
この作品、作家がどのような位置にいるかというと、古くはフォークナー、オコナーらのサウザンゴシック文学の後継者である、Larry Brown、ドナルド・レイ・ポロックといったところに連なる文学寄りの作家。
2011年、短篇集『Crimes in Southern Indiana』で登場し、2013年のこの作品が長編デビュー作となる。
犯罪小説としても一つそれなりの完成度を持った作品なのだが、ポロック同様にやはり文学というところでのとがった表現やら、視点なども多い。
その辺を少し慎重に、うまく伝えんとなと考えているところで、まあ現行カバーの感じからそうなんだろうなと思ってたけど、この作品映画化されていることがわかった。
邦題が『デスマッチ 檻の中の拳闘』………………………………。なーんか、この間11周年で翻訳ミステリの駄目さをくどくど散々書いたばかりで、もうこの手の日本的駄目さには言及する気さえ起きんのだがな…。
とりあえず、その映画版については後程ということで…。
そして、これが文学であるか、犯罪小説であるかみたいな分類も蹴飛ばす、2010年代「暴力文学」として必読の重要作、『Donnybrook』について、まずはそのあらすじ内容から紹介して行きます。
■Donnybrook
Donnybrookとは何か?Webの辞書的なところで見ると、大乱闘、激しい口論などの意味が出てくる。
作品の冒頭では、イギリスの語源研究家・作家であるマイケル・キニオンのWorld Wide WardsからのDonnybrookの語源の引用がされている。
それによると、元々は18世紀までのアイルランドで行われていた、なんか喧嘩祭りみたいなものだったらしい。8月末頃に約2週間にわたって行われていたドニーブルックフェアでは、夜になると酔っ払い共により「頭が見えたらぶん殴れ」式の 喧嘩大会が行われていたということ。
この作品のDonnybrookは、現代におけるそんな喧嘩大会。舞台となっているアメリカケンタッキー州の荒野に、広大な土地を所有するいかがわしい富豪により開催される、ルール無用の素手殴り合い大会。最後に残っていた者には莫大な賞金が払われる。 それを目指し、近隣の食い詰めた喧嘩自慢たちが集まって来る。それがDonnybrook。
俺は子供たち、ZeekとCalebをムショの中からじゃ食わせていけない、Jarhead Earlは思う。だがこれは奴らにいい暮らしを与えてやれるチャンスなんだ。
彼は、12ゲージのスラッグ弾をショットガンの弾倉に押し込んだ。
最初の装弾音が、12ゲージ、フルチョークのオートマチックをJearhedにに手渡した直後の、Dote Conradの耳に響く。
銃身が持ち上げられ、Jeaheadが言う。「手を高く上げて、ゆっくりこっちを向け」
銃砲店の店主Doteは、辺りを見回すが近くに装填されている銃は無い。
手を上げ、説得するように言う。「今日買う金がないなら予約販売もできるぞ。鹿狩りのシーズンはまだ先だろ」
Jarheadは言う。「買い物に来たんじゃないんだ。カウンターの端まで歩け。裏にある金庫までついて行くから。レジに十分な金がない場合だけどな」
Hazardの誰もが、Doteが月に一回しか銀行に入金しないのを知ってる。金庫とレジに大金が収まっていることも。防犯のためにカウンターの後ろに装填された銃を置いていないことも。南東ケンタッキー外れの丘の上の、卒業後誰と結婚して生まれた子供も 誰もが知ってるような小さな田舎町の銃砲店で、強盗に遭う心配などしたことがなかった。
「生活が苦しいのは分かるよ。不況でみんな失業してるから。もうすぐ州が道路工事に作業員を雇うって聞いたぞ。ショットガンなんか使わなくてもお前のなんかの問題も解決するだろう」
だが、Jarheadにはそれを待つ時間は無い。「まず、レジの中を見せてみろ」
「Jarhead、俺には…」
Jarheadはショットガンを撃ちDoteの頭の横の壁に穴をあける。そしてその銃口をDoteの鼻に押し付ける。「俺はお願いしてるんじゃない」
レジから金を出すDote。「俺に聞こえるように数えろ」Jarheadは言う。
金を数え始めるDote。そしてそれが1000ドルになったところで、Jarheadが止める。「お前全部は要らねえのか?」
「全部は要らねえ」そしてJarheadはその金を持参したウォールマートのレジ袋に詰めさせる。
そして、JarheadはDoteを、ショットガンでバックルームに入るように促し、跪かせる。
「殺さないでくれ!」Jarheadに後頭部を銃口で突かれ、Doteはその場に気絶する。
* * *
男の肉は焦げたゼリーだった。Flatは叫びながら男を家から引き摺り出し、放り出した。今彼が神のマネのように手を広げて横たわっている庭へ。錆びた三輪車の横に。滑り台のないブランコセット、ブランコもない。遥か昔に見捨てられた想い出。 それらの背後の炎から煙が立ち上る。黄色とオレンジが夜闇を切り開き、古い家を飲み込んで行く。Flatは言う。「あいつをERに連れてってくれ」
Angusはそれを遮る。「ERに行けば通報される。わかってるだろう」
LizとAngusは、BeatleとFlatを一連の覚醒剤製造工程の見張りに残していた。二人が第2シフトの終わりと、第3シフトの始まりと商売している間。田舎のオートパーツ工場で。不況により6か月の内には閉鎖される。- 食料品、車の月賦、賃貸料の支払いを すっぽかした男たち、女たち。8時間のシフトをこなすための、逃避と次のドーパミンラッシュのために渇望している。
それがAngusの暮らしだった。事故に遭って以来の。手術が顔の片側をごちゃまぜの決して合わさらない肉のパズルに変えて以来の。
商売から戻ったAngusとLizは、BeatleとFlatの杜撰な作業により爆発炎上した覚醒剤精製所だったファームハウスを見ることとなる。
Beatleは横たわり、もがきながら叫ぶ。「助けてくれ!頼む!助けて!」
Angusは胸当ての中に手を入れる。道具を取り出す。殺しのための。
「何する気だ?」Flatが詰め寄る。
「お前のマヌケな兄弟を悲惨から救ってやるのさ」
そしてBeatleを射殺し、続いてFlatも撃ち殺す。
Lizは顔を背け、動揺を隠しながら言う。「それで…どうするの?」
「郡の小僧共が現れる前にずらかる。俺たちに長い懲役を課す前に。身を隠せる別の空き家を見つける。お前の薬屋を捕まえる。ここの仕事が無くなる前に始めなきゃならん。連中の金が枯渇する前に」
* * *
こんな感じで、まず主人公となる二人の人物が紹介される。ひとりはJarhead Earl。二つの仕事を掛け持ちしながら、家族を困窮から救うことができず、生活の足しに近所で不定期に行われる素手格闘試合で稼いでいるうちに、Donnybrookの噂を聞きつけ、一攫千金を狙いそれに参加するため、顔見知りの銃砲店に押し入り、 参加費1000ドルを強奪する。
もうひとりはAngus。通称Chainsaw Angus。かつては木材伐採の仕事に就いていたが、チェインソーの事故により顔半分が手術でも修復不能なまでに破壊されていることからその名で呼ばれる。現在は妹Lizとともに自身で精製した覚醒剤を売りさばき、 生活している冷酷な男。実は過去のDonnybrookに出場し、伝説的なファイターとしても知られている。
この二人がDonnybrookで激突することとなるというのがメインのストーリーだが、そこに至るまでは結構ややこしい。実はJarhedの方のストーリーは比較的シンプルなのだが、Angusの方はかなり複雑で、そこから派生した様々な人間関係と憎悪が ストーリーの多くの部分を占めて行くこととなる。その辺についてあとは簡単に、重要キャラクターと共に紹介して行く。
AngusとLizは、まず次の覚醒剤精製のための拠点を捜し、近くに家もない荒廃した空き家を見つけ、そこに腰を落ち着ける。
そして、原材料の調達のため、金とLizの身体で手なずけたギャンブル中毒のアル中の薬剤師、Eldon McClanahanを訪ねる。
精製所を失い新たに始めるために資金不足なAngusは、後払いで原材料を渡すよう要求するが、Eldonは拒み、結果Angusに殺害されることとなる。
そしてAngusは、新たな拠点で覚醒剤を作り始める。
ここで当地に住む犯罪常習者レベルの人物、Ned Newtonが登場する。
Angusの精製所が火災に遭った話を人伝に聞いたNedは、金の匂いを嗅ぎ付け、酒場Leavenworth Tavernで探りを入れ、そこを時々訪れるLizの存在を知り、精製作業が終了し、息抜きににやって来たLizをひっかける。
Flatら兄弟とEldonと続くAngusの凶行にうんざりしていたLizは、Nedの誘いに乗り、新たな精製所である廃屋へ案内する。
AngusとLizが言い争っている間に、勝手口を破ったNedがショットガンでAngusを撃つ。
動かなくなったAngusを残し、NedとLizはすべての覚醒剤を持って逃げる。
NedとLizは、手に入れた覚醒剤を一気に捌こうと考え、Leavenworth Tavernの伝手で売人を紹介してもらう。
だがその売人は最初からそれを奪う意図しかなく、それを察知したNedにより返り討ちにあう。
NedとLizは一括での取引を諦め、Ned自身も出場経験のあるDonnybrookで売ることを考え、そちらに向かう。
Lizの裏切りによりショットガンで撃たれたAngus。だが彼は生きていた。そして体力の回復を待ち、NedとLizの後を追う。
Leavenworth Tavernで、NedとLizがDonnybrookへ向かったことを知るAngus。
そして更に彼らの後を追おうとしたAngusに一人の男が近付いて来る。
男の名はFu。中国拳法、暗殺術、拷問術のエキスパート。
Angusにより殺害された薬剤師Eldonは、ギャンブルにより多額の借金を地元のギャングであるMr.Zhongに負っていた。Fuはその借金を殺害者であるAngusから取り立てるため派遣されてきた男。
Fuの中国拳法には敵わず、捕縛されるAngus。だが運転中の隙を突きFuを倒し、車を奪いNedとLizを追いDonnybrookへ向かう。
更にもう一人、保安官事務所の保安官補Ross Whalen。Jarhead、Angus双方の事件の捜査に関わる。アルコールの問題を抱え、定職になる。
AngusがNedとLizを追う過程で行ったある殺人により、Angusに深い恨みを抱き、彼を殺害する意図で個人的に追跡を始める。えーと、ここのところは特別な意図があって詳しい事情を書いてないわけでなく、既に作品内容を書き過ぎてる感があり、 書かないで説明できるところは書かないでおこうぐらいの配慮と省略。
その追跡の途上、負傷したFuを見つけ、車に同乗させて動いているうちに互いの利益が一致することを知り、二人でDonnybrookへと向かうこととなる。
ここまでがAngusと、そこから派生する関係人物たちの行動。
そしてJarhead側の動きも簡単に。
1000ドルを手に入れたJarheadは、そのままDonnybrookに向かって車を走らせるが、その途上、パトカーに停められる。理由はテールランプの故障だったが、その途中で通信が入り、強盗の発覚を怖れたJarheadは警官を殴って昏倒させ、 パトカーのトランクに入れて隠す。
既にナンバーを控えられてしまったので、車を捨てヒッチハイクで先を目指す。彼を乗せてくれた男は、その土地の盗めるものは何でも盗み売れるものは何でも売るような犯罪者一家の一員で、道端の家の前の車からガソリンを抜いて捕まりそうなになったところを、 Jarheadが助け、恩義を感じた男により一家の家で歓待される。
家族のモラルの低さに反感を感じ始めるJarheadだったが、衝突を起こす以前にその家が官警に包囲され銃撃戦が始まる。
裏口の警官を倒し、そのまま逃げ、川にぶつかったところで、Jarheadは彼を待っていたというPurcellという年配の男に出会う。
このPurcellという人物は、実は結構序盤のあたりから、あまりよくわからない感じで登場している。えーと、仙人?なにか夢のお告げという感じでJarheadとAngusのことを知り、それに従って動きここでJarheadに会う。
明らかにJarheadよりはかなり年長で、ジジイぐらいに呼ばれるところもあったと思うが、あんまり年齢はっきりしないので年配ぐらいにしといた。
ここからはこのPurcellの案内で、JarheadはDonnybrookへとたどり着き、その中でも彼と行動することになる。
Jarheadパートはこんな感じ。
Donnybrookは、Bellmont McGillという犯罪にも多く関わる富豪の土地で開催される。周囲はフェンスで囲まれ、唯一の入り口はMcGillの雇ったバイクギャング達と猛犬により守られている。入場料を払えば入れるが、すべてが終わるまでは誰も出ることはできない。
Donnybrookの試合形式は序盤で説明されるが、リングに一気に20人ほどを上がらせ、残り一人になるまで戦わせるを繰り返し、最終的には6人により決勝戦が行われる。
えーと、ここで注意しておきたいのはこれは「格闘小説」というようなものではないということ。なんかマンガとかでも、そういう方向の正しさのような思い込みから見当違いの批判とかするような人も多いので。
この物語はそういったところでは犯罪小説というようなところに分類されるものであり、ここまで書いたストーリーから思い込むような人もいるだろう最強がリングの上でぶつかり合い頂点を目指す的なことにはならないので。Angusサイドで書いた 人物たちはほとんどが、正当な形での大会参加を意図してDonnybrookへはやって来ないし、上に書いたような試合形式も無茶苦茶になり、リングの上での最強最終決着的なこととも違うことになるぐらいのことは言っといた方がいいだろう。
ここで最初の方から言ってるこの作品が文学傾向のものであるということについて。これはなんかそういう言い方でこの作品を「高尚なもの」にこじつけようなどという意図ではない。それから、自分は文学という言葉を、なんか第2の太宰が現れれば復興するらしい 「純文学」みたいなものとして言ってないので。
ここはまず、先行する翻訳も出ているドナルド・レイ・ポロックの『悪魔はいつもそこに (The Devil All The Time)』を例にするのがいいか。『Donnybrook』同様にサウザンゴシックの流れを汲む文学作品として、犯罪小説ジャンルであるカントリーノワール というところでも高く評価されているこの作品では、数々の不道徳、悪行、暴力、犯罪が一切のモラル的緩衝材なしで、投げ出されるように並べられる。例えば、娯楽作品として書かれ、どいう形にせよ読者を楽しませる意図で書かれた犯罪小説より更に過激な形で。 その境界線と言えるようなところを更に越え、そこにあるものを一切の「感情的」オブラートに包むことすらせずに投げ出す。
こういう作品をこういう形で書ける作家、ドナルド・レイ・ポロックを私は心から尊敬するし、そう言ったことで他人からどう思われようが全く関係ないし、そこを分かりやすく説明する気も失せた。ただこれはエクスキューズでもなんでもなく、ただ単純に 作者のモラルが低いことでモラルのラインを越えてるようなゲス本みたいなものは心底嫌いだ。こういう作品は当然万人向けではなく、人によっては読みたくないと思うのも当然だとは思うが、その辺の違いも見えなず、同列に批判するような人には そもそもこういう小説を読むキャパがないんだろうとしか言えんよ。
そしてこの『Donnybrook』も『悪魔はいつもそこに』と同様の文学手法を用いて書かれた作品と言えるだろう。
ここで描かれるのは、暴力によって目の前の障害を打ち倒すことでしか存在しえない荒涼の世界。
一人称記述ではない地の文が、犯罪小説などで話される会話文のような文体で綴られる。単純にスラングの多様みたいなことではなく、言い回しやら省略といった形で。そしてその語りにより、様々なものが削ぎ落とされ、暴力のみしか存在しえない 荒涼の世界が形作られて行く。
なんの正義も、正当性もなく、自身が存在し続けるために振るわれる暴力。「頭が見えたら殴れ」。それが『Donnybrook』。サウザンゴシックの流れを汲み、現代に書かれた荒涼の「暴力文学」の傑作である。
と、なぜこれが文学というところに属するのかということについて、長々と説明してきたが、結構書き過ぎちゃったかもぐらいに書いたあらすじの方でわかるように、この作品、多くの悪党やらヤバい奴らが行き交い絡み合う、犯罪小説という視点でも 大変楽しめる作品である。あんまり堅苦しく考えすぎずに読んでもらいたい、というところもあるのだけど、上で説明したようなかなりいっちゃってる文体で書かれた作品なので、少々大変かも。頑張って読んでくれよ。傑作なのは保証するんで。
じゃあ、最後は映画版について。
『デスマッチ 檻の中の拳闘』について
と、とりあえずタイトル書いたけど、もうこんなひどいの何度も書きたくないんで、あとは『ドニーブルック』で書いて行きます。まあ以前の『シー・ライズ・ショットガン』同様の邦題あまりにひどすぎる案件対応措置。
で、その映画版『ドニーブルック』なのだが、『悪魔はいつもそこに』みたいにネットフリックス映画だったら、そこまでして観ることないよねでスルー出来たんだが、昨年どうしても『フォールアウト』観たくて唯一加入したアマゾン・プライムでも レンタル(有料)で観れるということなので仕方なく観た。そんなに映画観たくないんか?いや、そういうわけじゃないんだけど…。
まず観た感想としては、邦題の救いがたい酷さにもかかわらず、それなりに意欲的な作品ではあり、脚本も担当した監督Tim Suttonも、それなりに原作を理解していると思う。にもかかわらず、失敗作ぐらいのことを言うしかない作品か…。
とりあえず映画化の際の変更点についてから。
登場人物の内、Ned NewtonとFuは削除され、関連するエピソードも同様に削除または変更されている。Purcellについては仙人要素が無くなり、ただの川の渡しで、Donnybrookにも同行しない。保安官補Ross Whalenについては、こっちが省略した Angusに深い恨みを抱くエピソードも削除され、その土地で起こる全ての事件の元凶がAngusという思いから、酒を飲みながら追跡する感じ。
そして大きな変更として、原作では全く面識のないJarheadとAngusが地元の知り合いで憎み合ってることになり、Angusの妹LizがDeliaに名前が変えられ、原作では何の考えもないアバズレだったのが、兄にやむなく従っている女性という感じに変更されている。
Jarheadとその家族については途中電話で話すぐらいの接触しか最後に再会するまでは無かったのだが、家族全員で出発して妻と娘は途中のモーテルで待たせ、息子と二人で目的地Donnybrookへと向かうという形に変えられている。
先に書いたように原作小説においては、本来主人公であるJarheadよりも、敵役であるAngusのエピソードの方が多く、映画を主人公中心に見せるにはややバランスが悪い。その辺を考えてと、アメリカ映画ではもはやお馴染み、ややうんざりさせられる ファミリー要素強調の手法のための要求などがあっての、Jarheadと家族の部分の変更に至ったことは容易に想像できる。またAngusとの関係の変更も話を分かりやすくみたいな意図からのものだろう。
映画の全体の雰囲気としては、カントリーノワールということで、先行するそのジャンルの映画として評価も高い『ウィンターズ・ボーン』をお手本としたような表現が随所で見られる。森や枯れ木、空などの風景の中に、人物が静的に描かれる感じとか。 未見であるけど、内容から考えて『悪魔はいつもそこに』もそんな感じだったのかも。
そしてそれらの変更が作品の失敗へとつながる。
この原作『Donnybrook』は、先にも書いたように暴力以外の方法が何もないぐらいまで他を削ぎ落したような荒涼とした世界を描いた作品だ。
そしてこの映画版『ドニーブルック』では監督Tim Suttonの考えにより変更され追加された、それらの先行作品を手本としたような「カントリーノワール的表現」が大変印象的に情感豊かに描写されている。
だがその二つがきちんとかみ合っていない。それゆえにかなり原作とは違うが一応最低限そのラインに従って終わる結末や、それぞれの登場人物の末路が、映画を観終わった後ただ陰惨で、無意味に残酷なものにしか見えず、後味の悪い何か納得できないもの になってしまう。原作を知らないまま映画を観た人の中には、そちらの映画化により付け加えられた「カントリーノワール的表現」のシーン(ちなみにそれらのシーンで主に中心となるのは、原作と違うキャラクターになったAngusの妹Deliaと、 原作には登場しないJarheadの息子である)の方が物語のメインというような印象を持ち、暴力的な展開、シーンによりそちらの本来のテーマと思い込んだものが台無しにされてるとさえ思う者もいるかもしれない。
この原作『Donnybrook』がカントリーノワールであることを理解し、そういう形で表現しようとしたこと、そして、この作品の非情さ、陰惨さの中にそのテーマがあることを理解し、最低限ながらその線に沿って物語を描いたというところから、 この監督はそれなりに原作を理解したうえでこの映画を作ったのだろうと思う。まあ、もっと酷い例は山ほどあり過ぎるという視点かもしれんけど。
ただ監督の思い描いた通りにはうまく行かなかったということじゃないかな。
それこそ星の数ほど数多ある、映画による原作の蹂躙の中では、「良心的失敗作」というようなものかもね。
ただねえ、カントリーノワールと言えば、『ウィンターズ・ボーン』みたいな考えは、ちょっと安直に過ぎないか?この『Donnybrook』はかなり違うと言えるタイプのカントリーノワールだし。なーんかこういうのってハードボイルドと言えば、 ハメットだー、チャンドラーだー、とそんなに違わない気がして、まあ、日本にカントリーノワールなんて10億年かかっても無理なんだろうな、と思ったり…。
要約すれば、この映画『ドニーブルック』は、カントリーノワールということで『ウィンターズ・ボーン』風を目指して作られたが、本来のストーリーとかみ合わず失敗し、日本では救いがたいほどひどい邦題を付けられた作品というところか。
こうやって優れた小説作品が映画化された時、いつも危惧するのは、映画を先に観た奴が後で原作作品をあらすじをなぞるぐらいの適当さで読み、場合によっては映画の方が原典と思い込むぐらいの頭の悪さで粗雑に扱うことなのだけど、まあここまでひどい邦題の ものを観て、翻訳も出てない原作『Donnybrook』に辿り着く奴なんてまず皆無ってことで、その心配はないだろうね。
とりあえず原作は映画よりもっと面白いよ、ぐらいのことは言っといてもいいだろう。
* * *
作者Frank Billについては、詳しい経歴とか不明なんだが、とにかく1974年生まれで現在51歳。短編集『Crimes in Southern Indiana』を2011年に発表し、続くデビュー長編がこの2013年の『Donnybrook』。そして2017年には長編第2作『The Savage』を 出版しているが、これは『Donnybrook』の続編らしい。結構前から持ってたのに知らなかった…。早く読めよ。そして2022年には俳優・その他のノーマン・リーダスとの共作で『The Ravaged』を出版。まあ共作つっても、小っちゃくWith~で名前入ってるやつなんで、原案ノーマン、中身はFrank Billぐらいのやつなんだろ。なんかマッキンティのレビューが Amazonのページに入ってるが、まあダフィを出してるBlackstone Publishingからの出版なんでそっちで頼まれてってとこかと。このBlackstone Publishingってとこ…。まあ色々言いたいことあるけど次にマッキンティ作品やったときにやるか…。 というような作品ですが、とりあえずノーマン・リーダス+Frank Billぐらいは、それなりに読む価値はあるのかも。
そして2023年に長編第3作『Back to the Dirt』。こちらはベトナム戦争退役軍人の主人公が、そのトラウマで…、という方向の話らしい。
今のところ作品数はあまりないが、文学辺境、犯罪小説境界というような作家としてこれからも注目して行きたいと思います。
ハードボイルドからの視点では、90年代ジェームズ・リー・バーク、ジョー・R・ランズデールというあたりが入り口となり、その後犯罪小説の注目点が『ブレイキング・バッド』にも見られるような、田舎町のローライフの安手の犯罪へと 移行して行く流れから、ダニエル・ウッドレルの俺単独ジャンルぐらいだったカントリーノワールへの隆盛へと繋がって行くのは、必然的な変化であったようにも見えるが、そこにはサウザンゴシックの流れを汲むLarry Brown、ドナルド・レイ・ポロック といった文学にカテゴライズされる作家・作品の存在も大きな要因の一つだったのだろう。そしてそんな状況に登場したのがこのFrank Billの『Donnybrook』だったわけだ。
この文学/犯罪小説といった境界あたりで続くサウザンゴシックの継承者として注目されているのが、ポロックらにも高く評価されているSheldon Lee Comptonであり、Cowboy Jamboreeなどではまだ作家予備軍ぐらいのところかもしれないが、同方向を目指す 作家も多く現れている。Compton主催で、現在Anthony Neil Smithがエディターを努めるウェブジンREVOLUTION JOHN.もその拠点の一つだろう。もちろんAnthony Neil Smithも そういった境界近くのところに位置する作家である。Smith先生情報、実はかなりあるんだが、ちょっと長くなりすぎるんで近日予定の『Slower Bear』の時に。
また一方で、ポロックほどヘビーではなくジャンル犯罪小説というところでもう少し気楽に読める、Brian Panowich/Bull Mountainシリーズや、クリス・オフット/ミック・ハーディンシリーズというようなところでカントリーノワールジャンルも 定着して行くのかもしれない。
というところなんだが、そもそもの開祖!一人でジャンルを始めたダニエル・ウッドレルがほとんど翻訳もなく、出たのも入手困難になってるぐらいで何とかしなければ、そもそも自分もそれほど読めてないぐらいで、今年こそはウッドレル 本格的に取り組まねばと決意を新たにして、もう2か月以上過ぎたところ。まあそんな感じでとにかく次のカントリーノワールは、読まなきゃならんの山ほどあるんだが、近日中にウッドレルという感じで予定しております。
さて、おいどうしたんだよスプラッタパンク・アワードは?次じゃなかったの?とお思いの人もいるんじゃないかと思いますが、えーと、まだノミネートが発表されておりません…。
いや、昨年大晦日にノミネートのための公募の締め切りとかの話は見つかるんで、終わってしまったわけではなく進行中なのは確かなんだが、例年2月前半ぐらいだったものが3月に入った現在も一向にノミネート作品の発表がありません…。 なんか一方でこっち進行しながら、発表になったらすぐそっちをやろうという態勢で、一日2~3回ぐらいチェックしてるんだが…。
なんか昨年その辺の発表が、Briab Keeneからキラーコンへと移行された様子以後のアワード発表時にも見られたもたつきから、もうノミネート作品自体は決まっているが、キラーコンサイドの問題で遅れているのではないかとは察せられるんだが。 多分Web担当が常駐してるわけではなくてその発表ページがなかなか作れないとかの。
例えば、ちょっとちゃんと報酬出る仕事の方で忙しいんでもうちょっと待ってて、ひと段落着いたらまとめて色々やるからさあ、みたいな待ち状態とか。
もしくは、チクショー!キラーコンなんてもう知るか!お前らで勝手にやれよ!バターン!お、おいどーすんだよ、ジョージがやめちゃったら他にWebの方やれる奴いないんだぞ。Keeneさんになんて言うんだよ?あ、そうだ、とりあえずジョージがUFOに 攫われたってことにしてごまかしとこうぜ。
Brian Keene「えっ、そうなの?そりゃあ大変だねえ。とりあえずみんな待ってるからできるだけ早く何とかできそうなら頼むね。あとジョージが戻ってきたらアブダクションの話詳しく聞かせてね」というようなことになってるのかも。
とにかく発表され次第こちらでも報告しますので、もう少々(たぶん)お待ちください。
■Frank Bill著作リスト
●長編
- Donnybrook (2013)
- The Savage (2017)
- The Ravaged (2022) (Norman Reedusと共作)
- Back to the Dirt (2023)
●短篇集
- Crimes in Southern Indiana (2011)
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