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2024年12月26日木曜日

James Carlos Blake / The House of Wolfe -Wolfeファミリー・シリーズ第2作!-

今回はジェイムズ・カルロス・ブレイクの『The House of Wolfe』。2015年に出版されたWolfe Familyシリーズの第2作です。

Wolfe Familyシリーズについては、以前#0『Country of the Bad Wolfes』と#1『The Rules of Wolfe』を一度にやったのだけど、今作はその#1に続く2作目。なんか現在英国No Exit Press版ではこれがThe Wolfe Series Book 3とかになっていて ちょっとややこしいのだが。
#0『Country of the Bad Wolfes』では19世紀に遡るWolfe一族の百年に亘る歴史が、メキシコ革命の始まりぐらいまで描かれ、そこから一気に100年ぐらい飛んで、21世紀初頭から始まるのが本編Wolfeファミリーシリーズとなっている。
国境であるリオ・グランデ川をはさんだ両岸に拠点を持ち、その歴史を通じメキシコへの武器密輸の最大供給元となりながら、両国の表社会でも裏社会でもその正体を隠しながら存在し続けるWolfe一族。一族の者のみが関わるそのビジネスには、 大学教育まで進み、学士号を取った者しかそれに携わることができないという厳しい掟があった。ファミリーの中でもその能力実力を認められながら、その掟のためビジネスに加われないことに不満を持つEddie Gatoは、独断でファミリーを 抜け出し、メキシコの麻薬カルテルに正体を隠したまま最下級兵士として加わる。だが、そのボスが囲っている美しい女性と恋仲になり、組織から逃亡し決死の国境越えでアメリカの地を目指す、というのが#1『The Rules of Wolfe』の ストーリー。
第1作では主にメキシコの辺境、荒野、砂漠地帯が描かれたが、この第2作では一転し、首都メキシコシティが舞台となる。第1作では断片的にのみ語られた、まだ謎の多い百年後のWolfe一族だが、今作ではそれらがどの程度明かされるのか? Wolfeファミリーシリーズ、第2作『The House of Wolfe』!


■The House of Wolfe


Wolfe Landing, Texas
物語はWolfe一族のアメリカの拠点、テキサス Wolfe Landingから、前作同様そのメンバーであるRudyの一人称で始まる。前作もそうだったが今作も一人称の語りがあるのはこのRudyだけで、他はそれぞれ違う人物の視点であっても、 常に三人称で記述される。まだ2作だけど、とりあえずブレイクが決めたこのシリーズのスタイルのよう。
Wolfe Landingの酒場であるDoghouseの、少し閑散とした日曜の晩の様子から。Rudyは酒場の主人で従兄弟であるCharlie FortuneとEddie Gatoと共にカウンターでブラックジャックをやり、横のテーブルには彼の兄Frankと常連であるProfessorが座って バーメイドのLilaが給仕している。ちなみにEddie Gatoは前作の最後に無事にアメリカに戻った後は、ちゃんと掟に従い大学を卒業し、現在はファミリービジネスに加わっている。
昼間から降り始めた小雨が夜になっても続き、日曜の夜とあっては店内は閑散としている。彼らの土地であるWolfe Landingは、先に続くところのない行き止まりであり、道を間違えた旅行者でもなければそうそう人の来る場所ではない。とはいえ、 土曜の夜のDoghouseサパースペシャルには近隣ブラウンズヴィルの常連たちが名物のシーフードガンボやバーベキューリブのために大勢詰めかけるのだが。
Charlieが勝ち、テーブルの掛け金をかき集める。Eddieがトイレに立ち、Lilaが代わりに入りゲームが続けられる。そこで店の入り口に二人の男が現れる。

「両手を頭の上に置け!全員だ!」メキシコなまりの声が命ずる。
二人の黒いスキーマスクを被った男。濡れた服。一人は中背、もう一人は小柄。二人ともに銃身を切ったショットガンを手にしている。雨の音で誰も連中がやって来た音に気付かなかった。
RudyはEddieがトイレの出口、彼らの視界外に一瞬現れ、すぐに姿を消したのを見止める。
店の中の者たちは二人の言うとおりに、カウンターの前に集められる。
一人がCharlieに近付き、言う。「お前がボスだな」
「金庫はどこだ?ごまかすなよ。金庫があるのは分かってるんだ」

Charlieは肘で後ろのドアを指す。「事務所だ」
二人が気を取られた隙に、表のドアからEddieが両手に銃を構え忍び込んでくる。強盗犯の入来を容易にしたのと同じ雨音に紛れ、一気に彼らの後ろまで近づく。
「お邪魔しますよ」いたって普通の口調で、Eddieがスペイン語で告げる。

男たちが振り向き、ショットガンの銃口が逸れる。Rudyが床に伏せ、FrankがProfessorをスツールから突き飛ばし、CharlieがLilaをカウンターの後ろに引っ張る。
そして拳銃とショットガンの発射音が同時に響く。
その間、約2秒。
Rudyが目を上げると、Eddieが強盗犯の一人にかがみこみ、心臓の1インチ上で銃を撃ちとどめを刺していた。うつぶせに倒れたもう一人も背中から同様に。
常に確実に仕留める。昔ながらのルールだ。

強盗犯の顔にも、財布の中の免許証からの身許にも覚えはなかった。奥まった地にあるこの店が狙いやすしと見た犯行なのだろう。
問題なく合法的に処理できる事件だが、それにより人目を引くことは何よりも彼らが嫌うことだ。
店の掃除はLilaとProfessorに任せ、CharliとRudy、Frank、Eddieは死体を運び出し、着衣と持ち物を処分した後、トラックに積み込む。
トラックは闇夜の中を進み、やがて開けた河岸へと着く。
二人掛かりでそれぞれ二つの死体を川に放り込む。暗闇の中でしばらく待つと、水音が響き始める。
ここには19世紀に彼ら一族がこの地に落ち着いて以来何かと役に立ってくれるワニ達が住み着いている。朝には骨の欠片ぐらいしか見つからなくなっているだろう。

店に戻ったのは夜中の一時ごろ。掃除もすっかり終わっていた。Charlieがそれぞれに一杯奢る。そして、LilaとProfessorは帰って行く。
Charlieに促され、全員が帰ろうとドアに向かった時に、電話が鳴る。
こんな時間に誰だ、と無視しようとするが、Lilaが忘れ物でもしたのかもな、とEddieが近づき受話器を取る。
Lilaだと思って取った彼の顔からにやけが消える。「どなた?」
「俺は帰ったと言え。切れよ」Charlieが言う。
「それは…、いえ、申し訳ありません。声を存じ上げていなかったもので」Eddieが電話に向かって言う。「Eddieです。Eddie Gatoです。…はいっ、彼ならここにいます」
Eddieは送話口を押さえ、受話器をCharlieに向かって差し出しながら言う。「Harry Mackからだ」

Harry McElroy Wolfeは、Wolfe一族の三人の長の中でも最年長にして、テキサスファミリーのヘッドだ。そして、Charlieの父でもある。
彼が店の電話に掛けてくるようなことはない。Charlieに連絡を取りたければ、大抵携帯に掛けるし、それを取れない時にはメッセージを残す。
恐らくは既にそちらには掛け、メッセージを残したのだろう。それでもなお、店の電話に深夜一時半に掛けて来るというのは、ただならぬ事態が起こったということだ。

Charlieは父であってもヘッドであるHarry Mackには常に敬語で話す。時折「はい」と「そうです」と答えるのみでCharlieは電話に耳を傾ける。
そして最後に「わかりました。着替えてパスポートを用意するだけです。一時間以内にそちらに着きます」と話し、挨拶の後電話を切る。
そして待つ三人に向かって言う。
「Jessieが攫われた」

序盤約20ページのプロローグ部分は、前作同様にWolfe一族のやり方、というものが示され、それに続き本作のメインストーリーとなる一族の一人であるJessieがメキシコで誘拐されたことが告げられる。
その先は、その中がさらに短い章に分かれたⅠ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳの四部で構成され、最後に短いエピローグが入るという構成。
大筋としては、メキシコシティに住む名家富豪一家同士の結婚式が行われ、そこで身代金目当ての誘拐事件が企まれ、家族の友人として花嫁の付き添い役として参加していたJessieが巻き込まれ、誘拐犯に捕らわれ、危機に陥るというもの。


なんか色々悩んだのだけど、この作品、特にこの第1部に関しては、上から順番に書いて行くという方法ではかなり冗長になる上にわかりにくくなるかと思う。理由としてはこのパートが主に誘拐犯たちの視点による犯罪小説形式で書かれており、 その詳しい理由などをそこでは書かないまま、手順に沿った行動を積み重ねて行くという形になっているから。
ゆえに結構予め整理した感じのあらすじとなってしまうことを、ご了承いただきたい。国産物や翻訳されたものと違い、現物との距離がある原書を紹介する上では、なるべく実際に読んだ感触と近い形で説明するのを心掛けているのだが、 やっぱ時々こういう風に難しくなったりするのだよな。

まずこの誘拐事件は、本来それらの脅威から護るのが仕事の警備会社のトップであるJaime Huertaにより企てられている。自身が立ち上げた警備会社で実績と信用を積み重ね、こういった重要人物から仕事を依頼されるまでに昇り詰めたHurrtaだが、 この大富豪両家から大金を奪い取れる結婚式というチャンスに、少年時代からの友人で、現在は少数精鋭のギャング団のリーダーとなっているGalanに計画を持ち掛け、この誘拐計画が実行されることとなる。
第1部は、Belmonte家とDemetrio家との結婚記念パーティーが行われているBelmonte家の屋敷に、警備全般を担当するAngeles de Guardaの社長であるJaime Huertaが二人の男を伴って現れるというところから始まる。この二人はGalanのギャング団の メンバーであり、まずは屋敷の警備を気付かれないままに元々の自分の部下から誘拐計画実行のためのギャング団に入れ替えて行く。
屋敷でのパーティーがひと段落し、花嫁花婿と家族は別の場所で行われる二次会のために車に分乗して向かうこととなる。花嫁の付き添い役であるJessieも、その車に乗る。既に運転手はギャング団に入れ替わっており、理由を付けて予定のルートから外れ、 人気のない場所へと花嫁花婿、兄弟たちが乗った車を進め、そこで誘拐が実行される。
誘拐の手段としては、総勢10名になる両家の子息を二つのグループに分け、それぞれ別の場所に監禁し、両家それぞれに同額の身代金を要求し、それが支払われた後グループごとに解放するというもの。別の車に乗っていた両家の両親たちも、 同様の人気のない場所へ連れて行かれ、それらの説明をされた後、誘拐団の厳重な監視の元Belmonteの屋敷に帰される。
そして、まだ屋敷に残っていたJessieの招待客として招かれていた、彼女と同年代で仲の良い従姉妹でありメキシコ側Wolfeファミリーの一員であるRayo Luna Wolfeが、両親たちの不審な様子からドアの外で聞き耳を立て事態を察知し、 それがテキサス側のファミリーにも伝えられるところとなる。

第1部に関しては、主にギャング団サイドと、そこから自力で脱出を図るJessieからの視点により進められて行く。


短い第2部は、Wolfeファミリーサイドとして、Rudyの一人称のみで語られる。
Rudyはarry Mackからの報せの後、Charlieと共にメキシコシティへ向かう。そしてメキシコ側の組織Jaguarosの作戦行動のトップで、テキサス側のCharlieと同じポジションであるRodrigo Alvaro Wolfe、事件を察知し連絡したRayoらと会う。
第2部で描かれるのは、Rudyの目から見たこれから事件に対応するメキシコ側の態勢といったところが主だが、後半ではJessieの生い立ち、キャラクターや、ある事情で両親を失って以来Jessieの親代わりとして彼女を後見してきたCharlieの 思いなどが語られる。

大体この辺までで全体の半分ぐらい。続くⅢでは誘拐の翌日、身代金受け渡しのための動きが始まって行く。
指示された通り、翌朝身代金を用意するため屋敷を出る両家の父親。問題が起こらないようにそれぞれを監視のため尾行する誘拐団の男たちの車。
そして更に、メキシコ側のWolfeファミリーメンバーと、Rudy、Charlieが、それらに悟られないよう密かに監視し始める…。


誘拐物といえば、エド・マクベインの名作『キングの身代金』が思い起こされる、というのがワンパターン、定番、テンプレートだが、まず言っとくとこの作品ではそれ思い起こしちゃダメ。
なぜかと言えば、そういった従来の誘拐物では、誘拐犯⇔誘拐された者の家族、捜査する側という関係で描かれ、場合によっては前者はほとんど描かれず、後者のみの視点ということも多い。だがこの作品では、誘拐された家族の側、富豪両家の両親たちの 描写は極めて少なく、特に第1部に関しては、いかにして誘拐犯たちが自分達の計画をスムーズに完遂させるかという方向の犯罪小説といった様相になっている。ここで誘拐物といえば云々を思い起こしていると、読んでいる側がモラル的な違和感に 捕らわれてしまい、話について行けなくなってくる場合もあるだろうということ。実際のところ、自分もややその傾向に嵌まりかけたし。
ではなぜこの作品はそんなことになっているのか?
まず作中で明確に告げられる誘拐犯側の思惑。この誘拐を計画通りに進め、大金をせしめ、人質は無事に返す。それが最も後の捜査追及からも逃れやすい形だ。
そして、この中で第三の局となるWolfeファミリーの考え。とにかくJessieが無事に戻ることが最優先。そのためには、まず誘拐が問題なく成功し、人質が無事に返されることが望ましい。だが、犯人の実態がわからない以上、人質が無事に返される 保証はなく、そのために犯人を突き止め、事態の推移を慎重に見守る必要がある。ちなみに付け加えれば、メキシコの表と裏に強力なネットワークを張り巡らせるWolfeファミリーゆえ、後に犯人を突き止め報復を加えることはできるという考えもその背景にはある。 第1作『The Rules of Wolfe』の最後では、Eddieの敵となった麻薬カルテルを、後に極秘裏に壊滅させる経緯が簡単に描かれていたりする。
以上の二つの物語の方向性から、この作品は従来の思い起こされる系の「いかにして人質を安全に救い、犯人を突き止めるか」ではなく、「いかにして誘拐計画を成功させるか」という犯罪小説寄りの物となっているわけだ。
そしてこういった方向の話で最悪の結果となるのは、誘拐計画が破綻すること。それは人質が全員殺されるという可能性に繋がる。そして犯罪小説の常のように、完璧に見えたこの犯罪計画も、次第にあちこちから綻び始めて行くこととなる…。

前は多分#0『Country of the Bad Wolfes』と#1『The Rules of Wolfe』を続けて読んだために気付かなかったのかも、と思うのだが、今回この『The House of Wolfe』を読んで、ブレイクの文章に若干の読みにくさを感じた。
『Country of the Bad Wolfes』というのは19世紀のWolfe一族百年を描いた作品で、なんかほぼ歴史小説といった感じの物。何しろ百年ぐらいを書くのだから、そういう小説では一つの行動やら、その人の生い立ち、人物関係などがずらずらっと やや動きの乏しい説明的とも言えるような文章で書かれることとなる。割とそんな感じの描写がこっちの続く作品でも使われているような印象。そっちの『Country~』の方でもよくあったのだけど、1ページ以上に亘って改行なしでずらずらっと 書かれるようなのがざらに登場する。
ブレイクの考えでは、物語をコンパクトにまとめる手法ということになるのかもしれないが、やはりやや読みにくい印象になるのは否めないかも。元々歴史的なところに舞台を置くブレイクの至った地点ということになるのかもしれないし、 なんか批判しようというような意図はないが、これから読む人のために一応注意しとく。
しかし、動きのある見せ場についてはさすがという感じで、終盤50ページぐらいの息詰まる追撃って感じのところでは、なんか色々放っぽリ出してひたすら読み耽った。いやいや、自分的には最近ではそうそうそこまでのは無いから。

そしてこの作品で最も印象に残る圧倒的というような風景が、本当にあるのかはわからないのだが、メキシコシティの貧民街の先にある広大なゴミ捨て場の、その奥にあるゴミが燃やされている巨大な穴。毎日やって来る多くのゴミ運搬車によって 次々と放り込まれ続け、その中央で燃える炎は大嵐が来ても消えることなく燃え続けるという地獄の穴というような情景。
作中に時々現れたり言及され、最終的な追撃の舞台ともなるこの地獄の穴はこそが、この作品の中心というべきものだろう。
これを読んだ後ぐらいに読み始め、まあ二段組約850ページという化け物的作品ゆえまだ読み終わってないのだが、現時点で既に21世紀を代表する文学との呼び声も高いロベルト・ボラーニョ『2666』を読んでいて、簡単に説明できるような作品ではないのだけど、 関係あるとこだけ説明すると、第1部~第3部の物語がいずれもメキシコのサンタテレサに至り、その背景のようにその地で女性の連続殺人事件が起こっていることが語られる。そして全5部の中でも最長ぐらいになる第4部「犯罪の部」では、 そのサンタテレサで次々と女性の陰惨な死体が発見され、場合によっては身許すら不明なままで大半は未解決のまま放置される様子が、淡々とという感じで延々と描かれる。
それを読みながら常に頭に浮かんでいたのが、この「地獄の穴」だった。
この『2666』に、ジャンル小説というところではウィンズロウのカルテル三部作。21世紀前半のこの時期の、文学のある部分ではメキシコが重要な地点として記憶されることになるのだろう。エルロイ新LA五部作の第2作『This Storm』における ナチスと日本と共産主義者がメキシコでその地の独特の政治ポジションによりメキシコの政治権力の高いレベルまでと手を結ぶ混沌もかなりすごかったしな。
そしてこの後も、まだ見ぬメキシコを舞台とする恐るべき作品と出会うことになるのだろうが、そこにおいても自分の頭からは常にこの「地獄の穴」が離れないのではないかという予感があるよ。

ジェイムズ・カルロス・ブレイクも今年で77歳。60代半ばぐらいでこのWolfeファミリー・シリーズを開始した時点で、自身の集大成とするような意図もあったのではと思う。前回『Country of the Bad Wolfes』に過去作『In the Rogue Blood』の Edward Littleが登場することを書いたが、その後も過去作のキャラクターをこのWolfeファミリー・シリーズに組み込み、自身の作品世界を統合しようというような考えも持っているのかもしれない。いや、それ個人的に大いに希望するので、 絶対持ってるはずだ!と強引に確信する。
第1作『The Rules of Wolfe』では、現在空白となっている20世紀部分に少々の言及ぐらいしかなく、今作ではメキシコサイドでもっと語られるのではないかと期待していたのだが、そちらについては全くなくて、メキシコ側のWolfeファミリーについても、 軽い輪郭が見えるくらいしか書かれなかった。いや、他作品のキャラクターというところは一旦置いといても、『Country of the Bad Wolfes』で最後に壊滅状態となったWolfeファミリーの土地や、父親が開き、後に双子が拠点とした入り江とか その後どうなったのかスゴイ気になってんだよ。
しかし、その一方で、現代を舞台としたこのWolfeファミリー・シリーズでは、現代のメキシコを描くということがブレイクのより重要なテーマとなってきているようにも思える。『The Rules of Wolfe』のメキシコの辺境に無法の王国を築き、 君臨する麻薬カルテル。そしてこの『The House of Wolfe』における、極端な貧富の差の結果として頻発する誘拐事件。
そしてそれらの混沌と悪徳の象徴となるのがこの「地獄の穴」なのだろう。これが今のメキシコの姿だ、というブレイクの声が聞こえてくるようだ。
どうやら現代のメキシコを描くという方向がメインとなっているように思われるこのWolfeファミリー・シリーズ。だが前述のような過去20世紀の物語の構想は、確実にブレイクの頭の中にはあるはず。それらは今後このシリーズの中で言及されて行くのか? それとも、今後『Country of the Bad Wolfes』の続きという形で単独で書かれる可能性もあるのかも?
どうする?みんな読みたかったあの人のその後とかこれから出てくるかもしれないんだぜ。色んな意味でこのジェイムズ・カルロス・ブレイクWolfeファミリー・シリーズからは目が離せないよなあ。このシリーズについては今後も絶対に追って行き、 その行く末を見届けるものであります!


なんとか年内にもう一本、とやや頑張り何とか間に合ったか。今年は去年みたいに年末年始体調崩して寝込むことにならんよう気を付けようと注意しつつ…。
あんまりガラではないが、最後に年末の挨拶でもして終るとしよう。なんかまあとにかくよいお年を。来年も良い本の情報をなるべく多くお届けできるよう頑張りますよん。ってことで。

■James Carlos Blake著作リスト
●Wolfeファミリー・シリーズ

  1. Country of the Bad Wolfes (2012)
  2. The Rules of Wolfe (2013)
  3. The House of Wolfe (2015)
  4. The Ways of Wolfe (2017)
  5. The Bones of Wolfe (2020)

長編

  • The Pistoleer (1995)
  • The Friends of Pancho Villa (1996)
  • In the Rogue Blood (1997)
  • Red Grass River (1998)
  • Wildwood Boys (2000)
  • A World of Thieves (2002) 『無頼の掟』
  • Under the Skin (2003) 『荒ぶる血』
  • Handsome Harry (2004) 『掠奪の群れ』
  • The Killings of Stanley Ketchel (2005)

短篇集

  • Borderlands (1999)


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