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2019年12月31日火曜日

ゾンビ・コミック特集 番外編 第2回 最近の日本のマンガのホラー・ジャンル作品について [前編]

長々とモタモタとやってきましたゾンビ・コミック特集も今回でやっと最終回となります。番外編からは枠をホラー・ジャンル全般に広げた第2回は、日本の最近の進行中のホラー・マンガの中からいくつかピックアップした個人的注目作品について、前後編2回にわたり語ってみようと思います。いや、ぶっちゃけて言うと長くなりすぎたんでしょうがなく2回に分けました。なし崩しです。まあ少しでも読みやすいように、アップロード順逆にして前編の下に後編がつながるようにしましたから。長くて大変だけど付き合ってくれよな?
色々と海外のコミックについては語ってきたので、そろそろ一回ぐらいは日本のマンガについても書いてみようかと。日本のマンガについても語るべきことは多いしね。ということで、また延々と長くなっちまうので、とっとと始めるであります。
しかし…、今回のサブタイトルかなりダサいな…。まあ、これまでの流れからするとこうなっちゃうのだけど…。


■DEAD Tube ~デッドチューブ~:山口ミコト/北河トウタ

デッドチューブ。それは運営組織も不明な謎の暗黒動画サイト。
そこでは視聴数を稼ぐためなら、どんな行為も許される。
暴力、レイプ、果ては殺人まで…。
定められた期間の最大視聴数を稼いだ者は高額な賞金を手にする。
そして、最下位となった者はすべての罪と、負債を負わされる…。

通っている高校では映研に属し、カメラマンを担当する主人公町谷智浩は、スクールカースト最下層のオタクの自分には縁があるとも思っていなかった、校内トップクラスの美少女、真城舞から奇妙な頼みごとをされる。
「これから2日間、何があっても私を撮影し続けて。」
言われるままにカメラを回し、舞を撮影し続ける町谷。
そして、その最後に、彼はレンズ越しに驚愕の光景を目撃する!

デッドチューブ。そこから町谷はその闇へと巻き込まれて行き、それは同時に彼の内側に潜んでいた暗黒を目覚めさせ始める…。

この現代社会にそんなものが存在し得るはずがない。どんな大きな権力が背後に存在しようが、高校生が携帯で簡単にアクセスでき、犯罪行為を行うような動画をアップロードし続けていれば、重大な社会問題となり、存続を許されるはずがない。この設定には全くリアリティが感じられない。

えーっと、話終わった?んじゃとっとと帰れよ、まったく。なんだか自分の知る限りの「現実」との近似度合いがフィクションの価値基準だと思い込んでる阿呆の多さにゃホントウンザリするよねえ。まあその手のフィクションと現実の区別のつかない連中についてはこの間のハードボイルド/ノワール・ベストのところで散々罵倒したんで今更繰り返さんがね。
だからどうした?そんなことはこの作者チームだって充分承知の上で、それを「現実」に存在せしめるための構築は物語上最低限必要なくらいしかやってない。何故か?例えばだ、これがそういった青少年を犯罪へと導き社会を混乱崩壊に陥れるようなものを陰で操っている巨悪と戦う、みたいなストーリーならば、きちんとした存在感を示すためにそこのところは詰めていかなければならないだろう。だが、これは明らかにそういった方向の話ではないのだ。ではこの物語のデッドチューブとは何なのか?それは暴力、セックス無制限の暗黒ストーリーを産み出すためのギミックなのだ。んーまあ、ギミックとまで言うのはちょっと言いすぎかと思うし、作者チームの中にはもしかしたらその背後に潜む陰謀なりなんなりの構想はあるのかもしれない。だが、この作品がまずその設定である種のリミッターを振り切った恐ろしい世界を見せる、というところから始まっているという考えはそれほど見当違いではないと思っている。
更に考えれば、実はこのデッドチューブという設定、読者がもう少し受け入れやすくなる方法がある。それはちょっとだかかなり先だかの未来の、モラルが荒廃した世界での話にすること。未来がこんな風になるはずがないと言い続ける救いがたい石頭もまだ残るだろうが、これなら自分の周囲の現実との違和感にこだわる人も激減するだろう。だが、なんとなく思い浮かぶだろうそういう設定で描かれた『デッドチューブ』という物語と、この『デッドチューブ』を見比べるぐらいの想像力があれば、これを無理矢理に現代世界に存在させていることの重要性が少しは見えてくるんじゃないのかい?そうやって距離と虚構性を増すことで、風刺などに変換されてしまうものと、極めて近い時空間で衝動的な暴力と悪徳が繰り返されて行くのでは、同じように起こりえない架空の同じストーリーを描いたとしても全く見え方が違うものになってしまうだろう。

原作者=ストーリー担当の山口ミコトは、漫画家としてデビューし、漫画家として複数巻に渡る作品を現在まで2作発表しつつ、ネーム原作者として『ガン×クローバー』、『トモダチゲーム』などの代表作を持つ作家である。そこまでは、かなりディープでヤバい『最底辺の男 -Scumbag Loser-』も含め、ある種のボーダーラインに限りなく近づきつつもそこを越えることのなかった山口が、秋田書店 チャンピオンRED連載のこの作品でそのラインを突破して見せる。実際、そのラインを越えるということは掲載媒体その他が許せばそれほど難しいことではないかもしれない。だが、それを越えたところで本当にそこを越えた意味のある作品を描ける作家は希少であり、山口ミコトはそれが可能な作家である。そういう作家のそういう作品が出てきたならば、マンガ読みであればそれを見逃す手はないだろう?

と、この辺まで書いたところでなんか繰り返すのも面倒になっちまったアレで倒れ、1月半ほど中断してしまっていたわけ…。倒れて中断する前の9月下旬頃、このペースだとこれを全部書き終わる前に10月の中頃新刊13巻が発売され、どうも話の流れからここらで大きな展開があって、全面的に書き直さなきゃならないぐらいのことになるんじゃないかと危惧していたのだが、まあ実際にかなり大きな展開があったわけである。やっぱこれは終わりに向かう展開なのかな?この何か蛇が自らを尻尾から呑み込んで行くように、物語がそれ自身を喰い尽してゼロに戻ろうとするような嫌な感じは『最底辺の男 -Scumbag Loser-』とテイストが似ているように思う。山口ミコト作品で完結しているのはオリジナル『死神様に最期のお願いを』(本年作画古代甲によるリメイク作が連載開始)と『ガン×クローバー』、『真夜中のX儀典』の3作だが、『死神~』はストーリー未完のまま終了、『ガンクロ』はまだ序盤しか読んでなくて、『真夜中の~』は未読という私的に材料不足状態でなんとも言えないが、もしかするとこれが山口のスタイルのひとつなのかも。だが山口ミコトは常に仕掛けてくる作家だ。例えばまだ新キャラクターが特別な動きを見せていないことや、一方でまだ進行中の事態の半ばのこのタイミングでこの一つの「結論」を持ってきた意味や、それがまた単行本の末尾という区切りに配置された仕掛けなどを考えると、これが結末へと向かう流れだとしてもまだ大きな波乱を仕掛けていることはまず間違いないだろう。なんか新刊の作者コメントを見ると、やっぱこの作品色々と風当たりが強いのか、それともその傾向を危惧しているのかという感じが窺われたりするのだが、逆風に負けずこの物語を全うしてもらいたいものだと願うばかりである。
もう一昔前ぐらいになるのだけど、過去のちょっとヤバめの「名作」マンガを発掘するブームみたいなのがあったが、また近い将来にそういうものが勃興した時に真っ先に選ばれるのがこの『DEAD Tube ~デッドチューブ~』かもしれない。だがその時点ですでに完結し、過去のものとなったこの作品を読むことは、少し前に書いた設定を未来に置いた安全圏にある作品を読むこととある意味同じことではないだろうか。この『DEAD Tube』はまだ進行中の今、読むべき作品である。かなりの危険作品ゆえ、手放しでおススメと言いにくいところもあるのだが、その気のある人は自己責任で、是非この現代最凶の問題作に出会うべし!う~、『DEAD Tube』だけでずいぶん長くなっちまったな。今回かなり書くこと多いのに…。

■たとえ灰になっても:鬼八頭かかし

今年2月、突然の鬼八頭かかし氏の死去の報せは、日本のマンガ読者、特に私同様この物語の続きを心待ちにしていた者にはあまりにも大きな衝撃と悲痛だった。結果この作品は、おそらくはその物語のほんの序盤を過ぎたところで中断を余儀なくされた。当初からこの作品についても書くことは予定していたのだが、この事態から一旦は外すことも考えた。しかし、やはりこれは語るべき価値のある作品であり、未消化な感じになってしまっても自分の考えを書くべきだと思い、当初の予定通りのところでこの作品についてできる限り書いてみようと思う。また繰り返すと思うが、この作品の中断、この才能の喪失は本当に残念でならない。

キミに吉報だ。近々”ゲェム”が催される。公の世界のものではない”ゲェム”だ。そこで勝利すれば望む金はいくらでも手に入る。
キミは自らが望むモノのために、命を懸ける事は出来るかい?

難病の妹の治療には10億の金が必要だと告げられ、途方に暮れる高校生四宮良真は、見舞いからの帰り黒装束の看護婦から奇妙な話を投げかけられる。
「妹のためなら命を懸けられる。」
そう答えた良真は看護婦から謎の黒いチケットを手渡される。しかしその直後、病院から出たところで暴走してきたトラックにはねられ、良真は絶命する。

そして良真は見覚えのない建物の中で目覚める。起き上がり、傍らの鏡を見ると、そこに映っていたのは見たこともない少女の姿だった?
邪教の教会の回廊のようなその場所には、同じ装いの少女が4人。いずれも謎の女から同様の”ゲェム”の誘いを受け、チケットを手にした後、事故に遭い死亡していた。
そこに彼女らにチケットを手渡した女が現れる。背には大きな白い翼を拡げて。彼女は”天使”クロエルと名乗る。

さあ”ゲェム”を始めようじゃないか!

今流行り、というのは少し過ぎてしまったか?のデスゲームものの常道として物語は始まる。”ゲェム”の内容は省略するが、勝者は大金を手にして元の世界に生き返れるが、敗者は残虐な罰ゲームの後、真の死を迎えるというもの。そして、この”ゲェム”にはもう一つルールがある。
良真同様他の参加者たちも生前とは全く違う少女の姿に変えられており、その素性はおろか性別さえ分からない。だがその本当の名前が口にされた時、彼女らの身体は崩れ、事故で死亡した時の凄惨な姿に戻り、真の死を迎えるのだ。そして物語が進むにつれ、実は彼女たちはひとつの市の中から選ばれた、それぞれに面識もあるのかもしれない関係であることが明らかになってくる。

というストーリーなのだが、結構設定が複雑で、うーん、この説明で伝わっただろうか…。まず直面しているデスゲームでの駆け引き、そして生命線である互いの正体の探り合い、更にその断片からこの市に隠された謎と闇が徐々に浮かび上がってくるという重層的な構造の素晴らしいストーリーだ。

鬼八頭かかしは、この作品以前は『魔法の呪文を唱えたら』『ぱんつぁープリンセス』などの主にギャグマンガに属する作品を描いてきた作家である。この『たとえ灰になっても』が文句なく面白い作品であることも、鬼八頭かかしが優れた作家であることにも、何の問題もなく確信があるが、実はそれをうまく表現するポイントがなかなか見つけられなかった。ヒントになるのは、実は予選だった最初のゲェムの「山田くん」や本選第1ゲェムの「亡々死くん」ではないかという思いはあったのだが。この二人はいわゆるモブキャラで、誰が見ても最後まで勝ち残ることはないだろうと思われる人物である。だが、双方のゲェムの最も重要な部分は、実はこれらのキャラクターの視点で語られる。普通はそんなことをすれば物語のリズムや緊張感を崩してしまう危険性もあるものだが、この作品ではこれらのキャラが場合によっては他の重要キャラ以上に物語を引っ張って行くのだ。ギャグマンガ出身の作家ゆえにギャグテイストを含んだモブキャラの扱いが上手かった、と技術的なことでまとめるのは簡単だが、ここにはそれ以上の何かがある。そして、ここである大変重要な事実に気付く。我々は幾らでも知っているだろう、ギャグマンガ出身、または並行して描き続けた偉大なマンガの先人を!ここでは永井豪と鳥山明の二人の名前を挙げれば十分だろう。この作品と彼らのスタイルを並べてみると、時折挟まれるギャグテイストだけにとどまらない共通の何かが見える気がするのだがね。そしてそれは日本のマンガで彼らが読者を引き付け、そして常に物語の続きを見たいと渇望させてきた、何かベーシックな部類に属するような力ではないのだろうか。鬼八頭かかしはまだ発展途上のこれから化ける作家であり、いずれはその真の力を見せてくれたはずと、私は信じる。本当に惜しい才能を無くした。残念でならない。

鬼八頭かかし先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。先生の作品がこれからも一人でも多くの読者に楽しまれますように。

■虐殺ハッピーエンド:宮月新/向浦宏和

終わっちまった…。現在進行中のマンガ作品について語りたいと意図で考えていたものだが、諸般の事情や主に私自身の怠慢ゆえにこの始末である。トホホ…。白泉社のマンガアプリ、マンガParkにてオリジナル作品として週刊連載されてきた『虐殺ハッピーエンド』だったが、この秋11月末に最終回が掲載され完結した。まあまだ終わったばかりやし、1か月ぐらいルールで(今考案)現行作品ってことでいいよな。うん!

酒浸りの暴力的な父。母はとうに家庭を見捨て、逃げ出している。そんな貧困家庭で必死にバイトで家計を支える高校生草壁真琴。妹詩織の笑顔を支えに。だが、そんな彼の唯一の希望である妹は、今難病の病床にあった。移植手術のドナーが見つからなければ余命は2か月…。
一所懸命に生きていれば神様はきっと救ってくれる。
だが、彼のそんな願いをも踏みにじるように、必死に貯めた妹の入院費で飲んだくれ、暴力をふるう父。絶望の底、逃げるようにやってきた神社の境内で、彼は叫ぶ。

もうたくさんだ!未来に絶望しか待っていないなら、僕と詩織に明日なんか来なければいい!

その絶望の叫びは、あまりにも歪な形で叶えられる…。

その夜、真琴の許に病院から連絡が来る。移植のドナーが見つかった!あと1か月待てば妹は助かる!思いがけず訪れた希望に生気を取り戻す真琴。
しかし、その翌日。真琴は周囲に違和感を覚える。何故か周りの皆が聞き覚えのある話をしている?昨日と同じ…?配達するはずの新聞を見ると、昨日の日付?
まさか…昨日と同じ日を繰り返している?
アルバイトが終わり、病院に駆けつけると、昨日電話してきたはずの看護師はドナーなどまだ見つかっていない、と言う。そういえば電話があったのは昨日である今日の夜だった…。
時間がループしてしまっていることを確信した真琴。だがどうすることもできない。そして翌日。また同じ一日が始まる…。
欠かせない日課として妹の入院する病院へ行く真琴。妹は容態が悪化し、面会謝絶だと告げられる。
夜中の12時を過ぎた途端級に容態が悪化した。
ふと看護師がもらした一言に衝撃を受ける真琴。そして気付く…。

僕と詩織に明日なんか来なければいい!

その絶望の叫びが現実となってしまった!自分と妹だけが同じ一日をループし続けている。1か月待てば移植手術を受けて命が助かる妹。だが、その1か月後は決して来ない…?!
絶望のどん底に落とされた真琴の足は、あの神社へ向かう。あの願いだとも思わず発した叫びを何とか取り消せないか…。そこで真琴は思いがけず、年長のバイトの同僚と出会う。遊ぶ金をせびり、真の懐から妹の入院費を奪い取る同僚。絶望から沸き起こる狂気じみた怒りに駆られ、真琴は同僚の頭に重い石塊を振り下ろす…。

殺してしまった…。だけど心配することはない…。どうせ明日になれば元通りにリセットされるんだから…。自室で震えながら夜明けを待つ真琴。だが、その翌日は来ることがないと思っていた「明日」7月11日だった…。
そして真琴は、いつの間にかポケットに入っていた奇妙な神社のおみくじの文言から、真相を知る。

人を殺すことで明日への扉が開く…?

妹の手術は1か月後だ。僕は妹を無事に1か月後へ連れて行かなければならない…。
1日一人殺して。

結構長くなっちまったが、なんとも見事な設定。うまく伝わらなかったなら今すぐマンガParkに行って読んでみるべし!そしてここで敢えて宣言しよう。
この作品は、謎の呪いを軸に話が展開するオカルト・ホラージャンルの作品であると同時に、近年日本で描かれた中でも有数のノワール・コミックである!
以前から散々言ってきていることだが、日本ではろくすっぽ新しいものも出されないまま、ノワール原理主義者みたいな連中に定義ばかり振り回されているうちにノワールそのものの認識がずれて誤解されたものになってきてしまっている。スタイリッシュっぽいサイコ・サスペンスみたいなのがノワールと称されていたり、かと思えばなんか冷酷無情な犯罪者がこうなってしまったのは幼少時のこんな経験があったから、とか言われても食った肉まんの隠し味のレシピを教えてもらったぐらいの感慨もねえよとか。ジャンルの間口は常に広くあるべき、が私の意見だが、こんな2次創作レベルが本筋と思われかねないような状況はさすがに我慢ならん。
ノワールがスタイリッシュである必要はなく、感情のない、もしくは感情移入できな冷笑を浮かべた殺人者である必要もなく、ましてや気色悪いだけの美意識による妄言なんてのはあってもなくてもどうでもいい。
そして、この物語の主人公草壁真琴は、追い込まれた地獄の中で、スタイリッシュで無感情な都合のいい法で裁けぬ悪だけを裁く闇の狩人なんぞになったりしない。殺さなければならない。その思いに、狂気に取りつかれ、自分が殺しても良いと決めつけたチープな悪党や迷惑人間を全力で血みどろになりながら絶叫し虐殺し続ける。妹の明日。それのみにすがり、狂気の淵で熱病に侵されたような目で薄汚れ疲れ果ててさ迷い続ける。暴力では何も解決できない世界で、暴力以外の手段を持たない悲劇。これはトンプスン、エルロイから、Anthony Neil Smith『Yellow Medicine』まで一貫して描かれているノワールの一つの原点でもあるテーマである。
私は小説の方じゃ本を褒めてばかりいるので、ホメホメおじさん(©読書のプロ)じゃないかと思ってる人もいるかもしれんが、単純に数多あって語り切れないほどの語るべき本について書いているだけで、語る意味もないような本について書くことなど時間の無駄だからである。実際には私個人のノワール基準はムチャクチャ厳しい。そしてその基準をもってもう一度言う。
この『虐殺ハッピーエンド』は、近年日本で描かれた中でも有数の優れたノワール・コミックである!

と力説したところで、あ、これ人によっては誤解を招くな、と気付いたんでちょっと付け足しとく。私は何も一作品一ジャンル的な狭~い考えに基づいて、この作品はホラーではなくノワールだ、みたいなことを言ってるわけではない。「オカルト・ホラージャンルの作品であると同時に」最初にそう言ったよな。私は世にはびこる、誤解に思い込みを重ね熱海に向かっているはずが日光を通り過ぎてるぐらいに見当違いの勘違いだらけの日本のノワール観に、何とか一石を投じたいと願い、ノワールっつうのはそーゆーんじゃなくてこういうやつなんだぜ、と主張しているだけなのである。これが優れたホラージャンルの作品であることには全く異論はない。宮月-向浦両作家の資質からか若干ホラー感が薄いかもしれんが、宮月作品で続いているのでこれもあるかもしれない映像化ということになれば、かなりガチなホラー作品になることは想像に難くないだろう。

原作者=ストーリー担当の宮月新は、漫画家としてデビューした後、ネーム原作者に転身。原作作品は『不能犯』『シグナル100』などでまだそれほど数はないが、いずれも映像化されている。この作品でのストーリーの進め方も非常に巧みで、ひとつの大きな流れをそらすことなく、おそらくはアドリブ的なエピソードも枝葉として膨らませながら、常に次へと読者を引き付けて行く。こーいうのって例えばTVの連続サスペンスドラマみたいなところで活かされるような技能なんだろうな、とか思うけど、今どきの日本のTV辺りじゃそれを使えるキャパもないんだろうね。その辺が映像化を引き付けるところなのかもしれないけど。『不能犯』もそっちはそっちで好きなのだけど、宮月新の才能資質は短編連作よりも、連続した長編ストーリーの方が活かされるんじゃないかなと思う。
ちょっと今回書くこと多すぎて、あまり作画の方に言及する余裕が無くて申し訳ないところなのだが、やはりここで特筆しておきたいのは、この作品の向浦宏和の作画の素晴らしさ。真琴少年の今にも世界に押しつぶされそうなギリギリの存在感を本当に見事に描き出している。以前の作品を見てみると割とコメディ寄りで、どっちかというとそちらをやりたいのかな?これ良かったんでまたこんなのも頑張ってください。

と、やっと3作やってきたところなんだが、もういい加減長くなっちまってるので、続きは後編へ。→


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