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2025年4月2日水曜日

ケン・ブルーウンよ、永遠に。"Grá Go Mor"

2025年3月29日、ケン・ブルーウン氏が74歳で亡くなりました。

つい先日、3月4日にジャック・テイラー最新作『Galway's Edge』が出版され、まだ元気なようでよかったなあと思っていた矢先のことで、本当に残念です。自分的には今読んでる本があと40ページぐらいで読み終わるんで、次は第8作『The Devil』を 読もうと思ってたところだったり。

ブルーウンの死去を知ったのは、3月31日。起きてまずちょっと買い物に出て帰り、色々続きをやらなければとPCを立ち上げたところで、スウィアジンスキーの「Grá Go Mor」と言うタイトルのニュースレターがSubstack経由で届いていて、それを見て 初めて知った。
「Grá Go Mor」というのはゲール語で「Big Love」という意味だそうで、ブルーウンからのスウィアジンスキーへのeメールにいつも書かれていた挨拶ということ。こちらでも使わせてもらった。

かなりがっくり来てしまい、あまり他のことが手につかず、とにかくこの訃報について何か書いておかなければ何も進まないという事態になってしまった。
でも、何書く?「私とケン・ブルーウン」なんておこがましい。私なんぞ、ブルーウンさんの本を読んでいくらかの宣伝になるようここで書いて、それでついでにちょっとした感想やら意見を言わせてもらえるぐらいのもんだよ。
ケン・ブルーウンのジャック・テイラー第1作『The Guards』を初めて読んだときのこと、それはやっぱり喜びや感動だったのだろう。そこにはそれまでのハードボイルドの全てがあり、そして新しかった。こんなやり方でハードボイルドは 続けられて行くのだなあと思った。電子書籍が普及し、日本で翻訳が止まってしまったシリーズも読めるようになった時、そういうものとしてまず最初に手に取ったのは、ジャック・テイラー第3作の『The Magdalen Martyrs』だった。 映画が公開されたにもかかわらず、翻訳も出なかったトム・ブラント・シリーズもまだ最初の『White Trilogy』だけだけど本当に素晴らしかった。
ケン・ブルーウンは、現代、この21世紀初頭ぐらいのところの最高のハードボイルド作家だ。ブルーウンをスキップしてハードボイルドが語れるなんて思ってる奴等はすべてイカサマだ。

「日本におけるケン・ブルーウン」なんてものには何の意味もない。考えるのも、腹を立てるのも、もはや時間の無駄。
本格ミステリなんて御大層な名前の幻想を振り回し、「ミステリ」=犯人当てクイズから永久に「卒業」できない日本のミステリが、ブルーウンを理解できる日なんて永久に来ないよ。
ブルーウン作品が数冊翻訳されただけで、まともに理解もされずぶん投げられた時点で、日本の翻訳ミステリにおけるハードボイルドなんてもんも終わったんだ。

ケン・ブルーウンさん、数多くの素晴らしい本を本当にありがとう。
まだそのほんの一部ぐらいしか読めていないが、どのくらい残っているかわからない残りの人生でブルーウンさんが遺してくれたそれらの作品を楽しんで行きます。
読んだ本についてはまたここに書いて、この国でちゃんと本を読む能力をまだ残している人に伝えて行くのが、私にできるせめてものお返しです。
ブルーウンさんなら、生きてるうちになるべく沢山の本を楽しめよ、と言うんだろうなあ。
どうか、安らかに。

前述のスウィアジンスキーのSubstackの記事について。
ブルーウンへの追悼として、スウィアジンスキーが20年前にDave ZeltsermanのHardluck Stories magazineで行ったブルーウンへのかなり長いインタビューを再録した大変素晴らしい記事です。
さすがという感じで、本当に聞きたいことを聞いてくれている素晴らしいインタビュー。
作家になる以前、世界各地で英語の教師をしていたころの話(ここでは触れられていないが日本にも来たということ)。影響を受けた作家や作品作りについての姿勢など。音楽や、作品内でもしばしばテーマになるカソリックについての考え。 この時点では出たばかりだった『American Skin』(2016)が、シリーズ化を考えていたことなども語られている。
以下のリンクより。Substackのアカウントが無くてもブラウザで見れると思います。
★Substack/Gleeful Mayhem : Grá Go Mor


■Ken Bruen著作リスト

●Jack Taylorシリーズ

  1. The Guards (2001)
  2. The Killing of the Tinkers (2002)
  3. The Magdalen Martyrs (2003)
  4. The Dramatist (2004)
  5. Priest (2006)
  6. Cross (2007)
  7. Sanctuary (2008)
  8. The Devil (2010)
  9. Headstone (2011)
  10. Purgatory (2013)
  11. Green Hell (2015)
  12. The Emerald Lie (2016)
  13. The Ghosts of Galway (2017)
  14. In the Galway Silence (2018)
  15. Galway Girl (2019)
  16. A Galway Epiphany (2020)
  17. Galway Confidential (2024)
  18. Galway's Edge (2025)

●Tom Brantシリーズ

  1. A White Arrest (1998)
  2. Taming the Alien (1999)
  3. The McDead (2000)
  4. Blitz (2002)
  5. Vixen (2003)
  6. Calibre (2006)
  7. Ammunition (2007)

●Max Fisher and Angela Petrakosシリーズ (ジェイソン・スターと共作)

  1. Bust (2006)
  2. Slide (2007)
  3. The Max (2008)
  4. Pimp (2016)

●長編/中編/短篇集

  • Funeral: Tales of Irish Morbidities (1991)
  • Shades of Grace (1993)
  • Martyrs (1994)
  • Sherry and Other Stories (1994)
  • All the Old Songs and Nothing to Love (1994)
  • The Time of Serena-May & Upon the Third Cross (1994)
  • Rilke on Black (1996)
  • The Hackman Blues (1997)
  • Her Last Call to Louis MacNeice (1998)
  • London Boulevard (2001)
  • Dispatching Baudelaire (2004)
  • American Skin (2006)
  • A Fifth of Bruen: Early Fiction of Ken Bruen (2006) (Tales of Irish Morbidities、Shades of Grace、 Martyrs、Sherry and Other Stories、 All the Old Songs and Nothing to Love、 The Time of Serena-May & Upon the Third Crossの合本)
  • Once Were Cops (2008)
  • Killer Year (2008)
  • Merrick (2014)
  • Callous (2021)


●関連記事

Magdalen Martyrs -ジャック・テイラー第3作!-

The Dramatist -ジャック・テイラー第4作!-

Priest -ジャック・テイラー第5作!-

Ken Bruen / Cross -ジャック・テイラー第6作-

Ken Bruen / Sanctuary -ジャック・テイラー第7作-

Ken Bruen / A White Arrest -White Trilogy第1作!トム・ブラント登場!!-



●Max Fisher and Angela Petrakosシリーズ

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2025年3月27日木曜日

Gabino Iglesias / The Devil Takes You Home -悪夢と暗黒のロードノヴェル!-

今回はGabino Iglesias『The Devil Takes You Home』。2022年に、現在クライムノベル界隈では最注目のMulholland Booksより出版された作品。翌年のエドガーのベストノベル部門にもノミネートされてたらしい。

えーと、最初に言っちゃうと、これすごい作品です。みんな読め。終わり。…じゃあ済まないだろうからちゃんとやるよ。なんかホントにすごいやつって、いくらでも話せるけどその一方で何も知らせずにとにかく読め、と言いたくなっちゃう。 これはそんな作品。

Gabino Iglesiasは、作家の他にもジャーナリスト、大学教授、レビュアー、アンソロジーなどの編集者など、多数の肩書を持った人。
この人のレビューとかは結構昔から見ていて、ああGabinoが言うなら確かだな、ぐらいの感じで私もその本をチェックしてきた、かなり確かな目も持った人。
この作品以前に、2012年から4作の中編・長編を出版していて、そのうちZero Saints (2015)、Coyote Songs (2018)の2作はホラー関連の受賞もあり、大変高く評価されている。
色々なアンソロジーなどに多くの短編も発表しているんだが、なかなか長いものに向かわないな、という印象を持っていたのだが、ここでMulholland Booksという場を得て、2024年には続いて『House of Bone and Rain』と勢いに乗り始めた感じもある。 そしてそのMulholland Booksでの最初の作品が、この『The Devil Takes You Home』となる。

自分については前述のように、レビュアーとしてかなり信用できると思っていたが、実際に作品を読んだのは、Adam Howe編集のプロレステーマアンソロジー『Wrestle Maniacs』収録の短編が初めてぐらい。メキシコのナチョリブレが 呪術的といった感じのホラーにスライドして行く迫力あるストーリーは、アンソロジーの中でもかなり印象深く、なるべく早くGabino作品を読まなければと思っていて、やっとというところ。
最初は以前から評価も高い『Coyote Songs』を考えていたんだが、マルホデビューでクライム傾向も高めらしく紹介しやすいかと思って、こちらの『The Devil Takes You Home』を選んだという次第。
重要なことなのでもう一度言います。これはすごい作品だぞ。『The Devil Takes You Home』です。


■The Devil Takes You Home


この作品は全編主人公であるMarioの一人称で書かれているが、あらすじとして要約するため、主に三人称で記述して行きます。今回は序盤の方からちょっと端折ってやって行かなければならないので、一応先に注意。

白血病です。医者はそう言った。
俺たちのまだ4歳の娘Anitaが。
そしてAnitaは入院し、Marioと妻Melisaは必死で娘の看病にあたる。
病院からは多額の請求書が送られ続ける。だが、その一方で娘の看病に注力し、欠勤が続いた結果、Marioは勤めていた会社を解雇され、健康保険も失い事態はさらに悪化して行く。
必死に仕事を探すが、プエルトリコとメキシコの血筋を持つ彼に新しい仕事はなかなか見つけられない。その間も病院からの請求は続く。
金策に窮したMarioは、友人Brianに電話する。

BrianはかつてのMarioの同僚で、会社を首になった後の現在はドラッグディーラーで、自身も中毒者。問題のある人物ではあるが、同僚時代から仕事以外の部分で気が合い、解雇された後も関係が続いていた。
様々なアンダーグラウンドの商売にも関わっており、仕事はあっても常に生活は苦しかったMarioに、以前より金に困ったら連絡しろよ、と話していた。
「いくら必要なんだ?」Brianは電話に応えて言う。
「…できる限りだ」
「金を稼がせてやることはできる。そこは簡単だ。お前、何でもやる気はあるか?」

Brianは数時間後にやって来る。住所が書かれた紙と写真を持って。
そして一丁の銃。
この住所にある家に行って、こいつが帰って来るのを待ち伏せ、頭の後ろに一発ぶち込む。それだけだ。
あと忘れちゃならんのは、終わったらこの銃は始末しろ。湖に放り込め。
こいつは悪党だ。お前が詳しく知る必要はないがな。こいつを消すのは世の中のために良いことをすることなんだ。Brianは言う。

その夜、Marioは教えられた住所へ行き、家の玄関近く道から見えないところに隠れ、男を待つ。数時間後深夜、男は酔って帰宅する。
鍵を取り出し、玄関を開けようとした男の背後に忍び寄り、男の後頭部に銃を向け、撃つ。
頭が破壊され、目の前の壁に血が飛び散り、男が倒れた時、Marioは娘Anitaを病気にした、彼女以外の世界すべてに報復を果たした気分を感じる。
Marioの顔に、笑顔が浮かぶ。
いささかの開放感さえ感じながら、帰路に向かうMario。その時彼の携帯が鳴る。妻Melisaからだ。
電話から聞こえてきたのは泣き声と悲鳴のような声。そして彼自身の世界も崩壊する。
Anitaが死んだ。

Anitaを失った後、Marioと妻Melisaの関係も崩壊し、彼女はMarioの許から去って行く。
唯一訪ねてくる友人はBrian。そしてしばらくの後、再びMarioに写真と住所の書かれた紙を渡す。「お前に今必要なのはこれだろう」
そしてそれからMarioは四人の「悪党」を殺す。それらの殺人は、いずれも彼に最初の時と同様の世界への復讐を感じさせる。
そしてBrianから、次のでかい仕事への誘いが来る。

結構急ぎ足の感じで紹介してきたが、このくらいで序盤30ページ。だがここまではまだ前置きぐらいで、実はここから本格的に物語が始まって行く。実際のところ、ここまででも結構重い話なんだが、この区切りから一気に話の展開が ゆっくりになり、それまでの話の流れから見るとまるでスローモーションになったかのようにさえ見えてくる。

指定されたバーでしばらく待ち、現れたBrianと共に彼の家へ向かうこととなる。これまでの仕事の打ち合わせには、常に自宅を避けていたBrianの様子から見ると、今度の仕事はかなり異例のようだ。
車を降りたBrianは、そこでMarioに向かって言う。「なあ、まず言っとくが、中で待ってる奴は話していることについてちゃんとわかってる奴だ。こいつは簡単な儲け仕事だ。かなりでかい金だ。これで人生を新しくやり直せる程の」
そしてBrianは、今同居している女性Stephのお腹の中の赤ちゃんの将来や、新しく始める生活について熱くまくしたて始める。

家の中で待っていた男の名はJuanca。Marioよりいくらか小柄で、彼よりも明るい肌は多くの刺青で覆われていた。そして、顔の刺青は彼がギャング組織の一員であることを表していた。
そしてBrianが仕事について説明する。「このJuancaはメキシコからのコカインの密輸ルートを知っている。トラックは大量のコカインを積んでやって来て、そして帰りは山ほどの現金を積んで戻る。狙うのはその金だ」
とても可能な話とは思えない。だがJuancaは言う。俺たちだけでやるわけじゃない。これにはDon Vazquezが関わっている。
Don Vazquezは現在Juarezカルテルのトップに立つ人物だ。この強奪もカルテル同士の抗争の一つというわけだ。
Don Vazquezは、彼らに特別な武器を提供してくれることになっている。Mario達はまず国境を越え、Don Vazquezからその武器を受け取り、再び国境を越えて戻り、カルテルのトラックを襲うという段取りになっている。
一体いくらの金を奪うのだ、という問いにJuancaは200万ドルだと答える。そしてそれぞれの分け前は20万ドルになると言う。

もはや娘Anitaを取り戻すことはできない。だがその金があれば、去ってしまった妻Melisaと関係を修復し、新たに人生をやり直せるかもしれない。
その思いが、どう考えてもまともではなく、本当に成しえるのかも疑わしい、その仕事へとMarioを向かわせる。
出発は金曜だ。早朝に迎えに来る。Juancaはそう告げる。

金曜の早朝、三人は再びBrianの家に集まり、Juancaの車で出発する。
サンアントニオの店で朝食を食べた後、もうしばらく走り、その界隈ではどこにでもあるようなみすぼらしい一軒の木造住宅の前で車を停める。
ここは何だというMarioの問いに、Juancaは「俺たちの教会だ」と答える。
車で眠りたいと言うBrianを残し、MarioはJuancaと共にその家へと向かう。
三回のノックに応え、ドア越しに女がスペイン語で誰か問いかけてくる。
「Juancaだ。Don Vazquezの注文のものを受け取りに来た」
年配の女性がドアを開け、JuancaはSoniaだと紹介する。

Soniaに先導され、家の中に入る。廊下を進み、四つの錠を掛けられたドアへ。それらを外したSoniaに続き、奥へ進んで行く。
多くの写真が壁に飾られた部屋。そしてそこにあるドアを抜け、さらに奥の部屋へと進む。
最初は奇妙な壁紙だと思う。そして次の瞬間、それらが部屋の壁に無数にかけられた十字架であることに気付く。これは聖具を販売している店なのか?
そして部屋の中央には小さなベッド。そこにおむつだけを着けた小さな子供が寝かされている。その横には小さなテーブルを前に大男が座っている。テーブルの上は多くの薬瓶と軟膏らしきもので埋め尽くされている。そして大男の膝の上にはウージー。
部屋の暗さに徐々に目が慣れてくると、子供の奇妙な様子が見えてくる。目は開いているがこちらを認識している様子は無く、体を丸めよだれを垂らして横になっている。
更に目を凝らし、Marioはその子供の手の指がいくつか失われているのに気付く。足の指も。耳の上半分も。あたかもその身体から様々なパーツ、肉片を奪い去られたように、子供の身体中には無数の傷跡があった。

Juancaはポケットから分厚く膨らんだ封筒を出し、Soniaに手渡す。彼女は少しの間、重さを確かめるようにそれを持ち、大男に投げる。封筒を受け取った大男は、それをそのままテーブルに置く。誰も中身の金を数えようともしない。
「私がDon Vazquezを好きではないのは知ってるだろう。彼は悪魔だ。二度と彼の金を持ち込まないでおくれ」Soniaは言う。
「Vazquezが頼み事をするのはこれが最後だ。確約する」Juancaが言う。

Soiaはベッドの下からアルコール、ガーゼ、止血帯らしきものを取り出す。そして大男が彼女にダッフルバッグを手渡し、Soniaはその中を探り、小型のボルトカッターを取り出す。
「何をする気だ?」不穏な予感からMarioが声を上げる。大男が持っていたウージーを向ける。JUancaがMarioの肩を強く掴み、「落ち着け」と囁く。
大男が子供の身体と足を押さえ、Soniaは子供の左足の残り少ない指の一本をボルトカッターで切断する。
子供の身体が反り返り、口が大きく開けられ声にもならない叫び声が発せられる。その口の中には歯は無く、舌も根元を残すのみに切除されていた。
簡単に傷口の処理をした後、Soniaは祈りを上げる。それに呼応して壁の無数の十字架が震え、そのざわめきが部屋中を覆う。祈りが終わったとき、十字架も一斉に動きを止める。
切断した子供の足の指を封筒に入れ、SoniaはJuancに手渡す。そして二人は「教会」を後にする。

しばらく車で走った後、Marioは運転しているJuancに尋ねる。あの子供は何なんだ?
あの子の母親はSoniaの娘だ。ジャンキーだった。あの子を妊娠しているとき、過剰摂取で死んだ。あの家のバスルームで。Soniaはそれを見つけて、悲嘆にくれ亡骸に覆いかぶさって泣いた。その時、お腹の子供がまだ動いているのに気付いた。 Soniaは慌てて、母親の腹をナイフで切り開き、あの子を取り出した。以来、Soniaはあの子を育てている。
そして噂が広まる。あれは死ぬはずだった子供だが、神の意志によりこの世に留められた特別な子だ。人々はあの子の髪の毛や、切った爪をお守りとして求めるようになる。金を払ってそれを求める。
やがてその噂は、ギャングにも伝わる。危険と隣り合わせで、ある時は死地に赴く彼らは、さらに特別な部分をお守りとして求めるようになる。Soniaが拒否すれば銃を突きつけ、大金を積んで…。

そして彼らの乗る車は進んで行く。国境へ。そしてその先へ…。

* * *

これがどのような作品かを示す入り口ともいうべき、この恐ろしいシーンまでは書かねばと少し端折り過ぎて、きちんと伝わっているだろうか?やや不安。
文章の感じなども紹介できてないのだけど、特別な癖があったりと読みにくいものではない。ただ、この作品かなりスペイン語が多用されているので、翻訳機能が使えるKindle版での読書がおススメ。まあどうしても必要なところは続けて英語で意味が語られるし、 最悪全部飛ばしても読めるのだが、その文全体を選択し、タップすればスペイン語→日本語の翻訳が表示され、自分もそれを使って読んだ。大体はセリフの中で、かなり長いのもあるが、それはお祈りとか。基本的にはそれほどややこしいものはなかったはず。

序盤の方で飛ばしたシーンとしては、最初の殺人の時、死体の傷口から謎の虫が這い出してきて破壊されたところを食べ始めるというのと、バーでかなり昔に死んだはずの隣人が現れ、「気を付けろ」と警告するところ。
実はどちらについても特に説明はない。デイヴィッド・リンチ(合掌)の映画にあるような特に説明のないグロテスクだったり、シュールな断片というところなのだが、間でこんな感じに長々と説明を挟むのもうまくないんで、省略した。
そしてもう一つ、この作品の重要なテーマの一つとして、アメリカでラテンアメリカ系人種として生きることの苦痛というのがあり、それは本当に序盤のあたりから随所に現れるのだけど、その辺うまくあらすじに反映できていなかったり。
主人公Marioはメキシコ人らしいかなり昔に死んだと思われる父親と、プエルトリコ出身の母親との間に生まれ、アメリカ国籍は持っているものの貧困家庭で育ち、少しでもいい生活ができるよう勉学に励み、真面目に生きて、保険代理店に職を得て、 ラテンアメリカ系の保険に関する調査査定などの仕事をしてきたが、給料も安く子供の看病のために仕事が滞ればあっさり解雇され、ラテン系とすぐにわかる名前ゆえ、求職でも申し込んだ時点ではねられる。
ジャーナリストという顔も持つ、作者Gabino Iglesiasは、自身の出自でもあるそういった人種差別問題についても多く記事を書いており、第一次のトランプ政権の時にもそのメキシコ政策について厳しく非難してきた。
続くストーリーでは、食堂で白人の集団から受けた侮辱に対して、そこまで冷静な人物とも見えたJuancaが過剰なまでに暴力的に報復するという場面もある。

この作品について、一つまとめてみると、ボーダー=境界線をめぐる物語ということもできると思う。
まず主人公たちを縛る、人種という境界線。
そして主人公Marioが越える、社会・人間性の禁忌である殺人という境界線。
そして彼らが国境という境界線に近付き、それを越えるにつれて、彼らを取り巻く「現実」も恐るべき「超現実」へと境界線を越え、変容して行く。

この作品を読んで最初にイメージしたのは、かのジム・トンプスンによるノワール必読書の一つ、『Savage Night (サヴェッジ・ナイト)』(1953)。
小さな田舎町に潜入した殺し屋が強迫観念と妄想の果てに破滅して行くというストーリー。少々雑か?
一人称で記述される主人公Marioの語りは、自身と家族の境遇に対する怒り、これから向かう不可解な部分の多い犯罪への不安と恐怖、金さえ入れば人生をやり直せるはずという盲信に近づく願望、Juancaという人物への不信に加え、 友人であるBrianにまで疑いを抱き始め、様々な強迫観念、妄想に苛まれて行く。
そしてそれらに呼応するように、彼の前には理解することも敵わない恐怖が実体化し、戻ることのできない悪夢の先へと突き動かして行く。その道の先に、目的の先に待ち受けるのは何か?

あともう一つ、頭に浮かんだこれについてはうまく伝える自信がない。なぜかと言うと、よく考えるとこれについての連想はすべて読み終わった後のことかと思えるし、もちろん作品の結末を書くことはできないから。だがこの作品とこれとは、 自分の中では完全に結びつくんだが。
監督:村川透、主演:松田優作の映画『野獣死すべし』(1980)。原作とは大きく設定を変えられた、死んだ目をした感情がないような青年の伊達邦彦。たまたま出会った暴力的なルーザーの青年真田を仲間に引き込み、銀行を襲撃する。 東北へ向かう電車で逃亡中、別件から彼を疑って追跡した刑事に捕まる。刑事の銃を奪い、彼を射殺したとき、伊達の中で眠っていた戦場カメラマンとして経験したトラウマからの狂気が暴走し、彼の周りの世界を戦場へと変えて行く。
この主人公の狂気により、世界が暴走し変容して行くというところなんだが、うーん、やっぱり結末かなあ。
あんまり伝わっていないかとは思うんだが、自分にとって特別に得思い入れのある映画であるこれを連想させたぐらいの作品ということで。

ちょっと話が横道にそれちゃうかもしれないけど、これを出したからには、かなり原作と違うことで批判も多いこの映画に対する自分のスタンスを説明せねばなるまい。
まず自分は原作である大藪春彦の『野獣死すべし』を、日本で唯一無二のオリジナルのハードボイルドを立ち上げた名作として、大変リスペクトしている。
更に、1959年の仲代達矢主演のものについては、もしこれ同時代で観てたらオレ一生仲代兄貴について行くぞと思わせただろう、本当にすごい作品だと思ってる。
それらとは全く別で、どれが一番なんて幼稚な順位をつけることも無く、この松田優作主演のものをすごい映画だと思ってる。
優れた原作作品がクソレベルの映画になることを度々批判している私だが、なにも原作通りに作られないことで批判してきたつもりはない。というかそもそもその通りになんて作られるのは無理だろうと思っている。自分が最も批判するのは、 話にもならん俳優が自分のイメージと違うみたいな理由や、商売上の浅知恵で作品のテーマそのものが踏みにじられるような行為についてである。
とはいえ、リチャード・スターク/パーカーの第1作『The Hunter』を映画化したということになってる『ペイバック』とかいうクソについては、以降メル何某の面を見ると殺意が沸き上がって来るので奴の出てる映画は一切見ないし、あんなもんを 一言でも褒めてる奴は全て自分の敵ぐらいに思ってる私なので、大藪原作を深く愛しこの映画を批判する人については、申し訳ないが敵となってしまうことを甘んじて受け入れる所存である。
そして私はこの『野獣死すべし』を日本で作られたノワール映画の大傑作であると評価している。

あー、やっぱり長ったらしくなっちゃったけど、これ出したからには、これについては言わなきゃならんので。
それにしても、なーんかあの手この手でいくら書いてみても、この作品のすごさがイマイチ伝わらん気がする…。オレの力なんてそんなもんか。
ややバラし過ぎかとも思うんだが、この後物語のかなりの部分は目的へと向かう旅程となって行き、悪夢と暗黒のロードノヴェルといった様相を表してくることになる。
これは本当にすごい作品なんだよ。一人でも多くの人が読んでくれよ。頼むよ。

Gabino Iglesiasについては最初に大体のところを書いたと思うが、その他には『Zero Saints』、『Coyote Songs』の旧作2作が、その後Mulholland Booksより再発となっている。最新作『House of Bone and Rain』が2024年出版なので、新作は まだ先だろうが、つい先日Substackにて自分は作家として書き続けて行かねばならないという結構アツい感じの文章を書いていた。それによるとなんだか現在は四つの作品を並行して書いているとのことで、それが全部出るものかは不明だが、 とにかく今後も多くの作品が読めることが期待できるんだろう。自分としては、やっとGabinoさんの作品を読んだよという感じだが、作家としてはまだ本格的に始動したところで、旧作も含めGabino作品を追って行かねばと思っている。

あ、ここで日本的にはあんまりなじみがないのかもしれないSubstackについて少々。とりあえず「Substackとは、ブログを書く感覚でメルマガを配信できるアメリカ発のプラットフォームです」みたいな説明があり、検索すると「Substackもうかりまっか」とか 「noteとどう違うの?」とか自分的にはあまり見る気が起きない感じのも見つかるので、詳しく知りたい人はそっち見て下さい。丸投げ。
ここではそっちでやってる自分的に注目の作家を何人か紹介。上記のGabino Iglesiasのもののように、作家の考えを長めの文章で詳しく読めたり、短編作品などを掲載している作家もいます。
まあまずAnthony Neil Smith先生が出てきちゃうんだが、先生のSubstackについてはかなり書かなきゃならんことがあるので、改めて。前回もそんなこと書いてたな…。とりあえず『Slower Bear』、次の次ぐらいの予定なんで、色々そこで詳しく。
そして、なんとあのRay Banksも!まあ映画に関するエッセイというものなんだが、かなり頻繁に上げられてて、新作も無くなんかBanksがなんか書いてるだけでも嬉しい私みたいな者には、ありがたいもんです。
それからPaul D. Brazill。この人本当にまめで、ほぼ毎日ニュースレター届いちゃうよん。Brazillさんも色々絶版になってた作品を自費出版で再発してたりで、ちゃんと紹介せねばと思ってるんだが…。
そしてドゥエイン・スウィアジンスキー。最近警官だった自分の祖父の従兄弟が100年前に殺された事件のノンフィクションを掲載してて、これはこれから出るらしい本の一部らしい。スウィアジンスキー去年10月に長らく絶版だった『Secret Dead Men』が 再発になってたりで、早く追いつかねばならないんだが…。
その他にも注目のGrant Wamackや、早くなんか読まねばと思い続けてるウィル・カーバーなど。色々な作家の近況やら、現在の考えなどが、Xの呟きとかより詳しく読めておススメです。なんか面白いのあって、余力あればまた紹介します。


昨年、Jon Bassoffの『Corrosion』をやっと読み、ホラー寄りの作品ということで後回しにすることはやめなければな、と深く反省し、やっと同じ理由で後回しにして来たGabino Iglesias作品を読んだ。本当にアホだな。今度こそ本当にノワールとの 境界線上とかせせこましいことを考えず、ホラー作品本丸に挑むぐらいのつもりでどんどん読んで行かねばと思う。そのためにはこっちもどんどん書かねばならず、何とかとりあえずは2か月3回の更新を…目指すよう…試みるべく…心がけようと思います…。 腰砕け…。そんなことを言いつつ先々週ぐらいにはなんか熱出て3~4日行動不能になったりしとるんだが…。ままならんねえ。うーん、とにかく頑張るですよ。


■Gabino Iglesias著作リスト

●長編

  • Gutmouth (2012)
  • Hungry Darkness (2015)
  • Zero Saints (2015)
  • Coyote Songs (2018)
  • The Devil Takes You Home (2022)
  • House of Bone and Rain (2024)


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2025年3月10日月曜日

Frank Bill / Donnybrook -荒涼の「暴力文学」の傑作!-

今回はFrank Billの『Donnybrook』。2013年に出版され、主にカントリーノワールという地点で非常に高く評価されている作品です。

この作品、作家がどのような位置にいるかというと、古くはフォークナー、オコナーらのサウザンゴシック文学の後継者である、Larry Brown、ドナルド・レイ・ポロックといったところに連なる文学寄りの作家。
2011年、短篇集『Crimes in Southern Indiana』で登場し、2013年のこの作品が長編デビュー作となる。
犯罪小説としても一つそれなりの完成度を持った作品なのだが、ポロック同様にやはり文学というところでのとがった表現やら、視点なども多い。
その辺を少し慎重に、うまく伝えんとなと考えているところで、まあ現行カバーの感じからそうなんだろうなと思ってたけど、この作品映画化されていることがわかった。
邦題が『デスマッチ 檻の中の拳闘』………………………………。なーんか、この間11周年で翻訳ミステリの駄目さをくどくど散々書いたばかりで、もうこの手の日本的駄目さには言及する気さえ起きんのだがな…。
とりあえず、その映画版については後程ということで…。
そして、これが文学であるか、犯罪小説であるかみたいな分類も蹴飛ばす、2010年代「暴力文学」として必読の重要作、『Donnybrook』について、まずはそのあらすじ内容から紹介して行きます。

■Donnybrook


Donnybrookとは何か?Webの辞書的なところで見ると、大乱闘、激しい口論などの意味が出てくる。
作品の冒頭では、イギリスの語源研究家・作家であるマイケル・キニオンのWorld Wide WardsからのDonnybrookの語源の引用がされている。
それによると、元々は18世紀までのアイルランドで行われていた、なんか喧嘩祭りみたいなものだったらしい。8月末頃に約2週間にわたって行われていたドニーブルックフェアでは、夜になると酔っ払い共により「頭が見えたらぶん殴れ」式の 喧嘩大会が行われていたということ。
この作品のDonnybrookは、現代におけるそんな喧嘩大会。舞台となっているアメリカケンタッキー州の荒野に、広大な土地を所有するいかがわしい富豪により開催される、ルール無用の素手殴り合い大会。最後に残っていた者には莫大な賞金が払われる。 それを目指し、近隣の食い詰めた喧嘩自慢たちが集まって来る。それがDonnybrook。

俺は子供たち、ZeekとCalebをムショの中からじゃ食わせていけない、Jarhead Earlは思う。だがこれは奴らにいい暮らしを与えてやれるチャンスなんだ。
彼は、12ゲージのスラッグ弾をショットガンの弾倉に押し込んだ。
最初の装弾音が、12ゲージ、フルチョークのオートマチックをJearhedにに手渡した直後の、Dote Conradの耳に響く。
銃身が持ち上げられ、Jeaheadが言う。「手を高く上げて、ゆっくりこっちを向け」

銃砲店の店主Doteは、辺りを見回すが近くに装填されている銃は無い。
手を上げ、説得するように言う。「今日買う金がないなら予約販売もできるぞ。鹿狩りのシーズンはまだ先だろ」
Jarheadは言う。「買い物に来たんじゃないんだ。カウンターの端まで歩け。裏にある金庫までついて行くから。レジに十分な金がない場合だけどな」
Hazardの誰もが、Doteが月に一回しか銀行に入金しないのを知ってる。金庫とレジに大金が収まっていることも。防犯のためにカウンターの後ろに装填された銃を置いていないことも。南東ケンタッキー外れの丘の上の、卒業後誰と結婚して生まれた子供も 誰もが知ってるような小さな田舎町の銃砲店で、強盗に遭う心配などしたことがなかった。

「生活が苦しいのは分かるよ。不況でみんな失業してるから。もうすぐ州が道路工事に作業員を雇うって聞いたぞ。ショットガンなんか使わなくてもお前のなんかの問題も解決するだろう」
だが、Jarheadにはそれを待つ時間は無い。「まず、レジの中を見せてみろ」
「Jarhead、俺には…」
Jarheadはショットガンを撃ちDoteの頭の横の壁に穴をあける。そしてその銃口をDoteの鼻に押し付ける。「俺はお願いしてるんじゃない」

レジから金を出すDote。「俺に聞こえるように数えろ」Jarheadは言う。
金を数え始めるDote。そしてそれが1000ドルになったところで、Jarheadが止める。「お前全部は要らねえのか?」
「全部は要らねえ」そしてJarheadはその金を持参したウォールマートのレジ袋に詰めさせる。
そして、JarheadはDoteを、ショットガンでバックルームに入るように促し、跪かせる。
「殺さないでくれ!」Jarheadに後頭部を銃口で突かれ、Doteはその場に気絶する。

* * *

男の肉は焦げたゼリーだった。Flatは叫びながら男を家から引き摺り出し、放り出した。今彼が神のマネのように手を広げて横たわっている庭へ。錆びた三輪車の横に。滑り台のないブランコセット、ブランコもない。遥か昔に見捨てられた想い出。 それらの背後の炎から煙が立ち上る。黄色とオレンジが夜闇を切り開き、古い家を飲み込んで行く。
Flatは言う。「あいつをERに連れてってくれ」
Angusはそれを遮る。「ERに行けば通報される。わかってるだろう」

LizとAngusは、BeatleとFlatを一連の覚醒剤製造工程の見張りに残していた。二人が第2シフトの終わりと、第3シフトの始まりと商売している間。田舎のオートパーツ工場で。不況により6か月の内には閉鎖される。- 食料品、車の月賦、賃貸料の支払いを すっぽかした男たち、女たち。8時間のシフトをこなすための、逃避と次のドーパミンラッシュのために渇望している。
それがAngusの暮らしだった。事故に遭って以来の。手術が顔の片側をごちゃまぜの決して合わさらない肉のパズルに変えて以来の。

商売から戻ったAngusとLizは、BeatleとFlatの杜撰な作業により爆発炎上した覚醒剤精製所だったファームハウスを見ることとなる。
Beatleは横たわり、もがきながら叫ぶ。「助けてくれ!頼む!助けて!」
Angusは胸当ての中に手を入れる。道具を取り出す。殺しのための。
「何する気だ?」Flatが詰め寄る。
「お前のマヌケな兄弟を悲惨から救ってやるのさ」
そしてBeatleを射殺し、続いてFlatも撃ち殺す。
Lizは顔を背け、動揺を隠しながら言う。「それで…どうするの?」
「郡の小僧共が現れる前にずらかる。俺たちに長い懲役を課す前に。身を隠せる別の空き家を見つける。お前の薬屋を捕まえる。ここの仕事が無くなる前に始めなきゃならん。連中の金が枯渇する前に」

* * *

こんな感じで、まず主人公となる二人の人物が紹介される。
ひとりはJarhead Earl。二つの仕事を掛け持ちしながら、家族を困窮から救うことができず、生活の足しに近所で不定期に行われる素手格闘試合で稼いでいるうちに、Donnybrookの噂を聞きつけ、一攫千金を狙いそれに参加するため、顔見知りの銃砲店に押し入り、 参加費1000ドルを強奪する。
もうひとりはAngus。通称Chainsaw Angus。かつては木材伐採の仕事に就いていたが、チェインソーの事故により顔半分が手術でも修復不能なまでに破壊されていることからその名で呼ばれる。現在は妹Lizとともに自身で精製した覚醒剤を売りさばき、 生活している冷酷な男。実は過去のDonnybrookに出場し、伝説的なファイターとしても知られている。

この二人がDonnybrookで激突することとなるというのがメインのストーリーだが、そこに至るまでは結構ややこしい。実はJarhedの方のストーリーは比較的シンプルなのだが、Angusの方はかなり複雑で、そこから派生した様々な人間関係と憎悪が ストーリーの多くの部分を占めて行くこととなる。その辺についてあとは簡単に、重要キャラクターと共に紹介して行く。

AngusとLizは、まず次の覚醒剤精製のための拠点を捜し、近くに家もない荒廃した空き家を見つけ、そこに腰を落ち着ける。
そして、原材料の調達のため、金とLizの身体で手なずけたギャンブル中毒のアル中の薬剤師、Eldon McClanahanを訪ねる。
精製所を失い新たに始めるために資金不足なAngusは、後払いで原材料を渡すよう要求するが、Eldonは拒み、結果Angusに殺害されることとなる。
そしてAngusは、新たな拠点で覚醒剤を作り始める。

ここで当地に住む犯罪常習者レベルの人物、Ned Newtonが登場する。
Angusの精製所が火災に遭った話を人伝に聞いたNedは、金の匂いを嗅ぎ付け、酒場Leavenworth Tavernで探りを入れ、そこを時々訪れるLizの存在を知り、精製作業が終了し、息抜きににやって来たLizをひっかける。
Flatら兄弟とEldonと続くAngusの凶行にうんざりしていたLizは、Nedの誘いに乗り、新たな精製所である廃屋へ案内する。
AngusとLizが言い争っている間に、勝手口を破ったNedがショットガンでAngusを撃つ。
動かなくなったAngusを残し、NedとLizはすべての覚醒剤を持って逃げる。

NedとLizは、手に入れた覚醒剤を一気に捌こうと考え、Leavenworth Tavernの伝手で売人を紹介してもらう。
だがその売人は最初からそれを奪う意図しかなく、それを察知したNedにより返り討ちにあう。
NedとLizは一括での取引を諦め、Ned自身も出場経験のあるDonnybrookで売ることを考え、そちらに向かう。

Lizの裏切りによりショットガンで撃たれたAngus。だが彼は生きていた。そして体力の回復を待ち、NedとLizの後を追う。
Leavenworth Tavernで、NedとLizがDonnybrookへ向かったことを知るAngus。
そして更に彼らの後を追おうとしたAngusに一人の男が近付いて来る。

男の名はFu。中国拳法、暗殺術、拷問術のエキスパート。
Angusにより殺害された薬剤師Eldonは、ギャンブルにより多額の借金を地元のギャングであるMr.Zhongに負っていた。Fuはその借金を殺害者であるAngusから取り立てるため派遣されてきた男。
Fuの中国拳法には敵わず、捕縛されるAngus。だが運転中の隙を突きFuを倒し、車を奪いNedとLizを追いDonnybrookへ向かう。

更にもう一人、保安官事務所の保安官補Ross Whalen。Jarhead、Angus双方の事件の捜査に関わる。アルコールの問題を抱え、定職になる。
AngusがNedとLizを追う過程で行ったある殺人により、Angusに深い恨みを抱き、彼を殺害する意図で個人的に追跡を始める。えーと、ここのところは特別な意図があって詳しい事情を書いてないわけでなく、既に作品内容を書き過ぎてる感があり、 書かないで説明できるところは書かないでおこうぐらいの配慮と省略。
その追跡の途上、負傷したFuを見つけ、車に同乗させて動いているうちに互いの利益が一致することを知り、二人でDonnybrookへと向かうこととなる。

ここまでがAngusと、そこから派生する関係人物たちの行動。
そしてJarhead側の動きも簡単に。
1000ドルを手に入れたJarheadは、そのままDonnybrookに向かって車を走らせるが、その途上、パトカーに停められる。理由はテールランプの故障だったが、その途中で通信が入り、強盗の発覚を怖れたJarheadは警官を殴って昏倒させ、 パトカーのトランクに入れて隠す。
既にナンバーを控えられてしまったので、車を捨てヒッチハイクで先を目指す。彼を乗せてくれた男は、その土地の盗めるものは何でも盗み売れるものは何でも売るような犯罪者一家の一員で、道端の家の前の車からガソリンを抜いて捕まりそうなになったところを、 Jarheadが助け、恩義を感じた男により一家の家で歓待される。
家族のモラルの低さに反感を感じ始めるJarheadだったが、衝突を起こす以前にその家が官警に包囲され銃撃戦が始まる。
裏口の警官を倒し、そのまま逃げ、川にぶつかったところで、Jarheadは彼を待っていたというPurcellという年配の男に出会う。

このPurcellという人物は、実は結構序盤のあたりから、あまりよくわからない感じで登場している。えーと、仙人?なにか夢のお告げという感じでJarheadとAngusのことを知り、それに従って動きここでJarheadに会う。
明らかにJarheadよりはかなり年長で、ジジイぐらいに呼ばれるところもあったと思うが、あんまり年齢はっきりしないので年配ぐらいにしといた。
ここからはこのPurcellの案内で、JarheadはDonnybrookへとたどり着き、その中でも彼と行動することになる。
Jarheadパートはこんな感じ。

Donnybrookは、Bellmont McGillという犯罪にも多く関わる富豪の土地で開催される。周囲はフェンスで囲まれ、唯一の入り口はMcGillの雇ったバイクギャング達と猛犬により守られている。入場料を払えば入れるが、すべてが終わるまでは誰も出ることはできない。
Donnybrookの試合形式は序盤で説明されるが、リングに一気に20人ほどを上がらせ、残り一人になるまで戦わせるを繰り返し、最終的には6人により決勝戦が行われる。
えーと、ここで注意しておきたいのはこれは「格闘小説」というようなものではないということ。なんかマンガとかでも、そういう方向の正しさのような思い込みから見当違いの批判とかするような人も多いので。
この物語はそういったところでは犯罪小説というようなところに分類されるものであり、ここまで書いたストーリーから思い込むような人もいるだろう最強がリングの上でぶつかり合い頂点を目指す的なことにはならないので。Angusサイドで書いた 人物たちはほとんどが、正当な形での大会参加を意図してDonnybrookへはやって来ないし、上に書いたような試合形式も無茶苦茶になり、リングの上での最強最終決着的なこととも違うことになるぐらいのことは言っといた方がいいだろう。

ここで最初の方から言ってるこの作品が文学傾向のものであるということについて。これはなんかそういう言い方でこの作品を「高尚なもの」にこじつけようなどという意図ではない。それから、自分は文学という言葉を、なんか第2の太宰が現れれば復興するらしい 「純文学」みたいなものとして言ってないので。
ここはまず、先行する翻訳も出ているドナルド・レイ・ポロックの『悪魔はいつもそこに (The Devil All The Time)』を例にするのがいいか。『Donnybrook』同様にサウザンゴシックの流れを汲む文学作品として、犯罪小説ジャンルであるカントリーノワール というところでも高く評価されているこの作品では、数々の不道徳、悪行、暴力、犯罪が一切のモラル的緩衝材なしで、投げ出されるように並べられる。例えば、娯楽作品として書かれ、どいう形にせよ読者を楽しませる意図で書かれた犯罪小説より更に過激な形で。 その境界線と言えるようなところを更に越え、そこにあるものを一切の「感情的」オブラートに包むことすらせずに投げ出す。
こういう作品をこういう形で書ける作家、ドナルド・レイ・ポロックを私は心から尊敬するし、そう言ったことで他人からどう思われようが全く関係ないし、そこを分かりやすく説明する気も失せた。ただこれはエクスキューズでもなんでもなく、ただ単純に 作者のモラルが低いことでモラルのラインを越えてるようなゲス本みたいなものは心底嫌いだ。こういう作品は当然万人向けではなく、人によっては読みたくないと思うのも当然だとは思うが、その辺の違いも見えなず、同列に批判するような人には そもそもこういう小説を読むキャパがないんだろうとしか言えんよ。

そしてこの『Donnybrook』も『悪魔はいつもそこに』と同様の文学手法を用いて書かれた作品と言えるだろう。
ここで描かれるのは、暴力によって目の前の障害を打ち倒すことでしか存在しえない荒涼の世界。
一人称記述ではない地の文が、犯罪小説などで話される会話文のような文体で綴られる。単純にスラングの多様みたいなことではなく、言い回しやら省略といった形で。そしてその語りにより、様々なものが削ぎ落とされ、暴力のみしか存在しえない 荒涼の世界が形作られて行く。
なんの正義も、正当性もなく、自身が存在し続けるために振るわれる暴力。「頭が見えたら殴れ」。それが『Donnybrook』。サウザンゴシックの流れを汲み、現代に書かれた荒涼の「暴力文学」の傑作である。

と、なぜこれが文学というところに属するのかということについて、長々と説明してきたが、結構書き過ぎちゃったかもぐらいに書いたあらすじの方でわかるように、この作品、多くの悪党やらヤバい奴らが行き交い絡み合う、犯罪小説という視点でも 大変楽しめる作品である。あんまり堅苦しく考えすぎずに読んでもらいたい、というところもあるのだけど、上で説明したようなかなりいっちゃってる文体で書かれた作品なので、少々大変かも。頑張って読んでくれよ。傑作なのは保証するんで。
じゃあ、最後は映画版について。

『デスマッチ 檻の中の拳闘』について


と、とりあえずタイトル書いたけど、もうこんなひどいの何度も書きたくないんで、あとは『ドニーブルック』で書いて行きます。まあ以前の『シー・ライズ・ショットガン』同様の邦題あまりにひどすぎる案件対応措置。
で、その映画版『ドニーブルック』なのだが、『悪魔はいつもそこに』みたいにネットフリックス映画だったら、そこまでして観ることないよねでスルー出来たんだが、昨年どうしても『フォールアウト』観たくて唯一加入したアマゾン・プライムでも レンタル(有料)で観れるということなので仕方なく観た。そんなに映画観たくないんか?いや、そういうわけじゃないんだけど…。
まず観た感想としては、邦題の救いがたい酷さにもかかわらず、それなりに意欲的な作品ではあり、脚本も担当した監督Tim Suttonも、それなりに原作を理解していると思う。にもかかわらず、失敗作ぐらいのことを言うしかない作品か…。

とりあえず映画化の際の変更点についてから。
登場人物の内、Ned NewtonとFuは削除され、関連するエピソードも同様に削除または変更されている。Purcellについては仙人要素が無くなり、ただの川の渡しで、Donnybrookにも同行しない。保安官補Ross Whalenについては、こっちが省略した Angusに深い恨みを抱くエピソードも削除され、その土地で起こる全ての事件の元凶がAngusという思いから、酒を飲みながら追跡する感じ。
そして大きな変更として、原作では全く面識のないJarheadとAngusが地元の知り合いで憎み合ってることになり、Angusの妹LizがDeliaに名前が変えられ、原作では何の考えもないアバズレだったのが、兄にやむなく従っている女性という感じに変更されている。
Jarheadとその家族については途中電話で話すぐらいの接触しか最後に再会するまでは無かったのだが、家族全員で出発して妻と娘は途中のモーテルで待たせ、息子と二人で目的地Donnybrookへと向かうという形に変えられている。

先に書いたように原作小説においては、本来主人公であるJarheadよりも、敵役であるAngusのエピソードの方が多く、映画を主人公中心に見せるにはややバランスが悪い。その辺を考えてと、アメリカ映画ではもはやお馴染み、ややうんざりさせられる ファミリー要素強調の手法のための要求などがあっての、Jarheadと家族の部分の変更に至ったことは容易に想像できる。またAngusとの関係の変更も話を分かりやすくみたいな意図からのものだろう。
映画の全体の雰囲気としては、カントリーノワールということで、先行するそのジャンルの映画として評価も高い『ウィンターズ・ボーン』をお手本としたような表現が随所で見られる。森や枯れ木、空などの風景の中に、人物が静的に描かれる感じとか。 未見であるけど、内容から考えて『悪魔はいつもそこに』もそんな感じだったのかも。
そしてそれらの変更が作品の失敗へとつながる。

この原作『Donnybrook』は、先にも書いたように暴力以外の方法が何もないぐらいまで他を削ぎ落したような荒涼とした世界を描いた作品だ。
そしてこの映画版『ドニーブルック』では監督Tim Suttonの考えにより変更され追加された、それらの先行作品を手本としたような「カントリーノワール的表現」が大変印象的に情感豊かに描写されている。
だがその二つがきちんとかみ合っていない。それゆえにかなり原作とは違うが一応最低限そのラインに従って終わる結末や、それぞれの登場人物の末路が、映画を観終わった後ただ陰惨で、無意味に残酷なものにしか見えず、後味の悪い何か納得できないもの になってしまう。原作を知らないまま映画を観た人の中には、そちらの映画化により付け加えられた「カントリーノワール的表現」のシーン(ちなみにそれらのシーンで主に中心となるのは、原作と違うキャラクターになったAngusの妹Deliaと、 原作には登場しないJarheadの息子である)の方が物語のメインというような印象を持ち、暴力的な展開、シーンによりそちらの本来のテーマと思い込んだものが台無しにされてるとさえ思う者もいるかもしれない。

この原作『Donnybrook』がカントリーノワールであることを理解し、そういう形で表現しようとしたこと、そして、この作品の非情さ、陰惨さの中にそのテーマがあることを理解し、最低限ながらその線に沿って物語を描いたというところから、 この監督はそれなりに原作を理解したうえでこの映画を作ったのだろうと思う。まあ、もっと酷い例は山ほどあり過ぎるという視点かもしれんけど。
ただ監督の思い描いた通りにはうまく行かなかったということじゃないかな。
それこそ星の数ほど数多ある、映画による原作の蹂躙の中では、「良心的失敗作」というようなものかもね。

ただねえ、カントリーノワールと言えば、『ウィンターズ・ボーン』みたいな考えは、ちょっと安直に過ぎないか?この『Donnybrook』はかなり違うと言えるタイプのカントリーノワールだし。なーんかこういうのってハードボイルドと言えば、 ハメットだー、チャンドラーだー、とそんなに違わない気がして、まあ、日本にカントリーノワールなんて10億年かかっても無理なんだろうな、と思ったり…。

要約すれば、この映画『ドニーブルック』は、カントリーノワールということで『ウィンターズ・ボーン』風を目指して作られたが、本来のストーリーとかみ合わず失敗し、日本では救いがたいほどひどい邦題を付けられた作品というところか。
こうやって優れた小説作品が映画化された時、いつも危惧するのは、映画を先に観た奴が後で原作作品をあらすじをなぞるぐらいの適当さで読み、場合によっては映画の方が原典と思い込むぐらいの頭の悪さで粗雑に扱うことなのだけど、まあここまでひどい邦題の ものを観て、翻訳も出てない原作『Donnybrook』に辿り着く奴なんてまず皆無ってことで、その心配はないだろうね。
とりあえず原作は映画よりもっと面白いよ、ぐらいのことは言っといてもいいだろう。

* * *

作者Frank Billについては、詳しい経歴とか不明なんだが、とにかく1974年生まれで現在51歳。短編集『Crimes in Southern Indiana』を2011年に発表し、続くデビュー長編がこの2013年の『Donnybrook』。そして2017年には長編第2作『The Savage』を 出版しているが、これは『Donnybrook』の続編らしい。結構前から持ってたのに知らなかった…。早く読めよ。
そして2022年には俳優・その他のノーマン・リーダスとの共作で『The Ravaged』を出版。まあ共作つっても、小っちゃくWith~で名前入ってるやつなんで、原案ノーマン、中身はFrank Billぐらいのやつなんだろ。なんかマッキンティのレビューが Amazonのページに入ってるが、まあダフィを出してるBlackstone Publishingからの出版なんでそっちで頼まれてってとこかと。このBlackstone Publishingってとこ…。まあ色々言いたいことあるけど次にマッキンティ作品やったときにやるか…。 というような作品ですが、とりあえずノーマン・リーダス+Frank Billぐらいは、それなりに読む価値はあるのかも。
そして2023年に長編第3作『Back to the Dirt』。こちらはベトナム戦争退役軍人の主人公が、そのトラウマで…、という方向の話らしい。
今のところ作品数はあまりないが、文学辺境、犯罪小説境界というような作家としてこれからも注目して行きたいと思います。

ハードボイルドからの視点では、90年代ジェームズ・リー・バーク、ジョー・R・ランズデールというあたりが入り口となり、その後犯罪小説の注目点が『ブレイキング・バッド』にも見られるような、田舎町のローライフの安手の犯罪へと 移行して行く流れから、ダニエル・ウッドレルの俺単独ジャンルぐらいだったカントリーノワールへの隆盛へと繋がって行くのは、必然的な変化であったようにも見えるが、そこにはサウザンゴシックの流れを汲むLarry Brown、ドナルド・レイ・ポロック といった文学にカテゴライズされる作家・作品の存在も大きな要因の一つだったのだろう。そしてそんな状況に登場したのがこのFrank Billの『Donnybrook』だったわけだ。
この文学/犯罪小説といった境界あたりで続くサウザンゴシックの継承者として注目されているのが、ポロックらにも高く評価されているSheldon Lee Comptonであり、Cowboy Jamboreeなどではまだ作家予備軍ぐらいのところかもしれないが、同方向を目指す 作家も多く現れている。Compton主催で、現在Anthony Neil Smithがエディターを努めるウェブジンREVOLUTION JOHN.もその拠点の一つだろう。もちろんAnthony Neil Smithも そういった境界近くのところに位置する作家である。Smith先生情報、実はかなりあるんだが、ちょっと長くなりすぎるんで近日予定の『Slower Bear』の時に。
また一方で、ポロックほどヘビーではなくジャンル犯罪小説というところでもう少し気楽に読める、Brian Panowich/Bull Mountainシリーズや、クリス・オフット/ミック・ハーディンシリーズというようなところでカントリーノワールジャンルも 定着して行くのかもしれない。
というところなんだが、そもそもの開祖!一人でジャンルを始めたダニエル・ウッドレルがほとんど翻訳もなく、出たのも入手困難になってるぐらいで何とかしなければ、そもそも自分もそれほど読めてないぐらいで、今年こそはウッドレル 本格的に取り組まねばと決意を新たにして、もう2か月以上過ぎたところ。まあそんな感じでとにかく次のカントリーノワールは、読まなきゃならんの山ほどあるんだが、近日中にウッドレルという感じで予定しております。


さて、おいどうしたんだよスプラッタパンク・アワードは?次じゃなかったの?とお思いの人もいるんじゃないかと思いますが、えーと、まだノミネートが発表されておりません…。
いや、昨年大晦日にノミネートのための公募の締め切りとかの話は見つかるんで、終わってしまったわけではなく進行中なのは確かなんだが、例年2月前半ぐらいだったものが3月に入った現在も一向にノミネート作品の発表がありません…。 なんか一方でこっち進行しながら、発表になったらすぐそっちをやろうという態勢で、一日2~3回ぐらいチェックしてるんだが…。
なんか昨年その辺の発表が、Briab Keeneからキラーコンへと移行された様子以後のアワード発表時にも見られたもたつきから、もうノミネート作品自体は決まっているが、キラーコンサイドの問題で遅れているのではないかとは察せられるんだが。 多分Web担当が常駐してるわけではなくてその発表ページがなかなか作れないとかの。
例えば、ちょっとちゃんと報酬出る仕事の方で忙しいんでもうちょっと待ってて、ひと段落着いたらまとめて色々やるからさあ、みたいな待ち状態とか。
もしくは、チクショー!キラーコンなんてもう知るか!お前らで勝手にやれよ!バターン!お、おいどーすんだよ、ジョージがやめちゃったら他にWebの方やれる奴いないんだぞ。Keeneさんになんて言うんだよ?あ、そうだ、とりあえずジョージがUFOに 攫われたってことにしてごまかしとこうぜ。
Brian Keene「えっ、そうなの?そりゃあ大変だねえ。とりあえずみんな待ってるからできるだけ早く何とかできそうなら頼むね。あとジョージが戻ってきたらアブダクションの話詳しく聞かせてね」というようなことになってるのかも。
とにかく発表され次第こちらでも報告しますので、もう少々(たぶん)お待ちください。


■Frank Bill著作リスト

●長編

  • Donnybrook (2013)
  • The Savage (2017)
  • The Ravaged (2022) (Norman Reedusと共作)
  • Back to the Dirt (2023)

●短篇集

  • Crimes in Southern Indiana (2011)


■Frank Bill
●長編

Norman Reedusと共作

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