけが出てくるBridgetの前のアイルランド系ギャングのボス。こいつは 実はSeamus Duffyという。
この人は2002年に78歳で亡くなっていると作中で書かれているので、明らかに歳も違うしあのダフィではないんだが、もしかすっと叔父さんかなんかで、最後アイルランドにいられなくなったショーン・ダフィが アメリカに渡り、つてを頼ってアイルランド系ギャングに入るという展開かも、なんていうのも想像されたりするのですよね。
マッキンティによる遊びの部分もあるんだろうけど、まあこういう気になるところもあるんで、ダフィが好きなら絶対にこちらの三部作も読んでおくべし。いや必読!


というところで一通りこの三部作について言いたいことも終わったのだが、ここでもう一度あの件について書いてちょっとはっきりさせとかなきゃと思う。現在マッキンティのダフィ・シリーズの新作の 刊行が著しく遅れている原因になっている休筆の件である。これについては『ザ・チェーン 連鎖誘拐』の「解説」で出版業界寄生虫杉江松恋が幼稚なウケ狙いで極めていい加減なことを書き、当方も大変憤慨したのだが、 その後、ダフィ・シリーズ第4作『ガン・ストリート・ガール』の翻訳武藤陽生氏のあとがきで、小説では食っていけないので転職したというような形で書かれており、よく調べずに杉江の書いたものを鵜呑みにして更に 勘違いしているのか、それともあんまりでたらめなことを書いたのでフォローしてくれと編集部に頼まれたのかはわからんが、まあもうそれでいいか、と思っていたのだが、なんか知らんけどその後、少し野良レビューとかを 見てみると、別に必要もないのに「かつて困窮して作家を断念しかけた」、というようなことが書かれていたりもするので、ここは一つここだけでも正確なことを書いておかんといかんと思ったものである。
なんかゴシップ好きなのかなんかそういうどうでもいいこと書かなきゃいられない人っているよねえ。なんとなくかつての「スティーヴン・キングはホメホメおじさん」みたいな話にもならない与太が、長いこと 定説みたいになってた土壌って同じもんなんじゃないのかねえ。

最初にはっきりさせておきたいのは、私はマッキンティに本が売れなくて困窮したような時期があるのを、恥ずかしいことだとか思って隠したいとか、粉飾美化して訂正したいなどと思ってこれを書いているわけではない。著名な作家でも多くそういう時期はあり、著者本人もそういうことを恥だとは思っていないものであるし、私もそんなことはなんとも思わん。頑張って出世出来てホントに良かったね、ぐらいのものだ。だが、マッキンティのこのケースについては明らかに事実誤認である。

マッキンティが労働の対価に合わん!として一時作家を廃業したのは2017年。この時のマッキンティがどんな状況にいたかというと、前年2016年にはエドガーのペーパーバック部門にノミネートされ、17年には 同部門賞を受賞した他、アンソニー、バリー賞など各賞を総なめ。英米のみならず世界各国で翻訳が出版されていた。あのさあ、もしかしてエドガーが作家やめようと思うほど売れない作家の作品を掘り出し 脚光を浴びせるような賞だと本気で思ってる?こんな作家が困窮して作家を廃業しようと思うぐらいなら、日本に小説家なんてほとんどいないんじゃない?そして、こんな作家がもし本当に「困窮して作家を断念した」 としたらそれはどこかに責められるべき対象やシステムがあるのは明らかじゃない?

英米ではたとえ作品に一定の人気があっても、有力なエージェントと契約してニューヨークのビッグ5と呼ばれるような大手出版社から作品が発行されている作家と、そうでない作家には天地ほどの収入の差がある。 これはもうこの業界はこうなっているから、と言うしかないようなものになってしまっており、それゆえに米国では作家同士の互助精神が高く、大物作家が新人作家の作品へ積極的に好意的なレビューを 送るような慣習が作られているのだろう。

まあこのくらい書けば、マッキンティの「断筆」が何だったのか察しも付くだろう。これをある種の抗議行動ととるのか、スタントと解釈するのはそれぞれってとこだろう。いずれにしてもマッキンティ自身が これについて詳しく語ることももうないだろうと思う。日本でこうなってると聞いたとしても、困窮して作家を断念?まあそういうことならそれでいいんじゃねえの。とかいうところだろう。まあそんな状況で 私ことセンパイの子分Aが、センパイ、ダメっすよ!そんなこと言ってるとジャパンのちょんまげ野郎やキ○ィちゃんをおんぶしたゲイシャになめられっぱなしっすよ!としゃしゃり出てくどくどと書いてるところなんだが。

いずれにしても事の発端は、いい加減極まりない「ミステリ評論家」野郎が幼稚なウケ狙いで適当な情報を、作家自身の本の解説などというようなところに書いたことからである。本の「解説」などというものが いつから業界寄生虫のお小遣い稼ぎや、いつか原稿溜めてミステリエッセイ集出そうと思ってる作家先生とかのためのフリースペースになったんかね。何度でも言うがまともに書けるやつすら見つからないんなら、 もうこんな悪習廃止すべきだろうが。少なくともハードボイルドジャンルに関しては、初回の作家紹介以外は一切いらんからね!あとさあ、これは早川書房に限ったことじゃなく、このネット時代もう「大本営発表」で押し切れるもんじゃないと認識すべきだろう。

最後にマッキンティ最新情報なのだが、なんともうすぐの本年5月に最新作『The Island』が発売予定。前の『The Chain』がMulholland Booksからだったので、今度もそうかと思っていたのだが、今回はその親会社の Little, Brown and Companyから出ている。そっちの方針転換かはたまたさらにその上のHachetteの都合か。相変わらずダフィ・シリーズの出版予定は不明。マッキンティの最近の単独作はMulholland Books-Little, Brown and Companyなんでそっちからなのかと思っていたのだが、これはもしかしたらウィンズロウが紹介した有力エージェントが、もっと高く売ろうと交渉中が長引いてんのかもね。なんたって現在世界で最も待望されている と言っても全く過言でないシリーズが丸ごと移行するわけやしね。前の『The Chain』だって世界37ヶ国とかで翻訳される鬼ベストセラーなんだし、ダフィの新作なんて出たらどうなるかぐらいのもんだしね。
とりあえずダフィについては気長に待つしかないようで、まあそれまではこの新作『The Island』を楽しみにしよう。日本で出んのかな?出ないのかな?というとこだけど、まあ出たとしても早くて年末ぐらいとか? もっと先?早く読みたいけど、どうしても出ないとか言うことにならない限り、原文で読みマシターえへん、みたいな恥ずかしいことはしないと思うので。まあ日本でも翻訳出るよ。

えーっと、ここで前回の訂正。まああっち書き直すこともあるかと思うけど。待望のS. A. コスビー『Blacktop Wastland(邦題:黒き荒野の果て)』がハーパーから出た件で、ハーパーがMacmillan Booksの系列であるように書いて しまったのですが、私の思い込み勘違いでした。すんません。日本のハーパーの親会社HarperCollinsは、前にも書いた世界の出版業界を支配するニューヨークのビッグ5の一つであり、Macmillan Booksもそれと並ぶ一つで、 系列・上下などの関係はありません。ちなみにビッグ5の残る3つは、Penguin Random House、Simon & Schuster、Hachetteね。
以前ウィンズロウがVintage Crimeが事実上ポシャった後Macmillan Booksに移籍し、 カルテル三部作の最後『ザ・ボーダー』が、日本ではハーパーから出たのでそういうあっちでの版権関係かと思い込んでそのままにしといた、私の不勉強による不始末です。すんません。
怠け者で勉強嫌いの言い訳じゃないんだが、そもそも本をそういったビジネス視点みたいなので見るのが好きじゃないんで、ビッグ5なんてのについても今回ごちゃごちゃしててよくわかんなくなって、仕方なく調べて やっと知ったぐらいだし。まあこれからもあんまりそっち方面でよく考えるつもりもないんで、また間違えると思うんで今のうちからすんません。結局出版社なんて、自分が読みたい本を出してくれるレーベルみたいな もの以外はあんまり気にしていないし、そういう上のところの動向とかウォッチしてみて、うっかり思惑なんかが透けて見えてきてもイラッとするだけやしね。

しかし私の最近のハーパー総取りに関する認識が全くの勉強不足による勘違いだとすると、結局のところは外資にゃ敵わないって話なのか?つまり米国内ではライバル会社でも日本のみ向けの版権については現地に地盤があるそちらの方が有利に交渉取得できるという話?まあ具体的なマネーの話までは分からんけど。こんな翻訳ミステリ右肩下がり続けもはや水面下状況じゃ、既存の国内出版社には 対抗手段の予算もないだろうしねえ。今の状況は、ホロヴィッツみたいにあっちじゃそれほど注目されてない中から日本で売れるのを探すのが精一杯というところなんか。
そんな状況を反映しているのかもしれないのが、先日本屋に行ったら売ってたコレ。『気狂いピエロ』。まあ自分も数知れないぐらい観た好きなやつにしても映画がらみってところは気に入らないが、ライオネル・ホワイトホント何十年ぶりぐらいで翻訳出たのは 喜ぶべきか。新潮文庫ハードボイルド都市伝説、これ上手く行ったら次もと考えてそう。次はホワイト原作の『現金に体を張れ』を復刊とか?意表をついて同じくゴダール映画でパーカー・シリーズのなんかが原作だけど、 あんまり違うんでウェストレイクが怒ってクレジットに名前出すの拒否した『メイド・イン・USA』とか?いやそれは意表をつきすぎ。グーディスとかもそんな感じの未訳ありそうだしね。今の状況、ノワール、クライム ジャンル以外にもそういう事情からのミステリの「過去の名作」みたいなのの掘り起こしが流行りそうだが、一方でランキングみたいのがそういうのに飛びつくお年寄り層で構成されてて、新しいものそっちのけでそちらにばっかり票が入りますます新鮮味の乏しいランキングになりって感じで、双方の悪循環で日本の翻訳ミステリの破滅へのスパイラルが加速しそうな気配。ああもう夢も希望もないっす。

うーん…、今気付いちゃったんだけど、結局こういう業界観測的な話っていうのが色んな部分を、スポーツも政治も同じ温度で語る居酒屋の親爺トークレベルに引き下げちゃうんだよね。情報でマウントを取る各種オタク コミュニティなんてモロにその典型じゃん。そもそもこっちはこういうすげー作家がいるんで読んでください!、とかこの作品はこういうところがこんなにすごいんだバカヤロー!、とかやりたいだけなんだし。結局のところは 本質的にはどうでもいいしもう終わってる日本での翻訳みたいなのを考えようとするからこういうことになっちゃうんだよな。いいの出たら売れて欲しいから推すけど、もうその辺について深く考えるのはやめよう。 別に勘違いで恥をかいたから都合のいい撤退方法考えてると思うんならそれでもいいっす。期待のマッキンティ『The Island』が日本で翻訳されんのか、どこから出るのかなんてもうどうでもいいです。 ただ、出るにしろ出ないにしろ、マッキンティだけはちゃんと追っかけてないと、確実に世界のミステリ状況から取り残されちゃうだけだよ。まあそれでもいいとういう「専門家」も多そうだけどねえ。


大変申し訳ない。なんだかんだでずいぶん間が空いてしまった戸梶圭太先生最新作情報です。こちらが色々とへこたれてブログもサボってる間に、先生の方は大変精力的に次々と作品を発表されております。 昨年11月に出た『夫婦のはらわた』以降は新刊情報も満足に書けてないし…。その後本年2月には『天国にいけない蟲』を出版。そうして3月から開始されたのがこちらの中編コメディシリーズ『多元宇宙りんご町』シリーズ なのです!3月29日に第1巻が発売され、既に4月29日には第2巻も出版!今回はダークなクライム、ホラー傾向ではなく、コメディに徹したシリーズということです。なんかこれまでの作品に登場したキャラクターなども 登場するということもツィッターで言われていた気がするのだけど、ちょっとはっきりしたところは忘れてしまいました。ごめん。せっかくシリーズなのだからちゃんと追って行きたいと思っているのだが、 また1巻も開いていないうちに先生のスピードに負けてしまった…。
こちらの読書状況ははやっと『5Gマンを殺せ』を読んだぐらいで、何とか読んだもんだけでも書かなければ、と思っているのだがどうにもままならず本当に申し訳ないっす。南米B国を舞台にした負け犬ダメ人間たちと 狂人達が繰り広げる負の連鎖カタストロフ脱力バイオレンスアクション!素晴らしい!ああもっと戸梶作品を摂取せねば!その他に読んだけど書けていないものとしては、未来の健全な子供の育成のために大人のダメさを 暴露しつつ、最後はほんわか終わる優良児童小説『忘れ死神ぴよ』。様々な事情でぶっ壊れかけたルーザーたちがぶっ壊れかけたタワー駐車場で立体脱力バトルを繰り広げる『シュレッドタワーと哀しい人たち』。 戸梶作品新作をズラっと並べられるのは本当に喜ばしいことですが、見てるだけじゃなくてちゃんと読めよ、という話。とりあえず最新作『多元宇宙りんご町』シリーズはちゃんと追ってちゃんと書くつもりです。 いや、ホント、今度こそ…。


昨年末からかかっていたマッキンティDeadトリロジー第3作『The Bloomsday Dead』なんとか完了しました。なんか一時期はもうこれ出来ないんじゃないかと思ったりもしたけど。いや、まあ一番へこんでた時期に 開いてみて、全く続きを書く気が起きなかったぐらいのもんだけど。なんにしても、とりあえず中断地点までは戻ったのでここからまた先に進めるっしょ。まだやろうと思ってることは山積みだしね。ずいぶん昔に こちらと同様に、やる!と宣言しておりましたCal Innes四部作についてもなるべく早急にやるつもりではおりますので。まあとりあえずまたボチボチ頑張るです。ではまた。


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