
えーと、最初に言っちゃうと、これすごい作品です。みんな読め。終わり。…じゃあ済まないだろうからちゃんとやるよ。なんかホントにすごいやつって、いくらでも話せるけどその一方で何も知らせずにとにかく読め、と言いたくなっちゃう。 これはそんな作品。
Gabino Iglesiasは、作家の他にもジャーナリスト、大学教授、レビュアー、アンソロジーなどの編集者など、多数の肩書を持った人。
この人のレビューとかは結構昔から見ていて、ああGabinoが言うなら確かだな、ぐらいの感じで私もその本をチェックしてきた、かなり確かな目も持った人。
この作品以前に、2012年から4作の中編・長編を出版していて、そのうちZero Saints (2015)、Coyote Songs (2018)の2作はホラー関連の受賞もあり、大変高く評価されている。
色々なアンソロジーなどに多くの短編も発表しているんだが、なかなか長いものに向かわないな、という印象を持っていたのだが、ここでMulholland Booksという場を得て、2024年には続いて『House of Bone and Rain』と勢いに乗り始めた感じもある。 そしてそのMulholland Booksでの最初の作品が、この『The Devil Takes You Home』となる。
自分については前述のように、レビュアーとしてかなり信用できると思っていたが、実際に作品を読んだのは、Adam Howe編集のプロレステーマアンソロジー『Wrestle Maniacs』収録の短編が初めてぐらい。メキシコのナチョリブレが 呪術的といった感じのホラーにスライドして行く迫力あるストーリーは、アンソロジーの中でもかなり印象深く、なるべく早くGabino作品を読まなければと思っていて、やっとというところ。
最初は以前から評価も高い『Coyote Songs』を考えていたんだが、マルホデビューでクライム傾向も高めらしく紹介しやすいかと思って、こちらの『The Devil Takes You Home』を選んだという次第。
重要なことなのでもう一度言います。これはすごい作品だぞ。『The Devil Takes You Home』です。
■The Devil Takes You Home
この作品は全編主人公であるMarioの一人称で書かれているが、あらすじとして要約するため、主に三人称で記述して行きます。今回は序盤の方からちょっと端折ってやって行かなければならないので、一応先に注意。
白血病です。医者はそう言った。
俺たちのまだ4歳の娘Anitaが。
そしてAnitaは入院し、Marioと妻Melisaは必死で娘の看病にあたる。
病院からは多額の請求書が送られ続ける。だが、その一方で娘の看病に注力し、欠勤が続いた結果、Marioは勤めていた会社を解雇され、健康保険も失い事態はさらに悪化して行く。
必死に仕事を探すが、プエルトリコとメキシコの血筋を持つ彼に新しい仕事はなかなか見つけられない。その間も病院からの請求は続く。
金策に窮したMarioは、友人Brianに電話する。
BrianはかつてのMarioの同僚で、会社を首になった後の現在はドラッグディーラーで、自身も中毒者。問題のある人物ではあるが、同僚時代から仕事以外の部分で気が合い、解雇された後も関係が続いていた。
様々なアンダーグラウンドの商売にも関わっており、仕事はあっても常に生活は苦しかったMarioに、以前より金に困ったら連絡しろよ、と話していた。
「いくら必要なんだ?」Brianは電話に応えて言う。
「…できる限りだ」
「金を稼がせてやることはできる。そこは簡単だ。お前、何でもやる気はあるか?」
Brianは数時間後にやって来る。住所が書かれた紙と写真を持って。
そして一丁の銃。
この住所にある家に行って、こいつが帰って来るのを待ち伏せ、頭の後ろに一発ぶち込む。それだけだ。
あと忘れちゃならんのは、終わったらこの銃は始末しろ。湖に放り込め。
こいつは悪党だ。お前が詳しく知る必要はないがな。こいつを消すのは世の中のために良いことをすることなんだ。Brianは言う。
その夜、Marioは教えられた住所へ行き、家の玄関近く道から見えないところに隠れ、男を待つ。数時間後深夜、男は酔って帰宅する。
鍵を取り出し、玄関を開けようとした男の背後に忍び寄り、男の後頭部に銃を向け、撃つ。
頭が破壊され、目の前の壁に血が飛び散り、男が倒れた時、Marioは娘Anitaを病気にした、彼女以外の世界すべてに報復を果たした気分を感じる。
Marioの顔に、笑顔が浮かぶ。
いささかの開放感さえ感じながら、帰路に向かうMario。その時彼の携帯が鳴る。妻Melisaからだ。
電話から聞こえてきたのは泣き声と悲鳴のような声。そして彼自身の世界も崩壊する。
Anitaが死んだ。
Anitaを失った後、Marioと妻Melisaの関係も崩壊し、彼女はMarioの許から去って行く。
唯一訪ねてくる友人はBrian。そしてしばらくの後、再びMarioに写真と住所の書かれた紙を渡す。「お前に今必要なのはこれだろう」
そしてそれからMarioは四人の「悪党」を殺す。それらの殺人は、いずれも彼に最初の時と同様の世界への復讐を感じさせる。
そしてBrianから、次のでかい仕事への誘いが来る。
結構急ぎ足の感じで紹介してきたが、このくらいで序盤30ページ。だがここまではまだ前置きぐらいで、実はここから本格的に物語が始まって行く。実際のところ、ここまででも結構重い話なんだが、この区切りから一気に話の展開が ゆっくりになり、それまでの話の流れから見るとまるでスローモーションになったかのようにさえ見えてくる。
指定されたバーでしばらく待ち、現れたBrianと共に彼の家へ向かうこととなる。これまでの仕事の打ち合わせには、常に自宅を避けていたBrianの様子から見ると、今度の仕事はかなり異例のようだ。
車を降りたBrianは、そこでMarioに向かって言う。「なあ、まず言っとくが、中で待ってる奴は話していることについてちゃんとわかってる奴だ。こいつは簡単な儲け仕事だ。かなりでかい金だ。これで人生を新しくやり直せる程の」
そしてBrianは、今同居している女性Stephのお腹の中の赤ちゃんの将来や、新しく始める生活について熱くまくしたて始める。
家の中で待っていた男の名はJuanca。Marioよりいくらか小柄で、彼よりも明るい肌は多くの刺青で覆われていた。そして、顔の刺青は彼がギャング組織の一員であることを表していた。
そしてBrianが仕事について説明する。「このJuancaはメキシコからのコカインの密輸ルートを知っている。トラックは大量のコカインを積んでやって来て、そして帰りは山ほどの現金を積んで戻る。狙うのはその金だ」
とても可能な話とは思えない。だがJuancaは言う。俺たちだけでやるわけじゃない。これにはDon Vazquezが関わっている。
Don Vazquezは現在Juarezカルテルのトップに立つ人物だ。この強奪もカルテル同士の抗争の一つというわけだ。
Don Vazquezは、彼らに特別な武器を提供してくれることになっている。Mario達はまず国境を越え、Don Vazquezからその武器を受け取り、再び国境を越えて戻り、カルテルのトラックを襲うという段取りになっている。
一体いくらの金を奪うのだ、という問いにJuancaは200万ドルだと答える。そしてそれぞれの分け前は20万ドルになると言う。
もはや娘Anitaを取り戻すことはできない。だがその金があれば、去ってしまった妻Melisaと関係を修復し、新たに人生をやり直せるかもしれない。
その思いが、どう考えてもまともではなく、本当に成しえるのかも疑わしい、その仕事へとMarioを向かわせる。
出発は金曜だ。早朝に迎えに来る。Juancaはそう告げる。
金曜の早朝、三人は再びBrianの家に集まり、Juancaの車で出発する。
サンアントニオの店で朝食を食べた後、もうしばらく走り、その界隈ではどこにでもあるようなみすぼらしい一軒の木造住宅の前で車を停める。
ここは何だというMarioの問いに、Juancaは「俺たちの教会だ」と答える。
車で眠りたいと言うBrianを残し、MarioはJuancaと共にその家へと向かう。
三回のノックに応え、ドア越しに女がスペイン語で誰か問いかけてくる。
「Juancaだ。Don Vazquezの注文のものを受け取りに来た」
年配の女性がドアを開け、JuancaはSoniaだと紹介する。
Soniaに先導され、家の中に入る。廊下を進み、四つの錠を掛けられたドアへ。それらを外したSoniaに続き、奥へ進んで行く。
多くの写真が壁に飾られた部屋。そしてそこにあるドアを抜け、さらに奥の部屋へと進む。
最初は奇妙な壁紙だと思う。そして次の瞬間、それらが部屋の壁に無数にかけられた十字架であることに気付く。これは聖具を販売している店なのか?
そして部屋の中央には小さなベッド。そこにおむつだけを着けた小さな子供が寝かされている。その横には小さなテーブルを前に大男が座っている。テーブルの上は多くの薬瓶と軟膏らしきもので埋め尽くされている。そして大男の膝の上にはウージー。
部屋の暗さに徐々に目が慣れてくると、子供の奇妙な様子が見えてくる。目は開いているがこちらを認識している様子は無く、体を丸めよだれを垂らして横になっている。
更に目を凝らし、Marioはその子供の手の指がいくつか失われているのに気付く。足の指も。耳の上半分も。あたかもその身体から様々なパーツ、肉片を奪い去られたように、子供の身体中には無数の傷跡があった。
Juancaはポケットから分厚く膨らんだ封筒を出し、Soniaに手渡す。彼女は少しの間、重さを確かめるようにそれを持ち、大男に投げる。封筒を受け取った大男は、それをそのままテーブルに置く。誰も中身の金を数えようともしない。
「私がDon Vazquezを好きではないのは知ってるだろう。彼は悪魔だ。二度と彼の金を持ち込まないでおくれ」Soniaは言う。
「Vazquezが頼み事をするのはこれが最後だ。確約する」Juancaが言う。
Soiaはベッドの下からアルコール、ガーゼ、止血帯らしきものを取り出す。そして大男が彼女にダッフルバッグを手渡し、Soniaはその中を探り、小型のボルトカッターを取り出す。
「何をする気だ?」不穏な予感からMarioが声を上げる。大男が持っていたウージーを向ける。JUancaがMarioの肩を強く掴み、「落ち着け」と囁く。
大男が子供の身体と足を押さえ、Soniaは子供の左足の残り少ない指の一本をボルトカッターで切断する。
子供の身体が反り返り、口が大きく開けられ声にもならない叫び声が発せられる。その口の中には歯は無く、舌も根元を残すのみに切除されていた。
簡単に傷口の処理をした後、Soniaは祈りを上げる。それに呼応して壁の無数の十字架が震え、そのざわめきが部屋中を覆う。祈りが終わったとき、十字架も一斉に動きを止める。
切断した子供の足の指を封筒に入れ、SoniaはJuancに手渡す。そして二人は「教会」を後にする。
しばらく車で走った後、Marioは運転しているJuancに尋ねる。あの子供は何なんだ?
あの子の母親はSoniaの娘だ。ジャンキーだった。あの子を妊娠しているとき、過剰摂取で死んだ。あの家のバスルームで。Soniaはそれを見つけて、悲嘆にくれ亡骸に覆いかぶさって泣いた。その時、お腹の子供がまだ動いているのに気付いた。 Soniaは慌てて、母親の腹をナイフで切り開き、あの子を取り出した。以来、Soniaはあの子を育てている。
そして噂が広まる。あれは死ぬはずだった子供だが、神の意志によりこの世に留められた特別な子だ。人々はあの子の髪の毛や、切った爪をお守りとして求めるようになる。金を払ってそれを求める。
やがてその噂は、ギャングにも伝わる。危険と隣り合わせで、ある時は死地に赴く彼らは、さらに特別な部分をお守りとして求めるようになる。Soniaが拒否すれば銃を突きつけ、大金を積んで…。
そして彼らの乗る車は進んで行く。国境へ。そしてその先へ…。
* * *
これがどのような作品かを示す入り口ともいうべき、この恐ろしいシーンまでは書かねばと少し端折り過ぎて、きちんと伝わっているだろうか?やや不安。文章の感じなども紹介できてないのだけど、特別な癖があったりと読みにくいものではない。ただ、この作品かなりスペイン語が多用されているので、翻訳機能が使えるKindle版での読書がおススメ。まあどうしても必要なところは続けて英語で意味が語られるし、 最悪全部飛ばしても読めるのだが、その文全体を選択し、タップすればスペイン語→日本語の翻訳が表示され、自分もそれを使って読んだ。大体はセリフの中で、かなり長いのもあるが、それはお祈りとか。基本的にはそれほどややこしいものはなかったはず。
序盤の方で飛ばしたシーンとしては、最初の殺人の時、死体の傷口から謎の虫が這い出してきて破壊されたところを食べ始めるというのと、バーでかなり昔に死んだはずの隣人が現れ、「気を付けろ」と警告するところ。
実はどちらについても特に説明はない。デイヴィッド・リンチ(合掌)の映画にあるような特に説明のないグロテスクだったり、シュールな断片というところなのだが、間でこんな感じに長々と説明を挟むのもうまくないんで、省略した。
そしてもう一つ、この作品の重要なテーマの一つとして、アメリカでラテンアメリカ系人種として生きることの苦痛というのがあり、それは本当に序盤のあたりから随所に現れるのだけど、その辺うまくあらすじに反映できていなかったり。
主人公Marioはメキシコ人らしいかなり昔に死んだと思われる父親と、プエルトリコ出身の母親との間に生まれ、アメリカ国籍は持っているものの貧困家庭で育ち、少しでもいい生活ができるよう勉学に励み、真面目に生きて、保険代理店に職を得て、 ラテンアメリカ系の保険に関する調査査定などの仕事をしてきたが、給料も安く子供の看病のために仕事が滞ればあっさり解雇され、ラテン系とすぐにわかる名前ゆえ、求職でも申し込んだ時点ではねられる。
ジャーナリストという顔も持つ、作者Gabino Iglesiasは、自身の出自でもあるそういった人種差別問題についても多く記事を書いており、第一次のトランプ政権の時にもそのメキシコ政策について厳しく非難してきた。
続くストーリーでは、食堂で白人の集団から受けた侮辱に対して、そこまで冷静な人物とも見えたJuancaが過剰なまでに暴力的に報復するという場面もある。
この作品について、一つまとめてみると、ボーダー=境界線をめぐる物語ということもできると思う。
まず主人公たちを縛る、人種という境界線。
そして主人公Marioが越える、社会・人間性の禁忌である殺人という境界線。
そして彼らが国境という境界線に近付き、それを越えるにつれて、彼らを取り巻く「現実」も恐るべき「超現実」へと境界線を越え、変容して行く。
この作品を読んで最初にイメージしたのは、かのジム・トンプスンによるノワール必読書の一つ、『Savage Night (サヴェッジ・ナイト)』(1953)。
小さな田舎町に潜入した殺し屋が強迫観念と妄想の果てに破滅して行くというストーリー。少々雑か?
一人称で記述される主人公Marioの語りは、自身と家族の境遇に対する怒り、これから向かう不可解な部分の多い犯罪への不安と恐怖、金さえ入れば人生をやり直せるはずという盲信に近づく願望、Juancaという人物への不信に加え、 友人であるBrianにまで疑いを抱き始め、様々な強迫観念、妄想に苛まれて行く。
そしてそれらに呼応するように、彼の前には理解することも敵わない恐怖が実体化し、戻ることのできない悪夢の先へと突き動かして行く。その道の先に、目的の先に待ち受けるのは何か?

監督:村川透、主演:松田優作の映画『野獣死すべし』(1980)。原作とは大きく設定を変えられた、死んだ目をした感情がないような青年の伊達邦彦。たまたま出会った暴力的なルーザーの青年真田を仲間に引き込み、銀行を襲撃する。 東北へ向かう電車で逃亡中、別件から彼を疑って追跡した刑事に捕まる。刑事の銃を奪い、彼を射殺したとき、伊達の中で眠っていた戦場カメラマンとして経験したトラウマからの狂気が暴走し、彼の周りの世界を戦場へと変えて行く。
この主人公の狂気により、世界が暴走し変容して行くというところなんだが、うーん、やっぱり結末かなあ。
あんまり伝わっていないかとは思うんだが、自分にとって特別に得思い入れのある映画であるこれを連想させたぐらいの作品ということで。
ちょっと話が横道にそれちゃうかもしれないけど、これを出したからには、かなり原作と違うことで批判も多いこの映画に対する自分のスタンスを説明せねばなるまい。
まず自分は原作である大藪春彦の『野獣死すべし』を、日本で唯一無二のオリジナルのハードボイルドを立ち上げた名作として、大変リスペクトしている。
更に、1959年の仲代達矢主演のものについては、もしこれ同時代で観てたらオレ一生仲代兄貴について行くぞと思わせただろう、本当にすごい作品だと思ってる。
それらとは全く別で、どれが一番なんて幼稚な順位をつけることも無く、この松田優作主演のものをすごい映画だと思ってる。
優れた原作作品がクソレベルの映画になることを度々批判している私だが、なにも原作通りに作られないことで批判してきたつもりはない。というかそもそもその通りになんて作られるのは無理だろうと思っている。自分が最も批判するのは、 話にもならん俳優が自分のイメージと違うみたいな理由や、商売上の浅知恵で作品のテーマそのものが踏みにじられるような行為についてである。
とはいえ、リチャード・スターク/パーカーの第1作『The Hunter』を映画化したということになってる『ペイバック』とかいうクソについては、以降メル何某の面を見ると殺意が沸き上がって来るので奴の出てる映画は一切見ないし、あんなもんを 一言でも褒めてる奴は全て自分の敵ぐらいに思ってる私なので、大藪原作を深く愛しこの映画を批判する人については、申し訳ないが敵となってしまうことを甘んじて受け入れる所存である。
そして私はこの『野獣死すべし』を日本で作られたノワール映画の大傑作であると評価している。
あー、やっぱり長ったらしくなっちゃったけど、これ出したからには、これについては言わなきゃならんので。
それにしても、なーんかあの手この手でいくら書いてみても、この作品のすごさがイマイチ伝わらん気がする…。オレの力なんてそんなもんか。
ややバラし過ぎかとも思うんだが、この後物語のかなりの部分は目的へと向かう旅程となって行き、悪夢と暗黒のロードノヴェルといった様相を表してくることになる。
これは本当にすごい作品なんだよ。一人でも多くの人が読んでくれよ。頼むよ。
Gabino Iglesiasについては最初に大体のところを書いたと思うが、その他には『Zero Saints』、『Coyote Songs』の旧作2作が、その後Mulholland Booksより再発となっている。最新作『House of Bone and Rain』が2024年出版なので、新作は まだ先だろうが、つい先日Substackにて自分は作家として書き続けて行かねばならないという結構アツい感じの文章を書いていた。それによるとなんだか現在は四つの作品を並行して書いているとのことで、それが全部出るものかは不明だが、 とにかく今後も多くの作品が読めることが期待できるんだろう。自分としては、やっとGabinoさんの作品を読んだよという感じだが、作家としてはまだ本格的に始動したところで、旧作も含めGabino作品を追って行かねばと思っている。
あ、ここで日本的にはあんまりなじみがないのかもしれないSubstackについて少々。とりあえず「Substackとは、ブログを書く感覚でメルマガを配信できるアメリカ発のプラットフォームです」みたいな説明があり、検索すると「Substackもうかりまっか」とか 「noteとどう違うの?」とか自分的にはあまり見る気が起きない感じのも見つかるので、詳しく知りたい人はそっち見て下さい。丸投げ。
ここではそっちでやってる自分的に注目の作家を何人か紹介。上記のGabino Iglesiasのもののように、作家の考えを長めの文章で詳しく読めたり、短編作品などを掲載している作家もいます。
まあまずAnthony Neil Smith先生が出てきちゃうんだが、先生のSubstackについてはかなり書かなきゃならんことがあるので、改めて。前回もそんなこと書いてたな…。とりあえず『Slower Bear』、次の次ぐらいの予定なんで、色々そこで詳しく。
そして、なんとあのRay Banksも!まあ映画に関するエッセイというものなんだが、かなり頻繁に上げられてて、新作も無くなんかBanksがなんか書いてるだけでも嬉しい私みたいな者には、ありがたいもんです。
それからPaul D. Brazill。この人本当にまめで、ほぼ毎日ニュースレター届いちゃうよん。Brazillさんも色々絶版になってた作品を自費出版で再発してたりで、ちゃんと紹介せねばと思ってるんだが…。
そしてドゥエイン・スウィアジンスキー。最近警官だった自分の祖父の従兄弟が100年前に殺された事件のノンフィクションを掲載してて、これはこれから出るらしい本の一部らしい。スウィアジンスキー去年10月に長らく絶版だった『Secret Dead Men』が 再発になってたりで、早く追いつかねばならないんだが…。
その他にも注目のGrant Wamackや、早くなんか読まねばと思い続けてるウィル・カーバーなど。色々な作家の近況やら、現在の考えなどが、Xの呟きとかより詳しく読めておススメです。なんか面白いのあって、余力あればまた紹介します。
昨年、Jon Bassoffの『Corrosion』をやっと読み、ホラー寄りの作品ということで後回しにすることはやめなければな、と深く反省し、やっと同じ理由で後回しにして来たGabino Iglesias作品を読んだ。本当にアホだな。今度こそ本当にノワールとの 境界線上とかせせこましいことを考えず、ホラー作品本丸に挑むぐらいのつもりでどんどん読んで行かねばと思う。そのためにはこっちもどんどん書かねばならず、何とかとりあえずは2か月3回の更新を…目指すよう…試みるべく…心がけようと思います…。 腰砕け…。そんなことを言いつつ先々週ぐらいにはなんか熱出て3~4日行動不能になったりしとるんだが…。ままならんねえ。うーん、とにかく頑張るですよ。
■Gabino Iglesias著作リスト
●長編
- Gutmouth (2012)
- Hungry Darkness (2015)
- Zero Saints (2015)
- Coyote Songs (2018)
- The Devil Takes You Home (2022)
- House of Bone and Rain (2024)