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2017年8月5日土曜日

Rob Davis / The Motherless Oven -2015年British Comic Awards、Best Book賞受賞作!-

『未来世紀ブラジル』という映画を批判しているつもりではないのだろうけど、わけのわからない映画、というような言い方をする人がいて、それについてはちょっと違うんじゃないかなあ、と以前から思っています。あの映画は登場人物は我々と変わらない人間なのだけど、明らかにこの世界とは違う世界に住んでいて(20世紀の地球のどこか、と説明されてはいるが)、ちょっと違うルールで生きているのだけど、どういう理由で世界がそんな風に変わっているのか、というような我々の住む世界との関係が示されていない。でもストーリーの方はいたって明快で、現実の部分と幻覚だったり夢だったりする部分ははっきり分けられていて、そこが混乱したつじつまの合わないシュールなものというわけではない。つまりわけがわからないと言われてしまう部分は、実は我々の住んでいる世界と物語の中の世界の関係性だけで、とりあえずはそこを無理につじつまの合うものにしようと考えなければ、全くわけのわからない映画などではないわけです。今回のイギリスSelfMadeHero発行のRob Davis作のコミック『The Motherless Oven』もそういう物語です。

舞台となっている風景は、多分イギリスの郊外ぐらいの普通の町なのでしょう。主人公はScarper Leeという少年。なんか常に胃の具合でも悪いような表情の、ギョロ目の特に美形でもない少年。そこらにいそうな主人公に、そこらにありそうな風景。だがこの世界は我々の世界とはずいぶん違っている。まずScarperの両親は彼と全く姿が違っている。彼の母親は、一応人間の形だけを示すように作られた手足や頭のある抽象的なオブジェのよう。父親に至っては全く人間の形とはかけ離れた巨大な機械のようで、現在は少し精神を病んでいるようで、勝手に外出しないよう納屋に鎖でつながれている。彼の両親は特別なわけではなく、この世界の子供たちの両親は大体同じような組み合わせになっているようである。彼の世界では台所のタイマーのような小さい機械が生き物のように話し、それらは「神」と呼ばれている。ただし、住人や他の「神」と会話をしたりするわけでなく、勝手に喋るだけである。テレビやラジオといったものはないが、毎日曜日の「Wheel」(輪と訳すべきか車輪と訳すべきか?)というものを観るのが習慣になっている。半ば啓示半ば娯楽なのだろうか、という感じで毎日Scarperはこれを観ているようだ。作品内の一日の始まりになるページで黒い背景の上に(この作品は白黒)同じモチーフを繰り返す宗教/呪術的な工芸品のような輪として描かれ、啓示的にも見える文章が白字で書かれている。昔の箱型のテレビのようなものの前でこれを観ている場面も描かれるが、具体的にどう表示されているかは描かれない。

そしてこの奇妙な世界では子供たちの死ぬ日が定められている。それぞれに決められたその日までは何があっても死ぬことはないが、その日には確実に人生が終わる。そしてこの主人公の少年Scarperの寿命はあと3週間になっている。

この世界の気候は基本的には我々の世界とそれほど変わっていないのだが、時折ナイフが降る。その時刻はあらかじめ告げられ、住民たちは家から外に出ない。
そしてそんなナイフの降る夜からこの物語は始まる。

Scarperは居間で水曜日のWheelを見ている。傍らでは校医から渡されたGazetteが彼の少し前の言葉を繰り返している。彼の言葉を繰り返し、録音しているらしい花瓶のような形の物。死期が近づいた子供に渡されるらしい。そして玄関のチャイムが鳴る。Ding Dong

母親に促され、玄関のドアを開けるScarper。そこにテーブルを傘にしてナイフの雨の中立っていたのは、最近Scarperの学校に転入してきた少女Vera Pikeだった。

Veraは転校初日からその常に薄笑いを浮かべた挑発的な態度でScarperやその親友Peterのグループから反感を買っていた。Scarperの父親が町で一番巨大だと聞きつけ、そのうち見に行く、と言っていたのが、このナイフの降る夜に現れたというわけだ。
ナイフの降る中追い返すわけにもいかず、彼女を家に入れるScarper。そして納屋で鎖につながれたまま眠る巨大な機械の父親を見せる。

やがてVeraは学校内で事件を起こし、問題児のクラスに編入される。しかし、自由時間になると現れ、死期の迫るScarperに何かとちょっかいをかけてくる。やがてVeraは自分のクラスで知り合ったCastroという少年を連れて歩くようになる。Castroは"Medicated Inference Syndrome"により耳にダイアルのついた機械を着けていて、普段は感情のないような少年なのだけど、そのダイアルを動かすと何かが壊れたようになり喋り方もおかしくなる。というよりは時々そういうヤバい状態になるとそのダイアルで調整してまともな状態を保っているらしい。そして彼には前述の台所のタイマーのような「神」を修理する能力があり、ScarperはそんなCastroに興味を持ち始める。

その数日後、突然Scarperの父親が納屋から失踪する。
そして、ScarperはVeraにそそのかされるようにCastroを加えた3人で学校を脱出して、父親探しの旅に出かける…。



彼らの通う学校は、日本と同じように制服を着たイギリスの公立学校のようだが、授業時間中は生徒が学校から抜け出さないように校庭にライオンが放たれていたりもします。3人は昼休み直後の隙を見計らいかなり危険を冒して学校から脱出することになります。そして所々で情報を集めながら、Scarperの父親が向かったと思われる"Motherless Oven"を目指し、夜は屋根の上とかで寝たりしながら徒歩で進んで行きます。そしてScarperの死ぬ日も刻一刻と迫ってくる。果たしてScarperと奇妙な友人たちの運命は如何に?

なんとも奇妙な世界の物語なのだけど、そこに生きる人にとっては当たり前の世界で、そのルールに沿って生きているわけで、そしてその世界で押し付けられた運命に立ち向かう少年少女の姿は、我々のこの世界でのものと同様に胸を打つものである。本当に素晴らしい作品でした。何とか自力でこんな作品にたどり着ける時代になって本当に良かったなあと思うのですよ。

ちょっと最初に話を振った感じなのだけど、近年の日本ではなんだかちょっとでもわからないような作品に対し、あたかも自分の頭の悪さに対する攻撃とでもみなすような感じで、過剰に攻撃するような傾向があってやな感じである。例えばゴダールの映画が分かりやすいストーリーを構成していないから、自己満足と決めつけて自己満足に浸ってるようなヤツ。結局のところは「この○○は○○を表現している」みたいな回答欄に書くような明確な一つだけの答えがあるという思い込みによる前提で、こ奴らは本当は俺と同じくらい頭が悪いのにかっこつけてわざと難しくしているみたいな思い込み。そんなわけないじゃん。結局はまあ主に団塊世代あたりのより難しいものをより難しい言葉を使ってより難しく「解釈」するのがカッコイイみたいなのに対する反動から起こっているのだろう(例:チャーリー・パーカーは難解である。)。無意味に難しい言葉で語ろうとする輩をバカにするのは結構だし、そんなものが幅を利かせる時代も終わっているのだけど、まだ「解釈」するのはカッコイイみたいな考え方だけは残っていて、それで前述のゴダール自己満足みたいな「解釈」をして「おおさまははだかだ」みたいなことを言ってるつもりになっているのが跋扈しているというわけなのである。まあまたこんなことを延々と本文より長く書いてしまうのもなんだし、こんなところまで来てくれてる人には自明の事とは思うのだけど、やっぱすごい不満だったりするのでちょいと愚痴みたいな感じで書かせてもらいました。あと最後に一つだけ言わせてもらうと、世間ではゆとり世代みたいなのをいくらでもバカにしていいような風潮になってるのに、なんでマンガ、小説、映画、絵画、音楽、その他諸々の創作物に関しては一番頭の悪いラインに合わせて、円周率を3で鑑賞しなきゃならないわけ?皆さんもそう思うっしょ?

私自身に関しては、ゴダール映画の多くについては「解釈」も説明もできんけど、少なくとも常に何か画面から目をそらさせないようなものがあって、とても全部観てるというようなものではないけど、多くは好きで繰り返し観ている。でも『去年マリエンバートで』はなんかのめりこめないものがあってそんなに好きじゃない。あとカッツィ3部作は解説されてるようなテーマに沿って観るのは面倒だけど、観てると純粋にある種の快感があるのでとても好きである。とかその程度。で、この『The Motherless Oven』を目の前で開かれて、このナイフが降るというのはどういう意味があるのだ、と問い詰められたら、そいつの顔面にパンチをくれてとっとと逃げる。知らねーよそんなの。でもどうでしょうか?上のVeraがテーブルを傘にしてナイフの雨の中立っている画像(申し遅れましたが今回の画像はすべてSelfMadeHeroのウェブサイトのプレビューからお借りしております。)。この素晴らしいワンカットを見てこんなマンガぜひ読んでみたいと思った人も多いのでは?コミック=マンガというのはまず画なのだ。そこに難解だったり哲学的だったりする意味が含まれていれば価値があるのではなく、意味など把握できなくても心惹かれる画があればそれで読むべき価値はあるのだ。もしかするとRob Davis本人に聞けば、それぞれの意味を場合によってはフロイト/ユングなんかも引き合いに出して説明するかもしれない。だが、繰り返すがコミック=マンガはまず画なのだ。このナイフの雨の中テーブルを傘にして立ってる少女という鮮烈なイメージが頭に浮かび、そこから話を拡げて作品を作り上げた、ってことだって十分にありうるし、それだって作品の価値は全く変わらないのだ。私は見たこともない不思議なものが好きだ。この作品はそうした不可思議なもので満ちている。そしてそこにはそんな世界で生きる少年少女の冒険物語があるのだ。こんな作品が素晴らしくないわけがない。たとえ「解釈」も説明もできなくても私はこの作品を心から楽しく読んだのだ。それでいいんじゃないの?本当にこんな作品に出会えてよかったと思うのですよ。

そして更に、この作品実は3部作になるそうなのであります。そしてその第2部『The Can Opener’s Daughter』は今年2月に既に発売されており、こちらは今作に登場した謎の多い少女Veraの物語となっているそうです。大変楽しみで早く読まねばと思っているところ。今作後半では、この奇妙な世界に何かの秘密があることの片鱗がほのめかされているようにも思う。もしかしたら3部作の最後にはその秘密が明かされるのかもしれない。しかし、例えば前述のこういうものをまず訳が分からない、ととらえるような人たちはその秘密が明かされることによって物語が完結すると考えがちだが、必ずしもそういうものであるわけではない。要は物語がそこに向かって描かれているかということなのだけど、それも大抵は最後になってみないと分からなかったりするものである。その秘密が明かされることもあるだろうし、曖昧なまま終わるという可能性もある。しかし、もしそれが完全に明かされたとしても、それが作品の「答え」というわけではなく、そしてその内容によってのみ作品全体の価値が判断されるというものではない。くどくどと回りくどく何を言ってるかというと、例えばこれが最後に未来の荒廃した世界かどこかへ向かう宇宙船で冷凍されている人たちが共通で見せられてる夢でした、とかいうことになると、自分の知ってるやつだからああそれね、と途端に高飛車になって雑に感想言い始める類いに釘を刺してんだよ。この第1作が大変優れた作品であるという私の感想は確定しており、それはもう揺るぐことはない。これに続きがあることを心から喜び、次の作品を読むのを楽しみにするだけである。



作者Rob Davisは1990年代からまず自費出版からコミックの世界に入り、2000ADやDoctor Who Magazineなどでも仕事をしていたそうです。そして2011年に後にアイズナー賞にもノミネートされる『Don Quixote(Volume1)』を発表。あ、ちなみに今回の『The Motherless Oven』も同賞にノミネートされています。『Don Quixote』は2011年にVolume1、2013年にVolume2がSelfMadeHeroから出版され、のちに『The Complete Don Quixote』としてまとめられています。その後、2014年に発表されたのが今作『The Motherless Oven』で、最新作が前述の『The Can Opener’s Daughter』となっています。
版元SelfMadeHeroについてはパブリッシャーとしての規模など、結局よくわかっていないのだけど、出版形態としてはグラフィックノベル中心のようで、かのIan Edginton/I.N.J. Culbardコンビによるシャーロック・ホームズ・シリーズやI.N.J. Culbardのラブクラフト作品なども出版しているところです。他にも色々と魅力的な作品は多そうなのだが、ちょっと作者、作品などを挙げられるところまでたどり着いていないところで申し訳ない。とにかくイギリスのコミック・シーンの中では欠かすことのできない存在であるのは確かでしょう。

そしてこの作品、タイトルにも挙げました通り2015年のBritish Comic Awards、Best Bookを受賞しております。同年Best Comocを受賞してるのはAvery HillからのTim Bird「Grey Area: From the City to the Sea」。(ちなみに大雑把に言うと、Best Bookが長編、Best Comicが短編への賞らしい。)こちらのGrey Areaシリーズも観察コミックというようなジャンルの素晴らしい作品で、近いうちにこちらに書くつもりです。というか、単行本の最初のを割と早く読んでしまったのだが、こんなにいいのをあまり早く読むのはもったいないといつもの病気が出て止まっていてしまっていたりするのだが…。と、いずれも優れた作品に光を当て、イギリス・コミックの実力を示してくれている素晴らしい賞なのだが、実はこの2015年を最後にストップしてしまっているのだ…。なんでもこの賞、しばらく休眠状態にあったものをイギリスのコミック作家Adam Cadwellが中心となり、2011年に復活させたものらしいのだが、ボランティア的な活動にも限界が来て、昨年からは受賞作を選出できなくなってしまっているそうです。大変残念なことです。しかし、つい先日イギリスのコミック・ニュース・サイトBroken FrontierにAvery Hillの Ricky Millerが「Why We Still Need a British Comic Awards – Avery Hill Publishing’s Ricky Miller Discusses the Lack of UK Awards Recognition and Just Why They Are so Vital to the Industry」という一文を発表し、British Comic Awardsの必要性を強く訴え、こちらにはあの2000ADや、英国コミックを代表するパブリッシャーの一つであるMyriad Editions、新進気鋭のGood Comicsからも賛同のコメントが寄せられています。私としてもいくら距離は近くなったと言ってもやはり遠いイギリス、沢山出版されどれも面白そうなものからどれを読めばいいかの手掛かりもなかなか見つからず、こういう賞が無ければこんな優れた作品でもなかなか出会えなかったかもしれない。British Comic Awardsには本当に感謝しており、何とか復活してもらえないものかと心から願う者の一人であります。

Broken Frontier : Why We Still Need a British Comic Awards – Avery Hill Publishing’s Ricky Miller Discusses the Lack of UK Awards Recognition and Just Why They Are so Vital to the Industry

今回はイギリスのコミックの話だし、Avery Hillの名前も出たのでついでにお知らせ。あのTillie Waldenさんの最新作『Spinning』(2017年9月12日発売予定)の予約がすでに始まっております!なんとこちらは現在KIndleでプレビューも出ております。Tillie Waldenのこれまでの作品の中でも最長のものになるということで、彼女の初期の代表作にもなるかもしれない重要作!まだの人はただちに予約すべし!あ…あんまり増えるとワシんとこに届かなくなるかもしれんのでほどほどに…。もはや世界注目だからなあ。なんだか以前はあんまり時間のないところであまりの感動に衝動的にちょっと雑に書いてしまったのだが、次はもっとちゃんとやるよ!ああ、でももったいなくてまだ読んでない前の作品も…。


夏バテでしゅ…。今回はなんだか最低限意味を成すぐらいに文章を構成できる気がしなくて寝ちゃった日も多かった気もする。まあいつもながらオレだけに通じるオレ語で書いてる私ですがね。色々と考えていることを書こうと思うとちゃんと週1でやらなければ追いつかないのだが、最低限の隔週もクリアできず…。しかしまあ以前に比べて1回の文章も長くなってるしね。このブログも3年を超えて老齢化しているので、年寄りの長話になるのもやむを得ないとこなのでしょう。年寄りを本当に若返らせる方法と警官にさよならを言う方法はいまだに見つかっておらんのだよ。まあ今回は随所に色々と余計なことを書いてしまったのですが、コミックの方ではあんまりやらないようにしようとは思っているので気を付けるよ。今回に関しては色々やっちまったので、もう一つついでに付け加えさせてもらえば、もしかしてこういう作品を取り上げたことでコイツ「芸術」に走り始めた、などと思う向きがいるようならはっきり言っとくが、所詮エンタテインメントが「芸術」より上だなんて思ってる奴は、「芸術」がエンタテインメントより偉いと思ってる奴と同じレベルのアホなんだよっ!思い知れっ!

Rob Davisホームページ/Dinlos and Skilldos

SelfMadeHero


British Comic Awards



●Rob Davis




●Tillie Walden最新作、まもなく発売!


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